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2016年8月の投稿

2016年8月30日 (火)

夏の記憶 結び(2016年) 何もなかったようでいて

 読み返して笑った。
 夏のあいだは、ほら、暑いし、暑いし……、暑い上に「夏休み」なんてことばもあるくらいだから、少し怠けようという気持ちが働いていた。それでブログも日記風に書いたら楽ができるような気がして、「7月△日」と書きはじめた。
 もう8月も終わりだし、日記ももうおわりしないと……と思って「夏の記憶①②③④⑤⑥」読み返したのだったが、あらま、いつもよりたくさん書いている。
 そうして、くくく、くくくと笑ったんです。

 比較的静かな夏だった。

 何もなかったわけではないけれど、友だちとのこと(友だちの入院もあった。無事退院し、にこにこしています)、縫いものやペンキ塗り、そんなこと中心の日日だった。旅はなかった。いちばん遠くは、長谷川町子美術館のある世田谷区桜新町か、築地か。東京都を一歩も出なかった。家では、けっこう仕事もした。
 という夏だったが、いま、こんなふうに思っている。
 数か月たったとき、あれはすごい夏だった、と思いだすかもしれない、と。何もなかったようでいて、水面下では何かが動きだしており、この夏は、わたしが見たこともない場所に運ばれてゆく扉かもしれない。
 これはちょっとした予感。

 今夏、何もなかったような気がすると思っているアナタ、アナタも扉の前に立っているのかもしれない。

Photo

この夏は、家のしごとをうんとたのしみました。
台所にいた時間も長く、そのことはそうとうに
わたしを活性化しました。
めずらしいさかなや野菜が訪れました。
これは近所に住む若い友だちの釣果のおすそ分けです。
御蔵島(みくらじま/東京都)で釣り上げた
アカハタ。
全長40 cmちょっとありました。

ありがとうありがとう。
Photo_2

煮つけにし、うちにあるいちばん大きな皿(42cm)
でん、と盛りつけました。
いんげん、豆腐は、アカハタを煮たあと、
煮汁で煮ました。
さかなを煮つけた汁は、宝だ!とあらためて思ったことです。

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2016年8月23日 (火)

夏の記憶 ⑥(2016年)

8月△日
 長女梓とひとつ机を半分こして使うようになって、4か月。
 正直なはなし、このひとから拙宅を仕事場として通ってこようと思うが、と持ちかけられたとき、やれやれと思った。2階と1階に分かれているとはいえ、ひとつ屋根の下に夫とわたしが仕事をする家だ。この上、もうひとり仕事人が加わるなんて、ごめんだーと思った。

 しかし、まあ、仕方ない。

 そう思いついたのなら、うまくゆくかどうかやってみよ。

 そのスタイルではじめてみると、お互いに取材や打合せほか、外での仕事も少なくはないから、顔を合わせるのは平均すると週に3日ほどであり、さらにはならんで机に向かう時間となると、ほんのわずかな機会だった。

 玄関の扉があいてひとが入ってくる気配に、「あ、やってきた!」と、からだを強張(こわば)らせたのも、はじめの2回ばかりのことで、3回目には馴れていた。
 馴れて、梓を子としてでなく、ひとりの後輩として眺めることができるようになっていた。この後輩は仕事人としての自分と、子としての自分のちがいをはっきりさせており、通勤のときはすっかりビジネスライクな出立(いでた)ちでやってくる。
 ああ、きょうは仕事人だなとわかると、こちらも安心して仕事モードに入れる。勤めを辞めて〈独立〉するという道筋は、自分も通ってきた道だが、観察すると、わたしのときとはだいぶちがっている。女性の社会進出が自然になった時代背景もあるのかもしれないが、当時のわたしよりも梓はたくましく、〈独立〉への理解がすすんでいるように見える。
「まず、わたしがたのしんでないと」
「まず、わたしが意義を感じてないと」
 梓のこのつぶやきはつい先日のもので、ははあ、例の「渋谷区総合防災訓練」のことだなと察しがついた。少し前にこの訓練いや、“フェス”の運営事務局で広報を担当しているとか何とか話していた。
 東京都渋谷区の防災訓練を、だれもが参加できるフェスにする試みについて聞かされたとき、若き日の自分のなかには持ち得なかった広がりと、仲間との協調を感じて、うらやましくなったものだ。職種も、わたしのと重なる部分はあっても、ぐっと立体的で、ひととひと? 何かと何か?をつなげる橋みたいな仕事のように思える。
 となりにいて、仕事に対する思い、気力の立ち上げを鼓舞(こぶ)するような独り言を聞かされると、ちょっと焦る。ひとりで勝手に気を入れたり、また勝手に抜いたりしながら、端から片づけてゆけば辻褄が合うわたしの仕事とは、どうやらちがうみたいだなーと、感じるのである。
 当日参加OK! 誰でも参加OK! という「SHIBUYA BOSAI FES 2016(渋谷区総合防災訓練)」(*)をこっそり覗きに行ってみようか。

SHIBUYA BOSAI FES 2016(渋谷区総合防災訓練)
 2016年9月4日(日)10001800(予定)
 代々木公園イベント広場・ケヤキ並木

8月△▽日

 漫画家長谷川町子について書きたいと思い、図書館で資料を探したり、評伝を拾い読みしたりしていたのだが、何だか知らなくていいことばかりが流れこんでくるようで落ちつかない。
 そうだ、そんなことより……と気づいて、『サザエさん』(朝日文庫全45巻/朝日新聞社)を読みはじめた。
 これまで何の気なしに(4コマ漫画を)読んだり、(日曜夕方のアニメを)観たりしていたが、身を入れて向きあうと、これまで見逃していたサザエさんというひとの佇まいが迫ってくるようだ。家庭生活への揺るぎない思い、そそっかしさや、日常的な欲望といったものの深部に底流する慈愛。
 サザエさんは、これからの時代に、これまで以上に存在価値を発揮するのではないだろうか……。サザエさん自身にも、生みの親である長谷川町子にも、それほどの企てはなかっただろうけれど。そんなことを考えるなか、「長谷川町子美術館」に行くことを思いついた。30歳代のはじめごろに訪ね、その後もう一度足を運んだ記憶があるが、ともかく、久しぶりのことだ。ひとりで行こうと思った。
 終戦の翌年(1946年/昭和21年)から28年間分の物語を淡淡と読んできた、その感覚を守りながらひとりで。
 渋谷から田園都市線に乗り、目的の駅で降りると、駅名の「桜新町」の表示の下に〈長谷川町子美術館前〉とある。西口から地上に上がると、目の前にサザエさん一家の銅像がならんで出迎えてくれた。
「サザエさん通り」なる道を歩くこと6、7分。長谷川町子美術館は、夏休みのさなか、家族連れが訪れていて、にぎやかだった。子どもたちに混ざって、ひとり訪れたおばさんは、サザエさん一家の暮らすあさひが丘に家を建てるイベントに挑む。白い紙でつくられたちっちゃな家(2cmほどの立方体/三角屋根とまる型屋根の2種類あり)に絵を描く。玄関や窓を描いたり、壁や屋根に色を塗ることができるのだ。それを、すでに来館者がつくった無数の家の建ちならぶ紙製の町に貼りつけてもらう(**写真説明の欄につづく)。
 その後は、館内の「サザエさん」原画の展示に引きこまれ、アニメの「サザエさん」の放送をくり返しみつめ、ひとり静かに時を過ごした。
 サザエさんとの出会いが、この人生に少なからぬ影響を与えていたことを噛みしめつつ美術館をあとにする。

 サザエさん、わたしはときどき、子どもたちから「サザエさんみたいだ」と云われることがあるんです。アナタほどそそっかしくはないつもりだけれど……、アナタのように純粋でありたい、アナタのように慈(いつく)しみ深くありたいわ、わたし。

Photo
いいでしょう?
これが美術館でもらった「あさひが丘分譲権利証」
2016年度)です。
第三次分譲とのことで、第一次、第二次の町は、
美術館の壁に飾ってありました。
わたしは自分の家の屋根に、青と赤のサインペンを使って、
縞と水玉の模様、それに「ふ」の字を描きました。
あさひが丘駅前の土地(1丁目4番地)が当たって、
そこに貼りつけてもらったのです。
どなたか、もしも(長谷川町子美術館に)行かれたら、
探してみてください。

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2016年8月16日 (火)

夏の記憶⑤(2016年)

8月△日
 晴天に背中を押されるように、洗濯に精を出している。
 箪笥(たんす)から、押し入れから、あれこれ引っぱりだしてまで、洗っている。大物はしばらく洗濯していなかったざっくり織ったテーブルクロスやベッドカヴァ、小物はランチョンマット、白地に白い刺繍のコースターなど。
 洗ってもらいたそうな布をみつけると、うれしくなる。
「よしよし、洗ったげるよ」
 そうして洗濯機のもとへ行き、洗い方、水量などをセットしながら、自画自賛する。
「よしよし、アナタはよく働くねえ」
 しかし、考えてみれば、わたしは洗うものを探しだして、洗濯機によろしく頼んでいるだけであるとも云える。ベル音に呼ばれてはじめて洗い上がりを知り、「できたできた」と手をすり合わせて駆けつける。長年使ってきた浅い大籠に〈洗って〉〈脱水〉を終えた衣類布類を山と積み、揚揚として〈干し〉にかかる。干し方に密かな約束と、工夫をこらすのもたのしみのうちで、それを、庭先と2階の干場に振り分ける。
 昔の洗濯はこんなではない。
 まず、水がちがう。井戸のもとに盥(たらい)に入れた洗濯物を運び、そこにしゃがんでごしごしやる。折しもこの夏、昭和22年(1947年)の「サザエさん」(『サザエさん2』朝日新聞社)を読んでいたら、こんな場面が出てきた。
 帽子とコートにステッキという身なりのいい口髭(くちひげ)の紳士が、とある「賣家」を見にやってきた。着物に黒い前掛けをつけた周旋屋(しゅうせんや/売買の仲立ち)が、「ガスすいどうつきで四十万円です」と云い、さらに家の前まで案内する。
「いど(井戸)はおとなりと共同で……」
 井戸の前には、大盥で洗濯をする女性の姿あり。おぶい紐でタラちゃんを背負ったサザエさんだ。踊るような恰好で洗濯しながら、大きな口を開けて「とーおきょヴギウギ」*と歌っている。
 紳士は残念そうに「てごろな家だが、かんきょうが……」とつぶやいで去ってゆく。
 そうだ、かつて井戸はこのようにたいてい共同で使われていた。暑い日も寒い日も外(おもて)で、しかも人目のあるなか洗いものをしなければならず、手でごしごし、ごしごし(足で踏むことはあったかもしれない)、相当な重労働だ。このときのサザエさんに、いまの電気洗濯機や、洗剤を使わせてあげたなら、どんなにびっくりするだろう。
 洗濯機任せ、洗剤頼りの洗濯を自分の手柄のように思うのは、浅はかであった。もっと大事なのは、わたしには洗濯の水も、干しものを乾かす日光もつくれないという点だ。それを忘れてうかれていたのは、恥じ入るばかり。
 だが、謹んで申し上げるが、仕事や雑事がやけに立て込んでいるこの夏、洗濯にはおおいに救われている。

東京ブギウギ
 1948年発表の大ヒット曲。服部良一作曲、笠置シヅ子歌。

8月△▽日

 この夏、友人が、ある手術に立ち向かうこととなった。
 いつも元気なひとからそのはなしを打ち明けられたとき、表情を曇らせまいと顔に力を入れながら、こころはぐわんぐわんと動揺した。
 できることがあったら何でもすると、興奮とともに告げたのだが、できることって何だろうか……。そう口にしながら、じつにじつに心もとなかった。ひとつの出番もみつけられぬまま、友人の試練は終着するのではないか。
 もちろん、試練の終着はのぞむところだ。友人のはなしによると、このたびの治療計画ははっきりしており、見通しも明るい。だが、何と云っても病は病であり、手術は手術であり、術後や病後に待ち受けているものについては、心眼を凝らさなければならない。そのような道のりの上で、出番をひとつもみつけられないまま、おたおたしている自分を想像して、げんなりする。
 そも、わたしは、ここぞというときに役に立てない人間なのではあるまいか。そう云えば、父を見送ったときもそうだ。その死があまりに呆気ないものであったとは云え、虫の知らせもなく、日頃の孝行も足らなく……、まったくもってわたしにはいいところがなかった……。父の死後、生まれて初めてひとり暮らしをはじめた母の支えもじゅうぶんと云えないまま、母は現在、入院の身となっている。元気であるとは云え、80歳代も半ばに近づいた義父(ちち)と義母(はは)のことだって……。娘としても友としても、なんだか甲斐性のないわたしだ。あれこれ思いめぐらしたりしているうちに、どんどん行き暮れた気持ちになってゆく。
 そんなとき、くだんの友人があっけらかんとこう云ったのだ。
「手術が成功しても、しばらくは自由にものを食べられなくなるから、入院前においしいものを食べたい。好きな中華料理をKちゃん、ふみこさんとご一緒しましょう。そうしてもらうのが、いちばんの励まし」
 とうとうその日がやってきて、友人が予約してくれた店にちょっとおしゃれして出かけた。8月としてはぴんと空気が張りつめた夜だった。闇に静かに切り裂くように、涼風が吹いている。中華料理店の個室に友人、Kちゃんと3人で腰をおろし、手渡された菜単(メニュー)を開いた。
 小菜盛り合わせ、蟹肉と蟹の卵入りスープ、浅野豚の黒酢スブタを友人が頼み、応援団のKちゃんとわたしで、天然海老と季節野菜の炒め(塩味)、帆立と季節野菜の炒め(辛子)、牛肉の味噌炒め・クレープ添え、海鮮の醤油味おこげを選ぶ。つぎつぎと食べてゆくうち、胃があたたかくなったためだろうか、気が大きくなってきた。こういうかたちで友を応援する。それもひとつの道だと思えてきたのである。
 翌日、友人からメールが届く。
「入院しました。窓際ですばらしい眺め。昼食を食べましたが、マズイ! おふたりとおいしい中華料理を食べてよかった! 明日午前中内視鏡手術を受けます」

Photo

きゅうちゃん漬け、完成しました。
合わせ調味料も、4回ほども
きゅうりなしで煮立てなければならず、
手間はかかりましたが、やったー!という気分です。
きゅうりを育てたちちとははに渡せたことが、

何よりうれしかったです。

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熊谷で収穫した大西瓜。
となりの蚊とリ線香と比べてみてください。
大きいけれど、じつに美味しかったんです!

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2016年8月 9日 (火)

夏の記憶④(2016年)

8月△日
 札幌の友だちから、便り。
 大封筒のなかに、便りのほか、1冊の本がある。
『植物エネルギー 北海道医療大学の森』(堀田清・野口由香里/植物エネルギー)。
 眺めているだけでうっとりするような植物の写真と、日付のある記録(日記)で構成される本だ。
 書名にもなっている北海道医療大学の森とは何か。
 北海道石狩郡当別町にその裏山はある。クマイザサが繁茂し、荒れ果てていた森を復活させるべく「北方系生態観察園の里山化研究」がスタートした。著者のひとり堀田清(ほりたきよし)氏によれば、「公的研究費はゼロ。方法は剪定バサミで一本一本クマイザサの根切りをし、その後に現れる植物を観察して行くだけです」
 そんな研究がはじまってから19年めのことし、この本が誕生した(研究開始から10年めに刊行された前作の全面改訂版)。さて現在、森はどうなっているかというと、多くの協力者が手弁当で継続的にクマイザサ刈りを行ったことにより、さまざまな植物が出現したという。植物の出現に伴い、野鳥、エゾリス、シマリス、エゾモモンガといった小動物がふえつづけている。
「地球上に生きる全ての植物たちこそ、地球の元気そのものであり、漢方における最も大切な『気』そのものであると思っています」
 とまえがきにあるのを読んで、植物という存在をどう表現したらいいかといったら、こうだとつくづく感心した。
 本には、これを贈ってくれた友人によって、付箋がひとつつけられている。「蝦夷延胡索(エゾエンゴサク)」のページ。見て見て、という思いがあふれている。
「4/25 待ちに待った雪解けの森に先陣を切って、爽やかな青〜青紫色のお花を咲かせるエゾエンゴサク。(中略)エゾエンゴサクには小さな花が集まっていますが、ひとつひとつの花(中略)を良く見てみてください。グリム童話の白雪姫に出てくる、豊かなあごひげを蓄えた七人の小人さんの顔に見えてきませんか。マクロレンズで覗き込んで、思わず大笑いしてしまったのでした」
 物語のような説明のとなりのページには、11個の小さな花のあつまるエゾエンゴサクの写真が……。ほんとうにほんとに、11人の小人さん! ひとりひとりが青紫の帽子と同じ色の衿をつけている。先がちょっとまるくなった高い鼻と白髭を持ち、みんなたのしげに笑っている(もしくは歌っている)。
 この写真を見て、いきなりしあわせな気持ちになった。
 この本を、きょうは連れて出かけることにした。本日、市役所で午前中にひとつ、午後にひとつ会議の予定が入っており、できるだけたくさんのひとにこの写真を見せたいと思いついたというわけだった。
 教育課の「教育推進室」で4人、教育長室で4人、廊下ですれ違った友人3人に見せることができた。そのたび、「わあっ」と、「まあ、素敵」と歓声をあがった。植物の「気」が皆さんに伝わったのだと信じたい。
 会議のあと、急いで小学校に帰ってしまわれたS校長せんせいにも見せてさしあげたかった。またつぎの機会に。

8月△▽日

 机に向かってばかりいられやしないや!
 そう思って、いや、呟きもして、机をはなれる。8月に入ってから、玄関フロアのペンキ塗りをしたり、庭の草むしりをしたり、山茶花(さざんか)の枝払いをしたり、大繕いものをしたり。
 おそらく、これは夏休みのイメージがさせるもので、わたしとしたら、自由研究に取り組むようなつもりなのだ。みずからのなかに棲みついた子ども時代の夏休みの記憶が、「机に向かってばかりいられやしないや!」という気にさせる。こんな年になっても。
 きょうはきょうとて、きゅうり3キロを相手に「きゅうちゃん漬け」に挑戦している。寸胴鍋に湯を沸かし、そこにへたをとったきゅうりを入れる(火は止める)。湯が冷めたら、きゅうりだけをとり出して、その湯をそのまま沸かし、そこへきゅうりをもどす。これを3回くり返すので、けっこう時間がかかる。
 このあと、とうとうきゅうりをとり出して、厚さ57mmくらいに切ることになっていて、そこがいちばんたのしみな作業なのだが、道は遠い。
 なんだか眠たくなってきたから、明日に持ち越すことになりそうだ。

8月△▽△日

 天皇陛下の「お気持ち」が語られる映像に、計七回テレビで接す。
 わたしはきょうのことを、きっと死ぬまで忘れないだろう。

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わたしの好きなもののひとつです。
ヤングコーン。
長いこと、ミニサイズの品種のものだと
思っていたのですが、とうもろこしの赤ちゃんなのでした。
ひとつの株に2本ならせるため、3本目以上は摘果する……
それがヤングコーンだそうです。
とうもろこしにはならなかったアナタ、

大事にいただきます。
Photo_2

熱湯に浸ける(3回)ところまでの
行程を終えたきゅうりたち。
作業はつづきます。

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2016年8月 2日 (火)

夏の記憶③(2016年)

7月△日
「東京駅行きの終電を逃しちゃったー。武蔵小金井駅行きの電車はまだあるので、それに乗り、駅からは……、歩いて帰ります」
 というメールが末娘から届く。
 すでに日付が変わっており、いったい帰宅は何時になるのだろうと気を揉んでいた矢先のことだった。
 この春大学生になった末娘は、ダンスサークルに入って、わたしたちをびっくりさせた。自分でも思いがけないことに挑戦したかった、そうである。どうやら練習のあと、お腹がすき過ぎて仲間と何か食べていて終電を逃したらしい。
「何時だと思ってるの。昔わたしの帰りがこんな時間になったら、父にも母にもどんなに叱られたことか。二度と家から出してもらえなかったかもしれないよ!」
 これは思っただけで、口にはしなかった。
 こちらの思いは通じていると信じることにしたからだ。
 武蔵小金井は、中央線の最寄り駅から下ること3つ先の駅で、1時間20分くらい歩けば家にたどり着く距離だ。昼間ならどうということもないけれど、深夜18歳女子を歩かせるのは、やはり心配だ。
 そのとき家にいたのはクルマの運転資格を持たない二女とわたしのふたりだけであった。ふたりで顔を見合わせて、「行きますか」と同時に云って立ち上がる。自転車にまたがり、びゅんびゅん飛ばす。このところ徒(かち)に気持ちが向いており、自転車には無沙汰を重ねていたし、ペダルの回転数を上げることなどは、もっともっと久しぶりだった。かつてはひとたび自転車にまたがれば、娘たちから「ジェット婆(ばばあ)」と怖れられたわたしだが……。

 あれは、
2013年、武蔵野市の教育委員に就任してから半年が過ぎようとしていたころのこと。
 吉祥寺南町にある第三小学校をあとにして、自転車で五日市街道を三鷹方面に向かって走りはじめたとき、彼方から早漕ぎの自転車がこちらに向かってくるのが目に入った。
 同時期委員に就任したK氏であった。
Kせんせーい」
 どうやらK氏はこれから第三小学校に向かうらしい。
「山本さん、ハイスピード」
Kせんせいこそ」
 こうして自転車にまたがったまま、ふたりで吹きだした。
「わたくしども教育委員でございますから、もうちょっとおとなしく自転車に乗るのがよさそうですね」
「あはは、ほんとうに。いまも、青信号が点滅し、さいごは赤信号になっていたのに、無理無理(横断歩道を)渡ってしまいました。いかんですな」
「では、少なくとも、青信号点滅では道路を横断しないことを、ふたりでこっそり誓いましょう」
 それから、すこうし道の上で気をつけるようになった。
 あまり学校が好きでなく、すぐに家に帰りたくなるという子ども時代を持っていること、いまの学校で、子どももせんせい方もこれ以上がんばらなくていいと感じていることなど、いくつか密やかな共通点をわたしたちは持っていた。その後、事情があってK氏は委員を退かれたが、いまでもその共通点が大きな支えになっている。
 青信号が点滅するのを見るたび、温和で愉快な教養人たるK氏との誓いを思いだす。

 だが、今夜走りはじめた道は、電灯が切り刻んではいるものの、闇の世界だ。

 二女とわたしはペダルの回転数を上げ、青信号の点滅も気づかなかったことにしてぶっ飛ばす。ああ、気持ちがいい。
「ジェット婆、健在だね」
 二女の愛車ビアンキ(Bianchi/イタリアの自転車。二女のはクロスバイク)にわたしのママチャリを引いてもらう。それはつまり風よけができるという意味でもあって、くっついて走ると楽なのだ。

 30分後、武蔵小金井駅前に到着。
 自転車を3人で取りかえっこしながら、乗らないひとりは小走りというゲームみたいな有り様(よう)で帰る。所要時間50分。
 夜空の低い場所に赤い三日月が浮かんでいた。家にたどり着こうとする瞬間、赤い三日月は、にやりと笑った。

7月△▽日

 夫の敷き布団カヴァが裂けている。
 この敷き布団を買ったとき、専用カヴァがちょっと高価であったため、予備ももとめず、洗い替えには苦心させられている。洗濯、となったら、カヴァをはがすより前に上に寝ているひとを引きはがし、朝も早よから洗って干さなければならない。
 分厚い三つ折りたたみのマットレス様式の敷き布団で、朝がきて、布団の役目を終えるなり、マットレスはわたしのとふたつならべて置かれるのだ。ここに、端を縫った厚手の布をかけると、ソファのようになる。だた寸法を合わせて端を縫っただけなのだが、これはわたしの裁縫歴のなかで、もっとも輝かしい作品と云えるかもしれない。
 しかし、そんな自慢話をしている場合ではない。
 敷き布団カヴァが裂けたのだ。
 当初夫はなぜだろう、裂けを隠そうとしたが、そのことに失敗すると、「ぼくが縫うからさー」とか何とか云いながら、カヴァをはずして、大きめのタオルケットを代用している。
 自分の本棚の隅っこに隠すように置いてあるのをみつけて、ひろげてみると、カヴァの裂けはなんと、十文字に大きくなっている。早く申告すれば、ここまでにはならなかったはずなのに、男というものはときどきわけがわからない。
 裁縫道具のひきだしを見ると、カヴァの色と同じアイボリーの細いバイヤステープがあった。こんなふうに、ぴったりなものがみつかると、背中を押されたような気分になるのは、わたしだけだろうか。
 行くぞ。
 食卓にミシンを置き、そこに、大きなカヴァをひろげる。裂けをバイヤステープで塞ぎながら、がーっとミシンをかけてゆく。昨晩は自転車でぶっ飛ばしたが、きょうはきょうとて、ミシンをぶっ飛ばしている。
 痛快! ジェット婆の夏がきた。

Photo_2

これが、ジェット婆の裁縫です。
走りました、カヴァの上をひたすらに。
……ひゅう。

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