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2017年3月の投稿

2017年3月28日 (火)

この手にペンを握って

 まごまごしているうちに、あっという間に紅葉も終り、朝夕めっきりお寒くなりました。
 毎日気にかけながら、心ならずもご無沙汰してますが、おさわりなくご活躍の事と存じます。
 私も、と云いたい所ですが、実は心筋梗塞になり、10日間も入院していました。その後リハビリのため、せっせと病院通いをしています。
 かるい方でしたが、無理をしないようお医者先生にもヨーク云われましたし、私としても静かに(?)くらしています。貴女様に毎日おめにかかりたいと思いながら……

               ***


 小振りの便箋2枚に書かれたこれを、母の文箱のなかにみつけた。

 これはおそらく、母が書いたさいごの手紙だ。友人の誰かに向けて書こうとしたものであろうけれども、ごめんなさい、わたしが受けとってしまった。
 みつけたのは昨年実家に行ったときのことで、わたしは「ああ……」と嘆息し、手紙を自分の胸に押しあてた。そのとき実家には母の姿はなく、入院生活がはじまっていた。
 母は85歳の春、父を送ると、少しずつ痩せてこころまでか細くなってゆくようだった。しかし同時に、か細い母にわたしは気を許すようになっていた。やさしいが、わたしの一挙手一投足にきびしいまなざしを注ぐ母の一面を怖れていたのが、ひたすらにやさしく穏やかだった最晩年の母とは何となくうまくつきあえた。

靖子(母)「お金を払うとき、わたしはあわわとなってね、ついお札を出しちゃうの。だからほら、お財布のなかには小銭がこんなにいっぱい。困るわねえ」

ふみこ「困らないで。わたしもいつも小銭持ち」

靖「いいもんあげる。これ、即席のおみおつけなの。おいしいのよ」

ふ「おかあちゃまが即席おみおつけ? へえ!」
靖「騙されたと思って食べてごらんなさい。お昼のお弁当のときとか、忙しくてたまらないときとか。ほんとうよ、おいしいのよ」
ふ「食べたいものある?」
靖「うなぎかな」
ふ「だって、うなぎは先週一緒に食べたでしょう?」
靖「でも、うなぎ。うふふ」

 流れるようにうつくしい文字を書く母の筆跡はそのままだが、便箋には、どこか頼りないものが感じられる。頼りなさが愛おしく、それでわたしは手紙を胸に押しあてたのだ。友に向けて書いているにはちがいなくとも、ほんとうは自分自身に向けて書いたのではないかと思わせる節もある。

 母が心筋梗塞と書いたそれは、あとからの見立てで脳出血だとわかった。そのときの母の転倒は、ことなきを得たのだが、自分に起こったことを「心筋梗塞」ととらえることにし、その後近所のデイケアセンターに通った日日を「リハビリ」として受けとめていたことに、わたしは感じ入った。一連の変化を、たしかめたしかめ母はさいごの手紙を書いたのだ。

 母が逝ってひと月半ほどが過ぎ、わたしはまたその便箋をとり出し、読み返している。そうして俄然、手紙を書きはじめた。母はわたしの手紙の師でもあったから、師からの命(めい)と受けとってもいい。

 学校の年度替わりの忙(せわ)しなさやら、仕事場の引っ越しのてんやわんややらをみずからへのいいわけとし、手紙を書くことは先送りしていたわたしだが、そういうわけにはいかなくなった。さいごの力をふり絞るようにして書こうとする母の手紙の文字は、わたしの手にペンを握らせる。
 母から手紙の書き方を叩きこまれたのに、そのようには書けないままだ。唐突に書きだして、挨拶なしに終わったりするわたしの手紙は、たぶん合格点はもらえないけれど、それでも、そうそれは反抗心からではなく、オリジナリティってことで、許してほしい。

2017

たんぽぽの綿毛をみつけました。
わたしは、こんなにもうつくしい綿毛が
ちょっと怖いのです。
なぜかと云うと……、
子どものころ母が
「風に飛んだたんぽぽの綿毛が
耳に入ると大変!」
と云ったのですもの。

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2017年3月21日 (火)

この春よ

「ね、芽吹きの季節にはおかしなひとがふえるって、ほんとう?」
 この春のはじまり頃に、友人に訊いた。
 わたしのまわりにも不可思議な事ごとが起こっていて、それを季節のせいにしてみようかという考えが浮かんだのだった。友人は心療内科医として、日日悩める人びと、ストレスを乗り切れないと嘆く人びとの相談に乗っている。
「この季節、おかしくないひとなんていないわよ」
 彼女はケロリとして云う。
「おかしくならないほうが、どうかしてる、とも云える」
 と、いたずらっぽい目をしてつづける。
「じゃ、あなたもわたしも?」
「そう。わたしも、あなたも」
 それを聞いた途端、心底ほっとした。
 いままわりで起きている、ちょっと信じ難い事ごともいずれ治まるんだなという気がして。何より、ひとも生物であって芽吹きの時期を迎えており、何とはなしにぞわぞわしているんだなという気がして。
 ただし、「自分だけはおかしくない」と決めこんでいたことだけは恥ずかしかった。
 友人と別れたあと、「あなたもおかしい、わたしもおかしい。芽吹きの季節ですもの〜♪」という歌のようなものをこしらえて、口のなかで歌いながら街を歩いた。
「そうしてそうして〜♪ 自分のおかしさに気がつかなかったわたしが、いちばんおかしいです〜

 ある日、仕事しようとしてもなかなかその気にならず、それなら雑用を片づけようとしてしてもそんな気にもならず、結局、雑誌をめくったり、2時間ドラマ2本たてつづけに(先ごろ亡くなった渡瀬恒彦主演のと、若村麻由美主演のと)うつつを抜かして過ごしてしまった。

 するべきことをしないで怠けた自分を、わたしは「おかしきことの証拠なり〜」と思って許すことができた。思わず怠けた、と書いてしまったけれども、そも、わたしは雑誌をめくることが好き、2時間ドラマを好き(どれもこれも好きなわけではない)、渡瀬恒彦と若村麻由美が好きなのだ。たまにはこんなふうな過ごし方をしていいのではないかとさえ、思えてきた。

 本日は、朝からせっせと働いている。

 夕方まで働いて、夜はちょっとのんびりしたい。散歩がてら馴染みの蕎麦屋に出かけ、板わさをつまみにお酒を飲んだり、蕎麦を。でもほんとうは、上天丼も食べたい。たまに、食べ過ぎたっていいのではないだろうか。蕎麦も天丼も。春だもの。……ああ、愛しいこの春よ。

2017b

つくしが大好きです。
ああ、つくし!

この春のつくしよ!
2017b_2

桜の蕾です。
じきに咲きますね。
この春の桜よ!

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2017年3月14日 (火)

遠くの方から片づける

 引っ越し・模様替えの多い人生である。
 自分ではそうとは気づかぬところで、それを選択したのかもしれない。最近、しきりにそんな気がしている。
 このたびも、また大がかりな模様替えがはじまった。模様替えというより、家庭内引っ越しと云うべきかもしれない。
 となりで腕まくりしながら、「仕方ないな」とつぶやいている男も、みずからの人生に引っ越し・模様替えを呼びこむ体質を持っているように思える。こういう男を夫に持ったことも、わたしの人生を引っ越しと模様替えでいっぱいにしたのだ。

 昨年出版社を辞めて独立した長女を、階下の居間の隅っこのわたしの机に受け入れた。半年余りも窮屈仕事をつづけていたのだったが、とうとう2階の
14畳の部屋をわたしと長女の仕事場とすることが決まった。これまでこの部屋は夫の仕事場兼寝室として使っていた。それを6畳の部屋に引っ越し、こもって存分に音と映像の仕事ができるようにする。
 はなしが決まるなり、即実行。予定を立てて、ではこの時期にしましょうか、などとなならず、そうと決まればってなもんで、ふたりそろって腰を上げている。こういうところにも引っ越し好き模様替え好きがあらわれてしまう。
 こうして、モノを運び、道具や本の入れ替えをはじめると、もう止まらない。「仕方ないな」なんてつぶやいていたはずの夫も、ムキになってなって動きまわっている。「これ、運ぶから、そっちを持って」という具合に、力持ちを夫に認められていることもうれしい。これまで、そうとう重たいモノをあちらこちらに運んだが、一度も腰を痛めなかったところも、引っ越しと模様替え向きであったと思われる。

 さて、こうした作業のとき、できるだけ遠くのほうから片づけてゆく。

 手もとの机まわりをまず片づけて、仕事をしながら整頓してゆく方式ではなく、あとまわしにしたくなるようなことから手をつけるのだ。これはわたしのやり方であって、共感は得られないかもしれない。ただ、こうして片づけてゆくと、引っ越し・模様替え終了のとき、何もかも終了させることができる。そうしてまた、遠くのことが片づくことは案外、達成感に直結しており、気持ちが楽になってゆく。
 遠くのこととはたとえば、こんなようなしごとだ。
 片づけ途中でとれてしまった寝具の上下(頭と足)の印の釦(ぼたん)をつけなおすようなこと。先日実家から持ってきた娘たちとわたしの着物を仕舞うようなこと。撮りためておいたり、友人からもらった写真をアルバムに納めるようなこと。
 遠くのほうから片づけてゆく感覚は、わたしにとっては〈未来〉に対する思い方に通じている。計画性には無縁なわたしだが、遠い未来を思うときには、ちっちゃいけれど大切な事ごとにまず気持ちを向けるだろう。ちっちゃいからこそ大切な事ごとで成り立つのが日常であり、日常がこの世をつくると考えているからだ。

 おおよそ2日間で家庭内引っ越しは終了した。

 生まれ変わったような気持ちになっている。この感覚が忘れ難くてあちらへこちらへ動きまわっているのかしらん、わたしは。

B_2
文化鍋でご飯を炊いています。
それはおいしく炊けますが、
ぶくぶくと吹きこぼれるので、
ガス台が汚れるのが困もの。
吹きこぼれを最低限にする方法として
布巾をのせることをおしえられましたが、
石はどうかなと思いつきました。
なかなかいいです。
昨年、友人ふたりとさかなを食べに出かけた
神奈川県横須賀の海辺で、拾ってきた石が
毎日活躍しています。
こういうことも、わたしには愛しい日常です。

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2017年3月 7日 (火)

なつかしさを目の前に

 東京都武蔵野市の西側の地に、松露庵(しょうろあん)はある。
 旧古瀬邸を改修した茶室と、園庭から成る、あの世とこの世を隔てる境目かと思われるほど浄(きよ)らな〈場〉。
 ここで毎年3月に開かれる茶会に、わたしは招かれた。
 3年前ふとした縁(えにし)により招かれたのがはじまりで、3回めの茶会だ。  
 武蔵野市立S小学校の、クラブ活動茶道部の1年の締めくくりの茶会である。小学4、5、6年生のクラブ員19名が放課後やってくる。上がり框(かまち)にランドセルと上着を置き、静静(しずしず)とやってくる。  
 先に茶室に入り、坐って見ていると、雪見障子のガラス戸に映る子どもたちの足の運びは、ほんとうに静静である。  
 この日、子どもたちはこの1年のあいだに身につけた茶道の作法をもちいて、驚くべき姿をわたしたちに見せてくれた。畳の縁(へり)を踏まぬように、器への敬意を損なわぬように、隣人への思いを忘れぬように……そんな事ごとに気持ちをこめて、一連の動作を目の前に置いてゆく。  

 そんな姿を眺めているうち、母を思った。  
 若いひとたち(近所の子どもや、わたしの級友)、YWCA留学生の母親運動を通じアジアの学生たちに日本の茶道を伝えつづけた活動を、思った。  
 わたしはそれを「まあ、いいんじゃないの?」というくらいに眺めており、YWCAの活動に関しては弟(長男)のお嫁のしげちゃんとわたしの娘たちが支えてくれた。しげちゃんによると、茶会の日には1日のうち100以上の数のお茶を母は立てては、立てては留学生に供していたらしい。  
 松露庵でのひとときをあとにして、てくてく帰りながら、そう云えば母が持たせてくれた茶碗があったことを思いだした。
「これで、まわりの皆さんに、憩いをね」  
 というのが、母からの継承であった。  
 そのときもわたしは「わかった、わかった」なんかと軽く受け流したのだったと思う。  
 ……ごめんなさい、お母ちゃま。  
 家に帰り着いてすぐ、茶碗をとり出し、お盆立ての準備をして、ちょぴり泣く。抹茶を持たなかったので、お茶を立ててみることもかなわなかった。
「お母ちゃま、明日吉祥寺の街に出たとき、抹茶を求めて帰ります」  
 すると母の声がよみがえった。
「話したことあったでしょう、わたしがお茶の世界にあこがれたのは、お菓子のおいしさ。内緒よ、お菓子のおいしさ甘さがはじまりなのよ」  

 3年前父の旅立ちのあと、母がしばらく〈ひとり暮らし〉をすると宣言し、わたしたちが家事の一部を手伝おうと訪ねるたび、「ありがとう」と云ってお茶を立ててくれた。さいごまで、うつくしい手前だった。  
 そのなつかしさを、これからはわたしが目の前に置こう。  

 抹茶を求めにゆきます。

B_2
母から譲り受けたのは「木守」の茶碗です。
来年もまたよい実がなるようにと、
柿をひとつ木に残す風習、木守(きまもり)。
楽焼きの祖〈長次郎〉の名碗がはじまりで、
名付けのたのは、利休です。

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