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2016年3月の投稿

2016年3月29日 (火)

玄関にて

 玄関の棚の隅っこに、小さな札が置いてある。
「とにかくきょうも 生き抜こう!」
 これを書いたのはわたしだが、そのことばを口にしたのは二女であった。20151113日(日本時間14日)、フランスで起こった「パリ同時多発事件」のニュースに夫と娘たちとともに衝撃を受け、家は悲しみに包まれた。翌朝、そんな家から最初に出かけようとする二女が、玄関の扉を開きながら、ちょっと足を止め呟いたのだ。
「とにかくきょうも、生き抜こう!」
 ほんとに、そうね。生き抜こう!
 と、思ったわたしは、すぐと厚紙で短冊をつくり、その文言を書いた。そうしてひとを送りだす玄関の棚の隅っこに置いたのだった。
 その決意は、テロに対するものでもあり、待ち受けるさまざまな辛苦に対するものでもある。また、それが自分ひとり生き残ろうという意味でないことは、そっと胸のなかで確認しつつ、札を置いた。
 うちにやってきて帰ってゆく友人、記者・編集者たちのうち、その札に気がつくのは2割ほどだ。気がついたひとは、札の文言に向かって思いを述べてゆく。
「そうですね、まず、この決心を持つことにしよう」
「これ、いいっすね」
「書いて置く、というのが、あなたらしいわね」
 などなど。
「何かのせいにしたりしている場合じゃないですものね」と、自分に聞かせるように云ったひともある。

 ところで。

「ともかくきょうも 生き抜こう!」の札のほかに、同じ玄関の棚の上にこそっと置いているものがある。オーデコロンの瓶。コロンを手首に巻きつけるようにつけるのが、わたしの出がけのささやかな儀式なのだ。オーデコロンは、香りの持続時間が12時間と短めで、それもわたし向き。香水(パフューム)は半日香りが保つし、つづいてオーデパフューム、トワレと、オーデコロンより濃い香りを長く放つものもありはするけれども。なにしろ、出かけるときの心構えの証しなので、そのとき香って、励ましてもらえればいい。
 出先で自分から香りが立つのを感じたことはないが、感じるのであれば、つけ過ぎということになるのかもしれない。
 近年、使ってきたオーデコロンは、夫からのプレゼントだった。仕事とはいえ自分だけ海外に出かけてごめんよ、という挨拶のようなお土産。それでも、求めてくる香りは、どれも好きな香りだった。さきごろ使ってきたものが終わり、わたしはふとかなたを思っていた。若かりし日、背伸びをして使ってみたオーデコロンを思いだしたのだ。
 あれがもし、いまもあったなら、使ってみたい。いまこそふさわしい年齢になったのではないか、という気がして、わたしはかすかにときめいていた。

 さがしてみると、あった。時を経てオーデコロンの成分が少し変わっていたようだったが、コンセプトは昔のままで、ぐっと古風な香りだ。よし、これでゆこう。

 玄関にて。
「とにかくきょうも生き抜こう!」と小さく宣言し、手首にひと吹きオーデコロンを巻きつける。いざ!
Photo

この春、玄関から居間に引っ越したのが、
シーサーです。
長く玄関で家を守っていてくれていたのですが、
あわてん坊のわたしたちが、足をひっかけたり、
荷物をぶつけたり。
怪我が絶えなかったのです。
とうとう居間兼食堂の特等席に、場をうつしました。
春の異動。

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2016年3月22日 (火)

ソツギョウシキ・ニュウガクシキ

 2がはじまるころに、その風は吹きはじめる。


 胸のなかが波立ってくる。しようとすることになかなか気持ちをあつめられない、という状態になる。

 そうかと思うと、目の前に5個も6個も夏みかんをならべて、皮を剥いて果肉をとり出すことに熱中したりする。そんなときでもぼーっとしているのか、自分では一房も口に入れないうちに夏みかんの果肉の房は、消える。

 この時期、遠出はしない。

「遊びましょう」
 という誘いも、4月半ばまでは……ごにょごにょと口を濁して先延ばしにする。

 何がこうもわたしを波立たせるのか。

 問われても、これです、と答える術(すべ)を知らない。
 何とか口にのぼらせることがあるとすれば、「ソツギョウシキ ト ニュウガクシキ ガ オワルマデハ……」という呪文にも似たことばの連り。

 2012
11月、東京都武蔵野市の教育委員を拝命し、明けて2013年の卒業式と入学式のときには、このような波立ちは感じなかった。中学校卒業式、小学校卒業式、小学校入学式、中学校入学式と、それぞれ1回ずつ(全4回)役割を担う。卒業式の「告辞」(それにみずからのことばで祝辞を添える)と、入学式の「祝辞」を伝え、捧げるのが役割。初めてのときにはそれは緊張して、卒業式と入学式が近づくと眠りが浅くなった。いまから思うと、自分の役割を果たせるか、という一点において緊張し、おののいていたのだった。
「一応お伝えしておきますが」と云って教育部のU教育企画課長が手渡してくれたあんちょこを見ながら、登壇するたび8回の礼というのを、居間でぐるぐると練習したりした。

「ね、
Uさん、まちがえたらどうしよう」
「だいじょうぶです。まちがえても堂堂としていらしたらいいのです」

 当日、学校の体育館に赴(おもむ)くと、練習した礼の回数や諳(そら)んじていた祝辞などはどこかへ去ってしまい、目の前の階段を踏みはずさずに登って降りてこられたら、もうもう上出来、というほどの頼りない希(ねが)いだけが胸に宿った。

 つぎの年も、似たようなものだった。
 昨年(2015年)になると、それが変わった。もっともっと早い時期から胸が波立つようになったのだ。
 セレモニーとしての有り様(よう)には慣れたし、礼の回数にびくびくするようなことは、もはや、ない。時を経て中学校も小学校も、校長・副校長せんせいとも絆が深まったし、学校それぞれの持つムードのようなものも、察せられるようになった。その分、何でもなく当日を迎えられそうでもありながら、なぜ、こんなにも波立つ……?
 〈ソツギョウシキ〉と〈ニュウガクシキ〉の精霊がささやく声を聞き分ける耳を持ったのだろうか、わたしは。大袈裟が過ぎるようにも思われそうだし、賢者にでもなったつもりかと嗤(わら)われそうだが、畏(おそ)れが宿るようになったのは確かなようだった。
 大事な大事な宝ものである子どもたちの門出を思い、あたらしい出会いを祝福する役目が、こんなにもこころふるえるものであったなんて。

 〈ソツギョウシキ〉で「修める」
月。
 〈ニュウガクシキ〉で「ひらく」4月。

 こうしてやっと、〈ソツギョウシキ〉と〈ニュウガクシキ〉の精霊に揺さぶられるわたしに……、なった。

Photo

近所の友人のノゾミさんから
「植えてみて」と云って分けてもらった、
木いちごの苗。
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年越しで、やっと花をつけました。
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この花に、どれほど励まされていることか。
なんて、うつくしい……

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2016年3月15日 (火)

ミートローフと安倍晴明

 卵を茹でる。
 玉ねぎをみじん切りにする。

 というようなことを、目的もなくしている自分の〈ぼんやり〉に気づく。だが〈ぼんやり〉の原因を突き詰めないことにして、冷蔵庫の扉を開ける。よしよし、豚ひき肉とベーコンがある。

 これで決まりだ。ミートローフ!

 白菜を引っぱりだして刻む。

 にんじんをすりおろす。
 豚ひき肉に玉ねぎ、白菜、にんじんを加え、片栗粉、卵、塩、こしょう、ナツメグを混ぜてよくよくこねる。
 ほんとうだったら合挽肉を使うところが、豚ひき肉しかなかった上、その量もじゅうぶんではなかったので、野菜をたくさん混ぜこんだのだ。
〈ぼんやり〉がいつしか〈だるさ〉に変わり、ははあと思ったが、それはあとでどうにでもなるから、先を急ごう。
 タネをこねた山をふたつつくり、なかに茹で卵をふたつずつ隠す。もちろん、山のなかに隠す前に茹で卵の殻はむく。〈ぼんやり〉だろうと、〈だるさ〉があろうと、こういうところはあたりまえに押さえておかないと。
 ふたつの山を持ち上げて、すっかり茹で卵を隠すかたちに形成したら、天板にならべて置く。なかに何かを秘めているらしい山の有り様(よう)は、どうにも怪し気で、誰にも見られたくないような気分になる。
 とどめはベーコン。これを、山に巻きつける。巻きつけた端っこは山の底部に差しこむようにする。こうしておけば、山が焼けたあとも、ベーコンははがれないはず。
 オーブンに入れる(ただし、まだ焼かないでおおく)。

 大根を食べやすい大きさに切って、炒め、えのき茸とスープをつくる。

 冷蔵庫のなかで出番を待つともなく待っていた鶏のスープストックと、昆布をつけておいた水が登場。ブイヨンも1個入れよう。塩、こしょう、ベーリーフも忘れずに。
 チンゲンサイを斜めにざくざくと刻む。
 これは食べる間際に、鍋に放りこみ、ひと煮立ちさせる。

 そして米を研ぐ。


 ここでわたしは〈風邪ひいたみたいだ〉、とつぶやくのだ。自分に云って聞かせる調子だ。

〈風邪気味なら、ちょっと寝たらどうかな〉
 午後3時。
 わたしは寝床に向かうが、頭は〈何を読もう、何を読もう〉ということでいっぱいだ。読みたい本も、読んだほうがいい本も、読まなければならない本も、いま、いっぱい抱えているが、そういうのじゃなく、天から降ってくるような本を読みたい。
 寝床のある部屋の本棚から、『陰陽師』の連なりがじっとこちらを見下ろしている。これは岡野玲子の漫画(原作・夢枕獏/白泉社)で、1年に一度か二度読むことになる。そのたび湧くのは、読まされる感覚だ。
 そう云えば、昨年もこの時期からだがだるくなり、〈何を読もう、何を読もう〉と思いながら寝床に向かって、これを読んだのではなかったか。
 安倍晴明が涼やかな顔で、「壊れる ということはよいことなのだよ 博雅」「終わる ということはよいことなのだ」「炎をくぐって 新しく 生まれかわるのさ」と云ったりするのを聞くと(読むと)、わくわくしてくる。お腹のあたりから、ぐーっと何かが静かに上がってきて、それが脳に届く。これでわたしは〈はい、ダイジョウブ〉という心持ちになるのだ。
 分厚い『陰陽師』を抱えるようにして読むうち眠り、目が覚めたら、部屋に月が出ていた。満月だった。
 ……と思ったのは時計で、これは夫が若いころから大切にしてきた船舶時計だ。わたしが休む枕の上で、目覚めるたびこの時計が遠くに見える。満月と思ったのはおそらく、夢のつづき。見慣れた時計だとわかるまでのあいだに、月からは兎にも見える、鹿にも見えるちいさなちいさな動物が、ぴょーんと飛びだして、扉から出て行った。
 6時だった。
〈朝の6時だろうか〉
〈いやいや、午後6時。3時間がたったのだ〉

 もぞもぞと起きだしたとき、〈ぼんやり〉も〈だるさ〉も抜けていて、残念ながら風邪気は去っていた。もう少しうつらうつらと『陰陽師』が読みたかったけれど、「お読みなさい」という知らせだったと思えば、そんなものかとも思えてくる。


 起き上がって、オーブンに火を入れ、ご飯を炊く。

 傍でマッシュポテトをつくる。

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これが、月。
いえいえ、船舶時計です。

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2016年3月 8日 (火)

大切な日

 311日がめぐってくる。
 あの衝撃も、その後の不安も、いろいろの変化も、忘れてはいない。が、張りつめていたものは、ずいぶんとゆるんだ。
 ゆるみの正体は、ほとんど油断かもしれない。

 2011
年当時、自分が書いたものを読み返すと、「目が覚めた」「生まれ変わった」とある。

 あのころも、いまと同じように身近なことを書いていたのでしたが、どこかで、こんなことばかり書きつづけていていいのだろうかというような思いをもっていました。日日の連なりを、いまほど切実に考えていなかった証拠です。

 いまは……、日日の連なりより大事なことはあるまい、というほどの考えをもつまでになっています。どうもそうらしいと気づきはじめたわたしの横っ面を、東日本大震災が叩(はた)いたのです。目が覚めました。
 これからますます、身近なこと、日日の事ごとを記すことによろこびを抱くわたしになってゆくでしょう。その意味で、生まれ変わったと云っても過言ではありません。
  『そなえることは、へらすこと。』(メディアファクトリー)まえがき


 あらためてこれを読んで、びくっとした。

 日の連なりが何より大事だと訴えるわたし自身に、触発されている。
 東日本大震災のあとしばらく、ろうそくの火のもとで料理をしたり食事をしたりしていたのだったなあ。闇のなかに灯る、小さな炎がみずからの内面を照らしてでもいるような、日日だったなあ。
 胸のなかに、震災をわがこととして受けとめたいという希いが生まれ、それが支えになっていた。当時は不謹慎だろうと思って書けなかったのだけれど、この試練のなかに生まれる何かに期待したいとも考えていた。東日本大震災で何もかも失った人びとを思うとき、いまなお悲しみと苦しみのなかにある人びとを思うとき、何かを期待せずにはいられなかったのである。

 しかし、大局的には期待は裏切られつづけた。
 ことに、福島の原発事故の痛みを抱えるなか、原発を海外に売る、輸出するというはなしには絶望した。そんな恐ろしくも恥ずべきことまでして経済的に豊かになるなんてこと、わたしたちは望んでいるのだろうか。決して望んではいない。けれど、それが現実なら、わたしが、わたしたち国民が望んだことになってしまう……。
 個人個人の選択にはまだまだ、期待している。
 便利な方向へ流されてなるものかと思っている。電気を使い過ぎていることを自覚して、不自由を耐える覚悟も……、できているつもりだ。
 電気を節約して使えば、原発なしで暮らしてゆけるという方針や道筋が示されたなら、いいのだけれど。

 3
11日は大切な日。
 このことばが不謹慎に聞こえないように希いながら、やはりどうしてもこう書きたい。
 大切な節目の日になったと、云えるだけの生き方がしたいからだ。

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5年のあいだ、あまりモノは買いませんでした。
古いモノをひっぱり出してきて着たり、使ったり、
その方面に気持ちが向いていたのです。
ことしの初め、この小鍋を求めました。
じつに小さな鍋なのです(直径14cm/容量800cc)。
この小鍋のおかげで、残りものが生き返り、
ひとりの食卓がたのしくなりました。
ちょっと贅沢をしました。

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2016年3月 1日 (火)

「情」について ②〈紅茶を飲みながら……〉

 紅茶を飲もうと思い、やかんを火にかけ、二女を探す。
「あの、紅茶が飲みたいんだけど」
「ストレート? ミルクティー?」
「ミルクティーをお願いします」
 紅茶は二女担当、コーヒーは夫担当、その他のお茶はわたし担当ということになっていて(これは決してわたしが仕向けたのではなく、自然にそうなったのであります)、お茶が飲みたくなったひとは、なるべく感じよく「紅茶を」とか「珈琲を」とねだるのが日常の風景だ。紅茶担当、珈琲担当から、「淹れるけど、飲むひとー」と声がかかることもある。
 さて、ミルクティーにありついたわたしは、紅茶茶碗を机の奥に置き、新聞雑誌の「切り抜き帖」を見返している。昔ながらのスクラップブック(B5サイズ)に、小さい記事は貼りつけ、大きいものなら畳んではさむ、という方式で保存している。
 これを見返すことは、拡散しがちなわが思考をあつめて、くり返し対面する意味を持つ。また、この「切り抜き帖」のなかで、なつかしいひとにも会える。

山折 
話を単純にしすぎる人も多いですね。イスラム国も、単に全否定して済むだろうか。単なるテロリスト集団かもしれないが、全否定したら後は戦争だけ。この単純さを日々見せつけられ、世界が単色になっていきり立っている。
若松 多層的な世界を単層で語ると、私たちは大きく誤ります。日々のニュースは、ときに単層で伝えざるをえない。それを補う知識人までが単層的に語ると、世界は本当の意味で暴力的になる。
山折 私は還暦を迎えた頃から、物事や人間を正邪や善悪で判断しないようにしたんですよ。では何で判断するか。義理と人情だ。これで間違ったことはない。普遍的な尺度だと思っています。
若松 とにかく、理性だけで語ってはならないですね。

 日付を見ると2015415日。

 毎日新聞朝刊の切り抜きだ。批評家・思想家である若松英輔が、各界の識者と、現代における理想を探る対談「若松英輔の『理想のかたち』」の第1回。ゲストは宗教学者の山折哲雄である。
 じつはこの対談を見逃していて、新聞紙で何かを包もうとして、出合ったのだ。つ古新聞として。「ぎりぎりセーフ!」と思わず叫んだのは、掲載の日からひと月あまりもたったときのことだ。
 このときの対談には「ガンジーの非暴力」という題がついており、これはマハトマ・ガンジーの非暴力主義のことをさしている。イスラム国(IS)への対応についてというところから、やりとりははじまった。
 そもそも、もっと語られていたところを、紙上掲載のために割愛される宿命を背負っている上に、それを紹介しようとさらに切り刻むわたしの不徳。しかし、「情」についての研究題材を、この広場に置こうという気持ちに免じて許していただくしかないだろうと思う。
「情」が血を通わせてゆくことにしか、もはや期待できないところにわたしたちは立っているのではないか。それがこれからの道標(みちしるべ)になるだろうと考えながら、ただし、と立ちどまる思いがある。
 ただし、みずからのなかにぽっと宿った、曖昧なものでは足らない。どのくらい自分が豊かなものを宿せるか。云い換えるなら、どのくらい豊かな「情」を持ち得るわたしになるか。

 気がつくと、二女に淹れてもらった紅茶は、机の奥でさめていた。大急ぎで口に運び、さめてもおいしい紅茶はおいしい……と思ってみたりしている。

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古い「湯沸」。
父と母の結婚式の祝品として、参列者に配ったものです。
おそらく紅茶とは縁なくやってきたであろうところを、
最近、これで紅茶を淹れています(淹れてもらっています)。

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