背中
靴下を脱いで、足の裏を見ると、水ぶくれができていた。
2時間くらい前から足の裏がひりひりと痛んでいた。マメかな、と思ったけれど、そうか水ぶくれだったか。こんな立派な水ぶくれと合うのはいつ以来だろう……。
「久しぶりだね」
東京都武蔵野市立D中学校の生徒による「ナイトハイク」に参加した。
ことしで38回めとなるこのナイトハイクは、厳寒期、同市のD中学校・多摩湖間の「多摩湖サイクリングロード」往復26kmを夜通し歩く行事だ。参加してみたかった。わたし自身、歩くのが好きだからでもあるが、「心身鍛錬を目的として」いるというハイクを中学生がどんなふうに受けとめて歩くのかを見てみたかった。
1月24日(土)の午後10時。
サポートする大人たち(行動隊)が集まり、いろいろの注意事項、これまで準備してきた事ごとを確認す。この集合までに、1時間でも眠れたら眠ろうと思っていたが、結局横になる時間もつくれぬままわたしはここに集っている。歩ききる自信はあったけれど、眠くならない自信はというと、それはなかった。
1月25日(日)午前12時30分出発。
中学生約50人と、行動隊が3隊に分かれて、闇のなかへ歩きだす。15分ほどで「多摩湖サイクリングロード」に入る。深夜だというのに、ロードバイク(またはクロスバイク)にまたがったひと、ランナー、散歩のひとたちが存在する。酔っぱらいには出くわすだろうと予想していたけれど、それとは異なる夜型行動者の数に、驚かされる。
驚いたことは、ほかにもある。歩くペースの速さだ。往復26kmを5時間半で歩ききった。休憩もほとんどない。中間点である西武新宿線・拝島線小平駅でトイレ休憩をとるだけで、どんどん歩く。
それから、「ナイトハイク」をたくさんの大人が支えていること。行動隊には、D中学、小平駅、多摩湖とそれぞれの地点で中学生の健康状態をチェックするひと、給水や行動食に気を配るひと、くるまを出してハイクを見守るひとたち、深夜の横断歩道にライトを照らし誘導するひと、そのほかにもいろいろの準備があった(駅の洗面所にまで、仕掛けがあった)。
目的地の多摩湖にはテントが設置されており、PTAの皆さんがお汁粉とたくあんをふるまってくださった。じつにおいしいお汁粉! たくあんもありがたかった。
午前6時、わたしも中学生たちの隊列のうしろについて、ゴールした。
中学校の2階の教室で、これまたPTAの皆さん手づくりの炊きこみご飯と豚汁をいただき、ほっとしていると、50人の中学生が全員無事到着したことが伝えられ、拍手す。誰ひとり棄権することなくゴールした。これはすごいことだ。すご過ぎる、とも云える。
足を痛めて、自分の班から遅れた中学生がひとりあった。
朝もやのなかを自転車で(またがるとき、足の付け根が痛くてつい「いたたたた」と小さく叫んだことを白状します)帰るとき、遅れてゴールした彼と一緒になった。
足が痛くなるなんて、遅れをとるなんて考えもしなかったことだろう。かすかに足を引きずりひとり歩く背中は、誰も寄せつけない小さな怒りと恥ずかしさを発している。わたしはすっかりうれしくなった。こんな姿が見たかった。しかし、その背中に向けることばを持たなかったので、彼をそっと自転車で追い越しながら、「忘れられないナイトハイクになったね」とこころのなかでささやいた。
無事にゴールできればそれに越したことはない。が、思わぬことから遅れをとったり、どうかすると棄権しなければならぬ事態も起こるのだ。
「ナイトハイク」でもっとも印象深かったのが、この日遅れをとった彼の背中だった、と云ったら、偏屈が過ぎるだろうか。みずからに対し、腹を立て恥じてもいる多感な背中をわたしはきっと忘れないだろう。
家に帰りつき、靴下を脱いで、足の裏を見ると、水ぶくれができていた。久しぶりの水ぶくれにみとれたあと、手をこすり合わせる。子どもの頃、こんなのができるたび母がしてくれたとおりに、裁縫箱から待針をとり出し、ガス台の火のなかで焼く。
水ぶくれに待針を刺して、なかの水を抜く。
山歩きのときのための「山スカート」、
何枚か持っています。が、わたしは寒い季節には
山には行かないので、どれも薄手の短いものばかり。
このたびの「ナイトハイク」のために、
着古したロングスカートを切って、
冬用山スカート(写真)としました。
高機能タイツ、ロングソックス、短丈ソックス、
木綿のロングパンツ、山スカート、
トレッキングシューズという出立ちです。
山スカートの存在のおかげで、暖かく、
またあらゆる動作が楽になりました。
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