夫が取り組んできたドキュメンタリー映画「三里塚に生きる」が完成した。
わたしはどこかしらで夫のがんばりを追いつづけていたつもりだけれど、ほんとうのところ、わたしはわたしでいっぱいいっぱいの時期を過ごしていた。
口なんかはときどき、「すごいがんばりだ!」とか、「うまくいってる?」と発言し、右手はひとりでに夫の左肩をさすったりする。が、いま考えるとそれはわたしの癖であり、もっと云えばポーズではなかったか。ポーズとは、そうだ、見せかけの態度という意味合いだ。
けれど、ポーズだろうが何だろうが、何かアクションを起こさずにはいられなかった。こんなことでは夫と自分の行く道が別別のものになってしまう、との恐れから、口も右手もみずから進んで役割を買って出たのだった。同じ時期夫の口も、わたしに向かって、「がんばるね」とか、「きょうは無事だった?」と発していた。お互い相手に対してそうとうな葛藤を抱いていたような気がする。映画が完成したいまだから云えることだが。
いつもなら夫の仕事が山場を迎えるたび、「やさしく無視する」立場をとって、これでよし、と考えてきたのだが、このたびはなぜだろう……、もっともっと応援したいのにそれができない辛さが募る一方だった。
「いつも」とどこかがちがっていた。
たいていつの場合にも余裕のようなものを見せている夫が、このたびは火花が散るほど本気だった。
映画が完成して、試写会が何度も行われ ― わたしは一度も試写を観なかった。ああ、葛藤 ― 思いがけないほどたくさんの映画評が出た。
(前略)このように、過去の政治闘争を歴史的に回顧したり検証したりするのではなく、あくまでも表題どおり、三里塚に生きる人々の現在に焦点を絞ったことがこの映画の魅力となっている。だからこそ、問題の本質が今なお解消されていないことも、現在の姿を通して浮かびあがってくるのである。こうした性格を規定した要因として、インタビュアーをつとめた代島治彦の、最良の意味での「素人っぽさ」を称賛したい。(中略)
その「素人っぽい」力みのなさが、見ているこちらが動揺するほどの腹を割った話さえも、対象から引き出すことに成功しているのである。考えてみれば、この地に暮らすのは多くが長年の党派のしがらみで疲弊しきった人々であり、そんな彼らを武装解除したものが代島の「素人っぽさ」だったというのも無理からぬことだろう。(後略)
映画評論家 藤井仁子(ふじい・じんし)
神戸映画資料館WEBマガジンより抜粋
夫の机上のパソコンで、ふと読んだのがこの映画評だった。
「素人っぽさ」を称賛される映画監督の資質についてははともかくとして、わたしはこのことばに、一瞬のうちに救われてしまった。このたびの夫の仕事と、夫の本質をがしっと摑(つか)むことができたのである。
そしてこうも思った。わたしはみずからの不足をすまながったり葛藤したりせずに、応援できるときに応援し、よろこべるときにともによろこべばいいんだ、と。
「素人っぽさ」を認められたこと、おめでとうおめでとうとわたしははずんでいる。はずみながら、「素人っぽさ」ってすごいや!と打たれてもいる。

映画「三里塚に生きる」を、ここに紹介させてください。
上の写真(撮影・石井和彦)が映し出す環境のなかで、
三里塚の「いま」には、慈しみのこころがあります。
悲しみと闘いと、故郷に対する揺るぎない思いが生じさせた
慈しみだと、映画を観て感じました。
映画のなかで語られる「ことば」が、まぶしい……です。
【監督・編集】代島治彦
【監督・撮影】大津幸四郎
【音楽】大友良英
【朗読】吉行和子・井浦 新
【写真】北井一夫
【制作・配給】スコブル工房
【企画・製作】三里塚に生きる製作委員会
2014年/140分/カラー・白黒/日本映画
『三里塚に生きる』公式HP=sanrizukaniikiru.com
現在公開の決まっている映画館はつぎのとおり。
・渋谷ユーロスペース 2014年11月22日(土)〜
・横浜シネマ・ジャック&ベティ 2015年1月17日(土)〜
・大阪・第七藝術劇場
・名古屋シネマテーク
・京都シネマ
・神戸アートビレッジセンター
順次国内外をまわります。
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