愛のあるところには……其の2
新宿駅から湘南新宿ラインのグリーン車に乗りこみ、わたしは熊谷駅に向かっている。
グリーン車と云っても、780円を奮発するというわたしの贅沢の許容範囲であったし、2階建ての下の車内においてもマルティン・アヴデーイチの助けを借りてこれから自分が向かう世界を思うことができた。
マルティン・アヴデーイチとは如何なる人物であるか。
レフ・ニコラーエヴィッチ・トルストイ(1828−1910)の「愛のあるところには神もいる」の物語の主人公である(岩波少年文庫『イワンのばか』収録/金子幸彦訳)。靴屋のマルティンは地下室の、窓のひとつしかない小さな部屋に住んでいる。窓からは往来を行き来する人びとの足が見える。
マルティンには靴を見るだけでわかるのだ。靴の底を取りかえたもの、つぎをあてたもの、縁(へり)を縫いなおしたものもあれば、つま先を付け替えたのもある。
ホームではひとの足が見える階下の車内では、自分がマルティンになったようで、1時間9分の旅はあっという間に終わった。
熊谷駅に到着し、くるまで迎えにきてくれていた夫運転のくるまに乗りこむ。
「来たよ」
と云う。
「来たね」
と返される。
熊谷で母の入院を見守り、ちちの日常に寄り添い、農業を援(たす)ける暮らしをしながら映画の仕事をしている夫は、いま、ちょっとわたしにはまぶしい存在だ。この生活がはじまったのは1年前だが、当時はまだ、こちらの生活が主体であり、夫には、わたしの協力をこそっとその肩にのせて熊谷へ送りだしているつもりであった。
だが、ははが二度目の入院をしたいまとなっては、夫の熊谷滞在が主体となり、わたしの協力は肩先にのせるくらいでは足りない状況となっている。
そうは云っても、東京にいなければ果たせない度合いの増しているわたしの仕事と役割は、夫を助けようにもそれを許さない。
その日見舞うと、はははちょうど夕食を摂ろうとしているところだった。
手を出そうとするわたしを制するように、右手に握った匙をそっと振って見せた。
「ダイジョウブ。器にも工夫があるから、自分で食べられる」
そう云って、ははは五分粥、鶏ひき肉のそぼろ煮、ほうれんそうのおひたし、かぼちゃの甘煮を残さず食した。海苔のつくだ煮の入った小袋を手で切って、なかみを五分粥の上に絞りだすということだけは、手伝わせてもらった。
ひとという存在に許されていることの意味をおそわったような気がして、泣きそうになった。時間をかけてははの足をマッサージし、またこれをしに来ようと誓う。
家では夫とちちのためにおかずのつくり置きをしようと考えていたのだが、これまた夫に「ダイジョウブ。それはぼくがする」と云われてしまった。
「それはぼくがするから、アナタは親父の話し相手をして」
ちちは、夫からストップがかかるまで2時間わたし相手にはなしをしてくれた。これまで聞いたことのない昔のはなしはおもしろく、夫に止められなかったら、朝まではなしをしていたかもしれない。
弱くなった父母、ちちははを見たくないという稚拙な思いを抱くなか、ちちもははも、その存在を賭けて大切なことを示してみせてくれた。
たしかに肉体は細り、体力は弱まり、記憶もところどころ薄れているのだが、魂はかがやきを増している。そうしてそのかがやきはわたしに向かって、「よく見ておきなさい」と告げている。
わたしはまたしてもトルストイの物語を思いだす。
マルティン・アヴデーイチが活躍するものがたり「愛のあるところには神もいる」とともに収録されている「人は何でいきるか」の一節が熊谷の寝台に横になったわたしのもとに、静かに降りてきたのだった。
人は自分で自分のことを心配しているから、それでみんな生きてゆけるのだと思っているけれど、(中略)ほんとうは愛によって生きているのだ。愛のなかに生きる者は神のなかに生きている。
何か助けになることをしたいと思って熊谷を訪れたわたしに、ちち、はは、夫は、身を以て伝えてくれた。
愛があれば……と。
こうしてわたしが助けられたのであった。
夫が送ってくれた田植えの準備の写真です。
田植え機用の苗箱に種まきをしたあと、
発芽を促進する室(むろ)を作って、
籾種が芽を出すのを待ちます。
出ました出ました。
苗代に出してお陽さまにあてると、
たちまち青青としてきます。
熊谷の田植えは6月のはじめです。
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