通路
末娘18歳の誕生日が翌日に迫っていた。
が、ほんとうは、忘れていたのだ。末娘のひとつ上の姉にあたるKがぽつりと云う。
「どうやって祝おうか、明日(あす)」
どうやって、って、何を? と思った、わたしときたら。しかし、口にはしなかった。黙っていて、時を稼いだ。
するとKが「18歳ともなれば、ほら、もう、選挙権もあるひとということだから」と云う。
ぎゃー、三女、18歳かー。
慌てた。
同時に、自分の至らなさのようなものが、どっと押し寄せた。子の誕生日を忘れていた不徳も合わさって、その波の力はたいそう強いものとなった。
わたしは元来(元来などと云うと、ものを説こうとでもするようで、いささか気恥ずかしいけれども)、子どもを、自分という「通路」を使ってこの世にやってきた存在だと考えている。通路になって、世に送りだしてしまったら、それなりのことを仕込んだり、わからせたりしてこんどは世のなかへと送るのだ。18歳になった末娘を、いったいわたしは仕込んだり、わからせたりしただろうか。
そう考えると、自分がまともな「通路」でなかったことがはずかしくてたまらないような気分になってくる。ざぶんとやられた。
それに、だ。
母の通路を経てきた自分がこれまで何を身につけ、何をわかってきたというのだろうか。このあたりから、もう心もとない。その心もとなさを、母のせいにしたくても、母はいま、ひととしては87歳だが、こころは妖精のようになっており、「わたしに何を身につけさせたく、わからせたかったか」などといきなりつめ寄ってみたところで、静かに微笑んで「そうねえ」とつぶやくだけだろう、きっと。
そも、母の通路を使ったのは56年も前のことなのだから、母に問いつめるのはお門違いだ。
誕生日の日がやってきた。
朝、うやうやしく末娘に「18歳のお誕生日だそうで、おめでとうございます」と挨拶する。
「こちらのほうはとんと至らず申しわけのないことだったけれども、健康で、頼もしいひととなってくださって、あの、ありがとうございます」
「いえいえ、よくしていただいてきました。ありがとうございます」
芝居がかったやりとりののち、わたしは、これでよし、と思う。
仕込み損なっているのは、煮もののつくり方だったり、衣更の方法だったり、昨日のつづきをきょう受けとめて、また明日につなげてゆく家のくりまわしについてだったり。まあ、そんなところだ。それなら、これから少しずつ伝えてやればいい。わたしはそんな気になっていたのである。生来(元来のつぎは生来だ。ますます気恥ずかしいことだ)呑気者なのだった。あはは。
その夜は、夫も留守、二女も留守、三女も留守で、わたしひとりの食卓となった。前の晩に煮ておいたひじきと油揚げの煮ものをご飯に混ぜこんだのと、わかめのおみおつけと、ポテトサラダとぬか漬けのかぶ。これを祝い膳として、しみじみとほおばる。
「通路」の祝いのつもりなのである。
夫の実家の熊谷も雨つづきで、
なかなか稲刈りができませんでした。
とうとう、稲刈りの日。
夫が出かけてくれました。
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