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2017年2月の投稿

2017年2月28日 (火)

右目左目

 本から目を上げたとき、右目が濡れていた。
 江戸の暮らしについて書かれた本だった。勉強不足で、わからない語句を辞書にあたりながらの読書だったが、あっという間に読み上げた。ところどころで揺さぶられ、余韻のなか、思わず本を胸に押しあてる。
 が、時計を見ると大変。出かける時間だ。しみじみしたがる自分を引っぱるようにしてマントをはおり、靴を履いて家を出る。風が冷たい。
 広い道路に出て信号の変わるのを待っているとき、まだ右目が濡れているのに気がついた。
「あら、いやだ」
 バッグからハンカチーフをとり出して、右目にあてる。
 片目で泣けるようになったのは近年のことで、それより以前であったなら、このときわたしはべしょべしょに泣いていたはずだ。両目で。 

 子どものころから、涙腺がゆるかった。

 うれしがっては泣き、すぐ感激して泣き、うそ泣きなんかもした記憶がある。
 小学校時代、うそ泣きをする級友がいて、「勉強もできるし、運動もできるこの子が、なぜうそ泣きをするんだろう。うそ泣きはおもしろいのかなあ」と思った。それでわたしはこの……ヌンチャン(仮名)を観察した。
 ヌンチャンは、何だか知らないけど、とつぜん泣く。泣きだすところをじっと見ていると、教室内でけんかが起きたり、校庭で誰かがせんせいに叱られたりするような場面だ。
「どうしたの?」
 とそばにいる子が聞くと、
「ちょっと膝を痛くしたの」
 とか云って黙ってうつむき、両手の指先をそろえて両目にあてる。泣き声はたてず、肩も震わせず、ただ黙ってそうしている。しばらくして、その場の空気がもとにもどると顔を上げ、けろっとしてどこかへいなくなる。
 わたしが観察をはじめてからしばらくたったころ、うそ泣きが級友にとがめられ、ヌンチャンは一時(いっとき)女の子たちのあいだで仲間はずれになった。そのとき、ヌンチャンが今度こそほんとうに泣いたのだったかどうかはおぼえていないが、仲間はずれのただなかで、こっそりわたしがうそ泣きをしたのである。
 へたくそだったのか、気づくひとも少なく、気づいた友だちからも、
「何してんの」
 と取り合ってもらえなかった。
 うそ泣きをしながら、心のなかで〈ヌンチャン、うそ泣きはあんまり効果がないよ。別の方法を考えたほうがいいよ〉とつぶやいていた。

 大人になって知ったことだが、胸が張り裂けるように悲しいとき、苦悩に直面したときには、泣けないのだ。身を以(もっ)て学んだ。

 それまで流したわたしの涙は、しあわせの涙だったのだわ。そう思った。

 母が亡くなってからも、右目だけが濡れる状態がつづいている。この胸は感謝で満ちているのだが、どうしたって、それだけではない。たとえば気持ちを濾(こ)したなら、いちばんには感謝が残る。しかし、濾されたもののなかには、寂しさと、もっとこうすればよかったという痛みがある。この寂しさと痛みが、わたしの右目を涙で濡らすのだ。

 2週間右目で泣きながら、胸にあたらしく宿った思いがある。
「おかあちゃま、これからも仲よくしよう」
 じっとあたりをみつめていた左目がみつけたものかもしれなかった。

 ところで、文中のヌンチャンの名は、ハングル(韓国語)の涙、「ヌンムル」から一部貸してもらった。ヌンムル。隣国の「涙」は可憐な響きを持っている。鈴のような音を伝える。

B_2

庭の梅が咲きはじめました。
開花が遅めで、花の色がピンクなので、
毎年ひな祭りに彩りを添えてくれます。
このような有り様(よう)を、
親しい死者たちは漂いながら
見ていてくれているのだろうか……。
そんなことを思わずにいられない、春です。

《ふみ虫舎番頭より》
ミシマ社から仕入れた『家のしごと』在庫、
おまけのグリーティングカードの在庫がなくなりました。
これにて、ふみ虫舎での注文受付を終了します。
ほんとうに多くの方にご注文いただき、ありがとうございました。
本屋さんでは、まだまだ絶賛発売中です!
(ミシマ社手作りのかわいいポップが目印)

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2017年2月21日 (火)

お母ちゃま

 2月15日の深夜、母逝く。
 入院先のベッドの上からの旅立ちであった。
 とつぜんのことだった。
 だが……、それまでのひと月あまりのあいだに、兆しはあったのだと、ふり返ってみている。

 虹を見る。

 庭で小鳥がさかんに歌う。
 ふと、母の愛読書を読み返す。
 久しぶりに実家に行って、みんなで笑う。

 あたらしい道がひらけ、母はそこを歩いていったのだなという気がした。

 父の死後、母は半年ほどひとり暮らしを経験したあと入退院となり、ついには病院が暮らしの場となった。嚥下(えんげ)性の肺炎(食べものの飲みこみ困難が肺炎を誘発)を起こしかけ、胃ろうの手術を受けたため、最晩年は口からものが食べられなくなっていた。
 それでも見舞うたび、クリームをたっぷり手にとって手足をマッサージしながらはなしを聞いてもらいながら、わたしは……。母娘関係にみずからつくったところどころの綻(ほころ)びを繕(つくろ)うこころでいたのだった。
 だからいま、母の頬にも、手足にも触れられなくなるのが、寂しい。
 しかし何より母のがんばりを讃えなければならない。光のなかを晴れ晴れと歩いていったことをよろこばなければならない。

 母旅立ちの日(正確には前日)、わたしは大事な会合つづきで、連絡も受けとらず、結局母には会えずじまいだった。

 それでよかったと思う。
 その時時にするべきことをする、というのが自分との約束だからだ。そんな約束をしてから久しいが、この約束は、ときどき奇跡を見せてくれる。
 このたびは、長女が母のもとに駆けつけてくれたこと、弟の家族がそろって看とってくれたことがそれにあたるだろう。奇跡とは、適材適所のことでもある。
 わたしは離れたところで、ゆっくり歩いてゆく母のうしろ姿を見ていた。
「お母ちゃまお母ちゃま」
 弟は病院で、「お母ちゃま、ありがとう」と伝えてくれたそうである。

C
母が逝った4日前、

いまは弟一家が住む、実家を訪ねました。
たのしいひとときでした。
台所の片づけをしていたとき、
箱のなかの古い食器が、
こんな包み紙で覆われていました。
なつかしい包み紙です。
母とはよくふたりで買いものに出かけました。
「立田野」の釜飯を食べ、お土産にあんみつを
買って帰るのがお決まりでした。

〈ふみ虫舎番頭より〉
山本ふみこ画〈切り株シリーズ①〉
グリーティングカード(二つ折り/封筒付き)の
在庫がまだちょっと残っているので、その在庫がなくなるまで、

山本ふみこの新刊『家のしごと』(ミシマ社)のご注文を
ふみ虫舎で受け付けております。

サイン本に山本ふみこ画〈切り株シリーズ①〉の
グリーティングカード(二つ折り/封筒付き)を添えてお送りします。
ご希望の方は、下記メールアドレスにお申し込みください。
yfumimushi@gmail.com(注文専用)
お名前、ご住所(郵便番号も)、電話番号、希望冊数を
明記してください。代金は、本の到着後、同封の用紙にある
指定の口座までお振りこみをお願いします。
 

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2017年2月14日 (火)

ことばでないことば

 その日は午前7時まで布団のなかにいた。
 このごろめっきり朝が遅くなり、その分夜更かしになってしまった。これもまた、ひとつのうつろいであろうけれども……なんかと思いめぐらしていないで、もう起きなけりゃ。
 目を覚まさせてくれたのは、鳥の声だった。
 わたしの住むあたりは鳥がたくさんやってきて、それはにぎやか。うちの西側の小道沿いに立つ電柱に、すずめも巣を持っている。このごろは庭の梅の木へヒヨドリ夫妻が日参する。ついこのあいだも、メジロにいぢわるしているのを目撃したばかりだ。
 半分に切った蜜柑を庭の木の枝に刺しておくと、ヒヨドリが独占するので困る。けれどこちらにしても、「これはメジロの新婚さんに食べさせたいから、あなたたち(ヒヨドリ)は遠慮するように」なんてことは云えない。野鳥の世界に依怙贔屓(えこひいき)を持ちこむことになりそうで。それでやれやれと見守っているわけなのだ。
 ちょっと困り者のヒヨドリでも、数日顔を見せなかったり、あるいは夫だけがやってきたりすると、心配になる。
「奥さんはどうしたの」
 と、余計なことを訊いたりする。
 もしも、ヒヨドリにことばが通じていたのなら、わたしをうるさい婆さんだと思うことだろう。

 ことば。

 ことばは、鳥たちにおそらく通じていない。
 だが、何かがこそっと通じているような心持ちになることは少なくない。午前7時までまで布団のなかにいたその日も、鳥の声がわたしに「きょうも、いい日に、いい日に、いい日に」と呼びかけてくれているような気がしたのだった。

 ちょうど1週間前のことだ。

 朝、さて仕事をしようと、机の前に立ったら、足元にちいさな枯れ葉のようなものが落ちていた。葉っぱじゃないな。そう思って眼鏡をかけてよくよく見たら守宮(やもり)であった。
「いやだ、こんなところにじっとしていたら、踏んづけちゃうわよ」
 それでも動こうとしないので、指の先でちょんとやる。
「こちらも気をつけているつもりだけど、そちらでも気を……」
 動かない。
 死んでいる。
 なんとも云えない心持ちになって、死んだ守宮をちり紙で包み、机の上にのせた。自分の机の下で守宮が死んでいるなどは凶兆、と思いかけたが、そんなふうには受けとらぬことに決める。この家に同居の生物は、守宮でも地蜘蛛でも大事にしているつもりだし、そういう感じは伝わっているはずだからだ。
 黙って、梅の木の根方に埋める。
「きょうまで、うちを守ってくれてありがとう。至らないことがあったなら許してね」

 庭に棲みついているガマガエルのことでも事件があった。

 いまの家に引っ越して間もない頃にまず夫が庭で逢い、それ以来「主(ぬし)」と呼んできた。
「寒くなってきたから、主さん、冬眠かしらね」
 というふうに。
 ところが昨年の11月が終わろうとするころ、夫がぽつりと云うのである。
「さっき主さんと玄関の前で逢ったんだ」 
 これには驚いた。
 玄関は南側の庭とは反対の北側だからだ。主が、棲みかの庭から反対側の玄関にやってくるためには、西側の私道を移動しなければならない。ガマガエルはカエルとしたら大きいほうだが、それでも庭から玄関先までの距離は大冒険だと思われる。カエルの大冒険だ。
「こちらの道はくるまも通るから、危ないよ。轢かれないように……」
 と云っているうちに、玄関脇のアイビーの繁みのなかに消えていたそうな。出て行ってしまったものか、何か理由があって玄関に出てきたものか、知る手立てはないけれども、あたたかくなったころまた庭で逢えたなら、どんなにうれしいだろう。

 ひとでない相手との会話は、成り立っているのかいないのかわからないが、わたしを保たせる。

 ひとたるわたしを、生きものとして保たせる。
 鳥の声に起こされる、机の下で守宮が死ぬ、ガマガエルが庭を出る、こういうことがわたしのこころを洗う。

B_2

ある日、台所に焼きたてのアップルパイが
置いてありました。
うちへ仕事にやってくる長女梓が
焼いて置いて行ってくれたのです。
仕事が立てこんで(調整をしくじりまして)
こんがらかっているわたしを励ましてくれた模様。
おおいに勇気づけられました。
こういうのも、ことばでないことばです。
サンキュ。

〈ふみ虫舎番頭より〉
山本ふみこ画〈切り株シリーズ①〉
グリーティングカード(二つ折り/封筒付き)の
在庫がまだちょっと残っているので、その在庫がなくなるまで、

山本ふみこの新刊『家のしごと』(ミシマ社)のご注文を
ふみ虫舎で受け付けております。

サイン本に山本ふみこ画〈切り株シリーズ①〉の
グリーティングカード(二つ折り/封筒付き)を添えてお送りします。
ご希望の方は、下記メールアドレスにお申し込みください。
yfumimushi@gmail.com(注文専用)
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指定の口座までお振りこみをお願いします。
 

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2017年2月 7日 (火)

7文字

「なんとかなるさ」
 たしかにわたしは、そうつぶやいていた。
 こみ上げるものがあった。
 昔の仲よしとばったり会えたような気分だ。
 そうです。
「なんとかなるさ」は、わたしの昔の仲よし。それがいつの頃からか仲よしではなくなり、いまに至っては避けるほどの間柄になっている。
 昔、というのは30代の頃までで、そこまではかなり頻繁に「なんとかなるさ」「なんとかなるさ」と口でも胸のなかでもやっていた。
 それがどうしてぱったり縁(えにし)の切れたものか。

 たとえば会議。

 会議に参加して、資料を見ながら説明を聞いたり、ひとの意見に耳を傾けたり、自分の考えを発表したり、また資料を見ながら説明を聞いて、それに対するひとの考えに聞き入っては、自分の意見を……。40代になるとそういう機会がふえてきて、50代のいまは日常的に会議である。
 若いころ経験したのでは、編集会議というのがあったが、それは雑誌や本をつくるための手立てであり、現在出席の市の教育委員会の定例会や臨時会でくりひろげられる、報告、議案、協議というようなのとは異なる。
 めんどうな会議なのよー。
 というはなしではない。すべて有意義であるし、意義はどうでも必要なものばかりだし、不思議なことにわたしは思いのほか会議好きである。会議の席上、目の前にひらけてきたことに向かって、考えが整理されて動きだすという経験もふえてきたように思う。
 ところで、会議で語られる世界観に、〈厳密〉は、不可欠だ。
 けれど、〈厳密〉が増殖すると、たとえば、未来のはなしをしているのに、夢がちっとも語られず、語られないばかりか、ともかく慎重に、反対意見に配慮して、時には政治に利用されることがないように(政治ってそんなふうなものなのか)、なんて感じになってゆく。
 わたしのようにゆるくて、ゆる過ぎるかもしれない大人の内部にさえも、〈厳密〉はひろがり、何もかもをむずかしく考えるようになってゆく。
 未来の学校のことをもっと明るい気持ちで、うれしく語りたい。
 子育てについて、子育てをしながら働くことについて、そのやりがいを語りたい。
 そも、誰かとともに生きること、子を産むことについて、夢を語りたい。
 年をかさねることのありがたさとたのしさについて、語りたい。
 現在の教育現場に向かっても、ちょっと空気を換えて云いたいのである。

「なんとかなるさ」


 こんな発言は、御法度なのだ。

 だが、云いたい。
 でないと、誰かと生きてゆこうとすること(ひとりでもかまわないのだが)、子を持つこと(持たないことも選べるし、持たない運命ももっとゆったり受けとめ、理解されるといい)、子育てをしながら仕事をすること、学校に通うこと、子を学校に通わせること、学校のせんせいになることが、選びにくくなる。
 選びにくくなる前に、夢が語られなくなる。
 それでわたしは「この時代に何を呑気な」とか、「不謹慎である」「考えが足らない」という非難を覚悟して……、そっとどんな選択をしたとしても「なんとかなるさ」と云いたくなっている。
「案ずるより産むが易しって、ほんとうなんだよ」と若いひとたちにささやきかけたい。

 昔の仲よしと再会できて、つくづくうれしい。

「なんとかなるさ」という7文字を、胸のまんなかあたりに置いてみたら、何とも云えずあたたかい感じだ。

B  

昨年のおわり近く、
友だちからこんな贈りものが届きました。
これをひざにかけるだけでなく、
時に、顔を埋めて慰めてもらったり、

肩にかけて踊ったり……。
B_2

モチーフ1枚1枚が、わたしに語りかけてくるのです。
「なんとかなるさ」も、モチーフたちの声として、
伝えられました。
「ふみこさん、だいじょうぶ、きっとできるよ。なんとかなるさ」
そう云ってもらったんです。

〈ふみ虫舎番頭より〉
山本ふみこ画〈切り株シリーズ①〉
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