ぽかんスイッチ
めまぐるしい数か月だった。
いろいろなことがあったが、いや、あったからこそ、この期間、ちょっと自らを緊張させないよう、気をつけていた。
緊張が高まるとろくなことにならないからだ。
それで何食わぬ顔をして、緊張から遠いしごとをおもむろに、そうだ、おもむろにはじめてみる。
・障子張り。
・ 黒いシャツを黒く染める(黒が褪せてきたものを、黒く)。
・ 白ものの煮洗い。
・ とうもろこしの粒粒天ぷら。
そんなしごとをしておいて、
「あ、そういえば」と思いだしたように云う。
「あ、そういえば、きょう◯◯へ行くのだった」
「あ、そういえば、これから□□さんと会うのだった」
そうなのだ、まるで障子張りがひとまず終わったから出かける、黒シャツが染まったからひとと会おうか、というような調子だ。こんなことで緊張を緩めようとするなど、どうかしているのだけれども、仕方がない。
わたしというのは緊張しいで、いくらかわざとらしいかもしれない事ごとを企てて、自分を緊張させる対象から逸らさないではいられない。
おもしろいのは、逸らそうという事ごとのほうがかすかに主張してくることだ。
昨日もそうだった。
出先でふと指を見ると、爪がところどころ染料で黒く染まっていた。まだらに染まった爪は、魔女が古びた大鍋で際どいクスリを煮こんだあとのようだ。
あらいやだ。
まわりの皆さんの手の爪を見れば、うつくしく整って、ピンクや紫色に染まっているではないか。色こそないにしても、黒ずんでいるような爪はなく、わたしは突如として気後れする。そうしてわたしは爪を隠そうとしながら、この爪のおかげで緊張を緩めてもらい……、なんというかわたしはぽかんとしているのだ。
ぽかん。
これはじつに得難くありがたい境地だ。
ぽかんの境地にたどり着いたわたしは、緊張から徐徐に解き放たれて……、解き放たれたような気がして……、落ち着いて(比較的)ひとと向きあい、あたらしい事態と対峙することができるのだった。
家で常より手間のかかるしごとをする、という以外にも、緊張の現場で、ぽかんを試みることもある。ちょっとみょうちくりんなことを探して、するのだ。
〈ぽかんスイッチ〉を押す感じだろうか。
我ながら緊張が過ぎるな、というとき〈ぽかんスイッチ〉を押そう。自分の前に手に負えない事ごと(人物も)が立ちはだかったときも………。
もっとも大事なのは、相手を区別したり、選別したり、無理解を決め込んだりする前に、〈ぽかんスイッチ〉を押そうと思う。
スイッチはわたしの土踏まずあたりについており、踏みこめば作動する。
……ということにしている。踏みこんで、このあいだなんかは、大きな会議の前に転んだ。
あれ、これは〈ぽかんスイッチ〉の結果なのだろうか。
ちょっとちがうような気もするが、一瞬ぽかんとしたからよしとする。
とうもろこしの粒粒天ぷらです。
とうもろこしの実をはずして、
小麦粉(片栗粉も少少)、水、塩を加え、
揚げました。
そして、ぽかん。
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