2017年6月20日 (火)

真似してもいいよ!

 午後11時半。
 店の遅番をつとめている二女の夜食をつくり、台所も片づけ、さあ寝るかと思ったとき、ふと〈アレ〉が出た。

 〈アレ〉のことを打ち明けますから、どうか、ひそっと読んでくださいましね。

 家のしごとを終えたとき、まともなことを云ったりしたりしたあと、まだ起こっていないことを心配しそうになったとき、機嫌がわるくなる直前、ひとのことをわるく思いそうになった瞬間……、〈アレ〉が出る。いつ、どんなふうに、どんな気持ちではじめたのだったか、おぼえていない。長年つづいたのは確かで、いまでは「さあ、するぞ」なんかと思わずとも、自然に出てくるまでになっている。

〈アレ〉

 両手を肩の高さまで上げ、ちょっとひねるようにする。
 左足を外側に曲げながら上げる。
 腰はちょいと落とし気味にする。
 さあ、顔。目を閉じてほっぺをゆがめ、ひょっとこの顔をする(舌を出すこともある)。

 これをやると、英語で云うところの
resetだろうか、自分をはじまりの状態に戻すことができる。ほんとうにそうなっているかは疑わしいが、場面転換には役立っている。早いはなし、癖でもある。

「何やってるの?」

 とつぜん背後から声をかけられ、〈アレ〉の恰好のままふり返る。
 二女が立っていた。
「お・か・え・り」
 ひょっとこの顔で云う。
「おかしなことをするひとだねえ。何なの? 魔除け?」
 するどいところを突いてくるな。
「……Reset。みつかりたくなかったです」
「アタシも、みつけたくなかったです」
 互いに、くくくっと笑う。
「夜食つくって、片づけも終えて、ちょっと立派過ぎるかなあと思ったら、やってた」

「そういうときにやるのか」
「ほかには、いやな気持ちや考えをぬぐい去りたいときも、やる。出るって感じ。あ、真似してもいいよ」
「いや、いい。アタシはしません」

 ほかにもうんとばからしいことを内緒でやっているのだけれども、このたびは〈アレ〉がばれてしまったので、白状いたしました。

 あ、真似してもいいよ。

Photo_2
昨日のことです。
自分のために焼いたブルーチーズの
トーストを、グリルから出すとき、
失敗しました。
チーズの面を下に、床に落としてしまったのです。
このときも、〈アレ〉は出ました。

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2017年6月13日 (火)

揺れながらコロッケを揚げる

 スーパーマーケットで買いものをしていたら、白髪のひとが目がとまった。紫の花柄のワンピースに、白いカーディガン、鍔(つば)のある洒落た帽子という装い。エレガントな……、ムラサキさん(仮名)。
 ムラサキさんはスーパーマーケットの手押し車でからだを支えるようにして、ゆっくりゆっくり歩を進めている。見れば、手押し車の持ち手に折りたたんだ杖がさげてある。

 70
歳代。
 ひとり暮らし。
 少し足が不自由だけれども、健康。

 想像を混ぜこみつつ勝手な観察をしながら、手押し車の上に置かれた買いものかごをちらっと覗く。覗いたりしてはいけない、と思うが、興味を押さえられなかった。

 筑前煮の詰まったプラスティックの容器、スープらしきレトルト・パウチ、野沢菜の袋、豆腐、サクランボ。

 ご飯。

 にんじんのスープ。
 筑前煮。
 冷や奴。
 野沢菜。
 サクランボ。

 というのが、その日のムラサキさんの夕食か。


 こんな光景はめずらしくなく、ムラサキさんのように高齢でなくとも、ひとり暮らし(?)でなくとも、どんな年代のどんなひとでも、子どもだって……加工品や出来合の総菜を求める時代だ。

 家に電子レンジがあれば温めて、すぐに自分の分の〈ごはん〉が整う。
 ムラサキさんをはじめ、ひとり分の〈ごはん〉たる加工品のある食卓を思って、わたしのこころは、頼りなく揺れはじめた。

 感想は感想として浮かんでくるのだが、それをこうだと認めたくもたしかめたくもなく、わたしはただ、頼りなく揺れながらきゃべつとパン粉、合挽肉、うずらの卵を買って、大急ぎで家に帰った。

 そうだ、わたしの感想は、きゃべつとパン粉、合挽肉、うずらの卵である。
 夫の実家の畑でとれた新じゃがいもと、新玉ねぎを山と積む。わたしの感想は、突如としてコロッケというかたちをとろうとしている。

 ご飯。

 さやえんどうと豆腐のおみおつけ。
 コロッケ。
 うずらの卵揚げ。
 きゃべつのせん切り。
 ぬか漬け(きゅうり、大根、にんじん、ピーマン)。

 手間のかかるコロッケをとつぜんつくりたくなったわたしのこころは、いつかはわたしもコロッケをつくらなくなるかもしれない、というこころだ。そうして、気がついたらスーパーマーケットで買うはずだったものでない、コロッケの材料を買っていた。

 コロッケをつくれなくなるのだか、つくらなくなるのだか、つくりたくなくなるのだがわからないけれど、そんな日がめぐってきたとしたら、それは受け入れなければならないだろう。でも、そんな事態になっても、ひとりで食べてばかりいないで、たまにはにぎやかに〈ごはん〉を食べたい!と希(ねが)えるわたしでいよう。

 この日、たーくさんのコロッケを揚げた。

 コロッケの食卓を囲めたのは、夫、二女、三女、わたしの4人。もりもり食べながら、長女、夫の両親、あの世に逝ったばかりの母、この春ひとり暮らしになった友人、そしてムラサキさんを思い浮かべた。一緒にコロッケを食べたかったひとたちの顔、顔、顔である。

2017w

まんなかの小さい〈まんまる〉は
うずらの卵を茹でてコロモをつけたもの。
友人のノゾミさんが、おしえてくれたので、
つくってみました。
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コロッケを揚げたのは夫です。
こういうしごとを、できるうちに
夫にもさせたげないとね。
うずらの卵は、素敵にかわいく、
おいしかったです。

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2017年6月 6日 (火)

ミセス・マヨ

 はじまりは土曜日だった。
 ポテトサラダをつくり、マヨネーズを使いきる。
 ポテトサラダを食卓に出したあと、よし、とばかりにわたしはマヨネーズのソフトチューブのボトルなかへと慎重に酢を注ぎ入れる。ふたを閉めて、ボトルを振る、振る。
 使いきった者にしか味わうことのない〈至福の時〉である。
 こうすることによって、ソフトチューブのボトルに残ったマヨネーズを、酢で洗うことができる。これを思いついたとき、わたしはうっとりした。マヨネーズの容器を容易に洗い上げて再生ゴミ(容器包装リサイクル)とすることができ、同時に、マヨネーズと酢を合わせたドレッシングソースが手に入るのだもの。酸っぱくて緩(ゆる)いこのドレッシングに、わたしは味噌を少し混ぜこむことにしている。

 日曜日の朝。

 友だちが送ってくれたアスパラガスを茹でる。なんてうれしい。こういうとき、わたしはきょろきょろする。しあわせ過ぎはしないだろうかと思って、ちいさな不幸をさがすのだ。台所のゴミ箱のふたの取っ手が壊れているのが目に入った。これで、まずまず、しあわせ過ぎの〈過ぎた〉分を埋め合わせることができる。これでよし。
 かすかに味噌の香りのするあの、容器を洗ってつくったマヨドレッシングをおもむろにとり出す。ガラスの片口に入れ、そこにアスパラガスの穂先をちょん、首をちょん、胸をちょん、腹をちょんとつけながら食べた。

 つぎは月曜日の朝。

 蒸し鶏とセロリをマヨネーズで和え、パンにはさもうと意気込んでいる。もとより、蒸し鶏とセロリのサンドウィッチはわたしの好物で、この世でのさいごに食べようかというくらいだ。ささみがある。セロリがある。近所のパン店で1斤を12枚に切ってもらった食パンもある。
 ……マヨネーズがない!
 2日前に得意になってボトルを酢で洗い、酢で緩んだところに味噌を混ぜたのをアスパラガスにつけて食べたのを思いだした。そうだった。マヨネーズを使いきったのだった。
 友人のUさんの家ならば、マヨネーズが5本くらいは出番を待っているだろう。食品用のラップフィルだって、アルミ箔だって10本ずつ待機している、と云っていたもの。
「え、予備のラップフィルムやアルミ箔を持たないの?」
 とUさんは目をまんまるくした。
「持たないんです」
 とわたし。
「心配じゃないの? 予備がなくて」
「心配じゃないんです、なぜか。終わりそうだな、というときに買うことはあるけど、たいていは、使いきってから買いに行くの」
 Uさんは、自分の家の戸棚を思いだしたのだろう、「わたしはラップフィルムもアルミ箔も10本は持ってる! 心配で」
 わたしは、モノを使いきってしまい、もうなくなりましたというめぐり逢わせになったとき、ちょっとうろたえる感じが好きなのだ。だから、予備を持たない。そんな感じが好きだなんてはなしはUさんにはしていない。医師である彼女にあきれられてしまいそうで。
「買い置きをしない症候群」なんて病気がないともかぎらず、そう診断されたら、わたしも「うろたえたい」なんて云っていられなくなるかもしれない。

 さて、マヨネーズがないとなったわたしは、身をよじってうろたえている。

 中学2年のときだったから、ざっと半世紀近く前に学校でおそわったマヨネーズのつくり方を思いだしながら、水気のないボウル、水気のない泡立て器を目の前にならべた。
 スモック、その上にエプロン、三角巾、長靴と、全身白装束のせんせいが、「マヨネーズが分離してしまうから、水気には注意!」とくり返し云ったのが耳にこびりついている。

 卵黄 ……………1個

 サラダ油 ………150cc
 酢 ………………大さじ2
 辛子 ……………小さじ1
 塩 ………………小さじ1/2
 こしょう ………少し

 こんな感じではなかったろうか。

 こういうとき、ひどく大雑把で、調べようともせず作業にとりかかるのも、わたしの性癖だ。とろみ感を見ながら、味を見ながら、つくればいいさと思っている。ほら、大事なのは水気のない器具を用いることだったじゃないの!
 できたのであります。
 卵黄を練るようにしたところに塩を加え、よくよく混ぜる。
 そこに油をちょっと加えて混ぜ、酢をちょっと加えて混ぜ、をくり返す。ああ、これこそは中学生のわたしを夢中にさせた手順である。サラダ油を混ぜると濃度が増し、酢を加えると緩むのだ。そうか、料理は科学なんだ!と大発見したのだったなあ。
 マヨネーズひとつとっても、物語はいっぱいだ。
・容器を洗いながら、ドレッシングソースをつくって得意になるわたし。
・マヨネーズの買い置きをせず、「ない!」ことをちょっといいなと思うわたし。
うろ覚えでマヨネーズをこしらえてみるわたし。
中学生のころ、マヨネーズをつくりながら「料理は科学なんだ!」と思ったものの、同じ感想を持った小林カツ代さんのようにはなれなかったわたし。
蒸し鶏とセロリのサンドウィッチをほおばり、満足するわたし。

 ミセス・マヨ、アナタもすごいけれども、アナタをこの世に生みだしたひとは、偉大です。

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庭にどくだみが群生しています。
こうなったからには、と思って、
好きにしてもらいました。
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あはは。
すごいでしょう……。
ことしはこれを干して、
どくだみ茶とどくだみ焼酎漬けエキスをつくろうと
思います。
〈とほほ〉を、〈どんなもんだい〉に変換です。
とほほだけど、どくだみの群生はうつくしい……。

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2017年5月30日 (火)

紫陽花を胸に抱えて……

 3つの会合につづけて出席し、やれやれと両肩をまわしながら建物の玄関を出たときだ。
 すでにあたりは薄闇に包まれはじめていた。夕方5時半。
 駐車場から声をかけられた。
 目を凝らすと、先輩格の友人が手招きしている。
 わたしと同じ会合3つに出席したというのに、先輩は驚くほど溌剌(はつらつ)としている。
「きょうはお疲れさまでございました」
 クルマに近づくと、先輩は身をかがめて後部座席にもぐりこんでおり、そこから何やら嵩張(かさば)るものをとり出すと、わたしのほうに向き直った。
「今朝、うちの近くで求めてきたの。あなたにあげたいと思って」
 手渡されたのは、紫陽花の鉢植えであった。
「白い花のもきれいで迷ったけれど、紫のは咲きながら色を換えてゆくと聞いてね、紫のにしたの」
 提げ袋の持ち手を持って、提げようとすると、
「抱えたほうがいいわよ」
 と云われる。
 云われたように左手で左胸に抱え、お辞儀。
 紫陽花もいっしょに、お辞儀。
 わたしにとって紫陽花は、道の端や山道に存在する花、どこかの庭に植えられた通りすがりの花である。花が咲いてはじめて存在に気がつく。花の季節が訪れるたび、こんなにたくさんの紫陽花がいたんだなと、感心する。
 花にみとれて立ち止まることはあっても、なぜだろう、身近に飾ったこともましてや植え付けたこともなかった。それで、鉢植えを抱えたときには、思いがけなさに戸惑った。
 同時に、そのめぐり逢わせにこころを動かされずにはいられないでいる。
 すれちがうひとが、わたし抱えられた紫陽花に驚いている。
「なんの花?」
 と聞く子もある。
「ア・ジ・サ・イ」
 知り合いに会って「うつくしい」と云われたら、「(うつくしいのは)わたしですか?」と聞き返そう、と目論(もくろ)んだけれど、誰にも会わなかった。バカな冗談を云わずに済んで、よかった。

 帰ってすぐにしたのが紫陽花への灌水(かんすい)だ。

 抱えて歩いていたものだから、紫陽花が「ミズガホシイ」「ミズガホシイ」とくり返し云う声が聞こえた。台所の流しに置き、蛇口から細い水を出して、与える。
 ゴクゴク、ゴクゴク。
 こちらも誘われて、ジャスミン茶をゴクゴク、ゴクゴク。
 鉢カヴァ代わりに古い植木鉢を選んできて、なかに新聞紙を敷き、納めてみるとなかなかいい感じだ。昔からここにいます、という佇(たたず)まい。

 紫陽花を玄関フロアに置き、向かい合って立つ。

 飾ってみると迫力があって、それに飲まれ、自分を隠せなくなった。
「このところ、自分で自分にあきれていたの。どうしてわたしは、こうも余計なことばかりして、忙しがっているんだろう。そう思わずにはいられなくて、情けないの」
 思わず紫陽花に話しかけた自分をわらいながら、ひとには告げられぬ思いを抱いていたことを知る。
「……情けないの」
 紫陽花は何も云わずに、じっとこちらを見ている。
「縁(えにし)や定めを余計なことと思ってしまうことも情けないし、自分のしていることを信じられないことも情けない。この事ごとにどんな意味があるのかと、ついため息をつくことが、情けないの」
「スベテハ アナタノジンセイノ イチブ。ワタシガココ二キタコトモ」
「情けながらなくて、いいのね」
 あとは自分で決めること。

 余計なことなんかないと、信じることにします。

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これが、その紫陽花です。
階段の手すりの上から、眺めたところ。
日に日に色が変化し、わたしを励まし、
慰め、……わからせてくれます。

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