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2014年5月13日 (火)

くまいちとカーネーション

「これ、おばあちゃまに」
 と三女がさし出したのは、くまいちだった。
 くまいちは、三女のベッドの住人だったクマのぬいぐるみだ。ときどき枕の役目も引き受けてしまう平べったいからだ、のんびりとしたやさしい表情のクマである。
 そうそう、昨年隣家から預かっていたネコのちょろ太も、くまいちが気に入りで、くまいちのお腹を前脚で交互に押すようにする姿を、日に一度は目撃したのだったなあ。それはネコが、母ネコのおっぱいを飲むときの仕草だ。くまいちは、三女やわたしたちには少年クマであったが、ちょろ(ちょろ太の愛称)にとっては母さんだった。
「これ、おばあちゃまに。おばあちゃま、ひとり暮らしになったからさ、あげるの」
 とさし出されて連れてきてはみているものの、はて、とわたしは考えている。そも、この日は母の日で、カーネーションをもとめたりしながらも、まだくまいちを母に手渡す意味が思い当たっていないのだった。
 思い当たらないと云えば、母の日とはいったい何だろうか。商業主義にのせられているような思いがして、わたしは斜にかまえているのである。それでもこうして乗せられている。赤やピンク色の花には目もくれず、花びらの縁に濃い彩りのあるオレンジ色系統のものを選んだりするのが、せめてもの抵抗だ。
 母にカーネーションの花束を渡すとき、「母の日おめでとう」と云ってしまった。「ありがとう」と云うべきところを。
 母とふたり向かい合って、昼ごはんを食べる。わたしはたちまち食べ終わり、母はゆっくりゆっくり食べている。自分の忙(せわ)しなさが指摘されているようで、歯がゆい。わたしも、だんだんに速度をゆるめはじめよう。そうでないと……。
 そうでないと……、人生にたびたびあらわれる壁やら障害物やらに激突してしまう。
 夕方、帰ろうとすると、来たとき渡したくまいちを、母がソファに坐らせている。
「ベッドに置いてと、栞(三女)は云っていたのよ。さみしくないように一緒に眠ってねって」
 母は、あら、という顔で云った。
「夜は一緒に眠って、昼はここへ連れてくるわ」
「あ、ああ、そう」
 わたしを見送ろうとする母の腕のなかに、くまいちはいて、こちらをじっと見ている。
「くまいち、仲よくしようね」
 と、母が云う。

 帰り道、ぬいぐるみに向かって「仲よくしよう」と話しかけている母を思っている。さみしくないようにわたしのくまいちをあげる、と云った三女のことも思ってみる。どちらの行為も思いがけなくて、わたしは思わず……、

通りすがりの花屋の客になる。
 母に贈ったのと同じ、オレンジ系統のカーネーションとグリーン(ププレリューム)をもとめる。自分に。母の日を何だろうか、と疑う気持ちに変わりはないが、みずからにカーネーションを贈るのはわるくない。こんなに頼りなくもあたたかい心持ちで。

Photo
初詣に行くたび、
だるまが、それも白いだるまがほしかったのです。
けれども白いだるまさんは「合格祈願」担当の

ものが多く、あらゆる「合格」と縁なきわたしは
手が出ません。
ことしのお正月、映画のロケで訪ねた成田山新勝寺で
「これ」をみつけ、夫がもとめてきてくれました。

希いはただひとつ。
みんなが「明るい気持ち」で生きていけますように。

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コメント

ふみこさま

この白いだるまさん、
ウインクをしているような・・・
泣くのを我慢しすぎてもうすぐ笑い出しそうな・・・
見ていると口角があがります。
よし!今日もいい日にしようっと(^v^)

投稿: ゆるりんりん | 2014年5月13日 (火) 10時44分

コメントではなく、質問です。
だるまさんの後ろに並ぶ文庫本の背に書かれた番号は?
読む順番? ところどころ抜けているのは、誰かに貸出し中?
変なところが気になってすみません。(これが初コメントなんて、恥ずかしいのですが…)

投稿: 堂下まみ子 | 2014年5月13日 (火) 11時19分

ゆるりんりん さん

白だるまは、
本棚から、わたしたちのことを見て、
泣きそうになったり、
笑ったり、
あきれたり。
そうして、
(小さなひと家庭のことを超え)遠く、
(わたしひとりの希いを超えて)希う存在
なんです。
日に日に、片目の視線が遠くなってゆくような。
そう思いながら見上げています。

投稿: ふみ虫 | 2014年5月13日 (火) 13時01分

堂下まみ子 さん

まみ子さん、
おたよりありがとう。
「そこ」聞いていただけて、
うれしいです(ほんとに)。

愛してやまない庄野潤三の晩年のシリーズ
(夫婦ふたりの暮らしを綴る)が
白いだるまのうしろにならんでいます。
『貝がらと海の音』(新潮社)がシリーズの
はじまりです。
新潮社、文藝春秋、講談社の
それぞれ文芸誌の連載から成るので、
本になっても、通し番号がありません。
年号をたしかめて、自分で背表紙に
番号をふっているというわけです。
①〜⑪まであります。

投稿: ふみ虫 | 2014年5月13日 (火) 13時10分

こんにちは

お母様はこれからくまいちとどんなお話をされるのでしょう
ちょっと陰からのぞいてみたいような・・・

本棚、わたしもとても気になりました
名前付け、電話嫌い、裸足好き、干したがり、ピクルス作り、カレンダーが予定表、やかん磨き、梅ごと・・・ふみこさんとの共通点はびっくりするほどたくさんありまして、本についてもぜひ同じものを読んでみたいと思いました。
「不便を楽しむ」ことが好き。風呂は薪、煮炊きも山水、不便というより手間がかかる作業ですが、最新式?には興味がわかず、毎日がキャンプ状態です。
『減らすこと』『こざっぱりすること』を刻み、私も明るい気持ちで生きていこうと思います。

投稿: 野生寄り | 2014年5月13日 (火) 14時38分

野生寄り さん

「毎日がキャンプ」ということばに、
うっとりしています。
野生寄りさんの暮らしぶり、あこがれます。

わたし自身、「減らす」時代(年代)に入ったな、
しまってゆこう……と考えています。

いま、
ローラ・インガルス・ワイルダーの
『大きな森の小さな家』以下10冊のシリーズを
読み返しています。
とても刺激的です。
自分の暮らしをふり返るのにじゅうぶんな刺激です。

投稿: ふみ虫 | 2014年5月13日 (火) 18時22分

ふんちゃん皆様こんにちは。
ああ、素敵なお話。
母の日おめでとう、この言葉大事にして
きっと来年言おうと思います。


さて、最近思いがけない喜びがありました。
社会人になって、自分にいい意味でわがままで、優しくいようと、決意した私。
そんな新しい自分を開拓できた快感、喜びを感じています。

そして先輩社員に私は私なりに努力していること
人より時間がかかるけど必ずできることが
すこぉし伝わりました。
誰か必ずわかってくれるんですよね、

投稿: たまこ | 2014年5月13日 (火) 18時48分

ふみこさま、みなさま、こんにちは。

母の日、バレンタインデー、さらにはホワイトデー…わたしも商業主義を感じて、「だからなぁに?」とひねくれたくなります。
そう言いつつも、花を贈り、チョコを求めるのですけれど…

オレンジ色の濃い彩のあるカーネーション、素敵ですね。
ミントンの緑の縁取りのカップに似合いそう…お母様のイメージにぴったりでらっしゃったのだと想像してます。

投稿: ちぇりー | 2014年5月13日 (火) 22時45分

ふんちゃん。
 
確かに商業主義といえばそうなるんでしょうけど、でも、別の見方をすると、なぜそれで成り立つのか。
みんな習えの国民性だけでもないのではとおもったり。
シャイというか、おおっぴらに、愛してるだとかありがとうと、それも身近なひとになかなかいえない国民性があるので、いい機会なのかなと。
そういう気持ちをもっていても忘れたりしてしまいますが、思い出すという意味でもいいのかなと。
 
結局、贈ったり確認したりするのは、気持ちなんですよね。

投稿: 佐々木広治 | 2014年5月14日 (水) 00時47分

たまこ さん

思いがけないよろこびに、
気づいて感謝できるたまこさんが、
すごいです。

わたしにもきっとあるはず。
思いがけないよろこびが。
気づいて……、
感謝したい、です。

投稿: ふみ虫 | 2014年5月14日 (水) 07時21分

ちぇりー さん

ことし初めて自分に
カーネーションを贈ったこと、
おもしろくもあり、
うれしくもあり。

これから、この手でゆこう。
……と、思いました。
というか、ひねくれついでに。


投稿: ふみ虫 | 2014年5月14日 (水) 07時24分

佐々木広治 さん

おはようございます。

ふだん云えないことばを、
気持ちを、思いきってね。
……そうか、そうですね。

「母の日おめでとう」
と云うのなんかは、ほんとにだめなわたし。

「自分の気持ちを思いだす日」というの、
いいなあ、いいなあ、いいなあ。


投稿: ふみ虫 | 2014年5月14日 (水) 07時28分

ふみこさま。

母の日、私は娘と一緒に、クッキーをあげました。「まぁ、母の日じゃぁ、敬老の日じゃぁゆうて、もらうばぁしてわりぃなぁ・・・。」と、ちょっぴり照れながらうれしそうにしていました。そして、私は、母の日は体がだるくほとんど一日寝ていました。夕ご飯は、お寿司を持ち帰り(もちろん回る寿司です)食べることにしていました。主人が買ってきてくれて、ついでに
「疲れたって言ってたから・・・」とちっちゃいケーキを買ってきてくれました。なんか、うれしかったです。それを食べたら元気になりました。娘は、チョコを、息子はコーヒーを淹れてくれました。家族のことを、ちょっとでも気にかける、気にかけてもらえるということは、こんなにしあわせな気持ちになるんだな、と思いました。
では、またぁ。

投稿: こぐま | 2014年5月14日 (水) 07時48分

こぐま さん

「ちょっとでも気にかける」
そして、
「それをあらわす」
ということは、すごいことなんだなと
思いました、あらためて。

さりげなく、ね。
「ありがとう」や「おめでとう」いっぱいの
母の日でしたね。
素敵。

投稿: ふみ虫 | 2014年5月14日 (水) 09時27分

お嬢様とお母様とくまいち

一人暮らしになったおばあちゃまのために、自分が大切にしてきたもの
(自分が頼りにできたもの?)を、さしあげようと考えるお嬢さん。

その気持ちと共に、くまいちを受けとられたお母様。

すてきな関係ですね。

一人暮らしをしていたとき
一日誰とも会わず、誰からも連絡も来ない日があったりすると
今日誰も私のことを思い出さなかったんじゃないかなぁ…と
思ってしまう日がありました。

そんな時にも、くまいちがいてくれることで
自分を思っていてくれる人がいる、と、元気になれそうです。

くまいちも 第2の人生(くま生?)。
新しい生活ですね。
誰かに必要とされるというのは
それも、
お嬢様が大事に思っている人に大切にしてもらえるというのは
くまいちも、幸せな気がします。

ちょっと、くまいちがうらやましいです。

投稿: さのまる | 2014年5月15日 (木) 21時50分

ふんちゃん

 母の日…、私は、一緒にいるお母さんには、小さな扇子を渡せたけれど、実家の母には何も渡せずに終わってしまいました…。
 間に合わなくって、ごめんね…って言ったら、
 「何も今日だけが母の日じゃないんだから~、いっつもありがとね~」となんだか私がお礼を言われてしまいました…。
 そうだ、母の日じゃなくったって、いつもありがとうをどこかに忍ばせておけばいいんだわ…と、こころの中で言い訳をしていました(^_^;)
 改めて、ありがとう、を言うのは、大事だった!と思い、
 「ありがとう」だけ、伝えました。

 
 そして…、くまいちを…と思ったお譲さまのお気持ちと、
 それを受け取って、いつもそばにおいておられるお母さんのお気持ちの
 どちらにも、少し驚かれているふんちゃんを感じました…。
 私も…、娘が、実家に行くたびに、母に「一人で大丈夫?」と聞いていることや、それに対して、本当に嬉しそうにしている母を見て、同じような気持ちになったことがあります。
 二人とも、そんな風に感じたりするんだなぁって。
 どこかわかっていたけれど、なんかちょっと…(*^^*)

 ここにお邪魔すると、
 いつも、優しくってあったかい空気を感じます。
 仕事のことで、しょんぼりが続いている今日この頃。
 ふんちゃんのこの場所が、心のよりどころになっています。
 (家のしごとも…(^^♪)

 今週も、ありがとうございます(^^)

投稿: もも(^-^) | 2014年5月16日 (金) 14時24分

さのまる さん

わたしもね、
くまいちが、ちょっとうらやましくて。

考え過ぎも含め、
母の暮らしをあれやこれや、
考えているつもりのわたし以上の
存在たるくまいち。
とびきりの愛らしさ、穏やかさを携えて。ね。

でも、ほんとうは感謝しているんです。
ありがとうね、くまいち。
くまいちを差し出してくれた、三女にも。

投稿: ふみ虫 | 2014年5月16日 (金) 20時59分

もも(^-^)さん

思いがけない存在、場面に、
驚かされつつ気づかせてもらっています。

そんな事ごとを知って、わかって、
感謝して……、こちらはがんばっていれば
(というか、それしかないか、と)いいかなと
思う日日です。

ももちゃん、いま、がんばりどきなんですね。
こころから応援し、無事を祈っています。

ふん、より

投稿: ふみ虫 | 2014年5月16日 (金) 21時04分

ふんちゃん

こんばんは。ふと興味をひかれて、オレンジ色のカーネーションの花言葉を調べてみました。

「純粋な愛」「あなたを熱愛します」「清らかな慕情」

恋人に送る言葉みたいだなあ、と思って(夫に向かって口に出して言ったことも、言われたこともありませんが…)読みながらちょっと照れました。
でも、母への愛も、究極は「純粋な愛」なのではないかしら…と思ったりもしました。

お母様を訪ねるとき、ひとつでも助けになれた、お母様を笑顔にできたと思えたら、それでよし、と思うことにしましたと、以前お返事に書いて下さいましたね。
母の日にお母様がうけとられたくまいちくんとカーネーションは、三女さんとふんちゃんの(心配や感謝や愛や…いろんな)おもいを携えて、これからきっと、お母様の「笑顔のもと」に、こころを明るくしてくれる助けに、なってくれますね。

わたしも、不器用なりに、おもいを伝える練習をたくさんしないと…。そして、離れているときも、その思いがちょっぴりでも伝わっていると信じていよう…!
読ませて頂いているうちに、わたしの心のなかも、ほかほかしてきました。

ふんちゃん、明るい気持ちのお福分け(いつも頂いていて)、ありがとうございます。
自分へのカーネーションも、素敵ですね!

投稿: な こ | 2014年5月16日 (金) 23時18分

ふみこさん おはようございます

くまいちとカーネーションの事を聞きながら
「そう そこなのです」と 思うところがたくさんあって
大きな飴玉を飲み込んでしまったときのように
喉の奥が痛いです。
一日遅れの母の日に 我が家に母が泊まりに来ました。
ベランダの寄せ植えを手伝ってもらったり
いつものように 切れの悪くなった包丁を研いでもらったり
次の日は 小さな小さな水族館にって たくさん魚を見て・・
地下鉄に乗って ひとり帰る母
電車に乗るために 階段を下りる姿が
“ わたしは思わず……、”です。

自分の 寂しさは 少しもさみしくないのですが
母の それは 何とも言えない気持ちになります。

でも 母は 私が思っているより 寂しくないかも???ですね。(笑)
 

投稿: えぞももんが | 2014年5月17日 (土) 06時44分

な こ さん

「思いを伝える練習を、たくさん」
と書いてくださいましたけれど……、
「たくさん」しようとしなくていいのじゃないか、と
思うんです。
わたしたち、
不器用も自覚し、
みずから抱えるものも少なくはないのに
(そして、そのための焦りも抱えているのに)、
つい「たくさん」を目標として掲げてしまいます。ね。

でも、「たくさん」は、
時としてひとを追いつめます。

ああ、わたしは母に「純粋な愛」、「清らかな慕情」を
贈ったけれど、自分にもそれを贈ったのだわ、うれし!
と思いました。
花言葉、調べて、伝えてくださって、
どうもありがとう!ございました。

ふんちゃんより

投稿: ふみ虫 | 2014年5月17日 (土) 07時10分

えぞももんが さん

……わかるな。

でも、「さびしいのも素敵」と
知っているはずのわたしたちは、
母たちの「さびしさ」にも敬意を払わなくては。

「そのさびしさは、うつくしく、気高い!」と

ずいぶん前、まだ、30歳代のころ、
自分の人生を守るのは、
「孤独と手仕事」と考えるようになってゆき、
その思いは、いまも変わりません。
「孤独」は、正しくは、
「孤独を愛する」という意味になるでしょうか。

えぞももんがさんは、きっと共感してくださると
思います。
お母さまは、きっと孤独と折り合いをつけながら
(ひとを愛そうとするときにも、折り合うものね)、
気楽にたのしく暮らしておられますとも。

と、みずからにも云って聞かせています。

投稿: ふみ虫 | 2014年5月17日 (土) 07時17分

うちは男の子3人なので 1年間の行事に 全く盛り上がりがなく過ごしてきました。
それがお嫁さんがきて母の日にお花が届くようになりました。
初めて持って来てくれた時は これ 何? と聞いてしまいました。
ああ そうか 世間ではそうなんだ、、、、と 納得。
1度 置物の時もあったけど 1か月程飾って しまったから 次の年からまたお花になりました。お花はなんでもうれしいですよね?
でも 私の癖で お花が苦しかろうと もらったらすぐにラッピングをはずし りぼんをとり 家の素焼の鉢に植え替えてしまうのです。
自分でも愛想ないなあ、と思いますが、、、、

投稿: とんばぁば | 2014年5月17日 (土) 10時17分

ふみ虫さま

何より栞さんの
心遣い、優しさに
心があたたまりました。

お母さま
さみしさと気楽さ
バランスよく
受けとめはじめておられるんじゃないかな?!

くまいちはいろんな人の
お喋りをひそかに聞いて
楽しんでると思います!

投稿: 寧楽 | 2014年5月17日 (土) 10時55分

「くまいち」は我が家でいうところのカエルのぬいぐるみのカエマルなのかもしれません。今もリビングのソファでお庭を1人眺めて楽しまれております。
夜になると次女の宿題を見守ったり、長女のスマホのラインを覗き見したり、パパさんとニュースをみながら、せちがらい世の中っすねえ・・と相槌を打ってくれたりしています。
こうしてリビングで1人パソコンを打っているときもなんとなくほんわかの気分を届けてくれています。くまいちもいままでよりは少し静かなお母様との時間を楽しんだり、はたまたふみさまやお孫さまがドタドタいらっしゃる日(笑)なんかは一緒にそのにぎやかな優しい時間を満喫されることでしょう。


母の日
私は次女を連れて父の命日が15日なので少し前だおしでしたがお墓参りに行ってきました。足の悪い母にとって孫と一緒のお墓参り。よい母の日だったと思います。お墓と仏壇にそなえるお花とともに母には黄色のゼラニウムの仲間の鉢植えを買ってプレゼントしました。
照れ臭いので「この花はばあちゃんにね~」と、手渡しせずに玄関の靴箱の上に置いてきました。ふふ。
私自身の母の日はといえば、墓参りに帰りに『ケンタッ〇ーフライドチキンのサービスパックを買い求め」ひじきご飯と野菜スープだけ仕込んだあとは半日好きな読書に没頭。夜はチキンにかぶりつく元気な家族の顔をながめ、『何よりの母の日』だと。満足しておりました。
「お母さん、いつもありがとう」なんて言われちゃったら照れ臭くてひっくりかえりそうだし、いつも母業は中途半端で、まだまだ半人前の事しかできてない気がしている私にとってはそれで充分でございます。
「今日は母の日なんだよ~なんにもないの~?」なんてわざと言ったりしてね。それくらいがちょうどいい。

なんて感じのことをコメントさせていただこうと張りきって打ちこんだのをいざアップするのにうっかり失敗しちゃってガックシ。また週末にゆっくりコメントさせていただこうと過ごしておりました。

が、

ななナント、後日談がありまして、一昨日夜学校の部活からいつもより早めに帰ってきた長女が「今日は早くおわったから、やっとかえた~これ、2人から~」と次女と2人で、おいしいブランドチョコトリュフの詰め合わせとちいさいテーブル花をプレゼントしてくれました。

え~~~!!

幼稚園の頃のお母さんの似顔絵以来のプレゼント
ウルル・・・。なんてこと。
なんだかんだ言ってやはりじわっと嬉しいものですね。
きれいなチョコの空き箱はああ、捨てられそうもありません。

投稿: | 2014年5月17日 (土) 14時50分

あ、ななしのごんべさんになってしまった↑のコメント。おきょうさんからでした。いつもまとまりなく無駄に長くてすんません・・

投稿: おきょうさん | 2014年5月17日 (土) 14時52分

とんばぁば さん

お嫁さんからの花の贈りもの。
それは、わたしには経験できないと思いながら、
たのしく拝読。

わたしは、はは(夫の母)に、
ことし、カーネーションの柄のタオルを
贈りました。
ははは、華やかなものが好きなので、
ははのものを選ぶとき、うかれます。
自分では踏みこめない
花柄の世界、華やかな色の桃源に
遊ぶのです。
それがたのしくて。


投稿: ふみ虫 | 2014年5月18日 (日) 08時55分

寧楽 さん

そうなんだと、思います。
さみしさと気楽さをバランスよく……、
母は受けとめはじめていると、思え、ます。

母を観察して、
そのことが、わたしにも、やっと……、
わかったのです。
やっとです。
その気づきと観察の日日は、
わたしには大きな学びでした。

それを、
寧楽さんはさらりと書いてくださって。
すごいや。

投稿: ふみ虫 | 2014年5月18日 (日) 09時06分

おきょうさん さん

ものがたりを読むように、
読みました。
やさしい読後感に包まれております。
ちょっと涙ぐんでおります。

子どもたちの、何かしたいという気持ちは
受けとめたいですね。
実現しても、しなくても。

投稿: ふみ虫 | 2014年5月18日 (日) 09時21分

ふみこさまこんにちわ。やっとパソコンを立ち上げました。。
先週の母の日、成人した息子も高校2年の娘も忙しくしていたので、
何気なくオレンジのカーネーションを自分ともう35年前に他界した
母のために買い求め、むふふと自己満足にひたっていました。

ふみこさまと同じ色のカーネーション!

ふふふとまた笑みがこぼれました。楽しみは自分で作り出すものなのですねえ。うれしかったです。

投稿: 浦安人 | 2014年5月18日 (日) 09時53分

浦安人 さん

たのしみは、自分でつくり出すもの。
そうか、そうですね。

そして、気づくことですね。ね。

投稿: ふみ虫 | 2014年5月18日 (日) 16時53分

こんにちは、ふみこさん、みなさま。

母の日…今年は当日まで忘れておりました・・・。
あまりに毎日がバタバタで、息子との娘のパワーに驚きの日々です。
でも、元気なことは嬉しいことです。

いつも家族一人一人の誕生日にはみんなでお祝いをするのですが
先月は母の誕生日があり、母の好きな絵本作家さんの本をプレゼントしたり、歌を歌ったりしたのですが、
母の日は、うっかりしていました。
ダメですね。
ありがとうの言葉を、いつもより
大切に伝えようと思います。

ふみこさんのお話、すごく心に残りました。
なんともいえない心がじんわりと…。
優しい娘さんのお気持ちとお母様の気持ち…。
そして、私からもふみこさんにカーネーションを送らせでいただきたいくらいです。いつもありがとうございます。
本当に…。


投稿: みゅー | 2014年5月19日 (月) 13時22分

「ひとは、本気になるほど、孤独になるのよ」

母と同い年の友だちが私に言ってくれた言葉です。

ちょうど、フリーランスで始めた仕事で「洗礼」を受け、
これが現実の厳しさか…と思ったときに、
この言葉を投げかけてくれました。

画家のパートナーとして、母国ではない土地で
何十年も生き抜いてきた彼女の言葉には
重みがありました。
同時に、そのときの私の気持ちを
とても軽くしてくれました。

孤独を感じることは、本気になるサイン、
とも言えると思っています。

「孤独」の自分を、大切にいつくしむ。
それは、これまでとはまた違う、
ゆるぎない何かが現れる兆しなのでは、と。

もちろん、見守る相棒やチームメイト(たとえば家族)の存在が、
自分の「孤独」に責任をもって臨むことを
後押ししてくれるのですが……。

年齢を重ねたからか、
「孤独」が、「さみしい」とは
また違う響きをもって聞こえるのです。

愛嬌があって面倒見のいい、
くまいちくんというパートナーを得て、
お母さまは、新しい「孤独」をいつくしみ
始めていらっしゃるはず。

それが、お母さまのさらなる開拓のサインだと思うと、
見守る私も、何だかワクワクしてきます。

ちなみに、我が家の母の日は、
家族に電話をかけまくり、の一日でした。
今の私たちには、双方の母に、
自分の声で「ありがとう」を伝えることが
日頃思いを伝えられる一番のプレゼント、なので……。

投稿: KZのツマ | 2014年5月19日 (月) 17時46分

みゅーさん

カーネーション、ありがとう。
ありがとうございます。
うれしいなあ。

「母の日」をうっかり忘れてしまうこと。
「子」としたら、「ぎゃっ」ですが、
「母」の立場では、子の生活の忙しなさ、
あるいは充実を考えます。
ああ、日のめぐりは、
いろいろのことをおしえるなあ。

投稿: ふみ虫 | 2014年5月20日 (火) 06時57分

KZのツマ さん

KZのツマさんのおたよりのおかげで、
「孤独」をめざして生きてゆくことを
自分のなかに納めなおすことができました。

サンキュ。
サンキュ。

そうして、
特別うれしいことがあったときに
飲むことにしている高井戸の珈琲店の、
珈琲を淹れて、飲みましたとさ。

投稿: ふみ虫 | 2014年5月20日 (火) 07時08分

カギの状態まで検品されていなかったのが残念です。
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青錆がありました
大きめトートで、しっかりしたお品でお手頃価格だと思いましたが、チャームの中のカギに青錆がびっしりでしたので、閉められないと思います。
発送は早くてよかったのに残念です。
ウブロ ゼブラ スーパーコピー https://www.2bcopy.com/product/product-11117.html

投稿: ウブロ ゼブラ スーパーコピー | 2020年10月 8日 (木) 01時44分

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