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2016年2月の投稿

2016年2月23日 (火)

「情」について ①〈スープをつくりながら……〉

 一度は机に向かったが、結局すべてを投げやって台所でスープをつくることにした。立って、考えたいことがあった。
 山ほどねぎとじゃがいもを持っていたので、冷蔵庫からベーコンをとり出して、それでスープをつくりながら、考えた。

 昨年の終わりごろ、「情」の問題がわたしのなかに棲みついた。

 いや、ほんとうはもっと以前から棲んでいて、それは胸の奥で、じじじじとときどき鳴いた。しかし、「情」なんてものは、たとえば「理」よりはずっとわたし寄りの存在とも思われて、いまさら何ですか?という具合に、呼ばれても生返事をしていたのだ。
 そこのところでまず、わたしは誤っていた。
「情」を、感情的〈理性を失って感情をむきだしにする〉という範疇におさめて、その本質に近づこうとしなかった。そも、子どもを感情的に叱らないようにしようと戒めてきた(ときどきひどい失敗をしながらも)。夫に感情的なもの云いをしないように、自分に云って聞かせてきた(ときどきひどい失敗をしながらも)。だが、そこらあたりから「情」の本質からずれはじめたのかもしれなかった。
 昨年の終わりに、大日向雅美せんせい(*1)が書かれたものを読み返していたときのことだ。

 お母さんが率直に叱ってこそ、子どもも「ごめんなさい」が素直に言える、そんなコミュニケーションを大切にしてほしいと思います。

 ですから、親が「許せない!」と思うことは、感情をこめて怒ってください。たしかに感情的に、つまり、あまりにヒステリックに怒るのは望ましくありません。でも、豊かな感情を表に出すのは、子どもが相手の気持ちを理解するために必要なことです。―*2


 感情をこめて叱ることの大切さ。

 それが置かれていたのに、はっとした。
 感情をこめることと、感情的になるのは、対岸のものであるのだった。これが、みずからのなかに棲みついていた「情」についての考えを自覚した瞬間だったのかもしれない。
 スマートな叱り方というのなんかは、やさしさではなく「あきらめ」だと大日向せんせいは、云う。子どもにしっかりと伝わるように、感情をこめて叱ることが大事。
 たとえば、そうしてはいけない場面で子どもが走りまわったりしているのに、「あらあら、だめよ。迷惑でしょ」とさりげなく云うだけでは、伝わらない。子どもの手をとって、どうしてここで走りまわってはいけないか、ここでどんなふるまいをすることを期待しているか、熱意をもって伝える必要がある、というわけだ。

 このとき、「情」に対して驚きにも似た思いをもったが、それから、幾重にもその問題と向き合うことになるとは予想しなかった。まるで「情」の波が押し寄せるように。                  来週につづく


1 大日向雅美せんせい
    恵泉女学園大学大学院平和学研究科教授。
    NPO法人あい・ぽーとステーション代表理事。
   子育てひろば〈あい・ぽーと〉施設長。
2 本文引用
   雑誌「オレンジページ」に連載の「親も気持ちが楽になる 大日向先
   生の子育ての
さじかげん」(2011年7月〜20126月)よ2011
     82日号。

Photo
どうということもないですが、
なかなかおいしいミルク仕立てのスープができました。
材料は、じゃがいも、長ねぎ、ベーコン、昆布をつけた水、
牛乳、固形スープの素、塩、こしょう、ローリエです。
器のなかにローリエが入ったひとは、
「当たり!(幸運)」ということに
なっています。

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2016年2月16日 (火)

いま、わたしはどこに立っているか

 朝いちばん、カラスに会った。
 道の上、向こうとこちらで、なんだろうかねえ、見つめあうかたち。云ってみたいことを、お互い持ってはいたのだが、まずまずきょうのところは……という心境になっていた。少なくともわたしのほうは、そうだった。
 ただ、はっきりしていたのは、カラスは人間(ひと)ではなく、わたしはカラスでないということ。云ってみたいことを云わずにすませたのは、カラスがわたしになり、わたしがカラスになったなら、という思いが湧いてきたからだった。

 若い男とすれちがう。

 細い路地の向こうから、手にした板きれを持って歩いてきた。板きれ(スマートフォンというもの)から視線をはずさないまま、行ってしまった。
 すれちがったのがわたしでなく、アナタの運命のひとであっても。
 すれちがったのがわたしでなく、はっとするほどの美女であっても。
 アナタは知らずに行くんだね。
 若いアナタはわたしではなく、わたしは若いアナタではない。アナタはわたしにはなってみようとしないだろうが、わたしはちょっとアナタになってみようかと思ったのだけれど。

 目の前で、夫が柚子茶を飲んでいる。

 こちらも同じものを飲んでいる。
 わたしたちのあいだに、かきもちと「冬の旅」がある。
 前の日、ふたりで観てきた笠井叡の舞踏(初めてのセルフコレオグラフィー)「冬の旅」について、ぽつりぽつり話している。
 あまりにエネルギッシュな動きがあり、あまりに浄(きよ)らな空間が実現していた。客席から絶望をみつめていたはずなのに、さいごにはかすかな光をみつめていた。
  F・シューベルトの「冬の旅」(ヴィルヘルム・ミュラー ——詩/D・フィッシャー=ディースカウ ——バリトン/A・ブレンデル ——ピアノ)に包まれて1時間20分の舞台に目を凝らしたのだ。
「そんなときはいつも、『冬の旅』がこころのなかに響いている、と笠井叡さんが云ってたね。そんなときは、ってね」
 とつぶやくわたしは夫ではなく、
「欲望にからめとられたり、何かにつよくとらわれて絶望したり、そんなことはばからしいね。大事なのは生きてる実感」
 とつぶやく夫はわたしではない。
 が、入れ替わることもたやすくできそうな午後だ。

 会議がはじまった。

  M氏のことば。
  Y氏の質問。
  W氏の指摘。
  T氏の意見。
 わたしの感想。
 それぞれ、異なる立ち位置からことばを発している。
 いま、わたしはどこに立っているか。
 いま、そのことばはどこに立って発せられたのか。
 異なる立ち位置からのことばが交わるこの感じ、成り立ち具合と云ってもいいかなと思うけれども、すごく大事。
 自分とは異なる意見や感じ方と、向き合う。それが人間としての醍醐味で、成熟の道じゃないかしら。

Photo

ことし、どっさりどっさり柚子茶をつくりました。
柚子の皮を刻みに刻んで。

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2016年2月 9日 (火)

手のこと

 何を刻んでいたときだったか、まな板の上、右手に握った包丁によって、左手薬指の先端に切り傷をつくった。
 ……ああ、やってしまった。
 この季節は傷の治りがおそくなるという思いと、何かがわたしの手を鈍らせてこんなことになったという思いが湧いた。
 ……ああ、やってしまった。

 手の指を切ってしまうようなとき、古傷を連想する。

 甘美であるにはちがいないけれど、煎じ詰めればただ辛くただ恥ずかしかった昔の恋。そうしたくはなかったのに傷つけてしまった誰かさん。なぜだか去っていった友。孝行したかったのにそうできなかった人たち。誤解されたままのあのひとたち(こちらが誤解したままの存在もあることだろう)。
 指先の血を舐め舐め、わたしは襲いかかる記憶の波のなかでアップアップする。痛みというのは、協調する性質を持っているのか。こころが弱っているときなどは、ひとたまりもない。記憶の波というものはまことに始末のわるいものである。すでに整理がついているつもりで油断していると、決してそうではないらしかったり……。片づけの済んだものと思っていたところ、そうでききれぬあれやこれやが、なんとはなしにわが純情を責めたてる……。
 救急絆創膏を指に巻きつけながら、泣きべそ? そんなのは真っ平御免でござんす。

 ああ、もしかしたら。

 末娘が挑戦している大学受験に、わたしは柄にもなく気を揉んでいるのかもしれない。
 そんなはずはない……と、思いたい。わたしが受験するのでもあるまいし。わたしにできるのは弁当をつくるのと、「いっていらっしゃい」と、朝、送りだしてやることくらいだと、知っている。その範囲をはみ出さぬようにと戒めてもいる。
 わが子の夢の実現のため徒(いたずら)に気を揉んだり、血道を上げたりすること許すまじ。という境地こそを立ち位置としたいと、もうもうすっかり意地になっている。
 だが、朝こしらえて持たせた弁当が何かの拍子に破裂して大騒ぎになるというような、ベタな夢に飛び起きたりするのを見ても、わたしは……。
「娘が志望大学に入学できますように」と祈ったりするのは、祈りではなく「囚われ」であるように思われて(決まった先を縁と思いたいし、決まらなかったならそれもまた縁と)、わたしはますます意地を張る。
 指先の絆創膏と睨めっこ。

 継ぐ日、大学の試験会場に出かけようとする末娘が、「握手して」と右手を差しだした。あわててその手を両手で包んだときだ。

 わたしは、自分が試験に向かってつづけてきた、このひとのがんばりに打たれているのを知った。そういう自分を認めれば、手を鈍らせて指先を切ったり、おかしな夢を見るような心境から解放されるだろう。そうだ、わたしは打たれている。
 こういうところは、われながら、ため息つきたくなるほど面倒なのだが、このあたりに自分の「大事」も潜んでいるからないがしろにできないのだ。

 その日の夕方、絆創膏をはずしてみると、傷は指のてっぺんで赤い目印のようになっていた。

 この手でわたしはひとの手を握ることもできる。
 肩を抱くこともできる。
 熱いお茶を淹れたり、ちょっとおいしいものをつくることも。
 これを、やさしい手にすることができる。

Photo

さいごの帰宅者にそれと知らせ、
玄関のドアチェーンをかけてもらったり、
電気をすっかり消してもらったり、
そのほかいろいろしてもらいたいことがあります。
知らせ方は、こんなふうです。

皆さんのお宅ではどうしていますか?

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2016年2月 2日 (火)

朋友

 隣町での約束に出かける仕度をしていたとき、ふと、友の姿が浮かんだ。
 途中、挨拶に寄ることを思いついて、15分ばかり早めの出立をした。
 白いダッフルコートを着こみ、手袋をはいて(「はく」と、つい云ってしまう。これは北海道の方言。父と母が云うのでつい)、出かける。てくてく、てくてく。道の端のクルマの窓に映るわが姿は、白熊のおばさんといったところ。手袋が赤いのは惜しい。来年は白いのをさがして、さらに白熊らしくしようと思ったりする。
 気に入りの路地を選んで、縫うように角角をまがり、友をめざすうち、気持ちがかすかに翳(かげ)るのだ。何年か前、同じように友を訪ねたら、見るからに不調であったのを思いだしたからだった。
「どうしたの……?」と尋ねると、「いや、なんだか力が湧かないんだよ」としんどそうな答えが返った。心配で、幾度も見舞ったが、春先までの不調がうそのように夏には調子がもどっていた。
「心配かけてわるかったね。ほんとうは、こんなことが10年に一度くらいはあるんだよ。体力を温存するとでもいうのだろうかね。ダイジョウブ、もうダイジョウブ」
 小さな路地を抜けて、拓けた場所に友は立っていた。
 シルエットがうつくしく、こちらに向けて腕をひろげているが、さて。
 近づくと、ああ、元気そうだ。
「ことしはたくさん、花芽がついているね」
「そうだね、ことしは咲かせてもらうよ。たのしみに会いにきておくれ」
 大こぶしの樹は、そう云ってそっと笑った。

 同じ日の夜、夫にこぶしのはなしを聞かせた。

「ことしは、元気。何年か前になるけれど、その年は花芽をつけなかったから、心配した。ときどき見舞って、ひと通りがまばらになるのをみはからって、樹のまわりで踊ったりしたのよね」
「アナタの踊りは、治療になるの?」
「結果的には、効いたと云ってもいいはずよ。踊ったときの気持ちは、できることは何でもしようと思い詰めてのことだった。おとこは以心伝心を信じているけど、おんなはことばや態度で示さないと伝わらないと信じているからね」
「それで、踊ったの……?」
「そうよ。わるい?」
 朋友こぶしの近況を、わたしは灯油ストーブのそばで、夫にした。くつしたを脱ぎながら。足先を見ると、左足の中の指の爪近くが赤くなっている。
 数日前に痒(かゆ)みと疼(うず)きのまざった感覚が足先に生まれたのは、これだったのか。朋友の訪れだ。
 しもやけ、わが友よ!

 しもやけを発見した翌日、髪を切りに美容院に行く。

 美容院にはひと月に一度通うことにしており、わたしの髪についてスタイルについて、わたし以上に気にかけてくれるMさんとの縁(えにし)は、どうやら10年以上になっていることがわかった。
「(Mさんの勤めた)前の店から勘定すると、12年たっているんじゃないかしら」
「そうですね、あら、ほんとにそうだわ」
 と、Mさんは遠い目をしてたしかめている。
 そのあいだに、お互いいろんなことがあったのだ。
 ときどきに打ち明け合うことがあって、わたしたちは、いつしか、友という括りを意識するようになった。
 そのMさんが、「母が心臓を患っていたことがわかって、入院し、初めてひとり暮らしを経験しました。ええ、母は無事退院いたしました。ほっと胸を撫で下ろしながら、どうにも、もとの母子の暮らしに戻れなくて」と語る。
 涙ぐむ姿に、「お母さま想いはいいとして、悲観はだめ」と、20歳ちがいの先輩風を吹かせられるのも、10年以上月一度会話を持ってきた親しさからだ。
「退院されたばかりで、いきなりもとの暮らしに戻るなんて、それは無理でしょう。一歩一歩明るい気持ちであるいてゆけば、見晴らしのいい場所に出られるわよ」
 ふと、ハサミの動きが止まった。
 友を泣かせてしまったのである。

Photo

「段段畑に穴ひとつ」の昔ながらの
湯たんぽを
長女が持って引っ越したので、
いまはこれを使っています(ムジルシせんせい)。
二女と三女にサービスしています。

朝、これで洗顔します。

通りがかりの家人を呼びとめて、
てのひらに注いでもらい、顔を洗います。
朝のたのしみ!です。

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