しきりなおし
気がつくと、萎(しお)れていた。
・ 夜中に何度も目が覚める。
・ 朝布団から出たくない。
眠ってもその状態が解消しないところを見ると、これはどうやら〈気〉の疲労であるようだ。こんな状態はたまにめぐってくるから、どうということもないのだが、それでも分析せずにはいられない。
・ わけもなく焦っている。
・〈予定〉がすべてわずらわしく思える。
・ するべきことがどんどんたまってゆく。
あたらしい年2017年がはじまったばかりだというのに。
なんだかわからないが、消耗しやすい状態になっているのだ。よくよく思い返せば、この状態はことしの最初からはじまっていた。いつもなら、何ということもなく、しかもたのしみながらできてしまうことが、そうならない。気が重い。鉛(なまり)を胸に抱えているみたいに。
しばらく、くよくよ、しょんぼり考えこんでいたのだが、やっぱりこれを天からの指令として受けとめるしかなさそうだ。
与えられた事ごとをこなす。焦りながらでも、萎れながらでも、これをこなすことができたなら、オマエサンはきっと成長する。
そう思ってみると、あいかわらず萎れてはいるのだが、こころが幾分晴れてきていた。萎れの状態を味わいながら、約束を果たし、たまったもののなかから片づけられそうなことに淡淡と向きあってみている。
仕事や雑務にあたっていると、いつもよりしくじりが多く、つまりそれは集中力が落ちているかららしいのだが、そんなふうに見事に萎れた自分が、ちょっとおもしろく思えてきた。
萎れていると、周囲のひとの〈気〉を必要以上に受けてしまうらしいことも、わかった。ひとの抱える悩み、友だちの哀しみ、家人の行動に過敏になる。それがますますわたしを萎らせ、焦らせるのだ。
こんなときは、ことさらに笑顔を大事に。
そうだ、笑いながら、何かしよう。しきりなおしだ。
と思って手にしたのが、さつまいも。
昼下がりの、静かな台所でひとり、さつまいもの皮を剥き、細長く切ってゆく。これを素揚げにしようというのだ。子どものころ、これが大好きで、母がさつまいもを揚げはじめると、まとわりついて、揚げたてをもらった。こんな情景をつくれるほどには、わたし自身はさつまいもの素揚げをしてこなかったけれども、揚げはじめると、在宅の家人らがなんとはなしに寄ってきた。あっはっはっ。
萎れても焦っても、さつまいもにしきりなおしを頼めるなんて、ちょっといいじゃないか。と、思っている。
〈ふみ虫舎番頭より〉
まだまだ多くの方からお問い合わせがあり、
山本ふみこの新刊『家のしごと』(ミシマ社)の
ご注文をふみ虫舎で受け付けることにしました。
サイン本に山本ふみこ画〈切り株シリーズ①〉の
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