手首、くるぶし
そんなの自分じゃない……と、思った。
というか、そんな自分であってほしくなかった。
直接見たのでもない事柄、直(じか)に会って話したのでもないひとのことを、風の便りやうわさ話で決めつけているのでは?
そういう有り様(よう)を、いちばん嫌ってきたのはオマエではなかったのか。
と、問う声がする。
「受け入れよ。すべてはそこから、はじまる」
ひらりと目の前に落ちてきたことば。
わたしときたら……、それを感じたとき「ハイハイ」と云った。ハイハイだなんてね、気楽なもんだが、それは、そんなことくらい知っている!と思ったからだ。
そしてその夜、わたしは台所で洗いものをしながら、以前にも同じことばが、ひらりと目の前に落ちるのを見たことを思いだした。
「受け入れよ。すべてはそこからはじまる」
あのときわたしは、ああ、と得心しこれを胸に納めたのだ。あのとき……、わたしは、目の前にあたらしい道が拓けるのを、見た。
オマエは、その、あたらしい道を歩いたのか。
と、問う声がする。
歩いたような気がする、とわたしは頼りなく答える。歩きはじめたことは歩きはじめたけれど、日常のどさくさに紛れたのと、風の便りとうわさ話に気をとられるうち、道に迷ったのかもしれないわ。
そこへ行って、この目で見てこよう。
出かけて行って、そのひととはなしをしよう。
*
このあたりをちょっと歩けますか? と尋ねると、歩けますとも、とそのひとは云い、わたしたちは連れ立って、みどりの道を行く。出かける前、考えた揚げ句、七分袖の白シャツに、グレーのパンツを選んで身につける。手首とくるぶしが見えるようにした。
それは、受け入れる、という誓いのしるし。
庭の梅に、気がつけば実がいっぱい。
わたしが頑(かたく)なになっているあいだに、
実って、こんなに太っていたのだなあ。
ひとだって実る。「受け入れる」は、ひとの実り。
きっとそうだわ、と思うのです。
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