試恋(しれん)の道
5月5日
子どもの日。
ことしは、わたしの小さい友だちも、娘たちも家にいない。だけど、ここにはいない愛しい子どもたち、いいや世界じゅうの子どもを思って……、菖蒲湯を立てたいと思った。
昨日、暮れなずむなか歩いて行ったスーパーマーケットで葉菖蒲を買ったときの、これが、壮大な思い。
世界じゅうの子ども、つまるところ世界の未来を思いながら、菖蒲湯に浸かる。皮膚の表面がぴりぴりするのは、壮大過ぎる思いの「おつり」みたいな現象かもしれないな。
5月7日
稲作の第1歩、種籾蒔きのために萌がやってくる。
仕事上がりに東京から来てくれたから、家への到着は午後8時。
そこから庭で火を起こす。
肉やら、庭のアスパラガス、「ふれあい」(主として地元の農作物、特産物を販売するセンター)で買ってきたかぼちゃや長芋、ピーマンやらを焼いて食べようという計画だ。
明日は朝から種籾蒔きだから、午後10時までにはみんな寝よう!なんて云っておきながら、ついこういうことをしたくなる種族である。その上、ちっとも炭に火がつかない。
萌には先に風呂に入ってもらい、夫とふたりで火を起こすこと、さらに30分。妨げになっているのは、着火剤ではないかと、わたしは睨んでいる。縄文人と渡来系弥生人の血が濃く残っている夫と、現代の着火剤は相性がよくない(ような気がする)。
前にも二度ほど、こんな場面があった。
大きな声では云えないが、着火剤に火がつかないのだ。
「木の枝で、火をつけたらどうかな」
夫が薪小屋持ってきた枝は、半世紀前の桑の枝である。
薪で風呂を焚いていたときの名残り。
たちまち火がまわり、炭が赤く照っている。
5月8日
ふたりは長屋門の下で種籾蒔き。
わたしは、机仕事。そして炊事番。
庭の蕗をとってきて、昼に油揚げと炊く。
それとおむすびとおみおつけ。おみおつけの実は、大根、なめこ、豆腐。庭の三つ葉を盛大にのせる。
夕方、門前に250箱の苗箱が積み上がり、上に筵(むしろ)がかけられた。発芽を促す室(むろ)がこうしてできあがる。
萌が長いホースをひっぱってきて、水をかける。これでもか、これでもか、というくらいたくさんかけている。
5月12日
発芽を確認して、午後、夫とふたり、苗を育てるための田んぼに苗箱を運ぶ。1枚1枚軽トラに積んで運び、田んぼでにまた、1枚1枚平置きにしてゆく。この時代にこんな作業は、きっとめずらしい部類だ。
もしかしたら、もっと合理的なやり方も選べるのかもしれないけれど、原始的な手間のかけ方が、ヒトの力を湧かせる。まだまだ力は、ある。できることがある、ということをカラダが誇っているというか。
一方、このところのわたしの机仕事は試練の連続だ。
本をひとつ編もうとしている。
ずっと優秀な編集者に助けられ、チームの力に支えられて仕事をしてきたものだから、ひとりで段どりをつけようとしたり、事務作業の一切をしようとすると、すぐこんがらかる。
こんがらかりながら、これはいまの自分にとって必要なことだと、わかってくる。苗箱運びがカラダの試練であるのに対し、机まわりのこういうのはアタマと胸のあたりの試練だ。思案し、段どりに係る他者への気遣いに右往左往する。自信を失いそうになる。
ああ、「試練」なんて呼ぶからだな、もう少し甘やかにゆこう、「練」の字を「恋」に置き換えて、この事態を愛そう。
5月13日
夜鍋仕事。
天気予報では、本日から気温がぐんと上がるらしい。それで、というのもおかしな話だが、仕事部屋の灯油ストーブを焚く。
灯油が少し、残っているからだ。
そのかたわらで蚊取り線香を焚く。
「変なの、変なのーーー。すごくおかしなわたしの仕事場」
とでたらめソングを歌う。
部屋のなかに、冬と春と、初夏がぐるぐるまわっている。そうしてわたしは——。
「オモイコンダラ シレンノミチヲ ユクガ 『ワタシノ』 ドコンジョウ」と歌う。これは、アニメ「巨人の星」の主題歌。「男のど根性」というところを「わたしのど根性」に変えて、歌う。「試練の道」を「試恋の道」というつもりで、歌う。
種籾蒔き風景です。
この道具も、古い古い。
いまとなっては、とてもめずらしいのですって。
こうして田植えを待つのです。
明日、この田に水を入れます。
週刊ことば山 2025年5月13日号をアップしました。
けしのみまこと作『アイ・ハブ・ア・ドリーム』です。
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