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2017年5月の投稿

2017年5月23日 (火)

どうしてこうなるのだろう

 ある月刊誌に、エッセイと評伝が合わさったようなものを連載している。
 文字数は923字(13w×71ℓ/字詰めwと行数ℓ)。短い。

 だけれども、聞いてください。

 短いから楽か、というと、そうでもないのです。

 923
字という制限のなかで、書きたいことをおさめなければならないからだ。
 当然のことだが、923字では書きたいことをすっかり書くことはできない。書きたいことを923字という制限のなかで書くことになる。書き終えたところで、足したり削ったりで苦心することはなく、923字と思って書きはじめれば、ちょうどそのくらいに仕上がるのは、〈慣れ〉なのだ。そんなことは自慢にもならない。問題は、そうです、なかみ。なかみはねえ……。
 なかみばかりは〈慣れ〉の範疇(はんちゅう)にあらず、むしろ慣れたくない、慣れたくないと念じながら書いている。

 連載のはなしに戻るけれども、数えてみたらすでに
15人の人物をとり上げている。密かに先輩、と呼んでしまいたいような皆さんである。
 とりあげる人物について、担当の編集者Iさんと約束したのは、つぎの2点。

 女性であること。

 すでにこの世から旅立たれていること。

 原節子

 茨木のり子
 市川房枝
 石井桃子
 美空ひばり
 レイチェル・カーソン
 長谷川町子
 ハンナ・アーレント
 高峰秀子
 田部井淳子
 メイ・サートン
 秋野不矩
 武田百合子
 リンド・グレーン
 小林カツ代

 書くときには、対象に向かって一途なわたしである。尊敬し、愛してやまないひとを選んで書いているわけだから、〈あの世〉と〈この世〉のあいだには、橋が架かっている。ともかく、足掛かりを欲してのあの手この手の架橋(かきょう)なのだ。わたしにしてみれば、〈あの世〉と〈この世〉のあいだの橋は常に架かっているともいえるのだけれど、そこはやっぱり読者あっての架橋であるから、一途の上にも一途、真剣勝負だ。


 締切が1週間後に迫ったある日、「小林カツ代」のつぎの仕事をしようとして考えこみ、わたしは剪定バサミ、植木バサミを持ちだして、門前の垣根の蔦(つた)を刈ろうとしている。こういうとき、書籍や集めた資料にあたるのは当然のことなのだが、思いつきが煮えたぎることのないように、何とはなしに手と足の働きを借りたくなる。


 あたまだけでは、頼りない。

 手にも足にも相談したい。

 繁りに繁った蔦に向かってハサミをふるいながら、ああだろうか、こうだろうかとわたしは考えている。まずは候補者の選びだ。あのひとを書きたい、あのひとなら書けるかもしれない、あのひとなら……と考えをめぐらせながら、足を踏ん張り、手はハサミを振るうのだ。
30分も働けば答えを得られるはずと思ってはじめた作業が、1時間2時間に及ぶ。
 おもしろくてたまらないのだもの。
 そうして気がつけば、垣根の蔦はつんつるてんだ。
 どうしてこういうことになるのだろう。
 わたしのしごとは、いつだってこうだ。とことんとことんやって、やり過ぎ、つんつるてんだ。目の前の道行く誰かさんのひとりでも、「刈り過ぎですよ」と止めてくれれば止まったものを(ほんとうにそうだろうか)。

 ところで先輩のはなしなのだが。

 これまで15人書いてきて、これから16人めにとりかかろうとしているいま、つくづく思うことがある。
 先輩たちひとりひとりが、その職業、活動……総じて云えば〈道〉ということになろうけれども、よくぞそれぞれの〈道〉とめぐり逢ってくだされた、という思いだ。運命的に出合うということは多くはなくて、受動的に、はずみでその〈世界〉に近づき、その〈道〉を行くことになった事例がならんでいる。
 ありえないウルトラCでもって飛躍させてもらうが、垣根を刈りこもうとして蔦をつんつるてんにするようなわたしの生き方も、まあ、ひとつの〈世界〉であり、〈道〉なんだろうと思う。

2017w_3

いつもは家のなかで暮らしている
タニチャンたちを、ときどきベランダに出してやります。
友人から分けてもらった、めずらしいタニチャンもあります。
根づかなかったか、と気を揉んでいると、
か細くもいのちをつないでくれたり、
ドラマがいっぱい。
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そうそう、つんつるてんの垣根の下に
レンガの植えこみコーナーがあり、
そこにはタニチャンとゼラニウムがならんでいます。
 

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2017年5月16日 (火)

眠りの森

 気がつくと、仕事場の客用2段寝台の布団カヴァの上にまるくなって寝ていた。寝台の上に資料をならべて見ていたおぼえがあるが、そこからどうして横たわり、まるまったのかはおぼえていない。
 資料は無事か?
 あわててからだの下を手でさぐるが、紙のようなものはなく、机のほうを見ると、あった。資料が重なっている。ああ、無意識のうちに資料は重ねて、机上に置いたんだな。
 机から目を上げると、時計の針が「3」を指していた。正午過ぎから3時間あまりもそうしていたことになる。あ”ー。
 日曜日のことで、家にはわたしひとり。こんなふうに気づかぬうちに眠ってしまうくらいなら……したいことはたくさんあったのに。友人たちへの手紙書き。庭の草とり。ママレードづくり。書評を頼まれている本も読んでしまいたかった。
 実現できなかった事ごとが恨めしそうに目の前を行進してゆく。
 いや、恨めしいのはわたしのほうなのだけど、と思いつつ行進の背中を見送る。したくてもできないとか、するはずだったのに手もつけられなかったとか、そんな恨めしさなら、これまでいやというほど味わってきている。そのたび「あ”ー」とやってきたわけだけれども、この日ふと、自分の「あ”ー」に抵抗したくなった。

 実現させたかった事ごとはともかく、その事ごとのどれでもない実現に目を向けてみたくなったのだ。つまり、このたびなら、実現させたかったのにできなかったのが手紙書き、実現したかったわけではないのにできたのが昼寝だ。これまでは前者の「手紙書き」にばかり目を向けていたものだから、それが実現しなかったことを恨めしく思うばかりだった。が、一方で「昼寝」は実現しているのである。

「昼寝できたなあ」

 そうつぶやきながら、からだが軽くなり、目がぱっちり開(あ)いているのに気づく。
 夜の睡眠はお定まりだが、昼間の睡眠は甘美である。
 夜のは闇の世界だが、昼間のは眠りの森だー。
 日曜日の夕方、わたしは単純にも何事かを成し遂げたひとのようになっていた。
 ひとりでウィスキー飲んじゃおうっと。

2017w_10

皆さん聞いて(ください)!
昨年ひとつも実をつけなかった庭の梅の木、
ことしはたくさん実りました。
眠りの森からもどり、目をこすりながら
眺めました。
夢じゃないだろうか!

さあ、忙しくなります。

梅干しと梅シロップをと考えています。

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2017年5月 9日 (火)

蓋(ふた)をはずして

 大型連休には無縁と思いこんでいたが、そうではなかった。
 何より時間がゆっくり流れて、半月分くらいの出来事を受けとめたような気がしている。これはわたしが「おおがたれんきゅうなんだしさ……」とどこかで感じて、知らず知らず心身を緩(ゆる)めようとしていたからでもある。
 わたしという本体はいつものような暮らし方をしていたわけだが、ひとの〈気〉がいつもより直接的に伝わった。思いもよらない便りや荷物、久しぶりのメールも届いた。連休の直前にやってきた埼玉県熊谷市の夫のいとこからの、京都府木津川市の友人からの、筍たちとの台所しごとは、蜜月であった。
 大型連休そのものにも〈気〉みたいなものがあるのかもしれない。

 そうしてことしの大型連休は、わたしに置き土産をひとつ残して去って行った。
 はじまりは「五目あんかけ焼きそば」だった。
 少し前からわたしは「五目あんかけ焼きそば」にこだわっている。食べに出かけようとしたら出かけられない用事ができてありあわせのものをこしらえて食べることになるとか、出かけても目当ての店が休んでいたため「酸辣湯(サンラータン)のスープごはん」にとってかわらるとか、そんなことがつづいた。そのこと自体は少しも不幸ではないのだけれども、「五目あんかけ焼きそば」の食べたさは裏切られてばかりだ。
「とうとう五目あんかけ焼きそばを食べないうちに、わたしは生涯を終えるかもしれない」
 などと、決してひとには聞かれたくない暴言も吐いた。
 大型連休も終盤の土曜の夕方、仕事先からもどる夫と三鷹駅で待ち合わせた。そのときも、夫の希望などは聞かずにすたすたと中華料理店へ。初めての店だった。行ってみたいと思っていたのが実現したのはいいが、コース料理をとることになり……。結局またしても「五目あんかけ焼きそば」を食べ損なってしまった。
 その帰り道、三鷹車両センターに向かう。
 中央本線三鷹駅西側にある、車庫と幾筋もの線路。わたしはその場所を「三鷹駅の電車区」と呼んでいるが、それは開設の1929年(昭和4年)のときの呼称で、現在は三鷹車両センターとなっている。構内には、南北架けられた歩道橋(跨線橋/こせんきょう・鉄道線路を跨ぐ橋)があり、中央線、総武線、東京メトロ東西線などが走るのを見下ろせる。そこはわたしの気に入りの場所だ。
 車両センター南側(三鷹市)の急勾配の階段には、三鷹市に住み、この場所を好んだ太宰治の写真が飾られている。いつもは北側(武蔵野市側)から上り、また同じ階段を北側に下りる跨線橋を、この日、三鷹側から上ったため、その写真をしげしげと眺めることができた。階段途中の太宰治はこのとき何を考えていただろう。たいして何も考えず、ぼんやりしていただろうか。どちらでもかまわないのだが、太宰治の胸の内を想像するなど、初めてのこと。
 跨線橋の上では、夕焼けが待っていた。
 夕焼けは、ひとを慰めたり、感動させようとして在るものではないが、こちらは勝手に慰められ、感動させられる。もしや太宰治もここで同じように慰められていたのか(またしても想像)。
 人間の場合は、滅多なことでは、そこに在るだけでひとを慰めたり、感動させたりできるものではないけれども……、とふと考えている。しかし、自ら閉めている蓋(ふた)のようなものをはずすことができたなら、夕焼けにすこうし近づくことができるかもしれない。こころの蓋をはずす。そうだ、いつの間にかがしっと閉めてしまった蓋をはずして、のびのびとゆこう。
 日日の努力も、休養のようなことでさえ、蓋付きではほんとの努力、ほんとの休養にはならないもの。
 大型連休の置き土産は、三鷹電車区の夕焼け。
 夕焼けはたしかにわたしに云ったのだ。
「こころの蓋をはずそう」

S

 

 

 

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2017年5月 2日 (火)

思いもよらない…

 大型連休だということらしいのに、なにそれ! と云いたいわたしだ。
 だから、というのもおかしいはなしなのだが、大型連休からとり残されても、こんな思いもよらないこともあるのよ……という、そう、自慢話を聞いてもらってもかまわないだろうか。

大型連休がはじまる週の月曜日

 封書のお便りが届く。
 差し出しは「青木奈緒」。え?
 半月ほど前に、『幸田家のことば』(青木奈緒/小学館)の書評を共同通信に書いた、あれのことだなと思った。
 信濃毎日新聞に配信されたのを見て、便りをくださったのだった。
「つい『この本、おもしろそう……』と、まるで読者のように感じて苦笑いたしました」
 とある。
 思いもよらぬことだった。
『幸田家のことば』の書評をと依頼されたとき、頭のなかに、幸田家つまり、青木奈緒、青木玉、幸田文、幸田露伴の名がよぎった。愛してやまない血族の連なりを思ってうれしくもあり、自分にできるだろうかと不安にもなった。しかし、ほんとうのところ、4人の作家を〈連なり〉として感じながらも、〈連なり〉として読んだことはない。その軸を保てば書けるだろうと思った。
 ものを書き、それを世間に向けて差しだすというのが、作家の血筋というだけで実現する労作でないことは、わたしにだってわかる。父が娘を書き、娘が父を書き、その娘が子を書き、子が母を書き、大元と云えるかも知れぬ露伴の曾孫が、曾祖父を、祖母を、母を書いたとして、それが血族の〈連なり〉の上に自然に成り立つなんてことは、決してない。そんな条件はむしろ厄介であり、なかったほうが余程気楽に書けるにちがいないと、わたしは思う。
 青木奈緒さんは、その〈連なり〉を、軽やかに超えて(そんなに簡単でないはずだけれども、軽やかに、と云いたいのです)、佳いお仕事をしておられる。『幸田家のことば』も、ありがたい読書の時間をわたしにもたらした。
 多様化する通信手段によってやりとりする短いことばは、ほんとうにことばなのか。そんなことを感じずにはいられないでいたわたし自身が、ことばに対する渇望の根深さを突きつけられる思いがした。
 40のことば、たとえば「ぞんざい丁寧」「小どりまわし」「知る知らぬの種」「猿守り」「桂馬筋」……などをもとに、ことばの豊かさをひもとく随筆だ。冴え冴えとしたことばが、染みる。

 ところで、奈緒さんの「緒」の字の「者」の上に「、」を打ちたいのだけれども、パソコンのキーボードでそれがどうしたら実現するかがわからない……。

 よわってしまいましたとさ。

大型連休前日

 配達の荷を受けとって、通りを見ると、目の縁に見知った姿が写った。
 家からいちばん近い市立小学校のSA子せんせいだった。
「まあ、せんせい」
「お宅はこちらだったのですね」
 と驚き合う。
「駅まで行かれるのですね。そこらまで、お送りします」
 配達の大封筒を胸に抱え、サンダル履きのままSA子せんせいとならんで歩く。わたしが使う細い細い道や、公園を横切る近道を案内しながら、話題は近況のほか、着るもののはなしにまで及ぶ。早口で。
 裏道から通りに出るなり、子どもたちに囲まれた。小学生あり、この春進学した中学生あり。
「わー、校長せんせい!」
 とみんなうれしそうだ。
 せんせいのほうでも、ひとりひとりの名前を呼び、「最近よく会うね」「あ、剣道部に入ったの?」「あら、これから水泳?」とはずんでいる。
 不意にこみ上げるものあり、視界がゆがんだ。
 誤解を怖れず書くけれども、子どもの育ちは親子関係だけでは不足が生じる。愛情不足に陥って、乾いてしまう。この考えは、大人としての、おばさんとしてのわたしの譲れぬ思いである。それを証明されてしまうと、こんなふうに涙になる。
「それでは、このあたりで。行ってらっしゃいまし」
 サンダル履きのわたしは、家に帰りましたとさ。

大型連休初日

 朝、近所の意(のぞみ)さんと、散歩の約束をする。
 ベルギーシェパードのサンもいっしょの、2人と1匹の散歩。
「じゃ、4時にね」
 わたしはときどき、こんなふうに散歩に連れて行ってもらう。すると意さんはいつもより長めの2〜2時間半のコースを歩いてくれる。途中、広場をみつけてサンの手綱を長—いロープをつけ換えて、ボール投げ(サンはそれを走って追いかけ、くわえて戻る)をする。
 この日は、西に向かって歩き、遊歩道を入って小金井公園まで行き、ひとのいない原っぱでボール投げ。わたしときたらはしゃいで、ボール投げをし過ぎてしまう。
「はい、おしまい。やり過ぎると、帰りの分のエネルギーが足りなくなるからね」
 と意さん。
「ウォン」これはサン。
「はーい」これはふみこ。
 この季節、サンは草を食べたがる。
「だめだめ、食べちゃ」
 と声をかけながら、思う。
 この季節、わたしだって草が食べたいよ。
「毎日散歩をして、サンはしあわせだって云われるんだけどね、ほんとうは、わたしがしあわせなの。心配事があったり、気持ちがもやもやしているようなときも、夕方サンと散歩してると、落ちついてくるの」
「調整(トリートメント)の時間なんだね」
 ボール投げをし過ぎたふみこは、翌日、上半身が筋肉痛になりましたとさ。

S_14

これはわたしの宝物です。
この春のはじめに、友だちが贈ってくれたものですが、
毎朝いちばんに、この石のところに行き、
じっとみつめます。
ちょっとしょんぼりのときも、じっとみつめます。
十勝石。
十勝石の黒は、すべてを飲みこんで、
なお輝く黒だそうです。
掘られているのは「射手座」
——わたしの生まれの星座ですが、
友だちはそれを知ってくれていたのかしら。
お隣りのちっちゃな日めくりも、
友人が毎年贈ってくれる大事な大事な拠りどころ。
このふたつを前にして、わたしの1日がはじまります。

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