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2014年9月の投稿

2014年9月30日 (火)

ゴースト

 不意にゴーストはあらわれる。
 最近思うのだが、「幽霊」と呼ぶより、「亡霊」と呼ぶより、それはゴーストと呼ぶのがふさわしい。「お化け」は、もっとちがうようだ。

Qさんのやり方を、わたしは強引だと思うのです。ひとりでどんどんはなしを進めてゆく様子が、心配でならない」
 と、ある日でんわの向こうで、友人が云う。声につよいかたまりのようなものがあり、それはいまにも破裂しそうだ。破裂したら怒りが蔓延するだろう。どう受けとめたらよいのか。
 破裂を招かぬよう、静かに受け答えする。
「このたびのことは、Qさんが企画してくださったことで、口火を切るのはなかなかに大変だったと思います。Qさんはおひとりで進めようとは思っておられませんよ。そんな方ではありませんもの」
「ヤマモトさんがそう思われるのなら、あるいはそうなのかもしれません」
 そう云いながらも、友人の声にはまだかたいものがあった。わたしはでんわ口で数秒黙った。
「このつぎ集まるとき、皆で相談することにいたしましょう。きっとうまくゆきますよ」
 友人は、「そうですか。そうですね」と云って、いきなりでんわをしたりしてすまなかった、ということばをさいごに受話器を置いた。

 でんわの主の友人は、ふだんは朗らかなひとなのだ。それがなぜか、常とはちがう顔を見せた。ゴーストにのっとられたな、とわたしは思った。

 よく知る人物が、とつぜん様変わりする。
 ある思いにからめとられた頑固な……ゴーストに変身する。よく知る人物のなかには、自分自身も含まれており、みずからのゴースト化に気づくときほど、やっかいなこともない。
 ゴーストはときどきあらわれて、ひとを驚かすが、驚き過ぎてはいけない(と思う)。ゴーストをしげしげと観察したり、就中(なかんずく)かまうのなんかは相手の思うつぼであろう。ふだんの……、いつもの……、ゴースト化する以前のそのひとをぼんやり思っていればいい。そうだ、ぼんやり。
 ゴーストは相手を脅かしたいのであり、相手に腰を抜かさせたいのであり、大騒ぎさせたいのだ。ぼんやりなどは、気に入らないはずだ。
 でんわの友人につぎに会うのは来週だが、おそらく、そのときにはゴーストは去っていよう。わたしも、でんわのことなどなかった顔で、友人ともQさんとも、仲間たちともよくよくはなしをしようと思う。

 ときどきゴースト化するみずからとも、同じようにぼんやりと相対(あいたい)したい。自分のこととなるとつい向きになり、ゴーストに向かって、あるいはますますゴースト化し、まわりの誰かと闘う構えになったりする。

「また出たか」と気づいたら、ぼんやり、そしてとろけるように優しく声をかけてやろう。
「まあ、ゆっくりしてゆきなさいな」
 ゴースト化するのは、さびしいこころなのだからね。


Photo
先週、山を歩いてきました。

まだ青い、ちっちゃなどんぐりが落ちていました。
どんぐりたちに合って、なんだか無性に励まされました。
どんぐりの未来と、わたしたち「ヒト」の未来が
重なっているといいなあと思いました。

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2014年9月23日 (火)

喋る・しゃべる・シャベル

 読んだり、書いたり。
 書いたり、読んだり。

 掃いたり、拭いたり。
 拭いたり、掃いたり。

 洗ったり、切ったり。
 切ったり、洗ったり。

 靴を履いたり、脱いだり。
 脱いだ靴を、また履いたり。

 火をカチッとつけたり、カチッと消したり。
 電気をパチンとつけたり、パチンと消したり。

 開けたり、閉めたり。
 閉めたり、開けたり。

 目を開けたり、目を閉じたり。
 目を閉じたり、目を……。

 ひとり暮らしをしている長女が、9月の連休1日めの昼ごろにやってきて、「3日間、ここで過ごします」と云った。わたしは「どうぞどうぞ」と云い、はりきってオムレツを焼いた。ぱりっと焼いたバゲットとオムレツ、フリルレタスとにんじん、アーモンドのサラダ、冬瓜のスープ。りんご、バナナ、ぶどう。
 昼の食卓をはさんで……、わたしの口はいきなり発射を開始する。ことば。ことばはするする出てきて、あとからあとから出てきて、止まらない。
「喋る、喋るね、お母さん」
 と長女に云われて、初めて止まる。

 わたしは喋りたかった。
 そうだ、このところ、喋っていなかった。

 喋る相手がいなかったわけでない。喋り忘れていたみたい。

 読んだり、書いたりしているときはさすがに黙っているが、そのことから離れてもまだ、頭のなかで読みつづけ、書きつづけていた。そのままずっと、口を利かずに黙黙と掃いたり拭いたり、洗ったり切ったり、靴を履いて出かけたり。帰ってきて靴を脱いで、カチッとやったりパチンとやるときも、黙っていた。
 ああ、そう云えば。
 2週間前のことだった。夫が撮影の旅に出かける前の前の明け方だ。ふと目を覚まして、延延ひとりで喋りつづけた。寝ている夫に向かってなのか、自分に向かってなのかわからなかったが、喋って喋って、とうとう1時間半喋りつづけた。
 そのときには気がつかなかったが、わたしは喋りたかった。

 連休
1日め、同じ部屋で仕事をしながら長女とわたしは、喋っている。機関銃みたいに(喋りまくった)、と書きそうになったが、それは撤回。機関銃から弾丸が連続して発射されるところなど見たことはないし、これから先も決して見たくはないからね。仕事をしながら喋ったというのもまちがいで、喋りながら、それぞれのパソコンに向かっていた。学校や会社だったら、せんせいや上司に「コラコラオマエタチ」と叱られたことだろう。
 2日めはふたりで自転車に乗って、母の家に行って、喋った。3人で手をつないで最寄り駅近くの見晴らしのいい食堂(ビルの5階)まで歩き、昼ごはんを食べながら喋った。感心したのは、母が興味のないことには「乗ってこない」ところだ。喋りたいことだけを口が話し、興味のあることだけを耳が聞いている。そんな感じ。わたしが長女を生んだときのはなしをしているのに、いつの間にか母がわたしを生んだときのはなしにすり替わっているのもおもしろかった。
 3日めは、午前ちゅう黙ってそれぞれ仕事をし、午後吉祥寺にてくてく出かけた。登山用品の店、籠の店、雑貨店をまわり、そのあいだも喋る、喋る。お店のひととも、喋る。帰ってから前の日、母にねだって買ってもらった鰻の蒲焼きをご飯にのせて食べる。玉ねぎとかき玉の味噌汁、青菜炒め、かまぼこ、山形の玉こんにゃく、きゅうりと茄子のぬか漬けも、卓にならべた。
 午後8時半、長女帰る。

 あー、喋った喋った。

 塞(ふさ)がっていたものが、開通す。ばんざい。

Photo

籠の店で長女がもとめた籠。
青森からやってきた、ほんとはりんごを入れる
籠だそうです。
丈夫で、うつくしい籠。
うらやましくなりました。

野菜を入れて使うとのこと。

Photo_2 

ひとり暮らしの母のもとに、
ときどきファクスを入れます。

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2014年9月16日 (火)

わたしはタフではありません

 長年連れ添った夫(わたしの父)を見送った母の、生涯初めてのひとり暮らしも、半年を過ぎた。

 母は、父がいたときとほとんど同じように暮らしている。夫の死後、まわりが呆気にとられる勢いで、夫の持ち物を整理、処分した妻の例も聞き知っていたから、さて母はどうするだろうと思ったが、何も変えない暮らし方を選択したのだった。いや、選択というより、自然とそのままにしているという、なりゆきだった。
 父はよく気のつくひとで、気がつくと黙ってはいられず、まわりの者たちに小言を云った。
「誰だ、これを置き放しにしたのは」
「作業場をつくってから(整頓の意味)、作業しなさい」
「開けたら閉める!」
「徳利を覗いてはいけないよ」
   という具合で、いい加減なわたしなど、子ども時代からどのくらい小言を云われたか知れない。父に会えないのはさびしいが、もう小言を云われずに済むのだという安堵の気持ちが、わずかにだが、ある。
   そんな父と一緒にいる時間の長かった母の生活にも、気楽さが生まれているのではあるまいか。「さびしいけれど、ちょっと気楽」と思ってくれているのだとしたら、救われるのだが。と、考えたが、母のなかでは父の小言の有り様(よう)も変化していないようだ。動作をしながら、「こんなやり方をしたら、おとうちゃまに叱られるわね」とか「ほら、これは片づけて。『いつまでここに置いておくつもりじゃー』と、おとうちゃまが……」とか云う。まるで、父の小言が母の口を借りて告げられるようで、あずましくない。

 ところでわたしは週に一度、母を訪ねることにしている。
 夏は、二度、泊ることもできた。
   ところが、9月に入ってめっきり涼しくなったころ、何となく母の家に足が向かなくなっている自分に気がついた。予定は詰まっていたが、母を訪ねる時間がつくれないほどではなく、疲れていたわけでもなかった。その週は結局、(弟のお嫁の)しげちゃんに1回多く訪ねてもらって、わたしは行かなかったばかりか電話もファクスもしなかった。

「何だかなあ、わたしはタフじゃないなあ」
   と思わずつぶやいたら、それを聞いていた二女が云った。
「そうよ、お母さんはタフじゃない」
「え!」
  自分で宣言しておきながら、こんなふうに「タフじゃない」と決めつけられると、こたえる。それが伝わったのだろうか、二女は大急ぎで「四六時中タフなひとなんかいない。タフに見せかけているひとはいるけども」とつづける。
「じゃ、タフでなくてもかまわない……?」
「自分をタフだなんて、思わないほうがいいんじゃないかな」
   このことばがどう作用したものか、わたしの上にでんと乗っかって、動こうとしなかったぬるりとしたものが、どいた。アメフラシ(海にいる軟体動物)だったような気がする。
 ———そうだよ、アナタも海に帰ったほうがいい。
 好んでアメフラシの下敷きになっていたつもりはないのだけれど、どかそうとしたり、「海へお帰り」と説得したりしなかったところを見ると、無意識にその状態を受け入れていたのだ。牛のように大きなアメフラシだったから、もう2日も乗っかられていたら、危なかった。大アメフラシも、二女が発した「自分をタフだなんて、思わないほうがいいんじゃないかな」という台詞を自分の耳に聞いて(アメフラシに耳のようなものがあるとして)、わたしと同じようにはっとして、こんなおばさんの上に乗っかっている場合じゃない、と思ったのかもしれない。
 身軽になったわたしは、その週のおわり、母に電話して、「なかなか行けなくて、ごめんなさい。きょう昼ごろ行くね。昼ごはんを一緒に食べましょう」と云う。
「忙しいのに、いいの? うれしい。待ってまーす」

 10日ぶりの母は、薄化粧をしてわたしを待っていた。
 ゆっくりごはんを食べ、昔語りをし、手をつないで散歩する。母のピュアな魂に包まれるような気がしてくる。

 ———ああ、最近のわたしはこのピュアな魂に触れる自信を失っていたのだわ。それで、アメフラシの下にみずからもぐりこんで、隠れた。

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マクワウリを母と食べました。
昔のメロンという風情で、
とてもなつかしく、
母もわたしもこれが好きです。

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控えめな甘さ、素朴な佇まい。
古い友だちみたい。

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2014年9月 9日 (火)

Who

 バスに乗った。
 ちょっと久しぶりだったこともあって、わたしはそこらあたりのバス好きの子どももかなうまい、と思うほどときめいていた。下車予定の停留所前で、わたしがきっと「降ります」のボタンを押してみせるからね、というほどの決意も胸に秘めている。

 路線バスが好きで、子どものころから「乗りたがり」だった。

 もう一歩踏みこむなら、子どものころはバスの車掌になるのが夢だった。夢がかなわなかったのは、みずからの努力が足りなかったせいではなく(ほんとうだ)、路線バスがことごとく車掌を排して、「ワンマンバス」に替わったからだ。
 路線バスの車掌が消えかかったところを、わたしが認識していないのは、その時期、路線バスから離れて暮らしていたためだ。女性の車掌の濃紺のスーツ(からだにぴったりと添ったスタイル)、大きな肩掛け鞄、鞄のなかのバスの切符、それをパチンとやる鋏(はさみ)。それは、子どものころのわたしの美的感覚に少なからず影響を与えた。じつに……、じつにいかしていた。
 バスは、乗客と運転手の距離が近い。
 運転席には、運転手のその日の「機嫌」とか、持って生まれた「気質」がそのまま腰を下ろしている。
「ああ、きょうの運転手さん、感じのいいこと。アタリ!」
 と思うこともあれば、
「ひゃー、ハズレかもしれないー」
 と直感することもある。
 直感が当たって、運転手が悶着(もんちゃく)を起こすのを目のあたりにしたことも、二度三度ではない。たいていは、その日たまたま機嫌の芳(かんばし)くなかった運転手が、乗車してもなかなか居場所をみつけられない乗客や、「停車してから席をお立ちください」という停車の数秒前に立ってしまった乗客に対して、嫌味を云うというくらいのことだが(そんな嫌味は、家で頼みます)。
 客が悶着を起こすケースもある。
 記憶にあたらしいところでは、客が運転手にいちゃもんをつけ、「おまえんとこのバス会社、東京一バーカ! 世界一バーカ!」と叫んだケース。そのときには、客の妻と娘が同乗していたため大事に至らなかった。20代とおぼしき娘が、「お父さんこそ、世界一バカよ!」とたしなめて、ことが納まった。
 そんなことがたまにあったとしても、バスが好き。

 夏の終わりの平日のこと。

 吉祥寺駅からバスに乗りこんだとき、後部座席に見たことのある顔を発見した。見たことがあるのだけれど、どこで出会ったひとか思いだせない。
 Who? Who? Who?
 思いだせないまま、感じのいい子ども連れのその女(ひと)のすぐ前の座席に腰を下ろし、ああでもないこうでもないと、くるくる思いめぐらしている。
 お店のひとだったろうか。気に入りの店をいくつか思い浮かべるも、どうもちがうようだ。職務でお世話になっている武蔵野市役所の、どこかの課の職員だろうか。それはちがうな。市役所勤めのひとが平日、子ども連れで市内のバスに乗っている状況は考えにくい。仕事をご一緒したひとだろうか。だとしたらどの仕事? 出版社のひと? わたしにインタビューして記事にしてくれたライター? それとも市の仕事だろうか。そう云えば、ことし5月に子ども家庭部の「まちぐるみ子育て応援事業」の委員会というのに呼ばれたな。
 ――そうだ、あのときの委員会でご一緒した幼稚園の子どもを持つお母さん代表の……ええとええとお名前がわからないが。あれは、愉快な委員会だったな。
 と、やっとのことで答えに行き当たったわたしには、目前に下車停留所が迫っていた。こころのなかでそっと、「その節はお世話になりました」と挨拶して下車。住み慣れた町の、路線バスの車中の思いめぐらしのひととき。

Photo

1995年全国にさきがけて東京都武蔵野市にて企画、
導入された「ムーバス」。
市内の交通不便を解消するために生まれ、バス停は
200メートル感覚を基本に設置されています。
大型路線バスが入れないせまい道を走行するため
定員30名のマイクロバスのサイズです。
現在7路線9ルート。
運賃100円(未就学児は無料)。
かわいい「ムーバス」、大好きです。

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2014年9月 2日 (火)

船着き場にて

 8月が終わった。
 さいごの週のはじめごろ、とつぜん暑さが去ったこともあって、いきなり夏が終わったように感じた。暑い暑いと云い暮らしてきたのに、こうなると、その去り様(よう)に腹が立つのだった。
「季節までもが、名残りというものを忘れたのか」

 8
月とは不思議な月だ。
 わたしの記憶もひと通りではない。
 休み一色の8月があり、恋した8月があり、仕事ばかりの8月があり、子の休みに寄り添いながら汲汲とした8月がある。ことしなんかは暑さ負けしかかりながらも必死で漕ぐように過ごした8月だった。どんなふうにいようと、一旦8月の海原に出てしまうと、岸辺にたどり着くまでそこにいるしかない。
 8月の海原では、誰も彼も暑いと云い、寄ると触ると熱中症のはなしをする。西瓜やとうもろこしが行き交い(そうそう、ゴーヤも)、せみの声を聞き、かすかな風をよろこび、雲のかたちを目でたしかめる。朝顔の花を数える。麦茶を日に何度も湧かして淹れる。蜩(ひぐらし)を待つ……。
 8月を漕いで漕いで、やっとたどり着いた。船着き場。
 広島の友人から「ひとり暮らしの母が安佐南区在住ですが、おかげさまにて元気にしています。あたりまえのしあわせを噛みしめる夏でした」という便りを受けとった。
「嫁いで29年目のこの夏も、お盆のお客たちと時を過ごしました。そんな中、主人の手術があり、それも無事に終えました。乗り越えられました。暑さの中を」という、伊豆からの便りもある。
 ああ、やはり、皆漕いで漕いでここへたどり着いている。

 この夏は、読みに読む夏であった。

 小学校の教科書も読んだ。児童書も読んだ。そして、探偵小説。アガサ・クリスティーとの再会を促したのは、父であった。父亡き後ひとり暮らしをしている母のもとに泊った日、わたしは父の寝台を借りて眠った。寝る前に何か読もうと思って、父の書架に目をやり、真っ先に目に飛びこんできたのが『アクロイド殺し』(1926年)だった。長編第6作めにあたるこの作品で、アガサ・クリスティーは、英国探偵小説の代表作家となる。ベルギー人の名探偵エルキュール・ポアロの視点が、探偵という職業に縁なきわたしに語りかける。くり返しくり返し。
「些細なことも忘れてはならない、何から何までが関係しているんですよ」
 と。
 船着き場に到着し、つぎの船に乗りこもうとするわたしへの餞(はなむけ)であるらしい。
「ムッシュー・ポアロ。気を留めますとも、些細なことひとつひとつに。何もかもが関わり合って、ひとつの真実が生まれることも、決して忘れないと約束します」



Photo

9月1日。
家じゅうの箸を、あたらしくしました。
家人の箸のみならず、
菜箸も、友人の箸も、客用箸も。
写真は、上から夫の、わたしの、二女の、三女の。
そして、ちょっと考えて
独立した長女のももとめました。

専門店で箸を選んだ30分間は、
この夏のたのしい思い出です。
美術館にいるような心持ちでした。
箸がどれほど大事な存在であるかも、
あらためて思ったことです。

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