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2014年6月24日 (火)

最近考えていること

 びゅん、と近くで音がした。
 ひとがものを力一杯投げるときの音に似ているな、と思ったら、やっぱりそうだった。
 びゅん、の主はすぐみつかった。今し方わたしとすれちがい、後方を行く、30代とおぼしき女性が振りかぶって何かを投げるのが見えた。身なりのいい、きれいな女(ひと)だった。
 ―ん、何を(どこに向かって)投げたのだろう。
 すると今度はわたしの前を歩く、同じ制服に身を包んだ若い3、4人の輪が乱れた。「きゃっ」という、小さな叫び声。輪のなかのひとりが身をかがめ、何かを拾い上げた。
10円玉だわ。誰が投げたのだろう」
 そう云ってきょろきょろしている。
 びゅんの女(ひと)は、投げる姿勢からなおって、制服の輪を睨みつけている。
 どうやらこういうことらしい。
 すれちがいざま、そのひとと、制服の女性たちの肩だか腕だかがぶつかった。制服の女性たちがそれに気づかず、つまり挨拶もなく歩み去ったのを、びゅんの女(ひと)は許せなかった。持っていたバッグから財布を出して……、10円硬貨を投げた……。

 びゅんという音が耳を離れなかった。

 それが、ひとがひとに向けてものを投げた音だったことに、かすかに傷つきながら、わたしは「異常」ということばをごくりと飲みこむ。いやいや、ひとは条件さえあつまれば、あるいは何かのはずみで、びゅんとやってしまいかねないということを前提に考えなければ、と思ったのである。

 ひととひとのあいだの線引きがきっちりとしていて、侵犯を許さないいまの有り様(よう)が身にこたえる。

 ―もう少しゆるく、いい加減に、この世が編まれていたらいいのに!
 最近わたしは、そんなことばかり考えている。
 ―
ゆるめるには、どうしたらいいのか。
 いまよりちょっと寛大になることかな。自分に対しても他者に対しても。そうすれば、ずっとわたしたちは生きやすくなるような気がする。

Photo

近所の友だちが、木いちごの株を分けてくれました。
「もらってくれる?」
と云われたとき、ぽーっとなりました。
うれしくて。
大事に育てていて、昨年は3粒実ったのだそうです。
30メートルほどの引っ越しですが、
木いちごとしたら、そうとうの距離ということになりましょうか。
陽当たりのいい場所に植えたくて、
敷石をはずして(夫)、深く土を耕して植えました。
植えてからまた、敷石を敷きました。
実がなったら、お知らせします。

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「日記」カテゴリの記事

コメント

寧楽 さん

ことばのおねだりをしてしまいました。
ありがとうございます。
(申しわけないことでした)。

ひとのふり見て我がふり直せ。
忘れかけていたことばでした。
ひとのふりを守りたい……。
自分のふりを救いたい(許してもらう)……。
そうしながら、ゆるやかにゆきたいと
つくづく思う今朝でした。

感謝をこめて。
ふみ虫より

投稿: ふみ虫 | 2014年7月 1日 (火) 07時04分

ふみ虫さま

肩にあたったとき
ごめんなさいの言葉が
あれば
びゅんというのもなかったかな

人のふり見て我がふり直せと
優しい気持ちで接していきたいと
おもいます。

投稿: 寧楽 | 2014年6月30日 (月) 20時37分

もも(^-^) さん

ありがとう、ありがとう。

「他人事」ということばに、
宿題をもらっちゃったな、と思いました。

そのことも、
ありがとう、ありがとう。

投稿: ふみ虫 | 2014年6月30日 (月) 16時24分

ふんちゃん

 ここではね…、
 あるエピソードを書いたとして、そこに出てきた登場人物、それぞれの立場からものを見てくださる人がたくさんなので、安心して、いろんなことが思い切って書けるのです。

 今回のエピソードのように、フト読むと、あららひどいお人だわ…と思うようなことでも、そのお人にも何かがあるのかもしれないよって、
 そんな風に、いつも、違った角度から、違った立場ならどうなってるか…とか…、決めつけない空気があるから、
 ふんちゃんの場所が大好きです。

 目の前のお人のことは、他人事じゃない…、私もそう思います。

 

投稿: もも(^-^) | 2014年6月30日 (月) 15時03分

えぞももんが さん

7粒!

おお豊作!
木いちごと励まし合って、
この夏をゆこう。
と、思います。

投稿: ふみ虫 | 2014年6月30日 (月) 10時10分

な こ さん

ああ、ずいぶん前に書いたはなしですが、
そんなふうに云っていただき、
ありがたいことです。

あんなふうな「創作」をまたしてみようかなあと
思ったりしています。
小学校2年生の王子さまがたたききゅうりをつくるのも、
六割の力できゅうりをたたくところも、
ほんとうに なこさん、素晴らしい!


投稿: ふみ虫 | 2014年6月30日 (月) 10時08分

通りすがり さん

「見ず知らずの女性の行いが、
そのひとが知らぬ間に、この場でいろいろと論じられている」
状況をつくったのは、わたしです。
それについてはお詫びしなければなりません。

が、自分のなかに、このようなことを起こしかねない
ものが「常に」在るのだということを
忘れたくなかったもので。

投稿: ふみ虫 | 2014年6月30日 (月) 10時02分

寧楽 さん

寧楽さんの書いてくださったことは、
もっともです。
もっともなのですが、
そうならない「条件」「状態」「状況」は
あります。

そんな「条件」「状態」「状況」を
寧楽さんは、これまでたくさん見守ったり、
許したり、救ったりしてきたことだと思います。
だからこそ、
ほんとうはね、寧楽さん、
寧楽さんから「罰当たりな」ということばを
受けとるのは辛い。

そうではなくて、もっと、
寧楽さんならではのことばを……できたら、ここへ
お願いします。


投稿: ふみ虫 | 2014年6月30日 (月) 09時55分

もも(^-^) さん

「びゅん」のひとが糾弾される対象ではない、
「そうではなくて……」ということを前提として、
ここに、このはなしを書きました。

たとえば(いきなり話は飛ぶのですが)、
子どもの虐待の問題でも、同じだと思えます。
ある条件があつまれば、誰でもそうしかねない。
そのことはやはり前提として持っていなければならない、と。

ももちゃんが書いてくださったように、
大人でも、子どもでも。

ところで。
投げた硬貨は、ひとに当たりました。
当たったひとが、きょとんとしていたところに、
またもの思わされました。……とさ。


投稿: ふみ虫 | 2014年6月30日 (月) 09時48分

ふみこさん  おはようございます

10円玉をビュンと投げた 女性。
いま そういう気持ちの中で暮らしているのですね。
何を悩んでいるのかわわからないけれど
いろんなことが上手くいかなくて
何かにイライラして その理由も、もしかして
自分ではちゃんと分かっているけれど 誰かのせいにしたくなっている。

でも 肩が触っただけの人に
10年玉を ビュンと投げては いけないなぁ・・・。

ふみこさんのところの 引越してきた木イチゴを見たら
10円玉の女性も 肩の力が す~~っと抜けるのに。

今年は 7粒!! 予想してみました。
ふみこさん 今週もありがとうございます。

投稿: えぞももんが | 2014年6月29日 (日) 05時43分

ふんちゃん、こんばんは!
こちらは、降ったり薄日が射したりの蒸し暑い日でした。体調などおかわりありませんか?どうかご自愛くださいね。
先週末ちちははを訪れるとき、ふんちゃんのお返事に励まされ(田植えの後方支援、「ロールキャベツ」と「ひじきの煮物」)畑のピーマンの肉詰めを作りお昼の一品に持って行きました。(ちちは麻痺と塩分制限があるので、焼いてから薄味のトマトソースで柔らかく煮込みました。)
気持ちは、工夫次第でいろいろな形で込められるんですね。わたしもかたちにとらわれずにこれからもできるかぎりのことをしていこうと思います。


突然ですが、ふんちゃんの本のなかにある「すりこぎと菜切り」というお話。わたしにとってお守りのような存在で、何かにつけて開いて読みます。ふんちゃんの、なんともすてきなおばあさま、「徳子さん」の「ひとは、許したり、許されたり」「…許しながら、自分の何かを許してもらってたのよ…」ということばが、読むたびにこころに刻まれます。
そして、許したり、許されたりを、おばあさまのように、「線のむこうとこちらに分けたりせずに笑っていられたらいいのに。」というふんちゃんのことばに、ほんとにそうだなあ、とわが身を反省し、まずは自分が謙虚に、寛大に、おおらかに(気にしすぎ・過敏の傾向あり、なもので(^_^;))ならないといけないな、と思うのです。いろんなひとがいて、世の中も変化してきているけれど、「徳子さん」のようにひとと接することができたらいいな、と思います。

ところで…。このお話の最後にある「たたききゅうり」、簡単で美味しくて大好きです。現在調理?担当は主に息子(小2)です。「すりこぎと菜切り」は、こどもたちにもよく読み聞かせて来たので、息子は、ふんちゃんの台詞を覚えていて、「六割。」(きゅうりを叩くときの力加減のはなしです)と、たまに呟きながら叩いてます(笑)。それと、「徳子さん」の教えを受け継いで、台所仕事を手伝ってくれるとき、こどもたちは刃物を注意深く扱い、出しっぱなしにせず、すぐにしまうようになりました。

投稿: な こ | 2014年6月28日 (土) 23時37分

”びゅん”の女性の気持ちが、置いてけぼりになりませんように。

見ず知らずの女性の行いが、そのひとが知らぬ間に、この場でいろいろと論じられていることに、すこしだけ怖さを感じてしまったのは私だけでしょうか?

けっして良い行いでは無かったとは思いますが、
その女性の心のいろんな想いにも、気持ちを向けられるような、
そんなおおらかさも持ちたいなと。

自戒を込めて思ったのであります。

投稿: 通りすがり | 2014年6月28日 (土) 11時45分

ふみ虫さま

なんて、罰当たりな!
小さいとき、教えられてないのかな?!

お賽銭も投げるの
憚られるのに…

本棚の整理してるとき
落としてしまった本を
あやまって踏んでしまったとき

ごめん、ごめんとその本に(笑)

そちらの大雨、大丈夫ですか?


投稿: 寧楽 | 2014年6月28日 (土) 08時18分

ふんちゃん

 「びゅん」 すごいですね…。
 びっくりしました。 実際に誰かに当たらなくってよかったです。
 投げた人だって、実際に誰かに当たってしまったら…、きっと困ってしまったと思います(思いたいです)。

 ちょっと独特な発達の仕方をしている子どもたちと一緒にいると、
 不安や緊張があまりにも強くなりすぎて、ちょっとしたことに「怒り」で表現してしまうという場面に、時々遭遇します。

 これって、もしかすると、大人もそうなのかなぁって思ったりして見ていました。大人だって不安や緊張がパンパンになったら…、破裂しそうになって、ほんのささいな(と、いつもは思えるような)ことにでも、爆発しちゃいますよね…。
 
 自分のことも大事にすること…、
 ここで気づかせてもらったことです。
 このことの延長に、「誰かを大事にできるように…」ということがあるといいなぁと思います。
 自分のことだけを考えるのではなくって…。
 
 そしてね…、私も落ち度が満載だから、あまり揉めません。これは、これでステキなところって思えてきました(^。^)

投稿: もも(^-^) | 2014年6月28日 (土) 05時36分

佐々木広治 さん

ちょっと、めずらしいひと
(自分とのちがいにおいて)を
見てしまったと感じました。

自分はあまりに「落ち度」の多い存在なので、
ひとに文句を云いにくい。
ぶつかられたくらいでは、とてもじゃないですが、
怒ったりはできないというわけです。
でも、「落ち度」のおかげで、
あんまり揉めたりはしないような気もするんです。

なんてね、みずから落ち度擁護しちゃった……!

投稿: ふみ虫 | 2014年6月27日 (金) 11時25分

ふんちゃん。

木いちご。
いちごちゃんを連想しました。

十円玉は、おなじく銭形平次を連想しました。

ぶつかられても、でもそれはその方がぶつかったということでもあるんですよね。
被害者意識を持つか持たないか。
被害者権?を奪取できた、だから加害者を攻撃していいのか。

ちょっとした余裕があるかないか。

投稿: 佐々木広治 | 2014年6月27日 (金) 10時40分

ささこ さん

台所を預かるひとは、
包丁の大切さおそろしさが身に沁みていますね。
(という、変な感想を申して、ごめんなさい)。
包丁系統の事件が起こるたび、
台所で料理をさせてあげたかった、
そうすりゃ、こんなことに包丁を使ったりしなくてすんだのに。
と、思うんです。
(こんな感想を長長書いて、ごめんなさい)。

さて、ほんとうにいいおはなし。
好きなはなしです。
おばあさまの怒りが、どれほどの沸騰であったか、
なんだかわかるような気がしますもの。

投稿: ふみ虫 | 2014年6月27日 (金) 07時31分

テレジア さん

「一粒の麦、地に落ちて死なずば、
唯一つにて在らん、もし死なば、
多くの実を結ぶべし」
(ヨハネ伝12章24節)

を、くっと思い浮かべました、なぜか。
自分のことばかりではだめなんだと
考えたからかもしれません。
でも、すべては「個」にはじまり、
「個」がつぶれてしまうような社会の有り様には
反対を唱えなければ。とも思っています。

木いちごね、
肥料は鶏糞をどっさり施しましたが、
そうですよね、敷石が迫り過ぎているかしら。


投稿: ふみ虫 | 2014年6月27日 (金) 07時27分

どりす さん

おはよう!ございます。

どりすさん、かっこいいー。
いや、ほんとうにすごいです。
スニーカーのはなしです。

おんなじ「びゅん」でも、
かっこいいのもあるなあ。
どりすさんのや、銭形平次や。

どりすさんの、
「ピンピン張ってたらそのうち切れちゃうよ」に賛成!
いまの世は、厳格になり過ぎて……ええと、
そうだ、小うるさい!
ひとを擁護したり、許したり。
そういうことも学ばなければ。と、思います。

投稿: ふみ虫 | 2014年6月27日 (金) 07時03分

ゆっきー さん

そうだったのですか。

でも、観るべきものは観ているし、
行くべきところへは行っているんだと、
信じましょ。
機会を逃してばかりのわたしだけれど、
そこかでそれを信じてもいて。

そして、外に出かけるときには、
こんな自分だけど、こんな自分のまま、
行かせてもらいます、通らせてくださいと、
頼み頼み(念じ念じ)すすみます。

お札(お守り)は、笑顔。
それのみ。

あはは、ちょっと情けないはなし、しました。

投稿: ふみ虫 | 2014年6月27日 (金) 05時51分

ふみこさま、みなさま、こんにちは。

投げる人、ということで思い出したのは、父が子どもの頃、祖母に豆腐を投げられた、という話です。
かなりのきかん坊だった父はよく祖母に怒られていたそうなのですが、ある日なにで怒らせたのだか、味噌汁を作っている祖母のところから豆腐が飛んで来たのだそうです。
手にあった豆腐をとっさに…、ということは、たぶん、もう片方の手で包丁を握りしめていたのしょうから、そちらが飛んでこなくて本当によかったね、と、いつも笑いながら話しています。

木いちご、楽しみですね。
食べきれないくらいたくさん実がなったら、ジャムにしてみようかな…、とか、余ったぶんは鳥におすそわけ…、なんて妄想するのも楽しいのですけど、ほんの少しだけついた貴重な実を、ちょっと暑い日に、誰にも内緒でつまんだりするのも、これまた最高に美味しいのではないでしょうかー。

投稿: ささこ | 2014年6月26日 (木) 15時42分

ふみこさま、この木いちごさん 肥料はいらないのですか?肥料をいれるのだったら、もう少し土の部分を広げてあったほうがいいかもしれませんね。

 寛大。わかります。自分にしかベクトルが向いていないと、優しくなれないし、寛大でもいられない。
 私は中高カトリック校で育ちました。卒業して受洗してカトリック信者になったのですが、その中で「人は弱さや傾きがある。だから、それを意識しておきなさい」みたいなことを その都度教えられました。

 自分が弱いものであること、それを意識することは 難しいのですけれど、意識して漸く 人に対しても寛大でいられるような気がします。
 感情的にならないようにする。今年の復活節のときに私が自分で定めた目標です。復活祭が終わった今もそれは目標として掲げています。そうでもしなければ、寛大にはなれないような気がしています。

 注 復活祭はカトリックでキリストが復活したことを祝う日。
復活節は復活祭40日前からの準備期間。

投稿: テレジア | 2014年6月26日 (木) 15時19分

お返事を読んでめそめそしたら元気が出てきました。
ふんちゃん(そんな気分です笑)ありがとうございます。

この前の日曜日に何ヶ月も前からチケットをとって(抽選でやっと当たった)楽しみにしていた舞台に行くことが出来ませんでした。
体調がわるくなりあーーまたか。。。とがっかりして落ち込んだものの少しホッとしている自分もいて。
そうだった「外に遊びに行く」のではなく「外に学びに行く」と
考えればいいのですね。学ぶのだから色々あってもいいわけですし。

いつも気づかせてくれてありがとうございます。次こそ行くぞ!!

投稿: ゆっきー | 2014年6月26日 (木) 13時51分

もうすこしゆるめたら・・・
私も最近、ちらちら思っています。
自分自身だけのことではなく、目にしたいろんなことを。
ピンピン張ってたら、そのうち切れちゃうよ・・・
10円投げ女性も、ピンピン張った日常なのかなぁ。
息切れするような時間を過ごしているのなら
何かのきっかけで、深呼吸できたら良いのになぁ、と
またおせっかいがムクムク。
そういえば、まだ恐いもの知らずだった頃、元町の繁華街で
女の子が変なお兄さんに絡まれていたのに遭遇した時、
スニーカーをぬいで、それこそ「びゅん」と投げ、
大声で「誰か警察にー!」と叫んだことがあります。
無事解決しましたが、向こう見ずすぎると、言われました^^;

 ふんちゃん、先週のこと(義務だなんて)おかあさんに内緒に
してくれてありがとうございます、ほんと馬鹿者だぁ。

投稿: どりす | 2014年6月26日 (木) 12時41分

みーこ さん

大きく出てくださって、
ありがとうございます。
そういうふうに励ましていただくと、俄然、
元気になります。

生きることのかなしみを、忘れないでいたいと
わたしはそのあたりを心棒にしています
(大きく出ました)。
それを知っていれば、
勝ち負けも、損得も、
捉え方がまったく(まったくです)変わってくると
思うのです。

投稿: ふみ虫 | 2014年6月26日 (木) 08時46分

ゆっきー さん

よくわかります。

わたしもそうです。
できたら、ずっと家にいたいなあと
考えがちです。
(この職業を選んだのも、それが起点かな)。

でも、外に出ると、
すごく勉強になるんだということも、
わたしたち(ゆっきーさんもわたし)は知っています。
勇気を出して、外に学びに行こうぜ!

投稿: ふみ虫 | 2014年6月26日 (木) 08時42分

のり さん

疲れていたのでしょうね。
ますます、疲れることしちゃったなーという感じです。ね。

投げたものは、自分の頭の上に降ってくる。
自分が「与える」ものが「受けとる」ものだという
気がしているんです。

未完成。
ほんとにそうですね。
未完成のやわらかさ、うつくしさも、
ありますね。

投稿: ふみ虫 | 2014年6月26日 (木) 08時39分

KZのツマ さん

そうとうに、うれしいです。
気分的にくたびれると、
それを救ってくれるのが、
2時間サスペンスドラマだったりします。

こんなに始終事件が起きるなんてね……と、
なぜか観ている自分が頭を掻き掻き、
でも、真面目に観ています。
台詞のなかに、じつにいいのがあって、
ついこのあいだも「野際陽子」の
(温泉旅館立て直しの、あれね)台詞を
帖面に書きとりました。

投稿: ふみ虫 | 2014年6月26日 (木) 04時35分

ふみこさま

びゅんの女(ひと)は何かいらいらとした思いを抱えていたのでしょうか?
それとも、私にぶつかっておいて!というような傲りがあるのでしょうか?
どちらにしても、当たるように物を投げ(この時は10円玉ですが)るという行為は、ぶつかったにも関わらず、謝らないばかりか気付きもしないことへの警告と仕返しなのでしょうね。
近頃、損か得かそんな価値観が生きていくための必須アイテムになってきている気がします。
私もあなたもというより、私がいかにして……ということの方が大切で、
情報や知識をたくさんもち、うまく生きていく。そんなことがとても大切だと。
けれど、どんなに最新の機器を駆使しても、そこから得られるものは与えられるもので、操作すれば(そんなことは決してないと信じますが)みんな同じ価値観をもち、損得を計る基準も同じになる。与えられるものというのはそういうことだと思うのです。
私たちって一人一人が違う、価値観も感じ方も、だから、最後には人と人とがつながって作り出すパワーと希望が社会を支えるのです。(大きく出ました)
私が嫌なことはあなたもいやかもしれないね……
いつも心を馳せたいなあと思います。
でも、それには心にゆとりをもたねばなりません。
どうして、ゆとりがもてないんでしょ……
急がば廻れ、負けて勝て
雲の隙間、空は青いし、頬を過ぎる風は気持ちいいし、夏の気配がいっぱいです。

投稿: みーこ | 2014年6月25日 (水) 12時47分

ふみこさん、こんにちは。

私がふみこさんだったらきっとドキドキが止まらなくて急いで家に帰って、仕事から帰ってきた夫にしょんぼりとした顔で話を聞いてもらうことになるのかなと思いました。その方もとても辛いことがあったのかもしれないけれど。。。

外に出掛ける時に私がいつも思ってることは(過去の経験からの影響もあってか)「見たくない場面に遭遇しなければいいな」ということ。
なんて消極的な考え方とお思いになるかもしれませんが、そういう場面にであうたびにいつまでも引きずってやり場のない気持ちをどうしたらいいものかと途方にくれてしまいます。
そんなことを考えているから出かけることに緊張するのかもしれません。
なんでもかんでも抱え込むのは私のわるい癖。もっとおおらかに寛大に物事をとらえられると生きやすく暮らしやすくなるのでしょうね。

私に出来ることを一つ一つ落ち着いてやっていきたいと思います。

投稿: ゆっきー | 2014年6月25日 (水) 12時45分

ふみこさま。こんにちは、のりです。

【10円ピッチャーさん】そのあと、どうしたんでしょうね。
綺麗なお姉さんだったんですよね。
何となく、私なら、踵を返しさっそうと歩きつつ号泣しちゃうかな。
他人を許せず、もっともっと自分の事が許せずに。
疲れてたんですよ、きっと。
10円を投げることしか思い浮かばないくらいに。

今、まさに今。この世界に存在する全ての存在は未完成なんじゃないかなぁ〜と、
私の感じ方の基本です。

私もあなたも、あなたも、あなたも同じこれからの人。って思うと
編目が少しほどけて、ゆるんだすき間を見上げると、いつもみんなに平等にある
空や雲が見えてきそうです。あっ、今。「ホーホケキョ」も届きましたよ。

投稿: のり | 2014年6月25日 (水) 09時57分

ふみこ先生

我が家は2時間サスペンスのちょっとしたマニアです。
もともとは、私が大好きで。

結婚して初めの頃は、休日の家事の合間に、
「ながら見」をしてたのですが、
そのうち、録画するようになって、
その録画を一緒に見ていたら、KZもはまってしまって……
今では、プロレスと同じくらい大切な
我が家の息抜きのおともです。

サスペンスなのに"安心して"見られるあの2時間は、
笑いあり、涙あり、自分で推理(犯人の予想)もできて、
日本各地の観光とグルメまで味わえて(自宅で)、
至福のとき、です。

たぶんすべての局の大体のシリーズは把握していて、
再放送でかなりカバーしつつ、
春や秋に最新作が放送されるとなると、
うちでは、かなり盛り上がります。

やっぱり、単純です。

そういった息抜きを大事に、

少しずつ成長してるでしょう?

とふみこ先生にちょっと胸をはれるように、
毎日を進んでいきたいです。

投稿: KZのツマ | 2014年6月25日 (水) 09時55分

おまき さん

見てきたことを夫に話したら、
「銭形平次!」
と云いました。

それで溜飲がさがったのでしたが、
銭形平次は「いっしょにしないでくれ」と
思うでしょうね。

ともかく、
王子とおまきさんは、かっこいいです。
今朝、三女に同じことを云って聞かせたのでした。
女子高校生って、どこか傍若無人なんですもの!

投稿: ふみ虫 | 2014年6月25日 (水) 09時53分

何度も失礼します。

「銭形平次がいたよ!」

……って言えたらいいと思うけど、まだ……私には宿題ですね……

投稿: おまき | 2014年6月25日 (水) 09時24分

おまき さん

王子さまは、
いいことをおそわりましたね。
出合っていたかもしれない困難を
いくつもいくつも避けてこられたことだと
思います。

「……ということがわかっていけない人生」も
人生なんですよね。
おまきさんが云われるように
それはそうとうさびしいものですが、いつか……、
いつか、わかりそうな瞬間が訪れるかもしれません。
という具合に人生の宿題は在るのだ、と思います。

わかりそうな瞬間を重ねながら、
わたしも人生の宿題にとり組んでいます。
ほんと、やっとのことで。

投稿: ふみ虫 | 2014年6月25日 (水) 07時50分

KZのツマ さん

「単純です」
というところに、うっとりしました。
わたしも、そんなふうに生きたい。

(それから2時間サスペンスがお好きなの?
おふたりとも? わたしもなぜかひどく好きなのです)。

線引きは必要でもあるのですが、
そこに立っている塀が高過ぎるように
思えてなりません。
ことに、そんな高い塀のなかに子どもの暮らしが
あるかと思うと、ね。
「もっとゆるく、呑気に子育てしていいのに」
と、思ってしまうんです。

自分がそんなふうに存在していればいいかな。
(少しずつ成長してるでしょう?)。


投稿: ふみ虫 | 2014年6月25日 (水) 07時42分

ふみこさま、みなさま。

ぶつかった方が、何人かの集団。
10円玉を投げたほうはひとり。
ということの暴力の力加減。

集団には10円玉の力が必要だったのかもしれない。
しかしお金を投げるという、恐ろしさ。
しかし小さくても集団になるとそれだけでなにか強さが、生まれる。
勝ったとか負けたとか、すぐに考えてしまう余裕のなさ。


また息子の話になってしまいますが、
「近くにいた誰かが、イタイと言ったら、とりあえずゴメンナサイと言いなさい。
あなたのせいではなかったら、ダイジョウブと言われるだろうし、
もしあなたのせいだったとしても、ダイジョウブと言われるから」
と教えました。

自分が誰かにぶつかったという自覚がないまま、「ゴメンナサイ」「あ、すみません!」と言える事が身についたことで、
もしかしたら出会っていたかもしれない困難から、避けてこれたのではないかと思っています。

心なんか込めなくても、ほんの一言であなたも周りも守られるんだよ。
で、そのうち心も込められて、人にやさしくすることを知っていくんだよ。

ということが、わかっていけない人生は、さびしいと思います。

投稿: おまき | 2014年6月24日 (火) 20時13分

ふみこ先生

すっかりご無沙汰してしまっていました。
相棒KZの一喜一憂の「憂」の方の出来事があり、
付き合って、録画してためておいた2時間サスペンスを見たり
同じくためておいた、プロレスの試合を見まくったり、、、
で忙しくしておりました(笑)
おかげさまで、二人の足取りは軽くなりました。
単純です。

自分も、どちらかというと
人とは一定の距離があった方が気持ちが楽なのですが、
最近は、人と人との間の見えない境界が
いっそうしっかり引かれているように思います。
その境界線に踏み込むことは許されないかのように。

先日、電車の中で、相手の物が少し体に触れたことに対して
とげとげしい態度を見せる、ふわふわの服をまとった女性を見たとき
いったい、彼女には何があったんだろう…
と思うと同時に、自分なりの境界線を引いてしまっている私だって
そんな態度を示してしまう可能性はいくらでもあるにちがいない…と
他人事にも思えませんでした。

相手の境界線をゆるめるには、
自分の境界線もまたゆるめなくては…。

そうそう、ご無沙汰している間にまたひとつ歳を重ねました。

未知なるもの、大歓迎。
喜びも悲しみも驚きも、未知なるものを
大いに待ちかまえようではないか

と思えるようになりました。

少しずつ成長してるでしょう?

投稿: KZのツマ | 2014年6月24日 (火) 17時09分

あすちるべ さん

町を歩くとき、
家家の塀の高くなっていることに、
おののきます。
石塀、垣根の丈の高さではなくて……、
「ここから関係者以外立ち入り禁止」という、
心理的な「「高さ」です。

だから、
あすちるべさんの青じそ、
うちの青じそを、
誰かが摘みにきてくれたらいいのに。
「摘ませてください」とか、
「青じそありますか?」と云われたいなあ、ってね。
思いません?

投稿: ふみ虫 | 2014年6月24日 (火) 17時02分

ふみこさま こんにちは

学校の帰り道、横に広がってワイワイとしゃべっては、時々、注意されていました。いま、通学路のそばに住んでいます。今になって、確かに、あれは迷惑だっただろうとおもいます。あの時、物が飛んでこなくて良かったです。本当にあの時はごめんなさい…です。
私の頃のように注意をしてくれる人が少なくなったこともそうですが、みんな他人に無関心になって、無関心がたまって爆発してしまったのかなぁ…。投げた人も、何かいろいろあったんでしょうね。彼女の心が静まりますように。
今の時代、余裕ってなくなってきている気がします。本当に「もう少しゆるく、いい加減に、この世が編まれていたらいいのに!」と思います。そうして何事に対しても少しの畏れの心が必要かなって…。

今年初めて青じその種をまきました。大した世話をしているわけではないのに、そうめんの時に青じそがすぐに手に入るのがうれしいです。健気だなぁと水をやっています。木いちごも良い場所に植えてもらってうれしいですね。

投稿: あすちるべ | 2014年6月24日 (火) 16時43分

野生寄り さん

お家のなかでの「ゆっくり静かに、そして上品に」
いいなあ、素敵です。

まったく、それとは反対のわたし。
どかどか、びょんびょん足音をたてて歩くのだけでも、
慎もうと思います。

投稿: ふみ虫 | 2014年6月24日 (火) 15時53分

こんにちは

たとえば掃除機をかけるとき、部屋のここかしこにぶちあてて音をたてない、せわしくバタバタしない
家の中では外よりもちょっとゆっくり(お上品に)静かに動こう
ぴりぴり、かりかりはいやだなぁ
最近思っていることです

ほんとうにそうですね
もう少しゆるく、寛大に・・・そう思います

木いちご、いいですね
うちはジュンベリーに少しだけ実がつきました
実がなるものはとても幸せになれますね

投稿: 野生寄り | 2014年6月24日 (火) 15時18分

たまこ さん

はにかむこころからはっきり挨拶できない子どもや、
挨拶下手のひと、
それから……、
挨拶が大事と気がつく以前の自分を、
忘れないことも素敵だと思うんです。

挨拶の面倒な一面を知っていたことを
忘れてしまうのは、もったいないじゃありませんか。ね。

ばいばい、またね。


投稿: ふみ虫 | 2014年6月24日 (火) 14時05分

ゆるりんりん さん

あたらしい世界のはじまりですね。
なんて、清清しいこと。

幸いなことに、ゆるりんりんさんもわたしも、
ひとを信じることができ、
人生を肯定することができる。
そのことって、
すごい!と最近、思うんです。

血縁のことでは、
ある意味「契約」だからしくじれない、
慎重にゆこう、という気持ちが働きます。
親しくしよう、というより、
しくじらないようにしよう、と。
だから、早く子どもたちと、
気持ちのいいよそのひと同士になりたいと、
希いつづけてきたというわけです。

投稿: ふみ虫 | 2014年6月24日 (火) 14時01分

おきょうさん さん

その場でわたしも、凍りつきそうになったのです。
けれど、自分のなかに、
ことばを発することもなく、
ただ10円硬貨を投げるそのひとのことも
ちょっと思ってみなければ、と促すものがありました。

「どうしたどうした、いきなり大事なもの
投げたりしてさ。おいしいお茶でも飲む?」
というような(知らないひとをお茶に誘うことは
わたしにはできませんが。と、いうような、ね)気持ちを
灯すことは必要かな、と思ったのです。
糾弾するだけじゃ、だめなんじゃないか、と。

おきょうさん さん、今晩、コロッケ。
わたしは朝、鶏の胸肉をぶったたいて
(ごめんあそばせ)薄くのばし、
いんげんとにんじんを巻いて、煮たのを食べます。
それが食べたかったのじゃなく、ぶったたきたかったの。


投稿: ふみ虫 | 2014年6月24日 (火) 13時54分


こんにちは。
私の最近考えることは、あいさつです。

仕事ができたり、長年やっていれば
おざなりにしていいものじゃないですよね。


私はまだまだはっきり聞こえるように
心がけています。
仕事ができても挨拶が小さかったり
時には無視のように小さかったりすると
切なくなります。

やっぱり挨拶大事ですね

投稿: たまこ | 2014年6月24日 (火) 12時51分

ふみこ様

びゅんという音を聞きながら
これだったんだと思い当たりました。
わたしは生まれた時から
目に見えないびゅんびゅんが飛びかう所で育ちました。
成人して社会人になって結婚して
世の中はそんなにびゅんが飛んでるわけじゃないんだと
知った時の驚き。
世の中は想像しているよりも
うんと優しいものがあると知った時の
喜びよりもギャップにショックを受けたことを
思い出しました。

先週、ふみこさんの「家族のさじかげん」を読みました。
読み終えてパタンと閉じた音と一緒に
わたしの中のカチカチもポトンと落ちました。
「血がつながっていても心はつながらない」
全ての人がそうではないけれど、
わたしはあきらめるしかないこと。
そのことが痛かった。
でも
人には血縁という符号の他に
魂の縁(えにし)というもう一つの大切な符号があると
書かれているところを読んで、
一連の出来事からの自分へのメッセージが
見えたように思えました。
この度のわたしのあきらめは
ふみこさんの書かれておられる
「血より濃い水」があるということを学ぶ
スタートになっているんだなと。
それに気づくとこのつまづきが
進む道の途中のほんの一地点に見えてきました。
ここが終わりじゃない・・・
真っ暗だった所がいっぺんに光に満ちています。
血のつながりに執着しないで
魂の縁(えにし)に敏感になって
おおらかに生きて行こうと決めました。
血のつながりを越えた新しい世界が始まりました。
ふみこさん、この本を書いてくださって
ほんとうにありがとうございます。

投稿: ゆるりんりん | 2014年6月24日 (火) 11時18分

ふみさま~
こんにちは~~
先週は次女が中学に入学しましてはじめての中間試験。
リビングでドバ~~っとお店をひろげて猛勉強(嘘ですミニ勉強)
していたため、パソコンも、テレビもほとんどつけずに静かにくらしておりました。→別につけてもいいのですがそんな1週間をもつことが長女の時代から好きなんです。

やっと終わり今週からまた現代人の生活に戻りました。(笑)


物をなげての無言の注意もビックリですが

投げたものが「10円」という行為にもびっくりです。お金・・・大事です。10円君、かわいそう・・・。

相当イライラなさっていたのかもしれませんが、やはり言葉のコミュニケーションで注意をうながしてはと思います。
若い娘時代は輪になってかしましくおしゃべりもまた生活習慣みたいなものだからな~。

この広場にあつまるみなさんのような方々ばかりでこの世が編まれていたら、きっと日本は本当に心地よいでしょうね・・・

鳥の声も、雨の音もしっかり聴こえてくる気がします。近所で家を建てている工事音さえ心地よい人の歩みに聴こえそう。


イチゴ、豊作を祈ります。

我が家のちっちゃなマンション1階についている庭もどきにも
トマト茄子ができ始めました。

自然ってすごいな~次女と理科の植物の呼吸と光合成の仕組み、茎や葉の内部、断面図を勉強したばかりなので本当にすごさを感じますのよ(笑)

さて、これから弟が結婚し、1人暮らしが始まった母のところへ仕事前にちょっと顔出ししてきま~す。

母への気遣いではなく、たべきれないお米と今晩のおかずのコロッケをもらいにいく47歳になってもいまだ寄生娘でございます。

いってきま~す!!

投稿: おきょうさん | 2014年6月24日 (火) 11時09分

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