ぱんのみみ
子どものころ、大人になればこころがつよくなって傷つきにくくなり、悲しみにとらわれることもなくなると思っていた。子どものわたしは泣き虫だったが、大人になれば涙からは遠くなるにちがいないと、考えたのである。
ところが。
大人になっても、知らぬ間に傷つき、知らぬ間に悲しんでおり、知らぬ間に……。
ひとというのはいくつになっても傷つきやすく、ふと悲しんだり悩んだりする存在だということを思い知った。傷つき過ぎ、悲しみ過ぎ、悩み過ぎには用心しているつもりだが、だからこそ、知らぬ間に薄灰色の感情がたまりがちでもある。
そうして、思いがけない場面で、ふわーっと泣いたりする。
もちろんうれし涙、感動の涙もある。うれしく流しはじめ、感動して流しはじめた涙に、こころのなかにたまった悲しみが混ざったりする。
この際だから、まとめて泣いてしまおうという、泣き方だ。
家でひとり、ウィスキーを飲みながら、なんだか知らないが泣いているようなこともあって、これなんかは「まあともかく、泣きたかったんだね、アナタは」といったような状態。かつて、大人になればこころがつよくなって……と予想していた状態とはあまりにちがうが、仕方がない。
ある日、そんなわたしのもとに絵本が届いた。
イラストレーターのごとうみづきさんの、初の絵本だ。拙著『家のしごと』(ミシマ社)に絵を描いてくださった縁で、この絵本が届いたのだった。
直接お目にかかったことはないが、この数か月、てがみのやりとりをしているものだから、お互いに、何となく相手を感じられるまでになっている。てがみを書ける相手がいて、その相手からてがみをもらえる、というのは、もしかしたら、この世のもっとも大きなよろこびであるかもしれない。
そのことを噛みしめられるわたしは、知らぬ間に傷ついたり、知らぬ間に悲しみをためこんだりする情けない大人ではあるけれど、しあわせな大人である。
ことしの5月、ごとうみづきさんから「初めての絵本が、大好きなミシマ社から出ます」とてがみで知らせていただいてからというもの、たのしみでならなかった。どんな絵本だろうか。想像するだけで胸のあたりがぽっと温かくなる。とうとう、大判の封筒が届いた日、わたしはすこうし緊張し、絵本をひっぱり出したのだ。
『おなみだぽいぽい』(ミシマ社)
そうか、と思って絵本を開いた。
そうか、という気持ちがどういうものだったか、いまとなってはおぼえてもいないのだが、そうか、は見事に裏切られ、本を閉じたとき、わたしは泣いていた。泣きながら、仰天していた。
救われた、と思った。
おはなしの主人公は〈わたし〉。
ねずみの女の子だ。紺色のスカート(スカートの下の水色の格子柄のアンダーパンツがかっこいい)の似合う、女の子。
〈わたし〉は教室のなかで、泣きそうになっている。
どうしたの? ね、どうして?
絵本には、わたしの好きなものが登場する。はんかち。ぱんのみみ。トリ。あ、なみだも。これだって、わたしの気に入りだ。
わたしを仰天させたことばも登場。書いちゃおうかな、書いちゃいますね。
「なげました!」
これを(!マークもいっしょに)わたしの大事なまじないのことばとして、胸にしまった。これからは、情けないこころになったとき、これをとり出す。
「なげました!」
大人になっても、絵本に救われることがあるなんて、子どものわたしは想像していなかったなあ。
『おなみだぽいぽい』(ミシマ社)
不思議な絵本なんです。
声に出して読みましたら、
さらに慰められました。
絵も、素敵。
裏表紙。
ぱんのみみです。
塩気のあるぱんのみみを、
とりは大好き。
最近のコメント