2018年6月19日 (火)

見直し、見守る

 どうして覚えがわるいのか。
 我がことながら、思わず同情。

 昔からそうだった。

 どうでもいいことはやけに鮮明に記憶している一方、大事な場面で核となることばをど忘れしたり、たとえば……電球の捨て方、のようなことだが、使用済みのを捨てようというたび「不燃ゴミだったか、有害ゴミだったか」とわからなくなったり。モノをとりに行って、何をとりにきたのだか忘れる!というのも、日常茶飯事だ。
 脳を調べられたりしたら、どこかに欠陥がみつかるかもしれない。欠陥があるとして、わたしにはなぜだか、自分が日日何とかやっているのは、この欠陥のおかげでもあるように思える。覚えがわるく忘れっぽい一面に、わたしは救われている。
 記憶が執念となる前に身からはがし、身軽になってつぎへとすすむ。わたしはずっとそうやってきたような気がする。

 しかし。

 このごろ覚えがわるいこと忘れっぽいことに甘え過ぎているように思うことがある。

 約束を果たす。

 自分の役割の作業をこなす。
 仕事を仕上げる。

 と、いったことは、わたしだってまあするわけだ。

 ひとつに手をつけそれに何とか片がつくと、すっかり終わったような気になって、その後どうなっているか追うことをしない。見直さない。見守らない。
 ひとからたまに「○○で(あなたの書いたものを)読みましたよ」と云ってもらうようなときにも、こちらは思いだせず「ああ、あれですか。ありがとうございます」と頼りなく返すことになる。こんなのは自分の仕事のはなしだからいいとしても。

 先ごろ「武蔵野市の緑の保全・活用を考えるシンポジウム」に参加したときのことだ。

 テーマは「玉川上水の自然を守り育てる」。
 武蔵野の森を育てる会、玉川上水を守り育てる武蔵野市民の会の活動に注目して、できるかぎりシンポジウムや講演会に参加して勉強している。
 そして先ごろのシンポジウム。
 このとき、ある発表を聞いてはっと(もっと云えばぎょっと)した。
「ある日玉川上水の美化運動に取り組んで、ひとまずきれいになった。きょうもこのような会を持てて有意義だった。だけどそこで終わらせてはいけないんです。長く見直し、見守りつづけないと、分水網と周辺のみどりの保全・活用は実現しません」
 まずは、とり組んだ事ごとをやりっぱなしにせず、自分のなかにとどめる努力が必要だとわからせてもらった。

 帰宅したわたしが、何をしたか。

 週末貼り替えをした2階の障子の様子を見に行った。見直しである。するとどうだろう。一箇所小さな破れをみつけてしまった。貼り替えを終えた障子をはめ込むとき、下手をしたのだ。やれやれ。そう思いながらも、障子紙の残りをハート形に切り(この和室は三女の部屋)、ぺたんと破れの上に貼りつけた。
 きょうのところはこれでよし。

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田植えが無事に終わったと、
熊谷の夫から連絡。
この写真は、ちちが田植えの「植え直し」を
している様子です。
田植え機で苗を植えたあと、ちちはこうやって
植え損ないがないか、見まわります。
田植え機の仕事のあと、やりっぱなしにせず、
見直し、見守る。
この姿にもおしえられる思いがします。

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2018年6月12日 (火)

あかさたな……ふふん

 仕事の相棒たるパソコンがおかしくなった。
 本格的におかしくなったは1週間前だが、なんだかうまくないなあと気がついたのは半月前だ。
 パソコンから「サファリ君」がいなくなったのがはじまり。
 サファリ君はわたしが使用しているMac(アップル)が開発したウェブブラウザで、わたしがインターネットで調べものをしようと考えたり、週一度アップしているブログの広場へというとき、導いてくれる。イヤな顔ひとつせずに、だ。
 しかし、こうしてちょっとパソコンのはなしをしようとすると、かつてつきあいのなかったコトバがどしどし登場して、不思議な気分にさせられる。
 サファリ君もそうだし、Mac、アップル、ウェブブラウザも。世話になっているのにはちがいないが、それについて説明せよ、と云われると……突如として口笛を吹きたくなる。ぴゅーっとやってごまかそうという下心である。

 口笛には、亡き父が厳しかった。

 学校の友だちにおそわって口笛を吹けるようになって、弟とふたり家でぴゅーぴゅーやっていると、ぎろりと睨まれた。
「家のなかで、吹いてはだめだ」
 と云うのである。
 こういうとき「はーい」と応じるのは弟で、「どうしてだめなの?」と問うのがわたしだった。そうして、このような問い方を嫌ってその場では説明せず、「だめと云ったらだめなのだ」とますます険しい顔つきになるのが父だった。
 しかしその後、ほろ酔いの父の昔語りで、少年時代、父自身が夜家のなかで口笛を吹いて、ひどい目に遭ったことを知る。「夜、家のなかで口笛を吹くやつがあるかー!」と云って父は自分の父親に投げ飛ばされ、窓と雨戸ごと夜の庭にころがされた。
 あはは。このとき父は「(口笛を吹くのが)どうしてだめなの?」と問うたのだろうな。それで投げ飛ばされたのだ。
 以来、父の前で口笛を吹いてはいけない、家のなかで吹いたら庭に投げ飛ばされるからね、と、わたしはどのくらいひとに注意したか知れない。娘たちにも、夫にも、元夫にも、友だちにも、くどくどと云ったのだ。
 父の死後、ときどきぴゅーっと口笛を吹こうとするが、やっぱり、気が引けてくる。それで、パソコンの説明なんかしようとしてわからなくなると、口笛代わりにわたしは「あかさたな……ふふん」と云ってごまかす。
 どこまで書いたのだったか。そうそう、サファリ君がいなくなったはなし。
 これまでもごくたまに、いなくなりかかったことはあって、それはいずれもわたしの誤操作によるもので、ハードディスクのなかのアプリケーションホルダーを探るとそこにちん、と坐っているサファリ君をみつける結果となる。
 こういうとき「かくれんぼしている暇はないのよ」なんて悪言を吐いてはならない。自分の手に負えない精密機械類、コンピュータたちは、これをしっかり受けとめて仕返しをするからだ。仕返しというか、機嫌を損ねて動きが鈍くなる。
 というわけでサファリ君がどこを探してもいなくなってしまったときにも、わたしは苛(いら)ついたりせず、「どこへ行っちゃったのだろう。サファリ君、キミがいないと、わたしはお手上げなのよ」としょんぼりして見せたりした。
 家出としか思えなかった。
 仕方がないので二女のパソコンから、サファリ君をインストールした。
(このサファリ君は、これまでわたしのパソコンのだかで働いてくれていたのと同じサファリ君ではないよね……)
 と思いながらも半月たつと、そんな思いも消えていた。

 その日。

 まずサファリ君が「サーバがみつかりません」と云ってストライキを起こし、その後、メールの送信ができなくなった。受信は何とかするのだが、まとめてどっと送られてきたりするところをみると、いくつかはどこかに落ちているかもしれない。夫が不在だったので、診てもらうこともできず、わたしは通信手段としてのパソコンなしで1週間を過ごした。
 不具合は周囲に心配をかけ、迷惑もかけたが、電話やファクスを使って説明して凌(しの)いだ。メールとインターネットなしで暮らしてみると、それは不便ではあるのだが、旅の仕方が変わっただけのようにも思えてくる。交通手段として「徒(かち)」を選びます、というような意味で。
 出版社に勤めていた当時していたように、受けとりの連絡、さまざまな報告、お礼、お詫びをはがきに書いて投函した。手間がかかってもなつかしくもあり、こんなはがきのやりとりのなかで、わたしは育ってきたのだなと思わされた。
 あかさたな……ふふん。

 さて、結局
10年使ったわたしのパソコンでは、現在(いま)のセキュリテーシステムに追いつけず不具合が生じていることがわかった。明日にもあたらしいパソコンが届く手筈(てはず)だ。
 このブログを書くのがおそらく、このパソコンのさいごの仕事になるだろう。10年相棒だった相手である。これが別れか、と思ったりする。
 しかしこういうのも、あれだ。
 ありがとうありがとう。
 あかさたな……ふふん。

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「我田引水的風景」と、
先週のはじめ、
熊谷にいる夫から写真が送られてきました。
田んぼに水を引き、
半日かけてこうなった、と。
翌日代かきをして、そのあと3日かけて
田植えは無事終わりました。 

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2018年6月 5日 (火)

ぽんずにんにくごまらーゆ

 机の上に、ひらりと置いてある紙片。
「ポン酢ニンニクごまラー油」と書いてある。
 急いで書いたものらしく、子どものような字で、ニンニクなどはニンチクと読めるような有り様だ。急いで書いたものらしく……とつい記してしまったが、書いたのはわたし自身で、思いつきを紙の上に置いた。
 何かのタレだと思う。
 一度つくったこれがタレとしておいしかったし、「これ、いい!」と食卓で声も上がったものだから、書いておいたのだ。忘れっぽいから書いておいたのはいいけれど、何のタレであるかを書き忘れた。

 何だったっけ。

 と思いながらもう2週間ほども過ぎている。
 子どものような字の紙片はいまも机の上に置かれ、日がたつうち、文字から不敵な笑みを投げかけられているような気さえする。
「マダ オモイダサナイ ノカ」
 週末帰ってきた夫に、
「これ、前に食べた何かのタレなの。たしかにあなたもおいしいと云ってたんだけどさ、何のタレだったっけね」
 と紙片を見せて訊くが、さっぱりわからない。
 まあ、わかるはずないのだが、「おいしいものつくったって、すぐ忘れるんだから甲斐もないや」などと捨て台詞。不敵だったり不穏だったり、タレの材料に心かきまわされている。

 これはまた別の日のはなし。

 久しぶりににぎやかな食卓になり、なかに若者も含まれていたから、大鍋にご飯を炊く。若い男子には白米を食べさせておけば何とかなる、とわたしは思いこんでいる。あとはどうとでもなる、という意味でもある。

 ご飯

 じゃがいも、にんじん、玉ねぎ、ベーコン、ブロッコリのミルクシチュウ
 鶏のガーリックソテー
 アスパラのソテー
 トマトのサラダ焼きさつまいも(ほんとはお菓子。これをつけ合わせに!)
 ニラ入り卵焼き
 さつま揚げ

 ところが。

 あろうことか、ご飯炊きに失敗したのである。見事な芯ご飯になった。いつもはご飯を焚かない鍋で焚いたこと、神経をつかわなかったのがいけなかった。火にかけている時間が短かったのだと思う。
 が、これさえあれば……の白米がこんなことでは困るのだ。
 芯ご飯をなおす方法(浅い鍋にご飯をうつし、ひたひたの水を入れ、蒸らすように焚き足す)も知っているのだが、昨日は思いきって焚き直した。

 そうして一夜明けた朝。日曜日だ。

 眠い目をこすって鍋のふたをとると、そこに芯ご飯はあったのだ。
 ……夢じゃなかった。
 こんなとき反省し過ぎることを自らに禁じているため——こんなことくらいで反省色を醸していると、わたしのまわりは常に暗黒だ——何食わぬ顔でつぎの手を打つ。
 野菜を刻み、それを炒めたところへ芯ご飯を投入。そんなこんなのあいだに「芯」はなくなってゆくはず。
 炒めたご飯を釜飯の釜によそい、昨日のミルクシチュウ(少少牛乳でゆるめる。ライスグラタンは、ご飯粒とご飯粒のあいだにルウの汁気が浸透してゆくのがおいしい)をとろりとかける。ピザチーズをぱらりとのせる。
 これを焦げ目がつくまで焼いて、「どうぞ召上がれ」である。

 廚(くりや)しごとに綻(ほころ)びが生じるときは、決まってわたしの神経が強張(こわば)っているときだ。縮こまっていると云っていい。縮こまっている日にも、廚しごとには救われるのだが。

 いつもはしないしくじりや、もの忘れや、切り傷やけどが、わたしに向かって警告を発するというわけだ。
 ところで、あれは何であったか。
「ポン酢ニンニクごまラー油」はまだ、わからない。
 いったい、これは何のタレだ?
 どんなに神経が縮こまっていたとしても、それを思いだしたなら、一気にわたしはのびのびとして台所にも歓喜が訪れることだろう。

2018w_2  

これが芯ご飯グラタンです。
けっこういけました。
ほっ。

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2018年5月29日 (火)

愛のあるところには……其の2

 新宿駅から湘南新宿ラインのグリーン車に乗りこみ、わたしは熊谷駅に向かっている。
 グリーン車と云っても、780円を奮発するというわたしの贅沢の許容範囲であったし、2階建ての下の車内においてもマルティン・アヴデーイチの助けを借りてこれから自分が向かう世界を思うことができた。
 マルティン・アヴデーイチとは如何なる人物であるか。
 レフ・ニコラーエヴィッチ・トルストイ(18281910)の「愛のあるところには神もいる」の物語の主人公である(岩波少年文庫『イワンのばか』収録/金子幸彦訳)。靴屋のマルティンは地下室の、窓のひとつしかない小さな部屋に住んでいる。窓からは往来を行き来する人びとの足が見える。
 マルティンには靴を見るだけでわかるのだ。靴の底を取りかえたもの、つぎをあてたもの、縁(へり)を縫いなおしたものもあれば、つま先を付け替えたのもある。
 ホームではひとの足が見える階下の車内では、自分がマルティンになったようで、1時間9分の旅はあっという間に終わった。
 熊谷駅に到着し、くるまで迎えにきてくれていた夫運転のくるまに乗りこむ。

「来たよ」

 と云う。
「来たね」
 と返される。

 熊谷で母の入院を見守り、ちちの日常に寄り添い、農業を援(たす)ける暮らしをしながら映画の仕事をしている夫は、いま、ちょっとわたしにはまぶしい存在だ。この生活がはじまったのは
1年前だが、当時はまだ、こちらの生活が主体であり、夫には、わたしの協力をこそっとその肩にのせて熊谷へ送りだしているつもりであった。
 だが、ははが二度目の入院をしたいまとなっては、夫の熊谷滞在が主体となり、わたしの協力は肩先にのせるくらいでは足りない状況となっている。
 そうは云っても、東京にいなければ果たせない度合いの増しているわたしの仕事と役割は、夫を助けようにもそれを許さない。
 
 その日見舞うと、はははちょうど夕食を摂ろうとしているところだった。

 手を出そうとするわたしを制するように、右手に握った匙をそっと振って見せた。
「ダイジョウブ。器にも工夫があるから、自分で食べられる」
 そう云って、ははは五分粥、鶏ひき肉のそぼろ煮、ほうれんそうのおひたし、かぼちゃの甘煮を残さず食した。海苔のつくだ煮の入った小袋を手で切って、なかみを五分粥の上に絞りだすということだけは、手伝わせてもらった。
 ひとという存在に許されていることの意味をおそわったような気がして、泣きそうになった。時間をかけてははの足をマッサージし、またこれをしに来ようと誓う。
 家では夫とちちのためにおかずのつくり置きをしようと考えていたのだが、これまた夫に「ダイジョウブ。それはぼくがする」と云われてしまった。
「それはぼくがするから、アナタは親父の話し相手をして」
 ちちは、夫からストップがかかるまで2時間わたし相手にはなしをしてくれた。これまで聞いたことのない昔のはなしはおもしろく、夫に止められなかったら、朝まではなしをしていたかもしれない。

 弱くなった父母、ちちははを見たくないという稚拙な思いを抱くなか、ちちもははも、その存在を賭けて大切なことを示してみせてくれた。

 たしかに肉体は細り、体力は弱まり、記憶もところどころ薄れているのだが、魂はかがやきを増している。そうしてそのかがやきはわたしに向かって、「よく見ておきなさい」と告げている。
 わたしはまたしてもトルストイの物語を思いだす。
 マルティン・アヴデーイチが活躍するものがたり「愛のあるところには神もいる」とともに収録されている「人は何でいきるか」の一節が熊谷の寝台に横になったわたしのもとに、静かに降りてきたのだった。

 人は自分で自分のことを心配しているから、それでみんな生きてゆけるのだと思っているけれど、(中略)ほんとうは愛によって生きているのだ。愛のなかに生きる者は神のなかに生きている。


 何か助けになることをしたいと思って熊谷を訪れたわたしに、ちち、はは、夫は、身を以て伝えてくれた。

 愛があれば……と。
 こうしてわたしが助けられたのであった。

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夫が送ってくれた田植えの準備の写真です。
田植え機用の苗箱に種まきをしたあと、
発芽を促進する室(むろ)を作って、
籾種が芽を出すのを待ちます。
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出ました出ました。
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苗代に出してお陽さまにあてると、
たちまち青青としてきます。
熊谷の田植えは6月のはじめです。

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