予定之男命と呟美命
もうずいぶん昔のことだ。
ある朝目覚めると、男神と女神がわたしを見下ろしていた。そのころ『田辺聖子の古事記』(※)を夢中になって読んでいたからだと思われるが、不意のことに面食らう。
「あなた様方は、どのような……」
と尋ねかけたが、複雑な答えが返ってきても困るので、驚きを隠して「おはようございます」と挨拶するにとどめた。ねぼけた目で観察すると、ふたりとも身なりがよく、男神は赤い石の首飾りをつけ、女神は高く結った髪の根元を翡翠のような連なりで飾っていた。薄い衣は涼やかに見えるが、幾重にもなっていそうなところを見ると、案外保温性は高いのかもしれない。
春のはじまりの季節であったので、「お寒くありませんか?」と声をかけてみた。
「わたくしは寒さを知りません」
そう女神が云うと、「おれも」と男神が低い声で云う。
急いで身仕度をし、朝餉(あさげ)の膳をととのえ、二神に、かために炊いたご飯、大根の千六本の御御御つけ、焼いた鮭、野沢菜づけを供する。
「ありがとう」
「かたじけないな」
と二神はそれぞれに云い、音をたてず、ゆっくりと食べものを口に運ぶ。箸をそろえて、匙のようにして使っている。少し馴れてきたので、こちらから名乗ると、二神もおれは……、わたくしは……と、名を語った。男神の名が「予定之男命(よていのおのみこと)」、女神が「呟美命(つぶやきみのみこと)」であることがわかった。ふたりは夫婦であり、予定之男命はひとがたてる予定を治め、呟美命はひとのつぶやきを治めているという。
「こんなところまで、はるばるお出ましになるのは常のことなのでしょうか?」
「いやいや、ちがう。おまえが呼んだからきたのだよ」と予定之男命。
「そうです。あなたは眠りながら夢のなかで、しきりにわたしたちを呼んでいたのです。それで、やってきたのですわ」と呟美命。
「わたしがおふたりを……」
やっとそう云ったが、どうにも先がつづかない。
千四百年あまりも昔の世界の神神を呼びたてるなど、いかに妄想癖のあるわたしでも、思いがけないのにもほどがあるというものだ。しかし、「呼ばれた」「そうです、呼ばれました」と二神が云われるのだから、わがこころのなかの何かがこの不思議とつながったことはまちがいなさそうだ。
思い当たるとすれば、時に、みずから立て、他から受けてもいる〈予定〉に翻弄させられることだ。〈つぶやき〉のほうは……、そうだ、気がつくと「ああ、面倒くさい」が口から漏れ、口癖になっていた。
「つぶやきみのみこと様は、わたしのつぶやきを聞いておられましたか?」
「聞いておりましたとも。あなたがつぶやく『面倒くさい』が本心からのものであるか、口先のものであるかを確かめないうちには、帰れません。あなたは、どうです?」
呟美命は云うと、さいごに顔を夫に向けた。
「おれは、予定というものが愛されるように、そのことだけをねがっているんだ」
そう語る予定之男命の顔は、真剣そのもの。
「それではお答えしますが……、ええと、まずつぶやきみのみこと様へ。最近『面倒くさい』とつぶやくことが多くなりました、『めんどくさ』と。でも、それは……、何といいますか、予定に立ち向かってゆくときの符丁のようなもので、本心面倒だと思っているわけではないのです。こそっと『面倒くさい』と口のなかでつぶやいて、緊張をほどこうという気持ちも、自分を励まそうという気持ちもあります。けれど……あの……、別のつぶやきに変えたほうがいいでしょうか」
いつになく、考え考え答えている自分が可笑しくもあったが、笑えない。人生の岐路のような場面であることがわかったからだ。
「わたくしにはよくわかります。ひとには聞かれぬように『面倒くさい』とか『疲れた』とか、そっとつぶやくのがわるいわけではないのです。ただ、予定に向かってゆくときの符丁ということなのであれば、ちがうことばに変えたほうがよいでしょうね。そのほうが効果も上がります。たとえば、ご自分の名を云うのです」
呟美命は微笑んで「ふみこ、とです」と云った。
それならできそうだ、と思う。緊張をほどくのにも、みずからを励まそうというのにも、ぴったりかもしれない。あるときには、もっとつよく、鼓舞することもできそうだ。
「やってみます。できると思います」
黙って呟美命とわたしのやりとりを眺めていた予定之男命が、「それでは」と厳粛な面持ちで語りだす。
「それでは、おれの問いにも答えてもらおう。みずからの予定を愛することができそうか、どうか。予定には種類がある。こうしようとみずから立てるもの、ひとから頼まれた用事、任ぜられた場に置かれた予定など。ややこしいものも、たのしみなものも、あるだろうと思うが」
「ええ、等しく愛する努力をいたします」
「そうか、その答えを聞いて安心した。それでは、土産をひとつ置いて去るとしよう。予定はな、それを愛そうとするも者の人生にはよく、働く。無駄なく働くと云ってもよいと思う。予定、つまりあらかじめ定めた事ごとを実行してゆきながら、人生は前進し、ひととして成長する」
「ほんとうに?」
「ほんとうだとも。だから予定を等しく慈しみ、信じることだ。で、ときどき、予定が消えることがあろう? それも、よき働きのひとつということになるんだよ」
「……」
お茶のおかわりを淹れようとわたしが立ち上がるのを、二神は制して「わたくしたちは、もうまいります。さようなら」と云って、すっと流れる雲のように去っていった。
※ 『田辺聖子の古事記』(集英社文庫)
散歩に出かけ、立ち寄った神社境内の
くすのき。
なんとも神神しく、ひかりに包まれるようでした。
根っこ。
大地をつかんでいるような、根っこ。
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