2023年3月21日 (火)

数学とわたし

3月15
 ふみ虫舎エッセイ講座*の新宿での教室。
 遠くは北海道函館から、徳島県から集ってくださり(あとからベルギーからのお仲間も合流)、感激する。
 村上春樹の『職業としての小説家』(2015年/スイッチ・パブリッシング)から一部をともに読む。

 小説家に向いているのは、たとえ「あれはこうだよ」みたいな結論が頭の中で出たとしても、あるいはつい出そうになっても、「いやいや、ちょっと待て。ひょっとしてそれはこっちの勝手な思い込みかもしれない」と、立ち止まって考え直すような人です。

 こんなくだりを、皆で読む。
 このなかに出てくる「小説家」を「エッセイスト」「随筆家」に置き換えて読むことができると、考えたのだ。
 さらに云えば、これは人づきあいの有りようにもあてはまる。
 だんだんこの世が「結論好き」になってゆくのに、わたしはまったく追いつけなくなった。追いつけないことに、とまどうこともなくはなかったが、じつはいま、追いつけないことに安堵している。
 もちろん急いで判断を下さなくてはならない事柄はある。けれども、わたしが関わる「書く」「読む」、それから「人づきあい」などは、ああだろうかこうだろうかと揺れるなかで表現がかない、構築されてゆくものばかりだ。

*「ふみ虫舎エッセイ講座」は、現在募集をしていません。


3月16
 東京吉祥寺の店で髪を切る。
 2022年のおわり、髪の面倒をみてもらっている美容師のマリコさんに、「あっという間に過ぎた1年だったけれども、山本さんの髪がこんなにのびたのは、大きな達成」と云わしめた髪を……切ってもらう。
 子どものころから、ずっと短髪でやってきたが、昨年は切らずにいたのである。だけど、やっぱり切りたくなった。お帰りなさい、ふみこ、という気持ち。


3月20
 数学者の書いたエッセイを読んでいる。

 読みながら、高校3年のとき、関数のテストを受けた日のことを思いだした。
 テスト用紙にならんだ問題を見ると、すぐと、わたしの手には負えないことがわかった。
 しかたないな、と思った。
 テスト用紙を裏返し、そこに、数学に対する思いを綴ってみたのである。主として「素数」について書いた。1より大きい自然数のうち、1とその数自身でしか割りきれない素数。もっとも小さい素数は2である(2は、1と2でしか割りきれない)。
 1を素数とすると不都合が起きることから、特別扱いされている1への同情、宇宙に向かって永遠にのびてゆく素数の列のうつくしさ、そんなことを書いた。
 問題を解かず、テスト用紙の裏面に、感想めいたことを書いたことを叱られるだろう、と予想したが、テストを返される場面でせんせいに褒められたのには驚いた。
 そのことが、数学とわたしの間柄を決めた。数学に、友だちとして認めてもらえたような気がした。

 その後わたしは「書く」と「読む」に没頭するようになり、学校を卒業したあと出版社の編集部に勤めてからは、没頭を超えて文章世界を必死で歩くようになった。
 数学という友だちのことはあまり考えなかった。だが常に、遠くにその存在を感じていたのである。「書く」にも「読む」にも、数学的と云ってもいい何かが不可欠であることに気がついていた。
 情緒系統の感覚で押し切ろうとすると、ことに「書く」はうまくゆかない。
 というわけで、いつか、数学と文章との共通性を、あるいは連動性を証明したいという考えを持っている。

 昼ごはんに大根の千六本のおみおつけをつくる。
 これをつくろうとする感覚、食べようとする感覚も数学的じゃないだろうか。

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大根の千六本(太め)のおみおつけ。


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うんたったラジオ15

気がついたら1周年。忙しいなかでできたこと。
豊洲に泊まる、神社に昇殿参拝、WBCに「キャー!」、
チャリティチーム・カーネーションズのこと、など。

▼現地の声 
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▼anchor
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▼Spotify
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▼Appleポッドキャスト
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2023年3月14日 (火)

2011年の梅干し

3月7日
「お別れする日は、お蕎麦をね」
 そう母からおしえられたことを、守ってきた。
 蕎麦を食べて別れるのね、と思うとき、ふと別れ話をしながら蕎麦をすする男女の姿を思い浮かべたりするが、そんな場面ではない。
 お雛さまを仕舞うはなしである。
「長いものを食べるというのはね、これから先も、細く長くおつきあいができますようにという意味なのですって」

 さあ、お別れだという日、蕎麦をと云われていたのに、ときどきうどんやらパスタやらを供することもあったのだ。長ければいいのじゃないか、というのが、わたしの考えだが、どんなものだろう。
 きょうは「塩そば」をこしらえた。
 ずいぶん前に毎日新聞の「西原理恵子と枝元なほみのおかん御飯」で紹介されたのを、つくってみて、衝撃を受けた蕎麦だ。
 茹でて水でシメた蕎麦に、少量のめんつゆで煮た豚肉とさらしねぎをのせる。昆布茶、塩、ラー油をふりかけるという大胆でありながら繊細な味つけ。仕上げに好みで山椒を振る。というのが、ざっとしたつくり方である。
 きょうは長ねぎをたくさん食べたかったから、豚ひき肉とともにねぎも炒めて(めんつゆ少量はここで投入)てこしらえた。食べるたび、そしてきょうも衝撃的なおいしさが実現。
「おひな様方、どうぞ召し上がってくださいまし」

 塩そばののち、お別れの儀式。
 お雛さま方を御身、お顔を筆とやわらかい布を使って、拭う。家のなかで共に過ごす、ひと月ちょっとのあいだに、もう少し交流のようなことをしたかったなとは、毎年思うことである。
 しかしおひな様方は、もしかしたらこれ以上の交流はもうけっこうだ、とつぶやいておられるかもしれない。
 朝からバタバタ走りまわる音。メガネをかけて仕事をする姿。台所でゴソゴソつくったものを食卓に運び、それを食べる様子。夜中に大声で歌う声。
 朝から深夜まで、落ち着かない日日だったのではないか。
 そう思ったら、あまりさびしくなくなった。
「さようなら。また来年お目にかかれますように」
 すっかり箱に納めてから、宮本浩次の「P.S. I Love you」を歌ってみる。


3月11
 忘れてはならない日がめぐってきた。
 東日本大震災から12年が過ぎている。
 2011年の6月に、漬けた梅干しの瓶をとり出すと、残りわずかとなっている。毎年、少しずつ食べてきたが、とうとう、ことしで食べきるようだ。
 何をどう祈り、どう念じたものかとうろたえまどいながらも、祈り念じて漬けた梅干し。
 天から与えられることがすべてなのだと思い知ったあの日。これがこうなりますようにという、祈り方では間に合わない覚悟を促されたあの日。
 ヒトになし得る「平和」との約束が、きっときっと守られますように。

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おひな様方、どうもありがとうございました。
このちっちゃなおひな様方のほか、
カナダで暮らしている三女栞のも
預かって飾りました。

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2023年3月 7日 (火)

 柚子と睨みあう

3月1日
 深夜、テレビをつけたら、なつかしいひとの顔があった。
 作家の立松和平。
 どうやら森鴎外の小説「雁」(がん)について、語っているようだ。立っているそこは、上野の不忍池(しのばずのいけ)のほとり。「雁」の舞台はそうだ、東京・本郷から、上野。もっと云えば、本郷と不忍池のほとりのあいだにのびる「無縁坂」が物語の印象の決め手となる。
 小説「雁」のあらすじを紹介するためなのか、立松和平は手持ちの紙に、「岡田 末造 お玉」と書いてゆく。
 この文字もなつかしい。
 まあるい文字は、デザインされたがごとくバランスがとれていて、うつくしいのだ。

 この文字を初めて見たのは22歳のときだった。
 当時勤めていた出版社に、導入されたばかりのファクスから吐き出される紙の上に、見たのである。
 小説「遠雷」が野間文芸賞新人賞を受けた年(1980年)であり、すでに人気作家の仲間入りをしていた立松和平は、「はい、わかりました。どうもありがとうございます」と云って、短編小説の執筆を受けてくださった。まるで出前を頼まれた蕎麦屋のお兄さんみたいだな、と思った。
「原稿とり」が編集者の役割のなかで、大きな位置を占めていた時代が変わりはじめたのが、1980年だったと記憶している。大手出版社は、もっと早くファクスを導入していたかもしれないにしても、2年以上のちがいはなかったはずだ。
 作家から原稿が郵送されることもないではなかったけれども、大方は編集者が作家指定の場所に出向いて、「お原稿を頂戴」するスタイルだった。30枚の原稿を、毎日1枚ずつ受けとりに行ったこともあったなあ。
 立松和平の短編小説は、ファクスで届いた。
「立松和平さま」と書いて原稿拝受の連絡を、こちらもファクスで送ったのが、わたしにとっての初送信だった。
 社長室に置かれたファクス機に、自分で書いた紙を差しこむ。
 すると、どうだろう。機械は拒否するかのように、わたしの書いた紙をそのまま吐きだしたのだ。
 社長室の扉をあけて営業部で、わたしは叫ぶ。
「大変です。送信したファクスがゆかないのです」
「どれどれ」
 1年後輩のヤマシタクンが見てくれた。
「ほら、ゆかなかったのはこれです」
 そう云って、自分の書いた送り状を見せると、ヤマシタクンは目を弓形に曲げて、こう云ったのだ。
「山本さん、ファクスというのは、この紙がそのままゆくわけではないのですよ。大丈夫、送信はされています。安心してください」
「へ?」
 それから10年後、パリダカールラリーに参加した立松さんの仕事を手伝う機会がめぐってきた。そのとき初ファクスのはなしをして、しみじみ笑い、原稿の受け渡しの変遷について語り合ったのだった。

 深夜観たテレビは、「名作をポケットに」というNHKの番組のアーカイブ放送だった。森鴎外も「雁」の内容もどこかへ飛んでしまい、立松和平という作家へのなつかしさでいっぱいになる。


3月3日
 桃の節句の当日。
 春分の日の翌日にお雛さまにお出まし願い、毎日、ちっちゃな器に、ごはんをつけて供してきた。

 卵のサンドウィッチ
 パスタ(ペペロンチーノ)
 湯豆腐
 わかめうどん
 ピッツァ

 なんでもかんでも供してきた。
 寝静まったあと、お雛さま方が「きょうの昼のあれはなんだったのだろう」「ピツというものらしいですよ」「ピッツァと聞こえました」なんて話しあっているところを想像したりする。

 けれどきょうはなんとかして、ちらし寿司をつくってご馳走したい。
 すっかり日の暮れたなか、自転車にまたがってスーパーマーケットへと急いで、いくらの醤油漬け(1,480円)と、スモークサーモン(498円)、菜の花(298円)をカゴに入れる。
 そうだ、柚子を絞って酢飯をつくろう。
 棚の上の柚子(1個198円)としばし睨みあう。これまで柚子を店で買ったことがなかったものだから、のばしかけた手が宙で止まる。
 昨年の夏の終わり、思いきった剪定をしたら、2本の柚子にことしは実がつかなかったのである。
 この冬はよそのお宅の庭先で、店で、柚子をみかけるたび、ああ柚子、と複雑な気持ちになった。じとっと見る、という表現があるけれど、そんな感じだろうか。お金を出して柚子を手に入れるのがそんなにいやなのか、と問われれば、「いや、それはちがう」と答えたくもあり、「そうかもしれない」とも思われて、複雑なのだ。
 そんなふうだから、柚子のほうでも、こちらを窺うようになる。


3月4日
 3日につくった簡単ちらし寿司の酢飯で、「ケチャップライス」をこしらえる。
 どうつくっても美味しいが、不可欠なのは、ケチャップと卵とピーマン。あとはベーコンでも玉ねぎ、キノコ類でも、何でも引き受けてくれる。チキンライス風に炒めるだけだが、酸味がいい働きをしてくれる。
 焼き飯でもケチャップライスでも、ピーマンはさんごのさいごに加える。火を通し過ぎないように気をつける。

 忘れずに、おひな様方へ。

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簡単ちらし寿司です。
酢飯、
柚子の果汁と酢の量は半半としました。
砂糖と塩を少量加えました。

さっぱりとしたちらし寿司です。

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2023年2月28日 (火)

家のなかの事件

2月21
 予定表を見る。
「明日、家で撮影」
 この仕事のテーマは「身近に、春と親しむ」。
 なかなかむずかしいお題である。
 インタビューに答えたあと、春を親しむ写真を撮ることになっている。
 春といえば……、と脳内連想ゲームをくりひろげ、思いついたのが菜の花のおひたしとサンドウィッチだった。

 菜の花は同じ青菜でも、ほうれんそうや小松菜のように茹でたあと、水にとらない。ざるの上にひろげてさますのだ。水にとると、花がつぶれ、風味が失われる。これこそが、春の繊細、ではないだろうか。
 サンドウィッチを好きだが、冬のあいだはあまりこしらえない。春めいてきたあたりで、とつぜん、つくりたくなる、食べたくなる。

・にんにくを効かせた卵焼き+菜の花
・わさび漬け+しその葉+ハム

 のサンドウィッチをつくることとする。


2月22
 仕事にやってきた記者さんに、「サンドウィッチをつくったあと、パンの耳は、どうされますか?」と訊かれ、あまり考えずに「小さく切って焼き揚げにし、クルトンとして、スープの浮き実にしたり、サラダに加えたりします。クルトン、冷凍もできますよ」と答える。
 夜になって、はっと気がつく。
「しまった。ピッツアのはなしも聞いてもらえばよかった」
 パンの耳を、長細いまま天板かフライパンの上にならべ、その上に具をならべてピッツアチーズをふりかけて、焼く。パンの耳ピッツア、おすすめだったのに。


2月24
 スーパーマーケットへ。
 すみっこのレジに、老婦人がふたり並んでいるうしろに、つく。

 ひとりめの老婦人モモさん(仮名/桃色の帽子が印象的だった)。
「ポイントカードはお持ちですか?」
 と声をかけられ、「あ!」と云ってモモさん、財布のなかを探す。なかなかみつからない。
「ありました、はい、これ」
「ポイントが貯まっていますが、お使いになりますか?」
「貯まっている……?」
「きょうはポイント3倍デーですから、使わず貯めたままにしておくほうが、おトクなのですけれども」
「では、そのまま貯めましょう」
「袋はお入り用でしょうか」
「……」

 ふたりめの老婦人ワサビさん(仮名/山葵色のコートが印象的)。
 支払いがはじまる。
 財布のなかから、千円札2枚を出し、小銭をさがし、レジ横の皿の上にならべる。
「はい、おねがいします」
「ええと、あと30円お願いします」
30円ですね」
 そう云いながら、ワサビさんは、長財布のなかの小銭コーナーを指先でかきまわす。が、30円はなかったらしく、結局千円札を1枚出して小銭をあきらめた。皿の上の5円玉1円玉はそのまま活かせるのかもしれなかったが、皿の上の小銭をすべて長財布に収める。カゴを持ってサッカー台に向かって歩く。

 身につまされながら、ため息。
 支払い。小銭のこと。ポイントカード。ポイントの使い方。袋のこと。サッカー台への移動。袋詰め。
 スーパーマーケットのレジでは、いろいろすることがある。
 そうして買いものびとも、いろいろ。馴れたひともあれば、そうでないひともある。わたしが観察したモモさんとワサビさんのように、動作がゆっくりしたお客もある。そしてレジ係。ここも、いろいろ。気を効かせられるひととそうでないひとがある。
 高齢の買いものびとを見つけると、つい観察したくなる。いつかわたしだって、いまよりいっそうお金の扱いが下手になるし、動作が遅くなるもの。


2月26
 ストーブ料理、ストーブ料理と浮かれていたからだろうか。
 やっちましました。

 灯油ストーブで、記事入りの白いコーディロイワイドパンツの腿のあたりを焦がした。
 やっちまったのはことしに入って二度目。
 じつは一度目の黒スエットパンツのお尻に、手持ちの黒いフェルトで、大きなハート型のアップリケをつくって縫いつけたばかりだ。
 昔から、こういうことは得意なのだ。焦がしたり、ひっかけてかぎ裂きをつくったり。
 白いコーディロイは、どうするかなあ。だいぶ履いたから、さよならしよう。見るたびにこの事件を思いだすから、今回は、えいっと捨てた。大きく立派に焦がしたからでもある。

 寝る前、昼間資料としてとり出した本を書架にもどす。
 みつけました。
 4日ほど前にカットし、水を入れたコップに挿しておいたみつばの根っこからおいしそうな葉っぱがのびている!

 事件である。
 家のなかにはがっかりさせられる事件もあれば、うれしくなっちゃう事件もある。Photo_20230228090201
ほらね、これが、みつばの事件です。


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