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2016年11月の投稿

2016年11月29日 (火)

日常への思い

 もうすぐ師走がやってくる。
 今週木曜日には12月だ。
 そうなれば、ひとに会うたび、別れ際に「それでは、」と、読点を打って挨拶するようになるだろう。
「それでは、どうか佳いお年を」

 めまぐるしい年だった。

 まず子どもたち。三者三様の変身を遂げた。
 長女は出版社を辞めて独立し、二女は仕事に生きがいをみつけ、三女は大学生になった。大学生になった三女の変身ぶりなど目を見張るものがあって、わたしはそうとうにおたおたしたものだ。
 これは比喩だけれども、何度か三女の上着の裾をつかもうとし、そのたびに上のふたり、つまり三女の姉たちにたしなめられた。
「わたしたちのときも、似たようなものだったのよ」
「そうそう、自立したかったし、お母(かあ)ぴーの知らない自分になりたかったし。だいじょうぶよ。見守ってあげよう」
 云われてみると、そうだったかもしれない。
 上ふたりの大学時代には、小学生の三女がいて、それなりに手もかかったし、何よりちっちゃいひとは可愛かったから、大学生のことがあまり気にかからなかったのか。……きっとそうだ。
 こんなふうに自分に云い聞かせ、それでも密かにおたおたは、つづけた。
 ダンスサークルに入部した三女(このひとの所属はヒップホップ)は、着るもの履くもの、かぶるものも一変した。だぼっとしたものを着て、恐ろしくごついハイカットのスニーカーを履き、ひさし付きのスナップバックキャップをかぶって出かける。
「ね、ぼくのパーカーが見えないんだけど、知らない?」
 と夫が云うので、一緒に探したら、三女が着ていた。というくらい、だぼっとしたものを身につけている。
 それにね(だんだん、皆さんに告げ口するような気分になってきました)、「シンヤレン」というものがあって、それは「深夜練習」の略語であるのだけれども、午後8時か9時ごろ集合して夜通しダンスの練習をすることもある。
 高校時代までは、練習と云えば、「アサレン」(こちらは「早朝練集」)であったのに、いきなり「シンヤレン」になるなんて、びっくり仰天である。居間でまるまってうとうとしながら、三女の早朝の帰宅を待つことも一度や二度ではなかった。もう馴れたけど。

 このようにして、子どもたちに振りまわされる2016年だった、と締めくくろうとして、待てよ、と止めるものがある。みずからの内部の声であった。

(そう云うアナタも、変身したのじゃなかったか)
 そ、そうだろうか。
 考えてみると、ことしはよく働いた。それも、外向きの仕事が多かったため、在宅が少なくなっていた。典型的な〈居たがり〉で、自分でも引きこもりか?と疑いたくなるほどのわたしだというのに。
 外出も含め、自分にとっては、仕事というより鍛錬のような日日であり、ただただ必死の1年だった。年の終わり近くまでたどり着いたいま、ちょいとふり返ってみると、山道の連なりが見えた。ところどころは鎖場だ。
 あーーーーっ、よくここまでたどり着いたねー。
 通常業務。あたらしい仕事。出会い。家のしごと。通常業務。手間のかかる作業。出会い。家のしごと。通常業務。不得手な仕事。出会い。家のしごと。……そのくり返しだったことが知れたのである。
 子どもたちのことに気をとられていたおかげで、みずからの足元は、よく見ていなかった。一度か二度転んだような気もするが、それもおぼえていない。

 そうして、この道はわたしの日常なのだ。

 ことしは常よりも険しかったが、来年はすこうし平坦な道を歩けたなら、うれしい。まわりを眺めたり。小休止したり。景色のいいところで、おむすびをひろげたり。時に鼻唄まじりで。
 平坦な道だろうと、険しい道だろうと、誰の日常も守られなければいけない。平和を希い、災害の復興を希う気持ちは、みんなみんなそこに集約する。
 だからことし、みずからの道を歩きながら、子どもたちの変身ぶりを存分におたおたしながらみつめてこられたことを、感謝したい。

                *


「え、もうひとつアルバイトをふやすの? お金貯めたいから? 貯めて、大学近くでひとり暮らしを……? ひぃっ。あ、そうなの。ちゃ、ちゃんといろいろ相談してね」

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1126日、新刊が出ました。
愛してやまないミシマ社から刊行できたことも
うれしく、ここのところ毎日、なんとなくにやけています。
毎日新聞の連載「山本さんちの台所」「山本さんちのあっ!?
2007年4月~2016年3月)のなかから、2011年以降のものより
抜粋し、再構成したものです。


  〈ふみ虫舎よりお知らせ〉

『家のしごと』(ミシマ社)サイン本を、
ふみ虫舎より、先着80名様にお頒けします。
本体1,500円+税+送料 計1,800
山本ふみこ画〈切り株シリーズ〉のグリーティングカード
(二つ折り/封筒付き)をプレゼントいたします。
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明記してください。
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お振りこみをお願いします。
〈ふみ虫舎よりお知らせ②〉
『家のしごと』の注文をたくさんいただきました。
どうもありがとうございます。
まだ、ちょっと残っています。
ひきつづき、ご注文をお待ちしています。

01web
〈切り株シリーズ

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2016年11月22日 (火)

隅を合わせて

 出がけに、色紙と炒った黒豆と、ドロップスの缶をつかんで鞄に入れた。
 何となく……だ。

 ある会の準備の打合せで、集まるのは10人くらいだと聞いていた。早めに到着したわたしは、机につくなり色紙をとり出す。三方(さんぼう)を折る。三方。もとは神具(ジング)や食器をのせる台だが、ほら、ひな祭りのときに折ってあられを入れたりするあれだ。

 昔はもっと折り紙をしたものだが、いまとなっては、つくり方を確かめずとも折れるのは、鶴、兜(かぶと)、やっこさん、そして三方くらいになってしまった。電車のなかで、ぐずっていた見知らぬ坊やに風船を折ってあげたこともあったのに、いまは、どう折るのだったか風船は折れなくなっている。あのころ、鞄のなかにはいつも、数枚の色紙が入っていて、ときどきそんなことをした。
 三方を10個折りあげ、それに炒り豆を分け入れ、豆の上に桃のドロップを1個ずつのせ、10人に配る。
 打合せがはじまると、集ったみんなが、炒り豆をなつかしんで食べてくれた。
「それでは議題に入ります。……おや、止まらないね、豆」


 わたしとしたら、ただ何となく折りたかった。

 久しぶりに折ったら、なかなか隅がきっちり合わないのだ。あらま、である。指先も衰えているのかもしれないけれども、こういうしごとをしなくなったのも、大きかろうと思う。
 隅を合わせて折り、折り線を平らに均(なら)す。
 ていねいに折り、指で静かに均していると、胸のあたりがむずむずしてきた。最近(つまり、折り紙から離れてからということになろうか)、仕事でも料理でも、はたまた人間関係でも、隅なんかは考えず、ざっとやって、適当に均しておく、というくらいの神経でいるのではないかという疑念が湧いてきたのだ。
 折るひとは折る時代だ。
 知人の子息も、中学の折り紙クラブに入っていて、大きな紙で四畳半いっぱいになるほどの恐竜を折ったりするそうだ。そこには幾何学の世界も広がっており、わたしが思いつきで三方を折ったりするのと、出発点は同じでも、方向性が異なるものと思われる。
 部屋いっぱいの巨大折り紙や、計算を施してねじったりするようなのでなく、ともかくわたしは、かつてのように風船なんかは難なく折れるようになりたい。そうして、泣いている子どもを泣き止ませたりするくらいのことができたなら……ずいぶんうれしい。
 そう思って、ちょこちょこ折っているのだけれど、折り手順をなかなか記憶として保存できない。指先ばかりか、脳も衰えていると思われ、これは泣く子を泣き止ませることよりも、指先と脳のトレーニングとしてつづけるのがよさそうだ。
 折りはじめが肝心だということがわかってきた。
 まず、三角に折るのか、四角に折るのかという折りはじめをおぼえると、どうやらこうやら、指がひとりでに動いてくれたりする。風船の折りはじめは、四角、鶴の折りはじめは三角、というように。

 折っているうち、だんだん穏やかな心持ちになってきます。

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また、やりました。
べつの会のときに。
豆は、友だちの金沢土産の
炒り大豆(みたらし大豆)です。
ドロップは、娘の岡山土産の
MOMO DROPS

        *
「小窓」
「エッセイを書いてみよう」講座の作品集
(朝日カルチャーセンター/新宿)
在庫があと7冊になりました。
 
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2016年11月15日 (火)

魔法使いと鯖と大根

 アナタさま
 急ぎお便りします。
〈誕生日のフシギ〉のことです。
 お忘れではないでしょうね。
 唐突の上、高飛車にごめんください。つい高まっているのは、ワタシ自身が忘れかけていたからです。そう、思いだしては忘れ、思いだしては忘れしていたのです。
〈誕生日のフシギ〉。
 それは誕生日をはさむ、前後1か月、つまり全部で2か月にわたる期間に起こるフシギです。それぞれにとって、その年いちばんの変化、気づきの時と云えましょう。
 誕生日の前後ひと月は、忙しくなりがちです。おそらくそれの上のほうから、変化を促す機会、思いがけない気づきのタネが降ってくるからでしょう。
 ですからどうか、その気になって、特別の2か月をお過ごしくださいね。

 もうひとつ。

〈月代わり〉も、大切に。
 つぎにめぐってくる〈月代わり〉は、そうです。11月から12月にかわるときですね。これまた何かが降ってきます。〈月代わりのフシギ〉です。ぼおっと過ごしていればそのまま、月は目の前を落ちてゆきます。気をつけて、大切な機会をしっかりつかみませんとね。

 こんなはなしをワタシは、ずいぶん前に、魔法使いからおそわりました。

 ほんとうのはなしです。
 ある日、友人が訪ねてきました。ずっと知らないでいましたが、このひとが魔法使いでした(おばさんの姿をしていましたから、魔女ということになりますかね)。訪ねてきたその顔を見て、ああ、そうなのか、とわかったのでした。その日はワタシの誕生日の前の日でしたから、やはり、〈誕生日のフシギ〉のなせるところだったのだと思います。
 しばらくおしゃべりしているうち、お昼になりました。ワタシはうちにあった鯖と大根で鍋をこしらえました。
「まあ、おいしいこと」
 鯖と大根をしょうゆ仕立てのだしでさっと煮る、簡単な鍋なのですが、魔法使いにはおおいによろこばれました。鯖と大根のほかにはしょうがを加え、器によそってからみつばをのせ、かぼすを搾りました。
 魔法使いの仕草は素敵です。じつにおいしそうに、品よくするするっと食べると、箸をそろえて置き、絹のようなハンカチーフで口を拭いました。
「おごちそうさま」
「おそまつさまでございました」
 鍋を下げ、お茶を運んだワタシに向かって、魔法使いは声を低めて〈誕生日のフシギ〉と〈月代わりのフシギ〉について話してくれました。
「鯖と大根の鍋のお礼です」

〈誕生日のフシギ〉と〈月代わりのフシギ〉このはなし、以前も何度か聞いていただきましたけれども、アナタさま、お忘れではないでしょうか。忘れても少しも困りはしませんが、ひどくもったいなくはありますから、書いておきます。

 寒さに向かう折りから、どうかお元気でお過ごしください。
                               ふみ虫

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誕生日が近くなってきたので、
自分にこれを贈りました。
多肉植物たちです。

        *
「小窓」
「エッセイを書いてみよう」講座の作品集
(朝日カルチャーセンター/新宿)へのたくさんのお申しこみ、
どうもありがとうございました。
10冊あらたに入荷しました。
 
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2016年11月 8日 (火)

箱入りの薔薇

 ある日、推理小説のなかの3行に、こころ奪われた。
 小説のうつくしい主人公が、箱入りの薔薇の花束を贈られる場面だ。
 贈られたそのひとは、そんな薔薇の似合う女性だった。
 棘(とげ)をはずした薔薇。深紅の蕾。箱入り。
 そんな薔薇の贈り方があるのね……と二十歳のわたしはうっとりとため息をついた。一瞬、推理小説のストーリーを忘れ、〈ホシ〉のめあても消えた。
 いつか箱入りの薔薇を受けとってみたい。そう思った。あのころのわたしは、自分のことがまだ、わかっていなかったのだ。

 初めて〈箱入り〉を贈られたのは、それから10年くらい過ぎたころのこと。

 わたし宛てに贈られた細長い箱。それをあけてみると、長ねぎが横たわっていた。差し出しには、夫のちちの名があった。
 瑞瑞しい長ねぎの束であった。
 ああ、こんなのがほしかった。
 そのとき、わたしはそういうわたしになっていた。

 ちちは埼玉県熊谷市の農家の長男に生まれ、途中、長いこと勤めに出、その世界で腕をふるったのち、お百姓にもどった。86歳になったいまでも、3つ下のははとふたりで米作りをする(米は集荷している)かたわら、いろいろの野菜や果物を育てている。「もち米もほしい」とわたしがつぶやくと、翌年もち米ができたり、「カリフラワーが好き」と云うと、カリフラワーが畑にならんだりする。わたしはまったくもって、野菜を愛するだけの勝手な嫁なのだ。勝手さを恥じながら、農業の受け継ぎ手としての未来を悩んだ日もあるけれど、いまはちちははの仕事を誇りとし、農業を愛することがまずは大事だと考えている。その先のことは、なりゆきにも手伝ってもらって考えるとしよう、と。

 なにしろ、年に何度も箱入りのねぎを贈られる、そういうなりゆきを与えられたわたしだもの。
 ちちは、野菜作りのなかでも、長ねぎにいちばんこだわっている。
「ことしはいいのができた」という顔も、「ことしはいまひとつ」という顔も、何度も見てきた。

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熊谷の長ねぎを、わたしは、いつも1本ずつ古新聞に
きっちり包んで生けるのです。
これを階段の踊り場に置いて、1本ずつとってきて、
調理します。夫と一緒になってから、米も、長ねぎも
買ったことがありません。
このしあわせは、わたしの大切な〈なりゆき〉。

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2016年11月 1日 (火)

わたしはいまも、夢見ています

 ふり返れば、今月も、あちらこちらに出かけた。
 小田急線の成城学園前駅(友だちと待ち合わせて、世田谷美術館へ)。渋谷クラブクアトロ(ましまろ「ほーぼーツアー2016」)。池袋の気に入りのレストラン&バー(友だちと待ち合わせ)。
 仕事でも、三鷹市(東京都)、横須賀市(神奈川県)、武蔵村山市(東京都)ほか、近場でも、東西南北を又に掛けた。
 こうして今月、いろいろの目的地へ、あるいは待合せ場所に向かうなか、どうした拍子なのだか、はっと気づいてしまった。わたしって、わたしったら……、という火花が散るほどの気づきだった。
 目的地で待ち受けていることよりもまず、わたしは約束のその場所にたどり着くことに神経を集中させている。
 家から一歩出ると、途端に頼りなくなる。
 目的地の住所、そこまでの交通、かかる時間について、わたしなりに調べをつけてはいるのに、だ。そうして〈そこ〉が通い馴れた場所であっても、約束の時間までに〈そこ〉に到着することがかなうだろうか、ということでいっぱいになる。〈そこ〉に、たとえば大仕事が待ち受けているとしても、それは少しも心配でない。そも、たどり着けなければ目的地での事ごとはないことになるわけだからだ。
 ああ、わたしとは、それほどまでに道と時間に疎(うと)いわたしであった。そう思うと、いよいよ情けなくなりはするが、そうだったのかそうだったのかという安堵にも似た思いは、情けなさを吹き飛ばしそうでもある。そうなのだ、無事〈そこ〉へたどり着けたとき、わたしはすっかり感激してしまい、あとはどうとでもなれ、という気になっているのである。

 この気づきは、57歳のわたしに不思議な自信をもたらした。

 やっと気づいたか……が、気づかずとも何とかやってこられたのだという自信だ。あつかましいような気もするが。
 夢のなかに青い花が咲いた。
 青い花。
 いま読んでいるノヴァーリス(*)の『青い花』のなかで、主人公の青年ハインリヒの夢にあらわれる花。

「……どんな夢であれ、たとえ支離滅裂なものでも、夢はやはりまたとな
い現象ではないでしょうか。神意などといわないまでも、ぼくらの心の中にたっぷりひだをつけて掛けられた神秘のカーテンに、ぽっかりあいた意味深いほころびのようなものでしょう。……」(**)

 そうだ、わたしのも夢の伝言なのだと思ったりする。

 ハインリヒ夢にあらわれた花弁のなかに愛らしい少女の顔をみつけるのだが、わたしは、過去から現在に至るまでわたしを苦しめてきた……、苦しめながらわたしを知らぬ間に助けてもくれた弱点をみつける。
 知らぬ間に助けてもくれた……?
 なぜと云って、弱点に気をとられていたものだから、その先にある本質の一大事を深刻には捉えきれないからだった。捉えきれぬまま、現場である〈そこ〉にたどり着けた安堵のなか、あっという間に一大事を飛び越えてしまうからだった。
 一瞬先もわからぬ世界でいまだ生きている。
 弱点は弱点であるとしても、わたしは夢のなかを両手をひらひらさせながら、迷いそうになりながら、ときどき意味深長に迷いながら目的地をめざすのだ。

 明日は隣町の、ある施設へ出かける予定。

 朝早いうちに家を出て、おずおずと出かけてゆくのだが、きっとまた、たどり着いた〈そこ〉で待っている難儀なる会合のことなど、わたしは着いてみて初めて、安堵したのち、やっとやっと恐れおののくのである。
 わたしはいまも、夢見ています。

ノヴァーリス
 フリードリヒ・フォン・ハルデンベルク(筆名ノヴァーリス)17721801
 ドイツ・ロマン派の詩人。
*『青い花』青山隆夫訳

Photo

朝日カルチャーセンターの講座「エッセイを書いてみよう」
から2冊目の作品集が生まれました。
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