夏の記憶②(2015年)
7月△日
奥多摩の御岳山(みたけさん/929m)登山の日。
1週間前に机の下にリュックサックをこそっと置き、そこへ「何が何でも行く」という決心をぎゅうっと詰めておいた。
今朝、その上に、弁当と水筒と、雨具をはじめとする七つ道具を入れて出発した。
御嶽神社参拝のあと散策した沢沿いのロックガーデン(別称岩石園)の浄らなこと。渓流の深さの加減なのだろうか、場所によって漂う冷気がことなるのだ。おお寒い、とつぶやくこと三度(みたび)。夏の暑さに揺さぶられている心身には、この上もない贈りものだった。
このところ共に山歩きをしている、若き仲間にも感謝。
自然に役割を分担し、ことばがなくとも思い合える三人組(トリオ)だ。唯一の男性は隊長で、登山の綿密な計画を立ててくれる上に、珈琲を担当。紅二点のうちの若いほうのアオチャンは、おやつ担当。ひと口におやつと云っても、ナッツ系統、干し果物とチョコ系統のオリジナル・ミックスの手腕には、毎度隊長とわたしは深深とため息をつく。
「あー、これが食べたかったー」とね。
最年長のわたしは弁当担当。こたびは「おにぎらず」をこしらえてみた。
ふたりにとって「初・おにぎらず」であったため、めずらしがってくれたからよかったけれども、海苔が薄手であったため、ちょっと頼りない「おにぎらず」になってしまった。つぎは、もっと剛健な「おにぎらず」をつくりたい。
7月△日
夜、夫とふたりで「ベイマックス」のDVDを観る。
常時30作あまり申しこんでおき、そのなかからランダムにDVD(あるいはブルーレイ)が届くレンタル・システムに入会している(わたしは月に2枚ずつ4回届くコースを選択)。
きょう、郵便受けに届いた2枚のうちの1枚を「ね、観ない?」と誘ったというわけだ。このシステムの無作為っぷり(ランダム)はかなりおもしろく、勝手に必然の物語をつくったりする。これを観るのが、ただいまのわたしの必然なのですね、という具合に。
「ね、観ない?」に対し、夫がこう云った。
「ベイマックスって、何? 『港の大将』みたいなはなし?」
(アナタさあ、映画人だったら、興味はなくても「ベイマックス」くらい知ってなけりゃ)。
映画「ベイマックス」の主人公とその仲間たちは、愛情あふれる若者だ。
彼らの夢と思い出、そして生命(いのち)そのものを木っ端微塵にしようとするのは……、どうしたわけだろう、欲望にからめとられた大人たちである。「ベイマックス」とわたしが告げたとき、頓珍漢なことを云い、それはもう映画づくりの映画知らずとしか云えなかった夫が、映画の終わり近く、「欲をかく大人にならずにすんで、よかったね」とつぶやいた。
はっとした。
たしかに欲かいちゃあいないけれども、うっかりして、それと同じ結果をもたらしたことはなかったろうか。
うろたえながら……、うろたえながらも、ふと涙ぐむ。
欲張らずにきたつもりであり、部分的にちょっと欲張ることがなくはなかったかもしれないにしても、欲張らずにありたいと希ってきて希いつづけるわたしたちであり……。
そう思って、涙ぐんでいる。
7月△日
いんげん。トマト。玉ねぎ。小玉ねぎ(ペコロス)。にんじん。茄子。ズッキーニ。ピーマン。ヤングコーン。
そんな野菜たちが、友だちの畑から、夫の実家の畑から、どーんと届く。届いたのは3日前。
その日わたしは大鍋をとり出して、野菜を刻んでは放りこんでゆく。水も加える。昆布とベイリーフ、塩も。
弱火で煮こんでゆく。静かに、静かに。ゆっくり、ゆっくり。
このスープをたのしんだ翌日、大鍋のなかで煮こんだ野菜を砕き、つぶし……(バーミックスを使った)。野菜はかたちをなくしてピュレとなった。いや、調味はすんでいるから、ポタージュと呼ぶべきだろうか。
2日め、ポタージュに、サワークリームをのせて。
3日めのきょう。
冷凍してあったサーロインステーキ(特売!)を2枚焼き、適当に切って大鍋に入れ、煮こむ。ハッシュドビーフをイメージして味つけをする。
じつは休む前に気づいたのだが、本日土用の丑の日。うなぎはなかったが、牛はあったのだし、よしとしよう。
7月△日
トイレットに置いている、
観葉植物フィットニア(サニーイエロー)が元気です。
同じフィットニアの植木鉢が4つ。
1、2、3、4と番号付きです。
1週間ごと順番にトイレット当番がまわってきます。
わたしはトイレットという場所を好きだし、
大事にしているつもりですが、
いつもトイレットにいるというのはどんなものかなと。
それで、当番制にしてみました。
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