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2014年11月の投稿

2014年11月25日 (火)

わたしよ!

「わたしはまだまだ、がんばれる」
「きっとうまくゆく」

 気がつくとわたしは、自分に向かってこう云っていた。

 その日は、いくつもの仕事、いくつもの用事を抱えて、右往左往していた。いくつもの仕事、いくつもの用事なんかは馴れっこだが、常とちがったのは、それが「突然」やってきて、「急いで!」と斉唱したことだった。そのためわたしは、これまで感じたことのない不安にからめとられた。とんでもない日だ、と思った。
 落ちつくべきだったが、追いつめられながらもどこかふわふわして……、地に足がつかない。ふわふわと飛んで、どこかに逃げてしまいたかったのかもしおれない。
 そこへ、ことばが降ってきた。

「わたしはまだまだ、がんばれる」

「きっとうまくゆく」

 どこから降ってきたのかな。

 わからないが、わたしには、それをキャッチする運があったものらしい。キャッチした瞬間、足の裏に地面を感じた。そして丹田(たんでん)にぐっと力が入った。逃げたいという気持ちも、消え去っていた。
 以来ときどき、このことばふたつを一組として口にする(声に出す)ようになった。
「わたしはまだまだ、がんばれる」は、みずからに対する激励。
「きっとうまくゆく」の「うまく」とは、計算通りとか願い通りという意味ではない。
 やるだけやって、ことがどこに運ばれても、運ばれたそこが佳き地点だと信じよう、わたしよ! そういう意味である。 

Photo_2  

このポーチは友人のヒサコサンが編んでくれたものです。
あらゆる意味で尊敬し、親しんでやまないひとです。
10本の手の指のうち、動かせるのは右手の人差し指だけという
ヒサコサンです。
その手にかぎ針を持って編んでくれたのでした。
驚き感激しましたが、さらに驚いたのはこのポーチ、
わたしが使いつづけている手帖がちょうど納まるサイズだったこと。
なんとうつくしい!

このたびの

「わたしはまだまだ、がんばれる」
「きっとうまくゆく」
ということばは、こんな友人との縁が降らせたものかもしれないなあ。

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2014年11月18日 (火)

風景をつくる

 駅の階段を降りると、クリスマスのイルミネーションが暗がりを押しのけ広がっていた。
 腕時計の針は縦一直線、午後6時を指している。予定よりも帰宅がおそくなった。急ぎ足になり、わたしは外向きの自分を剥(は)がしにかかる。外向きの自分と内向きのと、どこがちがうかというと……、さてどこだろう。
 わたしは外では案外おだやかな面持ちでいる。
「へ? わたしの目からはおだやかな面持ちというより、おっちょこちょいが靴を履いて歩いているように見えますが」というひとが少なからずあろうとも、わたしという個体としてのおだやかさ、というはなしだ。さて、つづきを書こうと思うけれども、かまわないだろうか?
 わたしは外では案外おだやかな面持ちでいる。
 落ちついて、落ちついて、と自分を制する働きもどこからか(どこからだろう)湧いてくる。
 ところが、内向きのわたしは、思う存分あわてふためき、そうなるとみずからを落ちつかそうという機能までもが、元いた場所に帰ってしまう。うしろも見ずに帰ってゆく。で、あるからして外から内に向かう「帰り道」には、おだやかな面持ちやら落ちつこうとする神経やらを脱ぎにかかる、ある種簡単な脱皮のような現象がわたしに起きている。
 その日、脱皮しながら横断歩道を渡っていると、対面からそうとうにあわてた様子の若いきれいな女(ひと)がやってきた。
 ハーフコートの前が開き、共布のベルトが所在無さげに揺れているといった姿で、そのひとは地面に目を落とし、きょろきょろしている。何か落としたらしい。
 ひとりの青年が声をかける。
「どうされましたか?」

「イヤリングを、落としてしまって」
「イヤリングって、どんな?」
 そう云って青年は、そのひとの片耳に無事ぶら下がっているイヤリングを覗きこんでいる。金色のしゃらんと下がるかたち。イヤリングの捜索に、わたしと、もうひとりわたしと同年代らしきオジサマが加わる。端(はた)から見れば風変わりなきょろきょろ集団。しかし、どう見えたってかまわない。イヤリング、イヤリング。
 行きつ戻りつ8つの目玉できょろきょろするも、イヤリングらしきものはみつからなかった。
「お役に立てなくて、残念」(おばさん/わたしだ)
「ほんとうですね。元気出して」(青年/おばさんはアナタの幸せを祈るよー)
「これから先は、いいことばっかりだよ」(お、オジサマ、いいこと云う)
 きょろきょろ集団を解散し、4人は暗がりに溶けて……。
 溶けようとする直前に、そのひとが云う。
「(イヤリングは)みつからなかったけど、わたし、とってもうれしかったです。一緒に探してくださって、どうもありがとうございました」

 急ぎ足に戻り、脱皮のつづきをしながらわたしは思う。

 ひとは、つねに(その場の)風景をつくりながら生きている。
 つくった風景は、またどこかで、べつの風景をつくる。

 はなしは、おしまい。


Photo_2

ことし1月に独立した長女に、
それまで使っていた帚(ほうき)とはりみ(ちりとり)を
持たせてやりました。

うちでは、しばらく帚とはりみ無しの生活がつづきました。

「もう耐えられない!」と叫んだのは二女でした。
やっとのことで、以前のものより小振りの帚とはりみを、
1階用、2階用に2組そろえました。

帚やはりみのある風景を、
わたしはつくっていたんだと
思います。

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2014年11月11日 (火)

素人っぽさ!

 夫が取り組んできたドキュメンタリー映画「三里塚に生きる」が完成した。
 わたしはどこかしらで夫のがんばりを追いつづけていたつもりだけれど、ほんとうのところ、わたしはわたしでいっぱいいっぱいの時期を過ごしていた。
 口なんかはときどき、「すごいがんばりだ!」とか、「うまくいってる?」と発言し、右手はひとりでに夫の左肩をさすったりする。が、いま考えるとそれはわたしの癖であり、もっと云えばポーズではなかったか。ポーズとは、そうだ、見せかけの態度という意味合いだ。
 けれど、ポーズだろうが何だろうが、何かアクションを起こさずにはいられなかった。こんなことでは夫と自分の行く道が別別のものになってしまう、との恐れから、口も右手もみずから進んで役割を買って出たのだった。同じ時期夫の口も、わたしに向かって、「がんばるね」とか、「きょうは無事だった?」と発していた。お互い相手に対してそうとうな葛藤を抱いていたような気がする。映画が完成したいまだから云えることだが。
 いつもなら夫の仕事が山場を迎えるたび、「やさしく無視する」立場をとって、これでよし、と考えてきたのだが、このたびはなぜだろう……、もっともっと応援したいのにそれができない辛さが募る一方だった。
「いつも」とどこかがちがっていた。
 たいていつの場合にも余裕のようなものを見せている夫が、このたびは火花が散るほど本気だった。
 映画が完成して、試写会が何度も行われ ― わたしは一度も試写を観なかった。ああ、葛藤 ― 思いがけないほどたくさんの映画評が出た。

(前略)このように、過去の政治闘争を歴史的に回顧したり検証したりするのではなく、あくまでも表題どおり、三里塚に生きる人々の現在に焦点を絞ったことがこの映画の魅力となっている。だからこそ、問題の本質が今なお解消されていないことも、現在の姿を通して浮かびあがってくるのである。こうした性格を規定した要因として、インタビュアーをつとめた代島治彦の、最良の意味での「素人っぽさ」を称賛したい。(中略)

 その「素人っぽい」力みのなさが、見ているこちらが動揺するほどの腹を割った話さえも、対象から引き出すことに成功しているのである。考えてみれば、この地に暮らすのは多くが長年の党派のしがらみで疲弊しきった人々であり、そんな彼らを武装解除したものが代島の「素人っぽさ」だったというのも無理からぬことだろう。(後略)
               映画評論家 藤井仁子(ふじい・じんし)
               神戸映画資料館WEBマガジンより抜粋

 夫の机上のパソコンで、ふと読んだのがこの映画評だった。

「素人っぽさ」を称賛される映画監督の資質についてははともかくとして、わたしはこのことばに、一瞬のうちに救われてしまった。このたびの夫の仕事と、夫の本質をがしっと摑(つか)むことができたのである。
 そしてこうも思った。わたしはみずからの不足をすまながったり葛藤したりせずに、応援できるときに応援し、よろこべるときにともによろこべばいいんだ、と。

「素人っぽさ」を認められたこと、おめでとうおめでとうとわたしははずんでいる。はずみながら、「素人っぽさ」ってすごいや!と打たれてもいる。

Photo

映画「三里塚に生きる」を、ここに紹介させてください。
上の写真(撮影・石井和彦)が映し出す環境のなかで、
三里塚の「いま」には、慈しみのこころがあります。
悲しみと闘いと、故郷に対する揺るぎない思いが生じさせた
慈しみだと、映画を観て感じました。
映画のなかで語られる「ことば」が、まぶしい……です。

【監督・編集】代島治彦

【監督・撮影】大津幸四郎
【音楽】大友良英
【朗読】吉行和子・井浦 新
【写真】北井一夫
【制作・配給】スコブル工房
【企画・製作】三里塚に生きる製作委員会
  2014年/140分/カラー・白黒/日本映画
『三里塚に生きる』公式
HPsanrizukaniikiru.com

現在公開の決まっている映画館はつぎのとおり。

・渋谷ユーロスペース 20141122日(土)〜
・横浜シネマ・ジャック&ベティ 2015117日(土)〜
・大阪・第七藝術劇場
・名古屋シネマテーク
・京都シネマ
・神戸アートビレッジセンター
順次国内外をまわります。

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2014年11月 4日 (火)

栗を揚げる

 逸(はや)るこころが目を覚まさせる。
 バシバシッと瞬き。
 さあ、きょうは1秒も無駄にせずに、朝から突っ走らなけりゃ。そう、寝ぼけた頭で考える。
 その一方で、頭は(冷静を装って)手足に向かって告げるのだ。
「ルーティーンも気を抜かずにね」
 朝のしごと、弁当づくり、前の晩に書き出しておいた「2階のテラスのゼラニウムに肥料を」や、「縞縞Tシャツのほころびを塞(ふさ)ぐ」なども遂行(すいこう)。

 ルーティーンも怠るなという指示のおかげで、知らぬ間(ま)にわたしは開き直り、「
1秒も無駄にせずに」という決心を捨てている。無駄をしながら、突っ走るコースへと軌道修正するのである。
 机に向かってパソコンの画面を凝視すること3時間。
 3時間も過ぎた割に、ことが進んでいないことを知って愕然(がくぜん)とする。「愕然」と書いてはみたものの、こういうことはまままあるわけで、ほんとうは愕然でも何でもない。ああ、またか、というくらいの出来事。びっくりするようなことではなく、さらにはがっかりするようなことでもない。
 はっとして立ち上がる。
 立ち上がってたどり着いた先は台所だった。少しお腹がすいてきた模様。野菜くず、肉の切れ端を使って親子丼ぶり風のものをつくって食べる。今朝弁当をつくって持たせたふたりもいまごろ、弁当箱のふたをとっているかもしれない。そのなかみと引き比べても、この昼ごはんは劣っていない、いや出来立てという点において勝っているかもしれない。と、つまらぬ優劣を思うあたり、仕事の進まぬ証明のようでもある。
 昼飯の後片づけをしながら、栗を茹でる。「ことしさいごの栗です」という便り付きで、千葉県の夫の友人から届いた栗だ。3分ほど茹でてざるにとる。
 しぶしぶ机に戻る。
 だが、しぶしぶ、というところを自分に気取られないよう注意する。でないと、わずかしかない「やる気」を抱えたまま、わが魂はどこかへ飛んでいってしまう。それでかまわない日もあるが、きょうは困る。1時間ほど集中するが、そのあいだにできたことは、昼ごはん前の3時間のあいだのこんがらかりを解(ほど)くにとどまる。それでも、まずまず仕事はすすんだと云えるだろう。
 やけに甘ったるい自己評価を密かに恥じ、ぴょんと椅子から跳ね上がる。すると、昼に茹でた栗の小山が……。
「小山が手招きしたのだもの」と云ったところでそれが誰に対する云い訳になるというのだろう。自問自答は、もう飽きた。
 気がつくと、わたしは食卓に向かって栗の鬼皮を剥いている。包丁の刃元を鬼皮にひっかけくるっとめくるようにする。わけあって渋皮は残さないといけない。机に向かっていたときとは、ずいぶんちがう捗(はかど)り様(よう)だ。

Photo


 机のほうの仕事に戻る。ここは、栗の鬼皮をむく要領だ。栗のおかげで、仕事の鬼皮も剥けたようだ。あとは渋皮にくるまれた状態を煮たものか焼いたものか、決めるだけだ。
「栗のほうは、揚げるのさ」
 秋のはじめに友人が、栗を丸揚げにしたという、じつにたのしそうな、じつにおいしそうなはなしを聞かせてくれ、わたしもきっとしてみたい、と決心していたのだった。いろいろの食べ方をしてきたが、栗を揚げて食べたことはなかった。わたしはまた、机を離れ……。
 台所で栗を揚げる。

 結局仕事がすっかりすんだのは、晩ごはんも食べ、揚げ栗も食べたのち、きょうがぎりぎり「きょう」のうち、というころのことだった。職業人としてはだらしのない「きょう」であったかもしれないけれども、ルーティーンと寄り道に救われた「きょう」であった。

Photo_2

〈揚げ栗〉
・栗を洗って、3分ほど茹でてざるに上げる。
・栗の鬼皮を剥く(この作業、わたしは大好き)。
・弱めの中火で5分ほど揚げる。
 鬼皮があまりにも上手に剥けた場合、
 渋皮に切れ目を入れること。でないと、
 揚げるとき破裂する場合があります。

塩をちょんとつけながら食べてもおいしい
……
洋酒にも、お茶(日本茶、紅茶、珈琲)にも
よく合います。

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