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2017年10月の投稿

2017年10月31日 (火)

いちご!

 書棚のなかに、家族の一員だったいちごの写真が飾ってある。
 通りかかるたび、立ち止まって「いちご!」と声をかけたり、何となく話しかけたり。そんなことが5年近くつづいている。

 いちご。

 17年間ともに暮らした黒猫(雌)である。
 2013年1月にこの世から旅立ってから、5年が過ぎようとしている。いちごという名をつけたのは、ちっちゃな黒い猫を拾ってきた二女であり、小学2年生だった当時の彼女のなかには「苺」の甘酸っぱいイメージがひろがっていたはずだ。が、「いいね、いちご」と応えたわたしは、別の受けとめ方をしていた。猫がうちにやってきた5月1日の「ご・いち」を組み合わせて「いちご」。
 猫と暮らすのも初めてだったし、そも、猫を知らないまま生きてきたわたしだった。いちごから見たら、さぞとんちんかんなことばかりする同居人だったろう。
 いちごとの暮らし、じつにいろんなことがあった。
 思い出を綴れば何日もかかるだろうし、そうでなくてもわたしは過去をふり返ったり、あともどりをするのが苦手だ。
 この世の存在でなくなった相手とも、望みさえすれば〈現在〉があり、〈未来〉がある。
 いまでも語りかけたいいちごであり、きっと、来年も再来年もわたしは「いちご!」とやっている(草葉の陰にならんで坐っているかもしれないにしても)。ともに過ごした日日はなつかしいけれど、わたしにはやっぱり〈いま〉と〈これから〉が大事だ。

 ある日。

 いちごの写真の前で「ねえねえ、聞いて」とやったのち、書棚のガラス扉をしめる。アアアアア。と、扉が鳴いた。いちごの声で鳴いたのだ。
 もう一度聞こうとして扉を開け閉めしてみるが、鳴かない。
 かすれたようなアアアアアは、いちごがお腹をすかせたときにたてる鳴き声だ。甘えたようなその呼び声を久しぶりに聞いて、こんどはわたしがあああああ、と鳴く番だった。
 何と云ったらいいか……そうだ、励まされる思いがした。
「アタシハ イツモ ミマモッテル」

 その日から、わたしはいちごの写真に向かって、「きょうもできたら、何かのかたちでメッセージを送ってください。おねがいします」と頭を下げるようになった。いまなお、これほどいちごの存在を頼りにしていたことに、自分でも驚いた。

 その後、どうだったか。

 通りすがりに黒猫を見かける。

 猫が何かを云いた気に近づいてくる。
 カラス(黒い)が目の前に舞い下りてくる。
 黒猫の絵や写真や置きものに目がとまる。

 そんなことで?

 と云われたって、わたしは「ええ、そんなことで励まされているのです」と胸を張る。
 猫たちが、黒い誰かさんたちが、ミマモッテルと、クジケルナと、ソレデイインダヨと、わたしに呼びかける。

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これは、二女のところに2年前、
サンタクロースによって届けられた
黒猫(いちご)のクッションです。
大きさは全長45cmくらい。
うらやましくて、
ときどきだっこさせてもらいに行きます。
いちご!

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2017年10月23日 (月)

おしゃれとわたし

 子どものころは「おしゃれ」とは無縁のような顔をしていた。
 ほんとうは、着るものに対する関心は日に日にふくらみ、どこかで見かけたうつくしい服やめずらしい飾りのついた小物からは目が離せないわたしであったのだが。
 大人から「おしゃれさん」と呼ばれたり、同級生の男子から「おしゃれしてんのか」とからかい口調で云われたりすると、頭(かぶり)を大きく振って否定した。
「おしゃれ」という評価診断を、まるでわるい病気か何かのように怖れていた。いまとなっては可笑しいが、子どものころは、輝かしいもの、正しいことを恥じる傾向があらわれがちだ(大きく頷きましたね、アナタ!)。いや、もしかしたら、そんな性癖はつづいていて、それが目立たなくなっているのは、単に、ごまかし方がうまくなっているからかもしれない。ひとからの指摘をかわす術(すべ)も持ち合わせるようになって。

「まあ素敵なワンピース。おしゃれねえ」

「あら、ありがとう。じつはこれバーゲンでさ、半額だったの」

 なんて具合だ。

 云ってしまって、あとから自分でがっかりするようなこともあって、そこはちょっと複雑なのだが。

 ところで最近頓(とみ)に、「おしゃれ」というのはじつにじつに大事なものだと思うようになっている。「おしゃれ」は身なりや化粧のはなしだと考えがちであるけれど、生活全般に及んでいる。こうして由無し事(よしなしごと)を綴っているこれにも、おしゃれは発揮される。ことばを選ぶ作業など、「おしゃれ」の領域であるのにちがいない。ただしいずれも、飾り立てるという意味ではない。


 気持ちをこめて仕度する。

 考えに考えて選ぶ。
 吟味する。

 そんなこころの働きが、生きがいをつくる。

 最近思われてならないのは、そこである。
 気持ちをこめてと云っても、少しも大がかりなことではない。だからこそ、うれしく生きがいにつながるとも云えるのではないか。

 たとえば家に〈居る〉

 修繕、手入れ。
 ガラス拭きや花を生ける。

 たとえば〈食べる〉

 材料を使い尽くす。保存食をこしらえる。
 しまいこんだ食材をひっぱり出す(あ、こんなところにマカロニが!)。
 器を吟味。

 たとえば〈着る〉

 顔を洗って念入りにクリームをすりこむ。
 爪を切ったり、靴を磨いたり。
 洋服や小物の洗濯、アイロンかけ、修繕。
 数少ない洋服、鞄(かばん)靴のなかから、ふさわしいモノを探しあてる。

 生きるのに慣れてしまったのか、あれやこれやがおろそかになっている。居るも食べるも、寝るも書くも、出かけるも会うも、乗るも歩くも、みんなみんなあたりまえのことになって……わたしは何の気無しだ。話すことばだって、ただつらつらと。


 さて何を着るか。

 拵(こしら)えである。
 それを考えるのは、たいてい前の日の夜だ。
「明日何を着よう」
 と、悩む。

 悩まなきゃ、と思う。

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東京都世田谷区の「豪徳寺」に行きました。
招き猫(招福)を4つ求めました。
3つはそれぞれ娘たちへ。
お参りのあと、森のような店で
おいしいワッフルとハーブティーをたのしみ、
世田谷線に乗って下北沢へ。
古着屋めぐりののち、台湾料理に舌鼓を
打ちました。
大雨のなか、友人ふたりとの愉快な旅でした。
わたしにとって、命のおしゃれでしたとさ。

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2017年10月17日 (火)

着る

 さて何を着るか。
 拵(こしら)えである。
 それを考えるのは、たいてい前の日の夜だ。
「明日何を着よう」
 と、悩む。
 面倒でもあり、一方でものすごくたのしみでもあり……、つまりわたしにとっての大問題だ。そして、着るものをどうするかが大問題でなくなり、あれこれ悩まなくなったら、生きがいの濃度が相当に薄まるだろうとも思う。ま、そうなったらそうなったで、別のおもしろさがはじまるのかもしれないが。

 着るものについての変化と云って、真っ先に浮かぶのは祖母のことだ。

 父方の祖母はうつくしく、きものの似合うおしゃれなひとだった。たとえば家にお客がある、なんていうとき、わたしはまず〈食べる〉と〈掃除〉を考えるが、祖母はちがう。
 いきなり美容院である。
 そうして、季節と気温、その日にみえるひとに因んだきものを選んで着る、という具合だ。わたしの父も叔父叔母たちも、そんなことには慣れっこだった。
「母さんがいない? 美容院じゃないの?」

 おしゃれな祖母が誇らしかった。
 10歳のときのことだ。札幌から弟とわたしの運動会に来てくれることになったあの日。わたしとしたら、子どもごころに見せびらかしたいような気持ちだ。あのとき、祖母は何歳(いくつ)だったのだろうか。
 64歳。藤色のきものを着て、ちょこんと坐る姿は、いまも目に焼き付いている。運動会は1010日であったから、寒さよけに首もとに巻いた小さなスカーフみたいなものも、きれいだったな。きものと同色の、透ける素材の布。
 そういう祖母が70歳をふたつみっつ越したころ、突如として洋装に転じた。
 当時、札幌から東京に移ってきて、わたしの家の向かいの家に住んでいた。
 早くに夫に先立たれ、その後長女である静江叔母一家と暮らしたが、静江叔母が急病で亡くなって、ひとり暮らしがはじまったのだ。
 祖母の家の2階にひと部屋もらって、わたしが同居した。夜ごはんは、祖母とふたりで向かいの実家に食べに行くが、朝と昼は祖母がひとりで仕度していた。中学生だったわたしは、朝は祖母のつくる朝ごはんを食べて、学校に行ったのだ。
「母さんのごはんは、おいしい?」
 と、叔母たちに訊かれた。
 自分たちは娘時代、お手伝いさんのつくるごはんであったから、めずらしがっていたのである。そのころ、祖母は初めて主婦となり、それをたのしもうとしていたのかもしれない。
「おいしい。卵焼きがとくに好き。おいしいし、きれいなの」
 卵焼きが黄色くてうつくしいのには、理由があった。
 卵を割るとき、殻をとっておくのだ。洗顔のとき、祖母は殻に残った膜を指でこそげて顔に塗る。いまで云うパックだ。卵の殻には白身もおまけに残るのだろう、祖母の卵料理は黄身中心となり、卵焼きはぐっと黄色く、目にも鮮やかに仕上がるというわけだ。
「おばあちゃまのごはんは、ていねいで、きれい」

 洋装のはなしをするのだった。

 家事のほか、庭につくった畑の仕事にも精出すようになった祖母は、きものをよそうと考えたのか。洋装にしようと思う、と、わたしに云った。云いにくそうに、やっとのことで云いました、という風情だった。
 そうして、祖母の洋装はさっぱりであった。
 小柄であるからきものはよく映ったが、洋服は丈もそうゆかない。また、驚くようなセンスなのだ。どうしてそんなものを着ようと思うのか、気が知れない。といった有り様(さま)で、まわりをぎょっとさせる。
 仕方なく同居のわたしが代表してスーパーマーケットの2階の婦人服売り場や、デパート、洋品店につきあっては、服選びを手伝った。祖母が選ぶものを止める役を果たすのが精一杯で、結果は捗捗(はかばか)しくなかった。おしゃれでうつくしい祖母はいなくなり、あんまりひとにも見せたくなくなった。
 いまのわたしなら、そんな事ごとをおもしろがれると思うのだが、何分(なにぶん)にも、自分のことだって持て余していた中学生だったからね。おばあちゃまを哀しませるようなことを云ったりしたのではなかったか。
「よくそんなの着ようと思うよね」
 ……なんて。
 おばあちゃま、ごめんなさい。
 何より、きものを振りきるように洋装転じた祖母に、その胸の内を訊いてみたかった。
                           〈来週につづく〉
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文房具店でいいもんみつけて、
鉛筆に着せました。
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鉛筆削り付きのサックです。
いいでしょ。
鉛筆派のわたしには、
ありがたくも愉快な鉛筆のきもの。 

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2017年10月 9日 (月)

たんこぶとふわふわ

 その日の夜、休もうとして、台所のオーブンの上を見たら、マヨネーズのチューブが横たわっていた。
「仕舞わなくちゃ」
 台所の流しの上、戸棚の天井近くのかごに、予備のケチャップ、中濃ソース、マヨネーズが1本ずつ出番を待っている。マヨネーズがそこから冷蔵庫へと異動になったので、それで1本新しいのを買ってきた。
 マヨネーズを仕舞うためには、居間から木のスツールを持ってきて、それに乗っかり、手を伸ばしてかごに……。ほら、これひと手間でしょう?
 しかし、とうとう仕舞おうと決心してわたしは……。スツールをとりに行くかわりにバスケットボールの選手よろしくレイアップシュートの構えでかごをねらう。手にしているのは、バスケットボールではなくマヨネーズだ。
『スラムダンク』の桜木花道に云わせるところの「庶民シュート」を決めようというわけだ。

「痛!」

 あまりの痛さに、その場にしゃがみこむ。
 目から火花が散った。
 レイアップシュートに失敗しただけでなく、かごに跳ね返されたマヨネーズのチュープ(新品だから、なかみはみっちり詰まっていて重い)を左側頭部にくらったのだ。
「どうしてこういうことをするかねえ、大人なのにさ」
 わたしは涙目になってスツールをとりに行き、それに乗っかり、手を伸ばしてかごにマヨネーズを納めた。
 翌日、頭を触ると、マヨネーズで打ったところがずきずきと痛み、たんこぶができていた。誰かに慰めてもらいたくもあったけれども、前日のくだりを話したところで、同情を引けるとはとても思えなかった。
「は? レイアップシュートの失敗?」
 とやられるのが落ちであろう。

 じつはあのとき、はっとした。

 あのときとは、マヨネーズにがつんと打たれた瞬間のことだ。
 スツールをとりに行かず乱暴な真似をした結末の反省にとどまらず、「打たれたな」という感じを持ったのだった。叱られたような気がした。

 夫に向かって冷ややかなひとことを云う。

 読書に打ちこみ過ぎて、行くべき場所に行き損なう。
 到来のチーズを内緒でひとり食べる(ワインも)。
 皿を割る(こっそりサヨナラす)。
 ふたたび夫に向かって冷ややかなことを云う。

 こうして書くとよくあるような事ごとに見えるのだが、最初に書いたのと最後に書いたのが、ことによからぬ事態を運んできて、窮地に陥りそうになり、そこでまた開き直ったのはますますいけなかった。

 ほんとうのところ反省もしなかったし、あやまりもしないでいて、とうとうマヨネーズにやられた。たんこぶをさすりながら過ごした3日間、わたしは殊勝らしく過ごしたのだ。しょんぼりしていた、と云ってもいい。
 マヨネーズが登場するというのはよくよくなことで、わたしを反省させ、改心させようとする存在は、それまでも幾度かあの手この手で気づかせようとしてくれていたかもしれない。そう考えて、しょんぼりしないではいられなかったのである。

 しょんぼりから立ち直ったのは4日目の朝のことだ。

 荷物が届いて、箱を開けると、ふわふわしたものがこちらを見て、にっこり微笑んでいた。北海道の友だちのユウコチャンが、いろいろの種類のじゃがいもを新聞紙でつくった小袋に入れ、送ってくれた。小袋と小袋の隙間を埋めるためにふわふわさん。
 添えられた手紙を読むと、かつて、ユウコチャンのお母さまがガラ紡という大きな機械を使って、羊毛から毛糸をつくり、それをセーターにする仕事をしていたのだそうだ。子どものころ身近に見ていた羊毛と再会して、うれしくなったユウコチャンは、そこに目と口をくっつけた。
「よくきてくれましたね」

 マヨネーズに打たれて反省し、羊毛のふわふわさんに慰められ元気をとり戻した今週のわたし。

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ユウコチャンがつくってくれたふわふわさんです。
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裏側に、ふわふわさんがやってくるまでの
3日間のわたしの顔をつけてみました。
こんな感じだったのです。

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2017年10月 3日 (火)

60分旅

 富山駅に降り立ってみると、ホームを踏みしめる感覚も、売店の有り様(よう)も、新幹線から絞りだされる乗客のせわしなさも、東京駅とさほどちがわない。これは、新幹線で旅するとき共通の印象だ。だが、やがてゆっくりと土地特有の〈おもむき〉が流れこんでくる。

 富山駅。

 空気がちがう。
 澄んだ感じ。
 空気中に含まれる有害物質(埃、カビの胞子、ウイルス、揮発性有機化合物←排出削減に取り組んでいるVOC)の量が少ないんじゃないか、ということもあろうけれども、その地への「ごめんください観」が感じさせるものでもある。

 それからたとえば。

 ハンカチーフを落としたとして、身をかがめてそれを拾ったら、「これ、このまま使っちゃおう」という気にさせられる感じ。東京駅だとそうはいかない。バッグのなかからチャック付きのビニール袋をとり出して仕舞う。
 落としちゃったハンカチーフは使わず、洗濯にまわすというわけだ。
 ちょっとおかしなたとえだけれども。富山駅は清潔で東京駅はそうでない、というはなしではないんだな、これは。

 立ち止まりたくなる感じもある。

 立ち止まって、あーっとのびをしながら旅の不安を吐きだしておいて、これから起きる何もかもを吸いこむ感じ。

 さて、その日の目的は市町村教育委員研究協議会(*)への参加である。 

 富山駅からセントラム(市内電車環状線/路面電車!)に乗り、国際会議場に向かう。文部科学省の担当課長から「初等中等教育施策の動向」についての行政説明を受け、その後、研究分科会に分れて意見交換を行う。という3時間25分の協議会日程である。
 次ぐ日予定が入っていて日帰りしなければならず、できたら会いたいものだがなあと思うひとの顔、酒やさかなののった卓を不承不承に消し去ったが……、同じ胸のなかに、旅先を感じないまま帰るのだけは避けようという思いが湧く。
 短い時間のなか、いかにして富山を味わうか。

 市内電車を「国際会議場前」で降り、腕時計を見ると、集合の時間までに
60分あることがわかった。
 よし、60分旅だ。
 60分しかないと思えば、その60分は、洗面所行き、会議室の場所を確かめ、手持ち資料に目を通し直したりしているあいだに終わってしまう。が、わたしはこのとき、晴れわたった空のもと、「60分もある。しめしめ」と両手をこすり合わせたのだった。

富山城址公園散策。
松川べりでぼんやり。
DDEPARTMENT TOYAMAで買いもの。
総曲輪フェリオ(大和百貨店)で「銀世界」(富山銘菓)と細工かまぼ
 こ(豆鯛)を求める。

・商店街の100円ショップで大きな提げ袋(チャック付き)を求め、戦利品
 を
納める。
国際会議場のカフェテラスで珈琲。

 これで
60分。旅慣れたひとなら、もっといけるかもしれないが、わたしにしたら、この上もない充実である。上機嫌で協議会に臨んだからかもしれないけれど、得るものの多い3時間25分を過ごすことができた。あたらしい出会いもあった。
 帰りの新幹線のなか、富山駅で求めた海鮮弁当のふたをとり、独り言(ご)つ。
「めでたし めでたし」

市町村教育委員研究協議会
 教育とりわけ義務教育の実施にあたっては、国、都道府県、市町村それぞ
 れが役割を分担し、責任を負っている(現在わたしは、東京都武蔵野市の
 教育委員)。

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DDEPARTMENT TOYAMAで求めたのは、
このお盆2枚(32,0×21,5cm)です。
ちょっとお茶、ちょっとお酒というとき使う
このくらいのサイズのお盆が欲しくて……。
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こんなふうに。
お土産に、日用品を選んで求めるってこと、
よくします。
「これ、富山で買ったお盆なんだよねえ」ってね。
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豆鯛、なんて素敵。
それに、わたしは練りものが大好き!

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