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2014年8月の投稿

2014年8月26日 (火)

夏の記憶⑤(2014年)

8月△日
 化粧水がなくなり、買いに行く。
 こう書くと、なくなるやすたすた買いに出かけたようだが、そうではなかった。冷蔵庫の扉の化粧水置き場(通年ここが化粧水の定位置)に手をのばして、「あ、ないのだった」と一度ならず思い、二度ならず思い……、そうしてだんだんないことがあたりまえ、というくらいまでになっていた。
 夏場わたしは化粧水しかつけないので、困らないわけではない。そしてこの家の者たちは皆同じ化粧水を使うので、困りは、4人に及ぶ。ただ、娘たちは若い身空ゆえ、こっそり代用の何かを持っているらしかった。二女と三女は、あまり困っているふうでなかった。
 わたしはどうしていたかというと、試供品でまかなっていた。どうして試供品がこうもたまるものか、ひきだしの試供品を置くコーナーには、およそ1回か2回分入りの小袋が箱にならべてさしこんである。化粧水もあるが、化粧落とし、洗顔、美容液、シャンプー&コンディショナーのほか、わたしには何だかよくわからないものもある。夫はどうしていただろう。水をはたきつけていたのではないだろうか。
 そしてとうとう出先からの帰り道、思いだして(よくぞ思いだした)、いつもの店のいつもの化粧水の前に立った。やっとのことだ、と思った。買い置きを考えないのか、と尋ねられそうだが、それは考えない。東日本大震災を境に、買い置きに気持ちが向かなくなった、と云って説明がつくだろうか。モノを使いきってはじめて、つぎのモノをさがす暮らし方がしたくなった。買い置きしておいたモノに切れ目なく移ってゆく暮らし方ではなくて。
 さて、とうとう、つぎの化粧水の前に立ったわたしは、ふと、わき見をした。馴染んで使いつづけてきた化粧水のとなりに、同じ化粧水の「エイジングケア」版が立っているのを見て、ふらふらと、それをもとめた。エイジングケアということばにこころを摑(つか)まれるなど、どういうことかと思いつつも。
 帰って落ちついてレシートを見て、いつもの化粧水の3倍の値段であったことに気づくのである。
 わあああああっ。
「あ、あたらしい化粧水」
「エイジングケアだってさ。ま、いいか、使ってみようか」
 という二女と三女の云い交わす声が聞こえる。ぺたぺたと、遠慮なく顔から首にかけてはたきつけている。3倍の値段だとも知らずに。
30歳以下のひとがエイジングケアの化粧水を使うと、肌は日に3か月ずつ年をとります。30歳を超しているわたしは、日に3か月ずつ若くなってゆくけれども」
 と、声をかける(もちろんつくり話である。念のため)。
 若き(30歳に満たない)ふたりの女は、それを聞くなり「いやだー!」と叫んでいる。あれ、男の声が混じっている。夫の声。
 ――夫よ、これは常のものとは異なるものゆえ、たっぷりとは使いたもうな。
 数日後、いつもの化粧水をもとめてきて、冷蔵庫の扉の置き場に置く。エイジングケアの化粧水とならべて、置く。ほっとする。

 8月△日

 台所のシンクの上の小さな電灯が点かなくなった。
 点検の結果、専門家に修理を頼まなければならないことがわかった。仕方がないから天井の蛍光灯を点けてみると、どうにも落ちつかない。小さな灯りがあるくらいが具合よく、煌煌と照らされると気恥ずかしいような気がしてくるのであった。
 東日本大震災のあと、しばらくのあいだ、晩ごはんをろうそくの灯りで食べていたことを思いだした。そうだ、ろうそく。わたしは燭台をとり出してろうそくを置き、火を灯した。なんと小さく、なんとやさしい灯りだろうか。
 そして今夜、この灯りのもと、あたらしい料理が誕生した。冬瓜をチキンスープで煮て冷やし、カッテージチーズ(朝、ヨーグルトを火にかけ漉してつくっておいた)と味噌のソースを添えたもの。オリーブとアンチョビがあればタップナードソースをつくるところだが、どちらもなかったので味噌、オリーブオイル、ツナを合わせてソースとしてみた。
 煌煌とした台所では、この代用ソースは生まれなかった。……と思う。

8月△日

 8月もさいごの週になった。
 ああ、夏が行く。
 暑さのせいだろうか、仕事のはかどらぬわたしであった。けれどよく乗り切ったという思いも湧いて、はかどらなさも、汗だくの作業も、寝苦しさも、いまとなっては愛おしい。夏に浸りこんだこの身は、さやかにつぎの季節をとらえている。

Photo

この夏、百合に助けられた。
きらさぬように、飾りつづけた。
開花せずに蕾のまま落ちたりすると、
家のなかの誰かが弱っている合図のような気がして、
あわてて百合を買いに走ったりした。

化粧水はなかなか買わなかったというのに。

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最初の写真は、居間の百合。
こちらは玄関。
百合は凛(りん)としてうつくしく、
あたりを浄化する力を持っているように思えた。
百合さんたち、夏のあいだ、
ほんとうにありがとう。

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2014年8月19日 (火)

夏の記憶④(2014年)

8月△日
 熊谷市(埼玉県)にある夫の実家へ。
 ちち(83歳)、はは(81歳)は、活きがいい。年とった年とったと云いながら、ぴちぴちと柔軟である。
 兼業農家の位置づけのなか、ちちは長らく会社勤めをしていたが、この15年はお百姓1本の暮らしをしている。

「さて、見まわりに行こうかな」

 そう云ってちちが立ち上がる。
 こっそり、わたしもあとにつづく。
 長身のちちは、白い長袖の古シャツ、木綿の長ズボン、誰が買ってきたものだろうか、足元はグレーのプラスティック・サンダルだ。そんな後ろ姿につづいてゆく。
「おとうちゃん」
 と背中に呼びかける。
 夫の真似をして、わたしは初めてこの呼び名を口にしてみた。
「おとうちゃん、ついてきました」
「おお、来たんかい」
 6月に田植えをした稲は青青と育ち、いまや花をつけている。稲の花。この世にうつくしいものはたくさんあろうけれども、このうつくしさには類を見ない。稲1本1本のあたまから、天に向かって光の柱が立っている。
「いまは、もしかすると、農家のいちばんいいときかもしれない。農家の暮らしは忙しいにはちがいないけれど、いまの時期はさ、日に一度の田んぼの見まわりが、いちばんの仕事でね。水のことを気をつけるほか、何か困ったことが起きていないか、見てまわるんよ」
「ほれ、ここ」
 そう云うとちちは、履いていたサンダルを脱いで、長ズボンの裾を器用にたくし上げると、田のなかに入った。入ったのは隣接した休耕田で、稲の育つこちらの田からそちらへ抜けてゆく水を、堰きとめようというのである。
 父の作業を見守りながらあぜ道を動くと、いくつもの小さな黒い影が水のなかに飛びこむ。蛙だ。ああ、この夏、こんなに大勢のアナタたちに逢えただけでうれしい。かえる、カエル、蛙、frog……。
 ちちは、大きな手で土をすくい上げて、ぺたっと水の隧道を塞ぐ。
「これでよし」
 その作業の傍ら、わたしは、たくさんの田螺(たにし)と出逢った。昔話の『田螺長者(たにしちょうじゃ)』*を思いだした。このたくさんの田螺がいっぺんにひとの姿になったとしても、それがいかに立派な若者であってもどうしてやったらよいものか困ってしまうのだけれども。それでも田螺との出逢いはまるで物語のなかの出来事のようで……、わたしは「たにし、たにし」とうかれている。
 ちちが田を見渡しながら、云う。
「ここいらで、ほんとうにほんとうに原点に戻らないといけないというわけだ」
「日本人はいいところもあるけれど、どうやら原点を考えにくい民族ですね」
「そうだね。わたしなんかも、まるでそこを考えず、前ばかり見て走ったよ。だけどね、ふんちゃん、わたしには田があったからね、畑があったからね。土に触れてきた歳月が、いま、原点を思わせてくれる」

8
月△日
 この夏、台所から出た野菜の皮を大きな植木鉢に捨ててきた。夕方ひと日分のが入ったところで土をかぶせ、植木鉢いっぱいなったところで、庭に埋める。台所の仕事のつづきとして、こんなことができるのがわたしにはうれしい。
 そしてきょうは、たくさん集まったとうもろこし(友だちの群馬土産、茨城土産と熊谷のと)を、干した。からからに干してどうするかと云うと、冬場にポップコーンにしようというのだ。
 土作りにしても干しとうもろこしにしても、先先につながってゆく作業は、こころを明るくする。

『田螺長者』
 むかしむかし、子を授かりたいと願う夫婦がありました。夫婦は水神さまに祈願し、願いかなって男の子を授かりました。生まれた子どもは小さな田螺の男の子でしたが、夫婦は20年ものあいだ、大切に大切に育てたのです。
 あるとき田螺は長者に納める年貢の米俵の上に乗り、みずから馬を御して役目を果たしました。感心した長者は田螺を娘の夫とし、若い夫婦は仲よく暮らしました。1年ののち、薬師さまの祭りの日のこと。夫婦はそろって出かけます。田んぼのあぜ道に夫を残して、妻は願かけに出かけました。夫が人間の姿になりますようにとの願かけでありました……。

Photo
無事に受粉した稲たち

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田んぼには、さまざまな生き物が……。

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稲は、 実になりつつあります。

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2014年8月12日 (火)

夏の記憶③(2014年)

8月△日
 夏、汁ものばかりつくっている。
 暑さのなかこそあたたかいものを摂ろうというわたしの考えと、台所で待機している夏野菜の合作スープだ。
 母がその昔、夏になるとこしらえた「畑の宿がえ」も、スープだった。夏の畑の野菜たちがうちの鍋に引っ越してきたみたいなその呼び名も、スープそのものも大好きだった。でっかいスープ皿にたっぷりよそってもらう。大きなスプーンにご飯をちょっぴりすくいとり、それをそーっとスープに浸しながら食べるのが気に入りだった。さらりとしたリゾット。子どものころはリゾットなんて知らなかったから、「こっそりおじや」と呼んでいたのだったなあ。
 ところで、わたしが昨夜つくったのは洋風のスープだった。
 玉ねぎ、長ねぎ、にんじん、大根、トマト、とうもろこし、ピーマン、茄子(皮を剥いて)、じゃがいも、しいたけ、いんげんが入った。昆布10cmとベイリーフを2枚入れた。塩味。野菜たちの力、とくにとうもろこし芯のだしの力に頼んでのスープだった。
 やすむ前、残ったスープを耐熱のボウルに移して、冷蔵庫におさめた。
「また、明日」

8月△日
「おはよう」
「なんだか胃が重い」という二女の前に、あたためたスープを具なしで置く。
「ああ、こういうのが欲しかった。うれしや」
 と、感謝されたけれども、じつは前の晩のスープをボウルから汁だけすくって、あたためただけの滋養だ。
 二女を力づけたあと、スープは具(野菜)ばかりになった。わたしはそれを鍋に移し、だし汁を注ぐ。今度のだしは昆布とあごでとったもの。炒めた茄子と長ねぎ、油揚げを加えて味噌汁に変身す。
 昼は、この味噌汁とおむすび。
 味噌汁が残ったので、夜はほどよく水を注ぎ、豚肉、キムチ、豆腐を加えてチゲとして食べる心づもりだ。

8月△日

 磯田和一さんが亡くなった。
 画家として、絵本作家として親しんできたわたしだが、ほかにもきっとたくさんのお仕事があったことと思う。磯田和一さんがこの世にあることがうれしく、安心していた。
「皆様には磯田和一共々、いつもたいへんにお世話になっております。昨夏から闘病を続け、何度も苛酷な手術やICUでの辛い処置を耐え抜いて、最近では少しずつリハビリも頑張って、復帰を目指していた磯田和一でしたが、とても残念なことに8月4日(月)朝8:38に心臓が尽きて、息を引きとりました。(中略)私も、身内も、周囲の皆も、磯田さんの笑顔や冗談に明るい気持ちをもらえる日がまた、遠からず訪れると信じていました。『また 明日 来るね』 『うん!』と手を振って病室を去ったのが最後の夜となってしまいました。(後略)」
 磯田和一さんのパートナーで、わたしの大事な友人でもあるひらいたかこさんから、訃報はファクスで届いた。ひらいたかこさんはパソコンを使わないと決めているから、やりとりはいつも郵便だ。このたびはファクスだったが、いつもの気持ちのいい書き文字であり、右上にわたし宛のメッセージがあり、磯田さんがわたしの本を見てくださっていたこと、共感してくださっていたことなどが記されていた。
「磯田さん、磯田さん」
 大事なひとが逝ってしまった寂しさが胸を締めつけ、泣きそうになったけれども、そんな場合ではなかった。二女と三女を呼び、ふたりの前でひらいたかこさんのおたよりを読み上げる。長女にはメールで知らせた。
 このうちの子どもたちは3人とも、磯田和一さんとひらいたかこさんの絵本に育ててもらってきた。そのお礼の気持ちをお伝えしなければ、と思った。
 告別式に長女と二女とわたしの3人で参列し、お礼を申し上げる。
「磯田さん、どうもありがとうございました」
 帰り道、先月(7月)、皆で磯田さんの絵本『サンタ・ハウスのサンタたち』の絵本を開いて、たのしんだ夜を思いだした。
「ここは サンタ・クロースが すんでいる サンタ・ハウスです。サンタ・クロースは ひとりだと おもっていた きみたち。 じつは サンタ・クロースって、こんなに いるんだよ」
 という書きだしの物語。
 その夜、わたしたちは自分がサンタ・クロースのひとりになって、おもちゃづくりに大忙し!のつもりになった。サンタ・クロースたち(おばあさんサンタもいます)はのんびりたのしくやっていて、もうすぐクリスマスというときになって、あわてておもちゃづくりにとりかかる……。
 誰がどうして夏の夜に本棚から引きだしてきたものか、しかしたしかに7月のクリスマスは、あったのだ。

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『サンタ・ハウスのサンタたち』

(磯田和一 作・絵/佼成出版社)


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こちらは『東京
23区でてくちぶ』

(文・絵 磯田和一/東京創元社)。
磯田和一さんが歩きに歩いてみつけ出した東京
イラスト・ルポです。

ひらいたかこさんとの共著、

「ヨーロッパ・イラスト紀行」のシリーズは、
わたしの宝もの。
旅の佇まいが素朴で実直。
旅の、日常生活の、手本になります。
絵も文章も魅せる、読ませる!のです(東京創元社)。

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2014年8月 5日 (火)

夏の記憶②(2014年)

8月△日
「夏バテしていませんか?」と書いてあるやさしいおたよりをいただく。1通ばかりでなく、2通も3通も。
 こうなると、やさしさのなかに相手方の心配が本気のものとして見えてくる。夏バテしかねない、夏バテしかかっているにちがいないわたしを本気で心配してくださっている。おたよりにはだから、注意を喚起しておこうという切実さがこもる。
 考えてみると、わたしはたしかに夏バテしかかっているようでもある。
 毎年、夏は、こんなふうだ。夏バテしかかりながら、そろりそろりと日を過ごす。そして、どうしてだか、夏のそろりそろりがわたしにおしえる。
 ――それでいいんじゃないの? その感じ、忘れちゃだめだよ。
 ひと日のうちに仕事量をこなせない自分、決死の覚悟で晩ごはんをつくる自分、部屋の隅の埃に目をつぶる自分を労ろうとする思いである。また、そろりの自分は、かすかな涼風を、一瞬の夏の翳りをみつける。忘れちゃだめなのは(手放したくないのは)その値打ちでもある。

8月△日

 この数か月、児童文学に没頭している。
 書店に立ち寄ると、脇目も振らずに児童書のコーナーに向かい、背表紙の広がりにじっと目を凝らす。至福。
 驚くのは、読み損なっている物語の多いことだ。児童書への関心が深まりはじめた当初は、そのことが無性に哀しかったが、いまはちがう。この年になって初めて読むことができる。そう思うようになっている。おそらくは、多く読みこぼしてきたことにも意味があるのにちがいない。
『トムは真夜中の庭で』(フィリパ・ピアス 高杉一郎訳/岩波少年文庫)を読む。今夏、汽車に乗って遠くへ出かける旅はできそうにないけれど、この本のおかげで旅は実現した。主人公の少年トムに特筆すべき能力が見当たらない点、みずからの個性にいまだ目覚めていないところが好ましく、共感しながら物語を旅することができた。トムは目の前で起こるあらゆる現象を、ひとつひとつ受けとめる。ひとつひとつあたりまえに怖れ、驚き、ときめき、そしてさいごにはいちばん大事なこと、つまり「ひとは誰も、かつては子どもであり、いつまでもそれを持ちつづける」ということを知るのである。

8月△日

『トムは真夜中の庭で』への旅からもどるや、すぐまた旅を決めた。
 映画化され、今夏公開されている『思い出のマーニー』(ジョーン・G・ロビンソン 高見浩訳/新潮文庫)への旅だ。読みはじめると、不思議な感覚にとらわれた。あれ、あれ、ついこのあいだの旅とつながっている……?
「過去」と「現在」のあいだで起こる不思議な物語。夢中で追いかけたトムの背中(ほとんどパジャマの背中であった)を思いださずにはいられなかった。
『思い出のマーニー』をさいごまで読み、つづく「訳者のあとがき」のなかで、合点が行った。そこに、作者ジョーン・G・ロビンソンが物語の基本的な構成を『トムは真夜中の庭で』にならっていたとある。
 だからと云って借り物のようなところは寸分も見当たらないのだが、それでもそうとは知らずに、『トムは真夜中の庭で』のすぐあとに『思い出のマーニー』を、わたしはなぜ読まされてしまったのか。どきどきする。
 どきどきし過ぎて、つぎの旅が怖い。

8月△日

 ことしのはじめからひとり暮らしをはじめた長女から、深夜、メールが届く。
「扇風機が届きました。家のなかに『風の又三郎』がやってきたみたいになって、にぎやかです。どっどどどどうど、どどうど、どどう」
 へへ、そりゃよかった……と思ったら、頭の上に風が通った。
 夏の又三郎。


2014
夏の大きなたのしみは、朝顔です。

友人からのタネ(自家採種)から、
また花が咲きはじめました。
古風な色です。

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