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2015年9月 1日 (火)

鈴虫

 わたしは小学2年だった。
 いま、手もとにその年の5月のある日に撮った2枚の写真がある。
 1枚は神代植物園でのもの。笑顔。
 1枚は深大寺でのもの。うちひしがれた顔。

 神代植物園と深大寺は、漢字こそ異なりはするものの、ともに「ジンダイ」という名であるばかりでなく、隣り合わせに存在する(東京都調布市)。深大寺を有する深大寺村が、明治時代の中頃に周辺の村と合併したときに、神代と名をあらためたものらしい。漢字を変えて音を残したのかしら。

 その日初めて神代植物園に連れて行ってもらった。花満開のつつじの低木が延延とつづき、それは珊瑚の色の海原のようであった。つつじの波間を夢中で走りまわり、花の上に顔だけ出した弟とふたりの写真が、残っている。これが1枚目の写真。
「さてと、深大寺にお参りして、帰りましょう」
 と母が云った。
 いまでこそ、深大寺は初詣に行くほか、名物の深大寺そばを食べに出かける親しい場所になっているけれど、子どものわたしには、お寺は遠い存在だった。遠くて怖い場所と云ってよかった。
「えー、お寺?」
 植物園とは、ほぼ隣り合わせの深大寺はにぎわっていたが、わたしの目には薄い靄のようなものが見えた。早くここを出て、帰りたい。
 深大寺の裏門のあたりで撮った写真がある。これがもう1枚の写真だ。
 暗い表情のわたしが、からだを左方に傾けて立っている。赤地に白い水玉模様のブラウスに、白いショートパンツという活発な拵(こしら)えにはおよそ似つかわしくない顔である。そのとき、わたしの目は、墓地をとらえていた。
 幼いわたしの表情を暗いものにしたのは、死のイメージだ。
 当時、父方の祖父の死に顔と、叔母たちの泣き腫らした目を見ていたので、死とはどんなものか自分なりのイメージを持っていた。ひとり欠けて3人になった祖父母が死んでしまうのが恐ろしいというイメージ。
 祖父母たちに会うたび、死なないで死なないで、死なないでーと、こころのなかで叫んでいたのだったなあ。

 同じ年の夏休みの終わり近く、隣家のイワタさんのおばちゃまから電話で、「ふみこちゃん、いいものあげます」と呼ばれた。お隣の玄関まで走って行くと、虫かごが待っていた。土が入っており、その上にきゅうりが置かれている。

「きゅうりなの?」
「きゅうりは、ごはんよ。鈴虫のごはん。見えるでしょう、ちっちゃいくて黒い虫が。いい声で鳴くのよ。どんなふうに鳴くか、観察してみてください」
 イワタさんのおばちゃまの子どもたちは、そのときすでに大人になっていたから、わたしは恰好の教育対象だった。鈴虫もそうだし、その後、革細工、リボンフラワー、パン作り、いろいろなことをおそわった。
 いま考えると、それらからわたしはおそらく、イワタさんのおばちゃまが期待し想定していた以上のことを学んだ。近くにそういう存在のあることをあたりまえだと思っていたが、あれは奇跡の一種だったのかもしれない。
 鈴虫。
 わたしは、もうもう浮かれていた。きょうだいができたようなうれしさだった。年子(11か月と21日ちがい)の弟は、ものごころついたときにはわたしより身長が高く、ちっとも弟みたいではなかった。ちっちゃくて可愛らしい弟がほしかったよ、と希っていたのが半分かなえられたような気持ちだった。
 鈴虫はちっちゃかったが、虫かごのなかに45匹入っていた。
 きゅうりのごはんを土の上に置き、イワタさんのおばちゃまがから鈴虫はかつお節が好むと聞くと、母にかつお節を削ってもらって、粉のようなのを瓶のフタにのせてやった。水は飲まないの……? 西瓜は食べるかしら……? と、このあたりまではよかったが、なにしろやっとできたちっちゃくて可愛らしい弟たちだ。かまいたくて、かまいたくて、たまらなかった。
 虫かごを持って散歩させたり、虫かごから出して机の上で遊んだりした。
 鈴虫は、あまり鳴かなかった。鳴きはじめても、すぐやめてしまったから、鳴く姿の観察はできなかったのだ。
 わたしがかまって、いじくり過ぎたせいだった。
 それから10日もしないうちに、ちっちゃな弟たちは1匹残らず死んでしまい、わたしは泣きながら、庭に墓をつくった。

 鈴虫を死なせてしまった経験は、わたしにこの世の生について、生の末に死がやってくることの自然なる道のりについておしえた。不思議なことに、わたしは鈴虫のおかげで、死を徒(いたずら)に怖がったりしない道を歩きはじめたのだった。

Photo

8月終わり、埼玉県熊谷市の田んぼ風景。
ここは田植えが遅いので、
まだ、穂が若いのです。
田は、この世の生で満ち満ちています。
ちっちゃなかえるもたくさん!
でもわたしは、それをつかまえて散歩させようとしたり、
机の上で遊んだりはしません(進歩)。
Photo_2

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コメント

ふんちゃん皆様こんにちは。

鈴虫の季節になりましたね。
私はふんちゃんがご自分のことを
ふみ虫と呼ばれているのを知ってから

なんだか虫達が可愛らしい存在になりました。


鈴虫というより、自然の音って素敵ですよね。
疲れているときでも、ふっと傾けてると
本当に本当に癒されるんですよね。

こうゆう存在に気付けていることは
なんだか秘密基地を見つけた気分になります
ちなみにここも、わたしにとって
秘密基地です

投稿: たまこ | 2015年9月 1日 (火) 12時13分

ふみこさま。

わたしは、アマガエルが大好きで、幼稚園の時から、お絵かき帳には、
みどりの丸いものを書いていました。母が、「何?」と聞くので、「かえる」と答えたときの、驚いた顔。
ちっちゃい頃は、それこそ、アマガエルをつかまえて、鉄棒をさせたり、机の上ではしらせたり、わたしも、いじくりまわして、死なせてしまいました。動かなくなったアマガエルをみて、悲しかったこと。

そういう経験って、意外と大事なんだなぁ・・・。

孫にも、小さな生き物とのふれあいをさせてあげたいです。

では、またぁ。

投稿: こぐま | 2015年9月 1日 (火) 13時12分

たまこ さん

何かに取り憑かれていると
(それはほとんど、現実的な事ごとですが)、
自然の音にも、気配にも、色にも、かたちにも、
気づかぬままですね。

それが恐ろしいです。

取り憑かれ癖がつきやすいのも、
現代の有り様(よう)ですもの。
秘密基地は大事にしなくちゃ。と、思いました。

投稿: ふみ虫 | 2015年9月 1日 (火) 16時13分

こぐま さま

ほんとほんと。
若いひとにも小さいひとにも、
アマガエルを見せてあげたい。

小さな生きものとの縁(えにし)を
たしかめてもらいたい。

こぐまさんのお孫さんは、きっと
ばあばから、いろいろおそわりますね。
大きいばあばもね。

投稿: ふみ虫 | 2015年9月 1日 (火) 16時16分

ふみこさま、みなさま

まだ中庭からセミの声がします
虫の声にすいこまれなんて言えるのは外で聞くからで。。

先日8階のうちの部屋にセミくんが。。
声大きすぎる。窓開けた時に侵入したもよう
リビングのドア閉め、夫を入れる
こういう時にありがたい存在である。感謝。

10日後、網戸に遊びに来る
「そんなに生きられないでしょう、、」
調べてみる。虫籠では7日くらいだが、外では一カ月位生きる事も。。
という説を見つける。やっぱりあのセミさんかもと
うれしくなった私でした。

何だろう、何か共鳴するような感じ。秋の虫の声にあるもの
いいですね

投稿: 真砂 | 2015年9月 1日 (火) 16時27分

ふみこさま。

ほんとに「死のイメージ」は、
時(経験?)と共に変わるものですね。
小さい頃、弟が寝る前に、
「明日の朝、起きたら死んでいたらどうしよう」
と、心配していた時期がありました。
「死んでいたら、目なんか覚めないよぅ」と。
弟より少しだけおとなだった私は、笑い飛ばしながらも
「死のイメージ」は怖いものでした。
気がついてみると、怖いものではなくなっています。
それよりも、生きることへの問いのほうが深くなっています。

今年は、ははの初盆でした。
実家で、ははを迎え、無事?見送ってきました。
首をかしげながら、確認しあいながら、
初めてのお盆の準備をするわたしたちを、はは は
「あら、あら。」なんて笑って見ていたかも。
実家には、ははのていねいな暮らしが、
今もそのまま残っています。
生きることの意味を考えさせてくれた昨年のははでした。
いくつになってもかなわないなぁと思います。

投稿: さのまる | 2015年9月 1日 (火) 18時16分

ふみこ様

読みながら、
きっとわたしも鈴虫なんだろうなと思いました。
あの世へいつか行くことが不幸だとは思わないけれど、
この世にいる間にしかできないことに気がつきたいなあ。

投稿: ゆるりんりん | 2015年9月 2日 (水) 08時42分

真砂 さん

セミくんは、
何かを真砂さんに伝えたかったのでしょうか。
おもしろき知らせだと信じています。

近年秋がつとに早足になりました。
ことしはさらに。

佳き、秋を。

投稿: ふみ虫 | 2015年9月 2日 (水) 10時08分

さのまる さん

お母さまとの夏だったのですね。
お母さまにとって、どんなに愉快な夏だったことか。
いろんなところに(身軽に)出かけて、
おおいにたのしまれたことでしょう。

そして、
知らず知らずさのまるさんは、
お母さまのていねいな暮らしを
引き継がれておられることと。

投稿: ふみ虫 | 2015年9月 2日 (水) 10時12分

ゆるりんりん さま

そうですね。

この世の生のすばらしさ。
失う前に気がつきたい。です。

投稿: ふみ虫 | 2015年9月 2日 (水) 10時13分

ふんちゃん、みなさま、こんにちは。

読んでふっと現れたのが、西原理恵子さんのたしか『女の子ものがたり』だったか。めちゃくちゃ大好きなものがたりなんですが、そのなかで子猫をみつけるというはなしがあって、死なせてしまいます。
死はごく身近にあって、でもそれは幼いころには分かりにくいところがあって、だから加減もわからなかったりするのかな。
大きくなっても、わからなかったりしますけどね。
いたいけな存在から教えられるということはよくありますね。
黒い虫といえば、ぼくにとってはゴキブリで、ゴキブリから教わりますし。
なかなか愛嬌がある生き物なんですよ。
なかには死に際、わざわざそばにきて、そばで亡くなるのもいます。
なんで?とおもいますが、危害を加えないとわかってるからでしょうね。
いさせてくれてありがとう、というかんじでもあるのかなとおもったりもしています。

投稿: 佐々木広治 | 2015年9月 2日 (水) 16時32分

佐々木広治 さん

「いさせてくれてありがとう」
というの、いいね。

わたしたちも、同じなのにね。
ずいぶんえらそうに、幅を利かせているけれどね。

「いさせてくれてありがとう」
「いさせてくれてありがとう」


投稿: ふみ虫 | 2015年9月 3日 (木) 10時53分

ふみこさま こんにちは

今年は実家にお盆のお参りに行けなかったので、急遽、京都のお寺の方にお参りしてきました。お参りを終えて、帰り道、ひとりの気楽さも有り、地図も持たず、ちょっとあちらこちら寄り道をしていたら(昔、祖母に「ついで参りは駄目!」とあれほど言われていたのに…)、「六道の辻」という道しるべに出くわしました。そうして、「幽霊 子育て飴」というお店も…。六波羅蜜寺で、空也上人と平清盛さんにお会いして、あの世とこの世、生と死を思う一日でした。

子どもの頃は、本当に死が怖かったけれど、大人になって、死というものを考えるとき、命の強さということも一緒にひしひしと感じ、そう怖いものではなくなりました。それも進歩ということでしょうか。

夜、鈴虫ではないのですが、虫の声が聞こえます。暑さも落ち着いたのか、名残りのゴーヤがあちらこちらからたくさん届きました。佃煮という知恵を母から授かりましたので、ドンと来いです。強くなったなぁと思います。

投稿: あすちるべ | 2015年9月 3日 (木) 11時43分

ふみこさま みなさま

こんにちは。

”死”についてのおはなし。
数年前に俳優の杉浦直樹さんが亡くなりました。
旅立たれる直前に、看病をしていた奥様におっしゃったそうです。

「私の人生、めでたし、めでたし」

私はこの話を聞いて、とーっても感動しました。
よく、”死にざまは生きざま”なーんて言われますけれど、
杉浦さんはきっと、後悔のない生きざまをされた方なのだろうな、と思いました。

私も言ってみたいです。
「私の人生、めでたし、めでたし」

※おきょうさん さん、応援ありがとうございます!
はい、楽しみますとも。私の人生。

投稿: みぃ。 | 2015年9月 3日 (木) 15時24分

ふんちゃん

 鈴虫とたわむれている小さなふんちゃんを想像して、にやにやしていました(^^)

 家にいる娘は、カエルが大好き。
 つかまえては、ちょっと触って戻すということを繰り返しています。
 ずーっとそばに置いておくということはしないのかなぁと思っていたのですが、カエルを何かの入れ物に入れておくのが可哀そうだと思っているようでした。
 代わりになのか、今はハムスターがいます。
 かいがいしくお世話をしたり、餌をひっくり返したといっては、
 「罰だぞ~。おにぎりの刑にしてやる~」と言って、
 てのひらに乗せては、そ~っと握っています。
 彼が逝ってしまう時、娘はどうなるかなぁ…。
 ドキドキ…です。

 そして…里親。
 そうなんです、養子縁組するわけではないのです。
 一時期お預かりするというもの。
 この地域の児相が、人口の割にあまりにも小さいので、一時保護所がすぐにいっぱいになってしまうというので、一時保護委託という形で里親が利用されることが多いと聞きました。
 ご両親に何らかの養育できなくなった理由があった時に、
 そのお子さんをどうするか…。
 児相が判断する期間だけの預かり…ということもあると聞きました。
 私たちは、初心者なので、ちょっとずつ、この家に寄っては帰るお子さんをお預かりできるのは、とてもよい練習になるのではないかと思ったりしています。
 この家を通り過ぎていくお子さんたちが、少しでも愉しく、やわらかく過ごせることを祈って…。

 

投稿: もも(^-^) | 2015年9月 4日 (金) 14時09分

ふみこさま みなさま こんばんは

変わりやすい空模様の一日でした。明日は青空のようで。。。期待しちゃおう♪

幼いふみこさんにとって、その時の鈴虫の生と死がバーチャルなものではなく、本物の体験だったのだろうなぁ。。。と思いながら読ませていただきました。

私も徒に恐れることはなくなったような気が。。。
でも、できるなら母よりは長生きしなくちゃね!って思ってます。


この場をお借りして

ももさんへ
「やわらかく過ごせることを祈って」と。この言葉だけでももさんの気持ちが伝わってくるかのようです。
私も祈ります。

投稿: かえるのしっぽ | 2015年9月 4日 (金) 19時09分

あすちるべ さん

佳いおはなしをお伝えいただき、
ありがとうございます。
山田太一の小説『空也上人がいた』を
思いだし、とこどどころ忘れていたので、
読み返しています。

わたしたち、
ついで参りの人生ですね。
ふと、思ったこと。

投稿: ふみ虫 | 2015年9月 5日 (土) 17時41分

みぃ。さん

「めでたし」に向かってね。
生きていきたいです。

今生を、一歩一歩歩いて、
死にも近づいているというのに、
この人生、少しも澄まないなあと思うきょうこのごろでした。
そうか、「めでたし」ね。

スキップ!

投稿: ふみ虫 | 2015年9月 5日 (土) 17時43分

もも(^-^)さん

ハムスター、
ほっぺにごはんを隠したりします?
友だち(彼女は、もう3代目と暮らしています)が
ときどきはなしを聞かせてくれて、
たのしい存在だなあと感心しています。

ももちゃんご一家に育まれる子どもたち、
その佳き運を、生きる力にしてくれると
信じています。

投稿: ふみ虫 | 2015年9月 5日 (土) 17時47分

かえるのしっぽ さん

死ぬ日まで一所けん命生きて、
よく死にたいなあ。
というのが、望み。

望むべくもない望みなのですけれど。
とにかく一所けん命に。

投稿: ふみ虫 | 2015年9月 5日 (土) 17時49分

ふんちゃん

 家のハムスターも、ほっぺにご飯を隠したりします!
 娘はそれを見て、
 「いつもご飯たくさんあるのに、どうしてため込むの~」って 
 かなり本気になって言い聞かせていました。
 それを見て、思わず笑ってしまいました(^。^)
 で、結局、兄弟とも話をして、そういう習性なんだよということで落ち着いたようです(^^)
 一つ一つ、一生懸命考えてるなぁと、娘を見ていると面白いです。

 私もこの場をおかりして…
  
 かえるのしっぽさんへ
 ありがとうございます。
 ここで祈っていただけているということが、とてもとても大きな励みになります。大したことをするわけでもない気もするのですが、まだお子さんを迎えたことがないので、ちょっとドキドキしてしまうのです(^^)
 本当にありがとうございます…。

投稿: もも(^-^) | 2015年9月 6日 (日) 06時26分

ふみこ様 おはようございます

小学2年生のふみこさん
あ・あ・・あの頃の私と一緒と
おもって 聞いていました。

昔話を読んでもらって そのお話の中で
誰かが死んでしまうと
ギョッとしました。
死ぬってなんだろう?
説明のつかない 不安な気持ちになって
母にいつも 「お母さん 死なない?」「お父さん死なない?」と
繰り返し 聞いていた時期がありました。

顔が真っ黒で 目がギョロっとして
痩せていて ショートカットで
よく男の子に間違われていたころの話です。

懐かしく思い出しました(笑)

追伸・・・・ふみこさん こちらの稲穂は そろそろ
頭を下げて 「こんにちわ」と言っています。

投稿: えぞももんが | 2015年9月 6日 (日) 06時52分

もも(^-^)さん

わたしたち人間も、
何か、いいもん、ほっぺの内側に
隠しておけるといいね。

やさしい挨拶とか。
とっておきのことばとか。
咄嗟の「ありがとう」と「ごめんなさい」とか……?

投稿: ふみ虫 | 2015年9月 6日 (日) 09時08分

えぞももんが さん

祖父母がひとりもいなくなってから
何十年もたつのですが、
わたしは始終思いだして、
声をかけたりしているんです。

この感覚は、死に対する思いの変化そのものだなあ。
と、思います。

あの恐ろしかった道を通ったおかげでもあるんですね。

投稿: ふみ虫 | 2015年9月 6日 (日) 09時13分

たびたび失礼します

秋の虫の音にあるものみつけました

耳をすますこと
むきあうこと
離れていても心はともにあること
信じること
ただそこにいいること

旅人無事かえりました
ホッとしたら another sky 弾きたくなりました
セミくんとふみこさんが寄り添ってくださって
見つけたもの大切にします
ありがとうございます

投稿: 真砂 | 2015年9月 6日 (日) 13時30分

おふみさん、みなさん、こんにちは。

朝から、雨がしとしと降って、肌寒い日です。
こんな日は、心もしっとりと落ち着いて、
いろんなことに考えをめぐらせたりしています。

我が家にはこの夏
小さな小さなカタツムリと、カブトムシの雄一匹が
やってきました。
小4と小2の子どもたちに託された命でしたが
ちっともちゃんとお世話する気持ちがないようで
カタツムリちゃんは見かねて私が引き受けたのですが
かぶと君については「ちゃんとみてあげなさい!!」と
度々声を荒げる始末でした。

でも、ここで、みなさんのお便りを読んでいるうちに
気持ちが変わりました。
「生きているいのちなんだから!!」って口で言ってお世話させるよりも
それぞれの向き合い方があっていいのかもしれないなって。
そのなかから感じること、知ることがきっとあるはず。
もしかしたら、死なせちゃうかもしれないけれど
(私としては胸が痛むけれど)
そういう私の様子も含め、感じてくれることがあるのだろうと。

口出ししすぎ、やめよう、と決めました。
どんなことでもそうですが
それは、子どもたちのいろんなチャンスを奪いかねないですもんね。

投稿: あやっち | 2015年9月 6日 (日) 15時49分

真砂 さん

お帰りでしたか。
よかった。

無事を希ったわたしですが、
無事がわかった途端、
いろんなものを身につけて、
魂もふとって(こんな表現あるかいな)……
と想像しています。

真砂さん、わたしもそう思います。
「ただそこにいる」ことが
信じることになる。
そういう在り方をしたいなあ、と思います。

投稿: ふみ虫 | 2015年9月 7日 (月) 11時28分

あやっち さん

生きているいのち。

死んだいのち。

……ああ、どちらもいのちなんだなあ。
年をとった分、死んだいのちの面影に触れる
機会がふえました。
この世で会えなくなったいのちは、
面影となって、語りかけます。

鈴虫の面影も。

投稿: ふみ虫 | 2015年9月 7日 (月) 11時32分

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