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2015年5月19日 (火)

橋をゆっくりと、渡る。

 朝9時、電話が鳴る。
「はい、山本です」
「先日おはなしした会議ですが……、候補日をお知らせします。ご都合が合えばいいのですが」と、電話の向こうのひとが云う。
「◯日午後3時、市役所の△室ですね。大丈夫、うかがえます」
 ああ、これで、今週の持ち時間はすっかり埋まった。予定はいっぱいになってしまったが、◯日の会議は信頼するひとたちと話しあう貴重な機会だ。

 このところ、机の前に坐る時間が減っている。

 かつてわたしは執筆の世界に住んで、1日の多くの時間を机の前で過ごしていた。家のしごとや母親業もあったけれども、橋を行ったりきたりしていた。
 50歳代がはじまったころから、そこへあたらしい仕事が加わった。そのひとつが武蔵野市の教育委員の役目であり、わたしは市内の公立小中学校に出かけたり、会議に出席したり、教科書採択にあたったりするようになった。想像していたのより出番が多く、それより何より自分がこれほどの熱中を見せるとは思っていなかったのである。
 かつても橋を行ったり来たりしていたが、それは1本橋だった。ところが近年、わたしのまわりにはいくつもの橋が架かり、きょうはこの橋、明日はその橋、という具合に、ことなる渡りをするようになっている。

 橋と云えば、
50歳の年にはじめた英文翻訳の勉強も、橋を渡った先の出来事だと云える。ことし6年めになる。月2回の授業のときに、日本語にすると原稿用紙5枚ほどの分量になる課題を提出する。はじめたころは、おおいにとまどった。課題が怪獣のように思えたなあ。あまりにむずかしく、悲しくなるほど英語の構文がとれなかったものだから、怪獣はどんどん大きくなり、ときどきガオーッと吠えたのだ。「エッセイストのあなたは、訳文を書くのはお手のものでしょう? きっといつか翻訳ものも手がけるのね」などと云われることがあるけれど、とんでもない。日本語にたどり着く前に、英語のところでこんがらかっているのだから。
 それにしても6年前、あの橋を渡って、ほんとによかった。小説、童話、詩、エッセイ、紀行文、新聞記事、楽譜の序文(多くは部分)など、さまざまな宿題に出合った。自分で記してきた通し番号をつけたら、154回分。
 よくつづいたと思うが、てんでダメな訳文の添削をつづけてくださった髙橋茅香子せんせいの熱心と、そしてそしてがまん強さたるや!
 ひと月に二度、ある1日を「英文翻訳・宿題の日」と決めて机の前に坐る。没頭する。ことしのはじめはニューヨーク(アメリカ)にあるメトロポリタン美術館の展示室をうろうろしていたが、最近のふた月あまりはエリコ(イスラエル)の、まがりくねった道を歩いている。この没頭は、いまのわたしにとって、至福の時間。
 橋を渡って翻訳の課題にとり組んでいるうち、また別の橋を渡って、知らない世界を旅する感覚。歩きまわっているだけでは足りなくなって、あれを調べたり、これを見たりする。「へえ、イスラエルのma’ alubaって、こんなダイナミックな料理なのか。子羊と野菜の炊きこみご飯だというけれど!」

 橋はゆっくりと渡ろう。

 慎重に渡りだしたつもりでも、わたしはおっちょこちょいだから、躓(つまず)いたりしないように。万が一、下の渓流に落っこちたら……。
 まあ、そこでもまた、あたらしい道がみつかろうけれども。

Image_2

この橋も、わたしは渡ります。
埼玉県熊谷市の夫の実家の農作業です。
先日、土入れをした苗床(100箱)に
稲の種籾(たねもみ)を蒔きました。

6月中旬、田植えです。

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「日記」カテゴリの記事

コメント

ふみこ様

橋のお話し面白いです。
わたしも不安定なつり橋も含めて渡っているような・・・

ふみこさんのこの場が
わたしにとってたくさんの方とのかけ橋になっています。
ありがとうございます。

投稿: ゆるりんりん | 2015年5月19日 (火) 11時22分

ふんちゃん皆様こんにちは。

橋をゆっくり渡ろう。
私もそそっかしいので急ぎたいわけでは
ないのに、急いでしまうので(潜在意識の中では急ぎたいのかも)
このスローガンいただきます。


さて私は新しい橋を渡ろうとしています。
それは大切な人と喧嘩をする(性格には意見を言う)ことです。
付き合いきれないなー、を今まで
ま、いっかで済ませてきた私ですが
これは我慢しなくていいんじゃないかな、と思うことがちらほら。

気兼ねしてしまうのは関係にヒビが入るわじゃないかと怖がるからだと分析。

ふんちゃん、私に橋を渡る勇気をくださき!

投稿: たまこ | 2015年5月19日 (火) 12時13分

ふみこさま こんにちは

今朝はジメジメしていたのですが、お昼過ぎから爽やかな風が入ってきます。今、きれいな飛行機雲が見えます。

しばらくやめていた事に今年の初めに少し手をつけて、郵便で送りました(いわゆる公募というものです。今回はキャラクターに名前を付けようというものでした)。昨日、すっかり忘れていたところに「選ばれました」と電話で連絡をいただきました。少しだけ賞金もいただけるそうです。同名応募の方がほかにもいらっしゃるそうなので頭割りです。でも、うれしい。
中学の時の担任の先生が公募好きで、いろいろ見つけてきては応募させられました。その時は嫌々だったのですが、後々、ン?面白いカナ?とあれこれ自分で見つけては、時々応募していました(なかなか選ばれません…)。

忘れかけていた橋なのですが、またゆっくり渡ろうと思います。

投稿: あすちるべ | 2015年5月19日 (火) 17時17分

ゆるりんりん さん

つり橋、怖いけど好きです。

いくつもの橋を、
どきどき、ふわふわ、
ごくたまには「きりっと」渡ろうと
思うんです。

橋たちの価値を、
等しく思えるところは、わたしのいいところなんじゃないかな。

投稿: ふみ虫 | 2015年5月20日 (水) 10時23分

たまこ さん

けんかになるかもしれないけど、
という気持ちより、つよい気持ちなんですね。
わかるなあ。

「ま、いっか」で済ませていいこともあるけど、
それではだめなこともあります。
相手が大切なひとなら、なおさらです。
橋を渡って、伝えてきてください。
そして、また、橋を渡って自分にもどれるように。

がんばれ。

投稿: ふみ虫 | 2015年5月20日 (水) 10時26分

あすちるべ さん

おめでとう!ございます。

公募。
したことがないけれど、
よし、いつかわたしもやってみよう。
……と思いました。

忘れていた大事なこと、
思いだしたら、また(橋を)渡ったほうがいいです。ね。
わたしも、ごく最近、思いだしたことがあるんです。
ゆっくり、渡ってみようと思います。

投稿: ふみ虫 | 2015年5月20日 (水) 10時29分

ふみこさま 皆さま こんにちは。

「橋を渡る」というお話、なるほどなぁ。。。って思いながら読みました。

何かをしていると(例えば、キャベツの千切りとか(笑))ふと「橋」のことを考えてたりします。

渡った橋、渡らなかった橋、橋だと気づかず渡ってしまった橋、渡りたかった橋、渡らなくてはいけなかった橋。。。

いろいろな橋があるようです。

多分、今も、橋の上にいるのかもしれません。

投稿: かえるのしっぽ | 2015年5月20日 (水) 15時39分

投稿して、種もみをもう一度見て、「橋を渡る」と「タネをまく」は似ているのかもしれないと思ってしまいました。

投稿: かえるのしっぽ | 2015年5月20日 (水) 15時42分

かえるのしっぽ さん

渡った橋。
渡らなかった橋。
橋だと気づかず渡ってしまった橋。
渡りたかった橋。
渡らなくてはいけなかった橋。

ぜんぶ思いあたります。

そして、
すべて「受け入れる」ということを
考えています。


投稿: ふみ虫 | 2015年5月20日 (水) 18時45分

ふみこさま、みなさま

おはようございます。
新しい世界へワープする感じ私もすきです

行ったり来たりしているうちに、
青くんと黄色ちゃんの世界みたいに、少しずつまざりあったり
溶け合ったりして生まれるハーモニー,その豊かさ

あわないと思ってもあゆみよっていくうちにうまれる
思いがけないハーモニー、その温かさ

橋をゆっくりわたってフェルマータも好きです
橋の下を流れる川の音、遠くの山々

仕事の前にこちらにちょっとワープ
心に余白が生まれました
いい一日になりそうです。

投稿: 真砂 | 2015年5月21日 (木) 08時25分

ふみこさま みなさま

こんにちは。

~橋を渡る~

わたしはいつも、橋を渡る前に、
渡った先々での不安を考え過ぎて
渡るのをあきらめてしまうひと、かもしれないです。

自分が無理が効かないひとだと、
自分で勝手に思い込んでいる節があって、
”こうなったらどうしよう”とか、
”こうかもしれないよー”とか、
いろいろとマイナスな事ばかりが頭をよぎり、
なかなか一歩が踏み出せない感じです。
たいていの事は、きっと”なんとかなる”はずなのですけれど。ねぇ。

渡った先のあたらしい景色も見てみたいから、
これからはちょっと”えいやっ!”と踏み出してみます。
ふみこさんのお話や、みなさんのお話を読んで、
そんな気持ちになりましたー。

投稿: みぃ。 | 2015年5月21日 (木) 14時27分

ふんちゃん、みなさま、こんにちは。

春で、初夏かとおもえば、もうすぐ梅雨になりそうですね。
橋、自分のまえにはひとつくらいしかありませんが、びっくりさせられっぱなしです。
当たり前という橋。
当たり前といわれている橋ですね。
その端っこをおそるおそるあるいています。
当たり前なんてないなと、おもいながら。そのギャップに驚きながらあるいています。
それは自分の無知さもありますが。
当たり前なんてない、とひとり学んでいます。
種も植えたら全て芽が出るわけではないし、出た芽も育つわけではない。
実はミニヒマワリ、全滅してしまいました。
なんでかわかりません。
かわりにトマトやラディッシュに挑戦していますがどうなることやら。

稲など当たり前に見過ごしていましたが、当たり前ではないんですよね。
奇跡なんですね。

当たり前などない、奇跡のなかにあることを、学ぶ橋の端にいます。

投稿: 佐々木広治 | 2015年5月21日 (木) 14時34分

ふみこさん、みなさん
こんにちは。

明日は娘の小学校最後の運動会です。彼女は、入場行進で小太鼓係、会の間は用具係として働きます。5年生と2学年合同での組体操もあります。
さらに、週末は塾も毎日あり、お友達とも毎日遊ぶ予定のようです。
「せめて、日曜日の遊びはキャンセルしたら?」と口出ししたら、ぶわっと涙が!そして、
「おかあさん、怒らないでね。私、全部やりたい」と言われました。

そうか。そんならその橋、全部わたってもらおうじゃないか。

橋のおどりば(?なんてあるのでしょうか)で、ご飯作ったり、お風呂用意したり、テレビのスイッチをさりげなく切って誘惑をしりぞけたりを、機嫌よくやりきることができますように...

投稿: cohata | 2015年5月22日 (金) 13時23分

ふみこ様、皆様
こんにちは
私は毎日片付けをしながら、時々渡ってきた橋を思い出したりしています
これから、どんな橋を渡るかわからないけれど、今は、穏やかな気持ちで片付けに没頭しています。
こんなに、片付けに没頭している毎日は、はじめてです。
片付けをしながら、新しい自分になれるといいな

投稿: ゆきたん | 2015年5月22日 (金) 13時38分

ふんちゃん

 橋だったんだなぁ~、です。
 大きな橋を渡って帰ってきました。

 恐る恐るゆっくりと渡って、素早く帰ってきた感じです。
 橋の向こうは「東京」

 とてもうれしく夢のような時間もありましたが、
 もともとの目的である父のお見舞いでは、
 こんがらかった気持ちが残っています。

 今の私が、できそうなことはやってきたかな…と思っていますが…。
 この「こんがらかり」には、なんという名前がつくのかさえ、自分でもわかりません。
 静かな自分の家に帰ってきて、子どもたちとの時間を過ごして、少しは何か浮かぶかなぁと思っていたのですが、やっぱり「こんがらかり」はそのままです。

 でも、いいんだ。
 この「こんがからかり」さんは、きっと私が小学生の頃から私の中にあるものなんだろうなぁということが、わかりました。
 「こんがらかり」さんがあって、私もあるんだなぁと思えてきたので、ほどくことを考えるよりも、ニコニコ前を進んでいこうと思います(^^)

 旅の中で、「いのちの初夜」をようやく読み終えることができました。
 生きること、死ぬことを、感じたり、考えたりする旅になりました。
 動揺することも多かったけれど、また静かに台所に立てる喜びを感じています(^-^)

 今日は、末息子のおべんとうの日でした。息子がだ~いすきな「たらこピーマン」をどっさりいれてやりました!
 
 ふんちゃん…、橋を渡る時、渡ってからも、背中を押してくれて、支えてくれて、本当にありがとうございますm(__)m
 時々、涙もにじんだけれど、あったか~い気持ちになれました…(^^)

投稿: もも(^-^) | 2015年5月22日 (金) 14時20分

ふみこさん おはようございます。

ふみこさんから 広がっている
たくさんの橋を 想像しながら読みました。
なんだか ワクワクします。

子供のころから 「石橋を叩いて そして 渡らない」
そう言うタイプでした
用心深いわけではなく
勇気が足りなかった気がします。
歳が10、増えるごとに いろんな出来事で
「渡るしかない!」とか「いつの間にか 渡っていた」という
自分に気がつきます。
橋から見える景色を 味わう余裕はないのが残念です。

いろんな橋を渡っている ふみこさん 応援しています!
でも お体も大事にしてくださいね。

これから 初夏の森に 朝の散歩に行ってきます
橋、あります。

投稿: えぞももんが | 2015年5月23日 (土) 05時12分

わざわざかけなくてもいいのに、
ちょっとわたれそうな、おもしろそうな橋をみつけちゃうと
ズズズ~~と引っ張ってきて、トンテンカンと自分のエリアからその端を開通させちゃいます

だからゆっくりとわたるひまなくて
今日はこの橋、明日はこの橋とこの橋、と、猛ダッシュっで走ってわたってたまに池にドボンです。(笑)

今回のタイトル
橋をゆっくりと渡る

の『ゆっくりと』
私もこころがけたいです。

今日テラスの掃き掃除をしながら、
この広場のみなさまの今日1日をふと思っていました。
ふみさまからのご縁で私からみなさんにも橋がつづいているのかな~?

たくさんの橋がかかると自分の立っているところから中心におひさまみたいになりますね。
ふみさまを中心にたくさんのおひさまがここにはあるのであったか~いのですね。

***
ゆきたんさん
退院してから療養後、たまっていた我が家の魔窟箇所(笑)を少しずつ、傷の痛みも感じながらですが、片づけていた冬でした。
でも不思議と家の中が片付くのにつれ、どんどん自分も元気になっていくのがわかって、心も整理されて、すごくおだやかになれました。今はまた、もとの生活でバタバタですがその穏やかな時間の流れを知れた自分はとてもよい経験をしたなあと思っています。日々のおかたづけが少しでもゆきたんさんの心をかろやかにしていってくれますように・・・

投稿: おきょうさん | 2015年5月23日 (土) 15時19分

真砂 さん

『あおくんときいろちゃん』のことを
思いださせてくださって。
どうもありがとうございます。

わたしたちは、
少しずつ混ざったり、溶けあったりする
お互いなんだということを
思いだして、勇気づけられました。

投稿: ふみ虫 | 2015年5月23日 (土) 18時15分

みぃ。さん

でも……。
みぃ。さんは、創作のときには、
自然に、ふわっと橋を渡られるのでは?

さて、わたし。
あまりに粗忽だからでしょうね。
「橋」の存在に気づかず、
渡っていることも少なくないのです。
いまの橋でしたね、とひとに云われて
気がついたり……(ひゃーっ)。

それはわたしの欠点でもあるけれど、
長所でもあるか、と思うことにしています。

投稿: ふみ虫 | 2015年5月23日 (土) 18時19分

佐々木広治 さん

あたりまえなんて、ないな、と
思いながら橋の端っこを歩いている
佐々木広治さんを、敬いたい思いです。
それに、その感じがあまりに素敵で。

わたしは、毎日奇跡のなかを、
泳いでいます。
きっと、そのことを忘れたら、溺れます。

投稿: ふみ虫 | 2015年5月23日 (土) 18時21分

ふみ虫さま

今までいくつの橋を
渡ってきたでしょう(*^^*)

時に走り、歩き、立ち止まり
橋であると気づかなかかったり
しているんやろなぁとおもいます。

次男の高校時代を見守るなかで
わたらなくてもいいこともあることを
感じたり…

土とともにある
ふみこさんのことも
時々、教えてくださいね。


投稿: 寧楽 | 2015年5月23日 (土) 18時39分

cohata さん

「私、全部やりたい」と宣言した
お嬢さんもスバラシイ。
橋のおどりばで、何でもするよと
腕まくりをしているcohataさんもスバラシイ。

きょうは、わたしも、
東京都武蔵野市の小学校3校の
運動会をまわりました。
涙をこらえるあまり、喉が痛くなりました。
おしえられることがいっぱい!

大人になって、子どもからおそわることほど
幸せなことって、あるでしょうか!ね!

投稿: ふみ虫 | 2015年5月23日 (土) 19時04分

ゆきたん さん

なれますとも。

ゆきたんさんもあたらしくなれるし、
ゆきたんさんの環境もまた!

わたしたち、
少しずつうんと少しずつ進化できる存在だと
信じています。

片づけの「場」には、
風が……。

投稿: ふみ虫 | 2015年5月23日 (土) 19時07分

もも(^-^)さん

お宅に帰られたのですね。
ほんとに、ほんとに、
よかった……です。ね。

勇敢だったし、愛情深かったし、
立派でした、ももちゃん。

その「こんがらかり」は、
まちがいなく「愛」。

投稿: ふみ虫 | 2015年5月23日 (土) 19時38分

えぞももんが さん

初夏の森。

わたしは、そこへ渡りたいです。
ほんとに、渡りたいです。

投稿: ふみ虫 | 2015年5月23日 (土) 19時39分

おきょうさん さん

ドボンというところ、
似ているのかも、わたしたち。

ぜんぜん怖くもないし、
ためらいもないのは、好奇心いっぱいだから。

でも……、
ゆっくり渡りましょうかね、これからは。
( おきょうさんさんとは、ドボンのときに会いそうだけど)。

投稿: ふみ虫 | 2015年5月23日 (土) 19時43分

寧楽 さん

ああ、あたらしいメッセージ。

そうです。
渡らなくてもいい橋も、ある。

もう一度。
(云い聞かせております)。
渡らなくてもいい橋も、ある。

それは心したいと思います。

投稿: ふみ虫 | 2015年5月23日 (土) 19時45分

ふみこさま、みなさま、こんにちは。
ふみこさんの橋、どれもきっと新たな風を吹き込ませてくれそうですね!
ふみこさんの翻訳されたもの、素敵な世界が広がっていることでしょう!きっとふみこさんにしかだせない色が散りばめられているのではないかなあ…と。
私は海外の絵本も日本の絵本も大好きなのですが、同じ本でも、訳をされた方によって、やはりその世界観が全く違ったものになるような気がするのです。
ふみこさんの世界、どんな世界が広がっているのかなあと、わくわくします。
恥ずかしながら私は幼い頃、絵本作家になりたい時期がありました(笑)
文章って、本当に不思議な力をもっていますよね。
ここにいるみなさまは、ふみこさんの素敵な文章の力に引き寄せられて、集まっていますよね。ふみこさん、そしてみなさまとの出会いを嬉しく思っています。ありがとうふみこさん!

私は急遽、大きな橋を渡らねばならないことになりそうです〜検査結果次第ですが…
がんばります〜!!

投稿: みゅー | 2015年5月24日 (日) 16時04分

みゅー さん

大きな、大事な橋を前に、
おたよりをくださって、どうもありがとうございます。

行っていらっしゃい。
こころあたたかく、冷静に。
(ふと、このことばがやってきました)。

絵本作家の夢も、思わぬところで拓けますよ。
きっと。

投稿: ふみ虫 | 2015年5月24日 (日) 22時24分

ふみこ様、皆様
こんにちは
私は片付けしながら、風を感じています。
まだまだ、やってる最中です。
今までにない、片付けです。手離すものを選択したり、昔の自分を思い出したりして、片付けしている間は、集中できるので、嫌なこと忘れています。

職場のことは、考えても、息がつまるだけです。
片付けしながら、自分を取り戻しているけれど、職場復帰の選択はできません
お休みが、いつまでいただけるか、わからないけれど、
選択するときがきたら、退職する選択のほうが、自分の心のためなのかなと思います。どこでも色々あると思うけど、戻ったら、同じことの繰り返しかなと思って。大人社会のいじめ、、戻りたくない。

とりあえず、片付けを続けます。

おきょうさん
温かいメッセージありがとうございます。
とても、嬉しかったです。
片付けして、お笑い番組みて、笑ったりできる自分になれました。
片付けの効用ですね。

投稿: ゆきたん | 2015年5月25日 (月) 13時14分

もも(^-^)さんが、『いのちの初夜』を読まれたこと。
その道中のことをおもい、はなさなくていいことなのだろうなとおもいつつ、なんだか伝えたくなりました。
北條民雄は、舞台となる施設にはいっていた(いれられていた)わけですが、それはそれで国策ですから仕方ないとして、彼の親にあたる方々の態度には、疑問をもっています。
川端康成が憤慨したというエピソードを読み、もった感想です。
その病の、当時のあり方から仕方ないのかもしれませんが、でも、肉親としてどうなのかなと。おもいのあり方は、それとは関係ないとおもうので。
ただ、もし情の深い親なら親で、民雄はそれでよけい辛くなったろうかとおもうと、良かったのかもしれないとおもったり。
またそこから、川端康成は変人だから正当につきあえ、そんな感情ももてたのだろうとおもい、変人であること、逸れていることは、存外大切なことかもしれない。
逸れているからこそ、外さずつかめることもあるのかもしれない、とおもったりもしました。
今にしてみれば、川端康成が北條民雄を評価し、つきあい、民雄の両親に憤慨したことは、すごく真っ当なことですから。
でも当時は、とんでもない奇行だったのですよね。
その変転が、おもしろいような、かなしいような。


投稿: 佐々木広治 | 2015年5月25日 (月) 14時14分

ゆきたん さん

このたびの大片づけに、
ひとまず終わったら、
何かが変わっていると思います。

つよいけれどやさしい何か。
きっぱりしているけれど柔軟な何か。

そんなものが生まれているような気がします。

とことん、ね。
とことん、ね。

投稿: ふみ虫 | 2015年5月25日 (月) 15時38分

佐々木広治 さん

広治さんの評価する、
「当時としては、とんでもない奇行」。

そんな道を、選べる瞬間がわたしにも
めぐってきたら、選ぼう。
にこにこしながら、選ぼう。

投稿: ふみ虫 | 2015年5月25日 (月) 15時40分

ふみこさん、みなさん
こんばんは。
助っ人稼業、無事終了いたしました。誰もいない橋のおどりばでほうじ茶を飲んでいます。

娘に「優先順位(睡眠、学校のこと、自分の学習、友だちとの時間)を思い出させる」のと「口出しする」のとは違うことを確信しながら、言うべきことを笑顔で言えたような気がします。

運動会は!
よく教室に貼ってある「努力」「がんばる」「勇気」「信頼」「友情」「優しさ」といった言葉に、実体をもたせて素手でぐっとつかんでいるかのような子どもたちの姿をたくさん見てきました。またそれを見守っている先生方のお顔も。

投稿: cohata | 2015年5月25日 (月) 22時41分

cohata さん

おはようございます。

橋のおどりばで、ほうじ茶。
おめでとうございます。
と、云わせてください。

わたしたちに、
橋にも「おどりば」があることを
おしえてくださったこと。
ありがとうございます。

橋を渡る途中で、ひと休みする。
こういうことを、わたしはときどき
(いえ、しょっちゅう、だなあ)忘れます。


投稿: ふみ虫 | 2015年5月26日 (火) 04時43分

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