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2016年5月の投稿

2016年5月31日 (火)

生きがいのある生活

 本という存在は不思議だ。
 あの手この手をつかって、わたしたちの前にあらわれようとしたり、読ませようとしたり。そうかと思うと、長い長い歳月の末に、ふっとその存在を主張することもある。
 このたび聞いていただこうとするのも、じつはそんなはなしなのだ。

 その日わたしは、朝から気をつけて〈ぼんやり〉を決めこんでいた。

 気分の目盛りを〈はりきる〉よりもいくらか〈ぼんやり〉方面にずらしておきたいという心づもりだった。午前中初めてのおひとにお目にかかる約束があり、その後、かなり長い距離を移動して、ある研修会に参加することになっていた。緊張があり、不安があり、それでもなお、やさしい心持ちでいたいというつよい希いがあった。
 それで考えたのが〈ぼんやりモード〉だったわけで、そのせいだろうか、出がけにふとガラス戸のついた書架のなかの、ひとつの背表紙の上に目がいった。釘付けというほどのものではなく、ゆるやかに視線が止まるという具合だ。これまでときどき、あるな、と思って眺めるともなく眺めていた本だったが、その書名を見ても、ちっとも内容が浮かばない。
 ぼんやり考えるに(ほら、ここでも〈ぼんやり〉が登場した!)、とうとう読書の記憶までもがあやしくなっているのかもしれなかった。そうでなくてもわたしのちっちゃな記憶の家のなかの書架はもういっぱいになって、かなたに読んだものの記憶が少しずつ暇乞(いとまご)いをしているのかもしれなかった。
「じゃ、失礼」、「さよなら」と簡単な挨拶を残して、読書の記憶が幸手ゆくところを想像すると、やりきれない気持ちになる。

 その本の作者であるエレナ・ポーターの名には記憶があった。

『パレアナ』(『少女パレアナ』と『パレアナの青春』の2冊)の生みの親である。パレアナのことならよく憶えている。人生に絶望しかかっているひと、悩むひと、陰気に生きようと決めているようなひとを、「喜びの遊び」へと誘う(説教なしにだ)物語。1913年刊行当時、アメリカのいたるところで話題になり、ホテル、喫茶店ほか、いろいろの商店にその名がつけられたという。村岡花子翻訳によって1962年、日本に紹介されたときにも、パレアナは熱狂とともに受け入れられた。
 わたしの書架にも『少女パレアナ』と『パレアナの青春』の2冊は仲よくならんでいる。そしてこの日、わたしの視線を引きとめた本は、2冊の傍(かたわら)に佇む『スウ姉さん』だった。
 文庫の『スウ姉さん』を提げ袋に押しこみ、その日の予定へと踏みだした。ああ、スウ姉さんね! あるいはSister Sueなら知っている! となつかしがって書架に駆け寄ろうとするあなたの邪魔をするわけにはいかないから、おずおずと申し上げるが、主人公とはこんなひとだ。
 ほんとはピアニストをめざすほどの才能を持ちながら、日日のわずらわしい雑用を辛抱強くこなしてゆくスウ姉さん。どんなときにも、「生きがいのある生活」をもとめる気持ちを忘れないスウ姉さん。人生の道の上に、これほど苦労の種をまき散らされたら、希望を失わないでいることなど、とてもできそうにないのだが、このひとは健気(けなげ)なこころを決して失わないのだ。
 この日、待ち時間のなか、移動の電車のなかでスウ姉さんと向き合いながら、自分を恥じたり、励まされたり、こころのなかは忙しいことであった。〈ぼんやり〉を決めこんでいたこともあって、物語のこまかな部分までが沁みるように入ってきた。
 すっかり読み終えたのは、その日帰宅して床に入り、日付が変わろうとするころであったが、訳者村岡花子のあとがきにも、驚かされた。
1920年ポーター夫人が世を去る前に書いたこの『スウ姉さん』は私にはいちばん読者の心の琴線(きんせん)のこまかいところに触れる作品だと思われます。かくれたところで孜孜(しし)として地味な生活の道を歩んでいる女性のために気を吐いた作品だと考え、私はこれを深く愛しております」

 いつか原書に当たってみたいと思わされるいくつかのことばにも出合った。たとえば「犠牲」と「機会」。スウ姉さんがみずからの苦労の種を「犠牲」と呼ばずに、「機会」ということばに置き換えて受けとめようとする場面が印象的であったからだ。

『スウ姉さん』につづいて、『少女パレアナ』と『パレアナの青春』も読んだのだが、この一連の読書が、雑用を抱えて右往左往しているいまのわたしに贈られたことは疑いようもなかった。
 生きがいのある生活は、自分のなかにひろがるものだと悟らせてもらった。

Photo

この雑誌「新潮」20165月号にも、
贈られた感覚をつよく持ちました。
友人が、おしえてくれたのでした。
「発見 庄野潤三
 『江藤淳への十九通の手紙』
を、自分が庄野潤三から
手紙をもらったようなつもりになって
読みました。

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2016年5月24日 (火)

ふと、思い出して…… 。

 気がつけば、日中ガラス戸をあけ、網戸姿で暮らすようになっている。
 網戸越しの風が、レースのカーテンを揺らす。
 ことし初めて、蚊取り線香も焚いた。
 夏も近い。そう云えば、先週お目にかかった中学校の校長せんせいが、「夏休みまであと66日」と云われていたっけ。

 風に揺れる感慨のなか漂っていると、目の前にチョロがいた。

「チョロ」
 どうやら、居間の網戸に前脚をかけて引き開け、入ってきたものらしい。読者の皆さんのなかには、チョロと聞いて、ああ、あの子ね、と思い当たるおひともあろうけれども、ここであらためて紹介しておきたいと思う。
 3年前の5月はじめ、近所で火事が起こった。
 わたしの家もあわや……というところまで火は近づいたのだが、類焼をまぬがれる。ところが隣家は火と水によって、家が家でなくなってしまった。
「これからともかく、近くのビジネスホテルに泊まりに行きます。心配なのはチョロちゃん(家族がちゃん付けで呼ぶのに、わたしたちははじめから呼び捨てであった)のことなのです。落ち着くまで預かっていただけないでしょうか」
 焼けだされた夫人は、そう云った。
 そう、チョロは猫なのだ。
 ソマリという種類の、なかなかどうして由緒正しい毛並みのうつくしい雄猫だが、ちょっと臆病であるとのことだった。
「もちろん預からせていただきます」
 と云いながら、そのときの隣人の潔さを敬(うやま)わずにはいられなかった。火事には遭ったが、みんな無事であり、チョロのことだけが心配ですという、おっとりとしたもの云いは、忘れられない。
 火事と放水を経験したチョロはおびえきっていて、キャリーカートに入れられ、抜き差しならぬ様子でやってきた。
 すぐと馴れるはずはない。わたしたちは見て見ぬふりを装って、放っておいた。近づくと、身を弓形にまるめて毛を逆立て、シャーッと唸り声を上げる。そのからだには火事の煙が染みこみ、焦げ臭い匂いがした。
 結局、隣家を直す半年のあいだ、チョロはわたしたちと暮らした。
 家がすっかりきれいになって家族が戻ってきた日、チョロをかえしたときはさびしかった。チョロのほうでもさびしかったのか、たびたび自分の家を抜けだして庭づたいにやってきては、うちに入ろうとした。だが、〈家に帰る〉ことを理解させるべく、入れてやらなかった。そのときがいちばん辛かった。
「家のことがちゃんとわかったら、またおいで」
 とチョロと自分自身に云い聞かせた。

 それから3年がたった。

 そのあいだには、チョロと庭で遇うこともあったし、そこでちょっぴり遊んだりすることもあった。ごくたまに家に入ってきても、うろうろしてまたすぐに出て行ってしまう。だが、そんなときの、この家のことは知っているんだという佇まいは何ともかわいく思えた。
 さて、本日午前中のことだ。
 わたしが仕事をしていると、机の下に動くものがある。
「チョロじゃない。どこからはいってきたの?」
 と声をかけると、シャーッと声をたて、挑むかたちでわたしの足に前脚をからめようとする。
「ああ、網戸を開けたのね」
「シャーッ」
「そんな声を出すなら、来なければいいのに。なにさ、ふん」
 こちらも相当に大人げない。
 しかし内心はうれしくてたまらず、したいままにさせた。ひと仕事終えて、目を上げると、居間の端にチョロがまるくなっている。その様子を盗み見ているうち、3年の歳月が消えた。チョロが当たり前の顔をして、そこらにまるまっていた頃に戻っている。
 どうかしたのだろうか、チョロは。
 さびしくなっちゃったのかしらね。
 いや、いま聞いてみたところで、チョロは面倒くさそうにこう云うだろう。
「ふと、思いだしたの」

 チョロは何も云わずに目を閉じており、それはわたしの想像だ。

 ふと思いだしただけでも……いい。猫ならぬわたしたち人間にもそういうことはあって、ふと思いだしたことが場面転換をしてくれたりするのだもの。

Photo

このあいだ見ていただいた庭の木いちごの実を、
あつめにあつめてジャムにしました。
手前に置いたのはマッチ棒ですから、
大きさをわかっていただけるでしょう?
小さな瓶です。
これにいっぱいになるほどの少量でしたが、
できてみたらうれしくて、うかれました。
こういうのも、場面転換だなあと思いました。

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2016年5月17日 (火)

侮れない

 予定表を見たら、気の張る用事がならんでいる。

 いや、打ち明ければ、わたしに気の張らぬ用事などはないのだ。何をしようとするのにも、それがたとえたのしい予定であっても、知らぬうちに肩やら肘やら背中やらにチカラが入る。その力みこそが、気の張りと同一の存在だ。みずから自嘲しつつ〈無駄な力み〉と呼んでみているものの、それは一向に去ろうとしない。

 こうなったら折り合いをつけて、ならんで歩いてゆく道をさぐったほうがよさそうでもある。とすると、書きだしは換えなければならない。

 予定表をみたら、用事がならんでおり、いつもながらからだにチカラが入る。


 よし、これでいい。


 予定表をみたら、用事がならんでおり、いつもながらからだにチカラが入る。

 この力みには我ながら慣れっこだが、アレとコレについての力みが混ざり合い、ソレとアレに関わる力みが同化するのはうまくないように思える。ひとつひとつ別別に受けとめ、別別に力まないといけない。だいいち混ざり合い、同化すれば、力みは膨らみ、本体を疲弊させるであろう。もちろん本体とはわたし自身のことだ。
 予定表に視線を戻すと、おなじ日のうちに2つ3つと用事がならぶこともあって、だんだん自信がなくなってきた。用事と用事のあいだには多少余裕の時間はとってあり、自宅で余裕の時間をとる場合と、出先での移動の上に時間をとる場合とがある。
 どちらにしても、そこに些細な計画をそっと流しこんでみるとしよう。

 そんなある日。

 市役所での会議と、自宅での打合せのあいだに、資料の整理をする。わが机の前の床にぺたりと坐り、スクラップファイルのなかみを調べる。あまり考えずにファイルしたものだろう、気がつけば、頭上をハテナ鳥(はてなどり)が数羽ゆっくりと旋回している。
 なぜ、これをわたしは保存したのかしら。これも、これも……。
 結果として、8冊のクリアファイルが3種類4冊となり、それぞれ充実した資料集をつくることができた。かかった時間、約2時間。

 そんなある日。

 本日締切の原稿書きを終えるなり、雑誌社での会合へと早早(はやばや)と家を出る。神保町の書店散歩。気になる本を手にとっては開き、おなじく散策ちゅうらしい人びとを観察し、書籍の匂いを嗅ぐうち、脳のある一部分(おそらくは、興味・関心をつかさどる部分)が活性化してきた。

 そんなある日。

 朝日カルチャーセンター(新宿)での講座を終え、総武線に乗りこむ。吉祥寺での整体院予約の時間まで、1時間。思いついて一つ手前の西荻駅で降車、駅前で「富士そば」(正式には、名代富士そば)の客となる。「富士そば」は1970年代に東京を中心に生まれた立ち食いそば店。現在はどの店舗も、腰かけてそば、うどんを食べることができる。
 なぜだか、わたしはこの店が好きなのだ。初めてひとりで入店したときには、自動食券機の前であわてて汗をかいたが、いまはゆっくりあわてることができるまでになった。
 暑い日だったので、食券機で冷やしねぎそば・うどん(ピリ辛)の食券(440円)を求める。食券をおばさんに渡しながら「そばで」と注文するのは云うまでもないが、トッピングのイカ天(90円)も頼む。
 ポットからそば湯をコップに注いでたのしみ、店を出る。
 整体院まで20分歩く。整体師のシンカイせんせいに、このひと月1日1万歩歩く努力をしてきた自慢話をす。
 すると、せんせいからうれしい予言がもたらされた。
3か月たったら、はっきりと何かがちがっていることを実感できるはずですよ」

                  *

 〈無駄な力み〉とつきあいつつ、用事と用事のあいだに風を通すため、些細な計画を流しこんでみたところ、些細な事ごとというのはじつに侮(あなど)れぬ存在であることがわかった。

Photo

この春、花(の写真)を見ていただいた
庭の木いちご。
実になり、赤く色づきました。
いまは、毎日庭に出て摘み、
そのまま食べたり、少量の(とも呼べぬほどの)ジャムに
するべくためています。
この存在も、じつにじつに侮れません!

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2016年5月10日 (火)

ジルベールとセリア

 ひと眠りして時計を見ると午前222分。
 いいね、いいね、わたしを励ますゾロ目である。こうなったら、と蒲団を抜けだして、階下へ。歯磨きと洗顔をする。これで〈本日〉の幕開けだ。
 ミルクティーを淹れて、カップを持って机の前に坐る。美白美容液の試供品の小袋が、何かの合図のように置いてある。昨日、届いた基礎化粧品の広告から剥がしたおいた小袋で、近年こういうものは溜めこまずに、すぐ使うことにしている。旅先で使おうと思って溜めていたこともあるが、めったに旅に出ないくせに、基礎化粧品やシャンプーの試供品が山となっているのにあきれて、そうするようになった。
 よく見ないで封を切り、どうもおかしいと思ったらパックだったというようなこともめずらしくなく、そんなときは、膝小僧に塗りたくったりする。シャンプーやコンディショナー、ヘアパックなんかもいきなり開けかねないから、その類(たぐい)は洗面所の引出しにしまっている。
 美白美容液を顔と首にすり込んで、わたしはこうしてこれを書きはじめた。

 何を書くか。それがはっきりしていると早いのだが、はっきりしないまま、坐っているのも、じつは愉しい。午前
3時ともなればなおさらで、静けさのなか、ミルクティーをすすりながら、至福に近い境地に運ばれている。
 と、そこへちっちゃな黒い影があらわれた。
 蜘蛛。きゃっと叫んだりはしない。この家に住んでいる馴染みの蜘蛛で、名前も持っている。

「ねえ、おかあぴー、見て。きょうはジルベール、机の上で仕事してる」

「あ、ほんとだ。こちら、ジルベール? じゃ、さっき台所で遇ったのはセリアかしら。蜘蛛としたら、ふたりのあいだの距離は相当にあるね。1万歩どころじゃないかもしれない」
「でも、このひとたちはぴょんと跳ぶからね」
「そうか、そうだった。アナタの家にも蜘蛛はいるの?」
「もちろん、います」

 これは昨日、この家に仕事をしにやってきた長女梓との会話だ。昨年末に独立して、フリーランスで仕事をするようになった梓は、ときどきここへやってきて仕事をするので、机を半分こして使っている。細長い机の領地が半分になってからというもの、机上が整頓されるようになった。これは、共有者への配慮というちょっとした緊張が生まれたためだと思われる。

 その梓が蜘蛛をジルベールと呼んでいる。
 そこでわたしも、台所で見かけたのをセリアと咄嗟に名づけてみたわけだった。家蜘蛛は巣を張らず、家のなかをちょろちょろ探索している。1cmにも満たない小ささながら、虫を食べる。これはひとから見てのはなしだが、ハエやらアレ(想像してください)やらを食べてくれる益虫なのだ。

 こんな時間にまた机の上にやってきて、ジルベールは何をしているのだろう。パソコンのキーボードの上で動く指に反応して、ぴょんと跳んだ。キーボードに乗り、遊んでいる。

「おはよう、ジルベール。早起きじゃない?」
「……」
「あのさ、いま、アナタのことを書いてるの。アナタとセリアのことを。書いてもかまわない?」
「カマワナイケド、カッコヨクカイテオクレネ」

 2杯目の紅茶を淹れて戻ってくると、ジルベールはいなくなっており、わたしはまた、ひとりきりになった。


Photo

〈ジルベールとセリア〉の原稿を書き終えたのち、
りんごの山を、砂糖で煮ました。
かごの手前に見えているのは、誰かですって?
ヤマネのチートです。
札幌の友人からの贈りもので、フックで留めると、
まるまります。
果物かごが、チートの仕事場。
りんごやみかん類、バナナ、ぶどうの番人をしてくれています。

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2016年5月 3日 (火)

黄金歩行

 はじまりは、ハラダサンのエッセイだった。
 11万歩以上歩くことを自分と約束し、それをつづけているというはなしが綴られた、じつに愉快なエッセイだった。半年それをつづけたら心身が快調になり、気がつくと4キロ体重が落ちていたとたしかに書いてある。それだけなら、やっぱり歩くのはいいんだな、というくらいの感想で終わっていたかもしれないのだが、11万歩歩こうとする野望と実践がたのしそうで、気がつくと釣りこまれていた。
 夫人が、歩数を稼がせてあげましょうとばかりに、「豆腐を買ってきてくださらない?」と頼むと、ハラダサンは云う。豆腐屋までは行って帰っても300歩余り、それでは歩数を稼ぐことにはならない。そう云って断るのだ。
 ハラダサンとは、エッセイを研究する仲間同士だ。わたしはくわしいことを知りたくなって、「ね、どんな万歩計を使われているのですか?」と尋ねる。「いや、スマホに歩数計が入っていて、それで計ってるんですよ。このアプリだと……。
 そう云ってハラダサンはスマートフォン(スマホ)をとり出して、棒グラフが表示されている画面を見せてくれた。
「これが毎日の歩数グラフで、ほら、こうすると、1週間の平均歩数、ひと月の平均歩数が表示される仕組みです」
 スマホは持っていないし、持たずにすめば持たずにおこうと(いまのところ)考えているものだから、そうか、スマホなんだな、とわたしはちょっとがっかりした。

 家に帰ってすぐ、パソコンのインターネットで、万歩計(ハラダサンは歩数計と呼んでいた。どうやらそれが正式名称らしい)をさがし、1週間分の歩数を記録する昨日のついた安価なものをふたつ注文した。ひとつはわたしの、ひとつは夫のだ。

 1万歩とはどのくらい歩くと実現するのだろうと、考えながら、歩数計が届くのを待った。
 歩数計が届くなり、あたまのなかが〈歩く〉でいっぱいになった。もともと歩くのは好きだが、ときどきやたらに歩きまわるという歩き方で、数字に結びつけて毎日歩こうとするなんてことはしてこなかった。だいいち、わたしの稼業は机の前に坐ったら、日がな一日達磨のようにしていることもあるような塩梅。1万歩など夢も夢、2千、3千も歩ければ上出来という日も少なくはないだろう。
 いや、しかし。わたしにだって、ハラダサンのエッセイにあった1万歩への挑戦のおもしろさを味わえないことはあるまい。やってみよう。
 歩数計が手もとにやってきてから、きょうでちょうど2週間。
   6473
 25581
   4640
   9466
   5910
   8175
 11371
   8418
 10303
 16408
 12275
 10774
 14476
 16918
 とまあ、こんな調子である。
 昨夜などは、1万歩に2千歩ほど届かなかったので、夜てくてく歩いて、約5km離れた長女の家に行き、そこで力つきて泊めてもらい、早朝またてくてく歩いてもどってきた。
 こんなのはわたしにすれば、黄金週間(ゴールデンウィーク)の小旅行である。いわば、黄金歩行と云えそうでもある。

02_2

早朝、黄金歩行の道の途中、
シロツメグサの群生と出合いました。
ひとりでせっせと摘んで、歩きながら
編みました。
たのし。

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