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2017年4月の投稿

2017年4月25日 (火)

行きますとも!

「静岡のブックフェスに参加するけど、お母ぴーも行きませんか?」
 長女梓に誘われたとき、なぜだろう、わたしは「行きますとも!」と即答していた。それが4月22日(土)と23日(日)であり、静岡県三島市で開催されることのほか、ほとんど何もわかっておらず、そも、ブックフェスがどんなものなのかさえ知らなかったけれど、何かがわたしを待っているような気がした。
 梓が集めてためていた文庫本(古書)と、わたしの本棚からの20冊ばかりの本と、昔むかしの拙著数冊を段ボール2箱に詰めた。お互いに時間がつくれず、その作業をしたのは、当日の午前3時だった。
 それぞれ1箱ずつキャリーカートに乗せて、朝出発。

 昨年の春、勤めていた出版社を辞めて独立した梓は、いくつか柱を立てて活動している。フリーランスの編集者、ライター、イベントの企画運営が中心だが、そのほかに「アズアズ書房」としての活動がある。

 いつだったか布製の三角形の旗がいくつもつながっているチベットの旗に、筆で「ア」「ズ」「ア」「ズ」「書」「房」と書いてくれと頼まれたとき、その名を知った。
「この書房は何をする書房なの?」
「古書店の小商い」
「本が好きだから?」
「好きと云えるほどには読書していないから、好きになりたいというのはあるかな。第一には古書の小商い、本を通して、ひととはなしをしたいということなの」
「ふーん」
 と云って看板の旗に文字を書いたが、そのときはおもしろいことを考えているんだなと思った。同時に、初めて耳にする「小商い」ということばと、小さくはじめる小さな商いという概念が、わたしのなかに刻まれていたものらしい。
 そしてこのたびの三島での小商いは、梓の師匠とも云える人物からの誘いによって実現した。
 新幹線の〈こだま〉に乗るのは久しぶりのことで、わくわくした。が、1時間もたたないうちにもう到着してしまい、三島が想像よりずっと近いことがわかってびっくりする。
 三島駅から三嶋大社をめざして歩くこと12分、大きな大きな鳥居を背にして立つと、大通りをはさんだ向かい側に、「大社の杜(たいしゃのもり)」と書かれた大提灯が見えた。これが目的地だ。
「大社の杜」は集いの場であり、おいしいものあり、遊び(イベント)あり、何より誰にも居場所がつくれる空間だった。ハイカラなんだが、よそよそしいところがないのは、古くから東と西のひと、モノ、文化が交流してきた三島ならではの有り様(よう)でもあるだろう。
 ひっきりなしにひとがやってくる。
 家族連れあり、若いひとも歳の大きいひともあり、はたまたぶらりとひとりで訪ねてくるひともある。聞けば、ほとんど毎日やってくるおじいちゃんもあるのだとか。

「アズアズのお母さんですね。はじめまして、トミーです」

 と師匠の富永浩通(とみなが・ひろゆき)さん。
 師匠と云うから、年配の人物を想像していたが、若者。全国を旅してまわりながら、小商いを展開する一風変わったひとであるにはちがいないだろうけれども、感じがよく、相手に気後れとか違和感を感じさせないひとだ。この人柄だけでじゅうぶん生き抜ける、というのがわたしの第一印象だ。
 2日間わたしはここで11時から17時まで「アズアズ書房」の店員として古書を売った。本も売れたんですよ。ほんとうですよ。
 でも何より、わたしを待っていたのはひととの出会いだった。
 トミーとの出会い。「大社の杜」のスタッフとの出会い。興味深気に本を見てくれるお客さんとの出会い。そうしてそうして、ここでわたしはあたらしい何かをふわっと受けとってしまった……。
 あたらしいことをはじめるなんてことは考えたりせず、目の前にある事ごとをこなすのがわたしの道だという思いこみが、吹っ飛んだ。

 帰ってきてみると、家が何とはなしに拗(す)ねていた。

 台所の蛍光灯が切れかかってまばたきしているし、窓辺のタニちゃん(多肉植物)のうちの1鉢が落ちているし、米びつが空っぽになっていた。ああ、いじけたんだなとぴんときた。ひと晩家を空けたくらいで、いじけてもらっては困る。
 困るが、もしかしたらそうさせたのは、わたし自身の変わり様(よう)かもしれなかった。家のしごとをしながら、土産話をぽつりぽつりとつぶやいているうち、家ももとにもどってきた。
 機嫌よくゆきましょうよね。
 機嫌よく、と云えば、2日間一緒に働いた仲間はじつに機嫌のいいひとたちだった。仲間の顔が浮かんでは消え、からだは疲れているのに、なかなか寝つけないでいる。
 また、行きますとも! 

S

これが、ブックフェスの様子です(一部)。
このたびのブックフェスへの参加は、4店でした。

かわいい木製屋台は、師匠トミーの手づくりです。

組み方次第で、いかようにも変化する魔法の屋台。
これを7台もクルマに積んで全国をまわっています。
クルマを見せてもらったら、寝台あり、助手席キッチンあり、

夢のような空間がひろがっていました。

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トミーは、旅をテーマにした古書店「放浪書房」を営むほか、
193070年代の企業広告、雑誌印刷物を使った、手づくり一点ものの
アンティークシール「アドコラージュシール」も扱っている。
旅の途中、クルマのなかで広告を切り抜き、
粘着シールを貼付ける作業をすることもあるのだとか。
わたしは、このシールにはまってしまい、
みずからの小商いの合間合間に、シールを選んでもとめました。
4000枚もあったのです。1時間2時間はあっという間に
過ぎてしまいます。

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2017年4月18日 (火)

漂白剤で化粧落とし?

 コートも、厚手のカーディガンもクリーニングに出してしまおう。
「また寒くなっても知らないよ!」と自分に向かって云いながら、あれやこれやを大風呂敷に包む。
 包んだものをクリーニング店に出しに行くのはじつはわたしではなく、「コートも、厚手のカーディガンも二女に渡して、クリーニング店に出してもらおう」というはなしだ。
 わたしは、読者の皆さんもよくご存知のように、高級志向ではない。全然そうでないのだけれど、クリーニング店だけは、高級店に限る、と考えている。うんと腕のいい、ていねいな仕事をする店。
 もっと云えば料金の高い店。

 そんな店に自分で行かず、なぜ二女に出しに行ってもらうか。

 それは、このひとが洋裁を学んで、いろんなことをよく知っているからだ。クリーニング店に行って、必要ならとくべつの手入れを頼んでくれる。部分的な手当てやら、全体に係るコーティングみたような処置やら。そのため、ただでさえ、ちょっと値の張るクリーニング代に、とくべつ料金が加算されることも少なくはない。
 これは、洋服に対するわたしの感謝の表わし方でもある。
 ただし、のべつクリーニング店のお世話になればいいわけでなく、その選別も二女の役目だ。
 本日、わたしのつくった大風呂敷からコートをとり出して、「このコートはクリーニングの必要なし」と、衿と袖口をちょっと拭いて(別のとき、見るともなく見ていたら、髪を洗うシャンプーをお湯に溶いて拭いていた)窓辺に吊るした。
「クリーニングに出し過ぎるのは、だめ」
 なんだそうだ。
 本日のわたしの衣類の分のクリーニング代は、夏のちょっといいボトムスが1枚買えるくらいの金額だった。

 〈シャンプー使い〉についてはくわしくわからないが、ずいぶん前に、こんなことがあった。粗忽者の悲しさで、白いブラウスや
Tシャツに、わたしはついファンデーションや口紅をつけてしまう。気をつけていないからそうなるのだが、気をつけていてもそうなることだってある。
 そんなシミを、こそっと漂白剤で落とそうとしているところを、この二女にみつかった。
「お母さんて、ふだんの化粧落としに漂白剤使ってるの?」
「使うわけないじゃない。クレンジングオイル使ってます」
「じゃ、いつも使っているそれで、化粧品でつけたシミも落としてみて」
 へええ、と思ってクレンジングオイルでもって白ブラウスにつけた口紅のシミをとんとん叩くと、なんときれいに消えたのだった。あのときはおどろいた。

 この季節は、ワードロープをみつめ直す機会だ。

 そうは洋服を持っているほうでない。着ない洋服はほとんどないが、みつめ直すと、毎回、お別れするものが出てくる。かつては頼りにしていたのに、何だかしっくりこなくなったもの、サイズ感が微妙に合わなくなったものだ。ここで、小声になるのだけれど、シーズンちゅう冒険のつもりで買ったはいいけれど結局数回しか着なかったものが1、2着所在なげにぶら下がっていることも白状しなければならない。
 活躍の末に別れるものたちは、「長いことありがとう」と挨拶して、週1回の市の古布回収日に出してしまう。ここは案外さっぱりしたものだが、新品同様のものはどうしたものかなあ、誰か着てくれたりしないかなあと、じくじくする。考えた末、えいっと古布の袋に混ぜこんでしまったりすると、罪悪感でまたじくじくだ。
「ほんとに、ごめんなさい。もうしません」
 とか云いながら、胸の奥から怪しい予感が湧く。
「いや、きっとまたするよな」

 だけど、できるだけ少ない服で、たのしく生き抜いてみせる。
 これもまたふつふつと湧いてくる実感だ。

Michi01_2

夫とふたりで昇仙峡(山梨県甲府)に旅するはずが、
どちらにも抜き差しならぬ予定が入って、
実現しませんでした。
それでも時間をつくって、近場の小金井公園へ。
遊歩道の一本道が旅ごころをくすぐります。
近所への散歩だって、旅ですー!

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2017年4月11日 (火)

お腹すいたー

 帰り道も、家まで数分というところで、ふとわたしはつぶやいた。
「お腹すいたー」
 いや、驚いたのなんの。
 出先で昼から大ご馳走にあずかり、鰻重のほかに、前菜、刺身、煮もの、天ぷらなどを、少しずつお腹におさめ、帰ってきたのだ。これだけ食べておいて、いったいどの口が「お腹すいたー」などと云うのだろうか。
 朝からの会合、鰻重の席が無事にまあるく終えられるようにと、気を張っていたせいか、おいしくいただきはしたのだけれども、お腹のなかでうどの和えもの、筍の煮もの、なまずの天ぷら、鰻たちが、なんとなく落ちつかずにいる。それに、肝吸いのことなど、どうだったかわからなくなっている。あったのにはちがいないが。
 家に帰って、菊のお茶を淹れ、ひとりでそれを飲んだら、やっと、落ちついた。お腹はいっぱいだった。もう何も食べられないと思いながら、こっそりもう一度、「お腹すいたー」とつぶやく。
「それにしても、きょうのことが無事おさまって、ほんとうによかった。ありがとうございました。あなたもご苦労さんでした」
 あなた、というのは、菊のお茶をすすっているわたし自身である。

 結局、うらはらなことをつぶやいて、ガス抜きをしたのだと思う。

 こんなふうに状態ともこころともあべこべのことを云うのは、めずらしくはなく、わたしは始終「疲れたー」「めんどくさーい」とやっている。
 あまり疲れてもいないし、めんどうくさくもないのに、口のなかでぶつぶつやる。ほんとうのほんとうにくたびれているときや、本格的なめんどうと向き合っているときは、決してつぶやかないのもおもしろい。つぶやくどころではないのだろう。必死というのはそんなようなものだと思う。必死のときは心身も張りつめておいたほうがいいので、ガス抜きなどしないに限る。
 必死でもなく、たいして疲れてもいないのに「疲れたー」とか、そうはめんどうでないのに「めんどくさーい」とつぶやいてしまったあとは、「えへへ、ほんとうはそうでもないんです。ごめんなさい。ちゃんとやります」と口には出さず、胸のなかであやまっておいたりする。
 誰にあやまっているのだか。
 
 こうした、みずからの「疲れたー」「めんどくさーい」の発声の背景に気がついてからは、ひとが同じようなことを云うのを見るたび、「ガス抜きだな」と思ったり、口に出して「どんどん云いなさいな、ガス抜きガス抜き」なんてことまで云ったりするようになった。

 ガス抜きできるようなときは、そんなふうにして、自分の状態が深刻化しないようにするのがいい。
 ひとのこころというものは、案外あっという間につまらぬもので充満するようにできているからだ。

 きょうは午後から、
K市で開かれる会に出かけることになっている。その場に立ち合うためだけに出席する会だったが、その役割を果たせることには誇りを持っている。わたしにできることはわたしがすればいい。
 しかし一方、こんな思いもちょっぴり(ちょっぴりです)持っている。
 その時間家にいて、仕事をしたり、雑用を片づけたりできればどんなにいいだろうか。
「あー、めんどくさい」
 これでいい。これで気が済んだ。
 行ってまいります。 

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「いつからでも始められる
家計ノート」(オレンジページ)
のコラムを担当しました。
この「家計ノート」は、わたしの3人の娘が
愛用しているもので、思い立ったときから
つけられる、やさしくて賢いノートです。
自由に〈月〉と〈日付〉を入れられます。
(定価 本体362
円 + 税)
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月ごと(12あります)のコラムは、
〈フシギのひきだし〉というタイトルです。
短いですが、いまの思いや考えを投入できたことを
感謝しました。
家計ノート、つけてみようと思われる方は
お近くの書店でぜひ!

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2017年4月 4日 (火)

なぜか愛しい

 土曜日の夕方の中央線。
 7人掛けの椅子席に腰かけているのは、向こう側の女の子、こちら側のわたしのふたりきりだ。
 三鷹駅でわたしが乗り、隣の駅の吉祥寺から女の子が乗りこんできて、ふたりの時間ははじまった。
 おかっぱ頭の女の子は10歳くらいで、白いブラウスにグレーのカーディガン、赤い長靴を履いている。女の子から、わたしは目が離せない。なつかしくて、かつて子どもだったころの自分自身というふうにまで思えて。
 そのときだ。
 女の子が提げ鞄(さげかばん)から、板きれのようなものをとり出した。

 やや、まさかあなたもあれを? 

 ちがいました。
 板きれをちょっとかざすように持ち、下部についているツマミを指で引っぱる。びょーん、びょーん。これまたなんだかなつかしい音だ。
 女の子はときどき、板きれを逆さまにして……。玉をスタート位置にあつめるためにそうしているのだ。そうして、びょーんは、玉を打つときの音である。

 ちっちゃなコリントゲーム!

 玉をはじいて(このときバネがびょーんと音をたてる)、玉を釘でつくった受け口あるいは穴に入れる遊びだ。
 女の子は、静かに夢中。
 びょーんという、ことばにも似た音を聞きながら、わたしは膝の上にひろげていたつづきを読みはじめる。こちらも、静かに夢中。
 しばらくしてびょーんが聞こえなくなったのに気がついて顔を上げると、女の子はもういなかった。

 以来女の子はわたしのなかにいて、びょーんとやる。
 ときどきやってきて坐って、びょーんとやるのだろうな。それがどうした、と尋ねられても困る。
 あまりにも愛しく、忘れられない土曜日の電車内での出来事。
 もしかしたら、幻だったかもしれない。


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