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2014年4月の投稿

2014年4月29日 (火)

ハラタさん

 実家でとりおこなった父の四十九日の法要から、黒い服のまま自転車でもどると、午後5時だった。
 おもしろい法要のひとときだった。
 母が古いアルバムを出してきて、父との結婚式の写真を見せてくれたり、わたしと弟が生まれたころのはなしをしてくれたのも、よかった。弟のお嫁のしげちゃんがつくってきてくれた新潟の郷土料理「のっぺ」(鶏肉、里芋、にんじん、ごぼう、かまぼこ、いくら、うずらの卵、銀杏などの煮もの)とプリンもおいしかった。仕出し弁当だけでなしに。
 仏事をおもしろい、と表現するのがふさわしいかどうかはわからないが、おもしろいことが好きだった父はきっとよろこんでいると思う。

 ほっとしながら着替えをし、食卓準備にとりかかる。
 本日2ページめ、うちにお客を迎えることになっている。
 昨晩つくっておいたドライカレーがあるから、あとは、焼き野菜をという心づもりだ。きゃべつ、インゲン、茄子、かぼちゃを切っては、漬け汁に浸してゆく。薄切りにしたにんにく、オリーブオイル、塩こしょう、酢、の漬け汁だ。
 午後7時、ハラタさんはやってきた。
 ハラタさんの顔をまじまじと見て、深くお辞儀する。初対面だが、わたしの新しいブログのデザインをし、カスタマイズ(とかいうものを)してくれたのがハラタさんだ。
  「やっとお会いできました。このたびは大変、大変お世話になりました」
 ハラタさんと仲間である長女を通じてブログの製作を依頼したとき、ハラタさんは名古屋にいたから、やりとりはすべてメールでおこなった。そのやりとりも、コンピュータのこと、ブログの成り立ち、用語に不案内なわたしに代わって、夫がしてくれたのだった。
 ハラタさん、原田康平さんは建築関係の仕事をする一方で、IT(インフォメーション・テクノロジー)の勉強もした。「肩書きは……?」と尋ねてみると。25秒くらい考えて「旅するデザイナーかな」と云った。
 これもできる、あれもできるというハラタさんとワインを飲みながら、弱点をみつけたくなった。

 気が弱く、思いきったことができない、とか……?
 人づきあいが苦手である、とか……?
 方向オンチである、とか……?
 食べられないものが多い、とか……?
 逆上がりができない、とか……?

 いろいろ尋ねてみるのだが、弱点は一向にみつからない。
 目の前でもりもり食べたり、飲んだりしている感じのいいうつくしい青年に弱点がみつからないことにわたしは弱りきっている。大きなお世話である。まったくもって大きなお世話なのだが、弱点があってこそ、ひとというのはおもしろいと信じているのだもの。
 夫がわたしにそっと云う。
  「弱点がない、というのがハラタさんのいまの弱点」

 ハラタさん、
 ブログの設営、デザインほか、何もかもお世話になり、ありがとうございました。
 ハラタさんのおかげで、あたらしい「一歩」を踏み出すことができました。
 これは、わたしにとって大事な一歩になるだろうと思います。
                                  ふ

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鯛の切り身で「鯛ご飯」を炊きました。

C_1_2
鯛は焼いてから米にのせて
炊きました。


 

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2014年4月22日 (火)

輪ゴム

 まただ。
 また、輪ゴム。床の上に落ちている。
 ついさっきは机の隅で、見た。色のちがうふたつのゴムが重なって、何か云いた気(げ)にそこにあった。
 最近、家のなかで、よく輪ゴムに遇う。
 なぜだろう。
 輪ゴムに好かれているのだろうか。まさかね。
 何らかの理由で需要がふえて、輪ゴムの活躍どころがふえたのだろうか。
 家のなかで輪ゴムに出合うと、わたしはそれを拾いあげて、冷蔵庫の側面に磁石でついている輪ゴム掛けにひっかける。使うときも、そこから輪ゴムをとる。
 わたしが子どもだった時分に比べて、輪ゴムはか細くなったようだ。伸縮性も、弾力も、かつてのほうが強力だった。しかし、うちにどこからともなくやってくる輪ゴムは、さんざん働いた末のモノなのかもしれず、くたびれているのか。そんな気もする。モノにはたいてい基準があるから、ゴムの寸法にも張力にも、満たすべき条件はあるはずだもの。
 たいそう世話になっているとは思う。そう思いはするのだがしかし、生まれたときからあったから、ありがたみもめずらしさもなく、わたしにとって輪ゴムはつねに、ただただ輪ゴムだった。初めて輪ゴムというモノを見たひとは、どんなふうに考えたろう。驚くべきモノが登場した、と考えただろうか。
 話は脱線するけれども、20歳代前半に初めて糊つきの付箋(ふせん)を手にしたときは、感激した。読書のとき何かの憶えに目印をつけるのに、ページの角を折るたび、本が「きゃっ」と小さな悲鳴をあげるのを聞いていたからだ。「ごめんね、ごねんね」と云いながら、ページの角を折ったのだ。
 けれど、生まれたときから糊つきの付箋があったという年代のひとは、本の悲鳴など聞いたことはないだろう。それと同じで、わたしには、輪ゴムのなかったころの不便がわからない。
 そうだ。
 子どもの頃、利き手の小指に輪ゴムをひっかけ、さらに親指にもひっかけ、最後の輪の部分を人さし指の先と爪のあいだにはさんで、飛ばした。あれはよくやった。練習を兼ねてしつこく飛ばし、標的の弟を泣かせたこともあった。

 また、輪ゴムだ。

 落ちている。
 落ちているだけで、輪ゴムは何もしない。その佇(たたず)まいは、やる気を感じさせるとか、何かを訴えかけるといったところはなく、ただ、そこにある風情だ。
 拾いあげようとして、「何もしない」でいるその姿に、ふと打たれる。輪ゴムに打たれるなどとは、おかしな場面ではあろうけれども、打たれてしまったのだからしかたがない。
 たまにはわたしも、床に落ちた輪ゴムになってしまおうかと思ったのだ。輪ゴムのようになって、導きの手に自分を委ねてしまおう、と。導きは結局、どこからか降ってくるものではなく、みずからのなかから湧きあがるものなのだろうから、動きを止めて待つ道も選べると思えたのである。
 心配事や苦労のタネを抱えこんだときなど、輪ゴムのように「何もしない」でいる、「何もしない」ことに賭けるというのを、そうだ、してみるのもわるくあるまい。

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あたらしいブログ、
なかみは代わり映えしないかもしれませんが、
いろんなものが生まれています。
とつぜん、こんなひとたちがぞろぞろあらわれました。
何かが動きはじめたんだと思います。

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2014年4月15日 (火)

歩く

 外に出ると思いのほか明るく、明るいが、どこかに何かを隠しているふうで、云うに云われぬ気配があった。
 この気配のなか、きょうひと日のことを胸のなかで揺すりながら、さて、と思いかけたとき、
「歩いて帰ろうよ」
 と、うしろから声がかかった。

 この日は、実家に集まって母の誕生日会を開いた。ほかのみんなが車に乗って帰ったあと、自転車で来た長女と、乗って来た車を見送ったわたしとで、しばらく母を囲んで昔語りをした。初孫である長女は幼子にもどり、わたしもまたぐっと若がえったりして、愉快だった。母は、おばあさんの風情でそこに坐っていたけれど、ちらと時折父の写真を見たりしながら、昭和20年代父に初めて会ったころまでもどってみる瞬間があったかもしれない。
 ひと月前父とこの世の別れをしてからというもの、わたしは子として生き直している。いや、ほんとうはそんなはずではなかった。父を亡くして、わたしはやっと一人前になってゆかれるのではないかという気がしたのだった。ところが、ところが。時折母のもとへ通って様子をうかがう日日のなか、噴出したのが子として足らなかった部分部分であったのだ。子として生き直す機会を与えてもらったのだと知った。
 ただ、母を愛せばいい。
 それを仕組んだのが父だとしたら、ふとひねくれてみたくもあるのだが、そんなことをしている暇(いとま)はない。母との蜜月が、これから先何十年もつづくはずがないことを、わたしはわからないといけない。
 誕生会の一日、穏やかな時間が流れ、静かな笑い声があった。昼、寿司店で「86歳おめでとう!」と乾杯したときは可笑しかった。その声に母は「しーっ!」と人差し指を口の前に立て、こう云ったのだ。
「あなたたち、大きな声で。こういうときには、十(とお)ばかり鯖をよんでくれてもいいのに」
 長女とふたり、誕生日ケーキのお茶の折り使った母気に入りのミントン「ハドンホール」の紅茶茶碗を気をつけて洗った。こういうモノたちも、母の友だちなのだ。格式張ったことや高級銘柄に反発していた若き日のわたしは、母の友だちを認めなかったわけだった……。

「歩いて帰ろうよ」
 と門のところで云ったのは長女で、わたしもすぐと「うん、そうしよう」と答えた。母の冷蔵庫のなかで、賞味期限が迫ったり、あるいは少少過ぎた食品をひとり暮らしの糧にしようと提げ袋に入れ、自転車の荷台にしばりつけると、長女は自転車を押して歩きはじめた。
 母に見送られて、わたしたちは小さな旅人になった。
 たそがれ(黄昏)のなかを歩きながら、そのうつくしさを思う長女とわたしである。それは、母が過ごしている人生のたそがれのことでもあり、誰の心にもときどきかすめてゆくもののことでもある。そして、空ができるだけ時を静かに夜の幕を引こうとするこのころは……、じつにうつくしい。
 父のこと母のこと(長女にとっては祖父母である)を話しながら、仕事のはなしに耳傾けながら行く道は紛うかたなき旅の道。それでもとうとう分岐点に到着したときは、出発から1持間半近くが過ぎ、午後7時半になっていた。
 そこから長女は自転車にまたがり30分自分の家まで走り、わたしは10分徒(かち)で行く。
 影となった自転車娘に手を上げて、「ばいばーい」と叫ぶ。
 ちょっぴり泣いてしまおうかと思う。
 泣いたって、ひとの顔も見分けられない時分である。そう思ったが、よした。泣くのは、もう少しあとにしよう。わたしを泣かそうとしたものは、子としてのわたし、子持ちのわたしという、今生の役どころ、学びどころであろう。それはまだつづくのだし。

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その日帰宅すると、
南極出張の友人の土産
(砕氷船「しらせ」採取のもの)が
届いていました。

Photo_5

「オン・ザ・南極ロック」をたしなみながら、
自然が何万年もかけてつくりあげた氷に、
地球人としての更正を誓った。
と、そこへ、2時間前に「分岐点」で別れた長女から電話あり。
「あれから、家の近所の定食屋でごはんを食べて、
銭湯につかって、いま帰りました!」
この地球人はたくましい。

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2014年4月 8日 (火)

連絡帖

 気がつくと、ため息をついていた。
 出先で、それも会議の席で、椅子に腰かけるやふううううっと。
 いけない、いけない。
 椅子らしい椅子に深く坐ったのは、久しぶりだった。それで、ついからだが緩(ゆる)んだ。この3週間、あちらへこちらへ動きまわっていたからだ。眠っているあいださえ、忙(せわ)しなさを感じていた。現実的な、いや、現実にそんなことが起きたらぎょっとする!そんな夢をたくさん見た。
 いま、あんまり顔を合わせたくないひととばったり遇ったり。大事なゲラ(校正刷り)が見えなくなって、それを必死で探したり。卵のどっさり(20個はあった)入ったざるを落として、叫んだり。それに、ずっと原稿を書いているような感覚がつづいた。書いては直し、直しては書いて。するするとはゆかないもどかしさが、わたしの眠りを常よりも浅くしていたようだ。
 会議だからしゃんとしなければいけないのだが、しかし……
 しかしつい緩んだりしたところをみると、この場はわたしにとって恐ろしい場所ではないことになる。少なくともこの場所には、穏やかな空気と気の知れたひとがいるばかりだ。窒素(N2)、酸素(O2)、アルゴン(Ar)、二酸化炭素(CO2)そのほかの微量成分と、尊敬と親しみと。
 椅子に坐ってもうひとつ気づいたことがある。
 ふと目を落とすと、指の爪が伸びていた。
 ああ、恥ずかしい。こっそり手を握りしめる。爪が手のひらに当たって、痛い。
 この日の会議は協議事項も報告事項も山とあり、頭のなかはフル回転だ。とてもではないが、もう一度ため息をついたり、伸びた爪を気にしたりする暇はなかった。
 重い鞄を肩にかついで帰る道すがら、わたしは自分のことを知っているとは云えないなと、思った。少しばかり疲れがたまっていることも、爪を切るゆとりを失っていたことも、気がつかなかった。
 自分のことですらそうなのだから、きっと、まわりのひとのことはもっと、もっと知らないだろう。じつは知らなくたって、やってゆける。ずるいかもしれないし、怠けているかもしれないけれど、やってゆける。
 自分のことを知ろうとすること、ひとをわかろうとすること、もうひとつ、自分のことを伝えようとすることは、手間がかかる。ときに無意識のうちに、あるいは意図的に、「知る」も「わかる」も「伝える」も、しようとせずに通過する。
 でも、そこをただ通過してしまってはだめなんだ。たぶん、大事な場面で、しくじる。
 会議のあった日の数日前、わたしはしくじりかけた。
 父が逝ってひとり暮らしになった母のもとに出かけて行ったときのことだ。母は85歳にして生涯初のひとり暮らしを経験しているのであり、そうでなくても、近年痩せて弱ってきている。気になって気になって、時間をみつけては自転車を飛ばして様子を見に行く。そのことはわるくない。父も、どこかでそれを見て「すまないな」とか「頼むよ」と云ってくれているだろうと思う。
 さて、その日のわたしは母の洗髪をしたいわたしだった。
「お母ちゃま、きょうはわたしが髪を洗ってあげる。さ、お風呂に入ろう」
 母は困惑する。
 陽の高いうちから入浴する習慣はないし、なんとなくぼんやりしていたい時間帯である(あとからそう、わたしに打ち明けた)。
「でもさ、せっかくわたしがいるのだし」
 と云って、わたしは引き下がらない。
 母を脱衣所に押してゆき、カーディガンに手をかける。
 なかなか風呂に入ろうとしない幼子(おさなご)の服を脱がせ、「早く早く」と浴室に押しこむように。
 どんなに年とっても、どんなに痩せても、ゆっくりとしか歩けないからだになっても、母は母なのだ。とつぜん、それに気がついて、カーディガンから手を離す。
「なんだか、はりきり過ぎちゃった。ごめんなさい」
「ありがとうね。お風呂には、今夜ひとりで入るからね。だいじょうぶよ」
 母は、笑う。
 母のもとに置いている「連絡帖」をひらくと、前の日にこんなことが記されていた。弟のお嫁のしげちゃんが書いてくれた。
「きょうは掃除するつもりだったのに、ずっとお母ちゃまとおしゃべりして、何もしなかったです。ごめんなさい! でも、久しぶりに笑顔で話すお母ちゃまを見てうれしかった……。掃除は木曜日に」


Hagaki   
201441日、消費税率の改定に伴い、
さまざまな料金変更がありました。
わたしにとって、いちばん身近だったのは、
郵便料金の変更でした。

郵便はがきのすずめが、
2円うさぎに向かって、
「な、何だよ、オマエ」
と叫んでいます。
春愁(はるうれい)です。


Futo
80円鳩も、この春は、
ちょっと緊張しているような。
目つきが鋭い……。

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