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2017年12月の投稿

2017年12月26日 (火)

2017年の記録

 何と云っても大きかったのは、この夏アルコールを辞めたことだ。
 ある夜、ひらめくように思ったんだ。

 酔っぱらっている場合じゃない!


 これまでと、どんな場合がどう違ってきて、そう思ったか。たしかに仕事量はふえていて、締切も約束の会合も目の前に積もって、いつも小山になっている。でも、それより何より……、あまりに飲み過ぎて、「打留め」になっただけかもしれないなあ。


 アルコールを摂るようになったのは
30歳のころだから、ほぼ30年だ。飲めてしまう体質だった。いちばん好きなのは、ウィスキー。
 夜、ウイスキーを飲みながらだらだら仕事したり、読書しながらくぴくぴやったり、料理をしながら飲んだり。そんな状態が好きだった。ウィスキーは、張りつめていた神経をじんわりとほぐしてくれる。ほぐし過ぎることもあるが、それはこちらの責任であり、ウィスキーはわるくない。

 2017
年、酒飲みでなくなったわたしの変化について、記録しておこう。
 まず、これまで欲しなかった甘味が、慕わしい存在になった。
 世のなかの甘味は、あたらしい友だちみたいだ。これを書いているいまのいま、机上には珈琲があり、近所のノゾミさんがクリスマスに焼いてくれた紅茶ケーキ(紅茶とプルーンのバターケーキ)がある。
 珈琲とケーキとわたし。
 半年前にこの組み合わせを、たとえば娘たちが見たらびっくり仰天して「どうした、お母(かあ)ぴー!」「ママヌ!」と叫んだことだろう。
 でも、いまは、書き上げたら頬張ろうという、めあての甘味として、紅茶ケーキは佇んでいる。
 そう云えば、一昨日の夕方、ノゾミさんとサン(ベルジアン・シェパード)と散歩したとき、「お酒をやめたのよ」というはなしを仕損なった。久しぶりの散歩だったので、お互いに報告事項がたまっていたからなのだが、つぎには聞いてもらわなければ。

 もうひとつの変化。

 アルコールを飲まなくなってからというもの、夜、一向に眠くならないから、宵っ張りになったことだ。仕事や手紙書きをしていて、気がつくと午前2時を過ぎている。
 深夜の魅惑にとりこまれて、わたしは何だか眠るのが惜しくなって、ひとり時間外の時間のなかをざぶんざぶんと泳いでいる。

 ところで、辞めたというのは、嘘なのだ。

 ほんとうは月に2回、飲むことを許している。
 2回となると、その日がたのしみでね。
 今月はこの日とこの日、と予定表に印をつける。その日以外は飲まない。
 友だちとの会い方も変わった。
「飲みましょう」ということにならないとなると、昼間そこらをならんで歩いてお茶をする、という会い方になる。これがまた、いいのである。夜遅くまでぐずぐず飲んで、わけのわからんことを話し合ったりしないですむ。
「じゃ、またね」と云って別れるとき、正気でいる自分の手のなかには、その日の残り時間が握られている。

 ええと。

 明日は12月二度目、ことし最後の飲む日なんである。
 友だちのお兄さんが営む酔処に出かけてゆく。
 美味しい青森の郷土料理と、地酒。愉快な会話。それを思って、いまからもう、ちょっぴり酔っているわたし。

Hakusai01w_2

夫が漬けた白菜漬け。
抽象の絵画のようです。
よくがんばりました。

2017
年もお世話になりました。
2018年も、仲よく、おだやかにこの広場で
集いましょう。

ことし、母が逝きましたので、

年始の挨拶はご遠慮申し上げます。

お互いに佳い年越しを、ね。

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2017年12月19日 (火)

道はどこにつづくのか

 12月14日、新宿に向かっている。
 朝起きたとき、寒い日になりそうな予感がした。その上テレビのなかの天気予報士のお姉さんが「……です」と、一桁の気温を口にし、寒さを確約した。
 この日はこれ、と決めていた拵(こしら)えで出てきた。
 グレーのジャンバースカートに白いブラウスを着ているように見えるが、じつはワンピースという拵え。カフス仕様の袖口も、前開きのコンシールファスナーも、きりっとしていてこの日にふさわしい気がした。ワンピースの上にカーディガンのようなものははおらず、コートを重ねている。
 寒くたって、平気さ。

 この日。

 朝日カルチャーセンターでつづけてきた「エッセイを書いてみよう」の講座の最終回の日。
 気がつけば月2回の講座を5年半近くつづけていた。
 それをどうして辞めることにしたかというと、来年から2年間、教育委員会関係のあたらしい役目を受けることとなり、月2回、決まった曜日の午前中に時間をつくれなくなったから……。が、それは表向きの理由であり、ほんとうは胸のなかにつよく芽生えた「新」がわたしを動かした。
 これまでしてきたことを、別のかたちで実現できるのではないか、という思いが湧いている。
 わたしのなかに芽生えた「新」をまな板の上にそっとのせて、包丁の先をあて、すーっと動かしてみると、あたらしい展開を待つものがあふれ出すだろう。泡のように、魚卵のように、それはぐじぐじと膜をつき破る。

 2012
年に12人ほどではじまった講座だったが、すぐと2025人の所帯となり、入れ替わりはあったが、常にほどよい距離感のある研究仲間があったのだ。エッセイを研究する仲間である。
 講座の内容(なかみ)というと、こんなであった。
 午前10時半、それはわたしのどうでもいいようなはなしからはじまる。
「目の前をふたりの女(ひと)が歩いていました。おそらく同じくらいの年齢のふたりです。50歳代かと思われます。ひとりは若若しく見え、もうひとりはそれとは反対です。なぜか。観察しました。若子さんは両手両腕をからだに添わせて前後に軽く振っています。老子(ふけこ)さんは、からだから離れたところで両手両腕を振っています。あ、これだ、と思いました。ちっちゃな違いですが、印象がうんと異なるのでした。皆さんも、帰り道観察してみてください。男性の場合はどうでしょうね。そうして、わが身をふり返りながら帰りましょうよ。ね」
 というような。
 それから前もって用意しておいた刷りものを配る。
 わたしが自分の書棚から1冊選び、そのなかの数ページをコピーし、切り貼りしてつくる刷りもので、皆で「オミヤゲ」と呼んでいる。
 この「オミヤゲ」は、エッセイばかりでなく、小説あり、詩あり、評論、漫画、商品のラベルあり、新聞記事あり、いろいろなのだ。これを、ひとり数行ずつまわし読み(音読です)する。教室内の誰もが、声を出さずに終わるということがない、というわけだ。
 そうして皆さんの作品の発表だ。
 2025人もの皆さん全員の作品は読んでいただけない。1時間半のなかで、7人ほどの発表となる。傑作? まあ、そうも云えるが、そのなかにも陥りやすい具合のわるさ、失敗に近いものが隠れていて、それを共通の学びとする。研究である。
 作品を目で読むのでなく、耳で受けとめようというのは、文章のリズムの大切さをおぼえるためだ。
 これを5年のあいだ、つづけてきた。
 よその文章講座がどのように行なわれているか気にしたこともなかったし、参考にしたいと思ったこともなかった。

 この日、夜になって、わたしは深いため息をついた。

 しあわせな5年を想って、甘く。感謝のため息を。

 さて、道はどこにつづくのか。

3w

3w_2
講座最終回の日に、
講座の文集第3弾
『小窓 』を皆に渡すことができました。
読み返すと、自分たちの歩いてきた道が
仄見えてくるのでした。
わたしたち、はるかな道のりを
共にきたのだなあ……

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2017年12月12日 (火)

ゆっくり屋

 最寄りの三鷹駅までの道には、幾通りかの行き方があって、そのどれを選んで歩こうと所要時間123分にかわりはないが、気分に応じて道を変えている。気に入りのパン店、憧れの庭、ちっちゃな公園、けもの道(鹿も猪も通らないがひとひとり通るのがやっとというほど細い道)、というふうに、ちょっとそこを覗きたい、通り抜けたい場所があるのだ。
 それが最近、覗きたい、通り抜けたいでなくなっている。
 より速く、より無駄なく三鷹駅にたどり着きたいと、わたしは考えているのだった。

 ある日。

 用事があって、身繕いをして家をでた。
 約束の時間にまでには余裕もあったのに、なんとはなしの急ぎ足だ。
 家を出て、最初のけもの道に入り、そこを通り抜けたところで女の後ろ姿がひょいと目の前にあらわれた。丈の短いベージュのコートに、黒スカート黒タイツに黒いブーティー。ビーズのバッグを提げ、肩に赤紫のストールをかけている。
 シンプルで、うつくしいこのbackさんも、急ぎ足である。同じくらいの速度の急ぎ足で、即(つ)かず離れず歩いているが、目の前の後ろ姿はところどころで小技を効かせて見せる。思いがけない場面で不意に曲がって、道をカットしてゆく。
(こんなところで曲がるのね)。
 小技のたび、backさんとわたしのあいだは、3メートルくらい離れる。遅れをとるまいと速度を上げて、間を詰める。が、三鷹駅も近づいた裏道で、最終的な小技がかかった。このときわたしは、こんなところで曲がったって、たいしたカットにはならないだろうと踏んだのだ。
 しかし驚くなかれ、この小技が思いのほかの結果を上げたのだ。
 駅の入口にあたる階段を上るbackさんを、わたしは30メートルほども遅れて見ることになった。

 back
さんとの競争はおもしろくもあったのだが、一方で急ぎ足に対する空しさをも感じさせられた。即かず離れず。道をカット。間を詰める。こんなことにいったい、何の意味があるだろう。
 急いでいるのならともかく、時間に余裕を持っていたその日の自分が、つい早足になるのなんか……、貧乏たらしく思える。

 その日からわたしは、ゆっくり屋を決めこんでいる。

 つい急ごうとする自分を「何をそんなに急ぐのか」と云って止めるのである。
 じぶんのなかにゆっくり屋の看板を掲げてみると、早口にも気づかされ、急ぎ癖がほうぼうに及んでいることがわかった。ゆっくり話す努力をしてみると、相手に伝えたいことが何であるかがはっきりするのだった。そして、どうやら早口ついでにするりと口からこぼれていたらしい事ごとを云わずに済むようになった。
(このはなしは、またつぎの機会に)
 という具合だ。
 ゆっくりやっても、急いでも、所要時間はそれほど変わらないというのもわたしには愉快な発見であった。

 ふと机上を見ると、用事がいくつか溜まっている。

 礼状2通、資料整理、ゲーテ格言集の読書ほか、手仕事としてボレロのボタン付けも待っている。
 これを急いで片づけなけりゃと思いかけたのだが、いやいや、きょうはもう寝て、明日落ちついて片づけることとしよう。

 わたくし、ゆっくり屋でございます。


Hakusai_20 
両親の生活の支援に熊谷に通っている夫が、
ははにおそわりながら白菜を漬けました。
これは漬ける前の天日干しが終わったところだそうです。
ほんとうは、3日間干せばいいのですが、
用事があって5日も干してしまったとか。
いいじゃないですか、ゆっくりやれば。
白菜漬け、乞うご期待。

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2017年12月 5日 (火)

柔柔(やわやわ)

「またこんな、ブス色の痣(あざ)つくっちゃいましたー」
 わたしにとってブス色は附子色(ぶすいろ/または付子色)で、打撲によって皮下に内出血したときにできる痣の色である。青いのや青紫色のや、少少どす黒いのもみんな附子色。
 しかし、このことば、どうも通りがわるい。
「何? ブス色って?」
 とやられる。
「ああ、ブスな色ね」
 なんて云うひとが現れたりすると、聞いたほうも口にしたほうも、わかるようでわからないといった気分に陥るのだった。
「そりゃ、北海道弁だからよ。本州のひとには附子色なんて云わない」
 こうおしえてくれたのは道産子の友人だったが、そう云われてわたしは心底驚いた。
「道産子でございます」と自己紹介の場面で得意になって発表してはいるが、北海道小樽市で産声を上げたのち、4歳になるかならぬかという年に東京にうつってきた、云ってみれば〈生まれただけ〉の道産子なのだ、わたしは。
 そんな自分に、北海道弁が身についているなどとは思いもしなかった。
「お父さまもお母さまも北海道だから、自然に身についたのよ。云っとくけど、ふんちゃんが使ってる、手袋をはく、も北海道弁」
 そ、そうか。
「手袋をはく」と云うたびに、まわりに「手袋ははかない。はめる、よ」と指摘されてきた。ああ、あれも北海道のことばであったか。

 附子色。
 呼び名のことはともかくとして、だ。この色の痣をつくることにかけて、わたしの右に出るひとはないだろう、と思われる。子どものころから、その才能に気がついていた。絵に描いたようなお転婆で、毎日どこかしらに痣をつくっていた。幼少期のいちばん見事な附子色は、幼稚園でつくった痣だった。仲良しのクニオがブランコに乗って大きく揺れているところに飛びだしていき、吹っ飛ばされた。吹っ飛ばされたわたしより、わたしを足で蹴飛ばす羽目になったクニオが大泣きした。
 翌日、目の上がうつくしい附子色に染まり、みんなが見にやってきた。友だちが漕いでいるブランコの前に飛びだす考えなしの愚か者は、それによってつくった痣を自慢する愚か者でもあったのだ。
 大人になってからも、しょっちゅう痣をつくった。
 長ずるに及んで、打撲の自覚がないのに、痣を発見することがふえている。
「あれ、どこかで打ったんだろうか」と痣を見て顧(かえり)みるが、いつ、どこで、が思い当たらない。
 じつはきょうも、左手に痣をみつけた。
 拭き掃除をしようと、雑巾を搾ったときに気がついた。附子色になっているだけでなく、痛みもある。ちらっと、痛みを理由に拭き掃除をさぼろうかと思ったが、まあ、雑巾を搾ったのだし、ひと拭きすることとする。
 恒例の朝のトイレ掃除だ。
「きょうのアタシはおしあわせ。明日(あした)のはおしあわせ」
「きょうのアナタはおしあわせ。明日のアナタはおしあわせ」
 と歌うように唱えながら(これも恒例)、ごしごし吹いているとき、またしてもやったんである。トイレの壁に思いきり手をぶつけた。
「いたたたたた」
 痣をつくって附子色になっているほうをぶつけたので、跳び上がる痛さである。
 
……そうか。
 狭いトイレのなかで、はりきり過ぎているため、こういうことになるのだ。
 あれやこれやにぶつからぬよう、そっと手を動かしたり。タンクのうしろに手を伸ばすときにも、ゆっくり探りながら拭いたり。そういう神経を持たないから、附子色が生じるのだ。
 12月は忙しく、用事もふえるだろうから……、そうだ、常よりもちょいとおだやかに、柔柔とゆきましょう。

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