この手にペンを握って
まごまごしているうちに、あっという間に紅葉も終り、朝夕めっきりお寒くなりました。
毎日気にかけながら、心ならずもご無沙汰してますが、おさわりなくご活躍の事と存じます。
私も、と云いたい所ですが、実は心筋梗塞になり、10日間も入院していました。その後リハビリのため、せっせと病院通いをしています。
かるい方でしたが、無理をしないようお医者先生にもヨーク云われましたし、私としても静かに(?)くらしています。貴女様に毎日おめにかかりたいと思いながら……
***
小振りの便箋2枚に書かれたこれを、母の文箱のなかにみつけた。
これはおそらく、母が書いたさいごの手紙だ。友人の誰かに向けて書こうとしたものであろうけれども、ごめんなさい、わたしが受けとってしまった。
みつけたのは昨年実家に行ったときのことで、わたしは「ああ……」と嘆息し、手紙を自分の胸に押しあてた。そのとき実家には母の姿はなく、入院生活がはじまっていた。
母は85歳の春、父を送ると、少しずつ痩せてこころまでか細くなってゆくようだった。しかし同時に、か細い母にわたしは気を許すようになっていた。やさしいが、わたしの一挙手一投足にきびしいまなざしを注ぐ母の一面を怖れていたのが、ひたすらにやさしく穏やかだった最晩年の母とは何となくうまくつきあえた。
靖子(母)「お金を払うとき、わたしはあわわとなってね、ついお札を出しちゃうの。だからほら、お財布のなかには小銭がこんなにいっぱい。困るわねえ」
ふみこ「困らないで。わたしもいつも小銭持ち」
靖「いいもんあげる。これ、即席のおみおつけなの。おいしいのよ」
ふ「おかあちゃまが即席おみおつけ? へえ!」
靖「騙されたと思って食べてごらんなさい。お昼のお弁当のときとか、忙しくてたまらないときとか。ほんとうよ、おいしいのよ」
ふ「食べたいものある?」
靖「うなぎかな」
ふ「だって、うなぎは先週一緒に食べたでしょう?」
靖「でも、うなぎ。うふふ」
流れるようにうつくしい文字を書く母の筆跡はそのままだが、便箋には、どこか頼りないものが感じられる。頼りなさが愛おしく、それでわたしは手紙を胸に押しあてたのだ。友に向けて書いているにはちがいなくとも、ほんとうは自分自身に向けて書いたのではないかと思わせる節もある。
母が心筋梗塞と書いたそれは、あとからの見立てで脳出血だとわかった。そのときの母の転倒は、ことなきを得たのだが、自分に起こったことを「心筋梗塞」ととらえることにし、その後近所のデイケアセンターに通った日日を「リハビリ」として受けとめていたことに、わたしは感じ入った。一連の変化を、たしかめたしかめ母はさいごの手紙を書いたのだ。
母が逝ってひと月半ほどが過ぎ、わたしはまたその便箋をとり出し、読み返している。そうして俄然、手紙を書きはじめた。母はわたしの手紙の師でもあったから、師からの命(めい)と受けとってもいい。
学校の年度替わりの忙(せわ)しなさやら、仕事場の引っ越しのてんやわんややらをみずからへのいいわけとし、手紙を書くことは先送りしていたわたしだが、そういうわけにはいかなくなった。さいごの力をふり絞るようにして書こうとする母の手紙の文字は、わたしの手にペンを握らせる。
母から手紙の書き方を叩きこまれたのに、そのようには書けないままだ。唐突に書きだして、挨拶なしに終わったりするわたしの手紙は、たぶん合格点はもらえないけれど、それでも、そうそれは反抗心からではなく、オリジナリティってことで、許してほしい。
たんぽぽの綿毛をみつけました。
わたしは、こんなにもうつくしい綿毛が
ちょっと怖いのです。
なぜかと云うと……、
子どものころ母が
「風に飛んだたんぽぽの綿毛が
耳に入ると大変!」
と云ったのですもの。
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