イン・ザ・トレイン
東京都庁に用事。
最寄り駅でぽかんと口をあけて待っていた黄色い電車に乗りこむ。平日の午前9時半、鈍行、総武線の始発駅である。光差す座席に腰をおろし、スカートを整える。スカートでもっとも気を遣うのはこの場面、ひろがったスカートがお隣さんのお尻の下にゆかないようにする。
膝の上で本を開く。
高野文子の『ドミトリーともきんす』(中央公論新社)。不思議な学生寮「ともきんす」の2階に住んでいる4人は朝永振一郎(ともなが・しんいちろう)、牧野富太郎(まきの・とみたろう)、中谷宇吉郎(なかや・うきちろう)、湯川秀樹(ゆかわ・ひでき)だ。若き日の4人が、どのようにして科学の花を咲かせたかをドミトリーともきんすの寮母とも子さんの目を通して、たどってゆく。とも子さんの傍らには、ちっちゃなお嬢ちゃんきん子さんがいる。ふたり合わせて「ともきんす」。
『G・ガモフコレクション①トムキンスの冒険』を著したジョージ・ガモフが、寮を訪ねてきて、表札「ともきんす」の「も」の字を見て、「MO?」と首を傾(かし)げる場面がある。
「ガモフさん。わたしはあなたの著書の大ファンです。ご本の題名を一文字変えて、ドミトリーの表札に拝借しました」
と、とも子さん。
現在、わたしとほとんどの行動を共にしてくれているこの本、なかなか手強い。ドミトリーともきんすはなかなか素敵で、うどんやお団子も出てくるし、珈琲も飲めるのだが……、むずかしい。むずかしいことが、やわらかいことばで語られているので、そこに惹かれてつかまっている。この手を離したら、わたしはもうこの先科学とは無縁のわたしになってしまう。
ということは、不思議だと思うこと、観察すること、考えることと無縁のわたしになってしまうということ。
開いた本から顔を上げると、電車は東中野駅にすべりこむところだった。
ふと思いついた。新宿駅まで行かずに、この駅で大江戸線に乗り換えたらどうかしら。決して『ドミトリーともきんす』に飽きたのじゃありません。たしか、大江戸線に「都庁前」という駅があったはず。
しかし、どうだろう。大江戸線の駅の、なんと深いこと。
エスカレータを何本も乗り継いで、わたしはいつしか高速もぐらになり、やっとホームにたどり着く。電車内では扉脇のスペースを確保。立っているわたしのすぐ横の座席で、青年がもぞもぞ動いている。首にひっかけたネクタイを、結ぼうと一所けん命のただなか。
観察するに、結び方はプレーンノットで、青年はネクタイの大剣を巻き目にうしろから通すところで苦戦している。まだ3月だが、おそらく彼は、すでに研修期間に突入の新社会人。ネクタイとは縁のない学生生活を送っていたため、ネクタイ結びに頭を悩ませているのだろう。結局、わたしが乗り合わせた3駅分のあいだに、ネクタイ姿は見られずじまいだった。
このような必死の現場を、案外身近なひとは見られない。その代わりに、どこかの見知らぬおばさんが、手に汗握り、こころのなかで頓珍漢な声援を送ったりする……。
大江戸線に乗ったのは正解のようだった。都庁前駅で下車し、地上に出ると目の前に東京都庁が聳(そび)えていた。
(聳え過ぎ!)
さっさと用事をすませる。長居は無用。帰りは新宿駅まで歩くこととし、地上を走る黄色い電車の乗客となる。
電車はすいており、立って吊り革にぶら下がるひとはいない。立っているひとも、扉脇の柱に寄りかかって外を見ている。
わたしは座席に腰をおろして、スカートを……。
のどかな真昼だ。膝の上で本を開く。
若き日の朝永振一郎くんがこんなことを書いている。
*
物を分析しないでぼんやりとしたまま考えて、考えをすすめていくことがしてみたい。これはけしからぬ怠け心かしらぬが。物理学の自然というのは自然をたわめた不自然な作りものだ。一度この作りものを通って、それからまた自然にもどるのが学問の本質そのものだろう。しかし、これではとらえられない面がものごとにはあるにちがいない。
「滞独日記」(『朝永振一郎著作集 別巻 日記・書簡』みすず書房 所収)
*
行きの車内で読んだときより、わかりがいいのは、東京都庁での用事のせいではない。きっと、大江戸線のなかでネクタイと格闘し、もう少しで自分の首を絞めそうにしていた青年の影響だ。ひとの一所けん命は粉のように降りかかって、よその誰かを活性化する。
朝永振一郎は、ドイツのライプチヒ大学留学中にこの日記を書いた。研究者として生きる決心をしながらも、焦りと苦悩を内に抱えて。
あとひと駅で、終点でもあるわが最寄り駅に到着というときだった。
隣りの席の紳士が、いきなり、ゆるめていたカラダをぴんとのばした。居眠りから覚めたのだ。
「帰りに書店に寄っていいか。つきあってくれるか?」
と云う。
(え、わたし?)と思いかけたが、そんなはずはない。隣りの紳士はねぼけて、きっと、わたしを自分の連れだと思ったのだ。それで、わたしは聞こえなかったことにして、黙っていた。
「どうする? 先に帰るか?」
そう云って紳士は、わたしの顔を覗きこんだ。
そのあとのことは、皆さんの想像のとおり。ひとのぼんやりが好物であるわたしの胸には、何とも云えない愉快なものがひろがった。
科学あり、ネクタイあり、ねぼけあり。真昼の小教室のようなイン・ザ・トレイン。
東京都武蔵野市の市立小中学校の卒業式は
おわりました。わたしの出席した卒業式は
どちらとも、すばらしくあたたかいものでした。
わたしは麻のワンピースで参列しました。
天然素材の、軽やかなものを身にまといたかったのです。
ちょっとさびしかったので、
襟元にフェルトの花のブローチをつけました。
卒業の皆さん、ご卒業おめでとうございます。
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