2020年10月20日 (火)

ダイジョブ・フランソワ

 するべきことを小さな付箋に書いて、パソコンの上部に、ならべて貼りつけている。それが長長と連なって、こちらを見下ろす。

「早くおねがい」
「もうすぐ〆切」
「まだかしら」

 記憶力というのに、もともと自信がない上に、最近、2回つづけてゲラ戻し(著者校正をして版元に戻す)と、請求書の送りを忘れた。
「あのう……」
 とすまなそうな催促のメールをもらって、ギャッと叫び、あわてて約束のものを送ったのだった。
 そんなわけで、以前よりも「するべきこと」の内容が、ごく細かいこと、ルーティーンにまで及ぶようになっている。

 付箋の連なりは、きょう1日でみるなら、1枚はずして、3枚貼りつけている。つまり、昨日より2枚付箋は増えているのだ。まあ、うっかりゲラ戻しと請求書の送りを忘れるようなわたしだから、書いて貼りつけておかなければならないといえば、そういうことになる。
 けれどそれが2枚増えようと、ぞろぞろ並んでわたしを威(おど)しにかかろうと、びくびくしてはいけない。
 わたしは気をしっかりと保って、云い返す。

「早いのばかりが、いいわけじゃありませんよ」
「〆切当日に書きますよ。いつもそれで間に合っていますからね」
「はい、ただいま」

 さいごの、「まだかしら」に対する「はい、ただいま」という返しには、思い出がある。
 その昔友人と、喫茶店で紅茶を飲みながら、「もしも自分たちが喫茶店で働くようになったなら……」という空想遊びをしていたときのことだ。
「ねえ、お客さんに呼ばれたら、なんて応えるのがいいと思う?」
 そう友人が云うので、紅茶のカップを持ち上げたまま、考えこむ。
「『少少お待ちください』って、云いたくないなあ」
「でしょう? ね、『はい、ただいま』はどう?」
「いいね、それにしよう。『はい、ただいま』ね」

 さてところで。
 付箋の連なりに向かって云い返すのはいいが、あまりこころは晴れず、わたしは少し焦っている。

 焦っている。
 焦っている。

 しかしね、ここまで生きてきて、うっかりしてやり損なったこと、怠けたくなってどんよりすることくらいのことはあったけれども……、〆切を落としたこともなければ、結局やりきれなかったこともなかった(たぶん)じゃないか。
 と思いながら椅子の車輪を動かしたら、書棚のなかのフランソワと目が合った。
「ね、フランソワ。だからダイジョブだよね。」
「ダイジョブ」
「ほんとに?」
「ダイジョブ、ダイジョブ」

 あまりにすましてフランソワが請け合ってくれるものだから、わたしはうれしい。「ダイジョブ?」と不安の顔を向けたとき、間髪入れず「ダイジョブ」と応えてくれる存在というのは、得難い。
 それだけで、相当にダイジョブと思えてくるもの。

 ありがとうありがとう、ダイジョブ・フランソワ。

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これがフランソワ。
ダイジョブ・フランソワです。
二女が高校時代につくったクマなのですが、
ネズミみたいでしょう?
ガラス扉のある書棚のなかに坐って、
ときどききょろきょろっとしています。
これからは、この子に「ダイジョブ?」と聞き、
「ダイジョブ」をもらいます。

みなさまへ、
おたよりの掲載順を変えました。
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2020年10月13日 (火)

 云い聞かせる

「さすがにちょっとくたびれました」
 こんなつぶやきが、友人たちから聞かれるようになった。
 新型コロナウィルス感染症の対策のもと、常とは異なる状態がつづくなか、誰もかれもがそれぞれの「緊急事態」を受けとめてきて、とうとう張りつめたものが切れそうになったのかもしれない。

 居酒屋を経営する夫を支えるために、気を張っていつも以上に仕事に精を出すひと。
 小学校の校長職(大好きな校長せんせい!)を終えた今春、児童にも保護者地域のひとたちにも別れを告げられぬまま、つぎの役目に就いたひと。
 フランスにいる夫と離れて日本で暮らすひと。
 オンラインを使っての仕事をはじめたひと。

 ……いろんな友だちが、ここへきて「ちょっとくたびれた」と口をそろえるのである。自分の仕事、役割をぎゅっとつかみながら、ぽろっとつぶやく彼女たちは、そう打ち明けて、少しガスを抜こうとしている。……ようだ。

 パリンと割れてしまわないように。
 ポキっと折れてしまわないように。

 わたし……?
 そうね、わたしも、余計なことを考えなくて済むように、乏しい集中力をかき集めて仕事に打ちこんできました。
 しかし、ガス抜きの大事なのも知っているので、ときどき立ち上がってパンケーキを焼いたりする。
 こういうのがわたしにとってのガス抜きだからだ。
 熱したフライパンに、タネを流し、弱火で焼きはじめる。フライパンにフタをし、しばらく焼く、表面にプツプツ穴があいてきたらフライ返しでひっくり返し……。

 仕事からのパンケーキという流れをつくるのは、わるくない。
 しかし、これだけではだめなのだ。
 まず、仕事をしている自分に云い聞かせなければいけない。……こんなふうに。
「仕事をすることができてしあわせだなあ」

 ガス抜きも同じだ。
 パンケーキを焼いてバタを1片のせたら、大皿に盛りつける。メイプルシロップをとろりとかける。ナイフとフォークを使って、切り口もうつくしいサンカクをそっと口に運ぶ。紅茶カップに手を伸ばす。
 しかし、これだけではだめなのだ。
 パンケーキを焼いてティータイムを過ごす自分に云い聞かせなければならない。
 ……こんなふうに。
「ああ、パンケーキ、しあわせ」

 仕事でもたのしみでも何かするとき、いちいち、していることを自分に云い聞かせ、ついでに(というのも何だが)、よろこびと感謝の気持ちを確かめておかなくちゃいけないのよ——とは、ずいぶん前に先輩格の友人におそわったやり方だ。
 忘れていたけれど、パンケーキを頬張っているとき、ふと、ほんとうにふと、思いだした。
 友人はわたしの目をじっとみつめてこうおしえてくれた。
「ちゃあんと云い聞かせないとさ、すぐ忘れるでしょう、アナタ」
「はい、そうですね、忘れます」
「そうよ。いいことをしたときにも云い聞かせる。苦労しているときにも云い聞かせる。つらいときもどちらも感謝のことばも云っておくと、その気になれるもんなのよ。その気になるっていうのが、案外大事なんだわよ。ちょっとアナタ、聞いてはる?」
「は、はい。聞いておりますとも」
「じゃ、やってごらんなさいな」
「ええと、いま、なんやら忙しいけど、仕事ができてありがたいわあ。ああ、しあわせ」
「そう。それでよろし」

「ちょっとくたびれた」ことに気がついたみなさんに、その昔、ちょっとおっかない友人がおしえてくれたように、伝えよう。

 何かするたび、「ああ、いましあわせ」と自分に云い聞かせること。
 いいことをしているときも、苦労しているときも。たとえあんまりしあわせを感じなくてもさ、しあわせって云ってその気になっておくのが案外大事なんだわよ(棒読み)。

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夫が実家の畑(埼玉県熊谷市)で
出会ったチュウサギ(中くらいの白鷺)。
さあ、ここでも練習です。
「夫が白サギに会いました。
ありがたいです。いいことあると思います」

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2020年10月 6日 (火)

コオロギと

 夜の散歩の途中だった。
 公園の端の茂みから呼ぶ声がした。
「マッテマッテ。……コロコロリー」
「あらま、こんばんは」
 そう云ってわたしは思わず、石を積んでつくった花壇の囲いの上に腰をおろしていた。
 公園のあちらからこちらからさまざまの虫の声が聞こえていたが、目の前の茂みの声の主は1匹のコオロギだ。姿は見えない。

「オサンポ? ……コロコロー」
「そうなの、もう帰るところ。でも、少しならおしゃべりできる」
「ネ、キョウネ、ビンガナゲコマレタノ。モウスコシデアタルトコロダッタ。コウイウノ、ナントイウノ?」
「肝を冷やす、かな」
「キモヲヒヤス。……コロコロ」
「当たらなくて、よかった。ひとはときどきひどいことするわよね。ごめんね」
「イヤ、アタラナカッタカラ、ラッキー。アナタノキョウハ、ドンナダッタ?」
「あら、聞いてくれる? じつはさ、まちがえてよそのひとの原稿料が、わたしのところに振りこまれたの。それでね、出版社に電話してあわててお金を返したの」
「ヨクアルコト? ……コロリーリー」
「ないない。初めて。大きな金額だったの。あーあって、ちょっぴりがっかりしちゃった。でも考えたらさ、」
「カンガエタラ? リリリ」
「誰かさんのお金が、わたしのところに寄ってくれたなんて、素敵じゃない?」
「イイネ、イイネ。ステキダネ。……コロコロリー」
「わたしたち、きょう素敵な目にあった同士ね。ビンが投げこまれたけど、当たらず無事だったコオロギさんと。誰かさんのお金が途中ちょっと寄ってくれたわたしと」
「マアネ、ソウイウコトニナルネ。……リーリーリーコロコロコロ」
 そのまましばらくコオロギさんは歌いつづけた。
 力強く、それでいてもの悲しく。

 その後、わたしは茂みに向かって、最近のちょっぴりさびしかったはなしと、おかしくて笑っちゃうはなしをひとつずつ聞いてもらった。
 コオロギさんは、わたしを慰めようとして歌い、いっしょに笑うように歌った。
「ばいばーい」
 と云って立ち上がったとき、不意にひと粒なみだがこぼれた。
 泣きたかったのかな、わたし。……コロコロリー。

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先日、彼岸花をみつけました。
このハナとも、おしゃべりしました。……
何のはなしかって?
内緒です。

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2020年9月29日 (火)

白シャツ

 舞台がぐるりとかわって場面転換するように、夏から秋になった。
 前の日まで木綿の夏掛け1枚をかけてやすんでいたが、翌日はもうもう、それでは肌寒くてやりきれなくなっている。あわてて羽布団をひっぱり出した。あれ? 夏掛けと羽布団のあいだの、薄手の羽毛肌掛けの出番はないの……? と、あわてる。
 そうだ。あいだがないほどのうつろい様(よう)であった。
 夏は急ぎの用事でも思いだしたかのように、取るものも取り敢(あ)えず旅立ってゆき、うしろもふりかえらなかった。
 秋のほうはどうだったかというと、こちらも俊敏(しゅんびん)そのもの、すまして季節の座についていた。

 さて、着るものをどうするか。
 衣更えを、あんまり素早くすると、後悔する。ということを経験上、やっとのことで学びとったわたしは、この年の驚くばかりの場面転換のなかにあっても、そう簡単には動かないことにしている。
 気温を睨(にら)んでじっとしているわたしを救うもの。
 それは白シャツである。

 白シャツ(長袖)は、仕事で出かけるときもわたしを支えてくれる。機能的であるのはもちろん、どんな場面にも映えるし、白の光沢がレフ板のような効果を発揮くれるのではないかと、かすかに期待している。くすみがちな顔を、ほんのり艶やかに見せてくれるのだ。
 白シャツ、とひとくちに云っても、素材、肩のライン、ウエストのくびれ具合、ボタン使いなど、ほんの少しの違いが、これほどもの云う存在はほかにないように思う。前の年、気に入って着ていた白シャツに半年後袖を通してみると、なんだかしっくりこない……、ということが少なくない。
 ことしは、自分を励ます意味で、肩のサイズ感がぴったりで、ウエストがくびれていない白シャツを探そう、と決めている。みつけ出せるかどうか、わからないが、「白シャツ探し」という目標をもつだけで、わくわくする。
 
 ときどきわたしは、家のなかで白シャツに袖を通し、アクセサリーをつけて仕事をする。常とは異なる自分になれる。……ような気がして。

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親戚や友人たちから、
こんなにうれしいものが、
届きました。
秋をたのしみましょう。
秋をたのしみましょう。
秋をたのしみましょう。

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