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2014年5月 6日 (火)

さすり

 大きなからだが揺れながらくる。
「どうしたの。忘れ物?」
「ま、そう。忘れ物」

 弟のはなしを、わたしはあまり書かずにきた。

 わりとおもしろい人物なのに、なぜか。
 たしかに……、大人になってからあまり顔を合わせなかった時期はある。お互いの人生に忙しかったからだ。弟もわたしも、同じころそれぞれにこんがらかっており、それをほどこうともがいたり、瘤(こぶ)のようになった結び目と格闘していた。ときどき会うことがあっても、「あ、生きてるな」と確認するにとどまっていた。向こうもそうだったのだと思う。
 書かなかったもうひとつの理由は、そうだ、年齢差。弟とわたしは年子(としご)である。年子と云っても、その差11か月と21日。生まれ月が11月だから学年は異なったけれども、これがたとえば3月であったなら同級生になっていたところだ。弟はからだが大きく、わたしのほうが背が高かったのは2歳までだった。それからはずっと弟の身長が高く、そのこともあってまわりから「お兄さまはお元気ですか?」などと云われるのが常であった。
 お兄さまと云われるたび、「あれは弟です」と返した。
 そうくり返すことで、わたしはもしかしたらみずからに向かって、「わたしは姉」と云い聞かせていたような気がする。弟がまさっていたのは身長だけではなかったからだ。
 弟は子どものころから落ちついており、器用で勉強ができた。一方わたしは、落ちつきがなく、不器用で勉強はてんでできなかった。あっさりコンプレックスを抱いてしまってもおかしくないところだが、そこは姉の強みだ。弟を押さえつけて「姉」として君臨(くんりん)した。わずか11か月と21日ではあったけれども、早く生まれてよかった。
 そして、このはなしにはちょっとした落ちがある。弟が大学卒業後、保険会社に就職したときのことだ。
「ふんちゃん(弟はわたしをふんちゃんと呼ぶ。いまも昔も)のおかげだよ」と、云われた。
 入社するなり新人たちは、いきなり、研修生として保険会社のやり手のおばさまたち(セールス・レディー)に鍛えられる。もみくちゃにされる、と云っても過言ではなかったらしい。同じようにもみくちゃにされた同期入社の仲間たちが、おばさまパワーに辟易(へきえき)しているなか、弟は比較的楽に研修期間を通過したそうだ。
「さんざんふんちゃんに押さえつけられ、いぢめられ、鍛えられてきたからさ。ありがとうね、ふんちゃん」
「……」
 ことし3月父が逝ったあと、葬儀のこと墓のこと、ひとがひとりこの世からいなくなったことで必要になる一切の手続きを弟が担当してくれている。わたしは、弟から「ふんちゃんの印鑑証明を3通とっておいて」と云われればそれを用意し、「戸籍謄本もいるんだよ。これも3通頼みます」と依頼されれば「ほいきた」と市役所に走るだけでよかった。いまわたしは、こんなふうに思っている。「姉」は返上してもいいかな、と。しかしいまさら「兄さん」とも呼べないから、考えた末こっそり「リーダー」と呼ぶことにした。

 実家の門前までリーダーとわたしを見送りに出てくれた母は、きょろきょろしている。何となれば、リーダーは西方向の最寄り駅に徒(かち)にて向かい、わたしは東方向に自転車で向かうのだから。そこでわたしは、まずリーダーを母とふたりで見送ることにした。

 リーダーは186センチの長身を揺らしながら、のっしのっしと行く。歩幅も大きいから、その姿はどんどん遠くなって……と思ったら、とつぜんからだの向きを変えてのっしのっしともどってきた。
「どうしたの。忘れ物?」
「ま、そう。忘れ物」
 弟は母の前で少しだけかがむと、「忘れた。さすっていいよ」と云った。
 母は笑って、弟の肩から二の腕(上腕二頭筋)にかかる部分をさすった。
 ———そうそう、これこれ。
 この「さすり」は、母のおまじないだった。「いっていらっしゃい」も「がんばってね」も「どうしたの?」も、そのほかことばにしにくい事ごとも、何でもこめて、さするのだ。
 弟とわたしばかりではない。重い荷物を届けてきた宅配員や、道上で出会った郵便局のお姉さんの上腕二頭筋をさするのを見たこともある。
 子どものころからさすられてきたわたしたち姉弟は、いつしか、自分の癖として「さすり」を身につけてしまった。さすることも、さすってもらうことも大事なのだ。
「わたしもさすって、おかあちゃま」
 さすってもらったあとは、母の細くなった上腕二頭筋を、ふたりでさする。

S
熊谷の夫の実家の畑です。

ちちが80歳になったとき、夫が共同作業の
できる
作物をとブルーベリーを植えました。
ことしまる3年を迎えました(1年苗を植えたので、苗そのものは4年生)

S_2
花をつけています。

6年が過ぎるまでは花がついても摘みとって、
力を苗の育ちに集中させます。

が、ちちが愛おしんで、少しだけ残して見せてくれたのです。

S_3

 

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「日記」カテゴリの記事

コメント

ちょっと嬉しくなってしまって。
お母さまの「さすり」は、わたしの「なでなで」とおんなじだ!と。

毎朝こどもたちを起こす時、高2と中1の息子たちのあたまを
わたしは「なでなで」します。
それこそ、いろんな想いを込めて。

彼らが幼い頃は、うっとうしがられてもおかしくないくらい、
彼らをこの身にくっつけていました。
その名残りなのでしょう。
わたしは彼らの肌のあたたかさが恋しくてたまらない。

スースーと寝息を立てている彼らのあたまを「なでなで」するとき、
ありがとねー、ありがとねーと思う自分に苦笑い。
そんな朝が嬉しいわたしです。

投稿: みぃ。 | 2014年5月 6日 (火) 10時27分

ふみこさま。

こんにちは。

私にも弟がいます。4歳下です。
でも私もいつも、素敵なお兄さんですね。と言われ
「私、姉です。」と、半分は面白がりながら告白してました。

母の入院から葬儀、法事など弟が全て取り仕切ってくれて。
やっぱり、私は「姉かぁ?」と。

父の事も弟に任せっきりで、不甲斐ない姉です。弟に感謝しっぱなしです。


さすり。私もよくさすります。
でも【さすり】って、自然にしてしまうんですが(親しみを込めて)
気味悪がられることがしばしばあって、後で
「あちゃー、失敗した」と、自己嫌悪に。

誰にでもはいけないんだわ、と思うとまたまたフリーズしてしまう。

人との距離感が難しくて。

他人様と関わる事がこわくて、できればずっと引きこもって居たいと
思ってしまう私がいます。本当は、いけないですよね。

最近は、ふみこさまの《人っきあい学習帖》を読んでおります。
読みながら、そうそう!なのよねぇ。と、独り言がにぎやかです。

投稿: のり | 2014年5月 6日 (火) 11時32分


ふんちゃん皆様こんにちは。
近くにいる人が優秀だと勝手に自分は
コンプレックスの塊だと思ってしまいます。

でも、それはちょっとした間違いなんですよね。


例えば私は就職してすぐは
周りの方が仕事ができて何もできない自分に
だめな人、とレッテルを貼る日々…

でも日々を過ごすうちに上司の方から

*小さな目標を立てて大きな目標を乗り越えること
*最初かや深掘りしないこと

などを学びました。働くということは学びですね。
生意気ですが、私が学んだことが
ここにいる皆様の希望になってくれますように。

投稿: たまこ | 2014年5月 6日 (火) 12時09分

ふんちゃん

 「さすり」って、またまたステキ(^^)
 あったか~い感じがしますね。
 私もついつい、相手の体に触っちゃうんです(^^;)
 身近な人には、おばさんになった証拠だって言われたりしました(^_^;)

 なんだかね、“一緒”って感じになりたがっちゃうのかもしれません…私…。
 
 相手がうれしい時も、しょんぼりな時も、“一緒”って。
 十分に理解はしきれないかもしれないけれど、わかりたいなぁって証として、そうしてるのかな…、
 今、発見です。

 私は、子どもたちには、おでこ同士をくっつけて、こすこすします^m^
 子どもたちも、一緒になってこすこすするから、お互いのおでこが、こすこす…、ぐりぐり…。
 そうするとね、怒った後も、笑っちゃうんです、お互いに…。
 怒った後に、私が、素直にもとに戻れない時に、よくつかいますコレ。
 時々、子どもたちが、疲れた時、自分からおでこを出してくれることも出てきました。
 こういう親子の不思議なやりとり…。愉しいですね。

 そしてね…、ふんちゃん…、
 前回、最後に「わたしたち」って書いてくれて、本当に嬉しかったです。
 弱点も大事にしよ~っと。相手の弱点も、自分の弱点も。
 ふんちゃんが、時々、書いてくださる「わたしたち」ということばは、
 きっとふんちゃんが思っている以上に、私を元気づけてくれますm(__)m

 ありがとうございます(*^^*)

投稿: もも(^-^) | 2014年5月 6日 (火) 14時10分

ふみこさま

やっと気持ちが落ち着いてここに参りました。
ちょっとお便りさせてくださいね。

連休に母の一周忌がありました。
わたしは母はほとんど辛いだけの人生だったのではと
そのことで苦しんでいました。
何故なら父はパワハラがきつく、
家の中と外とでは別人です。
体の手をあげて殴るということはしませんが、
言葉の剣で何度も刺してきます。
負けないように夫婦喧嘩はしていましたが
がまんしてかばってくれることに
とてもエネルギーを使っていました。
介護中も信じられないことの連続で
わたしは今も父と二人きりにならないように
気をつけています。
ふみこさんのお父様のお話しを聞くたびに
父とよばれる人には色んな人がいるのだなと
ほっとしています。
82歳だった母の法要に
母の同級生が10人以上来てくださいました。
皆様がそろった時に急に
うぐいすが大きく鳴きだして、
母だったと思います。
母は夫は大外れでしたが
友人には恵まれ大当たりでした。
そのことが分かった時
幸せなこともあったのだと胸があたたかくなり、
救われました。
母がいなくなった悲しさはやわらぎ、
母の幸せを分けてもらったようで
ありがたい気持ちでいっぱいになりました。
わたしには弟はいませんが妹がいます。
いつもはべったりとつき合っているわけでは
ありませんが、親のことで
本当に悲しいことや、幸せなことを共有できる人が
いるってがんばれます。
今置かれている現実から
大切なことを学ぼうって思えるのは
彼女がいてくれるおかげです。
長くなりました、読んでくださってありがとう。
ふみこさん、わたし静かにがんばるから。

投稿: ゆるりんりん | 2014年5月 6日 (火) 15時41分

みぃ。 さん

「なでなで」、いいなあ。
わたしも、そんなふうに「なでなで」してもらって
目覚めたいです。

ね、みぃ。さん、
実際にしなくても、
ひとが「なでなで」みたいな気持ちを持つと、
ずいぶんいいと思いませんか?

怒りそうな自分も、
猛りそうなこころも、
そっと「なでなで」……なんてね。


投稿: ふみ虫 | 2014年5月 6日 (火) 17時08分

のり さん

のりさんが「ひととの距離」をむずかしく
思うのは、のりさん自身が、
自分の「独特」を受け入れてないからなのでは……?

のりさんは、
格別にやさしくて、
ひとを許すことのできるひと。
そのことを大事に思ってくださいね。

わたしは、ここで、
のりさんがそうだと知ったんです。

投稿: ふみ虫 | 2014年5月 6日 (火) 17時13分

たまこ さん

連休、少しはほっとされましたか。
のんびりできましたか?

自分にできることがそうたくさんはない、
という状況、これがじつはじつは、
かけがえのない「とき」なんだと思います。
さしだせるものを、さしだそうと、
走っている純情・真面目さ・謙虚は、
その後の自分を支えてくれます。

たまこさんの云うとおり!
あのころの学びが、わたしの「素」(元かな)に
なっています。

また、学びのお土産をお願いします。
どうやって、お返しをしたらいいか
わからないけれど。


投稿: ふみ虫 | 2014年5月 6日 (火) 17時19分

もも(^-^)ちゃん

おでこね。
いいなあ。
わたしも、そっとしてみようかな。
(超特急+さりげなく)。

そう云えば、
先日、母のところに一緒に泊った長女を朝、
起こしたとき、
「あ、あなた、可愛い顔してるねー」
と、わたし、思わず云ったんです。
(器量のはなしではないのですけれどね)。

すると、ずいぶんたってから、
「あのときはうれしかった。そう云ってもらって
元気が出た」
と長女。
ああ、ひとは、
もっと思ったことを率直に、
やさしいことばもためらわず、
伝えるといいんだわと、思ったことでした。

投稿: ふみ虫 | 2014年5月 6日 (火) 17時25分

ゆるりんりん さん

いいおたよりを、
どうもありがとうございました。

お母さまは、
ゆるりんりんさんとお妹さんの
笑顔をいま、何よりのたのしみにされていることでしょう。

お父さまのことは、お母さま、
やんちゃな息子だと思っていらしたかもしれませんね。
「息子よ息子、
あなたも人生を全うしておくれ」
とね。

勝手なことを、ごめんなさい。

「笑顔」で許してくださいね。

投稿: ふみ虫 | 2014年5月 6日 (火) 17時31分

ふんちゃん。
 
地震であまり被害がなかったようでなによりでした。
 
今回のもの。
読み、じーんとして涙が出そうになりました。
どこが?と問われると困りますが、時の流れを垣間見れた感じで。
三者三様さまざまなことがあり、お互いに接したり接さずにある時代もあり、でもさするでつながる。
単なる時の流れ、ではなく、その流れのなかにはさまざまなことやものがあったわけですよね。
とはいえ、これもまた、ひとつの経過なのでしょう。
ひとつの経過、も含めて、滔々たる流れをみたような感動でした。
ありがとうございます。

投稿: 佐々木広治 | 2014年5月 6日 (火) 20時04分

本日でゴールデンなお休みも終わってしまいますね。
前半にちょっと風邪をひいてしまったので、
このお休みは
おうちカフェ、おうちレストラン、おうち銭湯、おうち植物園、おうちホテル、おうち図書館
すべておうちですませてしまいました。
それもまた実に愉快でした。(混んでなくてお金もかからず(笑))
おうち図書館で『台所で元気になる』読み返していたら、長女さんが吹奏楽部でトロンボーンをされていたとあり。我が家の長女と同じ~とひとりフフフと悦に入ってました。

そして只今最終日にふみさまのところにも遊びにこれました。(おうちネットカフェ?)

さすり。


『手』ってあたたかいですよね。
「おてあてしましょうね」って言葉だけでも傷みがス~っとひいていくような。
『さすり』の手の中に、たくさんのたくさんの心がこもりますね。なんて人って温かいのでしょう。
いつか、いつのひか、ふみさまにお会いできたら、どうか私のぷるぷるな
上腕2頭筋もさすってください。
ちなみに私の弟も187センチあります。共通点またひとつ。うれし。

よきお休みでした。

さてまた明日からがんばりましょ。


投稿: おきょうさん | 2014年5月 6日 (火) 23時50分

佐々木広治 さん

おはようございます。

すべては「経過」のなかに……。
とは思いつつも、
「経過」のなか、
要点をつかまえながら生きてゆくことは
大事かなあ、と。
励みとかよろこびのためでもあります。

このことは「忘れる」ことも必要なんだという
はなしにつながってゆきます。
ひとは、
おぼえておくことばかりに価値を見出そうとしますが、
ちゃんと忘れることも、必要です。ね。

投稿: ふみ虫 | 2014年5月 7日 (水) 07時32分

おきょうさん さん

トロンボーンのはなし。

以前、市の吹奏楽団に入っていた長女の
もとにトロンボーンを届けたことがあります。
(大学帰り、大事な練習に間に合わなかったんだと
思います、それで)。

楽器を持って歩くってこんなか……。
ひとに「何の楽器ですか?」って尋ねられるかな……。
「トロンボーンってどんな楽器ですか?」って
  尋ねられたら何て答えよう……。
それにしても重いな……。
とか、いろんなことを考えました。

投稿: ふみ虫 | 2014年5月 7日 (水) 07時37分

こんにちは

ちょっとした願い事や心配事があると、私達3姉妹は父の「おまじない」に頼りました
手のひらを差し出すと、父は箸を使って何かを書きつけながらブツブツつぶやくのです これのお陰で勇気や自信がわいてくるから不思議ですね
今では娘や息子も85歳の父のところに走り、姪っ子(まだ小6)は毎朝このジイジから「朝の一言」となでなでをもらってから「いってきま~す」と登校します

連休中の「鯛飯」は叶わず、娘が釣った「岩魚飯」となりました
そして田舎ならではの筍のフルコース・・・
休み明けの仕事は少々だるいけどGUTS!
火曜日が楽しみになりました ありがとうございます

投稿: 野生寄り | 2014年5月 7日 (水) 11時21分

コメントを書きたかったのですが、ノートパソコンを置いている場所か食卓の上。

どいて。
と言われたので、また書きにきます。

投稿: いとう | 2014年5月 7日 (水) 12時19分

おまじないは、効きますねー。
とっても不思議です。

5月6日の3時に女の子が生まれました。
その子のお母さんは、記憶障害(思い出系)で子どもを持つことに迷って
いました。
いつ何処に行って何をしたかが覚えられず、克明な日記頼みです。
私は会うたびに彼女の頭をグリグリ撫でていました。
「神さまのいうとおり~」といいながら、グリグリ。
いつか夫君もつられて同じようにしていたそうです^^
大きな不安も、目の前にしたあかごで吹き飛んだと思います。
これからも、グリグリが効いたら良いなぁと念じています。
ふんちゃんのことばも いつも不思議なパワーがあって
幸せな気持ちになります。
ありがとうございます!

投稿: どりす | 2014年5月 7日 (水) 13時05分

ふんちゃん、こんにちは。

思い切って今日から私もふんちゃんと呼ばせてもらってもいいですか?
ずいぶん前から心の中ではずーっとふんちゃんと呼んできたのに、ここに来た時にふみこさま、ふみこさんと書くのはどうしても違和感があって。。。でもだいぶ年下の私が。。。などと考えたりして。

ふんちゃんの書くことはいつも今の私の心に沁みわたっていきます。前世で近しい存在だったのかな?と思ってしまうほどです。そうでなくても現世で出会えてよかった(笑)
昨日おっとが背中をさすってくれました。その前も。最近元気がなくて、家にばかりいる私に大丈夫大丈夫というふうに言ってくれたようでした。
自分から出かけたくなるまで家にいてもいいですよね?人に会いたくなかったら会わなければいいですよね?こんな自分はたぶん普通じゃないなーと思うけどこれが自分なんだからと開き直りたいです。

私は3人兄弟の一番上で母とは仲がいい方だと思いますが、物心ついてから抱きしめてもらった記憶がありません。お互いに恥ずかしがりやだからかな。いつかぎゅっと抱きしめてもらいたいと思っています。
なので自分の息子(小5)にはしょっちゅうハグをします。小さい頃からしていたので今でも時々恥ずかしがらずに「ぎゅーして」と言ってくれます。
色々な想いを込めてぎゅーします。あと何年もせずに卒業が来そうだけど(笑)

ふんちゃんの弟さんのお話が出てこない事はずっと気になっていました。きっと何か思うところがあるんだろうなと思っていました。
私にも弟が2人います。下の弟とは6歳違いですが弟が結婚した辺りから少しづつ距離を置くようになりました。私を見下ろすような態度をとりだしたからです。原因は分かりませんが私が自分に自信をなくしたからかもしれません。弟家族は実家に同居していて近所なのですがほとんど実家に行くこともなくなりました。今後は分からないけど、ふんちゃんくらいにの年齢になったときにまたぽつぽつ話が出来るようになったらいいなと思っています。

お手紙のように長々と書いてしまいごめんなさい。ちょっと気持ちが落ち着いて元気がでてきました。

投稿: ゆっきー | 2014年5月 7日 (水) 14時46分

ふみこさま こんにちは

どこのおうちでも、弟は頼りになるのだなぁと、わが身を振り返ってうふふと笑ってしまいました。家も父の時は、すべて弟が仕切って、手続きもしてくれました。
弟と話すことは…あ、この間、実家に電話をしたら、母が出られなくて、久しぶりに弟と話しました。たわいない話でした。連休中、姪たちとどこか行った?そこって、昔、旅行に行くとき途中で観光したよね~などと。でも二人とも同じ旅行の違うところを覚えていて、そうだったのか!と、お互い40年近く前の記憶を埋めていました。
実家で、家で食べる分だけですが、田畑を守ってくれている弟に感謝です。

さする、さすってもらう。ちょっとうらやましいお母さまとのつながりです。母との仲はまあ良いほうだと思うのですが、あまりそういうことがなかったので…。今度会ったとき、「なでなで」をお願いしてみます。前に手をつなごうとしたら、「苦手やねん」と振り払われて少し落ち込んだので、リベンジです。笑。

投稿: あすちるべ | 2014年5月 7日 (水) 18時03分

ふみこさま、みなさま、こんにちは。

さすりも、なでなでも、おでこも…とっても温かくて素敵です。
私も娘にそういうことができているかな…と考えながら帰宅したりして。

すりすり…触れられて温かいのは、体だけではないのですね。心も温かくなります。
そして、私は、ふみこさまのことばですりすりして頂いています。
こどばも、すりすりと私に触れて、とっても温かくさせてくれます。

ありがとうございます。

投稿: ちぇりー | 2014年5月 7日 (水) 18時44分

思い立ったが吉日。
とはよくいったもので、今の時間になってしまいました。

こんばんは。ふみこさん。おじゃまします。

ブルーベリーの花ってかわいいんですね。
小さい。白い。ふんわりふくらんでる。
下を向いてる。

知らなかったなあ。知らない事だらけだったなあ。
きっとこれからいろんなこと知っていけるんだろうな。

楽しみにしとこう。

うーーん。今日は はなしたがりだ。
またきますね。おじゃましました。
楽しかった!!

投稿: いとう | 2014年5月 7日 (水) 20時30分

野生寄り さん

お父さまの「おまじない」素敵ですね。
わたしも、今朝、なんとなく力が入らなかったので、
お父さまの真似をして、
箸でてのひらに「活」と書いてみました。
ちょっと活きがよくなったような。

岩魚飯ですって?
……食べたい。

投稿: ふみ虫 | 2014年5月 8日 (木) 07時53分

どりす さん

赤ちゃんが、記憶そのものですね。
ほんとうにおぼえていなければいけないことは、
ほんの少しかもしれない……。
そう思いました。

ひとつひとつに
馴れきってしまわず、
一瞬一瞬出会い(出合い)直しが
できたなら……。
きょうひと日、そんなつもりで
生きてみようと思います。


投稿: ふみ虫 | 2014年5月 8日 (木) 07時56分

ゆっきー さん

前世でご一緒だったとすると、
ゆっきーさんは「蓑虫(みのむし)」だったのでしょうか。
わたしは蓑虫で、今生初めて人間をやっているんじゃないかと、
想像しています。
虫だったわりに、よくやってるかなーと、
勝手な思い方を……。

ばかなはなしをしましたね。
ごめんね。

ふんちゃんより

投稿: ふみ虫 | 2014年5月 8日 (木) 08時00分

あすちるべ さん

そうなんです、そうなんです。
スキンシップ系統は、むずかしい一面を
持っています。
「苦手」という感覚にもうなずけます。

でも、さりげなくうまくなれると
いいかなと、思うんです。
そっと気持ちをこめて、触れる……。
これには練習も必要なのかなと、
考えていたこともあります。
そっと練習。

さするのも、さすられるのも。

投稿: ふみ虫 | 2014年5月 8日 (木) 08時05分

ちぇりー さん

おはようございます。

きょうは講座のある木曜日です。
朝は、目覚めたときから緊張しています。
心地よい緊張です。

ことばを学ぶ時間を前に、
緊張するのです。
ことばを学ぶため、
こころをやわらかくしなくては、と
緊張(かたくなってちゃいけないのに)。

行ってまいります。

投稿: ふみ虫 | 2014年5月 8日 (木) 08時08分

いとう さん

ここへいらしてくださって、
どうもありがとうございます。
どしどし、はなしてください。ね。

知らなければいけないこと、
わからなければならないことが、
いっぱいです。
それをひとつひとつ知ってゆき、
わかってゆきたい……。

投稿: ふみ虫 | 2014年5月 8日 (木) 08時11分

ふみこさま。

お母様の「さすり」素敵ですね。
そして、忘れ物、と戻って来られた弟さんも…。
お母様の「さすり」
その時々のいろんな思いがこめられていて。
いつもの変わらない思いとともに。
言葉に出さなくても (もしかすると言葉にする以上に)
伝わるんですね。

大人になって、1回だけ(何の時だったか)頭をなでてもらったことが
あります。すーっと素直な気持ちになれて、とても気持ちよかったです。

「わたしは蓑虫で、今生初めて人間をやっているんじゃないかと、
想像しています。 虫だったわりに、よくやってるかなー」のお言葉!

初めて人間をやってる、って考えたら、私も、
よくやってるかなーと、自分の頭をなでてあげたくなりました。
多分、初めて人間やってるほかのみんなのことも。
ありがとうございました。

投稿: さのまる | 2014年5月 8日 (木) 21時46分

さのまる さま

「前世」にこだわる気持ちも、
知りたいこころもないというのに
(前世はありそうに思うのですけれど)、
蓑虫、と勝手に云ったりするのは、
いかにもおかしいでしょう?
なんだか、気が楽になったので、
いまは、そう思いこむことによって、
みずからを励まして(支えて)います。

それにしても近年、
愛してやまない蓑虫が
減っているような気がして、
もう……何と云うか、
いまからでも蓑虫にもどりたいような
気がすることもあります。

蓑虫にもどりたい、
頭もなでてもらいたい……、
へんてこな人間です、わたしは。


投稿: ふみ虫 | 2014年5月 9日 (金) 07時14分

ふみこさま

こんにちは。今日はさわやかな良いお天気です!
とっても気持ちが良いです。

さてと。
少しだけ、この場をお借りしてもよろしいでしょうか?
失礼いたします。

~ゆるりんりんさんへ~

こんにちは。
ゆるりんりんさんのお話を読み、ずーっと気になっていました。
その後は大丈夫でしょうか?

あの。書くことをこんなにもためらった事は無いのですけれどね。
やっぱり知らないふりをする事ができなかったので書きますね。

私はね、ゆるりんりんさんのお母さまと同じ立場なんですよ。
息子たちがゆるりんりんさんと同じ。
結婚してからずーっとです。普段は優しいのに、ひとたび怒りのスイッチが入ってしまうと
延々と罵声を浴びせられ続け、その後は長期間に渡り食事拒否と完全無視が続きます。
もう、本当に長いんですよ。これが。
最長で3か月間という時もありました。

その度に精神が疲れ切り、眠れぬ夜が続き、どうしようもない気分になります。
いっそのこと、さよならできたらどんなにラクだろうと、何度も思いました。
けれど、いろんな意味でそれはできない。正直ツラい部分がありますね。

でもね、やっぱり息子達がいてくれるから頑張れるんですよ。
彼らの存在が、心の支えになっています。二人の笑顔を見るたびに、
”負けるもんか!自分を失うものか!”と思います。
そして、もう少し頑張ってみようと思えるのです。

ゆるりんりんさん、お母さまは長い間、とってもお辛い思いをされていたでしょうけれど、
ゆるりんりんさんや妹さんが、お母さまの心の支えになり、
頑張るための力になり、慰めになり、生きる希望になっていたことは、私は間違いないと思います。
ですから、そんなに苦しまれませんように。
頑張って頑張って耐え抜かれたお母さまは、今はおだやかに過ごされていると思います。
神様からたくさんご褒美をいただいていると思います。


あと。ふみこさん、ごめんなさい。
わたしはね、今は「許す」ことはできそうにありません。
一度や二度の出来事ならば、「許す」こともできるかもしれませんが、
同じ仕打ちを何度も何度も受け続けると、なかなか「許せない」。
普段通り、ツンケンせずに会話もするし、食事も作るし、洗濯もするけれど、
やっぱり今は、許していないです。
でも、「許せない自分」を「許そう」と思っています。
”ひねくれ者だわぁ”とも思うけれど、そうすることで、がんばれる自分がいるのも事実なんですね。
このまま添い遂げて、最後に許すことができたら良いなと思います。
わたしの課題です。

そして、息子達を守ることに全力を傾けようと、ゆるりんりんさんのお話を読み、
決意を新たにしました!息子たちの前では「笑顔」を忘れず、
彼らに心配や不安をあたえないようにしよう!と、今まで以上に思いました。
ゆるりんりんさん、ありがとうございました。

ふみこさん、みなさん。ごめんなさいね。
ゆるりんりんさんのことが、どうしても気になってしまい、書くことにしました。
ゆるりんりんさんのお母さまのように、わたしも頑張ろう!と思います。

なんだか、ヘビーな事を書いてしまったな。(またしても・・・。)
けれど書くことで、わたし自身も気持ちが軽くなりました。
なんとなく、こちらに来づらくなってしまうのですけれど。
これからもヨロシクお願いいたします!!長文でごめんなさい。


投稿: みぃ。 | 2014年5月 9日 (金) 13時08分

ふみこさん 私も場所をお借りしていいでしょうか・・・

ゆるりんりんさん
みぃさん

とても よくわかります。
パーキンソン病で短期間で体つきもかわり、力も入らなくなり
字も書けなくなり、洋服を着るのもやっとの母に
父は信じられない言動を繰り返しました。
ここに書くのもためらわれるくらい・・・
虐待でした。
母は 昨年の今頃 私の前で子供のように泣きました。
「父ちゃんのいないところに行きたい。見られないところに行きたい」と
泣きました。
長年 我慢し続け、子供の私たちにも隠し続けて・・・

昨年 秋に 亡くなりました。

父は 葬儀では 大泣きでした。
これも 信じられなかった。私は葬儀の間中
気が狂いそうでした。

私も 許せないと思っています。ふみこさん ごめんなさい。

ゆるりんりんさん 私も 父と二人きりにならにように
注意しています。油断すると 今度は私が 標的になります。
誰も 見ていないところで・・・。
こわいです。

みぃさん。どうか 我慢しすぎないでください。
私は 母に頼ってもらって、本当に嬉しかった。
もっと早くに話してほしかったとも思いました。

ふみこさん 返事に困りますね・・ごめんさない。


投稿: 大野 はる | 2014年5月 9日 (金) 22時54分

みぃ。 さん

しかと受けとめました。

わたしは、みぃ。さんの日日の、
そして人生の「決断」を尊重したいと
思いました。
尊重して、応援したい、と。

「笑顔」ね、「笑顔」。
わたしも、「笑顔」を忘れず、ゆこう。
あらためて誓いました。

投稿: ふみ虫 | 2014年5月10日 (土) 07時32分

大野 はるさん
(はるちゃん)

おはようございます。

はるちゃんのおたよりも、
しかと受けとめました。

「工夫」ということばを贈りたいと思います。
なんとか乗りきるための「工夫」です。
そんなことじゃ乗り切れないよ、と
思われるかもしれませんが、
それでも、このことばを贈ります。

投稿: ふみ虫 | 2014年5月10日 (土) 07時54分

ふみこさま
もう一回おじゃまします。

みい。さん、大野はるさん、
お便りをありがとうございます。

わたしは大丈夫です。
決して人に言えない、
ましてや文字にはできない現実の中に
身をおかれているのが
ひしひしと伝わってきました。
「あなただけじゃないよ。」という
あたたかいまなざし、ぬくもりが
伝わってきます、ありがとうございます。

人生の中で誰でも
人の絡みや関係性を学んでいくのですが
わたしは家族を通して
それを学んでいるのだと思います。

「血のつながりは心のつながりではない。」
こういうパターンもあるんだなあ。

命を脅かされることからは
身を守るように反応するように
人は作られています。だから
「許す=何も恐怖がない時の行動」としたら、
許せないのは自然なことなんだなあ。

欲や怒り、迷いをゼロにすることは
できませんが、
少しずつそれらの思考を描かないようにして
自分中をちょっとずつ
きれいにしていくことに努めています。
「もう影響を受けないもんねえ」と。

踏みとどまってもいいし、逃げてもいい。
その時々に自分の思うベストを
選んで行こうと思います。

みい。さん、はるさん、
混乱の中でも
プラスを集めようと思います。

ふみこさん、
ここはなんてすてきな場所なんでしょう、
ありがとうございます。

投稿: ゆるりんりん | 2014年5月10日 (土) 13時08分

ふみ虫さま

子供たちが出かけるときは
そっと肩に触れて
一日の無事を願い
おくりだします。

それはきっと届くんですよね。


家族、夫婦だから
許せること、そうでないこと
受けとめて進む
ここに集うみなさんは
強くて優しいと思います。

我慢しすぎないでと心から願います。

投稿: 寧楽 | 2014年5月10日 (土) 14時11分

ゆるりんりんさん、みい。さん、大野はるさん。
こんなことをいうと怒られそうですが、みなさまのおもいきった告白に、とても慰められています。
改めて、そうなんだなと気づかされ、納得させられるといいますか。…
 
家族だとか、つながりは、血がなにより濃いなんてないんですよね。
一番大切なんてことはない。
自然に、自動的に一番大切になる、なんてないんですよね。
育んでゆくものですね。
やってできたから父親、産んだから母親ではないんですね。
父親に、母親になってゆくものなんですよね。
また、妻に、夫になってゆくものなんですよね。
家族は、作ってゆくものなんですよね。
血だの制度だの紙切れだのなんて、全く意味はない。

 
また、結婚=幸せだとか、家族をもつのがふつうだとかいわれますが、全くの嘘なんですね。
ぼくの友人や知人にも、家庭内暴力の被害にあっているひとがいますし。
家庭がある幸せ、不幸せ。
家庭がない幸せ、不幸せがあるんですよね。
 
そして、はっきり書きますが、怨んでいいし、憎んでいいとぼくはおもいます。
許す必要などさらさらない。
あなた方に責任はないからです。
単に血がつながってるだの配偶者だからだので、なんで許さなければならないのか?!
許せという人がおかしいんです。
自分がその立場におかれて、そう言えるのなら立派だとおもいますが、ちがいますよね。
他人ごとなんですよね。
もし自分が経験体験してきて、それでも許せといえるとしたら、言い方もかわるはずです。
許せ、とは言わないはずです。
 
そんなろくでなしは許す必要なし、とぼくは断言しますね。何の権限もありますが。
それで自責をもつことはさらさらありません。
何の責任もあなた方にはありませんから。
ろくでなしが悪いだけです。
 
責任もないし、関係もないとおもってしまっていいとおもいます。
血がつながっていようが、戸籍がはいっていようが、関係ありませんよね。
心のつながりを養うどころか、痛めつけてきたようなろくでなしですから。
全く無関係な、どうでもいい人間です。
許さなくていい。
憎んだり怨んだりして自分を損なうだけの価値などない、とおもえるだけ切り離せればいいなぁとはおもいます。
そして、我慢せずに行政なり警察なり、相談してみたほうがよいかとおもいます。

投稿: 佐々木広治 | 2014年5月11日 (日) 09時41分

ふみこさま みなさま

こんにちは。
大野はるさん、ゆるりんりんさん、寧楽さん、佐々木広治さん。
心から心配した下さったり、いっしょに怒って下さったり。
どうもありがとうございます。

わたしは自分の心が麻痺しないようにするために、
自分の置かれている状況を把握し、理解する必要があるなぁ・・・と思い、
いろいろ調べたり、行政の無料相談に行ったりしました。
本当にしんどくなったとき、準備万端の状態でいたいなと、
そんな風に思ったのですね。
ですから、そのための準備(経済的なことや、心の準備)だけは、
少しずつやっておいた方が良いのかな?と思っています。
そうすることが、よりどころになるとでも言うのでしょうか。

けれど。上手く言えないのですけれどね。
少しずつ準備し始めて感じたのは、怒りとか恨みとかよりも、
なんとも言えない静かな哀しみでした。
いざという時のためには必要な事なのですが、なんだか哀しい。
おかしいですよね。

だから今は、準備をしつつも、そのことだけに心が向かないように、
時々「ブラックみぃ」になって、プチ仕返しをしています。
気づかれない程度に日々のなかで仕返しをするのです。
お腹をこわさない程度の賞味期限が切れた納豆を出したり、
息子達と3人だけで、美味しいものを食べたり。
そうやって上手にガス抜きしながら、自分の心の安定を保つようにしています。
「許せない自分」を「許す」ことも、同じことなのでしょうね。

ひとは誰しも、清らかでありたいとか、正しくありたいとか、
無意識の中で感じ、理不尽な事も我慢して生きているのではないかと思うのですが、
時としてそのことは、己の心を追い詰めてしまう場合もあるよなぁと、
自分のこれまでを振り返り、最近はよく思います。
だから、「ブラック」になってもいいじゃん!
ちょっとくらいの仕返しだったら、バチも当たらないよ!と、自分に都合よく考え、
我慢しないことにしています。
そう思えるようになったから、添い遂げることを目標にできたのかもしれません。

でも、本当に辛くなってしまった時は、ちゃんと考えます。
心や身体を壊してしまったら、元も子もありませんから。


ふみこさん、みなさん、ありがとうございます。
ゆるりんりんさんの事を気にしながらも、爆弾発言をしてしまって、
ちょっとドキドキしていたのも事実なので、
みなさんのお気持ちが本当に嬉しいし、力になります!

思うようにならないことがいっぱいありますが、
折り合いをつけながら、自分と子どもを守りながら、ゆこうと思います。

長文、ごめんなさい。

投稿: みぃ。 | 2014年5月11日 (日) 12時40分

ゆるりんりん さん

「もう影響、受けないもんねー」
との覚悟。
それ、「動じない」ってことだと
思いました。
「動じない」ひとって、
気を許せる相手にも、甘えたりしないし、
礼節を……忘れない。

ありがとうございました。
再度いらしてくださり、おたよりを。

投稿: ふみ虫 | 2014年5月11日 (日) 18時25分

寧楽さん

望むことは、多くない。

そのことは、わたしたちを案外、
つよく支え、守ってくれていると思えます。

ね、そうじゃありません?

投稿: ふみ虫 | 2014年5月11日 (日) 18時31分

みぃ。さん

寧楽さんが、涙ぐんでいたね。
こみあげるものをこらえていたね。
じーんとしました。

広治さんが、怒ってたね。
じーんとしました。
怒りながら、ほっとしていて、
おもしろくもありました。
(おもしろいだなんて、ごめんなさい)。

わたしね、
子どものころから
「世のなかはこうなってございます」
という決めごとみたいなことに
抗って生きてきました。

だから、とりたてていま、
云うべきことばは持たないですが、
「世のなかはこうなってございます」
に抗うことは、ときどきちゃんとするべきだと
感じています。
もの思うひとは、とくに。

投稿: ふみ虫 | 2014年5月11日 (日) 18時40分

ふみこさま。みなさま。

ずっと考えています。

いくら考えても想像しても、きっとゆるりんさん、みぃさん、
はるさんの思いに届いていないと思います。
だから、中途半端なこと、わかったふうなこと 書けない、と
思っていました。

でも、みなさんのこと、おもっています。

お便り、なんども読んで考えています。

…何を書いても違うような気がする。

1こだけ。
みぃさんが書いてくださったみたいに
「心や身体を壊してしまったら、元も子もありませんから」
こころ、だいじにしてください。こころ、まもってください。
いざとなったら 逃げる も ぼこぼこにやっつける も ありです。

投稿: さのまる | 2014年5月11日 (日) 20時02分

さのまる さん

思いを寄せてくださって、
ほんとうにありがとうございます。

「そのとき」の「ほんと」の気持ちを伝える。
それしかないなあと思いました。

そういうわけで……、
どうもありがとう。ございました。


投稿: ふみ虫 | 2014年5月11日 (日) 22時12分

ふんちゃん

こんばんは。風邪の具合はいかがですか。
じぶんをいたわること、今回のお話しのことばをお借りするならじぶんでじぶんをさすってあげること、これ、わたしはとても大事なことだって思っています。
だから先週、呑気人(なんていいことば!)になられたふんちゃんからのお返事がすごく嬉しかったんです。お忙しいふんちゃん、(どうか無理矢理にでも…!)呑気人の日、作ってくださいね。ね。

みなさまもどうか、健やかでいてくださいますように、ご無理され過ぎませんようにと、なにもできませんが、心から祈っています。

場違いで、的外れかもしれませんが、きっと長くなってしまいますが、(ふんちゃんにこころの負担をかけてしまうかもしれません。ごめんなさい。)わたしのお話し、(これきりにしますから…)聞いていただけますか…?

わたしの母は、わたしが八歳のとき、自殺を図りました。もう少し発見が遅かったら、いまこの世に母はいませんでした。母の苦しみの原因や様々な事情は、当時のわたしには理解できず、母が突然いなくなってしまうのではないかとただ不安で、それ以来母の顔色をうかがってばかりいるようになりました。あの出来事に、そしてそれを引き起こすもとになったわたしのまわりの環境(具体的に書くことは控えます)に、わたしの人生が支配されてしまっていたと言えるかもしれません。

思春期といわれるころから、自分にうつ病のような症状が出始め、どうしようもなくつらい時期を過ごしました。通院したり関係書物を読み漁ったり、なんとかしてそこから抜け出したいともがくなかで、決意と言いますか、こう思ったんです。
「わたしは、わたしの人生を、自分で決めて、生きよう。母の人生に、とらわれるのは、やめよう」
わたしにとって簡単なことではありませんでした。でも、そう思いきれたことで、いまのわたしがいます。
母を助けたい、元気になって欲しいという思いとは裏腹に、怒りや恨みの感情もこみ上げてきて、そんな自分に戸惑い、それを受け入れるために、大人になってからは母と(物理的にも精神的にも)距離を取って過ごしてきました。

しかし一昨年母に癌が見つかり、大きな手術を受け闘病生活を送っている現在、母との新たな関係が始まっています。
今日母を見舞ったとき、また一回り小さくなった、骨の浮き出た背中をさすりながら、いろんな思いが渦巻いて、わたしは涙を堪えるのに必死でした。母の人生、どれだけつらいことばかりがふりかかるんだろうかと、切なく苦しくなってきて…。

が、「飲めないから孫たちにあげて」と母が持たせてくれたジュース(病院食の)が入った袋を家に帰って開けると、「生きていてよかったと思える時間をありがとう。」と書かれた小さな手紙が入っていたんです。
こんなことばを母からきけたことが、奇蹟のように感じられて、嬉しくて、思わず声をあげて泣きました。

大切なひとが、くるしんでいるのを見るのはつらい。とても。
でも、代わることは出来ない。その人の人生はその人にしか生きられない。
だからこそ、自分は自分の人生を、精一杯生きよう。そして、大切な人たちに、生きていてよかったよって、笑顔やさすりやなでなでの気持ちで伝えられるような、自分でありたいなと思ったんです。そのために、自分をいたわり、大切にさすってあげることも忘れないようにしたいです。

長々とわかりにくいお便りで、ごめんなさい。くるしみやつらさをわかりきれていないと思いながら、それでも、静かに頑張っておられるみなさんのこと、ふんちゃんが仰っているように、「応援したい」です。そしてわたしも頑張ろうと思います。

投稿: な こ | 2014年5月12日 (月) 00時25分

な こ さん

おはようございます。

思いきって、
勇気を振り絞って
書いてくださったおたより、
読みながら泣きました。

朝から、涙。
わるくありません。

励まされる思いです。
なこさんにも、なこさんのお母さまにも。
ひとの人生というものに。

うんと勉強したひとの、褒美について
考えています。
こんな場面で「褒美」なんてことを考えるのは、
あたかも自分が神であるかのような、
不遜な錯覚かもしれません。
でも、考えちゃうんだー。

忍耐とともに学びをつづけたひとのあたまの上に、
「褒美」が降ってくる。
さらさら、さらさら降ってくる。

なこちゃんへ
ふんちゃんより。

投稿: ふみ虫 | 2014年5月12日 (月) 05時45分

みなさま
ふみこさん

ありがとうございます。
ありがとう・・・涙がとまりません・・・

工夫しながら、自分らしく、がんばって生きたいです。
こちらで 休ませてもらいながら。

この場所と 皆さんとの出会いに 感謝します。
ありがとうございます。

投稿: 大野 はる | 2014年5月12日 (月) 12時03分

ふみこ先生

新しい週になってからの、
遅いごあいさつになってしまいました。

週末に、大学生の頃から使っていた
強化ガラスの大きなボール二つが手から滑り落ち、
同時に割れました。

強化ガラスゆえ、その割れ方は見事にこなごなで。
台所と居間兼寝室、KZの勉強部屋まで破片が飛び散りました。

「キャーッ」と叫んで、床一面に広がった破片を見て
あまりの衝撃にしばらく放心状態でした。
愛用していたボールが割れたこと、よりも、
その後の掃除の大変さを想像しての
ショックの方が大きく。

けれど、しばらく立ちすくんだ後、
改めて床の破片たちを眺めて思いました。
「ダイヤモンドみたいできれい」
と。

その後は、果てしない掃除物語で、
「ゆっくりすごそう」と思った日にかぎって、、、
という大人の法則を学んだのでした。

でも、一瞬でも、「きれい」と思えた自分を、
少し、いとおしいと思いました。

きっと、誰しもみな「その人なり」の、
辛く思うことを経験していると思います。
相手に代わってまったく同じ辛さを味わうことはできなくても、
その辛く思う心に、小さな風穴をあけることは、
できるのではないかな、と思います。

この広場は、そんな場になっているなと感じます。

聞き手の皆さんが、辛さを受け入れ、
それを優しく遠くへ流してくれるだけで、
話した人の心は、少しずつ風通しがよくなっているように……。

風穴のあいた心では、きっと、
大変な状況下であっても、小さなうれしさがキャッチされていくはずと願っています。
私の「ダイヤモンド……」と同じような
ちょっと"のんき"なうれしさが。

それこそ!
今回の会話では、皆さんが皆さんの心を、
優しくさすっているように見えました。

ふみこ先生、広場は育まれていますね。

投稿: KZのツマ | 2014年5月12日 (月) 14時14分

大野 はる さん
(はるちゃん)

おたより、ありがとうございます。
ほんとに、ありがとうね。

みんな応援しているし、
みんなちょっと怖い顔で、見張ってる……ね。

はるちゃんは、
はるちゃんの自慢できるご家族のこと、
ものすごくかっこいい王子たちのことも話しつづけてね。
そのことは、頼みます。

投稿: ふみ虫 | 2014年5月12日 (月) 20時36分

KZのツマ さん

ダイヤモンドよりきれいに砕け散った、
大事な、強化ガラスのボウル。
何を伝えたかったのでしょうね。

「あたらしい幕が開きます」かな。
「古いものは、少し壊しますよ」かな。

砕けてしまったものを、
懐かしむこころで、
感謝するこころで、
愛おしむこころで、
「きれい」と呼べるわたしたちで、いたいね。
ずーっと、ずーっと。

投稿: ふみ虫 | 2014年5月12日 (月) 20時42分

ふみこさま。今晩は。のりです。

先だってのお返事、心が震え泣きました。
ありがとうございます。

私は未熟者です。

だからこそ、私の推し量れない域で多くの方々に許されて
その上に当たり前のように、気づくこともなく暮らしを営んでいる。

その事に、ふみこさまのお返事で気づく事が出来ました。

同じ様に、私も様々な事を無意識のうちに許して、生きているかしら?、
そうしていたいと思いました。

私は、[生かされている]と本気で感じたことはまだありません。

まだまだ途中の人間です。

ふみこさま。そして皆々様、一緒に歩ませて下さい。
ここに集える一人でいられる事に、感謝します。
ありがとうございます。

投稿: のり | 2014年5月12日 (月) 20時43分

そろそろ火曜日だな~
と思い、ちょっと先取りで立ち寄らせていただきましたら、
ふみさまのブログがもはや完全なるみなさまの憩いの、癒しの広場になって
大きな木陰で直射日光を防ぎ心地のよい風を提供してくださっているご様子。


おくればせながらおきょうさんのことも少し

ふみさまとお近づきになってみたいな~と思ったのは
ふと読んだふみ様のプロフィールがものすごく私とシンクロしていたからなのです。
(おそれおおいのですが・・・)


さて、これからどうしようか。
とにかく1歳の娘をしっかりと育てないとな。
母であり父でもあらねばな。
自分で決めたことだから、頑張らないとな。

不安は多かったけれど踏み出した一歩をしっかり感じて、とても自分で自分が誇らしかったです。

言葉の暴力や、自分勝手な振る舞い、お金の心配などに心がグサグサ傷つくことがもうないんだと思うだけで嬉しかった・・・。

15年も前の話です。

その自分の誇りを武器に、笑って。上をみて。自分にやれる事は少しだけど、それはしっかりやり遂げることにして、
両親や友人にいっぱいさすってもらって・・・。
娘とともにいろんな体験もしたな~

そうしたら
素敵な出会いとめぐりあい、もう一人娘を授かり、大切な家族を持つことができました。

あれほどの悲しみがなかったら
これほどの幸せもなかった気がします。

みなさまが
心から笑える日がきますように。

それまではふみさまの木陰でひとやすみ。

私も職業柄手がでっかいのです。
この手でさすらせてください。

パソコンの画面をちょっとさすってみました。

投稿: おきょうさん | 2014年5月12日 (月) 23時52分

のり さん

「許し」も「許され」も、
それとは気づかぬうちに宿り、
実践されてゆくものかもしれないと感じました。
のりさんのおたよりを読んで……。

「許せない」というか、
「許し」の領域に入れないかもしれないというときは、
去ってきたなあ、わたしは。
「逃げるんですか?」
と尋ねられたら、そうだと云うしかなく、
案外「逃げ足」は早いです。

おかしなはなしを聞いていただいてしまいました。
ごめんなさい。

投稿: ふみ虫 | 2014年5月13日 (火) 08時44分

おきょうさん さん

そうでしたか。
大事なおはなし、記してくださり、
ありがとうございます。

わたしね、
ひとの経験は生かさないと
もったいないと考えています。
どんな辛く苦い経験も、
そのことを生ききるというのが、
「生かす」ことになるかなあ、と。

わたしの人生のこんがらかり、
うまくゆかなさなんかを
皆さんに聞いていただいたことは、
よかったと思うんです。
おきょうさん さんのように「わたしも!」
と考えてくださる方のあるのもうれしいし、
また、自分自身の「生ききろう」という
覚悟を支えてくれます。

投稿: ふみ虫 | 2014年5月13日 (火) 09時02分

ふみこさん みなさん。

おはようございます。
何度も、何度も、こちらにお邪魔することを
どうぞお許し下さい。

みなさんの、それぞれの体験を読ませていただいて、
またいろいろ考えました。

そして、ふみこさんが最初に発してくださったことば。
「許す」という事も、もう一度考えました。

考えれば考えるほど、頭の中が混乱して、
自分がわからなくなっていました。

ところが。
今朝、出しっぱなしにしておいた本を片づけようと手に取って、
何気にページをパラパラとめくったところ、
ある言葉が目に飛び込んできて、本当に驚きました。

「許すことで過去を変えることはできない。
しかし、間違いなく、未来を変えることはできる。」
          ”バーナード・メルツァー”

この本は、わたしが好きな刺繍作家の方が刺繍イラストを担当されており、
その刺繍イラストに魅了されて購入したものでした。
いままで本の中身よりも、刺繍イラストばかり目がゆき、
内容をじっくりと読んだことが無かったのです。
それなのに、混乱してどうして良いのかわからなくなりかけていた今朝、
いきなりです。大げさかもしれませんが、奇跡かと思いました。

今はまだ、自信はないですけれど、
未来を変えることができるかもしれないという
希望だけは持つことができました。

時にはちゃんと抗うことも忘れずに、
過去に囚われることなく、前を向いて進むこと。
こういうことだな。
自分で自分をさすり、なだなですることも、ちゃんとして。

ふみこさん、みなさん。
ありがとうございました。
みなさんのお気持ちに、すべて感謝です。

何度もごめんなさい。

投稿: みぃ。 | 2014年5月13日 (火) 09時03分

みぃ。さん

すばらしいことばが、
贈られましたね。

おしえてくださり、
とてもうれしいです。
ありがとうございます。

帖面にうつしました。

「前を向いて進むこと」
これも書きました。

投稿: ふみ虫 | 2014年5月13日 (火) 09時06分

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