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2015年10月の投稿

2015年10月27日 (火)

置かれる

「ふんちゃん、生姜穫れたよ。明日着で送っていいかしら」
 と、はは(夫の母)から電話がかかる。
(夫の実家は埼玉県熊谷市で農業を営んでいる。出荷するのは米だけだが、野菜もつくっている。生姜のあと、冬の野菜の収穫がはじまる)
「お母さん、どのくらい? いっぱい?」
 ははは云う。
「え。まあ、ほどほど」

「ほどほど」を待っていると、つぎの日の朝、生姜は届いた。熊谷のお母ちゃんの「ほどほど」が、わたしの思う「ほどほど」とスケールのちがうものであることは、知っていたつもりだったが、いや驚いた。みかん箱のなかに生姜がぎっしり詰まっている。


 届いた生姜に、わたしはなかなか手が出せなかった。

 1週間ほども、ショウガショウガとつぶやきながら、ほんとうはショウガを忘れたのと同じ佇まいで日を過ごしたのであった。ほかにすることがあったのも確かだけれども、何となく生姜に避けられているような気がしたから不思議だ。
 わたしはこれまで、みずから目標を設定してがんばるというより、目の前に「置かれた」ものを受けとり受けとり生きてきた。ときに、いま、こんなものが置かれようとは……ととまどいながらも、ともかく。置かれたもののなかにはあたらしい仕事あり、宿題あり、心配事あり、解決しなければならない問題あり、このたびのように、生姜の山といったようなものもあった。置かれたものと向き合い、取組むうち、そこにいつしか目標が生まれ、夢が灯るのだった。
 ときどき、このたびのように、ひとたび置かれても、それを避けるような、避けられているような感覚を持つことがある。よっしゃ!と腰を上げるだけの気力が不足しているのだろう。

 こうしてもいられないと思って、夫に「生姜を洗うのを手伝って」と頼んでみた。「よしきた」と夫が云ってくれたので救われた。そうでなかったら、また生姜から遠のいてしまったことだろう。


 まず、目の前の生姜の重さを計る。体重計を使って。

 4,7キロあった。これを洗って、しなびたり傷んだ皮を落とすのを夫が担当し、わたしが薄く刻んだ。向き合ってみれば、作業はどんどん進み、めでたしめでたし。いつもの甘酢漬けのみならず、生姜を3度茹でこぼし、砂糖、みりん、しょうゆで煮て、佃煮もつくってみた。

 その日、ほっとしたのと、つぎは何が置かれるのだろうと思いながら寝たせいか、おかしな夢を見た。机の上に欠けた茶碗がずらりと
78つ並んでいたのである。はて、何の暗示だろうか。

201510 
4,7キロ。

2015

4,7キロを甘酢漬け、たまり漬け、
はちみつ生姜(あとからジンジャーエールにします)、
佃煮にしました。
ラベルには「新生姜」と書いてしまいましたが、
ほんとは「根生姜」なんだと思います。
ははは、「ばか生姜」なんて呼び方をします。
おかしいでしょう?

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2015年10月20日 (火)

門出

 Kちゃん、お元気ですか。
 お子たちも皆、あたらしい環境に……、ほぼ馴染んで、でも部分部分では馴染まぬところも大切にしながら、それぞれらしくやっていることと思います。
「大阪に越すことにしました。決心しました」という早口の挨拶を、うちの玄関先で受けとったのが8月後半。あれから、2か月近くが過ぎました。
 あれからこちらも、あっさり夏がゆきました。あんなに暑かったのに、いえ、あんなに暑かったからでしょうか、気が済んだとばかりに夏はある日とつぜん旅立ってゆき、その後はもうもう、ふりむきもしないのでした。土産を渡そうと思ったとしても、その暇はなかったでしょうよ。
 土産と云えば、わたしはKちゃんに何も……渡せなかった。ほんとうはこのたびの決心を祝って、ささやかな贈りものをしたかったのに。まだ暑かったあの夏の玄関先で、わたしは「オメデトウ」と告げたでしょうか。そのことを、最近思い返しています。土産や祝いの品はともかく、わたしは祝いたいのだということをあなたに伝えたかった。
 結婚も不思議だけれど、離婚はもうひとつ不思議です。
 近年またぐんと離婚がふえたらしいけれど(日本では2分に1組の割合で離婚しているとか)、離婚の理由はみんなちがっているのではないかしらね。わたし自身、みずからの離婚理由を語ろうと思っても、とても語れるものではありません。
 もう30年近くも前のはなしです。申しわけなさをがぶりと飲みこみ、それが喉のあたりにひっかかったまま、ほんとうは自分でもわけがわからないまま立ちつくしていました。云いだしたのは自分だったし、夫だったひと(いまも友人同士でいられるのは、すべてこのひとのおかげです)は、青天の霹靂!と小さく何度も叫びました。
 その後、愛らしいひとが妻になり、女の子がふたり生まれてやわらかい家庭のつくられてゆくのを遠巻きにしながら、喉にひっかかっていた申しわけなさが、少しずつ胃のほうに落ちてゆくのを感じるというわけでした。夫だったM氏も夫人のYちゃんも、わたしと暮しているふたりの娘をたびたび家に招いてくれ、あるときはふたりの娘の妹も招いてくれ、子どもたちにとって、ときどき登らずにはいられない慕わしい低山のような場所をつくってくれたの。

 Kちゃんも、ついことばを荒げてしまうこともあったと打ち明けてくれたけれども、夫だった彼を頼ったらいい。そのことで、子どもたちにあたらしい家族の有り様(よう)を見せたらいいと思うんです。
 家族ってほんとうにむずかしいです。
 もしかしたら、もっともべたべたしてはいけない間柄なのかもしれません。相手をわかろうとすることは大事でも、わかりきれないことを自覚するべき間柄でもあると思います。

 
Kちゃん、3年前、教育委員になったばかりのわたしに、Sa小学校の展覧会の会場で声をかけてくださってありがとう。あの日、明るい声でSa小学校自慢、校長せんせい自慢をしてもらって、わたしはああ、仲間はこんなふうに自然にできてゆくんだ、そしてこんなふうにひとのことばを受けとめながら一歩一歩進んでゆけば、わたしにも(教育委員の役目が)務められるかもしれない、と思えたのでした。帰りがけ副校長先生に背後から、初めて「ヤマモト委員!」と名を呼んでいただいたことと合わせ、小さな灯が宿った日となったのです。あれはたしかに節目でした。Kちゃん、あなたはそんなことは意識していないかもしれないけれど、ある場面で硬直しているひと、おろおろしているひとをみつけ、ふわりと抱きとめる包容力を持っています。どうか、誰かを抱きとめることで自分が抱きとめられるというやり方を、つづけていってください。その方法が、Kちゃんにはいちばんだろうと思います。
 あなたの門出に、このことばを贈ります。
Kちゃんがまわりに与えるものを、Kちゃん自身がきっと受けとることになる」
 落ち着いたら、住所を知らせてください。
                             ふみこより


追伸

 たまには夜、ろうそくに火を灯し、泣くような笑うような時間を持つといいよ。ひとりの時間はうんと大事。ひとりでいるときにしか、気づけないことがあるからね。
 ぬか床は元気ですか? そも、そちらへ持ってゆけたんだろうか。欲しくなったら云ってください。ぬか床担当のYちゃん宛てにすぐ送ります。

Photo  

うちにまないたが届きました。
サイズは 25,0 × 20,2 cm.
そう、小型なんです。
先輩格の友人(料理上手!)Nさんからの
贈りもので、なんと2代め。
「まないたは、ときどき思いきって新調しないとね」
と云って1代めをくださいました。
Nさんの可愛らしさと気っ風のよさに倣(なら)いたい思いからか、
こればかり使ってしまいます。
2代めは、11月終わりの誕生日の日におろそうと
決めています。

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2015年10月13日 (火)

「いらっしゃいまし。ようこそ」

 思わぬ役目を割り当てられる。
 過分なストレスを抱える。
 人知れず悲しみ襲われる。

 ひとは、それはそれはいろいろな目に遭うことになっているらしいのだが、ぎくっとするような事態を抱えたそのこころに「誰もわかってくれない!」という思いが宿る。

 いや、そんな簡単なはなしではない。「誰もわかってくれない!」氏———彼の名前は少々長過ぎるから、今後は頭文字をとってD氏と呼ぶことにしよう———は自分の枕を小脇に抱えて、宿泊の機会をねらっている。呑気な顔をしているが、そうと決まったら、素早くひとのこころに宿ってしまう。その素早さは、宿主がそのあたらしい客に気づく暇(いとま)もないほどで、というわけだから、D氏は「いらっしゃいませ」なんかとは一度も云われることがない。
 ある意味、それはD氏の不幸ではある。
 この不思議な長逗留希望の泊まり客は、宿主をへとへとにさせる。

 つい先日のこと。

 わたしのところへ、久しぶりにD氏がやってきた。
 というか、気がついたら、わたしの胸の奥の間に泊まっていた。その寝そべり様(よう)を見たら、少なく見積もっても1週間前からの滞在だということが知れた。むっとした。……そしてわたしは冷静を装い、なけなしの感じのよさを発起して「いらっしゃいまし。ようこそ」と云ったのだ。
 すると、寝そべっていたD氏が坐り直して、頭を下げた。
 ああ、これだからD氏には手を焼くのだ。
「予約もなしに来られては困ります」
 とやっつける。
 すると、こうだ。
「玄関には番頭さんはじめ、誰の姿もないし、勝手知ったるところ故、上がらせてもらっておりました」
 D氏の到来に気づかず、奥の間を占領されてしまったのはわたしの落度だ。けれどこのたび、わたしはちと元気であった。これまで、幾度となくしてやられてきたD氏に向かって、きっぱり云う。
「うろたえたりはしていませんよ」
(胸のすく思いだ)。
 そう告げるとD氏は、微笑みながら「ほ」と云った。
「誰もわかってくれないなんて、あたりまえのことだとわたし、知っておりますもの。だいいち……」
「だいいち、何ですかな?」
「だいいち、わたし自身、何が辛くて、何を嘆いているのか、はっきり摑めないうちに、アナタのペースに巻きこまれてしまっていたんだと気がつききました。誰に何をわかってもらいたいかも、ほんとうはわからないうちにね」
「これはこれは」
 D氏はかすかに、困惑の表情を浮かべている。
「いちじくの間に、お好きなだけ滞在してくださってけっこうですが、おかまいはできません」
「とすると、このあいだのときのように、涙も愚痴もなしですかな」
「なしです」

 つぎの日、奥の間は蛻(もぬけ)の殻でしたとさ。

Photo

先週、来年履く「裂き織りの草履」を
見ていただきました。
1年のうち、かなり長い季刊素足と草履で過ごしますが、
寒い時期は、写真の室内履きを履きます。
1010日現在まだ素足ですが、
そうですねえ、11月も半ばを過ぎたら、これを。
「わたしも同じのを掃いてます!」
という方もあろうかと思います(ちょっとたのしみ)。
もう15年くらいこれを使っています。
みつけると買っておきます。
Photo_2

裏側は、このようにすべり止め仕様に
なっています。

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2015年10月 6日 (火)

灰汁抜き

 わたしの住む東京都武蔵野市にはセカンドスクールがある。
 どう云えばいいだろう、当市の子どもたちにとってそれは1本の樹のような存在ではなかろうか。
 セカンドスクールを経験した子どものなかに何かが芽生え、根を張り、やがて樹になるというような。樹には虫が棲み、鳥がとまり、風が梢を揺らす。花が咲き、実のなることもあるか。

 セカンドスクール。

 武蔵野市ではふだんの学校生活を「ファーストスクール」と位置づけ、自然に恵まれた農村漁村に長期間滞在して行う体験学習を「セカンドスクール」と命名した。誰もがその存在を知っている。「まあ、もうセカンドスクールに行く学年になったのね」とか、「来年はプレセカンドスクールに(子どもを)出すので、自分のことは自分でできるように訓練中です」とか、そんなはなしが挨拶代わりになっていたりする。
 現在は市立小学校5年生(67日〜78日)と、中学1年生(45日)を対象として行われている。また、小学校4年生にはプレセカンドスクール(23日)を実施。行き先としては、新潟県魚沼市、南魚沼市、富山県南砺(なんと)市利賀村、群馬県利根郡片品村、長野県飯山市ほかがある。
 そのセカンドスクールが、ことし20周年を迎える。

 折しも
20年前、当市の第1回セカンドスクールに長女を送りだしたときのことを、しみじみ思い返している。
 セカンドスクール? 1週間(78日だったと記憶している)も? ダイジョウブか? とわたしはこんがらかり、じつは相当におじけづいていた。それでも子どもが家を離れて体験学習を行うというのが得難い経験であり、そうだ、
「かわいい子には旅をさせよ」だなと考えようとはしていたのだった。

 子どもをてんで信用せず、荷造りに手と口を出し過ぎたのも、恥ずかしい記憶である。そうしておいて、終いに口から出たのが「何か足りなくなったら、お友だちに貸してもらいなさい」だった。当時わたしは、娘を送りだす母親として恐ろしくとんちんかんではあったけれど、子どものためのセカンドスクールは、親の体験学習でもあるのだということだけは感じとっていた。
    8日ののち、小学校の校庭に迎えに行き、長女と再会したとき、何とも云えない心持ちだった。どんなに家が恋しかったことだろう。子をねぎらうという気満満で両手をひろげたわたしに、日焼けした長女が開口いちばんこう云ったのだ。
「あと3日くらい行っていたかったー」
「へ」
 そのことばは、わたしに一撃をくらわせた。子に負けないようにわたしも育たなければ。

 それから
20年たって、わたし自身がセカンドスクールを体験することになった。武蔵野市教育委員の任に就いて3年が過ぎたが、わたしはセカンドスクールの視察になかなか出かけられなかった。20年前のあのときの一撃が大き過ぎて……ということでもないが、セカンドスクールはわたしの目の前に高く聳(そび)えていたのである。視察はたいてい、セカンドスクールのうちの12日の予定だが、どんな在り方だったら邪魔にならず、視察の役目を果たせるのか、わたしにはてんでわからなかったのだ。
 ことし重い腰を上げたのは、「子に負けないようにわたしも育たなければ」という自身の決心を思い返してのことだ。これまで市立小学校12校、中学校6校の子どもたちのファーストスクールを見守ってきた日日のなかから、あらためて湧いてきた思いだった。だから「子に負けないようにわたしも」の「子」はあらゆる子どもたちという意味だ。
「子どもたちに負けないようにわたしも育たなければ」
    S小学校のセカンドスクールへの視察が決定した。出発の10日余り前にS小学校に行き、校長せんせいにお尋ねする。
「どのような在り方、どのような見方をすればよいでしょうか」
「何もしないで、ただただゆったりと子どもたちを眺めていてください」
 また一撃がきた。

 新潟県南魚沼市の旅の空だ。

 午後140分、六日町観光協会のKさん迎えの車に乗り、八海山スキー場で子どもたちと合流。天候によって予定が変わり、やっと晴れたこの日の午前中子どもたちは坂戸山(さかどやま/標高634m/麓からの標高差が470mある)登山をしており、これからまた八海山ロープウェーで山頂駅(ここから八海山山頂・八ツ峰縦走ができる)に上がると云う。展望台から上信越の山山や佐渡島、自分たちが登ってきたばかりの坂戸山を眺める。全員健康、いまのところ怪我無し、ホームシックも無しとのこと。ほっと胸を撫で下ろす。
 ロープウェーで下山すると、子どもたちが分宿している4つのペンションの迎えのマイクロバスが待ち受けていた。
 さあ、さっさとマイクロバスに子どもたちを押しこんで、宿に収容。乱暴なようだが、それがわたしのそのときの感覚であった。登山につづいて、八海山ロープウェーでの往復をこなしたのだもの、じゅうぶん過ぎるほどの活動だ。
 ところが。わたしの隣りでOせんせい(主幹教諭)がぽつりとつぶやいた。
「ちょっと遊ばせたいわね」
(えー?!)
 最大級の一撃。
 そうしてOせんせいは、若手の5年生担任のせんせいふたりに「この柴山で、15分間遊ぶ時間をとりましょう」と告げ、遊び時間ははじまった。
Oせんせい、ここへきてまだ遊ぶんですか?」と訊く。
「灰汁(あく)抜きでしょうかね。予定の山登りもこなし、ロープウェーにも乗りました。でも、好きなように過ごす時間もつくらないと……」
「つくらないと……?」
「たとえば、宿に入って友だちと喧嘩したり、落ち着いて晩ごはんを食べられなかったりね」
 それでもまだわたしは半信半疑だ。子どもたちは疲れきっていて、遊ぶエネルギーなど残っちゃいまいと思った。そう云うとOせんせいはふふっと笑う。
「まあ、見ていてください。ほらもう、あの子たちブランコに向かってるでしょう? こういうとき揺れたい子どももいるんです。あと5分もすれば、全員、この芝の斜面を転がり出します」
 さて、結果は———。
 子どもたちは2分もしないうちに芝の斜面をころがり出し、担任のせんせいふたりも笑顔でころがり(その笑顔の素敵なこと)。あと3分間時間があったなら、校長せんせいまでころがっていたにちがいない。
  Oせんせい曰く、こういうのはガス抜きではなく灰汁抜きじゃないかと思うんだそうだ。 

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月終わりの八海山は、ほんとうにうつくしかった。
 紅葉が頂からはじまっており、下から見上げると、まるで赤や黄色の花が咲いているように見える。けれどわたしは八海山を思いだすたび、きっと子どもたちがブランコで揺れたり、芝の斜面を転がり落ちる光景を思い描くんだわ。料理で灰汁を抜いたり掬(すく)ったりするたび、人間の子どもにも大人にも灰汁抜きが必要!とか、思うんだわ。

Photo
S小学校のセカンドスクールの予定のなかに、
「わら草履(ぞうり)づくり」があり、
うらやましいなあと思いました。
子どもたちは、それは上手につくったんだそうです。
帰ってきてから、わたしも草履を持っていたことを思いだしました。
友だちが送ってくれた裂き織りの草履。
81歳男性がさまざまな布を再利用して編まれたとか。
「昭和のくらし博物館」(東京都大田区久が原)の扱いです。
これは年が明け、素足で過ごせるようになってから
履こうと思っています。

〈お知らせ〉
武蔵野市中央図書館20周年記念講演会
「一冊の本があれば」
講演  : 山本ふみこ
日時  :  2015年10月25日(日)午後2~4時
会場  :  東京都武蔵野市中央図書館3階視聴覚ホール
定員 :70名(先着順)
費用  :  無料
申し込み :  当日直接会場へ(15分前より開場)
問い合わせ : 中央図書館(でんわ0422-51-5145)

お近くで、興味のある方はお出かけください。

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