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2014年12月 9日 (火)

やればできるじゃん

 12月に入ってから、ちらっちらっと後方を覗き見ている。
 後方、それは2014年という年のひろがりである。ちらっちらっとやるのには理由がある。一度に大きくふり返った日には、いろいろのものがどっと降りかかってごた混ぜになり、何が何だかわからなくなるからだ。あれやこれやをごた混ぜにして思い返すことなどできない……、そんな年だった。
 昔昔の若き日に、恋人に向かって「ことしがこんな年になるとわかっていたら、年のはじめに逃げ出してしまったかもしれないわ」と告げたことがあった。あれと似ている。あの頃よりも受けとめたもののなかに潜む甘みと苦みが、複雑になってはいるけれども。

 6月に山田太一さんとお目にかかった。

 それは、ことしの核のような出来事だった。2014年にもまた、悲しいことしんどいことが混ざっていたけれど、「わたしは山田太一さんとお目にかかる運を持っている」そう思うと、ふっと口元が緩(ゆる)み、からだに力が漲(みなぎ)るのだった。
 断っておくが、わたしは高望みなどしない。であるからして、「いつか生きて動いている山田太一さんにお目にかかって、おはなしをしてみたい」などという望みを持ったこともなければ、想像したこともない。山田太一さんが生きているこの世に生まれることができただけでじゅうぶんしあわせだった。大袈裟かもしれないが、ほんとうにそんな気持ちだった。
 ところが、6月のある日、わたしは東京都世田谷区の経堂駅で山田太一さんと待ち合わせをしたのである。当然のことながら、山田さんのほうではわたしがわからないから、ひそっと物陰に隠れて改札口を凝視していた。あまりにも自然に、あまりにも当たり前に山田太一さんは、あらわれた。自然であり、当たり前ではあったが、醸されるものがひたすらにうつくしかった。
 ——なんと、うつくしい……。
 
わたしは絶句した。
 この日、わたしは山田太一さんの講演会に出かけて行った。
 ああ、何ということだろう、生きて動いている山田さんを会場の隅っこで眺めるチャンスを得た! 主催者に誘われて出かけて行ってみたら、山田さんのそばでいて、ちょっとした気配りをする役目が待っており、まず経堂駅改札口でお迎えし、駅近くの食堂で昼ごはんをご一緒することになった。バカ真面目に山田さんに張りついていたからだろう、わたしを付き人か何かと思ったひとが「山田太一さんに講演をお願いしたいのですが」と云ったかと思うと、「奥さまでいらっしゃいますか」と問うひとまであらわれた。このときばかりは「奥さまではいらっしゃいません。まったく全然ちがいます」と顔の前でびゅんびゅん手を振りまわすこととなった。
 待ち時間を隣り合わせに過ごし、食堂では向かい合わせになって、この世におけるリアリズムについて、切れ切れにおはなしした。むずかしいことばはなかった。が、なかみは易しくはない。いまだにそのときの会話が、そのままわたしの胸に在って光を放っている。易しくない現実をリアルによく見るようにしさえすれば、行く道が定まるという思いがあの日、宿った。
「いかにして個人を保つかということが問われていますね」
 山田さんは、わたしの目の前でハンバーグを食べる手を一瞬止め、そう云われた。個人を、個人と個人のあいだを、大事にしたいと希っても、それがあっさりぺしゃんこになってしまいかねない道をわたしたちが進んでいることについてはなされたのだと思う。

 その日のあったおかげで、心境に変化がもたらされた。

 まずは、3月の父の死を胸に納めなおした。死の値打ちというものを、自信を持って胸のここに納めたのだ。それから父の死後独居となった母へのサポート、11月教育委員長(東京都武蔵野市)の任に就いたこと、その他こまごまとした課題のすべてを、わたしの大事な現実としてとらえることができた。困難が無いわけではないけれども、リアルによくみてゆけば、行く道は示される。それが信じられたわたしは、みずからに向かって何度もこうつぶやいた。

「やればできるじゃん」


 半世紀以上も生きてきて、「やればできるじゃん」はないかもしれないけれども、自分の選択を頼りにし、自分の持てる力を出しきろうとすることで、わたしに自信が芽生えた。

 それが「どんなもんだい」という類いのものでなく、「やればできるじゃん」だったのである。


Photo_2

父の死を「ことしの核」、と書かなかったことを
おそらく父はどこかで憤慨していることと思います。
でも、わたしにとってその死は、自分そのもの。
そんな気持ちです。
どういうわけだったのか、死ぬ少し前に預かった
父のスケッチ帖に、自画像と母のスケッチをみつけました。
1960年代の作だと思われます。

Jpg_2

こちらは、風景のスケッチ。
1965年と記されています。
明るくのどかなスケッチだなあと思って、眺めています。

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コメント

やれは゛できるじゃん!
口の中で 心の中で 何度も ころがしてみる。

ついでに 小さくつぶやいてみる。

笑みが浮かぶ〜♪

佳き師走です。

ふみこさん ありがとう♪

投稿: まきはや | 2014年12月 9日 (火) 10時35分

ふんちゃん。


今回のものを読み、胸がいっぱいというか、なんだか圧倒されるような気持ちで、なすすべもなく茫然としてしまいました。
経堂の駅。一時、なんどかそこを利用したことがあります。
十何年か前になりますか。
そのころを振り返ることになり、その年月分のものがどっと押し寄せてきて、なんだか。
なんだか、切ないです。
その切なさの主は、自分の拙さ。未熟さによるものです。
忸怩たる悔いがあります。
でも、それはそれで良かったのだと、今の自分はふてぶてしく開き直ることができます。できるような気がします。
それは成長なのかどうかわかりませんが、でも、成長なんだとおもいたいです。

投稿: 佐々木広治 | 2014年12月 9日 (火) 11時22分

ふんちゃん皆様こんにちは。

私は去年、とても自分の選択を悔いた年でした。
しかし今年を社会人として過ごして
選択は間違ってなかったと思うようになりまして。


私も時々過去を振り返ります。
最近の過去の振り返りは、過去ためていた気持ちを
吐き出すこと。

実は最近、去年の今頃泣けなかった思いを
思い出して泣いているのです。
決して悲しいわけでなく

きちんと気持ちを出して
納めるところに納めて
すっきりしている感じです

投稿: たまこ | 2014年12月 9日 (火) 15時31分

まきはや さん

そうですよね。
ことしほど、「音化」の威力を
感じたことはなかった……。
「音化」=音読、発音です。

ぶつぶつ云ってますねー、しょっちゅう。
自転車の上で、てくてくの途上で。

「やればできるじゃん」
ね。

投稿: ふみ虫 | 2014年12月 9日 (火) 16時28分

佐々木広治 さん

どうやら「経堂(きょうどう)」という
駅名が広治さんのスイッチを押してしまったようですね。

もちろん成長していますとも。
誰が認めるより、自分が認めることです。

それにさ、
拙さ、未熟、悔いを経験せずに「成長」は
無理だと思います。ね。
どうか開き直っちゃってください。
わたしも開き直ろうと思います。

ほら、わたしたち、
「やればできるじゃん」

投稿: ふみ虫 | 2014年12月 9日 (火) 16時32分

たまこ さん

わたしは……、
あまりうしろをふり返らない質です。
俄然、前に興味があるからでもあり、
「反省」し過ぎないように気をつけようと
考えているからです。

でも、たまこさんのように、
塞き止めていたものを整理するのは大事です。ね。
涙を流すなんて、すごくいい整理法だと
感心しました。

でも、そろそろ涙は拭いて、
この年の締めくくりをね。

投稿: ふみ虫 | 2014年12月 9日 (火) 16時36分

ふみこさま こんばんは

中学になるかならないかくらいの土曜日の夜に、時々放送されていた山田太一さん脚本、鶴田浩二さんが出ていた(水谷豊さんとか桃井かおりさんも)『男たちの旅路』というドラマを楽しみにしていました。心にいろいろな思いを残すドラマでした。吉岡司令補のような大人、今は多分いないです。私もそういう大人に全然成れていない。そうして、その時取り上げられたテーマが、今の社会も解決していないなぁと…。今年初めにあった再放送を見ていました。

「やればできるじゃん」心強い言葉ですね。今年はあまり成長できなかったけれど、少しは、やればできるじゃんと思うことができました。まだまだ迷走中です。

投稿: あすちるべ | 2014年12月 9日 (火) 23時23分

ふみさまみなさまこんにちは。
1月お正月明けに入院が決まったため毎日毎日病院へ出向いて
体調を整えるための注射をうけにいっております。
わりと近くの病院なのですが、それでも往復車で40分、病院での待ち時間、会計の待ち時間などあわせると、午後から夜遅くまでの仕事を持つ私の貴重な午前中が丸つぶれです。大掃除どころか、完全に荒れ模様の我が家・・。やれやれ・・・。

でも、考えようによれば、毎日嫌いではない車の運転を好きなBGMかけておいしい珈琲や紅茶をステンレスジジャグに入れて信号待ちにゆっくりのみながらの往復時間、病院に着いたらふみ様はじめ大好きな作家さんの本を静かな待合室で午前中の優しい光の中でよみふけり、注射を打ってくれる看護師さんとも顔なじみになり毎日楽しく語らうひととき・・・・

今までの師走ではありえない優雅で豊かな自分中心の日常を作りだしているのかもしれません。うふふ。

ふみさまにとっての山田太一さんは、私にとってのふみさまだわ~~

病院にふみさまの本を持ち込んで、「あはは。おもしろい。あるあるこんなこと・・」なんてよみふけって、ふと考えると『私でも、この著者の方とお友達→超勝手に解釈。(笑)なのよね~ブログでお話してるのよね~』
なんてすごく力になっております。

『やればできるじゃん。』

無事入院生活が終わったら私も自分に言ってあげよっと。


投稿: おきょうさん | 2014年12月 9日 (火) 23時30分

あすちるべ さん

おはようございます。

「男たちの旅路」好きでした。
男も女も、みんな「人間」として描かれていて。
誰もが等しく「個」として大事に描かれていて。

DVDを借りて、わたしも観ようっと。

『異人たちとの夏』もね(と、とつぜんですが)、
現在の自分(主人公)よりも若い両親の有り様(よう)を、
いいなあと思うんです。
決して、息子の「いま」に踏みこまない、
かぐわしき「節度」を感じます。

投稿: ふみ虫 | 2014年12月10日 (水) 09時12分

おきょうさん さん

入院決まりましたか、おめでとうございます。
おめでとう、とどうしても云わせてください。

その機会(チャンス)、将来性、
いろいろ考えると、どうしても云いたくなります。
その上、入院生活も、おきょうさんさんらしく
たのしんでください。
と、過大な注文。

おきょうさんと
ふみさ(←昔話の登場人物みたいで、気に入りました)は
友だちです。

投稿: ふみ虫 | 2014年12月10日 (水) 09時19分

ふみこさま、みなさま、こんにちは。

「いかにして個人を保つかということが問われていますね」
本当に、難しい言葉でありながら、容易ではありません。

どうも私は、足元がおぼつかなくなることが多いので、
いまこのとき、私自身をどう保つか、
大きなニュースと私の周囲の小さな出来事のどちらにもオロオロ・ワタワタしています。

そんなときこそ、「やればできるじゃん!」のおまじない。
そう自分に言いきかせたいです。先ずは自分が落ち着かなくては。

投稿: ちぇりー | 2014年12月10日 (水) 17時20分

ちぇりー さん

あのね、
オロオロ・ワタワタしながら、
考えつづけることが大事だと思えるんです。
簡単に結論を口にせず、ああでもない、こうでもないと
云っていることも大事です。
(急いで結論を出さなければいけない、たとえば、
人名の関わることも、もちろんあるのですけれども)。

不自由を耐える(もっと言えば、それをたのしみ)
感覚を呼び覚ましつつ、オロオロ・ワタワタゆきましょう。ね。

投稿: ふみ虫 | 2014年12月10日 (水) 19時27分

 ふみこさんみなさん
 こんばんは。
 私の今日は、今、白湯を飲みながらふりかえりをすると、なかなかに「やればできるじゃん」でした。書かせてくださいね。
 朝、支度の遅い娘に怒って泣かせる→3分後、抱っこして仲直り→みんなを送り出してから、テレビ(高野山のお祭り)を見て、お稚児さんの合掌する手がまだ赤ちゃんのそれだったのに泣く。泣きながらも、大量の洗濯物をたたむ→支度して、近所の児童館のクリスマス会のお手伝い(ピアニカでクリスマスの歌を吹く)赤ちゃんの泣き声に聞き惚れる→お昼に帰って、自分の勉強→放課後、娘とその友だち4人がうちでアップルパイとパウンドケーキを作るのを見守る(とても楽しい)→特大塩結びをこしらえて食べさせる(大人気)
。。。疲れましたが、どれもこれも、「あーー、面白かった!」と言い切れたことに、「やればできるじゃん」です。

投稿: cohata | 2014年12月10日 (水) 22時46分

cohata さん

ううん、 cohataさんの今日のそれは、
「やればできるじゃん」を超えてると思います。
ノーベル平和賞をお贈りします。

ダンスしちゃいましょうか。
ノーベル賞受賞式後のダンス。
ピアニカ、吹きながら……?

ところで、わたし、
アップルパイとパウンドケーキが食べたくなりました。

投稿: ふみ虫 | 2014年12月10日 (水) 23時24分

ふみこ様

確かに色んなものがどっとふりかかり、混ぜこぜになっています。
ややこしいことも、嬉しいことも、アップダウンの激しい年でした。
いつもいつも優しくいられない自分を
自分自身で責めたり、
他者から指摘されたりする場面が多々あり、つぶれました。
一生懸命聴こうとしたけれど、
それを聴くこと自体がわたしにとって
いかに辛くて負担になるかを感じとるのを忘れて。
近づきすぎては駄目なんだなあ。

自分に思いやりをあげてもいいんじゃないか・・・
他者にサポートをお願いする選択。
「わたしがやらなくったって、何とかなるじゃん」
を学んだのでした。


投稿: ゆるりんりん | 2014年12月11日 (木) 10時30分

ふみこさま。

「やればできるじゃん」

いい言葉!私も、昨日、ふみこさんの新刊を手にして、ちょろちょろする孫をおんぶして、読ませていただきました。背中で暴れる孫に、ふみこさんの御本を朗読しながら・・・。すやーっと眠ってしまいました。

本を読む時間がない!と、嘆いていたのですが、おんぶしたら読める!
やればできるじゃん ってことです。

では、またぁ。

投稿: こぐま | 2014年12月11日 (木) 15時41分

ゆるりんりん さん

おはようございます。

おたよりを読んでいて、
そうそう、と気づいたことがあります。
自分をいたわることによって、
まわりのひとを楽にするのだなあ、と。

佳い日にしましょう、きょう。

投稿: ふみ虫 | 2014年12月12日 (金) 08時51分

こぐま さん

「おんぶしたら、読める」
真実は、そして打開策は、
案外身近にある、というわけですね。
そして、からだ、手足をつかう道を
拓いてゆくことをまず考えたいとも
思いました。
ありがとうございます、こぐまちゃん(ちゃん!)。

頭でっかちになりがちです。
ことに師走は。
「おんぶ」をキーワードにゆくとしましょう。

投稿: ふみ虫 | 2014年12月12日 (金) 08時54分

褒められると木にも登る私に
小学1年生の担任先生が、
「やればできるじゃないいのー!」と上げてくれた日々を
有り難く思い出しています。
いろんな人に出逢って、いろんな言葉をキャッチして、
今年も結びの日を迎えようとしているのですが、
やはり「出あい」は核を成しますね。
今年は、特に小さな子供たちとの出あいがたくさんあって、
視野がぐーんと広がりました。

ふみこさまのお父さまのデッサンを眺めていると、
空気が揺蕩う和みに包まれます。
「描かなければ」と追い込んで描いていた頃の自分のデッサンが
今はかわいそうに感じます。
私は、お父さまの絵が大好きです。
そして、大好きなことに接せられた今年も大好き。

投稿: どりす | 2014年12月13日 (土) 13時07分

ふんちゃん

 「やればできるじゃん」
 元気がでます。
 最近、読みたい本ばかりがたまって、なかなか読めずにいましたが、
 朝、早く起きて5分でも読む!と決めたら、読めました。
 ふんちゃんの(新しい)本の力は大きいです^m^
 一つ一つを大事に読ませていただいております。

 保健センターの仕事で、ふんちゃんの本に一緒について行ってもらった時、私も、ふんちゃんとお手紙やりとりしてるんだもんね~って、おきょうさんのように(私も勝手に)思っちゃいました。
 とても心強い気持ちになれたんです~(^。^)
 あれから、たくさんの「お母さん」がふんちゃんの本に元気づけられたってお話を聞きました。
 友だちが増えた気持ちでうれしくなりました(^-^)


 だいぶん前に、ここで人との縁(えにし)についてふんちゃんに教えてもらいました。この世は「縁の学校」ってことばを覚えています。
 あれから、たくさんの縁を感じました。
 一つ一つの縁を大事にしていきたいなぁ…。また、そう感じました。
 そして、一つ一つの「ことば」を、ふんちゃんが大事に大事につむぎだしていることに、最近しみじみ考えさせられています。私には、なかなかできないことだなぁと、自分が出していることばの軽さに時々、がっかりもしますが、少しずつ、学んでいきたいなぁ。来年の目標が一つ、見つかりました。

 昨日からの発熱で、病院へ行った次男は、インフルエンザでした(^^;)
 毎年、懲りずにかかる息子です(^。^)
 私も息子も、少し休憩…。
 みなさま、どうぞご自愛くださいm(__)m

投稿: もも(^-^) | 2014年12月13日 (土) 15時05分

ふみこさま

お久しぶりにお邪魔します。

どうやらわたしは半年ほどさなぎになっていたようです。
そして、ようやく脱皮しました!
昆虫が、さなぎのなかでいったんどろどろになって
成虫になるという…アレです。(変態?)
(残念ながら、成虫になれたわけではなさそうですが)

当たり前に思っていたあれこれが、
ぐちゃぐちゃになって、どろどろになって
あらためて、組み直された感じです。

(脱皮だ!)そう思い当たったら、
今年のしんどさがたいせつなものに思えてきました。

新しい年に間に合ってよかったぁ。

そして、さなぎになっていた間、
木から落ちないよう守ってくれた友達に感謝。
拠りどころになっていたこの場に感謝、です。
(脱皮・変態、も、ふみこさんに教わりました。)

「やればできるじゃん」 いいですね!
昨年、友人と、がんばったときに
「実は、わたし、やればできる子なんです。」と
笑い合っていたのを思い出しました。

投稿: さのまる | 2014年12月13日 (土) 17時26分

どりす さん

「出あい」は核を成す。
というどりすさんのことばに、
うんうんとうなずいています。

「出あい」。
うまくゆかなかったときは
(学んで)、潔くその場から去っても
いいのかもしれないな、というふうにも
考えています。
それをひっくるめての「核」だと。

父の絵をそんなふうに云っていただき、
どうもありがとうございます。
父もにんまりしていると思います。

投稿: ふみ虫 | 2014年12月13日 (土) 19時37分

もも(^-^)さん

「縁の学校」
へー、わたし、そんなこと書いたのか。
(なかなか、うまいこと云う……えへ)。

ことばは、ほんとうにむずかしい。
でも、むずかしさを超えて、
伝える勇気や、
受けとめる愛情深さを身につけられたら……と
考える日日です。

インフルエンザ、お大事にね。
ももさんのおうちにはたくさんお子さんが在るから、
心配です。
伝染しませんように。
とくにももさんのところにきませんように。

投稿: ふみ虫 | 2014年12月13日 (土) 19時42分

newさのまる さん

さなぎ、変態、脱皮。

うらやましく読ませていただいています。
それで「new」と付けました。
おめでとう、という気持ちで。

そんなふうに自然に「変態」を贈られたことしは、
ものすごく佳い年でしたね。

投稿: ふみ虫 | 2014年12月13日 (土) 19時44分

ふみこさま みなさま

こんにちは!
「やればできるじゃん。」良いことば!!

野球で忙しい長男は、定期テストの度に”ははは・・・”な結果でした。
が!今回の期末テストは良い出来でした。
そしてひと言のたまった。

「オレは、やればできる子なんだ。ただやらないだけ。」

なーるほど。そういう子だったんだな。キミは。
自分が「やればできる子」だと分かったことは、
長男にとって大きなことだったと思った母さんです。
それで、いいのよ。それが、いいのよ。

さて。入院生活を控えていらっしゃるおきょうさん。
私の入院生活の楽しみ方をご紹介。

1、イケメンの検査技師さんやナースマン探し。←おばちゃんのお楽しみ!
2、食事の感想を毎回メモして、御膳に乗せて返却。←ある時、栄養士さんが、わざわざ挨拶に来て下さって驚きました。
3、24時間×1か月の点滴のとき、点滴台に名前をつけた。←なぜか”わたなべさん”だったなぁ。なぜたったのかしら?

私は成人してから、長期や短期の入退院の繰り返しだったので、
そのたびにお楽しみを見つけることができたようです。
痛い検査や、いろんな不安や、仲良くなった方との悲しいお別れなど、
決して楽しいことばかりでは無かったのですが、でも、やっぱり、
経験することで得たものは大きかったなと思っています。

おきょうさん、応援しています。

投稿: みぃ。 | 2014年12月14日 (日) 15時38分

みぃ。さん

とてつもない、わたしたちの「未来」への
メッセージ(アドバイス)、どうもありがとうございました。
そうか、そうか……と、いちいち、こころに刻みました。

わたしは、きっと、佳きおばあちゃんになるよ。
やればできるおばちゃんなんですもの。

いまは、やっていないかもしれないけれども。

やればできる、わたし(たち)なんです。

投稿: ふみ虫 | 2014年12月14日 (日) 22時45分

ふみこ様、皆様こんばんは。
今年は、前向いて走りました。
途中、つまづいたりしたけれど、前に向かって走りました。
やればできるじゃん!と自分に言っています
つまづいて、ケガしても、今は元気になって頑張ってるので。

ここに来られる方は、みんな心の優しい人だなと思います。ふみこさんが引き寄せるのですね


投稿: ゆきたん | 2014年12月15日 (月) 19時59分

ふみこさん、こんばんは。

そうなのです。私も『やればできるじゃん』なのです。
事が無事に終わる度に心の中で唱えています。
それなのにどうして毎度毎度やる前に上手くいかない事を想像して尻込みしてしまうのでしょうか。。。
そういう性質なのでしょうね。
自信はあっという間に消え去り、心配してばかりの臆病者に戻ってしまいます。
子供には『あなたはやればできるんだから』と言っているのに態度で示せていないですよね。
『やればできるじゃん』は私の人生の永遠のテーマのような気がします。


投稿: ゆっきー | 2014年12月15日 (月) 22時35分

ゆきたん さん

「前を向いて」ということばの持つ
明るさに、目を細めております。
……まぶしく、うれしい。

「やればできるじゃん」を超えた
ことしのゆきたんさんのがんばりを
讃えたいです。
わたしも、がんばるね。

投稿: ふみ虫 | 2014年12月16日 (火) 10時16分

ゆっきー さん

「それなのにどうして毎度毎度……」
わたしも、おんなじ!

毎度毎度、「できないかもしれない」と思い、
毎度毎度、「間に合わないかもしれない」と思い、
毎度毎度、「失敗するかもしれない」と……。
ばからしい想像をしているんです。

たいてい間に合って、まずまずうまくいくのに。
来年は、もう少し自信を持とうと思います。
「一所けん命やりさえすれば、いい」が、
「やればできるじゃん」につながるのだと
信じて。

投稿: ふみ虫 | 2014年12月16日 (火) 10時21分

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