生きがいのある生活
本という存在は不思議だ。
あの手この手をつかって、わたしたちの前にあらわれようとしたり、読ませようとしたり。そうかと思うと、長い長い歳月の末に、ふっとその存在を主張することもある。
このたび聞いていただこうとするのも、じつはそんなはなしなのだ。
その日わたしは、朝から気をつけて〈ぼんやり〉を決めこんでいた。
気分の目盛りを〈はりきる〉よりもいくらか〈ぼんやり〉方面にずらしておきたいという心づもりだった。午前中初めてのおひとにお目にかかる約束があり、その後、かなり長い距離を移動して、ある研修会に参加することになっていた。緊張があり、不安があり、それでもなお、やさしい心持ちでいたいというつよい希いがあった。
それで考えたのが〈ぼんやりモード〉だったわけで、そのせいだろうか、出がけにふとガラス戸のついた書架のなかの、ひとつの背表紙の上に目がいった。釘付けというほどのものではなく、ゆるやかに視線が止まるという具合だ。これまでときどき、あるな、と思って眺めるともなく眺めていた本だったが、その書名を見ても、ちっとも内容が浮かばない。
ぼんやり考えるに(ほら、ここでも〈ぼんやり〉が登場した!)、とうとう読書の記憶までもがあやしくなっているのかもしれなかった。そうでなくてもわたしのちっちゃな記憶の家のなかの書架はもういっぱいになって、かなたに読んだものの記憶が少しずつ暇乞(いとまご)いをしているのかもしれなかった。
「じゃ、失礼」、「さよなら」と簡単な挨拶を残して、読書の記憶が幸手ゆくところを想像すると、やりきれない気持ちになる。
その本の作者であるエレナ・ポーターの名には記憶があった。
『パレアナ』(『少女パレアナ』と『パレアナの青春』の2冊)の生みの親である。パレアナのことならよく憶えている。人生に絶望しかかっているひと、悩むひと、陰気に生きようと決めているようなひとを、「喜びの遊び」へと誘う(説教なしにだ)物語。1913年刊行当時、アメリカのいたるところで話題になり、ホテル、喫茶店ほか、いろいろの商店にその名がつけられたという。村岡花子翻訳によって1962年、日本に紹介されたときにも、パレアナは熱狂とともに受け入れられた。
わたしの書架にも『少女パレアナ』と『パレアナの青春』の2冊は仲よくならんでいる。そしてこの日、わたしの視線を引きとめた本は、2冊の傍(かたわら)に佇む『スウ姉さん』だった。
文庫の『スウ姉さん』を提げ袋に押しこみ、その日の予定へと踏みだした。ああ、スウ姉さんね! あるいはSister Sueなら知っている! となつかしがって書架に駆け寄ろうとするあなたの邪魔をするわけにはいかないから、おずおずと申し上げるが、主人公とはこんなひとだ。
ほんとはピアニストをめざすほどの才能を持ちながら、日日のわずらわしい雑用を辛抱強くこなしてゆくスウ姉さん。どんなときにも、「生きがいのある生活」をもとめる気持ちを忘れないスウ姉さん。人生の道の上に、これほど苦労の種をまき散らされたら、希望を失わないでいることなど、とてもできそうにないのだが、このひとは健気(けなげ)なこころを決して失わないのだ。
この日、待ち時間のなか、移動の電車のなかでスウ姉さんと向き合いながら、自分を恥じたり、励まされたり、こころのなかは忙しいことであった。〈ぼんやり〉を決めこんでいたこともあって、物語のこまかな部分までが沁みるように入ってきた。
すっかり読み終えたのは、その日帰宅して床に入り、日付が変わろうとするころであったが、訳者村岡花子のあとがきにも、驚かされた。
「1920年ポーター夫人が世を去る前に書いたこの『スウ姉さん』は私にはいちばん読者の心の琴線(きんせん)のこまかいところに触れる作品だと思われます。かくれたところで孜孜(しし)として地味な生活の道を歩んでいる女性のために気を吐いた作品だと考え、私はこれを深く愛しております」
いつか原書に当たってみたいと思わされるいくつかのことばにも出合った。たとえば「犠牲」と「機会」。スウ姉さんがみずからの苦労の種を「犠牲」と呼ばずに、「機会」ということばに置き換えて受けとめようとする場面が印象的であったからだ。
『スウ姉さん』につづいて、『少女パレアナ』と『パレアナの青春』も読んだのだが、この一連の読書が、雑用を抱えて右往左往しているいまのわたしに贈られたことは疑いようもなかった。
生きがいのある生活は、自分のなかにひろがるものだと悟らせてもらった。
この雑誌「新潮」2016年5月号にも、
贈られた感覚をつよく持ちました。
友人が、おしえてくれたのでした。
「発見 庄野潤三
『江藤淳への十九通の手紙』
を、自分が庄野潤三から
手紙をもらったようなつもりになって
読みました。
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