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2016年7月の投稿

2016年7月26日 (火)

夏の記憶②(2016年)

7月△日
 友だち夫婦が、「ちょっとでも会いたいんだけど。遊びに行ってもいい?」と云って、ほんとうにやってきてくれた。こういうシンプルな申し出はうれしい。だめなときはだめだが、だめでないことだって少なくはない。それが証拠に、きょうは好都合だったのだ。こちらだって、会いたいとなれば、時間くらいつくりますとも。
 やってくるマルハサン(夫)が、前の日誕生日だったということを突如思いだす。こりゃ、お祝いしなけりゃあ。バースディケーキ、どうする?
 みんな飲み助だから、甘くないケーキをつくろう。そう決心して、卵とじゃがいも、それにピザ用チーズの袋をとり出して、目の前にならべ、考える。
じゃがいもを薄めに切って茹でる。
卵を溶いて牛乳を加え、塩こしょうする。
フライパンを熱してオリーブオイルとバタを溶かし、じゃがいもを焼
  く。おいしそうな焦げ目がちょっとつくまで焼く。

卵を、フライパンのじゃがいもの上からまわし入れ、弱火で焼く。フラ
  イパンには、ふたをする。

卵に火が通り、いい具合にかたまってきたら、ピザ用チーズを散らす。
  チーズがとろり溶けたら、でき上がり。

 という、ケーキ。
 厚みを出すために、直径20cmの〈これ〉を2枚焼いて重ねることにした。
 というわけで、材料は、サラダ油とバター適宜、じゃがいも2個、卵3個、牛乳大さじ3、塩こしょう、ピザ用チーズ適宜を、すべて〈×2〉。
 誕生日のマルハサンと、愛犬イチを抱いたセッチャンがあらわれる。
 大きな声で、Happy Biryhday ton youを歌う。
 Happy Birthday dearマルハサーン。
 こういうことがあると、ひともうれしいが、家が喜ぶのがわかる。あははあははと機嫌よく笑っている。

7月△▽日

 このところ、久しぶりに編集作業に取り組んでいる。
 朝日カルチャーセンターでわたしが講師(講師というより、日直みたいだ)をつとめる「エッセイを書いてみよう」の皆さんの作品集をつくっているのだ。
 自分にできることはしなければ、という義務感からはじめたのだが、手をつけると、あたらしい思いがつぎからつぎへと湧くのだった。
 こんなすごいこと、滅多にないのじゃないか。つまり……、こうしたいと希ってしているひとつひとつが、仲間のためにもなるなんて、すごい!という思いだ。この思い方は、きっとわたしの行く道を照らすだろう。
 夜なべ仕事をしながら、しみじみとする。4年前、カルチャーセンターの仕事を引き受けてよかったよね、あなたは。

7月△▽△日

 日曜日。家から20歩先に住む友だちのノゾミサンから、ウォーキングに誘われる。
 今週は、誘われ運がある。家にいれば、作品集の編集作業その他、したいことはあるけれど、えーい、思いきって出かけよう。〈ウォーキング〉と云うからには、サン(ノゾミサンの家のベルジアン・シェパード)を連れずに、ひとふたりで歩くという意味だな。ふたりと1匹の〈散歩〉はときどきさせてもらっているけれど、ふたり〈ウォーキング〉は、昨年多摩湖までの15kmを歩いたとき以来だ。
 水筒にお茶を詰め、カメラ、三千円、手ぬぐい、お助け袋を布製バッグに詰めて持つ。お助け袋には、650gを超さないことを約束に、文具類、救急絆創膏、方位磁石、保存袋、エチケット袋、リップクリームなんかを詰めてある。そして、帽子をかぶる。
 ノゾミサンは元サッカー選手で、足が長く、ぐんぐん歩く。わたしも早足のほうだが、いやいやどうして、このひとと歩くときには油断ならない。がんばって大股歩きだ。すたすたすたすた、すたすたすたすた。
 うわさ話無し。自慢話無し。愚痴無し。いや、もしかしたら、ちょっぴりそういうのも混ざっているのかもしれないが、会話はいつも、まあ、ところどころイヤなことがあってもさ、それが人生だね、というところに落ちつく。まずまずしあわせってことになるんじゃないかな、と、すたすたすたすた、すたすたすたすた。
 やっぱり出かけてきて、よかった。
 こころの芯がしゃんとした。芯のまわりに付着したぶよぶよとした滓(かす)が、すたすたすたすた、すたすたすたすたによって、ふるい落とされた。
 井の頭公園をすっかり歩いてまわり、自然文化園にも入園して、動物たちにも挨拶。この5月に69歳で死んでしまったアジア象のはな子さんの家にも行ってみた。はな子さんを偲ぶ子どもたちの手紙や絵を眺めたり、花束の山に驚く。
「もう、ここでは象さんは飼育できないらしい」
「象にかわる動物にきてもらえるといいね」
 と云って、ノゾミサンが考える顔になったので、わたしも……。
「誰にきてもらおうか?」
 パンダ。ゴリラ。ゴジラ。
 あまり現実的とは云えない顔ぶれが、わたしたちの頭の上にふわんふわんと浮かんでは消えていった。さいごにわたしは、自分がはな子さんの運動場にいるのを、動物たちが眺めているところを想像して、ぎくりとした。
 帰りには三鷹駅まで歩き、気持ちのいい食堂で向かいあって昼ごはんを食べる。家に帰って歩数計を見ると、18704歩という数字があった。

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そうなんです、
マルハサン58歳。
また歌いたくなってきました。
Happy Birthday to you!

皆さん、佳い夏を!

毎日がHappy Birthday!

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2016年7月19日 (火)

夏の記憶①(2016年)

7月△日
 鹿児島のジュンチャンから、便りが届いた。
 ビールが注がれ泡の立ったコップを黒猫が見ているイラスト入り。黒猫さんに吹きだしをつけ、ジュンチャンの字で「一緒に飲みたいにゃ」と書いてある。
2月、ついに50歳になりました。このあいだ、ふんちゃんが言ってくれた50歳になったら楽になるということばを支えにして過ごしています」
 そんなこと云ったんだな、わたしは。楽になる……と?
 仕事をしながら、ときどき手をとめ、考えた。楽になるなんてのは、だいぶ不正確で、気休めにもならない云い草ではないか。そんなことをつらつら考えずにはいられなかった。
「ジュンチャン」と書きだして、また考える。
                *
ジュンチャン

 おいしそうなビールの絵のあるお便り、どうもありがとう。ほんとうに、一緒にビール、飲みたいにゃ。
 わたしが50歳になったのは、7年半前のことです。
 人生のページがめくられたなと思いました。ほんとは毎日毎日ページはめくられているのだと思うけども、あのときはめくられたことに、はっきり気がつきました。
 このあいだジュンチャンに会ったとき、50歳から楽になると、わたし、話したんですね。それは、いかにもことば足らず。ゴメンネ。
 何かがしきりに降ってきます。
 日日降ってくるものに気づくこと。
 そしてそのひとつひとつとやわらかいこころ(柔軟ということかな)で向き合うこと。向き合うことが宿命であり、それこそが人生の意味、人生の楽しみであると理解すること。
 という覚悟をすると楽になる。それを信じて暮らしていきたいです。
                             ふみこより

7月△▽日

 ひと月ほど前に、片づけをしていたときに、その生地をみつけた。
 忘れていたわけではない。いつかこれで、スカートかパンツを縫おうという計画とともに、大事にしまっておいたのだ。だが、大事にし過ぎて、生地はこの4年ほどのあいだ、忘れられたも同然の思いをさせた。……許してね。
 サルエルパンツ(わたしはへんてこなかたちの洋服が好みだ)を縫おうと決めて、その日のうちに直線縫いの服の縫い方ばかりがならんでいる本を見ながら、型紙をつくった。
 そうして本日を迎えた。
 本日日曜日。仕事の締切もなく、出かける予定も持たなかったので目の前に生地をひろげ、その上に型紙を置いた。テレビをつけると、片岡鶴太郎演じる刑事が活躍するドラマ「終着駅シリーズ」(原作は森村誠一の著作『牛尾刑事・事件簿』シリーズ)がはじまるところだった。なかなかに渋い刑事だが、妻(岡江久美子)との暮らしに情緒があり、そのやりとりには何とも云えないやさしさが醸される。これはまちがいなくドラマの見所だ。妻のことばにはその上、事件解決のヒントが隠されている。
 よし、このドラマがおわるまでに布を裁ち、縫い上げてしまおう。持ち時間2時間弱。直線縫いとは云え、久しぶりの裁縫だ。サスペンスドラマというのは、そこに漂う緊迫感につり込まれて作業がはかどるという意味合いで、〈ながらしごと〉にぴったりだ。ドラマに対して申しわけないのかもしれないが、時としてそんなふうに寄り添ってもらうことがある。
 サルエルパンツは、でき上がった。ウエストのゴム通しの作業だけが時間外にこぼれてしまったが、それでもまずまず目標は達成できたと云っていいだろう。
 このサルエルパンツには、それを縫っているあいだじゅう耳に触れていたいろいろの会話、とくに主人公の妻が発するやさしいが、明瞭な情感がこもった。

7月△▽△日

 胸に抱いているそれは何か、ですって?
 ふふふ、おしえたげようかな……。

 エム先輩から「渡したいものがあるの」というメールを受けとったのは一昨日のこと。渡したいものって? 何だろう、何だろう。

 前に話題が出た、教育学の本だろうか。
「夏のあいだに、時間をみつけてお読みなさいな」って?
 それだってうれしい。わたしはエム先輩を大好きだから、むずかしい本だってがんばって読むし、渡されるものは何だってうれしがる自信がある。
 ふふふ、でもね、渡されたのはイカ、いか、烏賊ですよ。
 ある日、エム先輩とわたしを含む数人で、烏賊を題材にした水墨画を鑑賞するという場面があった。小学5年生がそれぞれ描く、大きな烏賊が、つまり群れになって体育館に飾られていたのである。迫力ある大群であり、じつに……活きがよく、おいしそうだった。
 思わず口をついて出た。
「わたし、烏賊が大好きなんです」
 誰も聞いていないようだったが、エム先輩だけは聞いていて、しかも、おぼえていてくださったらしい。そうして、このたびエム先輩からわたしは、烏賊を受けとったのだ。ただの烏賊じゃない。京粕漬け「魚久(うおきゅう)」のいかげそ。東京池袋の百貨店に開店と同時にならんで、もとめてくださったという。となり街の道の上でそれを受けとるなり、感激のあまり包みを胸に抱きしめた。
 その日から本日まで、わたしはいつになく勤勉に日を送った。そうでもしなければ、このありがたいいかげそをとても食べられないと思ったからだった。これを書いたら、台所に立ってゆき、焼くつもりだ。
 それはともかく、好物についてつぶやいておくのにかぎる。
 こんな感想を書くわたしに、いったい、いかげそを食べる資格があるだろうか。

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恥ずかしながら……
縫い上がったこれがサルエルパンツです。

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2016年7月12日 (火)

折り鶴と七夕と

 七夕までの数日のあいだにも、ささやかな記憶が積まれた。
 まずは、七夕の飾り方。
 ふと思いついて、ことしは〈ねがいごと〉を短冊ではなく、折り鶴に書いてもらって枝笹に下げることにした。子どもたちが幼い日には、「50メートル泳げるようになりますように」とか、「朝顔がいっぱい咲きますように」とか、微笑ましい〈ねがいごと〉が短冊の上で揺れていたものだったが……。そんな時代は過ぎたのだ。それで折り鶴を思いついた。
「ことしもねがいごとを3つ書いてね。この色紙に。そしてさ、鶴のかたちに折ったら、ねがいごとが隠れるでしょう? もう、七夕明日だからね、きょうのうちに書いてちょうだい」
 三女にもそう告げたが、七夕当日になっても、鶴はなかった。それでも朝、書きなぐるようにして〈ねがいごと〉らしきことを記したらしい。三角に二度折るところまでの、折りだしの鶴が食卓に3つならんだ。
 夫は、早早(そうそう)に書いて、「折ってくれるかな」と云って色紙を差しだした。見れば〈ねがいごと〉が色紙のおもてに黒黒と書かれている。〈ねがいごと〉を秘めようという思いはこのひとには通じなかった。
 1枚には「映画『三里塚のイカロス』(※)が無事完成し、全国で上映されますように」と書いてある。
 自分の分も書いて、さあ折り鶴を、と思って折りだしたはいいが、どうもかたちよくゆかない。おなかがきれいにふくらまない。「そこがちがう」と助け舟をだしたのが二女で、かたちのいい鶴ができてゆく。わたしは折り方から、糸で鶴を枝笹に吊るす下げ方の役にまわった。
 当日は、ひとり暮らしをしている長女も顔を出したので、また二女が鶴を3羽折り、わたしがそれを笹に吊るした。
 七夕の夜が明け、鶴の下がった枝笹を眺めとつぜん、忘れかけていた遠い日の記憶がよみがえった。それを、三女になり代わって書いてみたくなった。

              *****


 7月最初の日、夜、大学から帰ると、玄関フロアの隅っこに枝笹が立っていた。父か母が、どこからかさがしてきたのだろう。買ったのではないな。どこかの誰かから譲ってもらってきたのじゃないか。

 あのひとたちは、こういうものを買ったりしない。

 幼い日、母とふたりで散歩していたときのことだ。

 母はぶらぶら歩こうね、と云い、アタシはぶらぶらってどうやるんだろうと思いながら、歩いた。持っていたかごバッグが空中ブランコみたいに揺れるほど、両手を大きく前後に動かしながら母は歩をすすめていた。
「早いよ、待って」
 そうなのだ、母はぶらぶらだろうと、てくてくだろうと、歩くのが早い。それはいまも同じで、ふたりの姉たちもアタシも「早いよ、待って」というのがならいだ。歩幅が広いのか、せっかちなのか、ともかくゆっくり歩けない質(たち)なのだ。
「早いよ、待って」
 あの日もアタシは口をとがらせたのだったが、いまなら「そんなに早く歩いたら、ぶらぶらとは云えません」と指摘できる。
 早足ぶらぶらで行く母に遅れてやっとのことで追いつくと、母は立ち止まって、何かをじっとみつめている。その目の先には、板塀越しの庭に揺れる、笹の群れがある。アタシに向かって「ね、この笹ほしいね」と云った。
「七夕さまの笹に、ほしいわ」
 決心したようにつぶやくと、母はいきなり「あのう」と声を張りあげた。
「あのう、お願い申しますー」
 どうやら、しゃがんで草むしりをしていたらしい男のひとの背中に向かって叫んでいるのだ。一度では気づいてもらえず、もう一度。
「あのう、お願い申しますー。笹をー、ひと枝いただけませんでしょうかー」
「ああ、うちの笹をかね」
 草むしりの男のひとが振りむいて、板塀に近づいてきた。おじいさんと云ってもいいかな、それともおじさんかな、というふうにアタシには見えた。
「七夕さまの笹をさがしておりました。こちらのをひと枝分けていただけないでしょうか」
 こういうときの母はじつにていねいで、やさしい。鍋のふたを振りあげて父をおどしたり、電話中「静かにしなさい」と目で云いながらアタシたちに向かってそこらのモノを投げたりするひとと、同人物とは……とても思えない。
「そうか、七夕が近いんだね。お嬢ちゃんも、願いごとを書いて吊るすんかな」
「はい、吊るします。おじさん(アタシは、知らないひとを呼ぶときは「おじさん」どまり。ともかく「おじいさん」と呼んではだめ、とおしえられていた)も、吊るしますか?」
「いやあ、もう何年も吊るしとらんなあ」と彼方を見る目になったけれども、すぐとアタシを見下ろした。
「何本でも切ってあげるよ」
 おじさんは「はさみ、はさみ」と口のなかで云いながらうしろ向きになると、小走りで庭の奥のほうに行ってしまった。そこにはに物置小屋がひっそりと建っていた。引き戸が開くと、暗い物置小屋のなかが、だんだん見えてきた。遠目にも庭仕事の道具やかご、ほうきなんかが行儀よくならんでいるのがわかった。大きな麦わら帽子が壁にかかっていた。
 なんていいんだろう……と、思った。
 おじさんは、手にしたごついはさみで枝笹を5本ほども切ってくれた。それを垣根越しに渡そうとするおじさんに、母は「お礼にちょっと草むしりをお手伝いします」と云ってお辞儀をした。
「……そんなにしてもらわなくても、笹くらいのことで」
「でも、ちょっとだけ。あなたもね、ね」
 母は、わたしの顔を覗きこんだ。
 これはあとから母に云われて知ったのだが、こういう場面で、子どもというのはじつに頼りになるのだそうだ。そも、枝笹をくださいと云ったりすることも、母ひとりではそう簡単にはできないが、子どもの存在というちからを借りればするりとできてしまう。と、いうことらしいのだ。
「ね、」と促されたら「いやだ」とも云えず、アタシは「うんうん」とうなずいて見せた。こうして、母とアタシは30分ほども、草むしりをした。昔は農家だったという名残のある庭で、草を抜いたり、渡されたスコップで掘るようにしたり、だんだんおもしろくなってきたところで、「そこまで」とおじさんが立ち上がった。
「ありがとう。はかがいったよ、おかげでね」
 母も立ち上がり、母屋の陰の流しでアタシの手と自分のを洗うと、枝笹を花束のように抱え、かごバッグを持ちあげた。
「あいにくひとりで何もできんが」と云いながら、おじさんは庭の隅の畑のなすときゅうりを、さっきのごついはさみで切りとった。母はかごバッグのなかから、さかなをとるときの網みたいな提げ袋を出して、そこになすときゅうりを受けた。
「どうもありがとうございます」とアタシ。
「こちらこそ、ありがとうございました」これは、おじさん。
 それから、何度かおじさんとは垣根越しに会ったし、母が姉のどちらかと枝笹をもらってきた年もあったが、いつしか、そういうことがなくなった。おじさんはここではないどこかへ行ってしまったのかもしれないが、母もそれらしいことは云わない。他にも、そういう縁(えにし)を少なからず持っていたからでもある。アタシはあのころ、一生に一度か二度限りの縁の大切さ、おもしろさを知ったのだ。そんな縁のせつなさを、辛さとごっちゃにしてはいけないということも。

 ところで、ことしの七夕だが、わたしはものすごく忙しかったので、手渡された色紙3枚を、ぞんざいに扱ってしまった。1枚には「しあわせになりたい」なんて、走り書きをした。それじゃああんまりな気がして2枚目に「平和」と書いた。3枚目は内緒です。

Photo

七夕の折り鶴。

※『
三里塚のイカロス』
 ドキュメンタリー映画『三里塚に生きる』の第2弾、
 『三里塚のイカロス』がもうすぐ完成します。
 夫・代島治彦監督作品の映画です。
 代島にはブログの写真を毎回撮影してもらっているので、
 たまには恩返しをと思って、皆さまにもお知らせし、
 ご支援をお願いすることといたしました。
 どうぞよろしくお願い申し上げます。

◎『三里塚のイカロス』製作費ご支援をお願いする
クラウドファンディング開催中!(MotionGalleryサイト

https://motion-gallery.net/projects/sanrizuka02

 

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2016年7月 5日 (火)

しゃあないけれども

 京都へ短い旅をした。
 仕事だったが、旅情があふれて、出張とも視察とも呼び難いものが残った。

 6月もおわろうというその日、京都駅に降り立つなり、むっとした湿り気を含んだ熱風に包まれた。

 京都の夏だ。
 街は、どこもかしこも外国人でいっぱいで、日本語を話しているのは自分たちだけなのではないかと思うほどだ。聞こえてきた北京語(たぶん)、広東語(たぶん)、ハングル、英語、フランス語を耳のなかでかき混ぜながら地下鉄の乗客になり、三条駅で降りて地上へ。
 京都市役所。
 なんと古びた、趣のある建物だろう。昭和2年(1927年)生まれだそうだ。
「素敵です、あなた様」
 京都市役所は目的地のひとつでもあったので、なかに入ってさらに驚かされた。一瞬、洞窟のなかをすすむような錯覚にとらわれる。薄暗い役所内には気高いものが漂っている。驚き以上になつかしさやら、うらやましさやらがあとからあとから湧いてくる。
 これが京都の魂であろうかと思われるが、だとしたら、わたしのフラットな、いやフラット過ぎる感覚では追いつけない……。追いつけないのは仕方ないとしても……、このたびの京都行きが決まったとき、わたしは自分に京都の街の佇まい、ひとの佇まいへの無理解を禁じた。
「京都は、決してよそ者を受け入れない地域だ」
「京都のひとから本音など聞けるものではない」
 そんなことを思うこともあるのだ、わたしは。
 まっすぐに学んだこと、向き合ったこともない、というのに等しいのにさ。「京都は、」という決めつけ、「京都のひとは、」という断定は、京都への無理解の入口をつくる。
 入口と云えば、市役所の部屋部屋の入口のそこここには、暖簾(のれん)がかけられている。片手で入口のノブをまわしながら、もう片方の手で暖簾を上げてくぐるようにして室内へ。その仕草を目の当たりにし、またしても、なんて雅(みやび)と、驚かされる。
「素敵です、あなた様方」

 この旅のあいだに京都でたくさんのひとに出会った。そのうちの
4人からは、おはなしを聞き、こちらの意見を聞いていただいた。4人のなかのひとりは、「じつはわたしは大阪出身」というひとであったけれども、長く京都で仕事をしてきたという点において、京都を知る(京都に知られる)人物と考えていいだろうと思う。勝手にそう判断す。
 4人のひとから共通に受けとったものは、柔軟性であった。
 京ことば及び関西ことばのやわらかさも、その柔軟性を伝えるに十分過ぎるほどのちからを持っていた。東京弁はきつい。ほんとうはね、東京に暮らし、東京弁を話すようになった人びとには、人情がある。ほら、そこのあなた! 疑わしいお顔をなさいましたね。ほんとうですとも。けれども、東京弁は語尾がわるい。
 ついつい、〜です。〜だ。〜なのだ。なんて、いう云い方になってしまう。まるで、そうと決まったような口調である。
 ところが、これは関西方面にかぎったことではないが、たとえば「仕方ない」というのを、札幌のひとはどう云うか。
「しゃーないっしょやー」(男性は語尾がちょっと変わるかな)
 京都・大阪「しゃあない」
 博多「しょんない」
 沖縄「ちゃーならん」

 わたし(一応東京代表)はこう云う。

「仕方ないなー」
 もっとあらたまったなら、
「仕方ありません」と云う。
 少しくだけたなら、
「しょうがないなー」ですけれども。
 ものすごく仕方ない感じだ。

 このたび京都で会ったひとは、誰も彼も、仕方ない〈現実〉を認めるひとであった。それでもあきらめず、柔軟に考えてゆくひとたちであった。しゃあないけれども、あきらめない。しゃあないけれども、進んでみましょうとね。

 京都の夏はほんとうに暑かったけれども、風が吹いた。凝りかたまった頭のなかを、すううっと風が通った。
 鱧もいただきました。

Photo

さあ、七夕です。
ここへ、短冊を下げます。
短冊はひとり3枚。
多過ぎると、自分のねがいがはっきりわからなくなるので、
3枚と決めています。

皆さんにも3枚。

ねがいごとを3つ、考えてくださいね。

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