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2017年6月の投稿

2017年6月27日 (火)

ぱんのみみ

 子どものころ、大人になればこころがつよくなって傷つきにくくなり、悲しみにとらわれることもなくなると思っていた。子どものわたしは泣き虫だったが、大人になれば涙からは遠くなるにちがいないと、考えたのである。

 ところが。

 大人になっても、知らぬ間に傷つき、知らぬ間に悲しんでおり、知らぬ間に……。
 ひとというのはいくつになっても傷つきやすく、ふと悲しんだり悩んだりする存在だということを思い知った。傷つき過ぎ、悲しみ過ぎ、悩み過ぎには用心しているつもりだが、だからこそ、知らぬ間に薄灰色の感情がたまりがちでもある。
 そうして、思いがけない場面で、ふわーっと泣いたりする。
 もちろんうれし涙、感動の涙もある。うれしく流しはじめ、感動して流しはじめた涙に、こころのなかにたまった悲しみが混ざったりする。
 この際だから、まとめて泣いてしまおうという、泣き方だ。
 家でひとり、ウィスキーを飲みながら、なんだか知らないが泣いているようなこともあって、これなんかは「まあともかく、泣きたかったんだね、アナタは」といったような状態。かつて、大人になればこころがつよくなって……と予想していた状態とはあまりにちがうが、仕方がない。

 ある日、そんなわたしのもとに絵本が届いた。

 イラストレーターのごとうみづきさんの、初の絵本だ。拙著『家のしごと』(ミシマ社)に絵を描いてくださった縁で、この絵本が届いたのだった。
 直接お目にかかったことはないが、この数か月、てがみのやりとりをしているものだから、お互いに、何となく相手を感じられるまでになっている。てがみを書ける相手がいて、その相手からてがみをもらえる、というのは、もしかしたら、この世のもっとも大きなよろこびであるかもしれない。
 そのことを噛みしめられるわたしは、知らぬ間に傷ついたり、知らぬ間に悲しみをためこんだりする情けない大人ではあるけれど、しあわせな大人である。
 ことしの5月、ごとうみづきさんから「初めての絵本が、大好きなミシマ社から出ます」とてがみで知らせていただいてからというもの、たのしみでならなかった。どんな絵本だろうか。想像するだけで胸のあたりがぽっと温かくなる。とうとう、大判の封筒が届いた日、わたしはすこうし緊張し、絵本をひっぱり出したのだ。
『おなみだぽいぽい』(ミシマ社)
 そうか、と思って絵本を開いた。
 そうか、という気持ちがどういうものだったか、いまとなってはおぼえてもいないのだが、そうか、は見事に裏切られ、本を閉じたとき、わたしは泣いていた。泣きながら、仰天していた。
 救われた、と思った。
 おはなしの主人公は〈わたし〉。
 ねずみの女の子だ。紺色のスカート(スカートの下の水色の格子柄のアンダーパンツがかっこいい)の似合う、女の子。
 〈わたし〉は教室のなかで、泣きそうになっている。
 どうしたの? ね、どうして?
 絵本には、わたしの好きなものが登場する。はんかち。ぱんのみみ。トリ。あ、なみだも。これだって、わたしの気に入りだ。
 わたしを仰天させたことばも登場。書いちゃおうかな、書いちゃいますね。
「なげました!」
 これを(!マークもいっしょに)わたしの大事なまじないのことばとして、胸にしまった。これからは、情けないこころになったとき、これをとり出す。
「なげました!」
 大人になっても、絵本に救われることがあるなんて、子どものわたしは想像していなかったなあ。

2017w_2

『おなみだぽいぽい』(ミシマ社)
不思議な絵本なんです。
声に出して読みましたら、
さらに慰められました。
絵も、素敵。
W

裏表紙。
ぱんのみみです。
塩気のあるぱんのみみを、
とりは大好き。

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2017年6月20日 (火)

真似してもいいよ!

 午後11時半。
 店の遅番をつとめている二女の夜食をつくり、台所も片づけ、さあ寝るかと思ったとき、ふと〈アレ〉が出た。

 〈アレ〉のことを打ち明けますから、どうか、ひそっと読んでくださいましね。

 家のしごとを終えたとき、まともなことを云ったりしたりしたあと、まだ起こっていないことを心配しそうになったとき、機嫌がわるくなる直前、ひとのことをわるく思いそうになった瞬間……、〈アレ〉が出る。いつ、どんなふうに、どんな気持ちではじめたのだったか、おぼえていない。長年つづいたのは確かで、いまでは「さあ、するぞ」なんかと思わずとも、自然に出てくるまでになっている。

〈アレ〉

 両手を肩の高さまで上げ、ちょっとひねるようにする。
 左足を外側に曲げながら上げる。
 腰はちょいと落とし気味にする。
 さあ、顔。目を閉じてほっぺをゆがめ、ひょっとこの顔をする(舌を出すこともある)。

 これをやると、英語で云うところの
resetだろうか、自分をはじまりの状態に戻すことができる。ほんとうにそうなっているかは疑わしいが、場面転換には役立っている。早いはなし、癖でもある。

「何やってるの?」

 とつぜん背後から声をかけられ、〈アレ〉の恰好のままふり返る。
 二女が立っていた。
「お・か・え・り」
 ひょっとこの顔で云う。
「おかしなことをするひとだねえ。何なの? 魔除け?」
 するどいところを突いてくるな。
「……Reset。みつかりたくなかったです」
「アタシも、みつけたくなかったです」
 互いに、くくくっと笑う。
「夜食つくって、片づけも終えて、ちょっと立派過ぎるかなあと思ったら、やってた」

「そういうときにやるのか」
「ほかには、いやな気持ちや考えをぬぐい去りたいときも、やる。出るって感じ。あ、真似してもいいよ」
「いや、いい。アタシはしません」

 ほかにもうんとばからしいことを内緒でやっているのだけれども、このたびは〈アレ〉がばれてしまったので、白状いたしました。

 あ、真似してもいいよ。

Photo_2
昨日のことです。
自分のために焼いたブルーチーズの
トーストを、グリルから出すとき、
失敗しました。
チーズの面を下に、床に落としてしまったのです。
このときも、〈アレ〉は出ました。

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2017年6月13日 (火)

揺れながらコロッケを揚げる

 スーパーマーケットで買いものをしていたら、白髪のひとが目がとまった。紫の花柄のワンピースに、白いカーディガン、鍔(つば)のある洒落た帽子という装い。エレガントな……、ムラサキさん(仮名)。
 ムラサキさんはスーパーマーケットの手押し車でからだを支えるようにして、ゆっくりゆっくり歩を進めている。見れば、手押し車の持ち手に折りたたんだ杖がさげてある。

 70
歳代。
 ひとり暮らし。
 少し足が不自由だけれども、健康。

 想像を混ぜこみつつ勝手な観察をしながら、手押し車の上に置かれた買いものかごをちらっと覗く。覗いたりしてはいけない、と思うが、興味を押さえられなかった。

 筑前煮の詰まったプラスティックの容器、スープらしきレトルト・パウチ、野沢菜の袋、豆腐、サクランボ。

 ご飯。

 にんじんのスープ。
 筑前煮。
 冷や奴。
 野沢菜。
 サクランボ。

 というのが、その日のムラサキさんの夕食か。


 こんな光景はめずらしくなく、ムラサキさんのように高齢でなくとも、ひとり暮らし(?)でなくとも、どんな年代のどんなひとでも、子どもだって……加工品や出来合の総菜を求める時代だ。

 家に電子レンジがあれば温めて、すぐに自分の分の〈ごはん〉が整う。
 ムラサキさんをはじめ、ひとり分の〈ごはん〉たる加工品のある食卓を思って、わたしのこころは、頼りなく揺れはじめた。

 感想は感想として浮かんでくるのだが、それをこうだと認めたくもたしかめたくもなく、わたしはただ、頼りなく揺れながらきゃべつとパン粉、合挽肉、うずらの卵を買って、大急ぎで家に帰った。

 そうだ、わたしの感想は、きゃべつとパン粉、合挽肉、うずらの卵である。
 夫の実家の畑でとれた新じゃがいもと、新玉ねぎを山と積む。わたしの感想は、突如としてコロッケというかたちをとろうとしている。

 ご飯。

 さやえんどうと豆腐のおみおつけ。
 コロッケ。
 うずらの卵揚げ。
 きゃべつのせん切り。
 ぬか漬け(きゅうり、大根、にんじん、ピーマン)。

 手間のかかるコロッケをとつぜんつくりたくなったわたしのこころは、いつかはわたしもコロッケをつくらなくなるかもしれない、というこころだ。そうして、気がついたらスーパーマーケットで買うはずだったものでない、コロッケの材料を買っていた。

 コロッケをつくれなくなるのだか、つくらなくなるのだか、つくりたくなくなるのだがわからないけれど、そんな日がめぐってきたとしたら、それは受け入れなければならないだろう。でも、そんな事態になっても、ひとりで食べてばかりいないで、たまにはにぎやかに〈ごはん〉を食べたい!と希(ねが)えるわたしでいよう。

 この日、たーくさんのコロッケを揚げた。

 コロッケの食卓を囲めたのは、夫、二女、三女、わたしの4人。もりもり食べながら、長女、夫の両親、あの世に逝ったばかりの母、この春ひとり暮らしになった友人、そしてムラサキさんを思い浮かべた。一緒にコロッケを食べたかったひとたちの顔、顔、顔である。

2017w

まんなかの小さい〈まんまる〉は
うずらの卵を茹でてコロモをつけたもの。
友人のノゾミさんが、おしえてくれたので、
つくってみました。
2017w_2

コロッケを揚げたのは夫です。
こういうしごとを、できるうちに
夫にもさせたげないとね。
うずらの卵は、素敵にかわいく、
おいしかったです。

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2017年6月 6日 (火)

ミセス・マヨ

 はじまりは土曜日だった。
 ポテトサラダをつくり、マヨネーズを使いきる。
 ポテトサラダを食卓に出したあと、よし、とばかりにわたしはマヨネーズのソフトチューブのボトルなかへと慎重に酢を注ぎ入れる。ふたを閉めて、ボトルを振る、振る。
 使いきった者にしか味わうことのない〈至福の時〉である。
 こうすることによって、ソフトチューブのボトルに残ったマヨネーズを、酢で洗うことができる。これを思いついたとき、わたしはうっとりした。マヨネーズの容器を容易に洗い上げて再生ゴミ(容器包装リサイクル)とすることができ、同時に、マヨネーズと酢を合わせたドレッシングソースが手に入るのだもの。酸っぱくて緩(ゆる)いこのドレッシングに、わたしは味噌を少し混ぜこむことにしている。

 日曜日の朝。

 友だちが送ってくれたアスパラガスを茹でる。なんてうれしい。こういうとき、わたしはきょろきょろする。しあわせ過ぎはしないだろうかと思って、ちいさな不幸をさがすのだ。台所のゴミ箱のふたの取っ手が壊れているのが目に入った。これで、まずまず、しあわせ過ぎの〈過ぎた〉分を埋め合わせることができる。これでよし。
 かすかに味噌の香りのするあの、容器を洗ってつくったマヨドレッシングをおもむろにとり出す。ガラスの片口に入れ、そこにアスパラガスの穂先をちょん、首をちょん、胸をちょん、腹をちょんとつけながら食べた。

 つぎは月曜日の朝。

 蒸し鶏とセロリをマヨネーズで和え、パンにはさもうと意気込んでいる。もとより、蒸し鶏とセロリのサンドウィッチはわたしの好物で、この世でのさいごに食べようかというくらいだ。ささみがある。セロリがある。近所のパン店で1斤を12枚に切ってもらった食パンもある。
 ……マヨネーズがない!
 2日前に得意になってボトルを酢で洗い、酢で緩んだところに味噌を混ぜたのをアスパラガスにつけて食べたのを思いだした。そうだった。マヨネーズを使いきったのだった。
 友人のUさんの家ならば、マヨネーズが5本くらいは出番を待っているだろう。食品用のラップフィルだって、アルミ箔だって10本ずつ待機している、と云っていたもの。
「え、予備のラップフィルムやアルミ箔を持たないの?」
 とUさんは目をまんまるくした。
「持たないんです」
 とわたし。
「心配じゃないの? 予備がなくて」
「心配じゃないんです、なぜか。終わりそうだな、というときに買うことはあるけど、たいていは、使いきってから買いに行くの」
 Uさんは、自分の家の戸棚を思いだしたのだろう、「わたしはラップフィルムもアルミ箔も10本は持ってる! 心配で」
 わたしは、モノを使いきってしまい、もうなくなりましたというめぐり逢わせになったとき、ちょっとうろたえる感じが好きなのだ。だから、予備を持たない。そんな感じが好きだなんてはなしはUさんにはしていない。医師である彼女にあきれられてしまいそうで。
「買い置きをしない症候群」なんて病気がないともかぎらず、そう診断されたら、わたしも「うろたえたい」なんて云っていられなくなるかもしれない。

 さて、マヨネーズがないとなったわたしは、身をよじってうろたえている。

 中学2年のときだったから、ざっと半世紀近く前に学校でおそわったマヨネーズのつくり方を思いだしながら、水気のないボウル、水気のない泡立て器を目の前にならべた。
 スモック、その上にエプロン、三角巾、長靴と、全身白装束のせんせいが、「マヨネーズが分離してしまうから、水気には注意!」とくり返し云ったのが耳にこびりついている。

 卵黄 ……………1個

 サラダ油 ………150cc
 酢 ………………大さじ2
 辛子 ……………小さじ1
 塩 ………………小さじ1/2
 こしょう ………少し

 こんな感じではなかったろうか。

 こういうとき、ひどく大雑把で、調べようともせず作業にとりかかるのも、わたしの性癖だ。とろみ感を見ながら、味を見ながら、つくればいいさと思っている。ほら、大事なのは水気のない器具を用いることだったじゃないの!
 できたのであります。
 卵黄を練るようにしたところに塩を加え、よくよく混ぜる。
 そこに油をちょっと加えて混ぜ、酢をちょっと加えて混ぜ、をくり返す。ああ、これこそは中学生のわたしを夢中にさせた手順である。サラダ油を混ぜると濃度が増し、酢を加えると緩むのだ。そうか、料理は科学なんだ!と大発見したのだったなあ。
 マヨネーズひとつとっても、物語はいっぱいだ。
・容器を洗いながら、ドレッシングソースをつくって得意になるわたし。
・マヨネーズの買い置きをせず、「ない!」ことをちょっといいなと思うわたし。
うろ覚えでマヨネーズをこしらえてみるわたし。
中学生のころ、マヨネーズをつくりながら「料理は科学なんだ!」と思ったものの、同じ感想を持った小林カツ代さんのようにはなれなかったわたし。
蒸し鶏とセロリのサンドウィッチをほおばり、満足するわたし。

 ミセス・マヨ、アナタもすごいけれども、アナタをこの世に生みだしたひとは、偉大です。

2017w

庭にどくだみが群生しています。
こうなったからには、と思って、
好きにしてもらいました。
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あはは。
すごいでしょう……。
ことしはこれを干して、
どくだみ茶とどくだみ焼酎漬けエキスをつくろうと
思います。
〈とほほ〉を、〈どんなもんだい〉に変換です。
とほほだけど、どくだみの群生はうつくしい……。

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