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2015年2月の投稿

2015年2月24日 (火)

読む

 きょうは日曜日。
 朝起きて、するべきことをして、するべきことをして……、そうなのだ、何となく手順わるく動きまわって、ここ、わが机にやっとのことでたどり着いた。
 熱いさんぴん茶を飲みながら、考えてみている。
 きょうの朝の時間、手順もわるく忙(せわ)しなかったが、おもしろかった。どうおもしろかったのか、みずからの行動を読み返そうというわけだ。朝起きたところから、ゆっくりゆっくり読んでゆく。朝からこれまでの2時間半の自分など捨て置いて、とっとと先に進むがいい、という見方もある。が、捨て置いてばかりいる自分を、たまには読んでみたくなったのだ。

 朝起きたときには、何となく疲れていた。

 眠りが足りなかったかというとそんなことはないが、おかしな夢を見た。
 何かの会議に連なっているが、いっこうにはなしが進まず、会議は終わる気配さえない。わたしは、誰かが発言するたびに、「ああ、またそんなこと云いだして……!(これでは、意見を集約できない)」と焦っている。会議のあとには、つぎの用事も待っているらしく、わたしはそわそわし、絶望しかかっている。大袈裟なようだけれども、夢のなかの自分は、絶望しか道が残されていないような深刻さを抱えている。
 つぎの場面で登場したのは、虫だ(虫の出てくる夢は、ときどき見る)。黄色い太った蛾(が)のようなのがいて、わたしは手もとでそれと闘っている。わたしが長細い棒でつつくと黄色い蛾はいなくなるが、またすぐ別のが出てくる。わたしは怖じ気づいており、動作もにぶって、気がつくと黄色い蛾はふえている……。
 こんな夢を見たおかげで、寝覚めはよくなかった。
「日曜日です」とわたしは口に出して云い、えいっと起き上がって、つま先立ちで階下へ。裸足のまま、何も履かずにオイルヒーターのスイッチを入れ、灯油ストーブを点ける。オイルヒーターのやわらかい熱が居間のなかに伝わるまで、灯油ストーブに働いてもらう。本物の火のそばでちゃっちゃつと着替えをする。「こころを寄せる場所」と呼んでいるコーナーの水を換え、灯明に火を灯す。線香も供える。猫のいちごのコーナー(一昨年逝った黒猫)の水も換える。
 湯を沸かす。洗濯機に洗濯を頼む。大鍋をとり出してきて、スープをつくる。昨日泊まりにきた長女が持ってきたきのこ類が仄(ほの)かに怪しさを放っていたので、細切りにし、炒めてから鍋へ。ついでにベーコンも炒めてから鍋へ。そのほかは、にんじん、大根、長ねぎ、きゃべつを刻んでは入れてゆく。「あ、忘れた!」と小さく叫んで、昆布とベイリーフを入れる。コンソメ顆粒のスティック(4,5g入り)と塩を加える。「大急ぎでスープになあれ」
 洗濯ものを干す。
 三女登場。オレンジ入りのパン、スープ、りんご、ヨーグルトという簡単な朝ごはん。三女、外出。
 夫と長女登場。とっておいたグラタンソースでグラタンをつくる。なかみは鱈と菜の花とじゃがいも。いい焼き目がつく。パン、スープ、りんご、紅茶。夫、外出。
 後片づけをしながら、長女と会話。
ふ「さっきS(三女)が家を出るとき、ダイチー(夫の呼び名。わたしも子らも皆、こう呼ぶ)が朝風呂に入ってて助かった。きっと『どこ行くの?』とやっただろうから」
A(長女)「ダイチー、最近突っこむよね。わたしも昨日やられた。高校生・娘にいきなり『どこ行くの?』はだめだと思う。行き先を隠して出かけるわけでも何でもないんだけどさ」
ふ「いまね、ダイチー、ものすごく油断してるの。脇目も振らず映画をつくってた時期が終わって、いま、忙しいは忙しいんだけど、家に帰ってきてほっとしてる感じなの。で、油断してるの。可笑しくて」
A「油断して、うざったい父親やってるんだね。そんな感じ、そんな感じ。あはは」
ふ「でもね、フォローしなくちゃならなかったりして、大変。わたしの仕事ふやさないでくれーって、叫びたくなる。とくにSは早起きだけど朝、機嫌わるいからね、『どこ行くの?』とやられたら、ぶすっとして『は? 予備校ですけど』って答える。すると、その場の空気が一瞬凍りつく……」
A「しあわせな油断だあ。でもさ、K(二女)とSには、油断注意報出しといたほうがいいよ。しばらくつづくでしょ、ダイチーの油断は」
ふ「そだね。そうする」
 机に向かって、「読む」ことの大切さ、もっと云えば、「読む解く」ことの必要性について書くつもりだった。ほんとうだ。
 それが、まったく異なる「読む」について書いてしまった。
 夫の油断など、笑えたものではない。
 ただ、書き手と出会うという「読む」ことの持つ宿命については、ちょっぴりだが、書けたかもしれない。

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ダイチーの仕事場は2階です。
1階で受けとった郵便やファクスを、
階段下のこの小机の上に置くことにしています。
一度、ダイチー宛てのファクスが
わたしの資料に紛れこんで、

大騒ぎして探したことがあってからの決まり。

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こちらは「るすばんファイル」。
旅仕事で長く家をあけるときには、郵便物ほかを
これに入れておきます。

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2015年2月17日 (火)

落ちる

 ホールの椅子に腰をおろしている。
「こういうとき、できるだけ座席に深く腰かけ、背中を背もたれにくっつけて、ゆったりと」と自分に云い聞かせ、そうする。またすぐに、坐りが浅くなり、背もたれと背中のあいだに隙間ができてしまうのだけれど。それでも、かまわない。気がついたら、また、自分に云い聞かせて、やり直せばいいのだ。
 こうして、と云っても最近のことだが、こうしておもてでもよそいきでも、からだに無駄な力を入れないように、練習している。
 盛大な拍手とともにホールでの会が終わった。
 この日のわたしは見学者であったから、会の皆さんに送られ、一足先に退場する。隅の扉のほうに向かいかけるが、誰かの云った「せっかくですから、花道、花道」といういたずらっぽい声に押されて、中央の長くゆるやかな階段を上がることとす。
「せっかくの花道」の両側には、知った顔もあって、わたしはときどき立ち止まってはお辞儀をしいしい上がる。そのときだ。何となく、ウエストのあたりが頼りないことに気がついたのは。
 上着の下に手を差しこむと、ウエストにぐるりとあるはずのスカートが、ない。落ちかけている、スカート!
 仕方がないから、上着の下に入れた手で、スカートのウエスト部分をつかんで、笑顔をつくる。スカートをつかみながら、あちらこちらにお辞儀もし、階段を上がるわたしは、一種の曲芸師である。大事なのは、ここでいちばん大事なのは、スカートを落とさないこと。

 ホールロビーにたどり着いた。

 まったくもって、果てしなく遠い道のりだった。わたしはおもむろに椅子に荷物を置き、コートをはおると見せかけながら、スカートを引っぱり上げ、うしろのボタンをボタンホールのなかに押しこむ。開いてしまったファスナーも上げる。この日着たスーツは、一枚仕立ての気に入りのものだが、出合いは30年以上も前になる。スカートをからだに繋(つな)ぐ命綱は、ボタン1個。ファスナーが補佐役をつとめている。
 ホールの椅子の上で、身を硬くしてはゆったりする練習をくり返すうち、ボタンがはずれたのだろう。
 スカートが落ちてしまっていたら、と考えるとぞっとする。
 しかしあそこでスカートが落ちたなら……その場にいた多くのひとの未来の失敗への励ましにはなったはずだ。「ホールの真ん中でスカートを落とすのより、わたしの(ぼくの)災難、失敗はまだいいほうだ」というふうに。
 スカートのボタンをしっかりかけて歩きだしながら、しみじみ考えるのだ。
 こんなこと、わたしにはめずらしいことではない。
 一歩手前で、落ちずにすんだこともあるし(落ちる落ちないは、比喩であり、災難、失敗の類いを指します)、それより何より、落ちてしまったことにさえ気づかずにいたことも、きっと少なからずあったろうと思う。

 スカートがすっかり落ちてしまわなかったことに、深く感謝して、スカートにも頬ずりをして、わたしはこの日を終える。

Photo

驚きました。
先週、またうさぎさんがやってきました
(この前うさぎさんがやってきてくれたのは、
昨年12月のおわりでした)。
このたびは、ドイツのアンナベルクという小さな町から。
うさぎが、やってきてくれるというのはうれしいですが、
あいだを置かずにね。
不思議です。
ことしは未年、そしてわたしは戌年だよね……と、
思ったりしています。
何のメッセージだろうかしら……と、
思ったりしています。

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2015年2月10日 (火)

ひらける!

 水まわり(洗面所と手洗所)の改装工事。
 夢かなってそのときがきて、わたしは、また一段とそわそわしている。何より、職人への関心が、わたしをそわそわさせるのだ。

 子どものころから、わたしは職人が好きだった。

 あれは小学校6年のときだ、実家の建て替えを目の前の貸家で見守った。あのときのたのしかったことと云ったら。大工をはじめ、いろいろの職人があとからあとからやってくるから、学校からは飛んで帰った。ほんとは学校にも行きたくなかった。もうもう、宿題どころではなかった。お茶の時間には恥ずかしいくせににじり寄って、職人の姿を間近に眺めた。
 仕事が済んでしまえば職人は去り、またつぎの現場に散ってゆく。それを観察する子どものわたしは、うつろうことのせつなさと、見事なる一面を胸におさめていたのではなかったか。

 さて、このたびの工事にかかる日にちは
5日間。
 わたしはその5日間、出かける仕事をほとんど入れずに、家に張りつくこととした。その昔、母のするのを手伝ったように、職人の昼食、午前10時と午後3時のお世話をしようと腕をまくったのである。初日。昼には弁当持参を前提として、大鍋をいっぱいに豚汁をつくって待ちかまえた。お茶菓子も、このあたりの名物の甘味とせんべい2種類を用意した。
 ところがところが。
 最近の昼食、休憩事情は、かつてのものとはかなり異なっているらしかった。職人は、午前9時ごろやってきて、昼食まで黙黙と作業する。12時になるや昼食!ということもなく、きりのいいところまで「黙黙」はつづく。とうとう昼食ということになっても、弁当ではなく、外へ出かける。
「地域ごとに、気に入りの店がありまして、そこへ行くのがたのしみなのです」
 とのこと。やけにうれしそうな顔。
 このあたりにも、それはあるのですか、というわたしの問いに、大工のKさんは「あります、たくさんあるんです」と答えた。わたしの豚汁が袖にされた瞬間だった。
 こういうわけだから、お茶の時間への力みも、振り払うがよかろう。作業場近くにお茶コーナーをつくることとす。珈琲ともうひと種類のお茶を淹れ、それぞれ保温ポットに注ぐ。なかみが見えないので、「珈琲」「ウーロン茶」と名札をつける。用意した菓子類をかごに盛って、置く。
 それでも、興味津津のわたしは、そわそわが止まらない。
 その昔、宿題どころでなかったときと同じように、ちっとも仕事が捗(はかど)らない。仕方がないので「クロスワードパズル」をしたり、「数独」に挑戦したりした。こんなにおぼろな集中力で、よくきょうまで仕事のようなこと、もの書き風のことをつづけてきたものだ、と思いながら。

 工事は無事終了した。

 あいだにおもしろいことがあった。
 土曜日の午後、工事責任者のIさんが云う。
「作業が捗りましたので、明日日曜日は(工事に)お休みをいただきます。月曜日にクロス貼りをします」
 おもしろいのは、ぽっかりあいた日曜日だ。この日もわたしは「こっちの仕事はちっとも捗りゃしないなあ」なんかとつぶやきつぶやき、過ごすはずだった。が、ぽっかり。
 その日、仕事の遅れを巻き返そうという考えを押しもどし、ぼんやり過ごすこととした。思えばことし初めての休日だった。
 休みをとれない、というのは繁盛の証明のようでありながら、わたしのはそうではない。休日をつくれないのは、予定の組み方が下手なのであって、もっと云えば貧乏ったらしさが原因なのだ。自覚している。
 こんなふうに、ぽっかり休日を与えられてみると、何と云うこともない。予定していた5日間の工事が4日間ですむことになって(そも、予備日というものが設定されていたらしい)、1日余ったわけである。わたしの仕事は、どうやら縫い縮めたり、早く終わらせたりできる類いのものではないけれど、こうすればいい。予定表に、「休日」と書くのだ。それだけで、休日が実現する。
 道がひらけるというのは、こんなふうなものかもしれない。

 ひらけて喜んでいる自分に向かって、「ばかじゃないの? 当たり前のことなのにさ」などと云ってはいけない。

「ひらけましたなあ」と讃えなければ。

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これは、手洗所の壁に貼っていたコルク。
キズを隠していたのです。
このたびの工事で、
キズを補修したあと、コルクがひとつ残っていました。
なんとも愛おしくて、ふふっと笑いがこぼれました。
職人さんとの、無言のやりとりです。

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2015年2月 3日 (火)

「御安い御用です」

 2月になった。
 1月をふり返ると、なんだかやけに慌ただしく、出番も多かった。出番というのは、わたしのなかではこうだ。顔にあれこれ塗りつけ、着替えて、靴を履いて出かける。
 かつて「今週、家から一歩も出なかったー」とふり返って叫んだり、自分の職業を「居職」と説明する暮らし方をしていたわたしだったが、近年、仕事の内容が変わったため、出番が多くなった。塗りつけたり、着替えたりするのは面倒だ。ああ、塗らなくては……、着替えなくては……、といちいちみずからを奮い立たせる。出番がなくて、素顔のまま、デニムとパーカーを着こんで日がな一日家にいられる日は、うれしい。いられるとなったら、もうもう、どこへも出かけずに家にかじりついている。

 現在、3学期。

 ひとつ屋根の下にいまなお高校生がいることに加えて、教育委員としての活動もあって、わたしの1年は3つの学期に区切られている。
 3学期は3つの学期のなかでもっとも短いが、ほんの2か月半のあいだに、抜き差しならぬ事ごとが詰まっている。年度のまとめ。次年度の準備。学期と関わりがなくとも、これはこの時期、多くのひと共通の事態だと思う。誰も彼もまとめようとしたり、次年度を思ったりしてそわそわする。
 そわそわ。
 そわそわしやすい体質であるとも云えるわたしは、思いきりそわそわ、そわそわ。ひとつやり遂げても、つぎを考えてすぐまたそわそわする。こうなると、そわそわが一種のたのしみなんじゃないかと思えてくる。

(口にだして、云ってみようか……)

 わたしは、好きでそわそわしている。

(もう一度、云ってみよう……)

 わたしは、好きでそわそわしている。

 そういうことなら……、とわたしは思うのだ。


 道の上でよく見かける交通警備員。道路工事や道路横断の際の交通誘導にあたるひとのことだが、腕のいいひとにかかると、車もひとも、うまい具合に流れてゆく。たしかに凄腕(すごうで)の警備員はあって、見惚れることがある。交通警備員に見惚れて立ち止まるおばさんというのなんかは、交通の妨げそのものかもしれないのだが。

 こんな交通警備員をぐっと小さくした存在に、わたしの胸のあたりで働いてもらったらどうだろうか。3学期の用事の渋滞を解消するために。
 わたし、いや〈山本交差点〉のもとにやってきた警備員はこんな人物であった。
 40歳、がんばり屋のお母さんだ。
 彼女、キサラギヤヨイさんは子どもを3人持っていて、子らの将来の教育費を貯めるため交通警備の仕事をしている。〈山本交差点〉という今度の仕事場の交通量はどれくらいであるかはわからないが、日焼けの心配はしなくてすみそうだ、とちょっと喜んでいる。
 さて、〈山本交差点〉での仕事の初日である。
 そわそわがびゅんびゅんと走っている。ヤヨイさんは交差点の脇に立ち、3学期の用事を誘導する。ときにそわそわを止め、できるだけ一定した流れをつくるのが、腕の見せどころ。
 ようやく仕事に馴れてきたある日、道の向こうで〈山本〉が手招きするのが目に入った。
   〈山本〉は云うのである。
「ヤヨイさん、ヤヨイさん、『そわそわ』をこれまでとはちがう方向へ誘導してほしいのです」
「どちらへ誘導したらよいでしょう」
 と、ヤヨイさん。
「これまで『負担町』を経て『ストレス通り』方面に流れていた『そわそわ』を、『おたのしみ駅』に向かって誘導していただきたいのです」
 ヤヨイさんは云う。
「御安い御用です」

Photo
出番のとき、「顔にあれこれ塗りつけ」と
描きましたが、そうたくさん塗りはしないのです。
その類いのものを、少しだけ持っています。
わたしたち(3姉妹とわたし)は、各自、こんな箱形三面鏡を
持っていて、それぞれ必要な化粧品をここに納めています。
これをぶらぶら提げて、好きな場所で塗ったり、はたいたり
するのです。
写真は、わたしの鏡台。
なか、見たいでしょう。
お見せできるようなものではないですね。

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