2017年7月18日 (火)

巨大きゅうりのスープ

 いきなりの来訪だった。
 来ることだけはわかっていたが、居間に坐っているのに気がついて、あ、きょうだったのか、と思ってあわてた。
 夏のはなしである。
 ことしの夏の訪れは、わたしにしてみればとつぜんのことで、受け入れの準備も何もあったものではなかった。夏ってこんなだったか。痺れるほど暑くて、何だか痒くて、空気ちゅうの水分量の多さに苦しめられるのだったか。
 子どものころは、夏の来るのがたのしみでたまらなかったし、暑さに〈ひるむ〉なんてことはなかった。暑くたって、汗をかくだけでしょ、くらいに思っていた。それに、あのころのわたしには、麦茶があり、浴室での水遊びがあり、昼寝があり、扇風機があり、西瓜があり、花火があり……、それでじゅうぶんだった。
 いまだって、麦茶があり、ときどき昼寝があり、扇風機も西瓜もあるにはあるが、それでじゅうぶんだと胸を張るわけにはいかない。ぐったり一歩手前の状態でうろうろしている。
 家にいるときのわたしは、保冷剤をはさみこんだタオル地のバンドを頭に巻きつけて(冷やすのは後頭部)いる。冷房はつけない。どうしてつけないのかと考えてみるのだが、冷房のなかにいるとからだがだるくなるからか。それもあるが、長いこと夏には熱帯灼熱のなかで過ごしてきて、それが夏の約束になっているからでもある。
 何それ、変なの。
 年年暑さに弱くなっているとうろたえながら、熱帯灼熱の環境のなか、ぐったり一歩手前で暮らしているなんて、変だよね。でも、そんな状態で暮らすのが性に合っている。そうとしか説明できない。

 夏は何だか家のしごとがたのしい。

 台所に立っている時間、洗ったり干したりしている時間、ちくちく何か縫ったり道具を握りしめて簡単な修繕をする時間が、常よりも長くなる。乱暴な分析だが、ぐったり一歩手前は、家のしごとに向く状態なのではないだろうか。
 しごとも多いんである。
 お茶をつくって冷やす頻度も高くなるし、着るもの・寝具の洗濯も数回に及ぶし、植物も水を欲しがるし、夫の実家の畑から届く野菜との格闘もふえる。
 そうだ、あれは格闘だ。
 まず西瓜。居間の床が西瓜畑のようになる。これにぐさりと包丁を入れ、食べやすい大きさにカットして容器に入れて冷蔵庫に納める。
 つぎが茄子。とんでもない数が届いたので、おすそ分けに走ったあとも、焼き茄子、揚げ茄子、蒸し茄子をくり返している。
 いちばんの格闘はきゅうりだ。収穫が遅れて巨大になったきゅうりを3キロずつ2回キューちゃん漬け風にして漬けこんだ。巨大きゅうりのスープというのをこしらえてみたが、あれはうまくいった。きゅうりの皮をむいて斜め薄切りにし……。こしらえ方、書いておこうっと。

きゅうりのスープ(分量は適当に)

きゅうり(皮をむいて、厚さ5mmのななめ切り)
にんにく(みじん切り)
玉ねぎ(薄切り)
オリーブオイル
昆布をつけた水
固形スープの素
ベイリーフ
牛乳
カレー粉(入れ過ぎないこと。ニュアンス)
塩こしょう

鍋にオリーブオイルを熱し、にんにくを炒める。くれぐれも焦がさぬように。
にんにくの香りが立ってきたら玉ねぎを加えて炒める。きゅうりを投入。
③ きゅうりがしんなりしたら昆布をつけた水を注ぎ(牛乳分よりも、こちらが主なる水分なり)、ベイリーフと固形スープの素を加える。
くたくたになるまで煮る。
カレー粉少少でを入れ、牛乳を注ぎ、塩こしょうで味をととのえる。
冷やしてもおいしい。

 考えてみたら、こうした働きの根っこには、子どものころ経験した夏休みの「自由研究」がある。その結果をこうして書いたりしているところを見ても、そんな気がしてくる。この夏、まだまだ「自由研究」はつづく。

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「自由研究」のはじまりは、これでした。
熊谷の畑から抜いてきた

さいごの大根たちを薄切りにして干しました。
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古新聞全紙3枚にひろげて干しはじめた
大根が、干し上がりにはこんなに縮まりました。

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2017年7月11日 (火)

天の川・二題

 花屋の店先で、幾度か「笹、あります」の札を見たし、道の上では笹の枝を肩にかついだ小学生にも行き逢った。
 七夕が近づいていた。
 年中行事のなかでも、節分と七夕は、何だか見過しにできない。七夕が近づくと、「ひとり3枚ね」と家人のみならず、誰彼となく色紙を手渡して、願いごとを書いてもらうのが習いだ。近年は、願いごとがあらわに揺れているのはどうもなあと思って、笹には折り鶴を下げるようにしている。
 折り鶴がそれぞれの願いごとを、体内に育んでいるというのはわるくない。 が、ことしはそれをしなかった。
 ちょっと考えたんである。
 あれがこうなりますように。このことはああなりますように。
 そんな願いなど思わずに、まずは〈いま〉を感謝して、〈先〉については、「ふさわしいようになってゆくと信じています」という思い方をしたい、と。で、七夕を受け流してみた。
 当日の夜空には、まんまるに近い月が輝いていた。
 こちらが願いごとを手放したら、晴れたなあ。天の川では、牽牛と織女がひそひそと1年分のおしゃべりをし、お土産を見せ合っている。……ような気がした。

                *


 朝、決まってするしごとはいろいろあるが、なかでも嵩張るのが、あれだ。トイレ掃除。朝、トイレ掃除を終えると、安心する。その日の計画のうちの重要項目がひとつ片づいたような気がする。

 トイレトイレと書いているけれど、わたしはうちのなかのその場所のことを密かに「アマノガワ」と呼んでいる。
 その場所の呼び名には、トイレのほかにもお手洗い、便所などがある。「洗面所をお借りしたいのですけれど」というときの洗面所もトイレのことだし、その昔、ご不浄、はばかり、なんていう云い方をするひともあった。これはもう悪所扱い。
 そこまでの呼び方はなくなったにしても、その場所を口にするときにはいまも遠巻きにし、遠慮がちな感じが漂っている。その場所にお世話にならぬひとなどないというのにね。
 いろいろな意味で〈流れ〉に関連する場所との発想から、思いきり飛躍して〈アマノガワ〉と呼ぶようになったのは、その場所の掃除に励むようになったころのことだ。
 掃除するとなると、えいやっとばかりに、歌をうたって自らを励ます。

 天の川天の川。

 どこもかしこもぴっかぴか。
 ぴっかぴかの、つっるつる。
 アタシのこころもぴっかぴか。
 アナタのこころもつっるつる。


 天の川天の川。
 こうして磨けば、オシアワセ。
 ぴっかぴかの、つっるつる。
 アタシのきょうはオシアワセ。
 アナタのきょうはオシアワセ。

 こんなおかしな歌を、家人たちは毎朝聞かされている。どう思っているのか、聞いたことはないけれど、さぞ阿呆らしく聞いていることと思う。黙って掃除すればいいものを……とね。

 あんまり大きな声なので、道行くひとの耳にも届いているかもしれぬ。
 ところで、ごくたまにアマノガワ掃除を怠けたくなる。ほんとうは、自分のためにも、「ぴっかぴかの、つっるつる」とやったほうがいいのはわかっているのだけれど、ほら、飲み過ぎた翌日とか、気の張る用事で出かける朝とか、怠けたくなる。
 そういうときには、あの手この手で家人たちに掃除権を譲るのだ。
「きょうは、アマノガワ掃除をさせてあげます」
 それが聞き届けられないときには、奥の手だ。
「シャツにアイロンをあてておきましたよ」
「今晩、茶碗蒸しをつくろうかなあ」

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〈アマノガワ〉の隅っこには、
木っ端を組み合わせてつくった棚を置いています。
その上に籠をネジ止めしてあります。
掃除が終わると、小さな紙片(用意してあります)に、
日にちと、掃除人の印を書くんです。
大事なお守り。

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2017年7月 4日 (火)

新〈きょうの、たのしい〉

 どんどん日が過ぎてゆき、2017年の半分が済んでしまった。
 驚愕の速さ、と思ったものの、そんなことはなかったことにして、あら、なんて云ってみている。
「あら」

 わたしは1年の半分に何をしたろう。

 ふり返れば、いくつもの出来事が思いだせそうだったし、佳き思い出も湧いてきそうだったのに、そうゆかない。かつては、その日いちにち分に限ってだっていくつも〈たのしい〉を挙げられたのに。
 ふと何年か前の〈きょうの、たのしい〉を思いだした。
 たしか、当時書いた本のなかにそれがならんでいたはず。
 その本『おいしい くふう たのしい くふう』(オレンジページ/2009年)はなかなか探し出せなかったが、やっと探しあてたら、それはわたしの〈きょうの、たのしい〉ではなく、末っ子のものであった。
 学校の「ふりかえきゅうじつ」を迎えた子に、そんな日にふさわしいイイコトをしてやれそうになかったわたしは云う。

「きょういちにちを過ごしながら、たのしかったことを
10個書いて」

10個も?」
 と、末っ子は云う。
「そう、夜、寝るときまでに、きっちり10個。10個書けなかったらね、それは、自分のせいだよ。1日あって、10個みつけられないはず、ないんだから」
 驚くべき乱暴な母である。9年前(本の刊行は8年前だが、書いたのは9年前)のわたしは、いまのわたしとはちがう。

 だが、末っ子は、そんな母には慣れっこだったのだ。

 それが証拠に、その日の夜、つぎのような紙切れをわたしの前に置いたのである。

1アイスを食べた。

2ポテトチップスを買いに行った。
3『チャーリー・ボーン』、読み終わった。
4スーツすがたのアケチャンに会った。
5運動会のビデオ見た。
6ゲームした。
7休けいをした。
8長崎ちゃんぽんを食べた!
9「嵐」のCDを聞きながら、うたった。
10すずめを、じっと見た。

 当時の末っ子は、
10歳。
 小学生だ。
 こうしてふり返っているうち、過去の幼い子に、わたしは勇気をもらった。いくつになろうと、わたしにだって〈きょうの、たのしい〉はみつけられるはずだという気がする。

〈きょうの、たのしい〉

1庭にきゅうりがなる。
2同い年の友人の再婚を知る(オメデトウ!)。
3市役所の食堂の窓から、オナガを見る。
4ざっと20年も着つづけているワンピースを褒められる。
5夫がわたしの役割分の支払をしてくれる。
6『私の部屋のポプリ』(熊井明子/河出書房新社)が届く(38年ぶりの再会!)。
7課外のような仕事が無事終わる(じつにおもしろい経験)。
8アイス珈琲を淹れて冷やすシステムをつくる(いまも、傍らにアイス珈琲)。
9二女と雑談(天花粉で化粧の仕上げをする方法について)。
10三女と雑談(選挙の投票権について)。

 書き出してみて、あまりのことにじーんとする。

 ひと日がありがたみと奇跡でできており、それが連なって人生ができていることに気づかされて。

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1庭にきゅうりがなる。
の、きゅうりの花。
なんてうつくしい……。
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なんてうれしい!
ぬか漬け用にと思って植えたきゅうりです。

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2017年6月27日 (火)

ぱんのみみ

 子どものころ、大人になればこころがつよくなって傷つきにくくなり、悲しみにとらわれることもなくなると思っていた。子どものわたしは泣き虫だったが、大人になれば涙からは遠くなるにちがいないと、考えたのである。

 ところが。

 大人になっても、知らぬ間に傷つき、知らぬ間に悲しんでおり、知らぬ間に……。
 ひとというのはいくつになっても傷つきやすく、ふと悲しんだり悩んだりする存在だということを思い知った。傷つき過ぎ、悲しみ過ぎ、悩み過ぎには用心しているつもりだが、だからこそ、知らぬ間に薄灰色の感情がたまりがちでもある。
 そうして、思いがけない場面で、ふわーっと泣いたりする。
 もちろんうれし涙、感動の涙もある。うれしく流しはじめ、感動して流しはじめた涙に、こころのなかにたまった悲しみが混ざったりする。
 この際だから、まとめて泣いてしまおうという、泣き方だ。
 家でひとり、ウィスキーを飲みながら、なんだか知らないが泣いているようなこともあって、これなんかは「まあともかく、泣きたかったんだね、アナタは」といったような状態。かつて、大人になればこころがつよくなって……と予想していた状態とはあまりにちがうが、仕方がない。

 ある日、そんなわたしのもとに絵本が届いた。

 イラストレーターのごとうみづきさんの、初の絵本だ。拙著『家のしごと』(ミシマ社)に絵を描いてくださった縁で、この絵本が届いたのだった。
 直接お目にかかったことはないが、この数か月、てがみのやりとりをしているものだから、お互いに、何となく相手を感じられるまでになっている。てがみを書ける相手がいて、その相手からてがみをもらえる、というのは、もしかしたら、この世のもっとも大きなよろこびであるかもしれない。
 そのことを噛みしめられるわたしは、知らぬ間に傷ついたり、知らぬ間に悲しみをためこんだりする情けない大人ではあるけれど、しあわせな大人である。
 ことしの5月、ごとうみづきさんから「初めての絵本が、大好きなミシマ社から出ます」とてがみで知らせていただいてからというもの、たのしみでならなかった。どんな絵本だろうか。想像するだけで胸のあたりがぽっと温かくなる。とうとう、大判の封筒が届いた日、わたしはすこうし緊張し、絵本をひっぱり出したのだ。
『おなみだぽいぽい』(ミシマ社)
 そうか、と思って絵本を開いた。
 そうか、という気持ちがどういうものだったか、いまとなってはおぼえてもいないのだが、そうか、は見事に裏切られ、本を閉じたとき、わたしは泣いていた。泣きながら、仰天していた。
 救われた、と思った。
 おはなしの主人公は〈わたし〉。
 ねずみの女の子だ。紺色のスカート(スカートの下の水色の格子柄のアンダーパンツがかっこいい)の似合う、女の子。
 〈わたし〉は教室のなかで、泣きそうになっている。
 どうしたの? ね、どうして?
 絵本には、わたしの好きなものが登場する。はんかち。ぱんのみみ。トリ。あ、なみだも。これだって、わたしの気に入りだ。
 わたしを仰天させたことばも登場。書いちゃおうかな、書いちゃいますね。
「なげました!」
 これを(!マークもいっしょに)わたしの大事なまじないのことばとして、胸にしまった。これからは、情けないこころになったとき、これをとり出す。
「なげました!」
 大人になっても、絵本に救われることがあるなんて、子どものわたしは想像していなかったなあ。

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『おなみだぽいぽい』(ミシマ社)
不思議な絵本なんです。
声に出して読みましたら、
さらに慰められました。
絵も、素敵。
W

裏表紙。
ぱんのみみです。
塩気のあるぱんのみみを、
とりは大好き。

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