カタツムリ
ヒサコさんと新宿の地下道をゆっくりゆっくり歩いている。
わたしたちの先方からも後方からも、黒い服を着たひとの波が寄せ、波はわたしたちを取り残すかたちで、交叉する。
波にのらず取り残されたヒサコサンとわたしは、カタツムリになった。
そうなったからには、右足も左足もないのだから、するりするりと這ってゆこう。
このごろ、ふたりならぶといつの間にか「読む」はなしになる。本のことというより、「読む」ことについてあれこれ話す。読みたい読みたい、読まなければ読まなければ、と。
たとえば漠然とだが、新宿の地下道を移動するそこらじゅうの黒い服のポケットに、本をねじこんでみたい気持ちもある。誰も彼もが【すまーとふぉん】というものをとり出して、ここではないどこかへ行こうとするのをそれで止められるかしら。
読書が向かわせるのも、ここではないどこか。そしてそこには書き手がすっくと立っている。対話がはじまる。ページを繰りながら語りあうだけで、創造の世界がひろがってゆく。
また、本を開くたび、あたらしい対話がはじまる。
「書くことは、読むことなんじゃないかと思いはじめている」とわたしが云うと、ヒサコサンはうれしそうに頷いて、足を止める。
「『読む』を取り戻さないと、ね」
そうヒサコサンは云うと、歩きはじめる。いや、這うのだった。つられて立ち止まったわたしも、一緒に這うのである。取り残されてゆくよろこびがぬらぬらと身を包むようだ。
大事なものを取り戻せるなら、いくらでも取り残されましょう。カタツムリにだってなります。
カタツムリ……。
わたしは子ども時代も、半分カタツムリだった。子どものわたしは、何度も何度も、読む側の母がいやになるほど何度もねだって同じ本を読んでもらった。何度も同じ本の読書感想文を提出して、何人かのせんせいから「本はいろいろ読んだほうがよいですね」と注意を受けた。
いろいろ読むには読んだのだが、感想となると、『オッペルと象』(宮沢賢治)のが書きたくなるのだった。中学3年のとき、とうとう原稿用紙50枚の感想文を書き上げた。中学3年の3学期も終わり近いころだった。提出して、もどってきたのを見たら、50枚めの余白に赤いペンでこう書かれていた。
「もう少し簡潔に」
ああ、とわたしはため息をついて、そこで『オッペルと象』にこだわって読書感想文を書くのをやめにした。
そのときの感想文はもう残っていないけれど、あの読み方は、わるくなかったのではないかと、その後もときどき自分に向かって云い聞かせた。
地下道につづいたJR新宿駅の改札口を入ろうとする少し前、ヒサコサンは立ち止まって、提げ袋のなかをさぐっている。Suicaをさがしているものと思って待っていると、提げ袋から文庫本の頭をちょっと覗かせるようにして、「これ」と云う。
「あ」
思わず声が漏れた。
そっとひっぱり出されたのは『いのちの初夜』だった。
ヒサコサンが「これ、知ってる?」と遠慮がちに云ったとき、わたしは、泣き出さんばかりだった。なかなかひとに認めてもらえない自分のいいところを褒めてもらったような気持ちだった。
『いのちの初夜』こそはまちがいなくわたしの愛読書であり、「師」と呼ぶにふさわしい本だ。
*
まだ蟬の声も聞こえぬ静まった中を、尾田はぽくぽくと歩きながら、これから後自分はいったいどうなって行くのであろうかと、不安でならなかった。真黒い渦巻の中へ、知らず識らず堕(お)ち込んで行くのではあるまいか、今こうして黙々と病院へ向かって歩くのが、自分にとっていちばん適切な方法なのだろうか、それ以外に生きる道はないのであろうか、そういう考えが後から後からと突き上がって来て、彼はちょっと足を停めて林の梢(こずえ)を眺めた。やっぱり今死んだ方が良いのかもしれない。梢には傾きはじめた太陽の光線が若葉の上を流れていた。明るい午後であった。
*
『いのちの初夜』に収録された表題作の、はじめのほうの数行。病気の宣告を受けて半年、とうとう主人公の尾田は、癩(らい)病(当時は、ハンセン病という呼び方はなかった)の病院に向かっている。
悲しい。だが、悲惨ではない。
この小説はわたしに、悲しみの価値を……、悲しみが惨めなものでないことをおしえた。悲しみを経験することによって知る生きる意味、与えられる慈しみのこころに目を向けよ、こころを寄せよとのささやきを聞いた。
「すごいとしか云いようがない。そしてうつくしい。久しぶりに読んだのだけどね」
ヒサコさんは云う。
本をつかんでいるヒサコサンの手に触れ、わたしは誓うこころになる。
「この本を、伝えるのはわたしのひとつの役目と思っているんです、じつはね。若いひとに、出合うべきひとに出合わせてあげたくて。宣伝マンの力が足らなくて、ときどき滅入りますが」
こうしてひととひとは、1冊の本を通して、共通の作家、それももうすでにこの世にはない作家との対話のなかであらためて出会うことができる。
ヒサコサンとともに読んでみたい本があとからあとから湧いてくる。
カフカも読みたい。ゲーテも読みたい。北条民雄も、そして柳宗悦も。カタツムリの読書会だ。
『いのちの初夜』(北条民雄/角川文庫)
北条民雄は1937年12月5日、東京府下東村山(現在の東京都東村山市)の
国立療養所多磨全生園で、24歳の生涯を終えた。
病院に入院した最初の1日を書いた表題作は、
書かなければならない作品だったと、北条民雄は書き残している。
「僕には、何よりも、生きるか死ぬか、この問題が大切だったの
です。文学するよりも根本問題だったのです。(中略)でも、もう
根本問題は解決いたしました。これからは生きることは書くこと、
そうなろうと思っております……」(あとがきより)
この作品は独訳英訳により、海外にも大きな影響を与えている。
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コメント
ふみこさま みなさま
おはようございます。
私は「オッペルと象」のお話は知らないけれど、あの頃のふみこさんにとってとても大事な出会いだったのだということがとても強く伝わってきます。
本屋さん大好きです♪本と目が合っちゃうって感じが。。。何だかとってもいいんです♪(合わないときももちろんあるけど(笑))
投稿: かえるのしっぽ | 2015年3月 3日 (火) 10時55分
ふんちゃん皆様こんにちは。
中々認めてもらえない自分のいいところ
何度もそこを読み返しました。
わたし、まだまだ完璧に仕事できないんです。
でも努力しようという気持ち負けないと言う気持ちを持っているいいところも
あるんです。
自分で言うなって感じですけど
自分を認めるところからまず
始めようと思います。
ゲーテ私も読みたくなりました。
手塚治虫先生が漫画化したことで知った
ゲーテのファウストです。
これも作家が結ぶ、ですね。
投稿: たまこ | 2015年3月 3日 (火) 12時48分
ふみこさま
ふみこ様のあげられた柳宗悦さんと同じ時期に
民芸運動を進めた河井寛次郎さんの世界が大好きなので
うれしくなりました
昭和初期の大変な時代のなかにあっても常に美しいもの
を求め続けたエネルギーに圧倒されます
飛ぶ鳥とめる
絵にしてとめる
あの音とめる
譜にしてとめる
の寛次郎さんの世界,何回も訪れたくなります
そしてそれは、ふみこさんの本を読む喜びに似ている感じがします
いつもありがとうございます
投稿: 真砂 | 2015年3月 3日 (火) 17時23分
ふみこさん みなさん
おはようございます。
善きことは、カタツムリの速度で動く。
マハトマ・ガンジーのことばです。
カタツムリで思い出しました。
好きなことばです。
投稿: こいし | 2015年3月 4日 (水) 06時41分
ふみこさま、みなさま、こんにちは。
「この小説はわたしに、悲しみの価値を……、悲しみが惨めなものでないことをおしえた。」
この部分を読んで、自分が今までふみこさんの文章に惹かれてきた理由がなんだったのか、ひとつわかった気がしました。
「こんな気持ちでいるなんて」と思う時、「いやいやこんな気持ちも日々の彩りのひとつ」と、そっと支えてくれるのが、ふみこさんの書かれた本や、このブログで出会うみなさんの文章です。
『いのちの初夜』も、ぜひ読んでみたいと思いました。
今、畑仕事のほかに、図書館でも仕事をしています。
実用書や雑誌を借りていかれる方が大半ですが、たまに、太宰治や、内田百閒、テネシー・ウィリアムズ、などの本をカウンターに持ってこられる方がいらっしゃいます。
ああ、これからこの方は、この本とともに過ごされるんだなあと、その時間を勝手に想像し、どうぞたのしんでください、の気持ちをこめて、「どうぞ」と本をお渡ししています。
投稿: ささこ | 2015年3月 4日 (水) 10時24分
ふみこさま みなさま
おはようございます。
私は先週、洗濯機の中から洗濯物を出そうと前かがみになった途端、
ぎっくり腰になりました。
以前は咳やくしゃみでなったことはありますが、まさか前かがみで。
油断していたのだと思います。
幸い軽めだったので寝込むことはありませんでしたが、
腰痛ベルトを装着して、カタツムリのごとく、ゆっくり歩いています。
ゆっくりはいいものです。いろいろな動作がていねいになりますから。
慌ただしい季節を前に、「慌てなさんな」とのメッセージだったのかな。
そんな風に思うことにしました。
私は、吉野弘さんと茨城のりこさんの詩が好きです。
特に好きな詩は、吉野弘さんが『祝婚歌』
茨城のりこさんが『自分の感受性くらい』
どちらの詩も、自分の気持ちが頼りなくなった時に読み返します。
読むと背筋がシャンとする気がします。
投稿: みぃ。 | 2015年3月 4日 (水) 10時40分
度々の投稿、失礼いたします。
茨城のりこさんのお名前を間違えてしまいました。
茨城でなく、茨木でした。
失礼しました。
投稿: みぃ。 | 2015年3月 4日 (水) 10時41分
ふみこさま。
こんにちは。
今日、早速、宮沢賢治の本を買ってきて、「オッペルと象」を読みました。
ふかいです。私、宮沢賢治は、むずかしいと思っていました。よくわからないなぁ・・・と。でも、今、半世紀ちかく生きてきて、ようやく賢治の世界観が理解できるようになったのかなぁ。と思いました。うれしくなっています。ふみこさんが、50枚の感想文を書かれたこと。すごいです。
宮沢賢治、もっと読みたいです。紹介してくださって、ありがとうございました。
あっ、そうそう。昨日、孫が、2歩、あるきました!
私も前進していきたいです。
では、またぁ。
投稿: こぐま | 2015年3月 4日 (水) 16時41分
かえるのしっぽ さん
書店に行くときは、
ぎゅっとからだの芯を絞る感じにして。
ところどころ、目を逸らしたりして。
そうでないと、あとからああとからほしくなって
しまいます。
本は、友だち。
ふ
投稿: ふみ虫 | 2015年3月 4日 (水) 20時46分
たまこさん
完璧は、目指しても、
わたしには届かない。
と、思いつづけてきました。
完璧より、愛。
ゲーテ、読みましょう、読みましょう。
ふ
投稿: ふみ虫 | 2015年3月 4日 (水) 20時47分
真砂 さん
柳宗悦にも、河井寛次郎にも、
思想家としてのことばがあって、
そこにいまのわたしたちが、捨て置けない
ものを感じています。
何度も何度も読みたいと。
ふ
投稿: ふみ虫 | 2015年3月 4日 (水) 20時50分
こいし さん
ガンディーの本(『獄中からの手紙』)を
読みたいと考えていたんです。
こいしさん、驚きました。
ふ
投稿: ふみ虫 | 2015年3月 4日 (水) 20時59分
ささこ さん
ささこさんの「どうぞ」の声に、
疲れが吹っ飛ぶ思いがしました。
これから、書架から本を引き抜くたび、
そのやさしい声が聞こえるだろうと思います。
ありがとうございました。
ふ
投稿: ふみ虫 | 2015年3月 4日 (水) 21時00分
みぃ。さん
わたしの仕事場に、
茨木のり子さんが微笑んでいます。
昨年世田谷文学館で開かれた
「茨木のり子展」のフライヤーです。
わたしは行けなかったのですが、
友人が届けてくれたのでした。
澄んだ、きれいな表情なの。
ぎっくりさん、
お大事にね。
カタツムリになろう。ね。
ふ
投稿: ふみ虫 | 2015年3月 4日 (水) 21時04分
こぐま さん
読み解くことに邁進しつづける。
わからなくてもわからなくても、
受けとろうと、読みきろうと。
そのことが大事だと、最近とみに感じています。
お孫さんが歩きはじめた未来のためにも。
ふ
投稿: ふみ虫 | 2015年3月 4日 (水) 21時06分
ふみこさま、みなさま、こんにちは
こどものころは書くことも読むことも、全て避けて通りたくなるほど苦手でした。
私の思考は、一歩、二歩、三歩と進むうちに、あらぬほうまで行ってしまうので、国語の読み取り問題などとは特に相性悪くいたのです。
すてきなめぐり合わせのおかげで、書きたいと思えるようになった今、
読みたい、もっと読めるようになりたいと、もがいています。でもそれは、決して苦ではありません。
投稿: ちぇりー | 2015年3月 5日 (木) 01時01分
ちぇりー さん
苦手、と思いこんでいた時間の分も、
「書きたい気持ち」、「読みたい気持ち」が
流れこんでくるのですね。
書く、読む。
出合いの時期はひとそれぞれですが、
早くない出合いの値打ちもある……。
少なからず、その意味を確かめてきました!
ふ
投稿: ふみ虫 | 2015年3月 5日 (木) 08時24分
ふんちゃん
この本を、伝えるのがひとつの役目。
そう、そうしてわたしも前回伝えてもらいました。
若くはないけど。まあ、young at heartでお許し願うとして。
早くない出合いの値打ち。
そうね、必ずちょうど、というそのときに伝わる。
だから、ここに来るのが好き♪
投稿: rantana | 2015年3月 5日 (木) 12時24分
ふんちゃん、みなさま、こんにちは。
春愁というのか、鬱々としていますが、こういう気分のときに、北條民雄はしっくりきます。
『いのちの初夜』の自殺をはかるシーンはよくわかります。多分北條民雄の実体験や実感があります。非常にリアリティがありますね。滑稽さが含まれているところとか。それは客観視して描けているせいでしょうが。
北條民雄は、宮沢賢治と通じるところがありますね。
病気のもつ重さはたがえど、重さでは宮沢賢治の方が持ち重りがする気がいたしますが、それでもやはり、北條民雄はぼくのなかでは別格ですね。
北條民雄、宮沢賢治。そのならびに、梶井基次郎や中島敦も加えたい。あくまでもぼくの趣味ですが。
ともかく、北條民雄はもっともっと読まれるべきです。
太宰治や夏目漱石と同じように、いやそれ以上に。
太宰治はいなくてもいいとおもっています。
ところで、北條民雄を語る上で、川端康成が非常に重要だとおもっています。
川端康成の強さというか脆さ、死生を行き来する感性がなければ、北條民雄は世に出ることすらできなかったでしょうから。
一作者としても素晴らしい方ですが、北條民雄を見いだし、世に出したことも大きな功績です。
宮沢賢治に話をかえますが、彼の影響をうけた方の作品をお勧めさせてください。
長谷川摂子さん著『人形の旅立ち』。
一応児童書ではありますし、短編集ですが、読み応えがあります。
挿し絵もすてきです。
機会がありましたらぜひ。
不思議な、どこか物悲しいような、懐かしいような世界へ旅にゆけます。
人形とともに。
投稿: 佐々木広治 | 2015年3月 5日 (木) 12時25分
rantana さん
必ずちょうどというとき、ね。ね。
それを信じています。
初めて出会う(出合う)ことこと、いまも
いっぱい。
驚くほど、いっぱい。
知らない自分とも、出会います。
ふ
投稿: ふみ虫 | 2015年3月 5日 (木) 21時37分
佐々木広治 さん
長谷川摂子のこと。
もうこの世では会えないひとになったけれど。
どこかで、すいすい、
かっぱのように泳いだり、
ものがたりを、ぱらりと降らしたりしておいでだろうね。
友だちにおしえてもらったのが、
『おっきょちゃんとかっぱ』。
なんて、きらきらした魂かと思いました。
かっぱもきらきら、
おっきょちゃんも。
ふ
投稿: ふみ虫 | 2015年3月 5日 (木) 21時44分
ふみこさま こんにちは
玄関先の鉢植えの沈丁花が咲き始めました。
先週末、自分のうっかりで眼鏡を壊してしまい、するりするりと本当にカタツムリのように生活していました。今は新しい眼鏡の慣らし期間です。友人たちとも話していたのですが、コンタクトレンズで度を合わすと老眼が出てしまい、老眼鏡を勧められて、メガネが嫌でコンタクトにしたのに…とか、遠近両用眼鏡にしたけど快適だよ~とか、眼鏡の話をするといろいろ出てきて、あぁ、そういうお年頃なのね~としみじみしていました。
読書することで、今はもう会えない人たちとも会話ができて。世界が広がって、うれしいことです。
5年前にお亡くなりになられた大好きなミステリー作家の新作を今読んでいます。雑誌に掲載された2編と原案が残っていた1編、そうしてその作家の遺志を継いだ3編、ドキドキしながら読んでいます。もっとシリーズがよみたかったなと思いながら。
そうして読むことの間口も広げていきたいです。
投稿: あすちるべ | 2015年3月 6日 (金) 13時02分
ふみ子さま
数年前、私は人達から裏切られ 悲しい思いをしました。一生懸命に頑張って来たのに・・・わかってくれていると思っていいたのに・・・悲しい思いをするのは 自分がいたらず、恥かしい事だと思い途方にくれました。どれだけ泣いたかしれません。
けれど 私のせいではないんじゃないかな・・っと気づいて救われました。悲しみは惨めなことではない・・私は間違ってなかったと言ってもらえたようで涙が出ました。ありがとう。
文字を読むことは 自分と向き合う事だと思います。文字が好きな自分でよかったとつくづく思います。
また 冬のような冷え込みが続きます。お気をつけて。
投稿: ふみちゃん | 2015年3月 7日 (土) 12時56分
あすちるべ さん
ミステリーは、
脳と気分を、活性化させてくれますね。
大好きな作家の作品だと、もうもう……ね。
読むことのかなわない、目に障害を持つ皆さんの
ためのボランティアに、興味を持っております。
きっと、ここへ来てくださっている方のなかにも、
朗読ボランティアさんが在ろうなあ……。
ふ
投稿: ふみ虫 | 2015年3月 8日 (日) 12時28分
ふみちゃん さん
(富美ちゃんさんとは、ちがうふみちゃんでしょうか。
ごめんなさい、不躾な問いになりますが)
ふみちゃんさん、
ご自分を「裏切られた」ということから解放して、
「離れていってくれた」と思うことです。
わたしにもおぼえがあります。
自分が、裏切った結果になってしまったという場合もあります。
離れる宿命というのも、存在するんだと
学びました。
離れることで、わからせてもらえることも
あるんだと思います。
この世の宿題は大変!
おたよりありがとうございました。
あらためて、大事なことを胸におさめなおすことができました。
ふ
投稿: ふみ虫 | 2015年3月 8日 (日) 12時35分
ふんちゃん
また、時間があっという間に過ぎて行ってしまいました…。
「いのちの初夜」の写真を見つけて、静かな気持ちになれました。
まだ、読み切れていません…。
数ページずつ読ませていただいています。
さらさらと、文字を追うだけような読み方をしたくないなぁという気持ちがあって…。本当に少しずつなんです…。
こんなことをしているのもあり、「いのちの初夜」は、ある日、佐々木広治さんが教えてくださってから、私のそばにいてくれます。
また少しずつ読ませていただこうと思います。
もっと読まれるべきだ…。私もそう思います。
今日から、なんだか家族の中に大きな嵐が起こる予感です。
あまり先々のことを心配しても仕方がないとわかっているのですが、私にとってはちょっと試練です…。
愉しめるように乗り越えることができるだろうか…。
いつもより、少し心を軽くして乗り越えられたらなぁと思っています。
子どもたちに八つ当たりをしないよう気を付けながら、乗り越えようと思います。
たびたびくる嵐ですが、少しずつ上手に乗り越えられるようになりたいなぁと思っています。
今回は、今までよりも、遠くを見て、大きなものを見て、そして、いろんなことを感じて、過ごしてみようと思います。
自分のことだけ考えて過ごしていると、嵐に巻き込まれてしまいますから(^^)
春…、感じられるようになってきましたね(*^。^*)
投稿: もも(^-^) | 2015年3月 9日 (月) 09時43分
もも(^-^)さん
嵐の予感。
そういうものを、敏感に感じて、
これまでも「さりげなく」、「あたたかく」、
「たおやかに」乗り越えてこられたんですね。
わたしなんかは、
嵐も、そうとうに吹き荒れてしまってから慌て、
とんでもない対処法をとったりして。
そうね、そうね。
こころを軽くして……というの、
いいなあと感じました。
わたしも、これから何かが起こりそうなとき、
ももちゃんの「少し心を軽くして」を
唱えるとしましょう。
ありがとうね。
佳い春をね。
嵐が無事に、やさしいタネを残して去ってゆきますように。
ふ
投稿: ふみ虫 | 2015年3月 9日 (月) 11時32分
ふみこさんの書かれるものの、大好きで、ココも楽しみに覗かせていただいていました。
書き込むのは初めてです。
じつは今、うつ病でずっと寝ています。4ヶ月の時が過ぎてしまいました。
投稿: | 2015年3月 9日 (月) 13時35分
ふみこさんの書かれるものの、大好きで、ココも楽しみに覗かせていただいていました。
書き込むのは初めてです。
じつは今、うつ病でずっと寝ています。4ヶ月の時が過ぎてしまいました。
いつになったら、良くなるのか、焦ったり心細くなったりしています。
外出できるようになったら、「いのちの初夜」探して読んでみたいと思います。
投稿: | 2015年3月 9日 (月) 13時40分
ごめんなさい、
上の二通、途中だったり、名無しだったりで投稿してしまいました。
投稿: かずよ | 2015年3月 9日 (月) 13時47分
かずよ さん
おたよりほんとうに、
ほんとうにありがたく、
深いよろこびとともに受けとりました。
お気持ちが向いたら、どうか、
ぽつりとひとことでも、ここへ「ことば」を
置いてください。
焦る日、心細い夜、
なんでもないけれど、じつはなんでもなくない
はなしをしましょう。
ふ
投稿: ふみ虫 | 2015年3月 9日 (月) 17時03分
ふみこさま
ありがとうございます。
嬉しい、
とても嬉しい お返事です。
こんなに嬉しいものなのですね。
嬉しい、ばかり、何回も重ねてしまいました。
これからも お話、楽しみにしています。
またおじゃましたいと思います。
投稿: かずよ | 2015年3月 9日 (月) 17時23分
かずよ さま
こちらこそ、
またおたよりいただき、
うれしい!
うれしい!
うれしい気持ち。
ゆっくりと、ゆきましょう。
あわてると、ろくなことがありませんもの。
おやすみなさい。
ふ
投稿: ふみ虫 | 2015年3月 9日 (月) 20時52分
ふんちゃん
全然なんです…。
「さりげなく」、「あたたかく」、「たおやかに」とは、ほど遠い…。
いつも嵐に巻き込まれて、ずたずたに疲れ切って消耗します。
そして、嵐の目に「あ~ら、何大変そうにしてるの~?」って笑われるんです。
いつもおびえて、胃がキリキリして…。
でもね…、今回は…って、少し思えたんです。
私も少し成長してるかな?(^^;)
「やさしいタネ」
そうですね!ほんとだ!「やさしいタネ」が残るかもしれませんね?
うれしいです。
何度もすみません。
いちいち返すと、またふんちゃんにもお手数をかけさせてしまう…と、いつもちょっと我慢していたりしていたのに、今回はついつい…。
とても、大きく支えてもらっています。
ありがとうございますm(__)m
投稿: もも(^-^) | 2015年3月 9日 (月) 21時05分
もも(^-^)さん
ひとが何と云おうとね、
「さりげなさ」が+3、
「あたたかさ」が+3、
「たおやかさ」が+3、
となっているのですよ。
絶対ね。
「+いくつ」というのもいいけど、
「やさいいタネ」はすごいです。
どんどん生命をつないでゆきます。
芽が出て花が咲きます。
わたしたちは萌え、のびています。
ほんとうよ。
ふ
投稿: ふみ虫 | 2015年3月 9日 (月) 22時13分