2017年10月17日 (火)

着る

 さて何を着るか。
 拵(こしら)えである。
 それを考えるのは、たいてい前の日の夜だ。
「明日何を着よう」
 と、悩む。
 面倒でもあり、一方でものすごくたのしみでもあり……、つまりわたしにとっての大問題だ。そして、着るものをどうするかが大問題でなくなり、あれこれ悩まなくなったら、生きがいの濃度が相当に薄まるだろうとも思う。ま、そうなったらそうなったで、別のおもしろさがはじまるのかもしれないが。

 着るものについての変化と云って、真っ先に浮かぶのは祖母のことだ。

 父方の祖母はうつくしく、きものの似合うおしゃれなひとだった。たとえば家にお客がある、なんていうとき、わたしはまず〈食べる〉と〈掃除〉を考えるが、祖母はちがう。
 いきなり美容院である。
 そうして、季節と気温、その日にみえるひとに因んだきものを選んで着る、という具合だ。わたしの父も叔父叔母たちも、そんなことには慣れっこだった。
「母さんがいない? 美容院じゃないの?」

 おしゃれな祖母が誇らしかった。
 10歳のときのことだ。札幌から弟とわたしの運動会に来てくれることになったあの日。わたしとしたら、子どもごころに見せびらかしたいような気持ちだ。あのとき、祖母は何歳(いくつ)だったのだろうか。
 64歳。藤色のきものを着て、ちょこんと坐る姿は、いまも目に焼き付いている。運動会は1010日であったから、寒さよけに首もとに巻いた小さなスカーフみたいなものも、きれいだったな。きものと同色の、透ける素材の布。
 そういう祖母が70歳をふたつみっつ越したころ、突如として洋装に転じた。
 当時、札幌から東京に移ってきて、わたしの家の向かいの家に住んでいた。
 早くに夫に先立たれ、その後長女である静江叔母一家と暮らしたが、静江叔母が急病で亡くなって、ひとり暮らしがはじまったのだ。
 祖母の家の2階にひと部屋もらって、わたしが同居した。夜ごはんは、祖母とふたりで向かいの実家に食べに行くが、朝と昼は祖母がひとりで仕度していた。中学生だったわたしは、朝は祖母のつくる朝ごはんを食べて、学校に行ったのだ。
「母さんのごはんは、おいしい?」
 と、叔母たちに訊かれた。
 自分たちは娘時代、お手伝いさんのつくるごはんであったから、めずらしがっていたのである。そのころ、祖母は初めて主婦となり、それをたのしもうとしていたのかもしれない。
「おいしい。卵焼きがとくに好き。おいしいし、きれいなの」
 卵焼きが黄色くてうつくしいのには、理由があった。
 卵を割るとき、殻をとっておくのだ。洗顔のとき、祖母は殻に残った膜を指でこそげて顔に塗る。いまで云うパックだ。卵の殻には白身もおまけに残るのだろう、祖母の卵料理は黄身中心となり、卵焼きはぐっと黄色く、目にも鮮やかに仕上がるというわけだ。
「おばあちゃまのごはんは、ていねいで、きれい」

 洋装のはなしをするのだった。

 家事のほか、庭につくった畑の仕事にも精出すようになった祖母は、きものをよそうと考えたのか。洋装にしようと思う、と、わたしに云った。云いにくそうに、やっとのことで云いました、という風情だった。
 そうして、祖母の洋装はさっぱりであった。
 小柄であるからきものはよく映ったが、洋服は丈もそうゆかない。また、驚くようなセンスなのだ。どうしてそんなものを着ようと思うのか、気が知れない。といった有り様(さま)で、まわりをぎょっとさせる。
 仕方なく同居のわたしが代表してスーパーマーケットの2階の婦人服売り場や、デパート、洋品店につきあっては、服選びを手伝った。祖母が選ぶものを止める役を果たすのが精一杯で、結果は捗捗(はかばか)しくなかった。おしゃれでうつくしい祖母はいなくなり、あんまりひとにも見せたくなくなった。
 いまのわたしなら、そんな事ごとをおもしろがれると思うのだが、何分(なにぶん)にも、自分のことだって持て余していた中学生だったからね。おばあちゃまを哀しませるようなことを云ったりしたのではなかったか。
「よくそんなの着ようと思うよね」
 ……なんて。
 おばあちゃま、ごめんなさい。
 何より、きものを振りきるように洋装転じた祖母に、その胸の内を訊いてみたかった。
                           〈来週につづく〉
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文房具店でいいもんみつけて、
鉛筆に着せました。
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鉛筆削り付きのサックです。
いいでしょ。
鉛筆派のわたしには、
ありがたくも愉快な鉛筆のきもの。 

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2017年10月 9日 (月)

たんこぶとふわふわ

 その日の夜、休もうとして、台所のオーブンの上を見たら、マヨネーズのチューブが横たわっていた。
「仕舞わなくちゃ」
 台所の流しの上、戸棚の天井近くのかごに、予備のケチャップ、中濃ソース、マヨネーズが1本ずつ出番を待っている。マヨネーズがそこから冷蔵庫へと異動になったので、それで1本新しいのを買ってきた。
 マヨネーズを仕舞うためには、居間から木のスツールを持ってきて、それに乗っかり、手を伸ばしてかごに……。ほら、これひと手間でしょう?
 しかし、とうとう仕舞おうと決心してわたしは……。スツールをとりに行くかわりにバスケットボールの選手よろしくレイアップシュートの構えでかごをねらう。手にしているのは、バスケットボールではなくマヨネーズだ。
『スラムダンク』の桜木花道に云わせるところの「庶民シュート」を決めようというわけだ。

「痛!」

 あまりの痛さに、その場にしゃがみこむ。
 目から火花が散った。
 レイアップシュートに失敗しただけでなく、かごに跳ね返されたマヨネーズのチュープ(新品だから、なかみはみっちり詰まっていて重い)を左側頭部にくらったのだ。
「どうしてこういうことをするかねえ、大人なのにさ」
 わたしは涙目になってスツールをとりに行き、それに乗っかり、手を伸ばしてかごにマヨネーズを納めた。
 翌日、頭を触ると、マヨネーズで打ったところがずきずきと痛み、たんこぶができていた。誰かに慰めてもらいたくもあったけれども、前日のくだりを話したところで、同情を引けるとはとても思えなかった。
「は? レイアップシュートの失敗?」
 とやられるのが落ちであろう。

 じつはあのとき、はっとした。

 あのときとは、マヨネーズにがつんと打たれた瞬間のことだ。
 スツールをとりに行かず乱暴な真似をした結末の反省にとどまらず、「打たれたな」という感じを持ったのだった。叱られたような気がした。

 夫に向かって冷ややかなひとことを云う。

 読書に打ちこみ過ぎて、行くべき場所に行き損なう。
 到来のチーズを内緒でひとり食べる(ワインも)。
 皿を割る(こっそりサヨナラす)。
 ふたたび夫に向かって冷ややかなことを云う。

 こうして書くとよくあるような事ごとに見えるのだが、最初に書いたのと最後に書いたのが、ことによからぬ事態を運んできて、窮地に陥りそうになり、そこでまた開き直ったのはますますいけなかった。

 ほんとうのところ反省もしなかったし、あやまりもしないでいて、とうとうマヨネーズにやられた。たんこぶをさすりながら過ごした3日間、わたしは殊勝らしく過ごしたのだ。しょんぼりしていた、と云ってもいい。
 マヨネーズが登場するというのはよくよくなことで、わたしを反省させ、改心させようとする存在は、それまでも幾度かあの手この手で気づかせようとしてくれていたかもしれない。そう考えて、しょんぼりしないではいられなかったのである。

 しょんぼりから立ち直ったのは4日目の朝のことだ。

 荷物が届いて、箱を開けると、ふわふわしたものがこちらを見て、にっこり微笑んでいた。北海道の友だちのユウコチャンが、いろいろの種類のじゃがいもを新聞紙でつくった小袋に入れ、送ってくれた。小袋と小袋の隙間を埋めるためにふわふわさん。
 添えられた手紙を読むと、かつて、ユウコチャンのお母さまがガラ紡という大きな機械を使って、羊毛から毛糸をつくり、それをセーターにする仕事をしていたのだそうだ。子どものころ身近に見ていた羊毛と再会して、うれしくなったユウコチャンは、そこに目と口をくっつけた。
「よくきてくれましたね」

 マヨネーズに打たれて反省し、羊毛のふわふわさんに慰められ元気をとり戻した今週のわたし。

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ユウコチャンがつくってくれたふわふわさんです。
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裏側に、ふわふわさんがやってくるまでの
3日間のわたしの顔をつけてみました。
こんな感じだったのです。

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2017年10月 3日 (火)

60分旅

 富山駅に降り立ってみると、ホームを踏みしめる感覚も、売店の有り様(よう)も、新幹線から絞りだされる乗客のせわしなさも、東京駅とさほどちがわない。これは、新幹線で旅するとき共通の印象だ。だが、やがてゆっくりと土地特有の〈おもむき〉が流れこんでくる。

 富山駅。

 空気がちがう。
 澄んだ感じ。
 空気中に含まれる有害物質(埃、カビの胞子、ウイルス、揮発性有機化合物←排出削減に取り組んでいるVOC)の量が少ないんじゃないか、ということもあろうけれども、その地への「ごめんください観」が感じさせるものでもある。

 それからたとえば。

 ハンカチーフを落としたとして、身をかがめてそれを拾ったら、「これ、このまま使っちゃおう」という気にさせられる感じ。東京駅だとそうはいかない。バッグのなかからチャック付きのビニール袋をとり出して仕舞う。
 落としちゃったハンカチーフは使わず、洗濯にまわすというわけだ。
 ちょっとおかしなたとえだけれども。富山駅は清潔で東京駅はそうでない、というはなしではないんだな、これは。

 立ち止まりたくなる感じもある。

 立ち止まって、あーっとのびをしながら旅の不安を吐きだしておいて、これから起きる何もかもを吸いこむ感じ。

 さて、その日の目的は市町村教育委員研究協議会(*)への参加である。 

 富山駅からセントラム(市内電車環状線/路面電車!)に乗り、国際会議場に向かう。文部科学省の担当課長から「初等中等教育施策の動向」についての行政説明を受け、その後、研究分科会に分れて意見交換を行う。という3時間25分の協議会日程である。
 次ぐ日予定が入っていて日帰りしなければならず、できたら会いたいものだがなあと思うひとの顔、酒やさかなののった卓を不承不承に消し去ったが……、同じ胸のなかに、旅先を感じないまま帰るのだけは避けようという思いが湧く。
 短い時間のなか、いかにして富山を味わうか。

 市内電車を「国際会議場前」で降り、腕時計を見ると、集合の時間までに
60分あることがわかった。
 よし、60分旅だ。
 60分しかないと思えば、その60分は、洗面所行き、会議室の場所を確かめ、手持ち資料に目を通し直したりしているあいだに終わってしまう。が、わたしはこのとき、晴れわたった空のもと、「60分もある。しめしめ」と両手をこすり合わせたのだった。

富山城址公園散策。
松川べりでぼんやり。
DDEPARTMENT TOYAMAで買いもの。
総曲輪フェリオ(大和百貨店)で「銀世界」(富山銘菓)と細工かまぼ
 こ(豆鯛)を求める。

・商店街の100円ショップで大きな提げ袋(チャック付き)を求め、戦利品
 を
納める。
国際会議場のカフェテラスで珈琲。

 これで
60分。旅慣れたひとなら、もっといけるかもしれないが、わたしにしたら、この上もない充実である。上機嫌で協議会に臨んだからかもしれないけれど、得るものの多い3時間25分を過ごすことができた。あたらしい出会いもあった。
 帰りの新幹線のなか、富山駅で求めた海鮮弁当のふたをとり、独り言(ご)つ。
「めでたし めでたし」

市町村教育委員研究協議会
 教育とりわけ義務教育の実施にあたっては、国、都道府県、市町村それぞ
 れが役割を分担し、責任を負っている(現在わたしは、東京都武蔵野市の
 教育委員)。

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DDEPARTMENT TOYAMAで求めたのは、
このお盆2枚(32,0×21,5cm)です。
ちょっとお茶、ちょっとお酒というとき使う
このくらいのサイズのお盆が欲しくて……。
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こんなふうに。
お土産に、日用品を選んで求めるってこと、
よくします。
「これ、富山で買ったお盆なんだよねえ」ってね。
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豆鯛、なんて素敵。
それに、わたしは練りものが大好き!

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2017年9月26日 (火)

蓑虫は足がはやい

 皆さんは、ことしの5月、わたしがうちの垣根の蔦を刈りに刈って、つんつるてんにしたはなしをおぼえていてくださるだろうか。
 どうしてこうなるのだろう、わたしは……、と恥じ入ろうとしているうちに、蔦(アイビーの一種だと思う)は葉をのばし、茎ものばし、たちまちつんつるてんを脱却した。
 そうして9月には、繁った蔦をまた刈りたくなった。
 剪定バサミ、刈り込みバサミのほかにのこぎりまで持ちだして、わたしは刈ろうとする。同じ過ちをくり返す才能には恵まれているが、このたびは才能全部を発動しなかった。BS放送の傑作サスペンスドラマ(10年前の製作)を観ながら、刈ったからだ。
 ドラマはたしかに傑作だったけれども、BS放送の癖で、コマーシャルが長い。これにつきあっていると、顔のシミや、白髪、ふくよかさを増してきたお腹のことを気にしたくなったり、血圧や血糖値や視力について悩みたくなったりして、困る。いまのところ、気にしなくてはいけないこと、悩まなければいけないことは、ほかにあるのだもの。
 それで、コマーシャルがはじまると、「失礼ごめんなさい」とお辞儀して、玄関に走る。三和土(たたき)に置いたハサミを持っておもてへ。ちょきちょき、かちゃかちゃハサミをふるい、刈った枝を袋につめてゆく。制限時間内のしごとなので、刈り過ぎたくてもそうできないし、つんつるてんにも届かない。
「そろそろだな」
 ころあいを見計らって、玄関から居間のテレビの前に向かい、サスペンスドラマのつづきを観る。
 ドラマのなかの事件の謎が解かれ、終わりを迎えるのと同時に、刈りこんだ枝葉入り大袋が2つできていた。これを、翌日のゴミ出しまで玄関の三和土に置くこととす。乾燥させるため、袋の口は縛らないでおく。

 さあて、本題はここからなのだ。

 深夜、薄暗い玄関の天井に、小さなふたつ影を見た。
 何だろうと、灯りを点けてよく見ると……、それは蓑虫であった。
「コンバンハ」
 思わずわたしはそう云って、しばしその場にとどまった。
 それというのも、蓑虫とわたしとは縁(えにし)深きお互いであるからだ。子どものころから蓑虫を好きだった。ただ好き、ということでは片づけられない何かがある……と感じるほどに。記憶があるわけではないのだけれど、いつしかわたしは前世の自分は蓑虫であった、と考えるようになった。
 生物の起源をたどると、生命あるあらゆる存在の元はひとつ、ということになるのだそうだ。その説を初めて聞かされたとき、「と、いうことであるのにもかかわらず」と思わずにはいられなかった。
 と、いうことであるのにもかかわらず、どうしてヒトばかりが自分たちの都合を主張するのだろう。すべてをヒト中心の考え方でもってはなしを進めてゆき、そのために他(た)の生物の存在を踏みにじる。そうは考えたくないけれども、わたしだって、そうとう踏みにじってきた。
 ここで、自分の前世というものがあるとしたなら、それがヒトではない生物ということにしたいと考えるに至ったわけだった。
(ワタシハミノムシ)
 前世が蓑虫だと考えると、今生の傍若無人ぶりを客観的にみつめられるような気がする。それから、もうひとつは、蓑虫の生まれ変わりたるヒトとしての人生を生きる自分への同情。慣れないながら、まずまず何とか生きられていられるのは、奇跡である、と自分に云ってやりたいような思いである。
 はなしは長くなったが、そういうわけで、玄関の天井に下がるふたりの蓑虫を見たとき、何とも云えない気持ちになった。ある意味、自分自身を下から見上げる感覚だ。
 刈り取った蔦の枝葉のあいだから這いでてきたものと思われるけれども、そんな経緯はともかく、蓑虫との対面はわたしに物思いをさせている。家人たちにも紹介したいと思い、その日は、そのままにして寝床に入った。
 翌朝いちばんに、玄関の天井を見上げると、蓑虫の姿が消えている。さがしてみると、ひとりは5メートルほど天井を移動しており、もうひとりは……、みつからない。
 午後になって、2階の仕事部屋の棚にぶら下がっているのを発見。驚いたのなんのって。縁深きとか、自分自身を見る思いという蓑虫への親しみが、カラカラッと音を立てて砕け散った。
 蓑虫のこと、何にも知らなかったー。
 こんなに移動するものなのか、蓑虫は。
 その日から1週間が過ぎようとしているいまも、わたしは蓑虫と追いかけっこをつづけている。そろそろおもてに出してやらなけりゃ、と思っているのだが。
 不思議なことは、毎日起こる。
 それを見過ごしてはならない。
 ヒトとしては決して見過してはならない。

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友人から「マッシュルームの生ハム詰め」を
おそわりました。
どうしてこれをつくる気になったか……。
チェロ奏者の友人が、でっかくて重たい
楽器を抱えているのにも関わらず、
マッシュルームのタイムセールに遭遇し、
3パック買った!というはなしを聞いたからです。
友人にしたらチェロを抱えて歩くなど日常的なことですが、
わたしには、こんなふうに思えました。
重荷を抱えても発見があり、
たのしみがあり、創作がある。
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マッシュルームの軸をくりぬき、
みじん切りにします。
ほかに、にんにくと生ハムもみじん切りに。
それらを合わせて、マッシュルームの傘のなかに
詰め、フライパンで焼きます。
味つけ(風味づけ)は塩こしょうと白ワイン(酒でも)。 

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