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2014年7月 1日 (火)

わたしはわたし

 6月△日
 湯を沸かし、湧かしながらヨーグルトのことをする。
 ヨーグルトを4つの器にとり分けて、新しい瓶にタネの分のを移す。ここに、ちょうどいい分量の牛乳を注ぐ(翌朝、またヨーグルトができている)。4つの器のヨーグルトは冷蔵庫へ。
 このあたりで湯が沸く。湯は、魔法瓶に注ぎ入れる。
 さあ、弁当、弁当。
 近年は高校生の三女の分ひとつだが、在宅のひとの昼ごはんも数に加えれば、3つか4つになる。在宅のひとのは、ただし弁当箱には詰めない。弁当をこしらえながら、朝ごはんの仕度と、晩ごはんの下ごしらえをする。
 ぬか床に手を差しこみ、底のほうから大きく掘り起こすように混ぜる。そしてきゅうりと茄子と、大根の尻尾を漬けた。茄子は色が変わらないようにみょうばんと塩を合わせておいたのを摺りこむ。それだけでは足りないのか、ときどきところどころ茶色くなってわたしをがっかりさせる。それで、みょうばんを摺りこみながら、念じる声で云う。
「ほんと、たのみますよ」
                  *
 この日に限らず、朝の台所しごとはこんなふうだ。
 こういうしごとあってのわたしだと、長いこと思い思いし、やってきた。子どものためにできることは、「食べさせる」ことくらいだ、というふうに考えてきた節(ふし)もある。教育なんてことはほとんど考えず、「できることがこれしかないのなら、させてもらいましょう」ってなものだった。
 
 それがふと、この年齢になって、台所しごとなしのわたしであっても……というようなことを思うようになっている。いや、この年齢になったから思うのかもしれない(この年齢というのは、
55歳であります)。
 台所しごとなしというのは、何かの事情で台所に立てなくなることを意味している。まさかしばらくのあいだ単身イスタンブールで暮らすことになりました、ということは起こらないだろうけれども、病を得るとか手が動かせなくなるとか、そういうことは起こらないとは云えまい。
 そうなったとき、つまり「台所しごとあってのわたし」が成り立たなくなったときのことを思ってみるのである。唯一の売り物を失って、わたしは絶望するだろうか。絶望というほどでないにしても、そうとうにさびしいだろうな、と想像し、そこで、みずからに向かって「待った」をかけた。
「そんなことで絶望したり、さびしがったりしてはいけない」
 と55歳になったわたしが云う。
 何ができなくなったって、わたしはわたし。台所しごとをするわたしがわたしであり、母であり、妻だという考えからは卒業しようっと。
 台所しごとができなくなったら、そのときできる別のことをしようっと。

 この想像ばなしと決心を、夫に向かって斯く斯く然然(かくかくしかじか)とやる。

 夫が云う。
「台所しごとがなくなっても、あなたはあなただよ。たしかにそうだよ。ところで、職業がなくなったら、とは考えないの?」
「……」
 ひゃー、それは考えなかった。
 行きがかりで職業を持ち、つづけてもきたけれど、やめる、できなくなるなどどうということはない。そも、つねにやめそうな、つねにできなくなりそうな頼りないところでつづいてきたのがわたしの職業だ。
 頼りないところでやっとつづいてきたという立ち方を、わたしは気に入り、そこで懸命にやってきた。それでいい。
                 *
 想像のなかに突如イスタンブール(トルコの首都)が出てきたのも、わたしには発見であった。海外で唯一暮らせそうなのがイスタンブールであると、どうやらわたしは考えている。四半世紀前に一度行ったきりだが、あそこでは「メルハバ(こんにちは)」とか「テシェッキュル エデリム(ありがとう)」なんかと云いながら、あまり緊張せずにいられそうだ。
 醤油さえ日本から持ってゆけば、暮せそうだ。


Photo
千葉県成田市の農場から
自家採種・無農薬の大根が届きました。
青々として立派な大根葉!
こういうのを見ると、むずむずしてきます。


Photo_2
菜飯をつくりました。
大根の葉の葉先をさっと茹でて水にとり、
しぼって細かく刻みます(塩をまぶしておく)―★。
酒(米一合に対し小さじ2)と塩(米一合に対し小さじ1弱)
と昆布を加えてご飯を炊きます。
炊きあがったご飯に★を混ぜます。

6月△日
菜飯をつくれたことを、よろこびました。

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「日記」カテゴリの記事

コメント

な こ さん

わたしの娘3人も、若い友だちも、
わたしを「完全反面教師」として見ていると思います。
この……乱暴な、めちゃくちゃな、矛盾だらけの「女」は
なんだ? と。
あんなふうにはならないようにしようとみずからを戒めながら、
もし、参考にできることがあるとしたら……。
ただただ「おもしろがる」というのに尽きると思います。

ものすごく迷惑な、落ちつきのない母(友人)だけれども、
「おもしろがり」はちょっと評価できるかなと、
思ってくれているのではないかと(云われた憶えもないので、
これも、思い過ごしかもしれないのですが)
ということにしようとしているんです。

きゅうりと茗荷の炒めもののこと、
しばしお待ちを。
ちゃんと(できるだけ適当でなく)つくってみて、
発表いたします。

投稿: ふみ虫 | 2014年7月 9日 (水) 08時54分

さのまる さん

梅が枝餅!をつくる実験!

まあ、なんて素敵なひとなんでしょうね、さのまるさんは。

酷なことばかり吐いて(書いて)いるようですね、わたしは。
ひとのためと思ってしていることが
全然そのひとのためにならなかった……とうことも
少なくはなく。
そんな一面も思いつつ、
慎重に、でもゆったりと自分の道を行くしかないなと
わたしはどうやら考えているみたいです。
ども、こころはやけに、晴れていて、光もあります。

梅が枝餅へのあこがれの気持ちとか、
「あ、」というおたよりに照らされているんです。

投稿: ふみ虫 | 2014年7月 8日 (火) 12時21分

ふんちゃん
こんばんは。すっかり遅くなってしまい、ごめんなさい。

菜飯、美味しそう…。いつも思うのですが、ふんちゃんのお料理は、色、彩りがとてもきれい!そして、ほんとに美味しそう。で、食べてみたいな、まねして作ってみたいなあ…、とそそられます(*^^*)。(そうそう、前におっしゃっていた「きゅうりとミョウガの炒めもの」の味付けも、是非教えていただけませんか…?お願いします!)

お母さんが、楽しそうに、おもしろそうに、野菜たちをいとおしんだりしながら、台所で働いている姿を見て育ったお嬢様方は、それぞれに、ふんちゃんから暮らしを大事にすることを(これまでもこれからも)学んでいらっしゃると思います。そして、「教育なんてことはほとんどかんがえず、できることがこれしかないなら、させてもらいましょう、てなもの」…これが、ふんちゃんすごい!見習いたい、と、いつもいつも思うところです。

「わたしはわたし」。…特に取り柄が見つからないわたしです…が、今回、「○○ができなくなったら…」ということを考えてみることが、当たり前のようにしていることの(ときには不平も言いながらしていることの)、自分にとっての、その大事さを教えてくれるひとつのきっかけになっていて…。最近溜め息をつきながらしていることが多かった、洗濯(乾かない。大量。)も草取り(すぐ伸びる。暑い!)も、「わたし、これ、好きだわ。」と思い直したりしています。

ふんちゃん、今週も「テシェッキュル エデリム」!(トルコ語って、おまじないのような不思議な響きをしているんですね。)

投稿: な こ | 2014年7月 8日 (火) 03時06分

ふみこさま

あたたかいお返事、ありがとうございました。

お返事を読んで、「あ…」と、おちました。
ふみこさんが書かれていたこと、「やらせてもらっている」だ!

誰かのためにやっていた、って思っていたけど
やらせてもらっていたんですね。
私がやりたかったから、やらせてもらっていた。
そして、それが幸せだったんだ、と。
なんだか、うれしくなりました。
「やらせてくれて、ありがとう」と。

今まで、本の中でも、
ふみこさんのこの言葉に接していたはずなのに
わかっていなかったんだなぁ。

…なんて、まだまだわかっていないかも、ですが。
また、とんちんかんなこと考えていたらどうしよう…。

なんてことを考えながら、梅が枝餅を作る実験をしています。
おいしい・こしあん・をいただいたので、
そのこしあんで、おいしい梅が枝餅を作ってお返ししようという魂胆です。

ふみこさん、ありがとうございました。

投稿: さのまる | 2014年7月 7日 (月) 20時47分

あすちるべ さん

わたしもやった! やりました。
昨年の12月、
シャンプーの容器に、コンディショナーを
詰め替えました。
「だから、いつも云ってるでしょう、
リンスって呼んでよ。と」
(と、あすちるべさんとちがって、そのせいにした)。

「泡立たないけどね、
コンディショナーで洗うと、髪にいいんだって」
と、わたしは云いました。

わたしたち、同じことしましたね。
そんなことが何だかうれしい……、
そういう積み重ねです、ね。

……茄子のとんかつ、つくろう。


投稿: ふみ虫 | 2014年7月 6日 (日) 16時41分

ふみこさま こんにちは

今週は何をやってもうまくいかなくて、挙句に昨日はシャンプーの詰め替えを買ってきたつもりがリンスで(店員さんも「○○と△△でよろしいですね」と確認してくださったのに…)、容器に詰め変えて、髪を濡らし、泡立たないところでやっと気づきました。これではいけないと「明日は寝坊します」と宣言して、いつもより二時間遅く起きて何とか建て直し中です。

「わたしはわたし」
自分の基は何だろうと考える言葉ですね。いろいろなことが変わっていっても、「わたしはわたし」、最後にそう言えたらいいな。
今日の夕食は茄子のとんかつも作ろうっと。そういうささやかな積み重ねですね。

投稿: あすちるべ | 2014年7月 6日 (日) 15時28分

もも(^-^)さん

たゆたゆね。
いいですね、たゆたゆ。
ことばとしては
「揺(たゆた)」の親戚かもしれないけれど、
たゆたゆがいいなあ、わたしも。

こだわり……。
わたしにも、こだわりはあるのかな。
こだわり過ぎないこと、
おもしろがることには、
こだわっているかもしれないなあ……。

投稿: ふみ虫 | 2014年7月 6日 (日) 11時26分

おきょうさん さん

それは再生の儀式みたいな……。
もったいないから、「元」にはもどらず、
別のどこか(イスタンブールとまでは云いますまい)へ
着地してください。ね。ね。

そして、ときどきイスタンブールごっこしましょう。
まずは地図をひろげて……。

投稿: ふみ虫 | 2014年7月 6日 (日) 11時21分

ふんちゃん

 私は…、何をもって「わたしはわたし」と思っているんだろうか?
 と、考え込んじゃいました。
 
 台所しごともそれほどでもなく…、
 仕事だって…、
 母としてだって…。

 う~ん。
 どれも半端な気がしてしまいます…。
 
 で、結局…、そういった何か分からない感じが「わたし」ということにしよ~っと。
 ということにしました(^^)
 たゆたゆいけるといいなぁ。
 でもね…、きっと家族は、私のコト、「こだわりの人」って思っています。
 そんなにね、「暮らし」を考える人はあまりいないよって言われます。
 ふんちゃんの真似なんだも~ん^m^

 今年も、おいしい梅シロップができました♪


 

投稿: もも(^-^) | 2014年7月 6日 (日) 08時42分

ふみさま~みなさまこんにちは~

あっという間に土曜日になってしまいました・・・
今週私はついてない!!

火曜日から鼻がつまって体調不良、
なんとかそれを改善すべく
家族を送り出した後はひたすら午前中は寝ていたのですが、
一向によくならず、だんだん咳はでるわ頭痛はするわ・・・

仕事だけは休めずがんばってやったもののそれ以外はまったく家事もほうり出して休養こころがけたのですが時間の無駄だったみたい・・

本日は荒れ果てたおうちの中でしばし呆然としておりました。

では微熱もまだあるのでとりあえずお水を1杯飲もうとコップに氷をいれたのを落としてしまいものの見事に大破。

おまけにさきほど携帯まで原因不明の電源入らない状態で
先ほどショップにて補償手続きをしてきたところです・・・

結局荒れた家は整わず、ガラスの始末をしたくらいで・・・

携帯ショップでは
「電話帳以外の全デ―タがおそらく書き換え不可能です」
と告げられ・・
まあ、しょうがないかなと。

明日までの代替え品をレンタルしていただき、帰りの車の中、運転しながら
「あ~~。写真も、ダウンロードアプリケーションも、み~んなリセットか・・」
と、思う中
でも、

それもありかな。なんだかスパっとスッキリしちゃっていいかもね。

なんて、

「わたしはわたし」だものねふみさま~。

まるまる1週間寝込んでいても、結構家族は元気にやってるし、
気にいりのコップ、また買えばしっかりおいしいお水ものめるわけで
大事な大事な携帯だって、結局壊れちゃったらなんとか繋げる手段をとることもできて

世界はふつ~~にまわってるわけです。

だから、私も気負わず、気楽に、わたしはわたしでいきましょって。

わたしはわたしで出来ることはやるけれど、できなくてもあまりあせらず、悔やまず。

いつのひか、イスタンブールにわたしもお醤油持ってウキウキでかけてみたいです。

まずは元気になります!!

投稿: おきょうさん | 2014年7月 5日 (土) 18時04分

くろにゃんこ さん

有紀さん、お誕生おめでとうございます。
うれしいです、とても。

有紀さんのおかあさまであることの意味は、
くろにゃんこさんが考える「食べさせたい」
ということ以上に、
ただただくろにゃんこさん自身の存在によるものだ
と思います。

だからこそ
一所けん命できるし、
ときどき休養しなければなりませんし、
日日自分をみつけることに熱心になれるのじゃないかな、と。

佳い夏を。ね。

投稿: ふみ虫 | 2014年7月 5日 (土) 11時30分

さのまるさん

何によってさのまるさんであるか、ということの
幅がひろがってゆくというわけです。
わくわくしますね。

「誰のために」とか、
「○○のために」という考えも、
そもそも、結局、つまるところ……、
「誰のためでもない」のかもしれません。ね。

投稿: ふみ虫 | 2014年7月 5日 (土) 11時22分

こぐま さん

こぐまさんのように、
何があっても「何かをみつけて」という
ことが芯にあるひとは強い、と思います。

最終的にわたしは「読む」ことができれば
いいなあと思うのですが、かないますかどうか。

投稿: ふみ虫 | 2014年7月 5日 (土) 11時19分

ふみこさま
子供のためにできる事は食べさせる事位。
本当にそうだって最近思います
わたしはわたし
また一つ大事な言葉がふえました

昨年、風呂敷の回でつわりを励ましてもらったくろにゃんこです 優しい言葉が嬉しくて宝物にして過ごしました ふんちゃんありがとう 女の子、有紀ゆうきと名付けました 最近よく笑うようになりました

投稿: くろにゃんこ | 2014年7月 5日 (土) 00時31分

ふみこさま。

あぁ…、まさに、それ!と思ってしまいました。

子どもが巣立ち、
(一人で生きられるように育てることが子育てと考えれば、それはめでたいことなのです)
夫も単身赴任で、一人暮らしの今、私は、誰のために生きているのか…。
誰の役にもたっていない、誰にも必要とされていないのか、
私がいなくなっても、もう誰も困らない。

少し前、高校時代の友達と会った時、あの頃の私たちは、自分のことだけだったよね、という話をして。

でも、結婚してから、何年も家族のために過ごしてきた日々…
誰かのために生きてきたような気がします。
それが、すごく幸せだった。
そして、一人になったとき、誰の役にもたっていない自分がわからなくなる…。

ふみこさま。

言葉の上では、わかるのに、
そう思いたい自分がいるのに
火曜日からずっと考えても、なかなか自分の縛りから解かれません。

でも、覚悟を決めて、「誰のためでもない自分」に
戻ってみようと思います。
「こんなわたしもわたし」と。

(ふみこさんの言いたいこととは違っているとは思うのですが
今の私の受け取り方です。こんなのもあり?)

投稿: さのまる | 2014年7月 4日 (金) 23時09分

ふみこさま。

おはようございます。

主婦業に小さなしあわせ見出せば 私は私の生き方を知る

何年も前に作った短歌です。そして、主婦業ができなくなっても、私は、やっぱり何かをみつけて、私の生き方を知るようにしたいなぁ・・・と思いました。たぶん、書くこと・・・。仕事にはならなくても、ずっと書くことは続けたいです。
では、またぁ。

投稿: こぐま | 2014年7月 4日 (金) 08時25分

ゆっきー さん

このたびは、
「わたしはわたし」というのを、
訓練系統のこととして書いておきたいと
思いました。

たとえいま、
考えなくてもすむことであっても、
考えておく、決めておく、という意味で。
しかし、こうしてゆっきーさんのように、
すでに、そのただなかにさしかかった方も
あるのでした。
「得意分野」のことをできない日があるという辛さは
想像に難くありませんが、
ゆっきーさん、
ゆっきーさんは、
食事の仕度をすることによって母であり、
妻であるのか、ということを考える好機を得ておられます。

そしてそうではないはずです。
ゆっきーさんはゆっきーさん、
いつ何時もお母さんであり、
いつ何時も妻である。

そのことを証明しながら堂堂と
歩むお姿を、見ております、ここから。

ありがとう、おはなしくださって。


投稿: ふみ虫 | 2014年7月 3日 (木) 16時23分

ふみこさん、こんにちは。

読み終えて「わたしはわたし」と5回言ってみたら、いい感じです。
私が一番苦手とする考え(分野)なのは十分自覚していますが
すぐに忘れてしまいます。毎日寝る前に言ってみます。

私も子供に出来ることは食事を作るくらいと考えて今まで来たのに
数年前からそれすら出来ない時(吐き気による体調不良)があり自信をなくして落ち込みました。
私の取り柄って他にある?存在意味さえもなくなったかのように思ってしまったり。。。
そんな時夫が「出来ることをやればいい、できないことはやらなくていい」
と言ってくれました。
今までなんということなくやれていたことが出来たりできなかったりする。
ましてやそれが自分の得意分野だったのに。。。
色々考えて堂々巡りになりがちですがこれも「わたし」と心から受け入れたとき
乗り越えられると思っています。まだまだ時間が必要ですね。きっと。
誤解を恐れずに書きますがふんちゃんのあやうい感じを自分と重ね合わせて元気をもらっています。
「わたしはわたし」なにがあってもなにもなくても。

夕方のウォーキングで出逢う夕日がとてもきれいです。(コメントにもありましたが)
私は太陽よりも夕日が好きなんだなと改めて思いました。

投稿: ゆっきー | 2014年7月 3日 (木) 15時43分

くまはち さん

廚しごとの
奥深さを知ってゆく、くまはちさん。
くまはちさんのところの王子さま。

わたしも、
いまのところまだ廚をまかされている者として、
「そのあたり」を見てみたいと思います。

修業仲間に加えてね。

投稿: ふみ虫 | 2014年7月 2日 (水) 21時19分

おまき さん

何がどうなろうと、
それを愛した自分、
一所けん命した自分、
そんな事ごとはどこかにそっと、積もってゆきます。ね。ね。

積もったものが自分にしか見えなくても……、
満足だな、と思えます。
もともと自己満足系統の体質ですし、わたしは。


投稿: ふみ虫 | 2014年7月 2日 (水) 21時15分

寧楽 さん

たとえ、
「それ」ができなくなっても、
少なくなっても、そうです!
「それ」のことずっとたのしめる、
そういうわたしたちです。ね。

暮らしを大事に思う、わたしたちです。ね。

投稿: ふみ虫 | 2014年7月 2日 (水) 21時12分

みーこ さん

やさしさあふれる、みーこさんの
台所ですねー。
おかあさまとの台所という宿命も、
なかなかたのしそうに思えます。

わたしも、そう。
「まあいいか」の連続で、ここまできたような。
いい目盛りじゃないの、「まあいいか」。
……と、最近はそう、評価しておりまする。

投稿: ふみ虫 | 2014年7月 2日 (水) 21時10分

ぽんぽん さん

「わたしのつくってるもので、
チビのからだができている」

そう思えるぽんぽんさんに、拍手。拍手。

投稿: ふみ虫 | 2014年7月 2日 (水) 21時06分

ふみこさん、皆さん、こんにちわ。

厨しごとの、特に、食後の洗い物にいろいろなことを教えてもらっています。
先週、現場実習だった息子。
施設長さんからの宿題は、お弁当箱洗い。
実習が終わってからは、食後の洗い物をするようになりました。

洗い物を教えながら、施設長さんからの宿題の意味を噛み締めています。
洗い物っていうシンプルなようでそうではない仕事の重要さ、仕事の段取り、正確さ、
更には、食事を作った人への感謝…。
何て、奥深いんでしょう。

私はまだ、廚しごとに励まなきゃいけないみたいです。
息子と一緒に、修業している最中です。

投稿: くまはち | 2014年7月 2日 (水) 18時06分

ふみこさま、みなさま。

ああー、もうわたしだけでわたしではないんだよう~、という毎日でね。
わたしだけのわたしは、もうつまらない存在で、とおくに追いやって、
「これが自然なわたしです」という風を頑張って見せているんです。

仕事もしてるのですが、その場ですらも、自分が開いた場とも思えていなくて。

いろんなものから解放されたいと思うのに、解放されたら何にもなくなるような気がするのです。まだまだ青いってことですかね?

投稿: おまき | 2014年7月 2日 (水) 14時57分

ふみ虫さま

私とふみこさんの出会いは(一方的に)
前のブログでの
竈のお話のときからです。

もう随分前ですが

厨しごとに
様々なヒントがかくれてること
元気になれる何か!があること
教えていただいてます。

たとえそれが少なくなっても
暮らしを愉しむ術を
忘れるはずがありません。

ありがとう、ふみこさん♪(*^^*)

投稿: 寧楽 | 2014年7月 2日 (水) 13時56分

ふみこさま
朝、みそ汁を作り、野菜とメインディッシュ(卵料理、魚の塩焼き、近頃では冷奴など)を準備し台所しごとをする。
私は、眠れない夜が時々あり、お医者様に頂いたお薬を飲むときもある。時に今日は朝までまあいいか……などと思い、服用せずにまんじりとして、非常に眠くて起きたくない朝がある。
そんな時、今日は朝パス!!と叫びたくなるのです。
面倒くさいなあ……と思ってしまうときもある。
だけど、お昼ご飯を時に食べられないで頑張る夫やきちんと食べさせたいという自分の欲求に従い、なんとか台所の仕事をする。
いつか卒業する日がくるのかな……でも、食べることは生きる事、自分の体の為にも、朝ご飯を食べさせてやりたい。
いや、ご飯はきちんと食べさせたい。
本当はもっともっと、手作りのものであふれさせたい。
吟味した調味料を必要最低限に持ち、手を惜しまずに台所仕事をしたい……
この歳(私は53歳です…)になっても完成してない自分がいます。
義母との台所しごとのため、自分の思いが貫けない欲求と、でも、やってもらえるところもあり「楽じゃないの。」という甘えが共存して、いいとこどりをしているせいだろうな。
まあいいか
こんな思いで生きてきたような気がします。
でも、この先どう変化してゆくのか……
未知なることにワクワクし、なんだかんだといいながら適当に順応していく自分を信じ、変化を楽しもうじゃないかと思うのです。

投稿: みーこ | 2014年7月 2日 (水) 13時30分

ふみこ様皆様おはようございます。

大根の葉!美味しそうです。最近は葉つきの大根が手に入らなくでね。
私は菜飯もしますが、ゴマと桜エビで炒めてふりかけにするのが好きです♪

台所のことも、家のことも、仕事も、時々「うわぁ~」と投げ出したいことも
ありますが、私の作ってるモノでチビの体が出来てる!と思うと、「それくらいはやんなきゃね…」と思うし、なんだかんだ言っても元気でいられること。それだけでいいのですね。
きっと、ブツブツ言いながらの私ですが、それもまた私。


なるべく、ブツブツ…はやめたいものですがね。

投稿: ぽんぽん | 2014年7月 2日 (水) 08時47分

KZのツマ さん

ワッペン!
そりゃ、素敵だ。
わたしの時代、ワッペン列車というのがあって、
遠足(小学校)のときなんかは、
みんなでワッペンを胸につけて列車に乗りました。
ゆるい団体指定席みたいなもの(旧国鉄時代)。

わたしも、今後、どんなワッペンを胸につけることに
なるのかな。
いまつけているどのワッペンをはずして、
宝箱にしまうのか。

追伸
「ひとは、目覚めているけど、起きたくないときが
あるでしょ? あなたが目覚まし時計になればいいのよ」
ってね。ね。

投稿: ふみ虫 | 2014年7月 1日 (火) 21時34分

マドレーヌ さん

とびらを開いて、進んでゆく
マドレーヌさんの後ろ姿を、
そっと覗いています。

わたしも云わせて!ください。
がんばろうねー。

投稿: ふみ虫 | 2014年7月 1日 (火) 21時28分

ゆるりんりん さん

「4か月」とわかっているところが、
ゆるりんりんさんのすごさです。

そうか、4か月。
大いなる励ましだと、感じました。

そうか、4か月。

投稿: ふみ虫 | 2014年7月 1日 (火) 21時25分

野生寄り さん

入院中のお嬢さんのお弁当、
早くつくりたい野生寄りさん、ですね。
こってりでも、あっさりでも。

おいしい野菜たっぷりの野生寄りさんのお弁当に、
ほおおおおっとなっております。
まあいいか、どころじゃありません。
それで、じゅうぶん!

投稿: ふみ虫 | 2014年7月 1日 (火) 21時23分

たまこ さん

この時期の夕焼けを、
贈ってくださって、ありがとう。

「そこにいるだけで、ふんちゃんですよ」
ということばも、ありがとう。

じんわりときれいなものがひろがってゆく、夜です。


投稿: ふみ虫 | 2014年7月 1日 (火) 21時20分

rantana さん

うつろってゆく、
自分の「時代」を、何と云うか、
何でもなく、ごくあたりまえの顔をして
受けとめたいです。ね。

プロとかアマとか、
そんなこともどうでもいいなと、思うんです。ね。


投稿: ふみ虫 | 2014年7月 1日 (火) 21時18分

佐々木広治 さん

石垣りんさんは、
敬愛する詩人(そして活動家)です。

ああ、久しぶりに詩集を開きたくなりました。

投稿: ふみ虫 | 2014年7月 1日 (火) 21時15分

ふみこ先生

いまの自分を説明するとき、よく
「何足ものわらじをはいてるんだよー」
と言っています。

仕事の状態や家族の中での役割のことだけを指しているのではなく、
どっしりとしたものにつながれていない状態、
つまりは、安定していない状態を表してもいて、
どちらかというと、マイナスのイメージをともなって口にしていたのですが、
でも考えてみると、「定まらない」こともまた、
臨機応変の術を身に着けられる、またとない機会なのではと
思い始めていました。

そんな中で、ふみこ先生のお話を読んで、
ふと思い浮かんだのは、わらじではなく、ワッペン。

いろんな役割をあらわすワッペン。
色も形も模様もさまざまで、
新しかったり、長年使い続けて古びていたり。
人はみな、それをペタペタ、貼ったり貼られたり。

どんなに愛着あるワッペンであっても、
そのとき、が来れば、はずして休ませることもある。
はずしたワッペンが、大切なコレクションに入ればまた、
新しいワッペンを貼れるわけで。

ここにもまた、臨機応変の術を身に着けられるチャンスが!

ふみこ先生のワッペンのコーディネートとコレクションが
ますます素敵で、おもしろい(これ重要!)ものになることを想像しつつ、
私も自分のワッペンの充実に専念いたします!

何だか、わらじやら、ワッペンやら、比喩盛りだくさんの
お便りになりました……。

追伸:
先日の「野際陽子」の温泉旅館Gメンのシリーズ、
きっと同じ時間帯に私も観てました。
あのチームは、いつも熱くて!ほれぼれしてしまいます。

投稿: KZのツマ | 2014年7月 1日 (火) 17時43分

ふみこ様


(●^o^●)私もふみこさんと同じことやってる~とうれしくなりました。
ヨーグルトもぬか漬けも…。
どちらも「おいしく、よろしくね」と声をかけながら…。

先週から、なんと働き始めました。
ご縁があって、平日勤務です。
これまでの生活を考えると、また新しい扉が開いたなぁと実感しています。
期間は来年の三月まで。高校生ムスメが私の勤務初日、これまでは「行ってきます」と出かけて行ったのに、「行ってきます!がんばろうね」と一言加えたのが新鮮で、とてもうれしかったです。

投稿: マドレーヌ | 2014年7月 1日 (火) 17時28分

ふみこ様

自然災害とか、急な病気とか、
急なお別れとかで
あってあたり前、できてあたり前を
ごっそり持って行かれる経験を
誰もがどこかで経験します。
わたしの場合ですが
環境や状況が変わると
「わたしはわたし」と思えるようになるのに
4ヶ月くらいかかります。
のらりくらりして、、
色々なありがたさをやっとわかる人みたいで。
いつまでうじうじしているんだと
言われることもあるのですが、
bud新芽が出てくるのに4ヶ月かかる、
そう思って時の助けをかりています。

このお大根美味しそう!
スティックにしてボリボリかじりたい。

投稿: ゆるりんりん | 2014年7月 1日 (火) 16時26分

こんにちは

あぁ、菜めしのお米にはお酒を入れるんですね
今までいまいちしっくりこなかったのはお酒をいれなかったからか・・・
これからはもっとおいしくなるよ、待ってろ、みんな  なんてね

 今日の私の弁当のおかずは「めんたいこ」と「大根ときゅうりの浅漬け」「冷奴(これを持ってくるのか!)」
全然手間隙かかっていませんよね~♪ (父の畑の野菜、おいしいからいいの)
こってり好きな夫と娘の弁当は正直ちょっと面倒だけど 
今は入院中の娘も退院したらアッサリ派になってくれるかしら

台所ゴトも掃除ゴトもこれからはますますテキパキから遠ざかっていくんだろなぁ この年になると(57歳であります)「まぁ いいか・・・」をつぶやくことが多くなりました

投稿: 野生寄り | 2014年7月 1日 (火) 13時41分

ふんちゃん皆様こんにちは。
なにもなくても
そこにいるだけで、ふんちゃんですよ。

母にも伝えてあげたいな。

ふんちゃんご存知ですか?
今の時期
夕方晴れた日の夜になる直前
綺麗な夕焼けが見れること。

まるで万華鏡の中身をこぼしたように
きれいですよ

投稿: たまこ | 2014年7月 1日 (火) 12時31分

ふんちゃん、みなさま、こんにちは。

先月、職業がなくなった人、は〜い、わたしです。
そして、朝ごはんの支度からも、手を引き、
弁当も持って行かねばならない人がいなくなって4年。
台所しごとが、夜に限定されても、
まあ、わたしはわたし、かな。
台所仕事をするわたしがわたしであり、母であり、妻であるという考えからの
卒業も果たしていないけど。

それより、なにより、
そも、行きがかりで職業をもつという僥倖を、
僥倖と思えずきたことが、わたしはわたし?と思わせる。
頼りないところでやっとつづける、と意識する立ち方を、
そっと始めてみたいな、と思うわたしも、わたし。

ふんちゃんの、頼りないやっとと懸命。そこが好きなんだなあ、
と思っています。

投稿: rantana | 2014年7月 1日 (火) 12時02分

ふんちゃん。


石垣りんの詩をふとおもいだしました。
『表札』

最後の一節。

石垣りん それでいい。

石垣りんの詩や文は一時期よく読みました。
ふんちゃんも、好きそうだなぁとおもっています。

投稿: 佐々木広治 | 2014年7月 1日 (火) 11時43分

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