踏み無為
初めてブログを書いたのは2007年のことで、出版社から本にするための原稿をためるため頼みます、と云われたのがはじまりだった。紙でない媒体での連載はしたことがなく、したことがないばかりか想像すらしなかった。
が、原稿がたまる、というのはよさそうに思えて、ともかく第1回めの原稿を書いて、担当編集者のパソコンに送った。「ブログ」というだけで肩に力が入り、呼吸をしてないようなものができたが、それをそのまま送った。後にも先にもあんなにまずいのを書いたことはない。
ブログを数年つづけて、それをまとめた本を6冊刊行したのち、出版社から離れて、自分であたらしい(ブログの)広場をつくることにした。好きなことを気ままに書いてゆきたいと考えたからだった。切り替わるときにも休まなかったため、結局ブログは途切れなくつづいたのだ。
よくつづいた。
こんなことを書くと辞めるのか? と訊かれそうだが、辞めませんよ。
ブログをはじめた当初は、「コメント」というのが何だかわからなかった。
何だ、コメントって? とも思わなかった。そんな欄があることにも気がつかなかったのだ。あるとき、ブログの画面に「コメント」というのをみつけて、そこをポチッとやったら、手紙のようなものが出てきた。
あのときはおどろいた。
わたしが書いたブログに、感想のような、関連する報告のような、短い文章が寄せられているのだもの。雑誌や新聞に書いたものに対してお便りをいただくことはあったけれども、こちらが書いたと思ったらたちまち返事のようなものが読者から届くなんて……。想像を絶する事態だった。
ちょっと怖いな、と思った。
でも、はじめてしまったのだから仕方がない、しばらくはつづけないと。
そのうち、思いついた。そうだ、怖い「コメント」が届いたらすぐにブログを休み、それがつづいたらブログを辞めよう!
そのころにはまだ「コメント」に関しては、それを恐る恐る読むだけで、返信なんか思いもよらなかった。
お便りをいただいたら返事を書く、という習慣を忘れていたわけではないけれど、ブログの「コメント」がじつはお便りの一種であり、それに返事を書いてもかまわないということに気がついたのは、しばらくのちのことであった。
ふと返信をしたのだったと思うが、一度書いてからは、それもつづけることとなった。同時に「コメント」ではなく、「おたより」と呼ぶこととした。
「おたより」。
ごく短い文章であっても、それを書いたひとがどんな感じのひとであるか、思い癖や、頑度(かたくな・ど)、感情の揺れなんかも伝わる。ハンドルネームというので書いてこられるから本名はわからないけれども……伝わるんだなあ、これが。文章のおもしろさだ。
いまでも決めているのが、怖いおたよりが届いたら、すぐ休むというあれだ。そういうのはそういうのはぜんぜん届かない。これじゃ、休むことも辞めることもできないじゃないか。
お返事がたまって一所けん命書いているとき、ついあわてて差し出し欄に「ふみ虫」と打つ手がすべることがある。
「踏み無為」
なんじゃこりゃ。これが画面にあらわれると何だか、自分の成れの果てのように思えてきて、可笑しい。
さてごく最近のこと。
ヒトの平均寿命がさらにのびるというはなしを聞いた。それに伴い「100年ライフ」なるステージが示された。このステージで必要になる事柄(目録と云ってもよいかもしれない)がいくつかあって、そのひとつに〈変身〉があった。
つまり、100年生きるとなると同じ調子でなど生き抜けるはずもなく、ひとには人生のなかで幾度かの〈変身〉を遂げるための決心やら覚悟やら実践が求められるってこと。
わたしは唸った。これまでもちょこっとずつ〈変身〉してきたような気もするが、そんなちょこっとなんかは超えて変身してゆく気概を持たないと。そう感じて、思わず唸っていたのである。
たとえば「ふみ虫」という呼び名にもしがみついていないで、突如として「踏み無為」というようなわけのわからない方面に傾いてゆくくらいの決心もしておこうと、思ったのであった。
この夏、あろうことか、
ぬか床がいけなくなってしまいました。
ああ、これも〈変身〉のメッセージかしら。
そういう受けとめ方をしようと決めています。
すぐとぬか床を復活させずに、
これから先のぬか床と自分の関係について
考えようと思いました。
写真は、いまのところ、うちのさいごのぬか漬けです。
ピーマン、パプリカを好んで漬けた今夏でした。
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