愛のあるところには……
その日は土曜日で、朝から武蔵野市内の小学校に出かけたり、昼にはひと会ったり、めまぐるしく過ごし、わたしは……ほんとうにきょう、行くべき地に立てるのだろうか、と思いながらめまぐるしく……。
その心配をよそに、わたしは午後2時10分、三鷹駅から中央線の乗客になり、新宿駅に向かった。
新宿駅で湘南新宿ライン「籠原行き」に飛び乗る。このとき、自分にグリーン車を奮発したのは、「場面転換」の符号だった。降車駅は熊谷だ。
農業。家のなかの、年中行事のあれやこれや。親戚や地域の皆さんとの交流。こうした事ごとに精出していた夫のははが脳梗塞で入院したのはちょうど1年前のことだ。3か月の入院中リハビリテーションに励んで、かすかに左手足に麻痺を残しながらも、母は日常生活をとり戻していた。
が、その後二度にわたって、脳梗塞の発作を起こし、このたび二度目の入院となる。
ひとり暮らしになったちちと、農業を援(たす)けるため、夫が本格的に熊谷の家に暮らすようになってひと月が過ぎようとしている。
この間、忙しかったのはたしかだが、ははにもちちにも会いに行きにくいこころが、わたしのなかに芽生えていた。日頃能天気を決めこんでいるわたしに、物思いが生じた。
ははには堂堂としていてほしい。
ちちには穏やかに、あってほしい。
田は瑞瑞しく、畑は青青と、あってほしい。
ブルーベリーも機嫌よく。
蛙は元気に斉唱を。熊谷の家は風通しよく……。
猫のタロウ(22歳)は気ままに食いしん坊を決めこんで……。
それが一筋でも変化するのは嫌だー。
なんて考え、脳内で叫んでいるおまえさんは、何歳(いくつ)の駄駄っ子かー。
正直なところ、そんな稚拙な物思いのわたしであった。
電車内の座席の上で、稚拙な自分と対峙。湘南新宿ラインのグリーン車は2階建てで、1階席は地階と呼んでもかまわないような高さに位置する。ホームでは、車窓からホームを急ぐ人びとの足が見える。
わたしがこの湘南新宿ラインのグリーン車地階席が好きなのにはわけがある。トルストイの「愛のあるところには神もいる」(トルストイ作 金子幸彦訳/岩波少年文庫『イワンのばか』所収)の主人公マルティン・アヴデーイチというくつ屋の部屋を思わせるのだ。
マルティンは地下室の、まどのひとつしかない、小さな部屋に住んでいました。まどは往来にむいて、そのまどからは、人々の通るのが見えました。見えるのは足だけでしたが、マルティンには、くつを見ただけで、はいているひとがだれであるかがわかるのでした。
というのが書き出しだ。
これを初めて読んだのは中学3年のときだったが(あれ? 2年だったかもしれない)、わけのわからない物思いに囚われる日、ふと書架から引っぱり出して読みたくなる。
そのはなしはいつかすることもあろうというものだからここではしないでおくけれど、ともかく、マルティンの部屋を思わせるグリーン車にその日わたしは乗ったのだ。
新宿からは1時間9分で熊谷駅に運ばれる。
次号につづく
つづきは来週書きますね。
熊谷ではこんなかわいい生きものも、
わたしを待っていてくれました。
里芋さんです。
里芋さんの芽。
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コメント
ふみこさま。おはようございます。
里芋の芽さん。かわいいですね。
「ふみこさん。ようこそ。。」ってまってくれていたんですね。
うちのイチョウくんたちも10センチくらいに。
「やや。。何を育てるのかな。。」と主人with興味津津のからすくん
「そう言えば。。お父さんもなぜか銀杏の実から育てていたなー。。」
なんて。。いきなりそだてたくなったのはそうかお父さんのせいかな。。
そのお父さんとお母さんのお見舞いに通っていたころ
そのまま電車に乗って帰ったのでは心がつぶれそうな時
ふらっと来たバスに乗ってみる。。ふらっと羽田飛行場まで
行ってみる。。主人とはなぜかかまくらのお寺を歩いていると
心が落ち着くといってふらふらしたりね。。
そういう時の近くに寄ってきてくださる人の足音だけで
誰かわかるような感じまでおもいだしちゃいましたー。
ふみこさんと皆様ご家族のかたがどうかおだやかに
過ごせますように祈ってますね。暑くなってきたので
ふうせんかずら&朝顔たちもどんどんとびだしてきました。
投稿: 真砂 | 2018年5月22日 (火) 10時29分
ふみこさん、みなさん
おはようございます。
ずっとこちらにお便りする気もちになれずにいました。一息いれに、何度もお邪魔はしていました。みなさんに混ざって、お話を聞きながらお茶を飲んでいる気分でした。
母の認知症が急に始まり、それを一人でみている父もくたびれてしまい、こちらからは、衣類を送ったり電話をするくらいしかできることもなく。
それでも、先週末、やっと帰ってくることができました。
新幹線が早く進むのが頼もしいような、もっとゆっくり行ってほしいようなひとり旅でした。
考えたり悩んだり、泣いたりしてる暇もなく、ごはんをたくさんこしらえて冷凍して冷蔵して、母の衣類を整理して引き出しにラベルを付けて
包括支援センターと両親をつなげ、認定の申請を出させ
母とお風呂に入ってシャンプーをして、
やっぱり片道5時間はかかるんだよなあ!もう少し近かったらなあ!
と思いながら、母を2回ぎゅっとして、帰ってきました。
こちらに帰ってきたら、娘が私をぎゅっとしてくれました。夫は晩御飯をこしらえてくれていました。食べ終わったら、「ごろごろしてなよー」とコーヒーを淹れながら洗い物をしてくれました。
私には助けてくれる人がどんどん現れます。
支援センターの方をはじめ、私の職場のみなさんや、母の衣類を買いにいくスーパーの人や、
帰りの新幹線の中で、赤ちゃんを大小二人連れた若いお母さん
赤ちゃんは二人とも泣いていて、通路は人で一杯で
たまたま近くにあった多目的室を使えるように車掌さんに頼むというお節介をすることができました。
勝手ながらうれしかったのです。
私も娘が小さかったころ、新幹線のあの小部屋にはお世話になりました。ちいさい部屋にちょっとの間でも娘と二人きりになれるのはいいものでした。あのお母さんと赤ちゃんたちもちょっとはくつろいでいるかな?と想像したら、
私自身の心の「コリ」みたいなものがほぐれるような気がしました。
きっと神さまが姿を変えて来てくれたんだと思います。
実家の方はまだまだこれからですが、きっと大丈夫なんだと思います。大丈夫にします。
私が言うのも変ですし、この言葉もどうかなと思うところもありますが、
みなさん、おたがいがんばりましょう。
投稿: cohata | 2018年5月22日 (火) 10時55分
ふみこさま
こんにちは。
今日、ふみこさんに言っていただいた言葉をふと思い出し、ふみこさんのブログとコメントをいろいろ読み返していました。
その中で、その頃にはふみこさんの言ってくださったことがうまくとらえられなかったけれど、今はわかってきた、ということがありました。
「だんだんにわかる」ということ、つい「すぐすぐ!」と焦ってしまいますが、大切にしようと思いました。
息子は小学3年生になり、今日は遠足のお弁当を久々に作って楽しかったです。
「愛のあるところには神もいる」、読んでみたくなりました。私も子供の頃に電車から見た足を思い出しました。
三重県の電車だった気がします。
投稿: きんもくせい | 2018年5月22日 (火) 12時36分
ふんちゃん皆様こんにちは。
ふんちゃんが義両親様を大切にしているのがわかります。
きっと皆様お疲れのことだと思います。
(勝手に決めつけるようで申し訳ないですが
どこかで疲れていないかと心配です)
私、自分かふんちゃんに少しでも休んでください、と思って初めて両家の両親が休んでくれ、と私にいう気持ちわかりました。
坊やをとろうとしてるわけではなく
私達が健やかに暮らせるようにの
手助けなんですね
ふんちゃんもどうか
お体に気を付けて堂々と休んでくださいね
投稿: たまこ | 2018年5月22日 (火) 12時56分
ふみ虫さま、みなさま、こんにちは。
きのうは、ショックなことがありました。
ショックなことを知った、というのが正確ですが。
ここ最近訃報つづきで、でもある程度お年を召されたかたがたであり、大往生といえなくもないのかなとおもっていたなか、栗城史多さんが。
ほんとうにびっくりしましたし、ショックでした。
まだまだ若いし、有用なかたなのに。世の中の光になるかたで、照らしつづけるべきかただったのに。
命を、寿命を分けてあたえられるものなら、そうしたかったです。
必要なかた、欲しいかたに分けられたらどんなにいいか。そんなことを昔から考えたりしています。
ほんとうにこの世は、 苦(ままならないもの)だなぁとおもいます。
でもまた、瀬戸内寂聴尼が対談でおっしゃってらしたことが応えになっているような気もされて。
最近ときどきおもいだしていたのですが。
それは樋口一葉など早世された作家についてお話しされていたことですが、「生きて居ればもっと傑作を書けていたはずと惜しんだりするものだが、私が行き着いたのは、そのひとのあたう限りのものを成した、ということなの」
ああ、優しいな。救いがあるな、とおもいました。
また、おもい併せるのは、だいぶまえ、高村光太郎智恵子を扱った番組でのこと。光太郎の甥が、「智恵子さんがあんなじゃなきゃ光太郎はもっと傑作を作っていたはずだ」という発言。それを見聞したときぼくは腹が立って仕方なく、確かに数は多く残せたかもしれないが、傑作になったかどうかわからないじゃないか。少なくとも『智恵子抄』という名作は生まれなかった。なんだこいつは、とおもったものですが、ぼく自身似たような思考になっていたようです。
時間の長短に価値はなく、早世されたからといって栗城史多さんの輝きが損なわれるものでもない。
また、それを活かすも殺すも、われわれひとりびとりの在り方にかかっている。
きのうからいろいろおもい、考え、そうおもいました。
死はおわりではなく、関係性の変化。そういうことをふみ虫さまがおっしゃってましたが、なにもかもつねに刻々とかわりゆき、うつりゆき、それはもちろん自分自身もで、ときにあらがいながら、かわってゆき、それは老化であり成長でもあり、生でもあり死でもあり、賑やかでもあり静かでもあり。
絶望にちかい気持ちになりながら、希望にちかづいたような気持ちにもなりました。
ままならないものは、苦だけでなく、苦も苦しいだけでなく、楽しかったりうれしかったりもあるんだな、とおもいました。
投稿: 佐々木広治 | 2018年5月22日 (火) 14時24分
真砂 さん
真砂さんのお宅のイチョウさんと、
熊谷のはたけの里芋の赤ちゃんは、
どこかでつながっていますね。
土は、だから大事です。
ふ
投稿: ふみ虫。 | 2018年5月24日 (木) 12時36分
cohata さん
自分の母の最晩年に寄り添っていた
(つもり)の時期のことです。
いろいろなことがわからなくなり、
やせ細った母から、おしえられることが
たくさんありました。
穏やかな様子でいてくれたことがまず、
わたしには幸いでした。
ゆっくりどこかへ向かって歩いてゆく母が
うらやましくもありました。
この世でもない。
あの世でもない。
その境地は、もしかしたら至福なのかもしれません。
わたしたちはつい、
この世に焦点を当て過ぎるけれども、
その狭間の境地は至福……。
cohataさん、おたよりのさいごの
呼びかけ、皆さん、というのね、
うれしくてちょっぴり泣きました。
ありがとうございます。
ふ
投稿: ふみ虫。 | 2018年5月24日 (木) 12時44分
きんもくせい さん
「だんだんにわかる」
そんなことを書きましたか。
いまのわたしに、伝えたいようです(笑)。
思い、ことばが、
わたしたちのあいだを、
やさしく、ふさわしくまわっているのかもしれない。
そう思うと、この広場が明るく在りつづけていることに
頷けます。
というか、感謝してもしきれない。です。
トルストイ、ぜひに。
ふ
投稿: ふみ虫。 | 2018年5月24日 (木) 12時56分
たまこ さん
そうですよね。
思いやりの深さをはかれるようになる。
というのも、ひととしての大事な歩みだと
思えます。
成長という名の歩み。
ふ
投稿: ふみ虫。 | 2018年5月24日 (木) 12時59分
佐々木広治さん
栗城史多の訃報。
ずいぶん前の植村直己のときのことを
思いだしました。
ご遺体がみつかって、よかった。
……というのが最初の思いでした。
これは、ご家族のために思ったこと。
栗城史多さんがこの世でしたかったことは、
少しずつ、この世に時間を残したわたしたちがしよう……。
思いの深い広治さんにも期待します。
いろいろおしえてください。
ふ
投稿: ふみ虫。 | 2018年5月24日 (木) 13時04分
ふんちゃん
ふんちゃん…、も、おつかれさまです…の日々を送っていたのですね。
駄々っ子になる気持ち…なんとなく分かる気がしていました。
ヒトも、モノゴトも、うつろいゆくもの…ということは、
ことばとして頭のどこかにあるとしても、
どうやら自分の中にストンと落ちないような気持ちが、
ここのところの私には、すみついているようでした。
あの心地良い感じが変って欲しくないような…とか…。
私にとっては、母が同居するようになったことが、
一番大きかったかなぁと思います。
いろんな感情が湧いては去り、また新しく湧いては去り…と
繰り返しているような…。
私は、ここ何日か、ようやく元の落ち着きを取り戻した時間を過ごせています。
あ〜、本当は、こうだったよな〜って時間です。
確かに、毎日、何かしらはあって、一日まるまる家に居られるような日はないのだけれど、
それでも、午後からは家に居られる…とか、
自分を取り戻すための時間は確保できる…とか、
そういった時間を過ごせています。
当たり前だと思っていたことが、
当たり前ではなく、幸せなことなんだなぁ〜と、
またしみじみと感じる時間となりました。
こないだ、また鍼灸院に行って、
「大きな山を乗り越えられたからといって、
私いけるな!と頑張ることを常とするのはやめてくださいね」
と釘を刺されました(^^;)
「日常の優しい生活があってこそなんですから」と。
本当に、「大変」や「困った」、「どうしようかなぁ」などが、
全くないなんてことは、ほとんどないんですよね。
外からは、見えなくっても、それぞれみんな何かしらを抱えているんだなぁ…って、
思うことがありました。
だからこそ、ここへきてホッと一息、
そして、また空を眺めて、鳥の声を聞いてがんばろ〜っとと思います。
ウチにいると、毎日、「カッコウ♪カッコウ♪」と聞こえます。
すると、少しカラダの力が緩んできます。
札幌は、本当に気持ちのいい季節になりました。
ほどよく涼しい空気と「カッコウ♪」をみなさまに…。
投稿: もも(^_^) | 2018年5月25日 (金) 10時15分
ふみこさま。みなさま。
うれしいおたよりありがとうございます。
葉っぱくんたちだけでなく、言葉も
思いもふさわしく回っているのかもしれない。。
ふみこさん、まさにです。。
家の近くにサイエンスパークがあり、かこさとしさんの本をほぼ
全部おさめているコーナーがあるんですが。。
そこで昨日ふらっといって本をながめていたら
おじいさまが「かこさとしさんのその本はロシアの舞踏団がヒントなんだよね。。」
というお話をうかがい、そういえばからすのパンやさんのあとがきに
ちらっと読んだ覚えがありました。
でもまったく気にもとめなかったのですが、いまロシアの音楽を
やっていて舞踏曲のこの生き生きとした感じはなんだろう
とおもっていたので「あーこれかもー」なんてうれしくなりました。
個々の生き生きとした人物描写と全体への総合化の大事なことを
舞踏団から学んだとあります。まさに人物にしろいきものにしろ
ひとつひとつのどうぐにしろ。。そこにこめられたかこさんのおもいに
改めてふれ。。すこうし近づけた感じや自分がもとめていることと
重なるところも感じうれしくなりました。
賢治さんの時もボーとしていた時本郷で声かけられたし。。
今回もぼーとながめていたら。。ふみこさんのいうとおり
なにかふわわしくまわってきたみたいです。
私もこの広場になにかまわせるといいのですが。。ふふ。
(いつも言いたい放題のような気もしますが楽しい。♪♪♪♪)
投稿: 真砂 | 2018年5月25日 (金) 12時46分
ふみ虫さま
両親がそれぞれに
老いを重ね、深みを増す
そのことに心配しながらも
日々のできることを
精一杯している
そんな毎日です。
闘病中の父も
それを支える母も
もうすぐ一年をむかえます。
心して暮らそうと…
きっとふみこさんも
ご主人さまも
お父さまもお母さまも
そうですね。
できるだけ
笑顔でいられるように
祈ります。
投稿: 寧楽 | 2018年5月26日 (土) 09時57分
ふみこ様 おはようございます
忙しい日々の中 ご主人のお父様お母様の事が
頭の中でグルグルと駆け巡りますね
ははには堂堂としていてほしい。
ちちには穏やかに、あってほしい。
田は瑞瑞しく、畑は青青と、あってほしい。
ふみこさん この一文
わたしの気持ち そのものだと感じました
週末 父がお世話になっている特養から電話があり
父が 転倒したとのこと
慌てて 様子を見に行くと
けろりとしていました
気難しい 無口の 昔の父の顔ではなく
失敗をとがめられるのではないかと
心配する 子供の顔
山は青々とし 初夏の風はどこまでも
すがすがしく
いつもの年と 変わりないのですが
父は幼子に 私は両親の親のような顔になりつつあります
それもまた佳・・・・と。
投稿: えぞももんが | 2018年5月27日 (日) 08時22分
ふみこさま。
こんにちは。
いろいろ大変なことと思いますが、ゆるゆると過ごしていけたらいいですね。
私、里芋の葉っぱ、大好きです。
童話教室に通い始めたころ、里芋の葉っぱのお話を書いたことがあります。
いつか読んでいただけたらなぁ~と思います。
昨日、イラストレーターの方と、絵本の専門店に行ってきました。
いろいろアドバイスをいただき、二人で「プロの絵本作家を目指したいね!」と励ましあいました。
なかなか難しいと思いますが、夢見ることは自由かなぁ。
夢に向かって、がんばろうっと思っています。
毎日、いろんなことがあって、気がかりなこともちょいちょいありますが、
とにかく前を向いてすすんでいきたいと思います。
では、またぁ。
投稿: こぐま | 2018年5月28日 (月) 11時49分
ふみさまみなさまこんにちは~~
4年前によくだんなさんと
「うちは、両家の父母が元気だからそれだけで楽させてもらってるよね・・」
と会話していました。
それがこの4年間の間に
私の母が倒れ、入院からの施設入所
3か月前にはだんなさんの母が圧迫骨折にて、入院(おかげさまで今は退院してリハビリ中)
だんなさんお父さんも認知症の発症とともに、訪ねるたびに、会話が遠くなり・・
私の父の亡くなり方が入院3日目での突然の逝き方だったために、
介護というものがあまりわからないまま過ごしていただけに、
このうけとめ方は思っていた以上に自分の心と身体にずっしりくるものだな・・と感じております
ははには堂堂としていてほしい。
ちちには穏やかに、あってほしい。
この思い、本当にそうなのです。
えぞももんがさんも共感されていらっしゃるようで、おそらく
肉親の介護に携わる者の共通の思いなのではないかな・・・とパソコン越しに思いました。
自分の親には、しっかりしていてほしい。
手をひいてあげる存在ではなく私の手をひいててほしい。私に頼りすぎずに自分で進んで、決めてほしい・・・・
駄々っ子ここにもどっかり居座ってます((笑)
身体的に頑張ることはいくらでも頑張れる気がするのだけど、
少しずつ少しずつ遠くにいってしまう親と毎週対峙しなくてはいけないのは
思っているより心がしんどいです。
そして、近い将来、自分もこのようになっていくときに、そのときには子供達になるべく負担をかけずにいたいなあ・・・と少しの恐怖も感じてしまい・・
うん、心がしんどい。
でも、
そういう決意をいろいろと心の準備をしなさいよ
と
母達は最期の子供達への教育してくれているのかな・・・と。
生と死と自分の考え方、とらえ方、今の生き方・・・
すごく毎日考えることが多いです。
これは広治さんの今回のコメントと似ていることなのかな・・(ぜんぜん的外れだったごめんなさい)
ふみさまのつづく~
が気になります。朝の連続テレビ小説なみにひっぱるぅ~~~((笑)
せめてグリーン車で、好きな本のことに思いをはせながら、その時は
自分の時間を楽しんで行けたのかな・・・・。
ふみさまがんばれ~~
そしてともにがんばりましょう~~
投稿: おきょうさん | 2018年5月28日 (月) 17時11分
もも(^_^)ちゃん
ほんとうにね。
何にもない、とか、
無事でよかった、なんてこと、
ほんとうはないのかもしれません。
だからこそ生き抜いていることに、
もっと感謝しなければ。
あたりまえではないですものね。
ももちゃん、お疲れさんです。
そそんなことばだけでは足りないけれども、
云わずにはいられない。
そうしてももちゃんは、
だんだんつよく
だんだんやさしく、
たおやかなひとになってゆく……。
ふ
投稿: ふみ虫。 | 2018年5月28日 (月) 20時13分
真砂 さん
ヒントはふさわしいとき、
ふさわしい場所に降りてくる……。
ね。
ふ
投稿: ふみ虫。 | 2018年5月28日 (月) 20時15分
寧楽 さん
このうつろいに、
何を見いだすか。
そのことは、この世を生きるわたしたちの、
もっとも大きな宿題かもしれないなあ。
と、考える日日です。
ありがとうございます、
おやさしいことばを。
ふ
投稿: ふみ虫。 | 2018年5月28日 (月) 20時17分
えぞももんが さん
けろりで、ほんとうによかった、です。
いろいろな場面を経て、
あの世とこの世に分かれた
わたしの両親とは、
いま、穏やかなやりとりがあります。
えらそうなことを告げても叱られないし。
毎日毎日、何かしらはなしています。
ふ
投稿: ふみ虫。 | 2018年5月28日 (月) 20時20分
こぐま さん
こぐまさんはやさしく、
自由だなあと感心させられます。
作品にもそれが、
あらわれていて、
わたしはとても励まされます。
愛しさをおしえられるようで。
ふ
投稿: ふみ虫。 | 2018年5月28日 (月) 20時22分
おきょうさん さん
自分には、
そんな〈番〉がまわってこない……、
とどこかで思っていたような。
しかし、しっかりまわってきました。
そうして、
いつか自分自身にもこの世でのさいごの
日日がめぐってくるのです。
「この道」をしっかり歩んでゆこうねー。
おきょうさんさーん。
ふ
投稿: ふみ虫。 | 2018年5月28日 (月) 20時25分