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2017年8月の投稿

2017年8月28日 (月)

踏み無為

 初めてブログを書いたのは2007年のことで、出版社から本にするための原稿をためるため頼みます、と云われたのがはじまりだった。紙でない媒体での連載はしたことがなく、したことがないばかりか想像すらしなかった。
 が、原稿がたまる、というのはよさそうに思えて、ともかく第1回めの原稿を書いて、担当編集者のパソコンに送った。「ブログ」というだけで肩に力が入り、呼吸をしてないようなものができたが、それをそのまま送った。後にも先にもあんなにまずいのを書いたことはない。
 ブログを数年つづけて、それをまとめた本を6冊刊行したのち、出版社から離れて、自分であたらしい(ブログの)広場をつくることにした。好きなことを気ままに書いてゆきたいと考えたからだった。切り替わるときにも休まなかったため、結局ブログは途切れなくつづいたのだ。
 よくつづいた。
 こんなことを書くと辞めるのか? と訊かれそうだが、辞めませんよ。

 ブログをはじめた当初は、「コメント」というのが何だかわからなかった。

 何だ、コメントって? とも思わなかった。そんな欄があることにも気がつかなかったのだ。あるとき、ブログの画面に「コメント」というのをみつけて、そこをポチッとやったら、手紙のようなものが出てきた。
 あのときはおどろいた。
 わたしが書いたブログに、感想のような、関連する報告のような、短い文章が寄せられているのだもの。雑誌や新聞に書いたものに対してお便りをいただくことはあったけれども、こちらが書いたと思ったらたちまち返事のようなものが読者から届くなんて……。想像を絶する事態だった。
 ちょっと怖いな、と思った。
 でも、はじめてしまったのだから仕方がない、しばらくはつづけないと。
 そのうち、思いついた。そうだ、怖い「コメント」が届いたらすぐにブログを休み、それがつづいたらブログを辞めよう!
 そのころにはまだ「コメント」に関しては、それを恐る恐る読むだけで、返信なんか思いもよらなかった。
 お便りをいただいたら返事を書く、という習慣を忘れていたわけではないけれど、ブログの「コメント」がじつはお便りの一種であり、それに返事を書いてもかまわないということに気がついたのは、しばらくのちのことであった。

 ふと返信をしたのだったと思うが、一度書いてからは、それもつづけることとなった。同時に「コメント」ではなく、「おたより」と呼ぶこととした。

「おたより」。
 ごく短い文章であっても、それを書いたひとがどんな感じのひとであるか、思い癖や、頑度(かたくな・ど)、感情の揺れなんかも伝わる。ハンドルネームというので書いてこられるから本名はわからないけれども……伝わるんだなあ、これが。文章のおもしろさだ。

 いまでも決めているのが、怖いおたよりが届いたら、すぐ休むというあれだ。そういうのはそういうのはぜんぜん届かない。これじゃ、休むことも辞めることもできないじゃないか。

 お返事がたまって一所けん命書いているとき、ついあわてて差し出し欄に「ふみ虫」と打つ手がすべることがある。
「踏み無為」
 なんじゃこりゃ。これが画面にあらわれると何だか、自分の成れの果てのように思えてきて、可笑しい。

 さてごく最近のこと。

 ヒトの平均寿命がさらにのびるというはなしを聞いた。それに伴い「100年ライフ」なるステージが示された。このステージで必要になる事柄(目録と云ってもよいかもしれない)がいくつかあって、そのひとつに〈変身〉があった。
 つまり、100年生きるとなると同じ調子でなど生き抜けるはずもなく、ひとには人生のなかで幾度かの〈変身〉を遂げるための決心やら覚悟やら実践が求められるってこと。
 わたしは唸った。これまでもちょこっとずつ〈変身〉してきたような気もするが、そんなちょこっとなんかは超えて変身してゆく気概を持たないと。そう感じて、思わず唸っていたのである。
 たとえば「ふみ虫」という呼び名にもしがみついていないで、突如として「踏み無為」というようなわけのわからない方面に傾いてゆくくらいの決心もしておこうと、思ったのであった。

2017_7
この夏、あろうことか、
ぬか床がいけなくなってしまいました。
ああ、これも〈変身〉のメッセージかしら。
そういう受けとめ方をしようと決めています。
すぐとぬか床を復活させずに、
これから先のぬか床と自分の関係について
考えようと思いました。
写真は、いまのところ、うちのさいごのぬか漬けです。
ピーマン、パプリカを好んで漬けた今夏でした。

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2017年8月19日 (土)

 ヤブ蚊やら電気虫やら

 朝6時半に家を出て、埼玉県熊谷市にある夫の故郷に向かう。
 時刻表も確かめずに〈ともかく〉家を出て、〈ともかく〉最寄り駅から電車に乗りこみ、新宿駅に着いて発車票を見上げたら、10分後に湘南新宿ラインがくるではないか。わたしの得意なる〈ともかく〉の連続が、芳(かんば)しい〈なりゆき〉へと運んでくれた。
 湘南新宿ラインは、新宿駅から乗りこんだなら、熊谷駅まで乗り換えなしにいちばん早く到着する電車なのだけれど、わたしには、それより何よりボックス席に坐れることがうれしいのだ。
 空(す)いた車内のボックス席窓際に坐ると……、すっかり旅人気分だ。

 熊谷の家に着き、玄関を入ると、通り土間にははが立っていた。

「おはよう。ふんちゃん、いきなりだけど一緒に来てくれる?」
 はははことしの5月、左半身に痺れをおぼえて自分で病院に行き、そのまま入院した。医師の診断は脳梗塞であった。
 たちまちリハビリテーションがはじめられ、訓練の日日となる。左足の運びの不具合と、左手の動かしづらさを受け入れて、ははは、果敢に訓練している。
 7月になると週末ごとの帰宅が許され、わたしが訪ねたこの日も、ははは家に帰っていたのだ。8月13日、迎え盆の朝だった。
 どこへ行くのだろうと思いながら、手渡された剪定バサミをつかみ、〈ともかく〉勝手口から出て、裏門を抜け、ははの傍らを歩いてゆく。ははは、病院で借りた杖をついて、はりきって歩いている。
「ごめんくださーい」
 近所の家の玄関でははは、なかから出てきた女(ひと)に、「お花をね」と云う。
「はいはい、どうぞどうぞ」
 ははは庭の繁みに分け入ってゆく。
「ふんちゃん、こっちこっち。これがミソハギ。短く切ってくれる?」
 茎の先端に穂となって紅紫色の花が咲いている。野性味を帯びたやさしい花である。ヤブ蚊が足に群がる。……いやん。
 しかし不思議だ。実家の庭にも畑の端(はた)にも植栽は無数にあり、行くたびに目新しい花が咲いているようなのに、どうしてミソハギはないのだろう。毎年、迎え盆の朝にわざわざ訪ねて行ってミソハギの花を切らせてもらうのに、どんな意味があるのかしら。
 で、ミソハギはどうするのだろう。お盆と関係あるのだろうか。
 ありました。短く切って束ね、根元に白い紙を巻き、花先を水を張った皿に浸すようにして置く。ミソハギ(禊萩)=盆花(ボンバナ)もしくは精霊花(セイリョウバナ)、は悪霊を祓う意味があるそうだ。これを盆棚に飾る。

 迎え盆を終えた翌日、家の畑のブルーベリーの実を摘む。

 ちちと夫と3人で朝の5時から摘みにかかる。ちちは、わたしの夫と、夫の弟一家の手助けを得ながら、家の留守番と農作業をこなしている。5月のあの日、母の入院の報を受け、大変なことになった、とわたしは思いかけたのだったが、予想に反してなんだかたのしくありがたく日が過ぎてゆく。わたしなどは、支えの役目を果たす夫を応援するというほどのことしかできないが、実家としては田植えを終え、盆の時期を迎え、ブルーベリーを摘んで出荷している。
「しあわせだなあ。ありがたいなあ」
 ブルーベリーの実のうちの、太ったのを摘みとりながら、そう胸のなかでつぶやくと、手の指がちくりとして、痺れてきた。やられた。電気虫(イラガ)だ。この虫に刺されると、しばらく痺れているのだが、ひどくなると腫れ上がって治療が必要になるとも聞くので、用心用心。軍手をして摘むこととする。
 電気虫に刺されるなど、このくらいの不幸が混ざっているほうがいいのだ。前の日にはヤブ蚊にさんざん刺されてたいそう痒かったが、あれもちっちゃな不幸として数えるとしよう。あんまりしあわせなので、ちっちゃな不幸を混ぜまぜ生きてゆきたいのだ。
 まあ、しあわせの基準なんか、よくはわからないのだけれども、わたしがしあわせだと思うんだから、それでいいじゃないか。不幸の基準についてもまた、恐ろしく曖昧(あいまい)ではあるのだけれども、誰に文句のあるものか。

2017

ことしのブルーベリーです。
うつくしいでしょう?

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2017年8月15日 (火)

 数日前の、むっと蒸し暑い夕方だった。
 買いものに出た帰り道、ああ、とため息をついて、首をわたしはうしろに倒す。
 ため息の理由は、きょうもよく働いた……であったか、きょうはあんまり捗(はかど)らなかった……であったか。いまとなってはわからなくなっているけれど、ふと口をついたため息だったのだと思う。
 ただし、首を後ろに倒す恰好がおのずとわたしに空を見上げさせることとなったのは、分かれ道であった。もしも、同じように、ああ、とため息をつきながら首を前に倒していたなら……。前に倒してうなだれていたなら、あれを見ることはなかっただろう。

「あー」

 見上げた空に大きな虹が弧を描いていた。
 しかも、虹はひとつではなく、二重である。ふたつの虹を見たとき、ぞっと鳥肌が立った。昔からそうだった。友だちと遊んでいた野原からの帰り道巨大な虹に追いかけられていることを知った日も、わたしの役目だった門の閂(かんぬき)かけをするため玄関から踏みだしたおもてで星空を見上げた日も、夜空の雲に見下ろされていることに気づいた日も、わたしの胸に広がるのは恐怖であった。
 怖いほどうつくしい、という感覚を知ったのは、だから、じつにじつに幼い日のことだった。
 その感覚も久しぶりのものであったし、そも、空にかかる虹を見るのも久しぶり。わたしはすっかり浮き足立った。恐怖とよろこびとが混ざり合ったこころと買いものの荷を抱えながら、キョロキョロす。あたりの皆さんが虹にこころづいているかどうか、気が揉めている。
 うん、だいじょうぶ。見えていますね、皆さん。
 だいじょうぶではあるのだが、だいじょうぶとも云いきれぬのは、虹を感知するなり、板きれのようなアレをとり出して虹をつかまえようとするひとの多いことだ。それでいいような気もするが、それではだめなような気がして、わたしはまた、あらためて浮き足立ったり気が揉めたり。
 そんなことより!
 そうだ、早く帰って、近所のノゾミさんに知らせよう。
 ノゾミさんにも知らせたかったが、ノゾミさんの96歳のお母上に虹を見てほしくて、走った。

 残像を胸のなかで追いかけながら、虹を、二重の虹を見た幸いを思う。

 幸い。それを受けとめた感じを持つたび、かすかにうろたえる。幸いばっかりじゃあ、いけない……というふうな考えが刷りこまれている。〈こまれている〉というと、誰かが意図的にそうしたという趣だが、こればかりは、自分でがしがし刷りこんだみたいなのだ。
 何だか知らないけれども、いつのころからか、ちっちゃな不幸を混ぜ混ぜ人生をやってゆきたいと思ってしまい、それをがしがしやったのだ。
 たとえば、虹を、それも二重の虹を見てしまったわたしは家に帰って、20年ものあいだ大事にしていた提げ袋をなくしたことに気がついた。
 それでいい。
 このくらいの不幸はあったほうがいい。

 ちょっとおもしろくなってきたので、次回も不幸自慢を。 つづく

2017_32
虹は、わたしにとって、
大きな大きな励ましでした。

 

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2017年8月 8日 (火)

マニアック・ストイック・ヒステリック

 食卓に坐ると、向かい側に二女がいた。手帖片手に、勤めている飲食店の勤務体制をつくっているらしい。こちらも予定表に目を落としている。
「仕事ばっかり」
「しごとばっかり」
 同じ台詞を、ため息とともに吐きだして、顔を見合わせた。
「仕事ばっかりなんて、だめだよね」
「うん、だめだね」
「ね、一緒に何かしない?」
 そう云ったのは二女だった。
「旅とか? ロンドン行っちゃう?」
 こういうとき調子づくのは、いつもわたしだ。
「仕事が詰まっているときに、夢を語ってると、結局何にもできないまま終わるよ」
「ご、ごもっとも」
「サウナはどう? スーパー銭湯でサウナ」

 夏のはじめのこの相談ののち、お互いの予定を擦(す)り合せては、スーパー銭湯通いをするようになった。家から自転車で
20分、徒(かち)で50分、バスで30分。交通手段は、そのときの都合と天候と気分によって決めている。
 きょうもきょうとて、自転車で出かけ、いまし方もどったところだ。
 台風が近づいてきていて、夕方東京でもかなりの雨になるという予報のなか、降られてびしょ濡れになってもかまわないさ、という覚悟を携え出かけた。
 帰り道、降りはじめの大粒数滴にあたりはしたものの、無事家にたどり着くことができた。たとえ雨に降られても出かけてしまおうという無謀が許されたように思えて、しみじみする。

 スーパー銭湯では、主としてサウナ室で過ごしている。

 8分間汗を流して、湯をかけ、水風呂に2、3分浸かる。水を飲む。
 というのを幾度かくり返し、締めくくりとして露天風呂に入ってしゃべる。サウナ室内には声がない。汗を流しながら、誰もが前方のテレビをぐっと睨んでいる。ときどき、番組に笑いを誘われたり、びっくりさせられてほおっと、声を立てることはあるが、世間話や打ち明け話などない世界だ。
 広広とした室内は階段式になっており(スタジアム型というそうだ)、敷かれたマットの上に腰をおろす。タオルと、ひとによっては自前の小さなマットくらいを持つだけで、ひとり残らず裸であり、いわば肌色族である。
 内湯と露天風呂をめぐってたのしむ肌色族は、のんびりと旅をたのしむ種族だが、サウナ室の肌色族は、それとは風情を異にする。なかには、「旅の途中でここへも寄ってみました」というやわらかい顔つきのひともあるが、ほとんどが鍛えるひとであり、挑むひとであり、修行のひとである。
 サウナ室のなかではあぐらをかいたりして、何かしら修練を積んではいても、比較的おとなしくしているが、とつぜんガバッと勢いをつけて立ち上がり、室を出て水風呂に向かう。この種族の感じは……。
「こういうの、何て云うんだっけ? マニアックか」
「いや、それを云うなら、ストイック」
「おお、それだ。ストイック」
 ストイック族のひとたちは、水風呂に入る前に、壷に入ったぬるい湯をかけるときにも、何だかこう、激しいのだ。ザバーン、ボチャッ。
「アナタさまがた、子どものとき、かけ湯をするときには、しゃがんで、とおそわりませんでしたかー?」
 と云いたくなりはするのだが、ストイック族はそんなことおかまいなしに、ザバーン、ボチャッとゆく。
 水風呂に浸かっても、「きゃー、冷たーい!」なんてことは口にしないし、顔にも出さない。
 ストイック族の体型であるが、これはまちまちだ。針のように細いひとも、肌色の襞(ひだ)付きの着ぐるみ(人体着用ぬいぐるみ)を身につけているのかなあ?というひとも、ある。

 で、わたしはこの先どうなってゆくだろう。

 サウナに週一度くらい通おうとしており、いつかストイック族の仲間入りをするのか。そうだなあ、いつまでもおどおどとストイック族を遠巻きにしていたい。わたしのように何事も中途半端なのは、ストイック(禁欲的・完璧主義)の領域には到達しにくいのだし。マニアック(熱中)がせいぜいで、もしストイックをめざしたりしたりしたなら、同じカタカナ世界でも、ヒステリック(興奮)の領域に迷いこんでしまったりしてもいけない。

 サウナはいいです。疲労回復にそうとう効きます。

2017_2

ことし6月に、うちにやってきたうつぼかずら。
このヒトの風情はちょいとストイック。
玄関内に下がっています。

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2017年8月 1日 (火)

かくれんぼ

 友人が「ちょっとだけ」と云って、うちに顔を見せてくれた。
 お嬢さんとお孫さんもいっしょに。
 無沙汰のあいだにおっとりとやさしいお母さんになったご長女と、初対面のちっちゃなひとたち。5歳と2歳の男の子だ。
 そう云えば、かつてのわたしのちっちゃな友人たちはみんな、どんどん大きくなって、ちっちゃくなくなってしまった。ついこのあいだも、隣町で、背の高い青年に「ふんちゃん!」と声をかけられたのはいいが、誰だかさっぱりわからない。
 しかし、目の前の青年の顔を見ていたら、記憶のなかに棲んでいるちっちゃな男の子の顔が浮かんだ。
「まあ、Mクン?」

 うちにやってきた5歳と2歳の男の子は、わたしが絞っておいた夏みかんのジュースをぐびぐびっと飲むと、もうもうじっとなんかしておらず、居間を走りまわりはじめた。書架の前に置いてあるはしごにのぼったり、2階のわたしの仕事部屋を覗いたり、忙しいことこの上ない。

 兄と同じことがしたい弟も、背伸びして忙しくしている。
 おもしろさと、少しは怪我の心配から追いかけているわたしも忙しい。が、こんなときには忙しくなくては困るのだ。初めての家。目新しいモノたち(ガラクタばかりだが)。古びた道具。落ちつきのない大人(わたしです)。そんなのを目の前にして忙しくならない子どもがいたとしたら、さぞ気が揉めることだろう。
 ふたりの男の子が、ふだん外遊びをたっぷりとしているらしいことがすぐわかった。とくに5歳の兄さまのほうは、登る才能がある。
「ああ、それは木登り好きだからなの。この子たちの家の近所の公園には、登ってもいい木があるのですって」
 と、おばあさま。
 ほんの30分ほどの訪問だったが、こんどは新・ちっちゃな友だちふたりと〈かくれんぼ〉をしよう……。

 〈かくれんぼ〉。

 ちっちゃいひとがうちにやってくると、すぐ〈かくれんぼ〉がはじまる。昔からそうだった。2LDK45㎡の家に住んでいたときも、かくれんぼ。わたしが「やろう」と云うと、子どものほうで「え、こんな狭い家で、できるの?」という顔をする。
「できるできる」
 そんなふうに力ずくでその気にさせると、子どもたちはやるんである。これ以上は縮められないというところまでカラダを縮めて、カーテンのかげ、押し入れのなかの隙間、たたんで壁に立てかけたちゃぶ台の後ろ、水を抜いて洗った浴槽のなかに、そっとすべりこむのだ。
「どこに隠れよう……」
 と、困り顔でわたしのもとにやってくる子どもを、台所の冷蔵庫の陰に押しこんだりすることもある。

「モウイイカイ」

「マーダダヨ」

 うまく隠れてなかなかみつからない、なんていうのは、〈かくれんぼ〉をたいしておもしろくしない。馬鹿らしいほどあっさりみつかっても、隠れる者・探す者の双方の真剣さが、おもしろみを生むのだ。


 わたしの〈かくれんぼ〉好きは、大人になっても変わらないままだ。

 ここは隠れるのによさそうだという意識はいまだに持っているけれど、遊びの〈かくれんぼ〉はあまり(!)しなくなった。しかし一方で、遊びとはちがう〈かくれんぼ〉を知っていったのである。
 ことし、母が身罷(みまか)ったときにも、わたしは密かに〈かくれんぼ〉をしていた。大人になってからの〈かくれんぼ〉では、隠れる側でなく、探す側、つまり〈鬼〉役をつとめることが多い。
 母とのこの世での別れ、さびしさやいろいろの葛藤、その事実にまつわる葬送と雑事を経験する。それと同時に〈かくれんぼ〉の〈鬼〉としてのわたしが動きだすのだ。まったくべつのあれやこれやをみつけだして、「ほおお、そうだったのかー」と、隠れた事ごとを発見。
 まさに「ミーツケタ!」という感覚。
 母とのこの世での別れはさびしかったし、親孝行不足が情けなかったけれども、あの世とこの世に分れてからの母とのあいだの橋、これから先母のためにできること、なんかをいっぱいみつけた。それからそえれから、どんなこともありがたく受けとめるのがよさそうだということも、みつけた。

 何かに気づかせるため、ことは起きているんだな。

「モウイイカイ」「モウイイカイ」と胸のうちで呼ばわりながら、隠れている大切な何かを探す〈鬼〉になりたい、わたしは。
「ミーツケタ!」

2017w_9

5年前に、大安売りの籐製の玉のれんを
買いました。
1,000円でした。
夏は、こんなふうにさげています。
春、秋、冬は両側に分けて同じ玉のれんで
結んでおきます。
この夏のはじめ、籐の巻きや、吊るす糸の不具合を
修繕しました。
何でもないことなんですけれども、うれし。

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