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2014年6月17日 (火)

親は大事にしなくていい

 週に二度ほど、実家の母のもとへ出かけるようにしている。
 わたしが母の顔を見、母がわたしの顔を見るのがいちばんの目的で、ちょっと話をし、その日できることを手伝って帰ってくる。
 先週は、土の上に芽を出した朝顔に支柱を立てた。
 今週は青じそとミニトマトの苗を植え、花壇に百日草を植えこんだ。
 こんなことをするのも、咲く花や結実を眺める母の顔が見たいからだ。
 なつかしい台所で、二品三品料理もする。
 きょうは、かぶとかぶの葉、鶏肉の煮ものと芙蓉蟹(フーヨーハイ/蟹玉)をこしらえた。そうそう、ゼリーもつくった。
「まあ、おいしそう」
 と母は驚いたような顔をするけれど、わたしは思う。
 ― どれもみんな、お母ちゃまに食べさせてもらっていたのを、おぼえてつくっているものですよ。
 芙蓉蟹は父の好物でもあったことを思いだし、小さな器に入れて甘酢あんをかけ、写真の前に供える。
 ― 老酒(ラオチュウ)は忘れました。あしからず。

 父が逝き、母がひとり暮らしになってから3か月が過ぎた。

 母は気を張りながらも、自らのゆっくりとしたペースで過ごしている。……ように、わたしには見える。
 3か月のなかで、わたしのなかにある決心が生まれている。
 母を大切にしようとは考えない、という決心である。
 これを思いきって(誤解を恐れず)ひとに告げ、冷酷と評されてもかまわないというのまで含めての決心だ。

 親は大事にしなくていい。

 できないことは、してはいけない(この表現は矛盾を抱えているが、ほかにことばがみつからない)。
 
 このふたつを、ときどき自らに確認している。

 脳が硬くなっているのか、こころもそうなのか、確認を怠(おこた)るとすぐとわたしは、母を徒(いたずら)に大事にしようとしたり、できないことを無理してしようとしたりする。そのたび、いやいやちがうと頭を振って、「親は大事にしなくていい」「できないことは、してはいけない」のだったと思い返している。

 自転車で、ところどころ立ち漕ぎをしないと上がれぬ坂道も越えている自分を、わたしは「よく時間がつくれたなあ」と、「たのしそうだね」というふうに見たいのだ。ただ母を愛していればよく、できることだけをおもしろがってしていたい。


 電話嫌いのわたしは、母にあまり電話もかけない。

 よくしたもので、弟のお嫁のしげちゃんはほとんど毎朝電話をかけてくれているので、それで安心しきっている。
 わたしが電話をするのは、自分が母のもとに行ける日の朝だけで、「ふみこです」と歌うように名乗り、「○○時ごろ行くね」と告げる。
 母は云う。
「あらそう? あなたは忙しいのだからいいのよ。……でも、ちょっと顔は見たいわね」

 こうして、わたしが母の顔を見、母がわたしの顔を見る。

Photo
母のところに煮ものをつくって置いてくるとき、
花のかたちに切って煮た野菜をちょこんとのっけるのが、
いまのわたしのブームです。
写真はにんじん、じゃがいもたちです。


Photo_2
型はほかにもいろいろあります。
下の小さいの(いちょうともみじ)は、
ねりきりをつくるのを趣味としていた
母が持っていた和菓子用の型です。


Photo_3
花型で抜いたにんじんの(花のかたちの)穴に、
鶏つくねのタネを詰めて煮てみました。

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「日記」カテゴリの記事

コメント

もも(^-^)ちゃん

「尊敬」「敬意」「尊厳」ということばは、
それぞれ感じの画数も多く、
しかつめらしいですが、
ひとの懐(ふところ)のなかでは、
ぬくもりのある、親しみ深い存在です。ね。

誰とのあいだにも、
「尊」の文字、
「敬」の文字を忘れないように、
そして「尊敬」の気持ちをできたら相手に
伝えられるようだといいんだなと、
感じています。
ももさんのおたよりを読ませていただいて。

父が、生前、ときどき(酔うと)
「恋も愛も、尊敬なしには、
だたの恋、ただの愛」
と云っていました。
最近、そうねそうね、と思うんです。

投稿: ふみ虫 | 2014年6月22日 (日) 19時48分

ささこ さん

そうそう、自分の大事な
「優先事項」を忘れてまで何かしてほしいなどとは、
誰も(母、父ならなおさら)希んではいないんだということを、
わたしたちは、忘れがちですよね。

こちらこそ、
あたたかいおたよりに、感謝しています。

投稿: ふみ虫 | 2014年6月22日 (日) 19時41分

ふんちゃん

 ようやくパソコンの前にたどり着けました。
 火曜日の夜に、ふんちゃんの書いてくださっているお話を読んだきり、ずーと胸にひっかかりながらなかなか来れずにいました。

 火曜日の夜から、時々、ふんちゃんのお話を思い返して、胸が軽くなっていくのかわかりました。
 “よかった~、私だけじゃなかったんだなぁ、こんなふうに思うの…”と感じながら、皆さまのお話も読ませていただいておりました。

 私の母も、祖父が他界して以来、ずーっと一人暮らしです。
 そのことが、ずっと私の苦しい何か…でした。(何かは、いつもことばが見つからないのですけれど…)
 隣近所が遠い感じの農家さんたちの中で暮らしているので、誰とも会わず、誰とも話をしない日があるんだそうです。
 このことを思うと、そして一人でご飯を食べている母を思うと、苦しくて仕方のない時期がありました。
 でも、どうすることもできない状況でもあったりして…。
 今は、ははと同居しているというのもあり、母が家に来ても、落ち着かない様子でもありますし…。

 それがね…、なんとなく私も歳を重ねるにしたがって、そうやって苦しく思ったり、さみしいんじゃないかと思うこと自体が、なんだか母に失礼な気がしてきました。母の暮らしを思うと、今は…う~ん、「尊敬」だなと思えます(初めてことばにしました…)。
 
 私が中学生の頃あたりから、母とよく話していたことがありました。一緒にいないからといってさみしいのではないよねって。気持ちの繋がりがあるから、さみしくない。離れていても、気持ちは繋がっているということを、よく二人で話していたんだなぁと思います。これはきっと、血の繋がりがあるとか、ないとかということとも繋がる「つながり」なような気がしてもいました。(また勝手にすみません…)

 私が、留学する時も、私一人がさみしくて、母はさみしさを感じさせませんでした。「どこかで愉しんでるあんたを思うと、愉しいよ」って。
 大きいなぁって、最近になって母のことをそう思うことが増えました。
 しわしわになって、小さくなって、できなくなってくることも出てきている母ですが、存在はどんどん大きくなっています。
 
 できないことをしようとすると、母にバレます(^^;) そうすると、母の尊厳が損なわれる気がします。今回のふんちゃんのお話で、そんな風に気づけました。「尊敬」しているからこそ、「できないことは、しない!」
 なんだか、ふんちゃんにたくさん聞いてもらいたくなって、スルスルと書いてしまったら…、長くなっちゃいました…。ごめんなさい。
 今まで、もやもやだったことが、また少しことばにできました。

 いつも、ありがとうございますm(__)m

投稿: もも(^-^) | 2014年6月22日 (日) 06時50分

ふみこさま

あたたかいお返事をありがとうございます。

「自分を大事にすること」忘れないようにします。
たまに、自分がいないかのような、思考をしてしまうことがあるから。

でも実は、自分を大事にするために、「これだけは」と優先していることも、
結構あるんだ、ってことも、忘れないようにします。

いつか私も、息子に「親は大事にしなくていいんだからね」って、伝えたいですもの。

投稿: ささこ | 2014年6月22日 (日) 06時13分

こぐま さん

いまのこぐまさんのお暮らしぶり、
そうかそうか、よかった……と
思います、こころから。

でもね、わたしたちが「ここ」で
「親は大事にしなくていいんじゃないか」
という仮説のもと、いろいろはなしをすすめてきたのは、
「介護」や「老後」を視野に入れたものではないのです。

たとえば、
子らのほうを向いて、きっぱりと、
「親は大事にしなくていいんだからね」
と伝えなければならない、あるいは伝えたいわたしでも
あるわけです。

愛するというのは、
なかなかに複雑で、ほんとはひらっと単純なもののよう。

投稿: ふみ虫 | 2014年6月21日 (土) 12時14分

えぞももんが さん

わたしも、父が逝ったとき
(出先で餃子と老酒とともに逝ったとき)、
うろたえなかったと思ったし、そう云いたかったんです。
でも、ほんとは激しくうろたえ、
猛然とあわてていました。
悲しみ損なうくらいに。

いま、あのときの「うろたえ」と「あわて」が、
あたたかく胸のなかに広がっています。
父を愛していたからねー、
うろたえるよねー、あわてたよねー、
と思ったりするわけです。

ありとあらゆることをしてこられたんですね。
なんだかね、えぞももんがさん、
そのことはずっと知っていたような気がします。
伝わってきていたというか。

でも、それをすべて、
ご自分のためにしているんだということも、
えぞももんがさんは知っていましたよね。
そのことが、伝わってきます。
わたしが、いま、
自分のために(母の笑顔が見たいとか)していると
思えるのは、そのおかげもあります。

どうもありがとうござる
(照れくさいらしく、こんな云い方に……)。

投稿: ふみ虫 | 2014年6月21日 (土) 12時07分

ふみこさま。

おはようございます。孫がうまれてから、父と母との関わりがよりふかまったような気がしています。
母(ひいばぁ)は、わが家にやってきて、ひ孫の世話をするのが楽しくてしかたないみたい。
そして、わが家の家事をいろいろと手伝ってくれます。
私が母の世話をする日は、まだまだ遠いのかと思うくらい・・・。
母にはかなわないな、というのが今の気持ちです。
そして、父ともひ孫の話で盛り上がり、楽しんでいます。
若い時は、いろいろありましたが、今、とてもいい関係です。
いつかくる介護の日々のことは、ふみこさんの言葉をおぼえておこうと思います。
今は、娘であることを楽しんでいます。
では、またぁ。

投稿: こぐま | 2014年6月21日 (土) 07時25分

ふみこさん おはようございます

“親は大事にしなくていい”のふみこさんのお話と
コメント欄に寄せられた みなさんの ひとつ ひとつの
お話は 「いいかい えぞももんが ちゃんと 聞きなさいね」と
言われているようで 本当にありがとうと・・・・・
そう思いながら聞きました。 
自分の中の決めごとに 押しつぶされそうになったら
ここに走ってきて ふみこさんのブログをさかのぼって
読み返そうと思います。

ふみこさん 笑われてしまいそうですが
私は 父や母の前では いまだに 小学生のようです
ほとんど 反抗と言うものをしたことがないんです
父が倒れてから 1年半。ありとあらゆることをしてきました。
先日 「お父さんが倒れても そんなにうろたえなかった」と言う母に
「いや お母さんは 十分 慌てていたよ」と言って
その言葉に2人で ポカン??となりました。
あ・あ・・これでいいんだな。と 思った瞬間です。

ふみこさん 今週もありがとう。 

投稿: えぞももんが | 2014年6月21日 (土) 06時21分

ささこ さん

いままさに、お母さまとの「紡ぎの時間」の
はじまったささこさんにとっては、
いかにも乱暴なことばだったかもしれません。
ごめんなさい。ね。

読ませていただいて、
思ったことはふたつ。
(お母さまの)髪を洗うのはなかなか大変だから、
ささこさんが考える半分の回数でいいのじゃないかということ。
もうひとつは、
誰をどんなふうに大事にするかしないかという問題よりも、
ささこさんが自分を大事にすること。
「(自分を大事にすること)を考えてねー」と。

投稿: ふみ虫 | 2014年6月20日 (金) 15時22分

ふみこさま、みなさま、こんばんは。

ちょうど、先週から、「一週間のうち半分だけ、我が家に母が滞在する」という生活が始まりました。
介護と言うほどのことはしていないのですが、食事を作ったり(といってもいつもの食事を母のぶんだけ多めに作るだけです)、お風呂で髪を洗ってあげたり、その髪を乾かしたり、寝る前にマッサージをしてあげたりしています。

こういうことを、なんでもなく、これまでの日常(夫と子どもと私、だけの日常)のつづきとしてやっていけたらいいなと、表向き、格好つけてはいるのですが、内心は大きく揺れていて、様々な思いが行き交い、葛藤、葛藤しながら日々過ごしています。

そんな中、「親は大事にしなくていい」という言葉に出会いました。
この言葉を、今、往来の激しい私の心の中の、どのあたりにぐっと差し込めばよいのかと(立て看板のように)、考えているところです。

「親だと思わなければ、もっとすなおに、大事にできるかもしれないのに」と思う時は、結構あります。
自分よりももっと「気持ちよく」「上手に」親を大切にしているであろう誰かさん(架空の人)の姿を思い浮かべたりすることもあります。

もしかしたら、「大事にしなくていい」というのは、「そんなに大事にしなくてもいい」という、意味なのかなと…、書きながら今思いました。
もしそういうことだったら、今の私の背中にぺたっと、張り紙できるかな。
耳元でそっと「そんなに大事にしなくてもいいよ」と、今の自分が今の自分に言えるかもしれません。

かろやかに、「できることだけをおもしろがって」、母との日々が続いて行きますように。
ふみこさんにとっても、皆さんにとっても、私にとっても。

いつも前へ進めるきっかけをありがとうございます。

投稿: ささこ | 2014年6月20日 (金) 00時48分

な こ さん

月一度の、お昼ごはんを
「おかあさま」はどんなにたのしみにされていることか。
「たまにしかできない」、なんかとは思わず、
「月一度のたのしみ」と位置づけたい。ですね。

先日、実家に田植えを手伝いに行く夫に、
「ロールキャベツ」と「ひじきと油揚げの煮もの」を
託しました。
わたしはほかに用事があってゆけなかったのです。
「ロールキャベツ」と「ひじきと油揚げの煮もの」は
わたしからの田植えの後方支援のつもり。


投稿: ふみ虫 | 2014年6月19日 (木) 09時23分

のり さん

ああ、いい風を吹かせてくださって、
ありがとう!ございます。

わたしも、そんなふうな余韻に包まれる日、
そんな日はしあわせです。
(失敗も少なくはないのですが)。

それからね、
母のもとに出かけてゆきながら、
わたしは「逝った父」とも交わっています。
死者との関わりが深まってゆくのが、
いまのわたしのよろこび……。

投稿: ふみ虫 | 2014年6月19日 (木) 09時16分

あすちるべ さん

ときとして「潰れてしまうんじゃないか」というのは、
あすちるべさんのやさしさ真面目さからです。ね。

ある日には、
やさしさを「呑気」に置き換え、
真面目を(思いきって)「不真面目」に置き換えて
みるのこともいいのじゃないかなあ……。
「不真面目」を辞書に当たるとね、
「物事に熱心にとり組まないさま」とあります。

「不真面目」を学びながら、
しかしともかく、
母を思うこころを失わないようにする。
という気持ちで、わたしはいます。
弱っても「親たち」は、
「わたしたち」に迷惑をかけたくないと思い、
そして「わたしたち」のために何かしたいと
希(ねが)っているのだと思います。

わたしたちには、そんな「親たち」の希いを
端から摘みとり、踏みにじる日もあったかもしれない。
真面目ぶって……ね。

それから「工夫」も要りますね。
その1。
弟のお嫁のしげちゃんとわたしがつくるおかずは、
小さなプラスティック容器に入れて
(日にちとなかみを付箋に書いてふたに貼ります)、冷蔵庫へ。
食べきれなかったり、
手がつかなかったものをみつけて、
容器を洗って、拭いて、干して片づけるのは
けっこう面倒です。
そんなのは(そのまま)全部家に持ち帰り、
ゆっくり仕分けして、ゆっくり容器を洗う。
こんなことで、なんだかひどく気が楽になったりします。

長くなりました。


投稿: ふみ虫 | 2014年6月19日 (木) 09時12分

ふんちゃん

おはようございます。
お返事、ありがとうございました!
「薄情者の深情け」
…ふんちゃんのひらめきに、これまた…新たな境地です…。

わたしの日記帳は、ふんちゃん語録でいっぱいです。
ときどき、読み返す度にふんちゃんに励まして頂いているよう…。

今週末に、ちちはは(夫の両親。ふんちゃんをまねて…義父母ではなくこう書かせていただきまさした…。)を訪ねます。
三年前、ちちが脳梗塞で倒れ、デイサービスの助けを借りながら母が介護をしています。はは は、忍耐強い人です。尊敬しています。離れているので、月に一度訪ねて、ちちの介護を代わったり話を聞いたり、買い物、草取りやお墓掃除などをしたり、という感じです。
ははが必ずお昼を支度してくれているので、前に恐縮して遠慮しようとしたら、「あなたたちのごはん作るのも楽しみなのよ。」と笑顔。それ以来感謝しつつ、一緒に食事を頂いています。
ははは、甘いものが好きなので、わたしはなにか美味しいお茶のお供を…、と毎回用意して持っていくのが楽しみです。

至らないところや失敗ばかりだけど、なんというか、そういう自分に正直に、いくしかないなあ、と思います。
ふんちゃん、ありがとうございました。何度も何度もすみません。
今日も頑張ろうと思います!

投稿: な こ | 2014年6月19日 (木) 07時58分

ふみこさま、今晩は。のりです。

ふと、見上げた空を感じた風を美しい夕日を
「あー、清々しいな。気持ちいいな。」と、
思える帰り道。

親と過ごした時間の後に訪れる穏やかな余韻。
そんな関わりをもてたらな、と。

残された父との、たまの再会を
大切にしたいと思いました。

投稿: のり | 2014年6月18日 (水) 19時05分

ふみこさま こんにちは

今回は、「うーんと」うなってしまいました。まさしく今、ははのことで直面しているところです。

親は大事にしなくていい。
できないことは、してはいけない

この言葉を十年前の自分に知らせたいです。
親も大事だけれど、自分も大事なんですよね。そうして親の自立心、というか尊厳の部分…。
そのあたり、夫はどう思っているのか…。時々不安になるくらい、自分のことより、ははのことだったりします。何事もやりすぎて、そのうちははもそれが当たり前になって、ちょっと今、それが自分の中で、いつか潰れてしまうんじゃないかと、しんどかったりします。ここまで来たら、引き返せないところもあるし…。
でも、今回ここを読んで、もう少し力を抜いてもいいのかもと思いました。
何か大変なことがあった時、「変わってやりたい」というけれど、身代わりになることはできないし、結局、自分のことなのですよね。
もっとははの力を信じないといけませんね。そうして、母の力も。
すみません、とりとめのない愚痴になってしまいました。
でも、ふみこさん、気づかせてくださって、ありがとう。

投稿: あすちるべ | 2014年6月18日 (水) 18時22分

どりす さん

どりすさんとわたしは友だちだから、
(お母さまには)黙っておいてあげますけれどさ……。

どりすさんもわたしも、
いつか「義務」と思われてしまったら、
さびしいですよね。
乞われてもいないのにがんばったり、
頼まれてもいないのにつくしたり、
わたしたちは、ときどきばかだね。

投稿: ふみ虫 | 2014年6月18日 (水) 17時27分

寧楽 さん

母への、父への向かい方の未熟なわたしには、
とてもとても届けなかったことばです。
「恩返し」。

ほんとうですね。
恩返しの気持ちは、持っていたいなあ。
この世に生まれさせてくれただけでも!

投稿: ふみ虫 | 2014年6月18日 (水) 17時23分

すと~ん!
まさにそんな衝撃でした。
父が逝って数年、道ひとつ隔てた母のところに走る思いは
いつの間にか、どこかで「義務」のように固まっていました。
一人娘だから・・・さんざん自分や孫のチカラになってくれたから。
どんどこ、どんどこ、愛情の上に積もる義務感。
それが、すと~ん!
母の生活するチカラを信じて、現実以上の過分な不安を
持つのはやめよう、と思えました。
「できないことは、してはいけない」・・・それは、
しごとでも子育てでも、すべてにいえることですね。
先日、近所の病院の中庭で、驚くほど人懐こいセキレイ(野鳥)に
出逢いました。
人からパンくずを受け、タタタタタと走り、ヒナのもとへ。
彼女の場合は、「できることは甘受しよう」なのかもしれません。
そんな柔らかい頭を 見習いたいなぁ。

投稿: どりす | 2014年6月18日 (水) 12時55分

ふみ虫さま

はじめてお会いしたとき

成り行きに任せる

それはなってくることに任せること
納得して聞いたこと、思い出します。

実家にいる両親は
仲良くけんかしながら暮らしています。
私は週に一度
顔をみて、ちょっと話をして
母が作ったお惣菜の一品をいただいて
帰ってきます。

何もしていないけど
ちょっとした親への恩返し…のつもりです。

投稿: 寧楽 | 2014年6月18日 (水) 09時14分

な こ さん

畏れ入ります。
ありがとうございます。

お互い、ゆっくりゆっくり、
そうだ、ゆるりんりんさんにおそわった
「天にゆだねる」気持ちでゆきましょう。ね。ね。

投稿: ふみ虫 | 2014年6月18日 (水) 08時32分

な こ さん

そうでしたか。
そんなことを書きましたか。
いや、なかなか正確に書けているなと
みずからを評価しました(めずらしく)。

でも、こんなのもあるな、と
ひらめいたことがあるので、
書いておいてもかまわないでしょうか。

「薄情者の深情け」

投稿: ふみ虫 | 2014年6月18日 (水) 08時29分

さのまる さん

「距離」はなかなかむずかしい問題です。
父と母とのあいだの距離感に、
長く苦しんできた(勝手に)歴史があります。
苦しみ悩んできたのは、
わたしなりの思いがあったからでしょうと、
思います。
そして……、
今生の相当大きな部分の勉強であったと
認識しています。
という果ての、やっとのことでの「いま」なのです。

母とわたしの最終章に、さて、
何が待ち受けているか。
勉強はまだまだつづきます。

投稿: ふみ虫 | 2014年6月18日 (水) 08時26分

ふんちゃん

何度もおじゃまして、ごめんなさい。
わたし…、上のコメントで、
「親は大事にしない」
「できないことは、しない」と書いてしまったのですが、そうじゃありませんでした。
「親は大事にしなくていい」
「できないことは、してはいけない」
なんですよね。

ふんちゃんの大切な決心を書き損ねてしまって…読めば読むほど、違って感じられて…。
ふんちゃん、ごめんなさい。

投稿: な こ | 2014年6月17日 (火) 23時35分

ふんちゃん、こんばんは。

誤解を恐れず書きますが…。
わたしは「薄情」を心がけています。
ひととのあいだに「水臭さ」、「薄情」の要素を置かぬ限り、べたべたした関係になってしまうと考えているからです。
べたべたした関係だけは……勘弁、というのがわたしの本性です。

夫とのあいだも。
子らとのあいだも。
友だちも。

母のことで「薄情」という言葉を受け取り、落ち込んでふんちゃんに打ち明けたとき下さったお返事です。どんなにこのお返事に勇気付けて頂いたか…。そして、ふんちゃんがおっしゃる「薄情」は、相手を大事に思い、互いに尊重し合うために必要な「薄情」で、じつはとっても大切なことではないかと感じ、ずっと心にありました。

この度の、親は大事にしない、というふんちゃんの決心にも、そのような思いを感じました。お母様を大事に思っておられるからこそ、お互いの領域やペースを尊重すればこそ、の決心。(と、わたしは感じました。)

父母のこと、ちちははのことが気にかかっていても、その事に時間の全てを使えるはずもなく、できることも限られていて、焦ったり、申し訳なく思ったりして自分を追い詰めることが少なくなかったわたしです、が……

ふんちゃんの、その決心に、そうじゃない、そんなことではない、と再度励まされております。ありがとうございます。
できないことは、しない…。
ほんとうに……、顔を見せて、顔を見て(ひそかに、これが何より大切なことではないかと思います。)、これからの、ともに過ごせる長いようで限られた時間を、そう、お花のにんじんをそっとちりばめるように…わくわくするような…やさしい気持ちで紡いでゆきたいなと思いました。

追伸 娘へのメッセージ、ありがとうございました。娘にしかと、伝えました。とても、嬉しかったです。

投稿: な こ | 2014年6月17日 (火) 23時13分

ふみこさま、みなさま、 こんばんは。

先日、一人暮らしになったちちと電話で話した折
「助けが欲しい時には言うから。」と言ってもらい、
Help!が来たときには駆けつけよう!と
(ちちとははへの思いはいっぱい持ちつつ)
ふみこさんのおうちの古タオル、ぼろ布のように?
いざとなったら、いつでもOK!と静かにスタンバッています。

そして、行ける時間ができた時には、
一緒にご飯を食べ、飲んで、喋り、
スキップして帰ってきたいと思います(^^)

毎日、ちちとははのことを考えない日はないけれど、
「できないことは、してはいけない」 (そうですよね!) そして、
できないことで、自分を責めたり落ち込んだりしない。
そう決めました。

ふみこさん、ありがとうございます。

それにしても、お母様のお返事、すてきですね。この言葉が、
お母様の、ふみこさんとの距離とゆとり、で、愛なんですね。
野菜の飾り切りと抜いた穴に詰める鶏つくねも
まさに楽しんでる!ですね。

投稿: さのまる | 2014年6月17日 (火) 22時55分

ゆるりんりん さん

わたしは、血のつながりについては、
ほとんど何も考えていません。

若いころに書いた拙著に、
「血よりも濃い水がある」とあって、
ああ、わたしはこの地点から生きてきたんだな、と
思ったことでした。

そも、わたしが愛していた祖父とも
血のつながりはありませんでした。
現在の夫と、上ふたりの子どもとも
血のつながりは皆無です。
ということでね、
わたしには血縁をどう考えるか、とらえるか、という
宿命的な課題が与えられているのだと思いながら
生きてきました。

数字には滅法弱いのですが、
5代ほどさかのぼれば、
ゆるりんりんさんとわたしも、
まったき血縁です。
(あ、この際、そこでうれしがってはだめです。
……でも、なんだかうれしいね)。

天にゆだねるという境地に至るまでの
ゆるりんりんさんの努力と、試行錯誤と。
ほんとにほんとに頭が下がります。
そして……、
それを生かす生き方が、はじまりました。

投稿: ふみ虫 | 2014年6月17日 (火) 20時24分

ちぇりー さん

あはは。
ちぇりーさん、おおいに励まされております。
ありがとうございます(やさしいことばを。いつも)。

わたしが書かせてもらった
「できないことは、してはいけない」は、
じつにへんてこな表現ですが、
そこは大事な出発点だと感じているんです。
「できることを、する」というところから
出発すると、わたしなどはつい、
「できないこと」までしようともがく状態に
陥ります。

なんだか、屁理屈をこねているみたいですけれど。

投稿: ふみ虫 | 2014年6月17日 (火) 19時21分

たまこ さん

愛しさを忘れないでいること、
愛しさを抱ける距離、
愛しさを感じられるゆとり。
いろんなことがありますね。

これは両親との、きょうだいとの、
そしてあらゆるひと同士の「あいだ」のこと。
相手の立場を想像してやっと、
見えはじめることがあると、最近しきりに
思わされています。

投稿: ふみ虫 | 2014年6月17日 (火) 19時13分

みーこ さん

こんにちは。

みーこさんの
「わたしはいま、幸せです」
というのがいちばんだ!と感心しました。
読んでゆきながら、
思わず「やっほー!」と叫んでしまいました。

でもね、
ご両親のためにしあわせの状態を保っている
わけではない……。
ご両親はそれはそれはみーこさんの幸せに
明るく照らされ、励ましを得ておられるにちがいないけれど。

幸せであっても、
感じておられるという
「解決できないひっかかり」。
これが、ご両親を思う手がかりになりますね。
それがなかったら、思いはどこかに
はぐれて飛んで行ってしまうかもしれません。

わたしにもいろいろな「ひっかかり」はあって、
それがずいぶん自分をしゃんとさせてくれていると
思っています。
それに、夫とのあいだ、子とのあいだ、
母とのあいだ、ちちはは(これは夫の両親)とのあいだの
楔(くさび)になっている……。
案外「負」だと思えるものがひとを支えているなあ、と。

おたより、ほんとうにありがとうございます。
つづきは、また。

投稿: ふみ虫 | 2014年6月17日 (火) 19時07分

ふみこ様

ああ心が軽くなりました。
ふみこさん、
わたしもう一つ言っていいかなあ。
「血はつながっていても心もつながっているとは言えない。」
って。きつい?冷たい?
そう思われたくなくてどんなに無理をしたか。
わたしはやれることをやり尽くして
力尽きて行き倒れた。そして駄目だと思い知った。
自分がなくなるほど努力をしても
そこには安心と安全がありませんでした。
この世には支配することでしか
安定できないタイプの人間もいるのだと思い知った。
「ここはわたしのいるところではない。」
この結論を選びました。
困るだろうなと思いきや、
何も知らない世間の皆様に守られて
不自由のない生活をおくっているのを見て
自分のやってたことって何だったんだろうとがっくり。
そこも通りこして
天にゆだねようという境地にやっとたどり着きました。
自分が穏やかでいられなくなるほどのことは
もう決して選ばない、そう決めました。
わたしには大切な人たちがいっぱいいます。
その人たちを巻き込まないためにも
自分の心と体が壊れてしまわないようにすること、
これが一番大事です。

投稿: ゆるりんりん | 2014年6月17日 (火) 13時35分

ふみこさま、みなさま、こんにちは

変なことを書きます。私、ふみこさまの言葉を集めて経典にしたい…
その経典をもって、その教えを広く伝えて歩きたい……そういう気持ちです。

お母様への愛あふれるお気持ち、ふみこ様の決意の言葉に、どれほどの人が救われることか。
3年前の母にも伝えたいし、私自身が今ここで同じく決意しようと思います。

さて、ゼリーのとびきり美味しい季節が近づいてきましたね。
つるんというのど越しが最高です。毎日食べていたい…今すぐ食べたい…ああ、夏が待ち遠しいなぁ

投稿: ちぇりー | 2014年6月17日 (火) 13時26分

ふんちゃん皆様こんにちは。

親は大事にしなくていい
誤解は招くけど、そうなんですよ。
思い切り離れてみる。


一般的には親を大事にする
親は尊敬するもの、等があるけれど
かならずそうしなきゃ、というわけじゃないんですよね。


自分なりに親を大事にする
やり方がありますもんね。

私はたとえ毎日好きじゃなくても
家族が無事でいることが
なにより安心します

投稿: たまこ | 2014年6月17日 (火) 12時26分

嫁いできてはや32年、年を重ねるほど、自転車こいで会える距離ではない現実を後悔してしまう自分がいます。若い時は「距離が何なん、会おうと思えば車を走らせ…」と父母を思う気持ちは距離に負けないと信じてきました。もちろん、思いは変わりません。けれど、年老いた父母にとって、日常の関わりほど、愉快なものはないのではないかと思います。私は今幸せです。夫と願い続けた希望に向かい努力できる毎日があります。けれど、解決できない引っ掛かりが心の隅にいつもあるのです。
 「親は大事にしなくていい」
えっほんと!私の引っ掛かりを外してもらえる妙案がある!そんな思いで読み進めたふみこさんのブログを読み終え、できないことはしなくていい…そう、できることを精一杯私のやり方でやればいい、日常を共有することは無理だけれど、私が選んだ道を胸を張って歩み、私の思いを私が思うように届けることが出来たらそれでいいのではないかと思えました。そして、親のことに思いを巡らせているのは、私だけではないふみこさんや、その他大勢の方もまた、同じなのではないかと…
 思いを巡らせる、それが子どもとしての勤めなら、心の引っ掛かりを外そうとせずに、できないことはしなくていい、やれることを私のやり方で精一杯!そんな思いで引っ掛かりと付き合っていきます。ふみこさんありがとう…

投稿: みーこ | 2014年6月17日 (火) 11時27分

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