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2018年3月の投稿

2018年3月27日 (火)

おいしく、送り出しました

 Hさんがこの春、東京から大阪に転勤することになった。
 彼女は、仕事も一緒にした上に友人でもある大事なひとだ。
 本人の希望がかなってのことだから喜ばないといけないが、やはりさびしい。いや、お互い東京にいるからと云って、そうたびたび会っていたわけではない。
 けれど東京の、竹橋の、大きなビルディングのあのあたりに……というイメージがわたしのなかに棲みついていて、イメージの書き換えが必要になる。
 どんな別れも、こうした書き換えの手間がさびしさをひき連れて胸に迫ってくるような気がする。
 4月になり……5月になり、6月がくるころには、書き換えの作業がすすんで、「Hさん、大阪で会いましょう。あれも食べてこれも食べて。それからそれも一緒に食べようね」なんかと云っているのにちがいないのに。
 書き換えをすすめるための儀式。
 これをわたしの家ですることとする。Hさんと共通の友人であるOさん夫妻、夫とわたしの5人のごはんの会だ。

 外向きの用事がつづいていたため、準備にとりかかったのは当日の朝9時だった。そうしてそのときになって献立も決めたのだ。
Oさんが肉料理を担当する、と云ってくれたので……。

手まり寿司

餃子のすまし汁
サラダ
だし巻き卵
ほうれんそうのごま和え
たたききゅうり

 これを紙に書いて、台所の壁に貼る。
 手まり寿司をつくるのは初めてだったが、Hさんを想いながら初めてのことをどぎまきしながらしたかった。まぐろと大葉のせん切り、スモークサーモンといくら、ローストビーフとチーズ、小肌とレモンの4種類をつくる。それぞれ酢飯とネタを合わせて30gの大きさとして、ラップフィルムを使ってころりんころりんとわっぱの漆塗りの盆の上に置いてゆく。手まり寿司がくすくすくすくす笑っているようだ。これでいい。本日はこんなふうにくすくす笑って過ごそう。
 餃子のすまし汁には、近所のラーメン店の大型餃子を使う。夫が買ってきた餃子を半分に切って椀に置き、上からすまし汁を注ぐのだ(小ねぎを散らす)。このすまし汁は、最近のわたしのブームで、誰彼なしに「ねえ、これ、ちょっと食べてみて」とやっている。
 サラダはレタスに小ねぎの混ぜ、トマトを添えただけのもので、Oさんが運んできてくれる肉料理をのせようという魂胆。ごまドレッシングをつくってピッチャーに入れておく。
 卵焼きは、だしをほどほどに入れた甘いわたし風。
 ほうれんそうのごま和えは、夫作。この半年、実家で両親のための料理をしている夫に腕を見せてもらおうという算段だ。
 たたききゅうりは、4本分。わたし自身の約束としてはきゅうりを食べていいのは4月からなのだが、いいじゃないか、壮行会なんだから!という思いですりこぎでうれしくぶっ叩く。

 午後3時。

 Oさん夫妻がすき焼きの準備をしてやってきた。夫婦のリュックサックからは長ねぎが誇らし気にのびている。すき焼きとは思わなかったが、ちっともかまわない。サラダには韓国海苔をちぎってのせることとする。
 30分後Hさん登場。
 どぶろく、富山県南砥市利賀村のどぶろく(まごたりん)、スパークリングワイン、日本酒いろいろを飲みながら、順序よく食べてゆく。5人でよく食べよく飲んだなあ。
 すき焼きはわりしたなしで、砂糖としょうゆを振りながら味の変化をたのしむ。Oさんおすすめの食べ方。ごぼうのささがきが効いている。今後もう、わたしはすき焼きのわりしたはつくらないと思う。とても簡単で、いい具合に薄味で、肉の味が生きているのだもの。
 おいしい食卓からHさんを送りだすことができて幸いだ。
 Hさん曰く。
「いつどこで会っても、おいしいものがあり、お酒があり。おんなじようなことを話すでしょうね。映画のはなし。本のはなし。男と女のはなし。旅のはなし」
 うんうん、そうだね。
 Hさん、また大阪でも東京でも会って、おいしい食卓を囲みましょう。

2018w_5

翌日のことです。
残った酢飯で、ケチャップライスを
こしらえました。
これ、大好きなんです。
材料は、卵、ねぎ、トマト、
ケチャップ、鶏がらスープの素(顆粒)。
酸っぱさをたのしみたくて、
ちょっと酢を足したくらいです。

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2018年3月20日 (火)

NOBUSHINA

 電話の向こうで「のぶしな」「のぶしな」と連呼する声。
 長女の声だった。
「のぶしなって何、だっけ?」
 恐る恐る尋ねると、数秒の沈黙ののち、「長野市の……」というこたえが返ってきた。
「ええと、ええと、炭焼きの?」
「そうそう」
 自らの記憶力の減退を恐ろしいと思うのは、娘たちからの問いかけのときだ。いきなり問われて、問われているなかみが思いだせず、「◯△□※☆〜>?」と曖昧な返答をすると、叱られる。
「さては憶えていないね」
 と、すぐにばれてしまう。
 このときも、そうなりかかったのだが……、「何だっけ?」と応じるなかで、「のぶしな」という音の響きには、憶えがあった。

「のぶしな」。

 長女が仕事を通してめぐり逢った「のぶしな」は、長野市信州新町にある小さな集落・信級(のぶしな)である。人口120人の、山里だ。
 この地に長くつづいてきた炭焼きだが、これを信級で生きてゆく決心をした若者たちが「炭盆栽」づくりとしての取り組みをはじめている。信級の未来を守るため——ほどよく守ることが大事で、おそらくは守り過ぎないためでもあると思うのだけれども——に。
 ひとの住まなくなった古民家の廃材、間伐材など(ほかにも環境のため枝をおとしたり伐採しなければならない樹木がある)を用いて製材し、半月かけて炭焼きする。こうしてできた炭を土台に、山野草、樹木の苗を植えつけるのだ。
 ……というはなしを、じつは長女が自分のブログに書いたのを読んだ。いつか信級というところを訪ねてみたいという思いが、「炭盆栽」をわたしの脳内に留めたものと思われる。
 その「炭盆栽」が、なんとこのたび、わたしの家の最寄り駅であるJR三鷹駅コンコースで展示販売されている。冒頭の「のぶしな」「のぶしな」は、それを知らせる電話であった。
 東京での初めての展示販売が三鷹駅で行なわれていることを知った長女の驚きは、どれほどのものだったろう。わたしも電話の翌日、駅に急ぎ、入場券をもとめてコンコースに入った。途切れなくひとの行き来のあるその一画に、小さな山里が出現している。まあ、そんなはずはないのだけれども、そこに不思議に清涼な気配が漂っているように感じたのはたしかだ。
 炭盆栽職人の浅野知延さん(炭焼き職人は別に存在し、浅野さんはそれを鉢として盆栽をかたちづくっている)は、「ここでの展示販売は1週間。きょうで5日めになりますが、ふと立ち寄ってくださる方がたくさんあって、びっくりしています」と静かに微笑んでいる。
 わたしがたどり着いたときにも、
「何だかわからないけれど、引き寄せられるようにここへ来てしまっていました」
 と云って、自分の行動に驚いている風の女(ひと)が、「炭盆栽」を愛しそうに見てまわっていた。
 わたしはハイマツのをひとつ、友人のためにナデシコ(花が咲く!)のをひとつ求めた。何かが変わってゆく予感とともに、そっと静かに持ち帰る。

Azusa  Yamamoto’s BLOG
 https://jamamotocapisa.goat.me

信級の「炭盆栽」丸増(まるます)

2018w_10

炭盆栽 
ハイマツ
(直径9×高さ9cm
2018w_12

炭盆栽 
ナデシコ
(8cm×高さ9cm

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2018年3月13日 (火)

星のかけら

 思い設けぬこと。
 きょうも、そんなことがあった。
 耳を疑うような事実を知らされ、まあ!と驚いたのち、説明を受け、やっとのことで胸に納めた。わたしが知ることになったのはおそらく宿命である。わたしに直接関われることではなかったが、簡単にはひとには告げず、行方を見守る。宿命には、いつも約束が宿っている。

 年を重ねるなか、思い設けぬことがひとつ、ひとつ溜まってゆくようで、わたしはときどき、そのひとつひとつを目の前に並べてみる。溜まりましたねえ、などと云ってそれをひと括りにすることはできないし、してはいけないと思いながら並べる。

 どれも宿命によって置かれ、不思議なひかりを放っている。
 それでいつの頃からか、それらを〈星のかけら〉と呼ぶようになった。目の前に並べたどの〈星のかけら〉にも、ひとの顔が見える。そこに見えるのはみんな、情けのある、苦労の顔だ(〈星のかけら〉には、いやな顔はふさわしくないから、片づけられている)。
 このことは、このひとの働きのおかげで、非常事態に至らなかったのだ。それがあとから見えてくることもある。そういう〈星のかけら〉はいっそう強いひかりを放っている。

 ところで。

 ひとの携(たずさ)える特性のなかで、わたしが密かに頼りにしているのが、「忘れる」だ。そうだ、忘却は、かなり頼りになる。
 ときどき友人知人に向かって、「それはもう、忘れていいのではないか」と告げたりするわたしは、忘却推進屋と云えるかもしれない。
 〈星のかけら〉も、目の前に並べて眺め、たしかめたりする一方で、ときがきたらあっさり忘れる。おはじきみたように、指でぽーんと銀河の彼方にはじき飛ばすのだ。
 新たなる思い設けぬことを、きょうひとつ胸に納めて〈星のかけら〉としたけれども、じつはひとつ別のをぽーんとはじいて忘れようとしている。
 胸のなかにひとつ納めてひとつ忘れる。
 このくり返しで、バランスをとっているのかもしれない。
 何をはじき飛ばしたかって?
 忘れることにしたのだし、打ち明けます。
 ある人物の相談事。これもじつに思い設けぬ有り様(よう)で迫ってきたのだったが、片がついた。後半部分は首を突っこんで気を揉み過ぎた反省もある。また、べつのかたちで訪れてこないとも限らないけれど、ともかく本日はじきます。ぽーんと。

 グッドナイト。

2018_29

友人からもらった「アイスプラント」。
知らなかったー。
おそるおそる生で食べてみました。
くせがなく、口のなかでプチプチはじけ、
おいしいです。
天ぷらもいけそう。
葉に氷の結晶がついているような
アイスプラントさん、
この世のものではないような質感です。

〈お知らせ〉
2018年6月23日(土)
池袋コミュニティ・カレッジ
(西武池袋本店 別館8・9階)
「対談 : 幸福に気がつく力」
青木奈緒さん(作家・エッセイスト)との対談。
時間:13:00〜14:30/
受講料:3,348
申しこみ・問合せは「池袋コミュニティ・カレッジ」
でんわ:03−5949−5481
または、ホームページ(「池袋コミカレ」検索)へ。
ご興味のある方(青木奈緒さんがともかく素敵)は、
ぜひお申しこみください。
当日お会いできるのをたのしみにしております。

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2018年3月 6日 (火)

誇リヲモッテ歩クノダ

 春は複雑な季節だ。
 ひとの身にこれほど変化のある時はほかになく、それだからこそ季節は、梅花の香りを送ったり、桜をぱあっと咲き誇らせたりして、総力を挙げてひとへの鼓舞にかかるのだ。近年、そんなふうに思うようになっている。

「泣クナ、感謝セヨ。ソウシテ誇リヲモッテ歩クノダ」


 そう語りながら香り、萌え、咲くのだもの。

 この時期、ひとに告ぐべきでないことも少なからず。
 変わりゆく木木の梢を見上げては「泣クナ」と諭(さと)され、地面に隠れるように咲くオオイヌノフグリからは「感謝せよ」と意見される。
「はいはい、わかりましたよ」
 などとぶつぶつやっていると、枝枝(そのなかであらゆる芽、花、葉が飛びだす準備を終えている)に「ソウシテ誇リヲモッテ歩クノダ」とやられる。

 ある平日の午前中、久しぶりに家にいた夫を散歩に誘って、小金井公園を歩いた。すると、梅園の梅の花たちが口ぐちにまた呼びかけてくる。このとき、自然界の友人たちからは、いまのわたしのこころが弱弱しく頼りなく見えるのだということに気がついた。

 近づく変化のなかには、わたし個人としては受けとめ難いものも含まれているけれど、(変化に)怖じ気づき泣いている場合ではない。変化のなかには未来のタネがいっぱいだ。静かに芽や根を育み、枝枝をのばし、ついには葉や花を誕生させるに至る目の前の風景と、同じように。

 「そうね、わたしもこれから、誇りをもって歩くのだ!」


 と、宣誓する。

 
 帰り道、気に入りの蕎麦店でその日最初の客となり、大きな声で野菜天丼とあたたかい蕎麦のセットを注文。これでよし!

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小金井公園で待っていてくれた
オオイヌノフグリとホトケノザ。
大事な友だちです。
2018w_6

梅園ではさまざまな花と出合いました。
これは「べにちどり」さんです。


〈お知らせ〉

2018年6月23日(土)
池袋コミュニティ・カレッジ
(西武池袋本店 別館8・9階)
「対談 : 幸福に気がつく力」
青木奈緒さん(作家・エッセイスト)との対談。
時間:13:00〜14:30/
受講料:3,348
申しこみ・問合せは「池袋コミュニティ・カレッジ」
でんわ:03−5949−5481
または、ホームページ(「池袋コミカレ」検索)へ。
ご興味のある方(青木奈緒さんがともかく素敵)は、
ぜひお申しこみください。
当日お会いできるのをたのしみにしております。

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