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2016年4月19日 (火)

飛びたがり

 ヒサコサンと三鷹駅の改札口で待合せをした。
 朝、テレビの天気予報が雨を伝えていたから、傘、傘。折りたたみの傘を持って出ようとしたら、三女が、「きょうはそれではだめ。長いのを持ったほうがいい」と云う。
「風がつよいから」
「そうなの? 風が? 南風?」
「そう、南風」
 外に出てみて驚いたことには、すでに雨模様で、それも、空(くう)を縦横に飛ぶように降っている。三女の云うとおり、大風が吹いている。傘が風に持ってゆかれそうだ。ひさしぶりに〈飛ぶ〉感覚を思いだした。
 わたしは〈飛びたがり〉で、子どものころには風のなかで、よく飛ぶ真似をした。結果的に真似の範疇におさまるのが常であったが、本心は飛ぼうとしていた。子どものわたしは、つよめの風と傘があれば、かなりいい線ゆくことを知り、ともかくまずは風を待った。風がきたとなったら、傘を持って外に飛びだす。そんな日、つまり風のつよい日、よい子もいじめっ子も外で遊ばないことになっているらしく、公園にも原っぱにも、子どもの姿はない。飛びたい子だけがチャンスを狙っている。
 町内で唯一の飛びたい子たるわたしは、狂ったように走ったり、じっといい風を待ったりする。だが、傘を持ってすいーっと飛ぶところまでいったためしはなかった。
 すいーっとは飛べなかったけれども、〈飛ぶ〉感覚はじゅうぶんに味わっていた。その感覚の不思議さおもしろさにとりつかれたようになったからこそ、つよめの風がやってくるたび、家を抜け出したのだ。

 どうしてわたしは、書いているときのまで、こんな寄り道をするのだろう。

 こういうところにも〈飛びたがり〉の癖が顔を出すのかもしれない。ひとつところにじっとしていられない性(さが)をわたしは持っているのかもしれない。
 さあ、もどりますよ。
 ヒサコサンと待合せの駅まで歩こうとしている。〈飛ぶ〉感覚をなつかしみながら。風はびっくりするほどつよく、右手に持つ傘を吹き上げようとする。両手で傘の柄(え)を握りしめ、足を踏ん張っていないといまこそほんとうに飛んでしまいそうだ。つまらないことにわたしは大人になってしまい、こんなところですいーっと飛んだりできない。いまの世であれば、誰かがスマートフォンとかいうものでわたしが飛ぶ様子を動画として写しとり、自分のサイトにアップして、騒ぎになるのではないだろうか。わたしはたしかにいまでも〈飛びたがり〉ではあるが、飛んだことで騒ぎを巻き起こすことは望んではおらず、飛ぶならできるだけひそっと飛びたいのだ。
 そんなことをつらつら考えながら、傘を握りしめ、足を踏ん張っている。それにしても飛ぶによさそうな風だ。途中、あまりに風がつよまったので、傘を閉じた。雨は弱かったし、それに、風に翻弄(ほんろう)されているものだから傘で防げるような降り方でもなかった。
 駅に着くと、どうしたことだろう、改札口の前の広場にひとがあふれている。この群衆のなか、ヒサコサンを探すのは骨が折れそうだ。と、思ったところで携帯電話が鳴った。
「もしもし、お母さん?」
 三女だった。
「ヒサコサンから電話がかかって、中央線が大風のために運休してるんですって。国分寺から車に乗って向かうそうです」
「運休してるからか。三鷹駅がひとであふれてるの」
「一度家に帰ってくる?」
「いや、駅前のKINOKUNIYA食堂で待ってることにする。電話ありがとう」
「お母さん、携帯電話を持って出たことはえらかったよ」
 携帯電話をよくよく見ると、ヒサコサンから何度も電話がかかった履歴が表示されていた。飛ぶ飛ばないとこころのなかでせめぎ合いをしているあいだに、電話は鳴っていたのだろう。
 KINOKUNIYA食堂で珈琲を頼んで、柳宗悦(やなぎむねよし)の『南無阿弥陀仏』をとり出して読む。昨晩、新宿の朝日カルチャーセンターで、思想家(批評家)・若松英輔氏の講座「柳宗悦と日本仏教」をとった。わたしにとって柳宗悦はこだわらずにはいられない大切な存在だが、昨晩の講座では、若松英輔というひとが生きて動いている様子を見てみたいという願望が先立った。
 若松氏が語った「『それ故自己の道を固く守ることにおいては正しいが、それがほかの道を否むことになるなら誤りに落ちよう』というようなところ、柳宗悦はいいですね」という箇所、220頁を読んでいる。ここは宗教に関して書かれているけれども、あらゆることに通じると思われる。たとえばひとは自分の感覚を信じていい(大切にしていい)と思うが、それを絶対と考えることは慎まないといけない。ほかのひとの感覚を否むこと、妨げることはしてはいけない。
 このはなしや、昨晩から考えてきたことを、ヒサコサンに会ったら聞いてもらいたい。                    〈来週につづく〉

Photo
夕方には雨も風もやみました。
翌朝、傘を干しました。
ああ、飛びたかった…… 

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コメント

ふみ虫さま

ふふふっ(^^)
ふみこさん、メアリーポピンズ!

手仕事の良さを
発掘、世に知らせて
くれた人でしょうか?!
宗教学者でもあったんですね。

うちにある
柳宗理さんのステンレスボール
(穴あきのも) 優美です。

投稿: 寧楽 | 2016年4月19日 (火) 10時17分

ふみこさま、みなさま

あのそのすいーっと飛ぶに近い感覚
ウィンドサーフィンで味わいました。30年近く前ですが。。
でも日曜日の風では帆が倒されちゃいますね
自分の体重と帆を支える力と風のバランス。。
3つがそろうと飛ぶように進む快感。

他の力(自然でも人でも)を受け取ってはじめて
生まれる、成立するもの。いいですよね。

ぶつかり合いながらこの感じをいつも
私は楽しんできたのだと思います。

2人とも水素のように酸素(音楽)と反応
して、発火しやすい性質なので。。
そこを気をつけてます。
すいません、今人間は宇宙のかけらでできている
の佐治さんの本に夢中なので。。
でもそんなふうに観察してみるとおもしろいですね。

かなり寄り道してますね。
ふみこさん無事でよかったです。

追記:若松さんの「いつも揺れる感じで思い続ける。。」
   感覚好きです。芸術家たちの言葉という講座
   参加させてもらおうかなと考え中です。楽しみ。

投稿: 真砂 | 2016年4月19日 (火) 11時56分

ふんちゃん、みなさま、こんにちは。

春一番、でなくとも、春には強い風がありますね。
とりあえず、春であたたかく、そう寒くなることはないことは救いではあります。
常にどこかでだれかが、事故だとか災害だとかで難儀していらして、そして自分もまたいつそうなるのかわからないとしみじみおもいます。

ぼくもまた『無量寿経』の解説本を読もうとしています。


投稿: 佐々木広治 | 2016年4月19日 (火) 14時28分

ふんちゃん皆様こんにちは
書いておられる方もいますが
私もメアリーポピンズを連想しました。

ふんちゃんもこっそり変身してるんですね。


さて今は言葉使いの壁に当たっています。
そんなつもりがなくても電話だけでは誤解を生じさせたり不快な対応をしてしまったり
もっと勉強してばよかったなーなんて思うこの頃。
それでも初めたころよりだいぶ良くなったと言ってくれる方もいて
できないばかりじゃないんだな、と思いました。
必ず乗り越えられる自信はあります。

ふんちゃん見ていてください

投稿: たまこ | 2016年4月19日 (火) 18時42分

寧楽 さん

「民藝(民衆的工芸の略称)」の背景には、
わたしたちが感じうるうつくしさの意味のようなものが
ひろがっているということなんだと思います。
柳宗悦がたどり着きそうになった
(たどり着いたとは書かないほうがいいかなと、思ったりして)
地点への思想的な道筋に目を凝らしてみたいんです。

投稿: ふみ虫。 | 2016年4月20日 (水) 08時55分

真砂 さん

子どものとき、
サーフィンというもののことを知って、
ああ、これは風にのろうとするのと似ているーと
思ったものです。

真砂さんは、サーフィンまで?

投稿: ふみ虫。 | 2016年4月20日 (水) 08時57分

佐々木広治 さん

昨日のこと。
東日本大震災のあと、
東京都下某市役所から
岩手県に出向していたひとと
ちょっとはなしをする機会があったのです。

報道されていることがすべてではないということ、
マスコミに妨げられていた一面もあったということ、
ぽつりぽつりとはなしてくださってね。
今回、個を大切にする見方を
考えるようになっています。


投稿: ふみ虫。 | 2016年4月20日 (水) 09時04分

たまこ さん

電話のむずかしさですね。
ひとつひとつ学びながら進まれる様子に、
どきっとさせられます。

わたしなんかはつい、自分が
伝えるべきこと、
云いたいことを優先させてしまうので、
〈聞く〉ということばを胸におさめおさめ
ひとの前に立っています。
でもね、気がつくと、
置いたはずの〈聞く〉がずっこけたり、
倒れたり、もっとひどいときにはなくなったりしてるの!

投稿: ふみ虫。 | 2016年4月20日 (水) 09時07分

ふみこさま、おはようございます

あのその。。
サーフィンまでというより
サーフィンに助けてもらった20代終わりだったのです。

仕事で八方塞がり状態でやめようか
どうしようかという時に不思議と誘われて。。

海だと流されちゃうから最初は湖で
でもこの自然のスポーツを経験したことで
悲しい出来事がおきるたび
いつでも自然にはかなわないなあって
思えます、自然のこと、宇宙のこと。。
だから今また知りたくなったのです。

佐治さんは揺らぎの理論で前から有名な方ですが
音楽家を目指していらしたこと初めて知って
解説がそのせいかわかりやすいので
すいこまれてます。

「悩んだらわけもなくひかれる人の近くに
行ってみる」佐治さんの言うように
私もだからここにひかれたんだなあと。。
ふみこさんに伝えたくて。ありがとうふみこさん。

投稿: 真砂 | 2016年4月21日 (木) 08時52分

山本さま

すみません

連絡法がないので、コメント欄を利用させてもらいます

ご無沙汰しております、熊本の隈部です
孫を含め、一家全員、無事です(^^;;

避難所暮らししてますが、大分、おちついてきました

マンションも躯体は無事でしたが
据え付け型の対面キッチンが
壁ごと動いていたのには「!」でした(^0^)

炊き出しばかりの後に食べたコンビニ飯は
いやあ、おいしかった

と、とりあえず、無事の近況報告でした m(_ _)m

投稿: 熊本・隈部 | 2016年4月22日 (金) 11時54分

真砂 さん

悩んだ日、サーフィンに助けてもらったというのに、
打たれました。

わたしはどうしてきただろう。
本をかかえ、蒲団にくるまって眠る。

……だったかもしれません。

台所に立ち、
好きなように好きなものをつくる。

……だったかもしれません。

投稿: ふみ虫。 | 2016年4月24日 (日) 09時31分

熊本の隈部さま

よくぞよくぞ、おたよりくださいました。
地震のとき、
熊本日々新聞と、
隈部さんのお孫さんが浮かびました。

それから
鹿児島の友だち、
宮崎の、友だちの実家、
佐賀の友だち、
福岡の友だち、
つぎつぎと浮かびました。
知らぬ間に、九州との縁が深まっていることに
驚いたり感動したりしたことです。

対面キッチンが壁ごと動く。
そんなことが起こったなんて。

わたしは、いいもんが目の前にやってくるたび、
これ、いらないから、地震を止めて!と思ってしまいます。
いいもん。
それは、晩ごはんだったり、一杯のお酒だったり、
注文していた本だったり、です。

ご家族そろっておられるご様子に、
ほっとしています。
こちら武蔵野市でも熊本への支援活動がはじまりました。

隈部さん、まずは健康を守って!ください。
そしてまたお知らせをください。

(手紙は届くだろうか)。

投稿: ふみ虫。 | 2016年4月24日 (日) 09時44分

ふんちゃん

 「絶対と考えることは慎まないといけない…」
 とても大きくうなずきました。
 私も読みたくなりました。

 時に、自分では正しいを思うことでも、
 それは相手にとってはどうかわからないと思えるように、
 立ち止まって、思い直せるようでいたいと思っています。
 正しいとか、正しくないではなく
 自分は好きだなぁとか、そんなくらいでいられる方がいいのかなぁなんて。
 最近は、それでも、ニュースなどを見ていて、
 そうも言ってられないと思うことも多々ありますが、
 日々の暮らしの中では、そのくらいでいたいなぁと思います。
 自分を押し売りしないように気をつけなければならないなぁと。
 これは、子どもたちに対して、時々、自分にちゃんと言い聞かせないと、
 ふと、押し付けてしまっていることが多々ある気がしています。
 立ち止まったり、ごめんねと素直に言えるような余裕はもちたいなぁ…。

 ここのところ、5番目ちゃんに会いに行くのに時間をつかうことが多いので、
 一日家にいることがほとんどありません。
 忙しいなぁ…、仕事は辞めたはずなのに、もっとず〜っと忙しく感じるなぁと
 思っていますが、ここが頑張り時なのかなぁとも思ったり…。
 そんな時は危険です。
 子どもたちに押し付けてないか、ちゃんと感じなければ…。
 これから、お灸をして湯たんぽをしてゆっくり休みます…。

 5番目ちゃん、2番目、3番目、4番目と一緒に会いに行ったら、本当に嬉しそうにしてくれました。
 「家族になるんだよね?」と姉兄が聞いていました。
 うれしいことばでした。血縁だけが、家族じゃない。そう思える家族になっていきたいなぁと思いました。

投稿: もも(^_^) | 2016年4月24日 (日) 21時15分

もも(^_^)さん

「家族になるんだよね」
という台詞のところで、
泣きそうになりました。

それね、わたしの家族観そのものです。

血のつながりがあってもなくても、
「家族になる」という意識、努力、熱意が
必要、とこころから思います。


投稿: ふみ虫。 | 2016年4月25日 (月) 09時05分

祈りがとどいたのか、

都内の病院に転院しての手術後から
母の具合が本当に猛スピードで回復してきております。

いままでは会話にならない会話、ピーク時には会話すらもできなくなっていた容態でしたが
先週末の見舞いで、2人でコンビニのバニラアイスもなかを半分ずつ、世間話をしながら病室で食べられるようになりました

本当に夢のようです。

これからはリハビリ中心の病院に転院になる予定なので、往復2時間の病院までの通いももうすぐで終わりそうです

応援本当にありがとうございました~

この連休はふみさまのブログのヒサコサンにあたる、私の友人のスミエチャンと、母の回復をお願いした根津の神社にお礼のおまいりをしながら、
つつじまつりを楽しんでこようとおもいます。
もちろん花より団子派なので母のみまいがてら目をつけていた甘味処にしっかり寄って長話の予定です(笑)

投稿: おきょうさん | 2016年4月25日 (月) 14時15分

おきょうさん さん

猛スピードは、家系なんですね。
よかった!
すごくうれしい!です。

母さま、
甘いものも、辛いものも、
好きなもの、召し上がってください。
おきょうさんも、お疲れさまでした。
スミエチャンと皆さんで、おいしいものをね。


投稿: ふみ虫。 | 2016年4月25日 (月) 20時58分

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