2019年6月18日 (火)

ツーピー ツーピー

「京やきぐり」というのをいただいて、夢中で食べている。
 この春、何気なく駅の売店で甘栗を買って以来、わたし、栗が好きだったんだなと気がついた。それから頭の隅っこに「栗」の字が彫りこまれたものか、くり、と聞き、栗、をみつけるとそわそわする。

 6年前になるが、苗字に栗の字のつく紳士と同じ任務に就いたことがあった。2年間にわたる任務を終えたとき、ひとつの仕事を終えた感傷が胸にひろがった。感傷のなかみとして、もっとも大きな位置を占めたのが、〈栗の字せんせい〉ともう簡単には会えなくなるさびしさであった。あのころせんせいは、6年間に及ぶ大学の学長職を終えたばかりだったが、えらそうなところが微塵もなく、密かに「もう少しえらそうでも、いいのに」と不満を感じるほどだった。知的でおしゃれで、ユーモアあふれる紳士。
 2年間の任務のあと、〈栗の字せんせい〉との仕事の充実と愉快を気づかせてくれたのも、栗たちだったなあ。栗の木を見上げては……、甘栗の袋の連なりを眺めては……、〈栗の字せんせい〉をなつかしんだ。洋菓子店で菓子を注文する最中(さなか)、「モンブラン」と云って、思わず涙ぐんでしまったこともあった。
 〈栗の字せんせい〉とは、以来2回、道の上でばったりお目にかかった。

 いただいた「京やきぐり」の箱型の紙の手提げを開けると、そこにはまんまるの焼き栗がいっぱい入っていて、思わず「きゃっ」と声をあげてしまう。
 それを籠にうつして小机の上に置く。
 うつくしい風情。……と思いながらも、食べたくてたまらなくなり通りがかりについ、手にとってしまう。立ったまま食べたりするのはいかにも申しわけないので、坐って、栗の皮をはずしにかかる。するっと剥(む)けるときと、鬼皮に実の部分(ほんとは鬼皮と渋皮が実で、実だと思って食べているのはタネなんだと!)を持ってゆかれて、ふたつに割れてしまうときと、ある。
 するっと向けて、まんまるい実がてのひらにのると、見えない誰かさんに「当たりです。いいことがあります」と云ってもらったような心持ちになる。

 日曜日の朝。
 これを書きはじめる少し前、「京やきぐり」をひとつつまんで、皮を剥いたら、するっと剥けた。そのときだ。庭からツーピー ツーピーと鳥の声が聞こえてきた。シジュウガラの歌である。
 栗のことも、シジュウカラの声も、おおいにうれしい。

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やきぐり。
こんなのがある風景も、しあわせ。
おいしさも、しあわせ。
皮がするっと剥けたら、それは「吉兆」。

 

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2019年6月11日 (火)

練習

 その昔、わたしが子どもだったころのはなし。
 
 夕方。
 どこからともなく豆腐屋さんのラッパの音が聞こえてくる。
 プープー。プープー。
 豆腐屋さんが自転車の荷台に大きな木箱をのせて、やってきたのだ。
 母が立ち上がって、台所からボウル(小鍋だったかもしれない)を持ってきてわたしに向かって差しだし、「絹ごし1丁、油揚げ1枚お願い」と云う。これは、日によって変わる。母は絹ごし贔屓(びいき)だったから、木綿豆腐を頼まれたことはなかったが、がんもどき、厚揚げ、と告げられることもある。
「はーい」
 わたしは受けとったボウルを抱えて、おもてに飛びだす。
 豆腐屋のおじさんは、路地の少し向こうに自転車を停めて、商いをしている。荷台の木箱のなかには水が張ってあり、なかに豆腐が浸かっている。それを素手ですくいとって、器に入れるのだ。お客は割烹着をつけたおばあさんや、エプロン姿のおばさん、それにわたしのような子どもだ。
「きぬごし、いっちょう。それから、あぶらげいちまい、ください」
 こんなことを、昔の子どもは日常的にしていたが、それは「おてつだい」という括りではなかった。むしろ「遊び」の延長であったような気がする。
「おてつだい」であろうと、「遊び」であろうと、ともかく子どもが「する」のだった。 

 子どものわたしは豆腐屋のおじさんから母に頼まれたものを、頼まれた数だけ受けとって、お金を払い、ときには釣銭ももらって帰ればよかった。しかし、それだけではなかった。
 豆腐屋のおじさんとやりとりしたり。自分が先に買っていいか、顔を合わせたおばさんを先にして自分はあとから買うほうがいいか、を考えたり。近所のひとからかけられるコトバに返事をしたり。することはたくさんあったのだ。

 豆腐を買うほかにも、いろいろなことが待ち受けていた。
 回覧板をまわす。おすそ分けを届けて、そのうちのひとに口上を述べる。銭湯に行って、おばさんやお姉さんのあいだでからだを洗い、湯船につかる。
 最近とみに、それやこれやを、場面とともに思いだすようになっている。
 豆腐屋さんから豆腐を買うことのように好きだったこともあるし、あまり好きでないこともあった。口上をおぼえて伝えるなんていうのは、あまり好きでなかった。「ほっかいどうのしんせきから、あすぱらがとどきました」なんていう短いコトバだって、まちがえないように云うのに、苦心が要った。

 あのとき……。
 と、わたしは考えている。
 あのとき、わたしは、家族でもない、友だちともちがったひとたち、それに、年のちがうひとたちとつきあっていた。大人たちは、あたりまえのこととして、子どもにそんな機会をつくってくれていたのだ。
 このごろは、そういうことがめっきり少なくなっている。
 だいいち豆腐屋さんが自転車でやってこない。誰とも口を聞かずに豆腐は買える。豆腐でないモノだって、たいてい無言で買えるのだ。近所づきあいの機会も減っているし、切実に銭湯に通うこともなくなった。そんな場面につきものだった挨拶や作法、心づかいのようなものも、一緒に消えてしまった。

 練習不足。

 家族でもなく、友だちともちがったひとたちと、まじわる練習。
 年のちがう相手と、一緒に何かする練習。
 こんなことがいま、決定的に不足している。

 練習不足を突きつけられるのは、ひとが極度に孤立し、それがために起こる(それだけではないにしても)事件に接するときだ。ひとづきあいの練習ができていたなら、他人(ひと)や世間に対して不審の念を抱いたり、怖がる必要のないことが実感できるのではないか。それどころか、ときには、助けを求めることもできるのではないか。

 練習の機会。

 これを、さりげなくつくれるおばさんになりたいと思うが、さて。

Yuri
近所の友だちが、ピンク色の百合の花を
持ってきてくれました。
庭で咲いたのだそうです。
「あなたが白い百合を好きなのは知ってるけど、
ピンクも可愛いでしょ」
……ええ、とっても。

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2019年6月 4日 (火)

「趣味は歩くことです」

 このところ、歩いてばかりいる。
 もともと、歩くのは好きだが、このところの「歩き」は度を越しているようでもある。

「おかあさーん」
 これが合図だ。
 末娘の、声。
「わかった、歩こう」
 これはわたし、「おかあ」である。
「え、いいの?」
 いいのです、と答える代わりに運動靴を履く。

 末娘は現在、「就職活動(以下、就活)」のただなかにあって、一喜一憂の日日を過ごしている。こういうとき、あまり深入りしないように、気をつけている。深入りしたところで、余計なことを口にして神経を逆撫(さかな)でするのが落ちだし、そうでなくても昨今の就職事情は複雑で、とらえどころがない。
(なんとかがんばっておくれよ)
 という心持ちで、いる。
 しかし娘を一喜一憂させる就活をめぐるあれやこれやについて、名称くらいは聞きとっている。
 エントリーシート。webテスト。グループディスカッション。お祈りメール。

 こういった事ごとに追い詰められるたび、このひとは何となく「おかあさーん」と小さく叫ぶのだ。
 もしかしたら、ただそう云ってみているだけで、「わかった、歩こう」なんて応じなくていいのかもしれない。けれど、娘たちとわたしは、これまで何かがあるとき、何もないときも、とにかくならんで歩いてきた。
 このたびも、何とはなしに、ふたりで歩きに歩いている。就活のなかみについて、問い質(ただ)すような真似はしないでいるけれど、これだけは尋ねた。
「ね、ときどき云ってる『お祈りメール』ってのは、何?」
「不合格のメールのことなんだけどね、不合格なんてことばは使われないの。『残念ながら、ヤマモトサマのご希望に添いかねる結果となりました』とくる。さいごに『ヤマモトサマの就職活動の成功と、今後のご活躍をお祈り申し上げます』がついてくるの。これが、お祈りメール」
「ほお……」
「そういうときは、友だち同士で、『〇〇会社に祈られたー』って報告し合うのー」

 本日も、夜の散歩をした。
 ならんで歩きながら、まったくもって、誰かのために何かしたいと思っても、できることなんてのは、わずかばかりのことだ、と考えていた。しかし……、できることがわずかでもあるというのは幸せだ。わずかなことでも最善を尽くせば、扉はあくのではないか。

「面接で、趣味は何ですか?って質問されたとき、何と答えると思う?」
 と、隣を歩く娘。

「趣味は歩くことです」
 ふたり同時に云って、あはは、と笑う。

Photo_6
ことし、3年ぶりに庭の梅に実がなりました。
実は2キロ半ありました。
早速、梅シロップを漬けました。
シロップができたら、漬けたあとの実で
ジャムをつくろうと思います。
梅しごと、梅しごと!

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2019年5月28日 (火)

香港〈その後〉

 香港に来るのは、3度目だ。
 過去2度の旅は24年以上前のことで、当時の香港はイギリスの租借地(そしゃくち)であった。
 アヘン戦争後の1842年、香港島はイギリスに割譲(かつじょう)される(事実上の植民地)。1898年には九龍(カオルーン)半島、新界、諸島もイギリスの租借地となった。租借期間は99年。1997年に香港は、イギリスから中国に返還された。

 今回は、夫の映画(「三里塚のイカロス」)が招かれた「国際現代ドキュメンタリー・プログラム」(INTERNATIONAL CONTEMPORARY DOCUMENTARY PROGRAMME)という映画祭に出かけてきている。夫にくっついてきたのだが、返還後の香港を歩いてみたかった。
 これを書いているいまは旅の3日目で、途中にはホテルの部屋でひとり、持ってきた仕事をする羽目に陥ったりしたが、それでも2019年現在の香港を肌で感じることができているのは、現地のひとたちと会って話す機会を持ったからだった。
 国際現代ドキュメンタリー・プログラムのことしのテーマ。それはAFTERMATH
AFTERMATHってのは何?」
「その後、だよ」
 と夫は云い、そのことばを受けとった瞬間、「AFTERMATH・その後」ということばがわたしの胸のなかに棲みついた。
 香港の「その後」はイギリスから返還後された〈その後〉であり、2014年に若者たちを中心に起こった「雨傘運動」の〈その後〉である。前者はもちろんのこと、「雨傘運動」は、普通選挙を約束していたのに中央政府にとって都合のよい制度になることに対する抗議デモであり、それがどれほど香港にとって、大きなことであったか。
 日本だって同じだ。
 古くは明治維新の〈その後〉。それから第二次世界大戦の〈その後〉。東日本大震災の〈その後〉。関西淡路大地震をはじめ、各地が経験した自然災害の〈その後〉。
 このたび香港の「国際現代ドキュメンタリー・プログラム」に招待されている夫の映画「三里塚のイカロス」は、1966年から70年代に起こった「成田空港反対闘争」の〈その後〉を描いている。
 ひとも、それぞれ、いくつかの〈その後〉を生きているはずだ。

〈その後〉。
 それは過去のはなしではなく、むしろ〈未来〉を指すことばだ。過去を検証して(反省もして)、〈その後〉をどうみつめ、どう生きるかが〈未来〉を決定する。

 2日目、ホテルで仕事をしていたところを、映画祭の主催団体のリーダー(プロデユーサーと云っていいのではないだろうか)のCheung Tit leungさん(以下ティット)がわたしのことも、映画祭の会場となる中環(セントラル)の「大館(Tai Kwun)へと誘いだしてくれた。
 タクシー(的士)で中環に向かい、立派なレンガの建物の前で下車すると、そこには「警察服務中心 POLICE SERVICES CENTRE」とある。「大館って警察か?」と、どきどきする。「警察で、映画祭?」
 ティットの説明によると(英語と広東語だから、さわりだけ……)、1年前、ここ旧警察本部の跡地(敷地のなかには中央警察署、中央裁判所、監獄がある)が、香港の芸術、文化を発信するランドマークに生まれ変わった。大きな映像施設と、野外ライブスペースも有するとのこと。
「ダイシマさん(夫)の映画はここで上映します」
 ということが、やっとのことでわかった上で、大館のなかに残る「ビクトリア監獄」を見学する。残るとはいっても、再現され、映像を組みこんで、有罪判決ののち投獄され、懲罰を受け、労働する囚人の様子を見ることができるようになっている。

 この施設のなかの、モダンな中華レストランで昼食をとりながら、ティットが「アクチュアル・イメージ」という発音をした。
「実際の、とか現実のって……いう意味のアクチュアル? アクチュアル・イメージってドキュメンタリー映画のことを云ってるのかな」
 と隣にいた夫にこっそり確かめる。
「うん。そうだけど、アクチュアルにはドキュメンタリーよりもつよい意味が含まれているとも、いえるかな。ティットの考えるそれは、社会に働きかけるっていう意味をもっていると思う」

AFTERMATH・その後」につづいて、
ACTUAL・社会に働きかける」だ。

〈その後〉×〈働きかける〉=〈未来〉

 これから荷物をまとめて日本に帰ります。

Hongkong
香港・中環(セントラル)の「大館(Tai  Kwun)にて。
左からティット(Cheung Tit leungさん)、ダイシマ、
カオせんせい(Kuo,Li-Hsinさん/台湾の映画研究者、国立政治大学教授)。

〈お知らせ〉
6月1日(土)13:00−14:30
池袋コミュニティ・カレッジ
対談 内多勝康 ×   山本ふみこ

「あたらしい自分を考える」
会員 : 1回 2,808円
一般 : 1回 3,348円
申し込みと問合わせ
03ー5949ー5481

「人生100年時代」。
人生における変化、変身について、考えてみたいと思います。
NHKの人気キャスターから転身、
医療的ケアの世界に挑む内多勝康(うちだ・かつやす)さんとともに!
お申し込み、お待ちしております。

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内多勝康さん
国立成育医療研究センター
もみじの家ハウスマネージャー
元NHKアナウンサー

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