窮屈のひも
朝、2回洗濯機に働いてもらい、洗い上がりを自分でを干し終え、ふうっと息をついた。するとどうだろう。晴れた空から雨のようなものが落ちてきた。
やれやれ、どうしたものだろう。
よし、気がつかなかったことにしよう。
雨と云ってもそうたいした粒ではなく、雲の上から誰かが涙をこぼしたくらいのものだった。朝こしらえたスープがあんまり美味しくできて、うれしさから泣いてしまった、というくらいの涙。泣くほどのことではなかったが、ついね、という涙。
これがまた、大泣き雨粒の連なりになったとしたら、そのときやっと気がついたことにしよう。
あら、雨。
という具合に。
わたしにはこういうところがある。
律儀も義侠心も、真面目も大事だが過ぎることを禁じている。そんな書き方をするとよくよく考えた末に自分のものにした「掟」のようだが、じつはじつは窮屈がきらいだというだけのこと。
窮屈という観念。それは自分のなかに生まれることと、目の前の場面に生まれることの両方であるけれども、それらしきものと出合うと、腑のあたりから抗うものがぐーっとあがってきて、反射的におちゃらけるようにできている、わたしは。
律儀も過ぎると、窮屈を生む。
義侠心も過ぎると、窮屈を生む。
真面目も過ぎると、窮屈を生む。
たとえば義務教育時代をふり返ってみるとき、信じられないような悪さ、孤独、しょんぼりが浮かんできて、ああ、わたしはそういうものに支えられて育ってきたんだなあ、とつくづく思わされる。
それから、あれだ。ずる休み。
あれはよかった。学校に行きたくない、となると、それは一所けん命準備して、休んだものだ。体温計を湯たんぽに押し当てて37度5分くらいまで上げたり、からだをまるめてお腹の痛いふりをする。つまり一所けん命になるのは、うそをつくことだ。
おそらく子どものわたしに窮屈が溜まって、ひもをほどいたのである。ひもは、窮屈のひも、と呼んでいいと思うが、窮屈のひもは誰かにきつく結ばれることもあったし、自分自身できゅうっとやることもあったように思う。
縛ったのが誰であっても、同じだ。ともかく、ほどかないといけない。
ときどきおちゃらけながら、窮屈のひもをほどきほどき、生きてきた。
そうそう、わたしの娘たちの小学校時代にも、ときどきずる休みを誘ったのだった。
元気がないなあ、笑いが少ないなあ、表情が薄いなあ、と思ったときに、そっと誘うのだ。
「ね、学校休もう」
3回に1回は、誘いにのってもらえなかったことを思い返すと、娘たちの窮屈のひもは日頃から「緩め」であったのかもしれない。
さて。
窓越しに外を見ると、雨はやっぱりいっときのものであったらしく、気づかなかったことにしたのは当たりだ。 〈来週につづく〉
むかご。
これを友だちが福岡県糸島の市場から
送ってくれ、久しぶりにからりと揚げて、
甘辛く煮ました。
こちらも、九州から届いたイチジクです。
あ、ポポーもあります。
この皆さんは、
窮屈からは遠い、遠い皆さんです。
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