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2015年7月の投稿

2015年7月28日 (火)

夏の記憶②(2015年)

7月△日
 奥多摩の御岳山(みたけさん/929m)登山の日。
 1週間前に机の下にリュックサックをこそっと置き、そこへ「何が何でも行く」という決心をぎゅうっと詰めておいた。
 今朝、その上に、弁当と水筒と、雨具をはじめとする七つ道具を入れて出発した。
 御嶽神社参拝のあと散策した沢沿いのロックガーデン(別称岩石園)の浄らなこと。渓流の深さの加減なのだろうか、場所によって漂う冷気がことなるのだ。おお寒い、とつぶやくこと三度(みたび)。夏の暑さに揺さぶられている心身には、この上もない贈りものだった。
 このところ共に山歩きをしている、若き仲間にも感謝。
 自然に役割を分担し、ことばがなくとも思い合える三人組(トリオ)だ。唯一の男性は隊長で、登山の綿密な計画を立ててくれる上に、珈琲を担当。紅二点のうちの若いほうのアオチャンは、おやつ担当。ひと口におやつと云っても、ナッツ系統、干し果物とチョコ系統のオリジナル・ミックスの手腕には、毎度隊長とわたしは深深とため息をつく。
「あー、これが食べたかったー」とね。
 最年長のわたしは弁当担当。こたびは「おにぎらず」をこしらえてみた。
 ふたりにとって「初・おにぎらず」であったため、めずらしがってくれたからよかったけれども、海苔が薄手であったため、ちょっと頼りない「おにぎらず」になってしまった。つぎは、もっと剛健な「おにぎらず」をつくりたい。

7月△日

 夜、夫とふたりで「ベイマックス」のDVDを観る。
 常時30作あまり申しこんでおき、そのなかからランダムにDVD(あるいはブルーレイ)が届くレンタル・システムに入会している(わたしは月に2枚ずつ4回届くコースを選択)。
 きょう、郵便受けに届いた2枚のうちの1枚を「ね、観ない?」と誘ったというわけだ。このシステムの無作為っぷり(ランダム)はかなりおもしろく、勝手に必然の物語をつくったりする。これを観るのが、ただいまのわたしの必然なのですね、という具合に。
「ね、観ない?」に対し、夫がこう云った。
「ベイマックスって、何? 『港の大将』みたいなはなし?」
(アナタさあ、映画人だったら、興味はなくても「ベイマックス」くらい知ってなけりゃ)。
 映画「ベイマックス」の主人公とその仲間たちは、愛情あふれる若者だ。
 彼らの夢と思い出、そして生命(いのち)そのものを木っ端微塵にしようとするのは……、どうしたわけだろう、欲望にからめとられた大人たちである。「ベイマックス」とわたしが告げたとき、頓珍漢なことを云い、それはもう映画づくりの映画知らずとしか云えなかった夫が、映画の終わり近く、「欲をかく大人にならずにすんで、よかったね」とつぶやいた。
 はっとした。
 たしかに欲かいちゃあいないけれども、うっかりして、それと同じ結果をもたらしたことはなかったろうか。
 うろたえながら……、うろたえながらも、ふと涙ぐむ。
 欲張らずにきたつもりであり、部分的にちょっと欲張ることがなくはなかったかもしれないにしても、欲張らずにありたいと希ってきて希いつづけるわたしたちであり……。
 そう思って、涙ぐんでいる。

7月△日

 いんげん。トマト。玉ねぎ。小玉ねぎ(ペコロス)。にんじん。茄子。ズッキーニ。ピーマン。ヤングコーン。
 そんな野菜たちが、友だちの畑から、夫の実家の畑から、どーんと届く。届いたのは3日前。
 その日わたしは大鍋をとり出して、野菜を刻んでは放りこんでゆく。水も加える。昆布とベイリーフ、塩も。
 弱火で煮こんでゆく。静かに、静かに。ゆっくり、ゆっくり。
 このスープをたのしんだ翌日、大鍋のなかで煮こんだ野菜を砕き、つぶし……(バーミックスを使った)。野菜はかたちをなくしてピュレとなった。いや、調味はすんでいるから、ポタージュと呼ぶべきだろうか。
 2日め、ポタージュに、サワークリームをのせて。
 3日めのきょう。
 冷凍してあったサーロインステーキ(特売!)を2枚焼き、適当に切って大鍋に入れ、煮こむ。ハッシュドビーフをイメージして味つけをする。
 じつは休む前に気づいたのだが、本日土用の丑の日。うなぎはなかったが、牛はあったのだし、よしとしよう。

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7月
トイレットに置いている、

観葉植物フィットニア(サニーイエロー)が元気です。

1234

同じフィットニアの植木鉢が4つ。
1234と番号付きです。
1週間ごと順番にトイレット当番がまわってきます。
わたしはトイレットという場所を好きだし、
大事にしているつもりですが、
いつもトイレットにいるというのはどんなものかなと。
それで、当番制にしてみました。

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2015年7月21日 (火)

夏の記憶①(2015年)

7月△日
 午後、ひと仕事終えて武蔵野市役所の玄関を出る。
 台風が3つ生まれて、そのうちのひとつが東京にどんな影響をもたらすかどうかという天気予報をさいごに、天気のことは忘れていた。あたりは光にあふれて、きらきら輝いている。わたしが市役所のなかにいるあいだに、台風は去ったらしかった。
 あれれ、夕方までにはまだ間があるこんな時間に、子どもがいっぱい!
 広場には、子どもたち(男の子も女の子も)がぴょんぴょん跳ねている。サッカーなのだか野球なのだか相撲なのだか……、それが混ざったような動きに見える。
 つい足をとめ、ベンチに腰かける。
 水飲み場に男の子が3人駆け寄ってきて、水道の蛇口をぐいっと上に向け、ごくごくと水を飲んでいる。その光景は、わたしに、自分の子ども時代のごくごくの感覚を思いださせる。
 わたし、かつては子どもだった。
 当然、わたしもその昔、子どもだったのだが、ごくごく、ぴょんぴょんという感覚をこんなふうによみがえらせるなんてことは、久しくなかった。
 しばらく子どもたちの様子を眺めていて、気がついた。
 きょう、終業式だ。夏休みがはじまったんだ。
 すると、また、かつての夏休みの感覚がよみがえってきた。
 夏休み。
 子どもたちのページはめくられた。さあ、佳い日日を、夏ならではの時間を、ぎりぎりまでたのしみたまえ。
(お願い。家のお手伝いも、ちょっとはしてくれたまえよ)。

7月△日

 くたびれた。
 昨夜寝つくまではさほどのことはなかったのに、朝目覚めたとき、頭が腫れたようになって、背中も凝り固まっていた。このところ、めずらしく根を詰めて仕事をしたからな。眠って眠って眠り倒したいという願望を押しのけ、がんばって起き上がる。
 夫と、鴨居玲(かもい・れい)没後30年の展覧会「踊り候え」に行く約束をしていたからだ。最終日が迫っており、この機会を逃すわけにもゆかなかった。からだをひきずるように仕度をし、白い靴を履いて家を出る。
 思えば夫とふたり、ならんで歩くのも久しぶりだ。
 東京ステーションギャラリー(東京駅)は、ほどよい数のひとが訪れており、わたしたちはそれぞれ、会場をてんで勝手な速度で歩いてゆく。それでも、お互い相手のシャツのレンガ色、スカートの空色を目の縁でたしかめていたのだろうか、ほぼ同時に出口にたどり着く。
 夫が、「私」(1982年/油彩・カンヴァス181,6×259,0cm石川県立美術館所蔵)を、ちょっと離れた場所からじっと見ている。
 画面中央の真っ白なカンヴァスの前に憔悴した鴨居自身が坐っている大作。老婆、道化、裸婦、ボリビアのインディオなど、それまで鴨居が描きつづけてきた人物がまわりを取り囲んでいる。苦悩を漂わせながらも、中央の白いカンヴァスがいっそすがすがしいほどの「無」を表現している。何も描いてなくてほっとしたわ、と云いたいような。夫は、何を思って見ているのか。
 わたしは「裸婦」(1979年頃/鉛筆・ガッシュ・紙69,1×53,3cm)に惹かれ、ちょっとの間、動けなくなる。女のからだは、うつくしい。それから、絵具が盛られるように置かれた画家のパレット。色というより、黒い塊のように見える。喉の奥で泣き声が生まれそうになった。あわてて、それは飲みこんだが。パレットの裏には「1976—1977 KOBE 苦るしかった Rey」と描いてあるそうだ。
 夫と銀座まで歩いて、小さな鰻屋で鰻を食べる。鰻はしっかりと焼かれており、たれは甘過ぎず、申し分ない。わたしたちのは「中」2500円。相席の若い夫婦が「特上」を頼んでいた。ちがいは鰻の数が1枚多いのと、漬物の器にきゅうりがあったことだろうかな。わたしたちの漬物は、大根だけだった。

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7月
切手のひきだしを開けると、52円切手ばかりがたくさん!
82円切手の代わりに30円切手を買って、
52円+30円=82円切手」とすることとしました。
30円切手を買ったら、愛らしい(尻尾の立派な)キタキツネの絵柄です。
ほかの切手も見てみたくなり、いろいろ1枚ずつ買ってみた。
50円のアナタは誰? ニホンカモシカだそうです。
切手はたのしいなあ。

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2015年7月14日 (火)

イチゴイチエ

 思いがけないことがある。
 ……思いがけない?
 いや、ほんとうはこの世は思いがけなさの積み重ねなのかもしれない。目覚めること、窓の外を眺めること、前の日の朝仕込んだヨーグルトができていること、朝刊が届いていること、そしてこの朝自分が生きていること、すべてが思いがけない。そう云ってしまってかまわない、と思う。

 ある日。

 友だちと待ち合わせして昼ごはんを向かい合って食べた。それだけでは足りないとばかりに、はなしをしながら歩いて帰り、家にあがってもらってはなしをし、長い見送りをしてまだはなしつづけた。
 このとき、ふと思った。
 こんな時間は、もう二度とめぐってはこないかもしれない、と。それが思い過ごしだったとしても、この日と同じようにはめぐってこない。

 ある日。

 野菜のズッパというものをつくってみる。
 ズッパというのは結局イタリアの具だくさんのスープらしいのだが、テレビで料理家が「ズッパ」と云うのを聞きながら、デッパ(出っ歯)みたいだと思った。デッパだってさ、あはは、と笑いながら、つくり方を聞いたものだから、首をかしげながら適当にゆく。ズッキーニ、玉ねぎ、じゃがいも、きゃべつ、にんにく(少し)を刻んでオリーブオイルで炒め、チキンスープを注いで煮る。これをミキサーにかけ、鍋にもどしてアサリの缶詰の汁を注ぎ入れ、アサリのむき身もちょっと加えた。このスープが、いやズッパが、抜群においしくできたのだ。
 このときも、思った。
 このおいしさ(しかも適当につくった)は、二度と出せないだろう、と。似たものはつくれるだろうけれど、これと同じズッパはつくれない(わたしがつくったのは、デッパだったのかもしれないにしても)。

 ある日。

 さあ、きょうは展覧会に行く日。朝起きるなりうかれ、しかし、何気なくフライヤーをたしかめるともなくたしかめる。やややっ。
「きょう休館日だー」
 たのしみにして、ねじり鉢巻きで仕事も片づけたのに。
 が、ふと思う。
 むしろこんなふうにかなわなかったことは、いつかもっとふさわしいかたちでかなうのではないか、と。
 この展覧会は、最終日までまだ1週間あるから、きっと出かけてゆけるだろう。あらためてたのしみにして、ねじり鉢巻きで仕事を……。

 ある日。

 カタカナがぱらぱらっと頭のなかに散らばって、整列す。
「イチゴイチエ」
 漢字の「一期一会」ではなかった。カタカナ6語を噛みしめる。

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香辛料ナツメッグを使いきり、
あたらしいのを求めました。
使いきったことはうれしいけれど、
この先、どのくらいでつぎのナツメッグを
使いきるのだろうと、ふと考えています。
半分、誰かにもらってもらおうかなーと思ったり。
        *
因みにわたしが持っている香辛料は、
黒こしょう、花椒(ホアジャオ)、カレー粉、
ベイリーブス(月桂樹の葉)、唐辛子です。
常温保存のものだけ紹介しますが、どうですか?
ちょっぴりでしょう?

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2015年7月 7日 (火)

会いたかった

 わたしは、甘い母ちゃんだ。
 もっと厳しくしたいと思っても、その方面の才能が欠如しているらしく、うまくゆかない。それでもときどき厳しい一面を発揮することもある。が、それは、虫の居所がわるかったとか、不意に感情的な爆発が起こったとか、いわばヒステリック系統の厳しさだ。
 結局、子どもたちにも後輩にも、甘いばっかりの(ときどきヒステリック・スイッチが入って顔が険しくなったり、暴言を吐いたりするばっかりの)、ふにゃりんこ女なのだ。ふにゃりんこではあるけれども、「ふにゃりんこ」から「ふんちゃん」というニックネームができあがったわけではない。悪しからず。
 さて、そんなだらしのないわたしではあるけれども、子らはもちろん後輩たちにも、敢然(かんぜん)として主張しつづけてきたことがある。

「選挙に行くこと!」

「棄権してみなさいよ、投票しなかったことを後悔させてやるからねっ」

 617日、選挙権年齢を18歳以上に引き下げる改正公職選挙法が、参議院本会議において全会一致で可決、成立した。来年夏に予定されている参議院選挙が、18歳に選挙権を与える最初の国政選挙になる見込みだ。
 うちに住む高校3年(来年夏には18歳になっている見込み)をぎろりと見る。「わ、わかってますって。選挙の投票は必ず!」
 と云いながら、高校3年生は右手を上げた。それでよし。

 ものごころついたときには、母は投票に行っていたし、参政権などあたりまえに与えられる権利だと思いこんでいた。

 けれども、女性参政権*が実現したのが、わたしが生まれるほんの10数年前のことだと知ったときには、驚きのあまり立ちすくんだ。20歳代のはじめに、あるドキュメンタリー映画**を観たときのことだ。そこにあのひとの姿があり、ことばがあった。選挙権というものが、ずしんときた。あたりまえなんかでは決してないことをわたしにおしえたのは、あのひと……。
 市川房枝さん***。
 1945年に太平洋戦争が終わるまで、日本には女性の国会議員が存在しなかった。そればかりか女性は選挙の投票することもできなかった。「婦選運動」と呼ばれた、女性参政権を求める運動をしたのが、市川房枝さんをはじめとする人びとなのである。

 いまの日本を見たら、市川房枝さんは何と云われるだろう。「平和なくして平等なく 平等なくして平和なし」ということばをモットーとしていたことからしても、憤(いきどお)ることだろうなあ。「わたしは憤慨しとるんですよ!」とね。

 その憤りを受け継ぐことを考えなくてはいけないなと考えていたとき、友だちが「中高生向きの評伝シリーズ****が刊行されたのよ」と云って、レイチェル・カーソン(『沈黙の春』で環境問題を訴えた生物学者)の本をプレゼントしてくれた。初めて触れるエピソードや、くすっと笑いたくなるレイチェル・カーソンの横顔に引きこまれて、一気に読んでしまった。とにかく、読みやすいのがありがたい。このシリーズにはほかに、どんな人物の評伝があるのだろうと思って、本のさいごのページを見て、驚いた。市川房枝!
 すぐに書店に注文して、取り寄せた。市川房枝さんをよくぞシリーズに加えてくれたなあ、と感心した。
 気が短く、妻に当たり散らすこともあった父、「女に生まれたのが因果」とつぶやく母。両親の人生のうまくゆかなさ、忍耐、嘆きは房枝の活動の原点となったようだ。しかしその一方で、両親はその時代にはめずらしいほどに教育熱心でもあったため、子どもたちはそれぞれに学問の道を歩いている。房枝の母の姿を描いたこんな一節がある。
「たつ(母)は、辛い環境にいることを一瞬でも忘れようとするかのように、いつも何かしらの仕事を見つけてはせっせと手を動かしていました」
 こんな姿が、房枝に、ひとがひとりひとり「食べてゆく」ことの重要性を受けとめ、いずれ自立するビジョンを持つというめあてをつよく描かせたものと思われる。

1
冊の本のなかで、会いたかったひとに再会。
雨がしきりに降っている。わたしのなかにも降った降った。慈雨。

*女性参政権
 19451217日、日本の女性が(男性と同じ条件で)参政権を獲得。
 1947年、戦後最初の参議院選挙が行われた。日本で初めて、女性が投票できる国政選挙である。ところがこのとき、有権者名簿に市川房枝の氏名が記載されておらず(初歩的な手違い)、投票ができなかった。

**
「八十七歳の青春」
 サブタイトルは「市川房枝生涯を語る」。
 カラー/121分・1981年/桜映画社

**市川房枝
 1893(明治26—1981(昭和56
 女性参政権が実現ののち、参議院議員としてクリーンな政治を求める運動をつづける。
 87歳でこの世を去るまで国会議員として活動した。

***〈ポルトル〉ちくま評伝シリーズ
 シリーズ第
 1スティーブ・ジョブズ/2長谷川町子/3アルベルト・アインシュタイン/
 4マーガレット・サッチャー/5藤子・F・不二雄/6本田宗一郎/
 7ネルソン・マンデラ/8レイチェル・カーソン/9黒澤明/
 10ココ・シャネル/ 11ヘレン・ケラー/ワンガリ・マータイ/
 13岡本太郎/14市川房枝/15安藤百福
 (第 Ⅱ 期然10巻も、20159月から刊行開始予定)

Photo
シリーズ名の〈ポルトレ〉は、ポートレート、肖像の意であるそうだ。
中高生にはもちろん、大人にもおすすめだ。
会いたかったひと、忘れてはいけないひとに会えるよ、
そう云ってすすめたい。

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