2018年9月18日 (火)

不要不急

 ことし、どのくらい「不要不急」ということばを聞いただろう。
 はじめは少しも耳に留まらず、「ふろうふきゅう(不労不休?)」とか、「ふようふきゅう(不用ふ休?)」とか、出鱈目なことばをつくって、それを口のなかでつぶやいていたりした。
「不労不休」は、働きもせず休みもせずという意味で、ちょっとわたし的だ。
「不用ふ休」のほうは、なまけているふみこはいらないよ、という意味でもあるだろうか、いっそ相当わたし的である。

 関西での地震。山陰山陽での豪雨。台風に次ぐ台風。北海道胆振での地震。

 途切れなく襲ってきた天災の報道で、たびたび使われたのが「不要不急」なることばだった。
「不要不急の外出は避けてください」
 これをテレビ越し、ラジオ越しにくり返し告げられ、やっとわたしは「不要不急」が「重要でなく急ぎでもない」という意味であり、「できれば家にいて外出しないこと」の推(すす)めであることを認識した。
 自分のしていること、ことに外出の不要なるかならぬかを調べ、いますぐしなければならぬかどうかも調べ、わたしは混乱した。混乱しながら、みずからのなかで組み立てていた事ごとの優先順位を考えるようになっていった。

 自分で決定した優先順位。

 他者が請う優先順位。
 天が命ずる優先順位。

 この3つは、少しずつずれている。

 わたしの受けとめ方がまず、異なる。
 そうして。
 いまのいま、「天が命じる優先順位」に従いたい自分を感じている。命じる、というより、「天に許され、よろこばれる優先順位」というのが、気持ちとしては近いかも知れぬ。
 そこに照準を当てると、不思議なことに、自分がこだわってきたあれやこれやが、端からもろもろっと崩れるように欠けてゆくのだった。

 朝いちばんにすること。

 仕事(あるいは家のしごと)の手順。
 つねに玄関に生けている白百合。
 いつも使っている調味料や基礎化粧品。
 新聞や雑誌の読み方。
 買いものの頻度。
 ひととのつきあい方。

 つまり。

 こうでなければいけない。あれがなければこれができない。わたしはこうです。自らつくったルール。自らの、自らに対する見方。これまで大事にしてきたこれらのこと。大事にしてきたものたち。
 こうしたすべてが大事でなくなったわけではないけれど……、それよりいま、生きていることこそがこだわるべきたったひとつのことなのだと、思うようになっている。

 地上での生が消える日までは、少しゆるめに暮らそう。

 変化を受け容れ、味わい、こころをこだわりから解き放ち、生きている自分を愛そう。生きている自分の〈さだめ〉ごと愛そう。
 ことしつぎからつぎへと、被さってきた天災のもと、わからせてもらった、それがたったひとつのことだった。

2018w

ある日、テーブルの上にちっちゃな猫がいて、
こちらをじっと見ていました。
裏返してみると、留め金があり、
ブローチであることがわかりました。
「このブローチをみつけたとき、おかあぴーに
あげようと思ったんだけど、買ったら、自分のにしたくなった」
(長女の声)

……そういうの、たいそうよろし。
と、わたしは思ったのでした。

 

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2018年9月11日 (火)

S氏略歴

 ソファというものを持たないで暮らしてきた。
 ときどき熱に浮かされて「やっぱり欲しいかもしれない……」と思うのだけれども、そのたび、もの置きの場になりそうなこと、一度坐ったら最後立ち上がれなくなりそうなこと、を想像して持たなかった。
 ことしのはじめ、またソファ熱がくっと上がった。
 家具のカタログをぱらぱらとめくっていた(床の上にあぐらをかいて)わたしの目に、ソファベッドなるものが飛びこんできたのだ。ふだんはオーソドックスなソファなのだが、座面のばすとベッドになる。これまでだって、この手のものは見てきたのだが、木製の枠組みといい、クッションの厚み色合いといい、よい! 思わず、あぐらをほどいて正座する。

 ここに寝ころび、居間のテレビで映画を観るというのはよさそうだなあ。

 泊まり客用にいいかもしれないなあ(泊まり客にベッドを譲って、自分がこれに寝る!)。

 結局、即決は思いとどまり、そのうちソファ熱は下がっていった。

 熱は下がりはしたけれども、頭の隅にソファへのあこがれのカケラが残っていたのだろうか、ある日、気がつくとわたしは家じゅうの椅子の配置を見直しいた。そうしてふたつの椅子を居間にならべて置いたのだ。椅子をふたつならべて置くと、ソファみたいだ。
「ここに薄手のクッションか何か……、あるといいかな」
 そんなことを思いめぐらしながら、机まわりを覗いていたとき、みつけた。

 横縞模様の麻のショルダーバッグだ。
30年くらい前、ギリシャの雑貨店でもとめたものだ。1800円だった。
 ショルダーバッグとしては使わず、乾物入れとした。これに入りきらないほど乾物を持てば持ち過ぎだし、入(い)りが足りなければ不足だという、ほどよい大きさであった。そんなふうにして干し椎茸、ひじき、切り干し大根、麩、かんぴょうとともに過ごしていたが、10数年後、ショルダーバッグ(以下S氏)は台所から異動となる。
 異動先は居間で、「本日の新聞」入れがその仕事だ。これ10年つづいた。あたらしい仕事をおぼえて役割を認知する能力が高く、たちまちその場に溶けこむS氏。
 いっとき袋部分にヌードクッション(クッションの中材)を入れて、わたしのお尻の下で働いてもらったこともある。なんだかあんまりな気がして、それは半年くらいでよし、その後、大事な仕事の資料を預かってもらうことにした。
 S氏はここでも実力を発揮し、数年ののち……、そうだ、このたびのことになるが、ひょいと机まわりを覗いたわたしにみつかってしまった。

 握り鋏をつかんだわたしは、
S氏を膝の上に乗せ、縫い目をほどきはじめる。
「ぎゃっ」
 という小さな叫びを聞いたような聞かなかったような気がするけれど、こういうときのわたしは、何がどうあっても動きを止められない。
 S氏はとうとう1枚の布になった。

 云うたらなんやけど(田辺聖子風)、見習うべきは
S氏の変わり身ではないだろうか。
 ワタクシはこうです、などとは主張せず(考えてみれば、本来の役割であるところのショルダーバッグとしては一度も使わなかった。これに対しては「ごめんなさい」である)、あらゆる変化に対応し、とうとう1枚の布となった。時に「ぎゃっ」と叫ぶような場面もあったかもしれないのだが、いまは、ふたつならべて置いた椅子の上で、品格を保ちつつ、在る。
 それを見習おうというわたしも、これから先、変わり身を厭わず、いや、むしろ積極的に変化してゆこう……。

 ところで。

 ショルダーバッグから乾物入れ時代までS氏についていた持ち手の紐がまた、うつくしかったのだ。白とブルーの編み紐で、使わなくなってからは、友人の家で驚くべき人生を送っている。
 そのはなしは、またいつか。

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S氏。

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2018年9月 4日 (火)

背中

 初めての店だった。
 その町は新宿で、初めて訪れたわけではないけれど、昼食をとろうと決めたわたしは、ひとりで食べたり飲んだりする店を探していた。つぎの予定までの時間がかなりあったため、「よし、食べるか」という気になった。

 ひとりで店に入り、ひとりで食べたり飲んだりするようになったのは、社会人になってからだ。取材に出た先で、生まれて初めて恐る恐る入ったのは定食屋だった。まるで見当がつけられず、闇に包まれはじめた見慣れぬ土地でおろおろしていたわたしの目に黒い背中がふたつ飛びこんできたのだったなあ。疲れが滲(にじ)んではいたけれど、その背中はふたつとも安堵を重んじる背中だった。

「このふたつの背中について行こう」
 背中たちが、どこかでちょっと飲んだり食べたりするだろうというのが、わたしの目論見(もくろみ)だった。が、どこの店の客にもなろうとしないばかりか、背中を追ううち見慣れぬ土地の見慣れぬ道は、色褪せてゆく。頼りにしていた道の端の提灯やネオンが、疎(まば)らになってゆくのだ。
「このあと、5分こんな様子がつづいたら、引き返そう」
 そう決心した直後だったと思う、背中たちは一軒の、古びた小屋の前で立ち止まった。縄のれんがあったが、縄は日に焼け、ところどころ千切れている。ここは、いったい何なのか。……食事処か。
 疑心暗鬼が生じ、わたしはすぐには千切れのれんをくぐる気にならず、入口を睨みながら向かい側の電信柱に、しがみついていた。
 そのうち(そう時は経っていなかった)、店のなかから、若い女が出てくるのを見て、そのひとと入れ違うように、店内へ。
「おかえりなさいまし」
 そう云ったのは、50歳をいくらか過ぎた齢(よわい)だろうか、白髪混じりの髪を結わえて団子にした女将であった。
「……」
「おかえりなさいまし。あら、旅のお方ですやろか。さ、さ、お好きなところへ腰をおろしてくださいましな」
 千切れのれんのなかは、南北に長細く、というわけでどの席も壁際である。そんななかに突き当たりのふたり席をみつけて、坐る。卓の上に赤唐辛子が広がるざるが置かれていた。唐辛子の赤が、初めての旅仕事を、ちょっともの云いた気にぴりりとわたしを見た気がした。
 坐って、ひと息ついてあたりを見渡すと、ああ、あそこだ。カウンター席の隅っこに、黒い背中がふたつならんでいる。
「よくいらしてくださいました」
 そう云って、熱いおしぼりを渡された。
 女将だろうか、白髪の女(ひと)。赤唐辛子ののったざるを宅から持ち上げながら、微笑んでいる。
「旅のお方が、この店をみつけてくださって……ね」
「ああ、それなら」
 と云って、わたしはカウンター席の隅っこで笑い合っているふたつの背中を、てのひらで示す。
「それはそれは、勘のおよろしいこと。美味しいもんを召し上がっていただかなけりゃ」
 その日わたしは肴に舌鼓打ちながら、少しお酒も……。しかもその酒、やけに美味しい地酒は、わたしが追いかけた背中さんたちがそっとおごってくれたのだ。女将に促されてのことだろうが、わたしはそれをありがたく頂戴した。目で礼を交わす以上のことはなかったが、それ以来40年ものあいだ、知らない土地では、見込んだ背中のあとをつけ、店を選ぶというやり方を変えないできた。

 さて、このたびの新宿の背中は、東アジアのどこかの国の美女のものだった。8月おわりの月曜日、午前
11時である。
 美女を追うわたしは、気がつくとホテルの前に立っていた。
 
そう云えば、アジア各国の食べものをそろえたホテルのバイキングのはなしを聞いたことがある。旅人が静かにお腹を満たすことができるレストラン。
 宿泊客向けの店だったが、エレベータで上がった最上階のレストランの受付で、頼みこんで客となった。
 見ると、ここへと導いた美女は、すでに皿を持って、焼きそばのようなものを山と盛りつけている。

 いつかわたしも、見込まれるだけの背中になりたいものだなあ。
 美味しい店に導く背中、穏やかな境地に向かう背中、いつかこの世からあの世へと導く背中。
 そんなことを思いつつ、皿にレタス、ブロッコリをとり、その上にシュウマイ、上海焼きそば、塩鯖をのせる。

2018_

いま、収穫したばかりの
赤唐辛子を干しています。
なんともうつくしく、
この赤いひとたちが私は大好き!

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2018年8月28日 (火)

8月の雲〈4〉

8月※日
 熊谷市の実家で両親を支えながら暮らしている夫が、韓国へ撮影旅行に出る日。この旅の準備を、夫は密かに着着と進めていたらしい。気配でわかった。
 こういうときは口を出さないのに限る。
 これ、と云って、夫はファイルにはさんだA4サイズの用紙2枚を差し出した。
 1枚は「父・留守番予定」なるもの。
 1枚は「父宛て」「ヘルパーさん宛て」「お手伝いの皆さん宛て」「弟宛て」のメッセージが3〜5行ずつ書かれたもの。
 ははは入所施設で、ちちはヘルパーさんの助けを得ながら、かわるがわる訪れる弟一家や孫たちと、それぞれ8泊9日を過ごすことになる。わたしは緊急連絡先のひとりである。
「母屋の裏の蔵周辺で生活しているタローも支えてください」
 というくだりをみつける。タローは20歳の猫(オス)。

8月※日

「スベリヒユ、とってきたよー」
 長女がとり出して見せた草は、たくましい雑草のようだ。見たことのある、なつかしい草。ほら、畑にも庭にも、どっさり生えているのじゃなかったろうか。
「うちの庭にいっぱい生えてたの。調べてみたら、おいしいし、栄養がある草だとわかった。高血圧にも効くらしいよ」
 なるほど。数日前、久しぶりに血圧を測り、「おお、ちょっと高め」とわたしがつぶやいたのを聞いていたのだな。
 スベリヒユという草が、大変よろしい草だとわかったが、採ってきたキノコがじつは毒キノコであったとか、ニラと水仙の葉をまちがえて食べてお腹が痛くなったとか、そういうはなしもあるからね。
 ふたりしてかぼちゃとスベリヒユのおみおつけをつくったあと……。
「梓と母はスベリヒユという草を食べました。あとを頼む」
 というメモをそっと書いて、食器棚の皿の上にぺらりとのせる。

8月※日

 今朝、お腹も痛くなく、元気でいる。
 長女が持ってきたのはほんとうにスベリヒユであったのだ。ありがとうありがとう。メモは捨てました。

8月※日

 NHK杯将棋トーナメント2回戦・第4局「羽生善治×高野智史」をテレビで観る。
 日曜日の至福。
 羽生善治竜王を見られるだけでなく、解説が野月浩貴八段(B級1組)であったので、跳び上がる。野月八段はわたしを将棋の世界に導いてくれた恩人だ(数年前のNHKの将棋講座での指南——「野月浩貴のイチ押し初級アカデミー」はわかりやすく愉快、すっかりこころをつかまれた)。
 さて本日は羽生竜王と、デビューから3年の高野四段(C級2組)との対局だったが、じつに手に汗握る1時間半であった。投了後、勝った羽生竜王が苦い表情で頭を抱えたところにも、むつかしい内容が思われる。感想戦で、初手から打ってゆくときの高野四段のうれしそうな顔が印象に残った。なんという奥深い世界だろう。
 窓を開けると、雲ひとつない青空。
 駒の並ばぬ将棋盤のようで、頼りない。

2018

スベリヒユです。
味噌汁のほか、胡麻和えにもして
食べました。

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