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2016年4月 5日 (火)

孤独の研究

 子どものころからわたしは、嫌われものが好きだった。
 いじめっ子や暴れん坊に興味があったし、近所の怒りっぽくて意地悪なおじさんの観察をつづけたりした。
 いじめっ子にはいじめっ子たる根拠があり、暴れん坊たる理由があることはすぐにわかった。そうしてだんだん(小学校高学年のころだ)意地悪のなかに潜む弱気、哀しみがちらちらと見えてきたのだった。勉強には少しも身が入らなかったが、一方で人知れず大発見をしていたのだった。あはは、これこそは我田引水。
 中学生になってからは、ことば。
 嫌われものの「孤独」、「異端」といったことばの肩を持つようになってゆく。「死」ということばも、早い時期にその仲間入りをした。最初は「死」を連想するものを端から怖がって、墓場や寺院にさえ近づきたくないほどだったのだが、あるとき、誰にも等しく訪れる「死」が悪者になっていることに疑問が湧いた。気がつくと、何とかしてそこに明るいもの、もっと云えば輝かしいものをみつけたいと躍起になっていた。
 思うに、みずからのいびつな性質が、世の嫌われものに感応していたものだろう。

 感応と云えば……。

 ときどき、わたしは感じ過ぎる。
 はなしをしているうちに、相手の思いに感応してつい悩んだり、相手の経験を自分のもののように受けとめて憂鬱になったりする。
 この春はそれがひどかった。
 庭の梅花を褒めそこなうほどに。
 通りの桜花の咲きはじめを見逃すほどに。
 欅(けやき)の芽吹きに気づかぬほどに。
 わたしときたら、視線低くうつむいて考えこんでいたものらしい。
 この春、ひとと会う機会が少なからずあり、勝手に憂鬱になったりしたのは、ここでもやはり、みずからの何かが感応していたのだと思う。

 わかりたいと思う気持ちが、わたしを深い淵に運ぶのか。

 たとえばこんなこともあった。
 電車に乗り、吊り革につかまると、隣の吊り革青年がつぶやいたのだ。
「俺、もうだめだ」
 盗み見れば、好青年。吊り革につかまる手指がまず、がっしりとしている。がっしりとしているが、清潔感があり……。いやだわ。手入れを怠ってばかりいるこちらの爪が気になって、手を吊り革からはなして、からだのうしろに隠そうとしたくらいだ。健やかに見える若者が、なぜ、暗い目をして「もうだめだ」と己(おのれ)を見限るのようなひとりごとを? 見限ってはだめ。あたらしい自分をみつけて、みつけて、みつけて。

「ああ、さびしい」 

 ある朝、おはよう、と云う替わりに「ああ、さびしい」が口から飛びだした。電車のなかで見かけた吊り革青年ではないが、ふと漏れたつぶやきだった。
「何が、さびしい?」
 と自問自答するが、すぐには答えがみつからなかった。だが、それは口癖になった。鍋をかき混ぜながら「ああ、さびしい」とつぶやき、郵便受けを覗きながら「ああ、さびしい」とつぶやき、湯船に沈みながら「ああ、さびしい」とやった。
「ああ、さびしい」が、ガス抜きのような効果を生んだのか、気が軽くなってゆく。そのうちに、これは、この世を生きるひととしての誰もが抱くさびしさだろうということに気がついた。
 この世に生を受け、還(かえ)るべき世界に還るまで、今生のわたしたちには、孤独は宿命だ。簡単には還ることかなわぬさびしさ、生ききらねばならぬ道の上の孤独、それは年年この身に迫ってくるようだ。父を見送り、大切なひとたちを見送り、好きなあのひとたちに置いてけぼりにされて、孤独は募るばかりだ。
 しかしね、好きなことばは……?と訊かれて、「孤独」と答えるわたしですよ。その孤独を厭いはしない。
 20歳代の終わりに、「おそらくわたしの人生を支えるのは、『孤独』と『手仕事』だろう」と、書いたのだった。そのときから30年近くが過ぎたわけだが、それ、当たっているのではないかな。「孤独」と「手仕事」の意味、価値をそれぞれに研究し、ふたつのつながりも探りってゆくことに、ちょっと身を入れてもいいなと思う、きょうこのごろ。

 ああ、さびしい。

Photo

今朝、こんな贈りものを受けとりました。
雨上がりの物干に、水滴。
知らないでいる、気づかないでいる佳きものは
この世にたくさんあります。ね。

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コメント

ふんちゃん、みなさま、こんにちは。

雨がつづきひさびさの晴れがきました。
外をあるいていると、あついくらいです。

みずからのいびつな性質が、世の嫌われものに感応していたものだろう。
とふんちゃんが書いていて、その「いびつ」とあえて表現したのも、いびつの見方なのだろうなとおもいました。
はみ出しものをはじくのが、いびつではないというのなら、いびつなほうがいいなぁ。
と、はみ出しもののぼくはおもいました。
はみ出しものだから当たり前とおもわれそうですが、はみ出しものが他にはみ出しものをみつけてやいのやいのはいっぱいありますから。
はみ出しものだから、そうするのかもしれません。
みんな、なにかしらはみ出しもので、それを認めたくないから、他を否定したりするんでしょうね。

投稿: 佐々木広治 | 2016年4月 5日 (火) 11時18分

ふんちゃん、みなさま、つけ足しです。

だめだ、とつぶやいてしまうきもち、よくわかる気がします。
ぼくはもうそう若くなく爽やかとか壮健とかとははなれてしまっていますが。
だめだ、だから生きていなければならないんですよね。
だめだ、なにもかも投げ出したい、ときには生も、ということもありますが、もうだめだ、だから生きているということ。
たぶんわけがわからないかもしれませんが、そうおもいました。
もうだめだをいっぱい繰りかえし、いまもなおしている自分は、そうだなとおもえています。

投稿: 佐々木広治 | 2016年4月 5日 (火) 14時06分

ふみさまみなさまごぶさたしてしまっておりました。

入院している母の病院が急に東京の文京の病院に転院になりまして、急きょ手術をうけたあと、
また明日もとの病院にもどります。
それぞれに立ち会って、見舞って、事務処理をして、家に帰れば家事仕事、
自分の仕事はそこそこ春休みをいただいておりましたがでも新年度になりそちらも復活で、もうほんと。『くたびれた』がここのところ私の独り言だったかなあ・・
でも無事手術は終わり、また母とも話ができるようになり、病院の前の根津神社はとても素晴らしい神社で、見舞いがてら列に並んで買った鯛焼きは激ウマでした。→あいかわらず寄り道人生を取り入れております。忙しいのにくたびれているのに。(笑)

この半年は本当に、死とか、生とか、時間とか、自分とか、そんなものについてぼんやりながらも考えるばかりだった気もします。
孤独と手仕事。私の仕事はなおさら手を使うので(ああ、でも今の私も堂々とつり革はつかめないかも・・・。ポケットにいれちゃう(笑))
しっかりこれからも付き合って、むきあって、大切にしながら生きていきましょうっと。

桜が咲くたびに、あと何回この桜をみることができるのだろう?と考えます。今年は咲いた途端にさむさむな気温なのでお花が長持ちしてお得な気分です。

もうだめだ

の若者さんがこの桜を毎日ゆっくり見上げてくれたてたらいいなあ・・と思います。桜を見ている人はみんな上をみあげていますからね。上を向かなくちゃ!


投稿: おきょうさん | 2016年4月 5日 (火) 18時09分

佐々木広治 さん

「いびつ願望」があります。
世のなかから、何かの理由で
(個を大切にすることの、面倒臭さかな)
はみだしていることを、見たいという願望です。
そういうもののなかには、おかしなこともあるんです。
ですが、そこにはものすごくきよらかで、
あたたかくて、人同士許し合う鍵も存在する。

ってことを、忘れたくなくて。

投稿: ふみ虫。 | 2016年4月 5日 (火) 19時28分

佐々木広治 さん

あのね、広治さん、
わたしは、たとえば家のなかで、
だれかが「おお、くたびれた」とか、
「もうやれん」「○○へ行きたくなーい」云うのを、
とってもいいなと、とってもうれしいなと
思っているんです。

うれしいというか、家なんか、そのためのものだろうと
考えています。
ひとり暮らしのひとはどうするかって?
家に向かって、云ったらいい。
家に、文句でも、ため息混じりの愚痴でも
云えばいいと思います。

ひとに聞いてもらいたいときは、どうするかって?
じゃあ、ここへ、この場所で、
ぶちまけてください!
という気持ち。

「俺、もうだめだ」の吊り革青年は、
もしかしたらわたしに、ぶつけたかもしれません。
うぬぼれ過ぎかもしれないけれど。


投稿: ふみ虫。 | 2016年4月 5日 (火) 19時37分

おきょうさん さん

とつぜんの転院+手術に対応。
お仕事(生徒さんたちもアリガトウ!)。
家事。
さしものおきょうさんさんも、
うわーっとなったのにちがいないのに、
根津神社を褒め、
鯛焼きに舌鼓!
すごいです。

拍手させてもらいます。
みんなで。

ぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱち。
ぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱち。

投稿: ふみ虫。 | 2016年4月 5日 (火) 19時41分

ふみこ様

ああさびしい、とってもさびしい・・・
それはふみこさんが冬の間、
冬と一体になってしまったから。
そんな気がします。
冬は寂しいようにつくられています。
冬だからこそ受けとれる大切なものを感じておられる。
それがさびしい・・・
これからは春と一緒です。
さびしいけれど嬉しいになりますように^^

投稿: ゆるりんりん | 2016年4月 5日 (火) 20時16分

ふんちゃん皆様こんにちは。

ああ、さびしい。孤独。
それぞれが生きる原動力になる気がします。私の場合はこれが激しい思いとなり
なにくそ、人生に負けてられるか!となるわけですが。
もう少し穏やかにいきたいものです笑


さて、最近習ったことが
一本の線でピーンを繋がって益々仕事の
精度があがりました。
自信を持ってこれを見ました、と言える仕事をすること。これがずっと抜けていたということに気付きました。

なにを今更、当たり前じゃん!と
普通の人はなると思いますが
私のとってのまたひとつの革命です。

うわあ、できる!これもできる!と
嬉しい泣きそうな気持ちです。

根気強く教えてくださった先輩方に感謝です

投稿: たまこ | 2016年4月 5日 (火) 20時58分

ゆるりんりん さん

冬は、さびしいように、
つくられている。

冬と一体化。

なんだか、ありがた過ぎる、
身に余ることばをいただいたような気持ち。

「さびしいのも、素敵」

と、ちょっとかっこよくつぶやいてしまおう。

投稿: ふみ虫。 | 2016年4月 5日 (火) 23時22分

たまこ さん

なんてたのもしい。

うれしく、泣きたくなるような!
そんな気持ちを、自分も追いかけてみたくなりました。

先輩としての道がはじまりましたね。

投稿: ふみ虫。 | 2016年4月 5日 (火) 23時24分

ふみこさま、おはようございます。

その青年のようにぶちまけにきました。
ふみこさんの隣で何かを感じ思わずつぶやいて
しまったのでしょうね。

「そのさびしさでおまえは音をつくるのだ。
。。。もしも楽器がなかったらちからのかぎり
空いっぱいの光でできたパイプオルガンを弾くがいい」
大好きな「告示」(宮沢賢治)の詩の一部思い出しました。

うめられない心のすきまがあるから、
やがて生まれるものがあるって素敵ですよね
自分の手を使って何かに集中したりすると
びっくりするくらい心が回復してたりね。。
(ゴーシュみたいな弾き方していた時もあったなあ。。)

人間ってすごくやっかいな生き物だけど
そのやっかいな感情こそが美しいものを
作り出したりするからやっぱりすごいです
楽しまなくちゃです。
それを「ねえねえ、ふみこさん。。」
といつもつたえたくて、うるさくて、でもうれしくて
ありがとう。ふみこさん。皆さん。

投稿: 真砂 | 2016年4月 6日 (水) 08時03分

真砂 さん

おはようございます。

よくわかります。

わたしも何か生みだそうとするときの源は、
さびしさ、わけのわからない感情のうねりです。

やっかいなことですが、
それがなかったら、もっともっとやっかい。

ひと同士、そのあたりを慈しみ合うことができたなら、
もっともっといいもんが生まれるのに。
(無益な傷づくりが減るのに)。

さあ、きょうはこれから、小学校の入学式へ。
晴れがましさのなかに、子どもたちのさびしさも
感じられます。
こころがふるえます。

投稿: ふみ虫。 | 2016年4月 6日 (水) 08時38分

ふみこさま みなさま

こんにちは。

3月は家族の健康と自分の体に耳を傾ける
そんなひと月でした。

1週間ほど前に、アイロンを掛けていてぎっくり腰に。
もう4度目なので(クセになるみたいですね)、
やった瞬間に”あちゃー、まただよ。”と思いました。
普段から重いものを持つ時や、クシャミや咳をする時、
突然立ち上がる時など、気をつけてはいたんですが、
まさかアイロン掛けの最中になってしまうなんて。ねぇ。
まったく思いもよらず。

でも身体に不調があるからこそ、健康のありがたみを知り、
日々の生活の愛おしさを知り、同じように病と付き合っている、
どこかの誰かさんの事を思うことができる。
健康でないことへの「さびしさ」を感じる事もあるけれど、
自分の中の「さびしさ」を知っているから、
どこかの誰かさんの「さびしさ」や「やるせなさ」にも
少しだけ共感できるのかもしれないなぁと、ふと思ったりしました。

「喜び」や「楽しみ」も人を成長させるけれど、
「哀しみ」や「さびしさ」もまた、人の心をより深く耕すものですね。

「さびしさ」万歳!!

投稿: みぃ。 | 2016年4月 6日 (水) 11時21分

みぃ。さん

いかがですか?
まだ、痛みますか?

ぎっくり腰。
とことんこころを遣った……、
とことんからだを使ったひとが
受けとるもののような印象なんです。
(こんなときに限ってぎっくり腰になる、という
はなしも聞きますし)。

ぎっくり腰も、
さびしさ、哀しみも、
そのなかに潜むものは、
生きるよろこびにつながっていたりするんだと、
あらためて感じたことでした。

投稿: ふみ虫。 | 2016年4月 6日 (水) 17時35分

ふみこさま みなさま こんばんは。

どうやらお天気崩れそう~花散らしの雨になるところもあるのでしょうね。

「孤独の研究」とそこに寄せられたコメントを読みながら、この春は私にとっての「孤独の研究」の時期なんだと思いました。
ひとりでてくてく歩く時間が大事な時間となり、いつもはだんだんピンクが濃さを増す桜の蕾にワクワクできなくて、何とも言えず気持ちの置き場が定まらない感じ。。。

その感じをちょっと違う角度から見ることができたような気がします。

う~ん。これは深いテーマだわ!

投稿: かえるのしっぽ | 2016年4月 6日 (水) 21時54分

ふみこさま、おはようございます。

昨日の賢治さんの作品名まちがえました。
大切な詩「告示」ではなく「告別」でした。
今年は賢治さん生誕120周年でもあり
賢治さん読んで下さった皆さん
大変失礼しました。
(なんでこんなところでまちがえるかなあ。。)
朝から失礼しました。

投稿: 真砂 | 2016年4月 7日 (木) 08時19分

かえるのしっぽ さん

そうなの、そうなの。
(興奮してる。ごめんなさい)。

説明がつかない気持ちを抱えたり、
わけもなくせつない……、なんていうとき、
宿題を渡されているんですね、きっと。

投稿: ふみ虫。 | 2016年4月 9日 (土) 00時27分

真砂 さん

ありがとうございます。

まちがいにも、意味がありますとも!

投稿: ふみ虫。 | 2016年4月 9日 (土) 00時28分

ふんちゃん

 ようやく春の気分が本格的に、私にもやってきました。
 子どもたちのそれぞれの新しい出発にひっぱられるように、
 私も「新しい」を愉しみに迎えようとする気持ちになってきました(^^)

 私が、確か…中学生くらいの頃、母が離婚して2~3年経った頃、
 母が本を読んでいて、「孤独にはね2種類あるんだって」と言い出したことが思い出しました。
 その本には、「ロンリネス」と「ソリチュード」ということばが並んでいたそうです。
 私の記憶が正しければ…、
 「ロンリネス」が、どちらかというと悲しみを伴ったさみしさ。
 「ソリチュード」が、自ら求める一人の在り方。
 というような感じだったような…。
 
 そこで母が言いたかったのは、私は「ソリチュード」が好きだということでした。周囲から、「さみしいでしょう?」と言われることが多かったのか、人が言う「さみしさ」を私は感じない、おかしいのだろうか?と母は言っていました。
 母の本心はわかりません。いろんな悩みを抱えることもあっただろうし、迷いもたくさんあったと思いますが、身近には私しかいませんでした。母は、本当にいろんな話を私と共有しようと、寝る時間になっても、読んでいた本の話をしたりして気持ちを整理することもあったように思います。たくさん話をしました。
 さみしかったのかなぁとも思いますが、そうではなかったという母の思いもわかりたいなぁと思ったり…。
 母が言いたかったのは、「孤独というものは、さみしいものではない。一人になるということなのだ」ということだったような気がします。母にとって、「孤独」は必要なことなのだと力説していたような…(^^;)

 ふんちゃんの「孤独の研究」を読んで、たくさんのことを思い出しました。私も、一人になる時間が必要な方です。が、母が言うには、私はさみしがり屋です。最近は、自他共に認めるさみしがり屋。
 誰かとともにあることを求めているのですね…(^。^;)
 私も研究しなくてはならないテーマに思えてきました。母と一緒に語った大事なテーマの一つだった~!です(^^)

 そして…、ふんちゃんお知らせなのです。
 家に2歳になったばかりの男の子がやってくることになりました。
 ようやく決定となり、来週中には彼のいる乳児院に面会に行くことになりました。
 5番目の子が、やってきます(^^) 
 今まで末っ子の位置を不動のものにしてきた3男は、複雑な心境のようですが、みんな愉しみにしているようです。
 ドキドキ、わくわくが迫ってきました(^^)

投稿: もも(^-^) | 2016年4月 9日 (土) 09時00分

もも(^-^)さん

お母さまのおはなし、
とてもとても素敵。
わたしも、「孤独」を必要なものだと
考えています。
「孤独」を愛したいとも希っています。

それから、
いよいよですね。
ももさんの生き方が、うらやましい。
というのが、いまのわたしの気持ちです。

そんなふうに子どもって、
手もとにやってくる存在だと思います。
ときどき、ここにお知らせくださいね。
5番目ちゃんと、
1番2番3番4番ちゃんたちのこと、
思ってるよ。
ももちゃんのことも、思ってます。

決心されたことに、
ありがとうと云いたいです。


投稿: ふみ虫。 | 2016年4月 9日 (土) 20時34分

ふみこ様 おはようございます

今朝の話は、何時から 私の心の片隅に
いるようになったのか 不思議だったものの
正体がわかった気がする お話でした。
そして ふみこさんもそうだったのかと
嬉しくなることでした。

小学校の5,6年生ころか もう少し後からだったか
はっきりしませんが いつも 心の片隅に
「寂しさ」と「不安」と「切なさ」がまじりあった
感情がありました。いまも。
でも それは けっして いやなものでもない。
これは きっと 生きることの一つの宿命のようなもの
かもしれません(大げさですが (笑))

昨日 少し寒い森を歩きました。
日当たりのあまり良くない場所に
ぽつん ぽつん と咲く福寿草
思わず「お前は そこで 一人で 寂しくない?」と
声をかけてしまいました。本当に声にして・・。

ふみこさん そちらは 新緑が始まりましたか?
見逃しては もったいない。たくさん 見てくださいね。

投稿: えぞももんが | 2016年4月10日 (日) 06時33分

えぞももんが さん

さびしさと、不安と、
せつなさがあればこその……存在。

わたしも、それが自分のなかでゆらめいているのを
確かめ確かめ歩いてきたような気がします。
ときに、やっかいなこともありましたが
(存在が増し過ぎて?】、
すっかりなくなってしまうのは、もっと困るのです。

こちら、新緑の季節到来。
きょうは、歩きまわって、
褒めまくりました。
しあわせ。

投稿: ふみ虫。 | 2016年4月10日 (日) 20時14分

ふみこさま みなさま こんばんは。

ふみこさんの言葉、みなさまの言葉を読みながら
いろいろなことが浮かんできました。
孤独とか、さみしいとか、
心の中にたくさんひそんでいたのですね。

なんにしたって、もともと人はひとりなんだなぁと思うことが増えました。
さみしい…と思うとき、誰かに頼って紛らわせたりしていましたが、
そのさみしさは、素直に認め、受け入れ、抱えていくものなんだろうな、と
思うようになりました。
そして、
だからこそ、もっと自分を育てなきゃね、と思い
自分がうれしがることをたくさんしよう、と思い
それから、
じょうずに孤独とつきあわないと歪んでしまうので気をつけて、と
自分にいいきかせています。


投稿: さのまる | 2016年4月10日 (日) 22時53分

さのまる さん

おはようございます。

「孤独」を嫌わない、
悪者にしない、というところが、
若き日のわたしの出発地点でした。

「孤独」の愛おしさは、ゆっくり確かに
胸に宿ってきたんです。

本日、気温低めです(東京)。
北風が吹くのですって。
冬の記憶をたどる日。

投稿: ふみ虫。 | 2016年4月11日 (月) 07時25分

ふみこさま、みなさま

昨日「風の波紋」渋谷のユーロスペースにて

上映後の小林監督挨拶
「佐藤真監督の不在への孤独感。自分の病の不安。
それがここの自然の美しさ力強さ、人と人との
結。。と結びついてこの作品を作った。。。」
に感動して書いてます

ドキュメンタリーなので、
淡々と映し出される映像が心地よく
そのなかでつかわれている尺八の音色が
どこまでもやさしい空間を包み込んで
賢治さんの世界にいるような感じでした。

東京では4月22日まで。監督さんの熱意伝えたくて
ちょっと寒い朝だけど。。。失礼しましたー。
(ふみこさん本当だ。間違えたことに意味あったみたいです。うれしい。)

投稿: 真砂 | 2016年4月11日 (月) 08時59分

真砂 さん

驚きました。
「風の波紋」をご覧になったのですね。

云ってみれば、
夫の仲間の皆さんの映画なので、
真砂さんが書いてくださったことを、
うれしくありがたく思いました。

とくに、この映画にかかわった
山崎陽一さん(編集協力)が映画完成直後に
亡くなったので、わたしにとっても忘れることのできない
映画になりました。

真砂さんの選択の力(みつけだす力)と、
フットワークはすごいなあ。

投稿: ふみ虫。 | 2016年4月12日 (火) 09時19分

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