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2015年11月の投稿

2015年11月24日 (火)

開通

 時計を見ると午前255分。
 蒲団にくるまっている自分、これはほんとうに自分だろうか。
 あたまに血がのぼっている。動悸もしている。

 どうした、わたし。

 気を確かに、わたし。

 こんなふうに呼びかけてみるも、あたまに血がのぼったまま、かっかしている。動悸もおさまってはいない。

 枕元に置いた文庫本を開いて、読もうとしてみるけれども、何もあたまに入ってこない。蒲団の上に坐ってみたり、階下の台所まで行って白湯(さゆ)を飲んでみたり、のびをしてみたりしても、常ならぬ状態は去らない。
 じっとして時間をさかのぼり、自分自身を追ってゆくと、床に入る前に怒りの感情を持ったのを思いだした。仕事上の行き違いがどうにも胸におさめきれなかった。はじけるか、胸。と思ったとき、さて、どの道を行こうか、と迷った。がっかりする道を行こうか、悲しむ道か、それとも……と。
 確かに迷う瞬間があり、わたしは怒りの道を選んだ。
 やっかいなことをいきなり持ちこんだ相手に対しても、調子のいい返事をしてそれを引き受けた自分に対しても、腹を立てたら、怒りがあとからあとからこみ上げてきた。思えば、久しぶりの怒りであった。こんなときには夫をつかまえて「ちょいと聞いてよ」とやるところなのだが、夫は撮影旅行に出かけていて留守だ。遅くまで勉強している受験生の末娘にも、遅番の仕事を終えて帰宅した二女にも、この怒りの波動は気づかれたくなかった。
 できるだけ、怒りの塊が動かぬよう(動けばそれがほぐれて、怒りの分子が全身にまわるように思えた)、そっと後片づけをし、入浴もして、蒲団にくるまったのだった。

 そして午前
255分、みずからのなかの怒りがにわかに燃えて、わたしの目を覚まさせたものらしい。

 ひゃー、まだ怒ってる。

 怒ってる怒ってる。

 床に入る前、怒りの道を行かず、たとえば悲しむ道を選んでべしょべしょ泣いたりしたほうが、よかったかもしれない。泣き寝入りして、そのまま静かに眠ることができたなら、ことはそれですんだかもしれないもの。

 あんまりかっかするし、動悸も早いので、それならもう起き上がってしまおうかと思ったが、それでは怒りに負けるような気がする。

 落ちついて。

 落ちついて。

 自分に云い聞かせて、もう一度、ことをあたまからたどってみると、ここまでかっかしたり、動悸を早めるほどのことではないという気がしてきた。そのくらいの行き違いなら、ほんとうのところ日常茶飯事であるし、いつもならふっと短いため息をついておしまい!だ。相手もそれほどわるくなく、わたしのほうでも反省する必要はなさそうだった。

 それなら、なぜ怒ったのか。
 そんなことを考えてたら、あたまに血がのぼったのもおさまり、心臓の鼓動も平常にもどっていた。
 そうしてわたしときたら、呆気ないほど簡単に眠った。目が覚めたときにはすっかり気が済んでおり、それはつまり、久しぶりに怒ったことで到達した境地であった。
 そうか、とわたしは心づく。 
 わたしのなかの怒りの道がつまって通行止めになっていたのを、昨夜怒りを発動させたことにより、交通が再開したのだ。

 道はどんな道も、すべからく開通すべし(本日の教訓)。

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三つ葉の再生。
気がついたとき水を換えていたら、
どしどし葉っぱが出てきました。
愛しいっ!

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2015年11月17日 (火)

もう少しごちゃまぜ(先週の「一本道」つづきのつもり)

 このごろ「架橋」ということが思われてならない。
 この場所にも、先週、橋を架けるには、一本道を生きようとせずに、「枝分かれ」が必要だと書いた。

 あれはたしかにわたしの架橋の精神の芽生えだった。

 初めて夫に助けを求めたことは、何もかも自分でしてしまおうとするこころを打ち破った。自分ひとりでしようとするなんていうのは、じつは小さくまとまることに他ならず、危険な一本道であった。自分を閉ざしてしまうという意味で。
 わたしの一本道は分かれはじめた。
「助けて」「手伝って」と振り分けることをおぼえてからというもの、自分の人生の垣根が低くなってきたのである。


 考えに考えて「一本道」と書いたのだが、「単線」ということばを選んだほうがしっくりいったかもしれないなと、ふと思ったりしている。危険なのは一本道ではなく、単線かな、と。

 つい最近、若いお母さんたちの集まりに招かれ、「子どもは親子の関係のなかだけで育つものではない」というはなしを聞いてもらった。
 これが案外、受け入れられない。
 親子で向き合うことがすべてだと考えている(考えようとしている)ひとが少なくないのだ。「もっとのんびりやっていいんじゃないかな、子育てなんかは」と云うと、そうはゆかないという目になる。
「子育てなんかとは思えない。子育てこそが、いまのわたしの一大事なんです」とばかりに。
「わたしは一所けん命やっていて、うちの子どもは、いい子に育っています」
(そうでしょうとも)。
 ああ、ああ、とわたしは心配になる。
 自分のまわりにめぐらせた壁、家庭のまわりを囲む垣根を、いまより少し低くするだけで、ずいぶん楽にもなり、愉快にもなってゆくのじゃないだろうか。
 橋を架けるのもいいが、もう少しごちゃまぜという視点も必要だと思える。ひととひと。仕事と仕事。家家。いまは、そのどれもにそれぞれ壁や垣根を張りめぐらされていて……ぜんぜんごちゃまぜでない。
 若いひとが「自暴自棄になりました」なんて云うのを聞くたび、思う。一瞬でもいいから、ごちゃまぜな場所に身を置き、誰からともなく「だいじょうぶだよ」とか、「キミ、いい目をしているね」なんて云われたりしたら、張りついていた「自暴自棄」がぺろんと剥がれるかもしれないんだけどな。ごちゃまぜのなかには、自分と似たような経験をしたことのある大人や、救いの手をさしのべてくれるひとや、はなしを聞いてくれるひとや、おかしなひとや、ばからしいことを一所けん命やっているひと……たちが存在するはずなんだけどな。

Photo

何が入っていたのだったか、プリンでしょうか。
空き瓶なんですが、なんだか気になってドレッシングを入れたりして
使っています。
なかの匙は、友人からの(およそ30年前)小樽土産です。
「北一硝子」の匙。
昨年、それを折ってしまいました。
折れたって慕わしく、いま、この空き瓶とコンビで働いてくれています。

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2015年11月10日 (火)

一本道

 何でも自分でしてしまおうとする質(たち)だった。
 しごと(わたしが平仮名で「しごと」と書くとき、それはたいてい家のしごとのことである)や作業をひとに割り振ったり、「助けて」とか「手伝って」と云ったりするのが、若いころは不得手で、ときどき人知れず隅っこでこんがらかってきた。
 割り振ることをおぼえたのは、30歳代も後半のこと。
 夫に対して、おずおずと助けを求めたのがはじまりだ。というわけで、しばらくのあいだは夫が、しごとや作業を割り振ることができるこの世でただひとりの対象だった。いまは割り振るというよりも、平然としてどしどし押しつけているのだが。
 これを云うと、ひとからびっくりされるのだけれど、たとえば、日常的な買いもの。
 買いものを10とすると、そのうちの8までを、うちでは夫がする。
「ああ、すると、10のうちの2をあなたがするのですね」
 買いもののはなしになって、わたしが10とか8とか云いだすと、ひとはこちらを探るような目をして、こう訊く。わたしは「いいえ」と正直に答える。
「残りの2のうちの半分は二女がするから、わたしはせいぜい10,5です」

 一緒になったころは、夫にいいところを見せたかったので、「わりに何でも自分でしてしまおう」としていた。もてなし気分だった。

 あるとき、あんまり忙しくてヒスが起きそうになり、「いつまでもお客気分でいるんじゃないわよ」と思った! しかしこんな場面でヒス起こしたって、ガミガミ云ったってだめだ。できればやわらかくもきっぱりとした口調でしごとを割り振らなけりゃ、と気がついた。
 ともかくわたしはがんばりました。
「もてなしたいのよ、ほんとうは」という気持ちを奥歯で噛んで、我慢もしてがんばってがんばって夫にあれを振り分け、それを振り分け、ついにはこんなことまでも振り分けるに至る。夫は自分のなかに眠っていた料理の才能、片づけの才能、買いものの才能、掃除の才能を徐徐に開花させていった。
「いまの方、どなた?」
 ふたりでならんで歩いているとき、夫が見知らぬ女性に会釈するので尋ねると、
「ああ、いまのはクリーニング店の受付さんだよ」。
 こんなことはめずらしくない。

 あれはたしかにわたしの架橋の精神の芽生えだった。

 初めて夫に助けを求めたことは、何もかも自分でしてしまおうとするこころを打ち破った。自分ひとりでしようとするなんていうのは、じつは小さくまとまることに他ならず、危険な一本道であった。自分を閉ざしてしまうという意味で。
 わたしの一本道は分かれはじめた。
「助けて」「手伝って」と振り分けることをおぼえてからというもの、自分の人生の垣根が低くなってきたのである。

 そうそう、買いものことだが、買いものメモを店ごとに分けて書くのはわたしで、それを手に夫や二女が出かけてゆく。

 それはわたしの買いもののやり方なんじゃないだろうか。
                            来週につづく

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買いものメモに「しいたけ」と書いたら、
夫が馴染みの八百屋でこんないいしいたけを買ってきました。
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細切りにしてもやしと和えるつもりだったけれども、
あんまり立派なのでステーキにしました。

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2015年11月 3日 (火)

かぼちゃのスープ

 居間の飾り棚にかぼちゃが坐っている。
 そのまま7日あまりがたち、かぼちゃ、かぼちゃと思いながら眠ったせいか、今朝、いつもより早く目が覚めた。
 よし、かぼちゃのスープをつくろう。
 夫の実家の埼玉県熊谷市で穫れた色白のうつくしいかぼちゃで、飾り棚の上に、まったくそれらしく、すまして坐っている。白皮栗かぼちゃの仲間なのだそうだ。
 静まり返った台所で、わたしはもったいをつけ、腕まくりをする。そうして、レンジを磨くのだ。さあスープにかかろうと思って、白いホーローの大鍋を持ち上げたら、今度は鍋が磨きたくなった。この前座しごとはわたしにすれば、かぼちゃへの敬意のあらわれであったかもしれぬ。
 かぼちゃのほか、玉ねぎも刻んで、ベイリーフとともに、昆布、ブイヨンで煮こむ。かぼちゃはたちまちやわらかく煮えた。こんなことならもっと早くスープをつくればよかったなと、思う。いや、これは毎度思うこと。はじめてしまえば呆気ないほど作業はすすみ、できあがってしまうのに、手がつくまでの道のりが遠い。ああでもない、こうでもないと手を出せないときのわたしとは、いったい、どんなわたしなのだろう。
 道具の力を借りてこれをなめらかにつぶし、牛乳を注ぐ。
 黄金色のかぼちゃのスープ完成だ。
 もうひと煮立ちさせようと弱火にかけたまま、その場を離れ、机の前で本日の予定を確認する。頭のなかにならんだそのすべてをこなせないかもしれないけれど、本日のならびはゆるやかで、うれしい。1日じゅう家にいられるのも久しぶりのことで、こうなったら、ゆるゆるゆくとしよう……などと考えている。
 ぶわわわわ。
 台所のガス台方面から、音。
 あ、鍋。
 かぼちゃスープが沸いて吹き零(こぼ)れる、黄金色の溶岩のようなのが流れている。

 磨き上げたガス台も、ついさっきまで白く光っていた鍋も、吹き零れたかぼちゃにまみれて、無惨な有様(ありさま)。

 ああ、やっちまった。
 たっぷりつくったかぼちゃのスープは、零れてもなおなみなみと鍋のなかにある。ありがたや。
 首尾よくすすんでいたかに見えた早朝のしごとに、小さな不幸がみまった。が、このくらいの不幸はなくてはならないのだと、みずからに云い聞かせる。鍋を拭き、ガス台を磨き直してから、わたしが味わった幸せを思えばなおのこと。
 午前5時半の食卓にカップによそったかぼちゃのスープを運び、ひとり木の匙で口に運ぶ。

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夕方やってきた末娘の友だちにも、
お茶代わりにかぼちゃのスープを供することができました。
こういうのは、うれしい。

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