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2018年7月の投稿

2018年7月31日 (火)

小旅行

 その日。
 静岡県伊豆市修善寺の宿。
 旅先でホテルや旅館に泊まるとき、日頃の習性からだろうか、あるいは主婦根性だろうか、部屋の使い方に気をつかい、できるかぎり散らかさぬように気をつける。習性もだが、こういうところにひとの心根のようなものがあらわれそうに思えるからでもある。
 旅立ったあと、掃除の係のひとが部屋に入る。
 そのときにこちらの始末がわるければ、係のひとをおおいに働かせることになる。仕事だからあたりまえだという考え方もあろうけれども、自分に世話を焼く役目のひとを必要以上に働かせたくないし、何より、がっかりさせたくない。
 旅立つわたしの跡が無惨なものであれば、そこに気持ちは通らない。口でいくら「お世話になりました」と云ったりお辞儀をしたとしても、だ。
 部屋を出るとき、そっとうしろをふり返る。
「一泊を守っていただきました。どうもありがとうございました。またね」
 これは部屋への挨拶。

 その日。
ひねもす家にいられる日。
 仕事も雑用も、そうはたくさん追ってこない日(うれしや、うれしや)。
 朝、お定まりの家のしごとの手順のなかで、書架の下のひきだしを開けたら、小さな紙片と目が合った。
 ことし617日/日曜日の日めくり。
「そっと栞を挟む日」
 と記されており、おそらく、三女の名前と同じ「栞」という字をみつけたうれしさからとっておいたものなのだ。ああ、そんなこともあった。
 日めくりの紙片(5cm四方)を、手帖に貼りつける。とっておいたものの行先をみつけてやれた……。
 こういうことが家のあちらこちらに小さく溜まっているような気がして、この日、わたしは気をつけて、それをみつけながら、そうして片付けながら過ごしたのだった。
 ほんとうの意味でしまい損ねているカバン類をしまい(戸棚のなかの収納ケースの位置替えをしたため1リットル汗をかいた)、貼りつけるつもりで注文しておいたタイルを浴室の窓辺に貼りつけ、靴の整理をし(すると修理の必要な靴が3足出てきた)、冷蔵庫のなかの……。
 そんなしごとをすっかり終えたのは午後4時だったが、気分としては小旅行を終えて戻ったわたしであった。
「旅をたのしませていただきました。どうもありがとうございました。またね」
 これは住み慣れた家への挨拶。

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ことしの熊谷(夫の実家)の
ブルーベリーもよくみのりました。
わたしもちょっぴり摘みました。
農作業を手伝うときは、
いつだって「小旅行」です。

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2018年7月24日 (火)

西瓜のなみだ

いい西瓜ができるように、あの手この手で……」
 という夫の独り言を聞いたのは、5月のことだ。
 ともに80歳代の半ばを超えた両親(ははは入院中、ちちは在宅)の生活を支えるため、現在夫は週4〜5日埼玉県熊谷市の実家で暮らしている。映画製作の仕事と、農作業と、家事を成り立たせて奮闘中だ。

 西瓜の独り言は東京の、この家で聞いた。

「西瓜、たのしみにしてて」
「どんなふうに西瓜は育ってゆくの?」
 とわたしは尋ねたが、ぼんやり耳傾けて「ふーん」と応えていたものだから、苗の定植のところは覚えていない。が、つるがのびてきたところからは、記憶がある。
「親づるは、本葉5枚で芯を摘む」
 ……ということは、子づるを5本育てることね、と理解した。

 その後も、ネットをかけてカラスから西瓜を守るという一手、西瓜の実が地面に触れぬように敷きわらをするという一手、西瓜にまんべんなく日が当たるように〈置き直し〉をするという一手(玉通しと呼ぶらしい)について、聞かされた。夫としてはずいぶん気をつけて西瓜づくりに向き合ったのだろう。

「ほらこれ!」
 と初めての西瓜を持ち帰ったのは7月半ばのことで、あんまり黒くてあんまり大きいのに驚いた。黒い皮(黒玉という種類だ)にざくりと包丁を入れてみると、なかが見事に赤かったから、もひとつ驚く。
 甘さ?
 これもなかなかのものであった。

 西瓜というのは、まあるい実のなかに、おびただしい水分を蓄えている。

 それにあらためて感じ入っていたとき、
「西瓜には水やりはいらないんだ。いらない、というのは云い過ぎだけど、雨が降れば、それでじゅうぶんなんだ」
 と夫が云うのを聞いた。
 水をやり過ぎると、湿気によって病気にかかりやすくなり、実が割れやすくなり、味が薄まるそうだ。
 このとき以来、西瓜を乾燥気味に育てるというはなしが、胸のなかに棲みついている。

 ことし何個めかの西瓜をざくりとやったとき、西瓜が泣いた。

 まな板の上で、涙を流して見せたのだ。
「ああ……」
 手を止め、泣きたいようなわたしになった。
 西瓜の保(も)つ水。大地を覆う水、蓄える水。天から落ちてくる水(雨)。
 決して自分の手ではつくれない水に対する畏れを、わたしは忘れていたようだ。

 瑞瑞(みずみず)しい書くときの「瑞」。

 このことばには、瑞兆(ずいちょう)、瑞祥(ずいしょう)に通じる、めでたきしるしの意味がある。

 この夏の試練に、やがて瑞が萌(きざ)してゆきますように。

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うして夫は黒玉を出荷しました。
農協の直売所に置いてもらうのです。
西瓜の網の手提げに入れて。
(まだ自信がないから1個980円ですって)。
この夏の酷暑に、
西瓜を供えたいような気持ちになっています。

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2018年7月17日 (火)

やわらかい土

 あまりに暑い日がつづいて、ぼーっとする時間がふえたおかげで、ぼーっとして「集中して何かするなんて、とてもじゃないや」などと呟く機会がふえたおかげで、わたしはあっさりと構えずに跳んだ。
 胸のこのあたり(ほら、このあたりです)で渦巻いていた葛藤を観察しようとし、なんだかわからなくなって前に跳んだ、というのが正直なところだ。
 跳んだら、やわらかな土の上に着地した。
 あたりまえの土、と名付けたくなるような、やわらかさだった。

「あなたにとってわたしがいちばんだと思ってたのにさ」

 と、わたしは夫に向かって云ったのだ。
 飛び降りた土の上にしゃがみ、土に触れながら、わたしは夫に……。

 現在わたしの夫は、埼玉県熊谷市にある自分の実家に住みこんで、入院しているははを見守り、農業を手伝いながらひとり暮らしになったちちを支えている。映画製作の仕事をしながらの介護の日日ということであり、週末は帰宅して、東京でしかできない仕事を片付けたり、家でわたしにはできない事ごとに目配りしたり、くつろいだりしている。

 一方わたしはたいして夫を手助けしていない。
 その理由にはしたくてもできない、という面と、夫にしたいようにしてもらうのを応援のかたちと位置付けている、という面とがある。
 その点についてはお互い了解しているのだが、自分のなかに、知らず知らず葛藤のようなものが生じ、この半年あまり、わたしは感情の揺れを伴いながらその正体を探りつづけてきている。

 夏の暑さのなかで、

「あなたにとってわたしがいちばんだと思ってたのにさ」
 と夫に告げた瞬間、葛藤の正体が明らかとなり、仰天するやらあきれるやら。
 仰天のほうは、葛藤なんかという画数も多いめんどうな悶着(もんちゃく)があっさり明らかになったことに対するもの。あきれるほうは、情けなく、くだらないと断じてもよいわが本心に対するもの。

 あはは、と夫は笑い、あはは、とわたしも笑った。
 笑いながら、わたしはちちにもははにも詫びていた。ちちよりははより、大事な自分でいたかった、などとは誰にも気取られたくないことだった。
 ちちとははのほか、夫にも詫び、自分自身に対しては……、それが本心であるならば、仕方ないんじゃないの、と考えるしかなかった。

 しかしながら着地した足の下の土のやわらかさを感じたのは、正直な思いが導いた末のことであったからだろう。葛藤をほどき、わたしは安堵している。
親孝行も、夫孝行も、思いやりも義侠心も棚上げし、あははと笑っているのである。
 情けなくもあり、もうちょっとましな人間であったはずだという思いも湧かないではないのだが、いまのところ、これでいい。

「あなたにとってわたしがいちばんだと思ってたのにさ」なんてことを思いつつ「もうひとつ云わせてもらうけど、あなたは説明責任を果たしてない!」と、畳みかけていたっけなあ(説明しなければわからないこともある!)。

 もう少しわたしという人間が進歩して、そも葛藤すら生じさせない境地に達するかもしれない。また、そうならなくとも、ことの本筋を見据えて「わたしが……どうした」などという手前勝手な主張をしなくてすむ心境を得ているかもしれない。
 健気なる夫の介護の日日に向かって、「つまんないー!」と叫びたい〈いま〉の上に立っている自分を、許したい。やわらかい土の上で駄駄をこねるおばちゃんであったとしても、だ。

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今年6月はじめに田植えをした田んぼです。
田植えから一ヶ月後、一時的に水を抜き、
田んぼがひび割れるくらい干すのだと夫が教えてくれました。
「中干し」というそうです。
稲の根を地中に強く張らせ、出穂に向けて株を引き締めるため。
稲も必要な経過をとおって成長してゆくのだと思わされます。
ときに過酷な場面も生き抜いて、実りの秋を迎えるのだと。

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2018年7月10日 (火)

 アイス枕

 暑い夜だった。
 いつもならあっという間に眠ってしまうのに、寝台の上を右にころがり、左にころがりしているうちに、窓が白んできたようだ。それからやっと少しまどろんだが、起きたときには熱っぽく、頭がぼんやりしていた。
 アイスティーを淹れて、つぎつぎ起き出してきた娘たちの前に置く。
「暑かったねえ。眠れた?」
 すると、娘たちは、寝るときにアイス枕を置いたから、すぐに寝てしまった、と云う。
「お母さん、夜、渡してくれたじゃない。アイス枕」

 アイス枕。

 昨夏、クスリ屋でみつけて「これはいい!」と思ったのだ。それで5つ求めて帰った。冷凍庫で凍らせて使うのだが、かちんかちんにはならず、やわらかさを保ったまま冷たくなっている。
 外袋を捨てずにおいて、この外袋に納めて冷凍庫に入れることにし、冷凍庫から出して寝室に持ってゆくときには、それぞれ、外袋を冷凍庫のなかに残してゆく。空(から)の外袋の重なりを見て、アイス枕を忘れている者がないかどうか確かめる。
 枕の上に、手ぬぐいで巻いたアイス枕をのせて使う。
 昨年はこのアイス枕のおかげで熱帯夜を、比較的楽にのりきった。
 冬のあいだは発熱用にひとつ冷凍庫に残して、あとは戸棚にしまっておいた。ことしはすでに6月から、アイス枕に働いてもらっている。

 このアイス枕、自分に当てるのを忘れたのである。

 朝になって娘たちから「アイス枕」と聞いて、呆然としている。ひとの世話を焼いているうちに、つい自分のことを忘れる。自分のことをあとまわしにしていると云えば、愛情深いようだけれども、ただわたしは迂闊なのだ。
 寝台の上を右にころがり、左にころがりしているときに、なぜアイス枕を思いだせなかったのか……。
 些細なことのようだけれども、いまのわたしにはちょっと重たいものが投げかけられている。もう少し自分を労わらないといけないということでもあるし、もっと云えば自分というひとに注意深くあらなければならないのではないか、と思う。

 いまのあなたはどんなあなたか。

 疲れてはいないか。
 少少無理をするのは仕方ないとして、し過ぎてはいないか。
 こころに重荷はないか。
 ほんとうの気持ちを程よく語っているか。
 水分を摂っているか。
 ……アイス枕を忘れていないか。

Suica01
夫の、本格的な熊谷での介護の生活、
半年を過ぎました。
ここまでくるなかで、わたしにも葛藤があり、
そのことはあたらしい学びでした。
先週末、初めて自分でつくった西瓜
(黒玉)を持って帰ってきました。
皆さん、佳い夏を。

豪雨の被害にこころを痛めながら、

もう一度申します。

皆さん、この夏を生き抜きましょう。

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2018年7月 3日 (火)

フタ

 台所に立っていたときのことだ。
 オリーブオイルを使おうとして、瓶をとり上げ、フタに手をかけたら、フタがするっと抜けてしまった。そのためフタだけがわたしの手に残り、瓶の本体のは床に落ちたのだ。
 さいわい瓶のなかのオリーブオイルの分量が半分より少ないくらいであったため、オイルが飛び散ることはなかった。

「また、だ」

 と、わたしは思う。
 少し前にも、同じことがあった。
 化粧水の瓶のフタに手をかけたとき、本体が床に落ちた。オリーブオイルも化粧水も、容器の瓶のフタは何の変哲もないねじ巻き式。これを前に使ったとき、ネジ山をまわし詰めずにしまったのがいけなかった。
 フタを閉めきらなかったのは、そう、わたしだ。
 どうしてだか最近、さいごのところが甘くなる。
「ぎゅっ」とゆくべきところがそうできず、なんとなくやんわり締めてしまうのだ。

 かつてはぎゅっとやり過ぎて、つぎに同じ瓶を使うとき、フタが開かなくて……困ったものだが。

 オリーブオイルの瓶を拾いあげながら、「気をつけなくちゃ」と自戒する。そうしながら、「さいごのところが甘くなったのは……」と思いをめぐらしている。
 瓶の閉め方だけではない。そう云えばこのところ、決断が甘く……というか、決断の場合はゆるくだろうか、白黒はっきりさせずに、開とも閉とも決めず、しばらくのあいだゆるめておきたいような気持ちでいることがふえている。

 ひとを見るときもそうだ。

 若い日には、出会い頭に相手との縁(えにし)の深さを見切ってしまい、第一印象が芳しくないときなどは、すぐに自分の前に戸を立てたものだ。ところが近年、出会い方は印象的でなかったが、その後ゆっくりと向き合って、ことあるごとに意見を交換する関係になる、という友人知人が少なくない。
 自分のまわりのひとたち、めぐりあう経験は、目に見えているより、ずっと奥深い。それを簡単に見切ってしまえば、ことは育ちもせず、変化もしない。それに……、見切り癖がつけば、つまるところ、わたし自身のなかにも在るかもしれないまだ見ぬあたらしい自分もみつけられない、というわけだ。

 あたらしい自分をみつける。

 瓶のフタはしっかり閉める。

 これはわたしの、いまの大切な目標。


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オリーブオイルを使って、
何をつくろうろしていたかというと、
友だちのお土産のポルチーニを、
パスタにしようとしていたときのことです。
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オリーブオイルの瓶を落としたり、
「ポルチーニって水でもどすんだよね」
とこんがらかったり。
それでもできたパスタは、やけにおいしかったです。

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