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2016年9月の投稿

2016年9月27日 (火)

デルマ

 ダーマトグラフとの出合いは、小学2年のときだった。
 同級生のキノシタさんの家に遊びに行き、そこで使わせてもらった。これまで知っていた世界だけが世界ではない……、そんな気がした。
 描き心地はクレヨンみたいだが、クレヨンではない。姿は色鉛筆のようだが、鉛筆でもない。「ダーマトグラフっていうのよ」と、キノシタさんのお母さんが云い、そうなのか、と思った。
「芯がなくなったらね、ほらこうして軸先の紙を、(軸に付いている)糸で切って巻きとるの。こうして芯を出す仕組み」
 そう云いながら、ダーマトグラフからくるくると紙を巻きとって見せてくれた。
 キノシタさんのお母さんは、いつも鮮やかな色柄薄手の服を着ていて、家で英語をおしえていた。部屋のなかには当時見たこともなかった道具や、食べものがあり、そこにしかない雰囲気があった。
 家に帰ったわたしは、母に外国に行ったみたいだった、と報告した。「外国」というほかに、見てきたことを説明することばを持たなかったのだと思う。ただ、ダーマトグラフのことは話した。夢中で話した。
「あんなの見たことない」
 その年のクリスマスに、サンタクロースから図鑑とダーマトグラフ12色入りの紙箱をもらった。うれしくて跳び上がったが、子どものわたしはダーマトグラフを使いこなせなかった。

 それから歳月が流れてわたしは大人になった。

 好きな男(ひと)ができて、気がつくと憂いや悲しみを胸のなかに宿し、絵に描いたようなシアワセに対する関心を失っていた。そのひとはわたしとダーマトグラフとを再会させたひとでもあった。
(わ、久しぶり……)
 そのひとはオレンジ色のダーマトグラフを持っていて、読書のときにそれを使った。気になる箇所、こころ惹かれる数行、忘れたくないくだりに、線を引く。貸してもらう本には、ところどころにオレンジ色の線が引かれていた。
「デルマっていうんだ」と、そのひとは云い、そうなのか、とわたしは思う。
 その後、そのひとはわたしの前からいなくなってしまったけれど、ダーマトグラフを「デルマ」と呼び、ことにオレンジ色のデルマを頼りにする癖は今日に及んでいる。

 オレンジ色のデルマ。

 こんなようなモノはわたしのまわりに、ほかにもたくさんあると思う。忘れているモノも含めて、それはたくさん。
 オレンジ色のデルマを持って本を読む癖。
 そんなような癖もわたしには、たくさん身についている。どこで身につけたか憶えのない癖も含めて、それはそれはたくさん。
 そんなモノたちを紹介したり、贈ったりしてくれたひととの縁が、この世で切れてしまったように見えても、そこここにほんとうは名残の縁(えにし)が存在する。

 本日、大雨とわたしのあいだに隔たりをつくり、雨音を聴かせてくれた長傘も、どうしてだかいまは会うことのなくなった友人からの贈りものだ。傘をたたむ役目をするバンドには、Fumiko
.Yと刺繍されている。
 これもまた、縁。

Photo

絵を描くときにも使いますが、
オレンジ色のデルマは、とくに活躍します。
読書のときの書きこみ(線)、予定表への書きこみ(レ印)など、
すべてオレンジ色のデルマがしてくれます。
バラ売りもあります。

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2016年9月20日 (火)

アナタったら

 予定表を見返したとき、小さな衝撃が襲った。
 一瞬、くらっとするほどに。

 わたしの〈予定表〉は「◉印◼︎品」の卓上カレンダー(
20×14,5cm)。家ではこれを机の横にかけておき、出かけるときには鞄に入れる。会議・会合、打合せの日程調整、美容院の予約、遊びの計画をという場面でこれをとり出し、決定したところで用件を書きこむ。初めてわたしの〈予定表〉記入を目撃したひとのうち、3人に2人は「あら」とか、「へ?」という顔になる。
「あら」と「へ?」への対応が面倒で、もう少し〈予定表〉らしい……手帖にしようかと思ったこともあるが、結局10年つづいた。
 10冊の〈予定表〉はそのままわたしの日記にもなっており、見返すといろいろのことがわかる。感想なんかひとことも書いていないのだが。

 その日も、そうだった。

 7月、8月、9月と〈予定表〉をめくったら、ぎょっとするほど自分が見えてきて、くらっとした。
 
 アナタったら、そうだったの? 


 修繕と整理ばかりしていた。

 エプロン、前掛け、割烹着をしまうひきだしには、洗っても落ちない白ペンキが模様をつくった赤いエプロンとTシャツがある。これを何度も引っぱりだして身につけ、わたしはこの夏、にわか職人になった。
 玄関フロアの壁、浴室のペンキ塗り。バスケット(本体と蓋部分をつなぐ皮製丁番が劣化)の修繕。道具箱と釘・ネジ箱の整理。あらゆるひきだしの整理。庭の草むしりや樹木の剪定、これは庭での修繕と整理ということになろうか。
 それがどのように〈予定表〉にあらわれているかというと、「◯日玄関ペンキ」、「◉日庭」、「◼︎日道具箱」、「△日切手とシール整理」、「▽日絵はがき整理」という具合だ。しようとすることを書き、実行したらオレンジ色のダーマトグラフ(通称デルマ/紙製の軸を剥がして芯を出す油性の色鉛筆)で「レ」印をつける。実行してから書きこんで、書きこむのと同時に「レ」印をつけることも少なくない。そんなわけで、予定表のみならず日記の役目も果たすことになる。

 修繕と整理への希求。

 ひとつの境地に招かれているかのようだった。
 無駄のない暮らし方をしたい。家や道具に対する愛着をこの手で加えたい、という……。
 あと2年と少しで60歳になるという数字を伴うめあてが、わたしのなかに生まれていたのかもしれない。60歳になり、60歳代を生きることは、わたしにとってはあたらしい詩集を開くようなよろこびだ。
 あたらしい、とは、新作の意味ばかりではない。くり返し、くり返し読んだはずの詩と出合いなおしをする。
 また、自作の詩を朗読するという一面もある。
 見えない誰かに向かって朗読するのである。見えない誰かが、誰であるかなんて、わからない。
 たとえば、わたしの場合。
 死んだ父? そうかもしれない、そうでもあろう。
 天使? そうかもしれない、そうでもあろう。

 詩集を開くことはかなうだろうか。

 かなったなら、うれしい。

Photo

ひと夏働いてくれた扇風機をしまいました。
ところどころ錆びついたところを、
磨き砂(クレンザーです)でこすったり、
目の細かいサンドペーパーでごしごしやって
磨きました。
扇風機が、「おおうれしい。また来年」と
つぶやきましたとさ。

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2016年9月13日 (火)

火曜日の朝

 そろそろ原稿にかからなくちゃ。
 月曜日の予定を終えた夕方からそう考えていたのだが、なかなか机に向かえない。三鷹駅の南側の店で長女と話し、帰宅後ダンスの練習からもどった三女と話し、仕事上がりの二女と話しているうちに、気がつけば午前2時になろうとしている。
 やっとのことで机に向かう。書きはじめようとするが、なんだかうまくゆかない。ことばがみつからないわけではない。
 いまのいままで、娘たちとそれぞれに交わしていた台詞が、あたまのなかにいくつも置かれている。目の前にもあふれ出たことばが浮かんでいる。みずからの口から発せられたものが、おさまる場所をさがしてうろうろしているようでもあり、ことばでない何かに変身してみせようともがいているようでもある。

「だんだん変化してきた感じ。いきなり変化しました、じゃあなくてね。いきなりじゃないけど、まだ止まらない。まだもう少し変化はつづくみたいだな」


「ちやほやされたがってばかりいちゃあね、だめなんだよ」


「それは結局、自分のことだけを考えている云い方だよね」


 こんな台詞たちをつかまえて、何かのはなしに変換させてみようとするが、どうもそれは無理みたいだ。

 こういうときは……、寝るのにかぎる。ただし、仮眠。わたしは居間の床の上にまるくなる。一度目が覚めかかったとき、枕をあて、綿の毛布をかけていた。たぶん、二女と三女が「しょうがないなあ」とか云いながら、枕と毛布を運んでくれたのだろう。サンキュ。
 枕と毛布に気がついたとき、食堂の電灯の傘の上がちろりと光っているのが目に入った。うちに住んでいるこびと(わたしがこびとの家に間借りしているような気もする)が、何か仕事をしているのだ。電気を筒状の容れものに貯めているのかもしれない。こういうときは騒ぎ立てず、目を閉じるのが礼儀だ。
 目を閉じると同時に、眠りに落ちる。
 わたしといえば、どこででも眠れる質(たち)らしく、たとえ、街路樹の根方であっても、路地の角でも、公園でも、うまい場所をみつけて眠る自信がある。しかし3年前、旅先のデパートの搬入口で30分くらい眠ったのをさいごに、おもてでは寝ていない。——街なかで眠ると、ひとを心配させることがありますからね。
 そんな質だから、自宅の居間の床なんかでは敷き布団なしでもたちまち眠れる。必要なのは眠ろうとする決心で、眠くもないのに布団にくるまったり、睡眠時間を気にして寝ようとすることはない。このときは、いい具合に眠かった。さいごに二女と話しているときには、ちょっと夢ことばになっていたような気がする。夢ことばというのは、夢のなかでの〈もの言い〉で、これは現実世界からはすこうしずれている。「はるばるハクビシンが訪ねてきたものだから、一緒に居酒屋に行った」なんてことを真顔で云うのである。動物の出番がふえるのはひとつと特徴で、「へびのやつ、アタシに挨拶もなしに……」と恨みごとをつぶやいていたと、証言されたこともあった。
 仮眠のつもりでまるまったから、4時……、遅くも5時には目が覚めるだろうと踏んでいた。が、目覚めたのは6時45分だった。よく眠った。

 火曜日の朝だ。

 こうしてこのたびも無事、ブログの原稿を書き上げることができた。
 雨が降っている。雨音くらいうつくしくてなつかしいものが、ほかにあるだろうか。


Photo

先週、鉢の葉のあいだからのびてきた
茎状のものに花がついたとお知らせしました。
花は、こんな感じです。
ふくらんでゆくのです。
この植物の名前が知りたくなりました。
調べてみようと思います。

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2016年9月 6日 (火)

〈眼〉

 夏特有の観察眼が与えられていたのかもしれない。
 自由研究用の〈眼〉が、手違いでもあったのか初老のわたしに配られて(本来〈眼〉が配られるはずの子どもが困ったりしなかったならいいのだが)、いつになく注意深くあったのか。
 夫に変態がはじまっているのが見えた。
 全身の皮を脱いでいるのでもなかったし、羽が生えてきたのでもなかったが、そうらしいとすぐ気がついたのは、〈眼〉のおかげだった。夫はいつもの如く機嫌もわるくなかったが、少しずつ無口になっている。何か質問すると、その事柄の背景、歴史から説明しようとする癖は相変わらずだったけれど、それをはじめても、途中で「あ」と小さく叫んで切り上げてしまう。
 京都御所についてはなしていたとき、何か云いかけたのに気がついて、
「蛤御門(はまぐりごもん)の変のはなしでしょう? 聞くわよ」
 と云うと、夫は首を振った。
「いいんだ。またこんどにする」
 そのあたりから、つまり「蛤御門の変」あたりから、夫は殻に閉じこもっていった。「アナタ、殻に閉じこもりはじめていますよ」と伝えたかったけれど、伝えて、「じゃ、気をつけて行っていらっしゃい。無事に帰ってね」というくらいの挨拶ができればよかったのだけれど、それはできなかった。何かに気をとられているあいだに、夫はすでに殻のなかだった。
 殻は、ところどころアコヤガイの内側のように複雑な光を帯びて、夫のからだの大半を覆い、見えているのは手足だけだった。
 そんなわけだったので、たとえば、「おはよう」と声をかけても、「おはよう」は、殻越しに籠った声で返ってくるといった案配だった。目や口の見えない相手にとっかかりをみつけようとするのは、なかなかにむつかしく、そのままそっとしておくしかなさそうに思えた。
 夫の変態ちゅうに、ひとりでできることはしよう。とくに相談して難色を示されそうなことなんか、どんどんやっつけてしまおう。そんなふうに考えられたのは、愉快だった。こんなときには、愉快、勇敢、無頓着であるのにかぎる。
 わたしは勝手にペンキを買ってきて玄関の気になる壁紙(かすかにピンク色の花模様が浮いているところが好きでなかった)を白く塗ったり、浴室も大掃除ののち、ペンキの筆をふるった。細工は流流(仕上げは御覧じろ)てなものだった。
 殻人間になった夫は、完成が迫っている映画製作に打ちこみ、ついでに実家のブルーベリー収穫とささやかな出荷の試みを実行しているらしかったが、わたしはおかまいなしでいた。なにしろ、愉快、勇敢、無頓着が課せられていたのだから。
 一方、同じ時期3人の娘たちは、部分的にでも殻を装着してくれたなら、と思いかけるほどおしゃべりで、久しぶりに家のなかはにぎやかだった。幾度か娘に浴衣を着付けてやったりしたのも、夏らしい記憶のひとつだ。殻人間に相談もしないで、あたらしい浴衣をもとめたりして、わたしは何だってひとりでできるのだと、自分を励ましていた。
 だが、頭上にゆっくりと黒雲が流れてきた。
 カフカの『変身』を思いだした。グレーゴル・ザムザ。あのひとは虫になってしまうのだったなあ。さいごに死んでしまうシーンを思い浮かべたりして、変態の途中で死なれたらさびしいかもしれないなあと、わたしはため息をつく。
 会話が減った夫とのあいだに、ふたたび会話がもどるのか。笑い声も行き来し、くだらないことにふたりして一所けん命取り組めるようになるのか。そんなことを考えはじめた9月のはじめのことだ。
 出かけようとするわたしのうしろから声がかかった。
「どこ行くの? ぼくも出かけたい」
「横浜でメアリー・カサット展観るんだけど」
「いいね」
 夫のからだからはほとんど殻が消えていた。肩先に青く光る殻の名残が見えたけれど、それくらいなら「殻人間」には分類されまい。
 しまった。夏のあいだ、夫のおへそあたりに小さな球体の核を入れておけば、真珠のようなものが形成されたかもしれなかったのに。いや、ひと月はふた月ではできないかな。そう思うだけで可笑しかった。
 声をたてずに笑いながら、
「おかえり。変態は完了したのかしらね」
 と云ってみる。
「ごめんごめん。完了と云えるかどうかはわかないけど、つぎのステップにすすんだのは確か」
「それはよござんした」

 ひとは同じ場所にとどまっていられない。

「生まれた土地に住みつづけています」
 というひとがあったとしても、決して同じ場所にとどまってきたわけではなく、歳月のなかで変化し、変化させられ……、変化しようともしたことがあるはずだ。
 わたし自身、同じ場所にとどまっていられない宿命に対して、憂いを持つ時代も経てきたし、まさに変化しようとするその場所で嘆き、もがき悲しんだ日もある。如何ともし難い宿命を、一応胸におさめられるようになってからも(だって、仕方ないじゃない?)、翻弄させられてきたように思う。翻弄部分も宿命のうちであるのだろう。
 今夏の、夫の殻人間化にもやはり……何というか、翻弄させられていたかもしれない。が、〈眼〉が与えられていたため、事態のはじまり(変態期のはじまり)を知り、変化の兆しを見抜くことができたのはありがたかった。相方の変化は、おそらくわたしにも影響と刺激を与えてくれるだろうと、信じられたからである。
 変態期を終えた夫はさっぱりした顔をしている。
「パラリンピックがはじまるね」
 と誰かが云うと、いきなりはじめたのには、しかし、あきれた。
「南米初めてのオリンピック、パラリンピックの開催は大きいよね。そもそも、ブラジルのリオデジャネイロはポルトガル人の探検家が……」

Photo
 
今夏、玄関に置いた愛想のない
鉢植え(でも、なんだかいいヤツ)の
葉のなかから、するすると茎状のものがのび、
花らしきものをつけました。
生物の変化は、すごいです。
乞うご期待。

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