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2015年8月の投稿

2015年8月25日 (火)

尻尾

 とうとう、見えた。

 駅からすたすた歩き、うちまでのさいごの角をまがったとき、道の向こうにゾロリとそれが見えた。

 かたちは、そうだ。尻尾。思いのほか太いという感想は例年通りだが、ことしの尻尾には鱗(うろこ)が光っていた。未練とはちがう。まだまだ、やり残したことがあるのだと主張するような、光り方だった。

 ふわっと、昨年の夏の記憶がよみがえる。

 父のいない初めての夏だった。
 父の死後ひとり暮らしになった母は儚気(はかなげ)で、いまにも崩れ落ちそうだったが、「わたしにはさびしがり、よろよろとひとりで暮らす権利があります」と云わぬばかりの……気を静かに発していた。
 35分間自転車を漕ぎ、母のおかずをつくりに通う日日。
「お母ちゃま、野菜も食べなくちゃだめよ」
「そうね。食べるわね」
「お母ちゃま、夏のはじめに植えたミニトマトに実がついた! 」
「あら、かわいいわねえ」
「お母ちゃま、たまには鰻を食べよ。鰻屋さんにひとっ走り行ってくるね」
「あ、じゃあ、お父ちゃまの分もお願い」
「え。(ああ、お供えね)」
 それがわたしの昨年の夏の記憶だ。

 しかし、道の向こうに夏の尻尾が行くのが見えたいま、ことしの夏を省みずにはいられない。暑い夏だった。

 尻尾を追いかけ、尻尾の先のほうに向かって「お手柔らかに」と声をかけようか。が、わたしはそうしない。用事を片づけての帰り道のこと、少少くたびれてもいたし、手に荷物を提げている。そうでなくても、わたしは追いかけたりしないのかもしれない。
 なぜと云って、「お手柔らかに」と声をかけたところで、どうともならないのを知っているからだ。「お手柔らかに」とは、残暑のことだが、子どものころには、同じような場面で「もう少しゆっくり行って!」と叫んだものだ。そのこころは、夏休みが名残惜しくてたまらなかったからでもあり、宿題が終わっていなかったからでもある。
 あの頃も、どう叫ぼうと同じだった。
 ゾロリと這ってゆくそのものの正体にも、決められはしないのだろう。夏には、それぞれの去り方がある。
 見送り方もまた。

 最低限のことしかできない夏だった。みずからを励まし、ときにはお世辞までつかって(アナタナラ、デキル!などと)ひとつひとつ最低限を片づけた。しかし、ルーティーンに埋もれそうになりながら、ルーティーンの至福に気づくことのできた夏だった。

 朝顔の花の数にうかれるわたし。昼には何を食べようかと思いながら仕事をしているわたし。蟬の声を聞いてもこころが踊る。
 旅がしたい。書きたくてたまらない。ワードローブを見直そう。このような求めが、ルーティーンのなかから生まれている。

 夏の尻尾を見た翌朝は、おどろく涼しさに変わっていた。

 そう云えば、昨夜の秋の虫の合奏はすばらしかった。

Photo

8月
今夏は飲みものに一所けん命になりました。
まずは梅シロップ。
梅のちからが、暑さ負けから救ってくれました。
ありがとうありがとう。
熊谷でのブルーベリー摘みのあとにこしらえた
ブルーベリージュース。
友人の旅のお土産・極上中国茶。
さんぴん茶やごぼう茶。
夫担当の珈琲、二女担当の紅茶。
わたし担当の新茶も。
ところが本日、とんでもないことに気づきました。
「ことし、麦茶を飲んでいない!」
あわてて麦茶を買ってきて、湧かして飲みましたとさ。

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2015年8月18日 (火)

夏の記憶⑤(2015年)

8月△日
 夕方帰宅し、夕飯の仕度にとりかかろうと冷蔵庫を開けると、見慣れぬ容器がある。容器には、赤と黄が透けている。トマトだろうか。黄色いのは何か……。
「昼過ぎ、ノゾミさんが持ってきてくれたんだよ。ええと、トマトのスープ、いや、シロップかな。とにかく冷蔵庫に入れておいて、と云われたんだ」
 と、夫が云う。
 要領を得ない伝言だが、うちにやってくるトマトがこんなにハイカラな姿になることはまずないから、仕方ないか。容器のふたをとると、赤いのはまるのままのトマト、黄色く見えたのは、薄切りになった生姜だ。汁をスプーンですくってみる。
 甘い。何とも涼し気な、きりっとした甘み。
 これを届けてくれたノゾミさんは、わたしの、いちばん近くに住む友だちだ。この家に引っ越してきたあと、近所づきあいから親しくなったのだが、30歩も行けばお互いの家にたどり着ける存在である。庭のサンダルをひっかけて行けば、15歩だ。近所に友だちを持つ不思議さ。……いや友だちを近所に持つ不思議さだろうか。
 しかし、ほんとう云えば、友だちというものはどれも不思議だ。お互いのあいだの距離も、履歴も、趣味も癖も関係ない。気がついたときには、友だちになっている。
 ガラスの器にトマトを汁ごとよそって、夕飯の前菜のようにして食べる。
 おいしい。生姜のちからもあって、心身がしゃんとする。
 夏の滋養。

8
月△日
 ノゾミさんと会う。
「ものすごくおいしかった。あれは何と云うもの?」
「えー、名前? トマトと生姜のシロップ漬けかな? トマトをデザートとして食べる感覚なのよね」
 つくり方は、と聞くと、湯剥きしたトマトを、水、砂糖、生姜(これらはひと煮立ちさせる)に漬けでおくとのこと。レモンのしぼり汁も加える。
 あとから、トマトは少しも煮なくていいのだろうか、と考える。トマトはまるのまましゃんとしていたから、煮ないのだろうな。……蒸す?
 こんどまたおそわるとしよう。
(いや、こんどまたつくってもらおう、か)。

8月△日

 暑い日がつづいて、1分という時の刻みからも、1秒というのからも汗がしたたるようだ。
 それで時の進みがおそくなるかと云えば、それはそうではなく、なんだか、昼を過ぎたころ、びゅんと進む速度が増すようなのだ。気温が上昇しきらぬうちにと、朝、家のしごとをして、机に向かい、ぐずぐずと仕事をして顔を上げ時計を見ると、4時。そんなことの連続だ。
 それでも、この夏の暑さとの交流のなか、ひとつひとつのしごと、仕事が際立つ感覚がある。図書館で勉強する末娘の弁当をつくったり。ブルーベリーのジャムを煮たり。買ってきたものをしまったり。からりと干し上がった洗濯物をたたんだり。短いものを書いたり。さし絵を描いたり。お茶を淹れたり。
 そんな事ごとが、決してあたりまえのことでなく、そうできることが何ともありがたいう、それが際立つ感覚であった。日常のルーティーンにうんざりして、目先の変わったものを徒(いたずら)に求めたりするのは、いかにももったいないと、この夏の暑さがおしえる。
 平和や自由も同じで、あたりまえでなんかはないのだ。失ってはじめてその尊さがわかりました、ということにならないように。
 暮らしには、11秒の時の刻みには、際立つ事ごとで満ちている。

2015

8
なかなか花をつけない朝顔に、気を揉みました。
8月になって初めて咲き、咲きはじめると毎日、
たのしませてくれるようになりました。
朝顔の季語が秋であるのにも頷けます。
夕顔のほうは、まだ咲きません。
どうか、咲いてください。

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2015年8月11日 (火)

夏の記憶④(2015年)

8月△日
 夏の全国高校野球選手権大会がはじまった。
 開会式のあと、鹿児島実業高等学校(鹿児島代表)と北海高等学校(南北海道代表)の試合を見る。結果は184で、北海が破れた。
 甲子園に出かけて行ったと思ったら、一日目第一試合ののちたちまち帰ることになった高校生たちは一所けん命、スパイクバッグに甲子園球場の土をつめている。
「コズキチ(仮名)、お帰りなさい。よくがんばったね。テレビを観て、感極まって泣いたわー。あ、それ、甲子園の土? それ少しもらって観葉植物を育ててもかまわないかな。植木鉢にちょっぴり入れてもらったら、植物もよろこぶと思うんだけど」
「うん。だけど、学校のグラウンドにも撒くんだから、ちょっとな」
 存在もしない高校球児の息子が、甲子園の土を持ち帰る場面を思い描いているのである。真夏の白日夢。

8
月△日 
 先週、M子さんからランチのお誘いあり、暦を見たら、うれしやその日は予定が入っていない。それでは、おいしい和食を食べさせる隣町の店に出かけましょうか、というM子さんからのメールに「たのしみにしています」と返信し、当日たるきょうを迎えた。
 朝6時から気温が上がりはじめ、気がつくとからだがぐんにゃりしている。M子さんはどうやって隣町に出かけるつもりだろうか、徒歩だろうか、自転車だろうか、バスだろうか。
(きょうは、どこへも行きたくない)。
 だらしのない気分ではあったが、恐ろしくきっぱりとしたものであった。
「もしもし、きょうはうちでごはんを食べませんか。うちにもエアコンはありますから、それはつけて涼しくします」
 2キロほど距離のあるお宅から自転車に乗り、その上M子さんは、押し寿司やロールケーキを買って、やってきてくれた。
 お茶を淹れたり、冷蔵庫から茄子の煮ものを出したり、ぬか漬けをひっぱり出したりして、もてなす。
 家から一歩も出ずに、すばらしくたのしい時間を過ごしてしまった。ばんざい!

8月△日

 NHK杯将棋トーナメント。
 きょうから2回戦となり、羽生善治名人が登場する。対戦相手は北浜健介八段。テレビ放送を、どきどきしながら待つ。いつもは毎週日曜午前10時半からの放送であるが、高校野球の放送があるため、午後15分に変更になっている。
 羽生名人が先手と決まり、本局への抱負を語る。
「今回が30回目の出場(NHK杯将棋トーナメント)ということで、月日の流れも感じていますし、張り切って指していきたいと思います。北浜さんとは対戦が少ないので(このたび3戦目)、新たな気持ちで臨めるのでは」
 そも30回のNHK杯出場がすごいが、30回のうち10回の優勝というのは、いったいどんな記録だろうか。これにより羽生名人は、「名誉NHK杯選手権者」の称号を持つに至っている。
 羽生名人先手と決まる。
 解説の屋敷伸之九段による「居飛車対中飛車の対抗形になるのでは」との予想が的中し、居飛車対ゴキゲン中飛車、そして相穴熊となった。
 あっという間に終盤戦となったように見える。
 後手番が先手番の穴熊を崩しにかかり、玉のまわりに金銀が1枚もなくなっている。羽生名人は金銀を自玉のまわりに打つが、後手が攻防。という局面がつづき、あともう一度くり返されたら「千日手(せんにちて)」か。
「千日手」とは、同じ局面がくり返しあらわれることを云う。4回くり返されると無勝負・指し直しとなる(ただし、連続王手の場合は王手の側が手を替えないと反則負けとなる)。
 と、そのとき、羽生名人が飛車を切って攻めに出た。
 結局、166手で、後手北浜健介八段の勝ちとなった。
 千日手が濃厚と思われた局面あたりで、羽生名人に苦悩の表情が浮かんだ。眉間にしわが寄り、ときどき額に指を当てている。NHK杯将棋トーナメントは早指しだから、長考の道も選べない。
 
 この夏もっとも印象に残る風景。

 暑いというのを云いわけにして、考えることからも、迷うことからも、惑うことからも逃げている自分が恥ずかしくなった。こんなことでは夏の暑さが去ったとき、どうしようもない局面がわたしを待っているかもしれない。
 現実世界には千日手もない。

Photo

8
ブルーベリー詰みの一日。
埼玉県熊谷市の夫の実家の畑に
夫がブルーベリー(2年苗)を植えたのが2012年春。
ちちが80歳になり、ちちははとの共同作業と、
田畑の未来を考えてのことでした。
東日本大震災という経験も、後押ししてくれたと
思います。
そのとき植えた30本が、見事な実りをもたらしました。
水を飲み飲み、
実ったブルーベリーを口に含み含み、
摘みに摘んだのです。

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2015年8月 4日 (火)

夏の記憶③(2015年)

7月△日
 東京・新宿の高層ビル群。
 そんなのっぽのビルのひとつの根元あたりで……まただ。
 声をかけられる。
「写真を撮っていただけませんか」

 頼まれれば、写真くらい撮ってさしあげますよ。

 シャッターを切ればいいのでしょう?
 ……という心持ちで、わたしは、いる。

 しかし、近年、こんな場面で差しだされるのはカメラではなく、スマートフォンだ。カメラ仕様に変身させたのを手渡される。ごくりと唾を飲みこんで、「ここ、押せばいいんですね」と利いた風な口を聞いているが、まったく全然わかっちゃいない。

「それでは撮りまーす」
 シャッターとおぼしき、しかし、シャッターにしては頼りない、四次元のシャッターを押す。頼りないから、一所けん命、ぎゅっと押す。
 カシャカシャ、カシャカシャカシャカシャ。
「なんじゃ、こりゃ?」
 どうやら、連写した模様。
 こんなことが、二度つづいた。
 その気じゃないのにパパラッチよろしくカシャカシャカシャカシャ連写なんか(記念写真のつもりでいる撮られるほうなんか、もっとその気じゃないはずである)、わたしは帰宅するなり、末娘をつかまえる。スマートフォンでの撮影をおそわるためだ。
「そっとタッチする。ぎゅっとやると連写になるからね。あ、そんなとこ、触らないの。カメラ画面が変わっちゃうからね」

 なんだかなあ……。一度も必要だと思ったことのないスマートフォンに、迎合することなんかないのじゃないかなあ……。これから写真撮影を頼まれたら、こう云ってしまおうか。

「写真撮影はやぶさかではありませんが、その板きれみたいなのではお断り」

7月△日

 朝めずらしく目覚まし時計に起こされた。
 時計に向かって、きっぱり云う。
「起きられません」
 しかしどうしても起きなければ。
 30分ほど蒲団の上で、「起きられません」とつぶやき右へ、「起きたくありません」とつぶやき左へころがる。ころがっているうちに、何だか馬鹿らしくなってきて、「えいやっ」というかけ声とともに起き上がる。
 考えたら、もう何年も、朝は抵抗なく起きていた。目が覚めたら起き上がることにしてきた(ただし、それが午前3時台であったなら、また目をつぶる)。めんどうな用事の待ち受けている日もなくはなかったけれども、それでも、ぴょんと起きていたのだ。
 子どものころなんかは、蒲団からはなれるのがいやでたまらなかった。できることならなら、蒲団の国で日がな一日過ごしたかった。起き上がってからも、何と云うか、片足を蒲団の国に入れたままでいたような。いやなことがあったら、すぐと「こっち」に逃げこんじゃうからねー、と決めている。そんなような子どもであった。
 そんな子どもが大人になって抵抗なく起きられるようになったのは……。わたしが蒲団の国に育てられたおかげかもしれない、とふと思う。いまだって、時間ができると、すぐ蒲団の国に行こうとする。本を携え、本など数ページ(いや数行ということだってある)読めば、もう、蒲団の国でまどろんでいる。まどろみながら、意識をトリートメント(調整)。蒲団の国でのやわらかい浅めの睡眠に包まれて、魂が生気をとりもどす。
 からだという器たる肉体と、魂とのあいだに生じたずれが、ゆすられながら解消するといった具合だ。
 今朝の抵抗ののち、机前にたどり着いてこんなことを書いている。あはは。

7月△日

 小学校4年生の友だちがお母さんとふたりで、ぬか床をとりにきた。
 ぬか床を分けるなんてことは初めてで、うかれながら緊張している。いいぬか床を分けたいという色気が、いつになく懸命に手入れをさせた。煎り大豆、梅干し、削り節、ヨーグルトなどを混ぜこんだり、ぬかを足したり。こうして色気づきながら、こりゃ一大事と感じた。手もとで育てたものを分けるなど、一大事も一大事。
 4年生のYちゃんは、用意しておいた菓子には目もくれず、わたしが漬けておいたきゅうりを音をたてて食べている。これでよし。よきひとのもとに、わたしのぬか床はもらわれてゆく。
 Yちゃんに、Yちゃんのとうちのとふたつのぬか床に手をさしこんで混ぜてもらい、茄子ときゅうりを漬けてもらう。夏は4時間もあれば漬かるから、これは晩ごはんの食卓へ。

Photo


朝、玄関を見たら、
自転車が2台かかっていました。
長女(赤/ロードバイク)が夜、やってきて泊まったのです。
いつのまにか上ふたりの娘が自転車乗りになっていました。
人力で最速の、乗りもの。
ちょっとうらやましいなあと思うのです。
(と云いながら、こっそり夜中にビアンキ*を
借りて乗っていたりして……内緒です)。
*ビアンキ 下方の二女のクロスバイク。

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