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2016年10月の投稿

2016年10月25日 (火)

切実な色

 真昼の公園。
 東京都武蔵野市役所の南側にひろがる、市民公園の木陰のベンチに腰を下ろす。口から出かかった「ヨッコラショ」を飲みんだ。
 快晴。
 日が射してきて、暑いくらいだ。
 日傘、半袖、扇子……を連想する。が、どれも持っていない。公園を囲む大木たちは、まだ青青としている。それでも目を凝らすと、青青のなかのほうに色が見える。かすかな赤み、かすかな黄み、赤と黄の混ざった橙(だいだい)色も。
 芝生の上には、子ども連れの若いお母さんたちが輪。遠慮がちに隅っこのほうに敷物をひろげている。お弁当持ち寄りで集まっているらしい。

                *


 午前中市役所に出かけた。

 いつもならたいていひとところかふたところで用事が済むところ、この日はちがった。市庁舎2階から8階まで、各階に用事があり、それぞれ雰囲気のことなる課に顔を出してゆく。市役所のなかを下りたり上がったり、ひとつ階のうちも行ったり来たりすることになった。用事を終えたときには、額に汗がにじんでいた。
 時計を見ると、1210分。
 市庁舎ではまたべつの用事が待っているのだが、30分ほどぽっかり時間ができた。8階には食堂「さくらごはん」があり、いつもなら、わくわくとここへ出かけて行きごはんにするのだが……。
 少しばかり、市庁舎に酔ってしまった。あちらへこちらへ歩きまわったからだろう。気がつくと外に出て、わたしは両手を肩の高さに上げて、のびをしていた。口から「ツカレター」が出かかったが、飲みこみきれず、するするっと空中に散じた。
 おいなりさんが食べたい。
 どこに行ったらそれが実現するだろうか。ちょっと考えて、コンビニエンスストアの世界に足を踏み入れた。この世界には滅多に近づくことはないのだ。どうしてかというと、交通の便が発達している日本の都市という都市に店舗展開するコンビニエンスストアの便利過ぎる有り様(よう)をどう自分のなかに納めていいかわからないでいるからだ。わたしのうちの買いものの責任者が夫であり、日頃、あまり自分で買いものをしないということもあるには、あるが。
 目の前で自動ドアが左右に開き、コンビニエンスストアの世界へは難なく足を踏み入れることができた。入るなりぎょっとした。3つあるレジの前に1本の長い行列ができている。列のいちばん前のひとが、3つのうちあいたレジに進む方式だ。
 おいなりさん、あるだろうか。
 あった! 「秋鮭野沢菜いなり寿司」。それにブリックパックの青汁を選んで、長い長い列の最後部につこうとすると、同時にならぼうとしたニッカポッカの男性が「レディーファーストだからな」と云って先を譲ってくれた。ひどくうれしい。
 昼休みにこの世界にやってきたひとたちのほとんどは、勤労の老若男女だ。
 知らなかったな。コンビニエンスストアの流通がどうでも、ここを必要とするひとたちの列はこんなにも長い。

                *


 わたしは念願のおいなりさんを手に入れて、市役所を見上げる公園へ。

 こんな場所で真昼にひとり腰をおろすことも、コンビニエンスストアで買ったおいなりさんを食べることも、わたしにはイレギュラーな出来事だ。しかしイレギュラーに覗かせてもらった〈現実〉は、切実な色をしている。樹木のなかのなかのほうに隠れているかすかな赤み、かすかな黄み、赤と黄の混ざった橙色と同じように。

Photo

色と云えば、ひと月ほど前、
白いカシミアのスカーフを染めました。
桜の枝で……と書きたいところですが、

ダイロンで染めました。
Photo_2

誕生日祝いに友人が贈ってくれたスカーフでした。
白色の「部分」を汚してしまい、
考えた末、こんな色に染めました。
ある意味、これも切実な事情を隠した色なのです。

 

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2016年10月18日 (火)

黒板

 浪花の恋の寅次郎

 なにはともあれ

 人に会い、
 その人のために
 動けばよい



 台所でお茶を一杯。

 そう思って駆けこむと、「浪花の恋の寅次郎」というタイトルの詩歌が、そこにあった。
「あら寅さん」
 出先から一度もどって、10分後にはまた出かけようという忙(せわ)しなさが、一瞬にして消えていた。

                *


「あら寅さん」

 とわたしは、思わず女優の大原麗子の声を真似ておっとりと呼びかけている。
 その昔、20歳代のまんなかあたりのころだったと思うが、大原麗子の声とものの云い方を練習したことがある。それが不意に飛びだした。
 あ、笑いましたね。
 しかし、当時のわたしは真剣だった。こんな声で、こんな話し方ができたなら、ずいぶんいいだろうと思った気持ちも真剣だったし、こっそり重ねた練習も。
「真剣だったのよ」
 とつい先頃、友人に打ち明けた。
 そうしないと過去のみずからの練習も消えてゆきそうな気がして、ひとに初めて打ち明けたのだった。
「練習して、どこかでそれを披露したの?」
 ……披露?
「それは考えなかった」
 友だちは、それじゃ何のための練習?ということばを飲みこんで、わたしの顔を覗きこんだ。
「ちょっと云ってみて」
 云えないよ。当時から何年たってると思ってるの。
「復習して、こんど少し酔ったとき、云うよ。あはは」
 映画「男はつらいよ」、いわゆる〈寅さんシリーズ〉のよさを知ったのは、主役の寅次郎を演じる渥美清が亡くなってからのことだ。いまでは、ときどき無性に観たくなって、そうなるとレンタルビデオ店に走ってゆき、2本選んで借りてくるのが約束のようになっている。1本観ると、まちがいなくもう1本観たくなるからだ。
 さきごろ、寅さんと出合い、その魅力の虜(とりこ)となったばかりの長女の熱に追われるようにして、わたしに第何期目かの寅さんブームが訪れたのだ。

「お帰り、寅ちゃん」(こちらはおばちゃん役の、三崎千枝子の声で)てなもんである。

 ある日、長女とぶらりと買いものに出てレンタルビデオ店に寄り、寅さんシリーズの「花も嵐も寅次郎」(30作/沢田研二、マドンナ田中裕子)、「寅次郎夕焼け小焼け」(17作/マドンナ太地喜和子、ゲスト宇野重吉、岡田嘉子)を借りたのがはじまりだった。2作つづけて観て、顔を見合わせた。
「もっと観たくなっちゃったね」
 そう云って、もう一度レンタル店に出かけて行ったのだった。そのとき借りたのが「寅次郎真実一路」(34作/マドンナ大原麗子、ゲスト米倉斉加年、津島恵子ほか)と「浪花の恋の寅次郎」(27作/マドンナ松坂慶子、ゲスト芦屋雁之助)だった。

                *


 さてさて。

 出先からあわててもどり、大原麗子の声音を真似て「寅さん」と呟いたところまで、はなしをもどさないといけない。
 いつの間にか〈そこ〉に書かれたその詩歌は、チョーク文字であった。長女梓の仕業だ。

 数日前、つくりつけの食器棚の台所側の扉のひとつに、塗れば黒板になるペンキでわたしが塗ってできたのが〈そこ〉だ。黒板はでき上がったのだが、そうしてしっかり乾きもしたのだが、もったいなくて書けない。
 ここには「冷蔵庫にババロアできています」とか、「昼に大根を(ぬか床に)漬けて」とか、そんなようなことを書くつもりなのだが。もったいない、もったいないで2日が過ぎ、初めて書かれたのが冒頭の寅さんの台詞だったというわけだ。
「浪花の恋の寅次郎」への所感。
 やられた!と思った。
 黒板の初書きをやられたというのもあるけれど、ここに、こんなの書くなんてさ。やられた。

 忙しないわたしの胸に、そのことばは沁みた。

「なにはともあれ 人に会い、その人のために動けばよい」
 そうだそうだ、そんなつもりで出かけるとしよう。
 その人のために動く……、「動く」ってのがいいねえ。

Photo

黒板には、「フーテンのアズ」というサインも
書かれていました。
ひと月が過ぎました。
きょうは、とうとうこれを消そうと思います。
……消せるかな。

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2016年10月11日 (火)

星あつめ

 雨がつづいた。
 そこここのものが濡れて、すべて流れてゆくかと思われた日日のあと、やっと陽が射した。陽が射すとはこんなものかと思うほど久しぶりのことで、日中は干し物をしたり、庭のことをしたりして夢中で働いた。
 夜になって、空を見上げると、星星がまたたいている。
 見ていると、流れ星も遠い空の彼方に落ちてゆき、ありがたいような、すこうしせつないような心持ちになった。星をひとつ、ふたつと数えるうち、ここからは見えない星も、見えないだけでそこにはあるのだということがわかってくる。それでも数えずにはいられない。

                *


 翌朝は曇り空だったが、雨は降りそうもない。

 朝いちばん、近所まで用足しに出かける。あたらしい上着をはおって、運動靴を履き、友人がつくった布の提げ袋を持って出る。ちょっとばかり荷の重い用事だったが、上着と運動靴と提げ袋が、何とはなしにわたしを励ましてくれているのがわかる。……ありがとう。

 帰ってきてから、2時間ばかり本を読む。

 ときどきうたた寝とぼんやりが混ざっていたらしく、結局数頁しか読めなかったのだが、読んだ分はすっかりこころに刻まれた。作者が、山のなかの一本の木を訪ねてゆくはなし。探しあてると、そこに木の精が待っていて、一心に語りはじめる。耳を傾ける作者は、木の皮をもらい受け、それを染めることを思いつく。

 遅い昼ごはん。

 昨夜星を見ながら煮こんでおいたスープと、ご飯といくらのしょうゆ漬けを食卓にならべる。
 鶏肉のだしのスープには、実として、玉ねぎ、夏のあいだに冷凍しておいたとうもろこしの粒粒と、実家の畑のことしさいごのオクラと、春雨が加わっている。ベイリーフの葉が木の匙にすくわれてきた。これは幸運のしるし。スープのなかのベイリーフ、おみおつけの煮干し、そんなのがスープボウルや椀のなかに〈当たる〉とうれしくてわくわくする。
 いいことがありそう、ということもあるけれど、そのこと自体がまずうれしい。

 友人からの手紙。

 思いがけず、このところわたしの胸を占めているのと同じ〈どきどき〉と〈はらはら〉が記されていて、ほっとする。ああ、こうしてこんがらかり、ぎゅっと拳(こぶし)を握りしめたり、祈ったりしているのはわたしだけではないのだわ。
 この空の下、同じような思いにかられる友が在る。

 夫がある映画の上映会からもどってくる。

「山田太一さんにお会いしたよ。アナタによろしくと」
 ええ? なんとうれしい。
 ふたりを写した、うらやましい写真を見せてもらった。山田太一さんは、いつもとてもうつくしい。

                *


 いちにちのなかにも、星はまたたいている。

 気づこうとすれば、いくつも。ひとはこの世でいろいろの経験をし、時に苦労もさせられるけれども、日日〈星あつめ〉をしながら、生きる存在でもあるなあ。

Photo

ピーマンがごろごろやってきました
(ふみこ撮影。ピンぼけです)。
ときめきました。

Photo_2
ときめきながら、刻みました。
ことし、ピーマンをタネごと食べる(食べられる)ことを
知りました。
タネごと、わしわし食べるようになりました。
ピーマンとのことも、〈星あつめ〉のひとつ。
皆さんの〈星あつめ〉もおしえてください。
お待ちしています。

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2016年10月 4日 (火)

あなたたちとわたし

 時計を見ようと壁に目をやると、黒い影がふたつ動いた。
 午後8時。わたしは机に向かっていたのだが、同じ部屋のなかに誰かいるなどとは思いもしなかった。影の主たちから、この机は死角になっているらしく、わたしには気づいていない。
 じっとして、息をひそめる。
 ふたつの影、お互いに急接近。
 一方の影が、もう一方の影に近づいてゆく。わたしは存在を消す決心をして、影たちのいる部屋の中央部と書斎とを隔てる本棚の前にしゃがんで隠れる。ここからいなくなりたかったが、影たちに気づかれずにそれはできそうになかった。様子を窺(うかが)わないように気をつけながら、結果として窺っているという感じだ。影たちの正体は、おそらく家人だが、親しき仲にも礼儀ありで、何もかも知っていていいというわけではない。おお、困った。
 そのまま30分ほども過ぎたろうか。
 一瞬、まどろんだのかもしれない。はっとして壁を見ると、影たちは消えていた。この間(ま)にこちらの存在をあらわしてしまおう。
 コホン、と咳払いをして本棚のもとから立ち上がり、部屋を横切って、台所へと向かう。部屋にはわたしのほかに、もう誰もいなかった。

 黒い影の主は、お察しのように家蜘蛛のジルベールとセリア(ことし5月のこの項を御覧ください*)だ。

 このふたり(あえてふたりと、云いたいと思うのです)が近く寄り添う姿をついぞ見たことがなかった。
 だからわたしは、この夜の急接近を目撃させられたことに心底驚いている。
 じつはこの夏、ジルベールとセリアのあいだに子どもが生まれたらしかった。からだの透き通ったちっちゃな家蜘蛛の赤ん坊がわたしの前にちょろちょろ出てきて、それと知ったのだった。そのときに感じたのと同じことが、この夜のふたりの接近を見たときに湧き上がった。

 家蜘蛛である彼らと、ヒトであるわたしとのあいだが近くなっている。


 机に向かっているときも、しばしばジルベールがやってきて、跳ねてみせるのである。こんなに跳ぶのかと思うほど高く跳んで、ふふんと得意そうな様子で去ってゆく。そういえば、数日前にはセリアもわたしが台所で立ち働くところへ通りかかったものだから、声をかけたばかりだ。

「そんなところにいたら、水に流されちゃう。気をつけて」
 彼らはわたしに気を許している。
 わたしも許している。
 油断大敵。

 地球にはさまざまな生物が存在している。そして、その生物はすべて、ひとつの祖先にたどり着くのだそうだ。これを聞かされたとき、わたしは、咄嗟にジルベールとセリアを思った。ひとつ屋根の下に住む彼らが家人であるのは確かだが、それだけではなかった! ひとつ祖先から生じ、あのひとたちは蜘蛛になり、わたしはヒトになったのだ。

 この世はいつのまにか、ヒトの都合にばかり支配されているようだけれども、そんな恐ろしい〈単純化〉〈単一化〉は、いつか地球上の生物を絶滅させてしまうのではないか。 
 いろいろの生物。いろいろのヒト。
 あらゆる多様性を認めて守らないと……。ジルベールたちはわたしの前を通過しながら、跳ねながら、伝える。
「ま、仲よくやろうや」

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Photo

本棚に隠れながら、この写真を撮りました。
「親しき仲にも礼儀あり」などと書きながら、
まるでパパラッチのようですが……。
ジルベールとセリアに写真掲載の許可をもとめたところ、
ぴょんと跳んでくれました。
ひそっと眺めていただけますれば幸いです。

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